Wikipediaより
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<転載開始>

コチャバンバ水紛争(こちゃばんばみずふんそう)は、ボリビアの三大都市の一つであるコチャバンバで水道を民営化したために2000年1月から4月にかけて発生した一連の抗議行動。「水戦争」とも呼ばれる。


概要[編集]

コチャバンバでは、1967年より水道事業を担っていた SEMAPA(市営上下水道サービス公社)が発展途上国に経済援助をする世界銀行の主導によって民営化された。世界銀行のボリビアに関する1999年6月の報告では、上水道の使用料金を低く抑えておくための公的補助金を中止することが求められていた。 1999年9月、米国籍会社のベクテルが子会社International Waterを介して55%を保有するAguas del Tunari, S.A.(AdT)はボリビア政府水道局との間で上下水道事業に関するコンセッション契約を締結した[1][2][3]

地元紙の記事には、水供給公社の契約は競争入札により行なわれたが、一人の応札者しか現れず、数百万ドルの価値が見込まれる上水道システムがわずか2万ドル以下で売却されたと報じられた。[要出典]水と生命を守る連合にて国際調整を担当していたマルセラ・オリベラは、ボリビア政府が国際企業を誘致した結果3社が応募し2社が辞退した結果ベクテル社が残ったと語る[要出典][4]

世界銀行は、途上国の人口増加が急激に進んでいく中で多くの人が安全な飲料水や基本的な衛生施設へのアクセスを持てない見通しを示し、途上国の家庭用衛生設備の整備を重視すべきだとしている[5]。 一方、途上国における公的セクターによる水道事業は政治的な圧力により意図的に水道料金を低めに設定して赤字垂れ流しが黙認されてきたが、漏水率削減等のサービスおよび供給能力の向上には供給コストをカバーできることが必要不可欠であり、その第一歩として料金引き上げが必要となる[6]。 このため、AdTは料金を2倍に[要出典]値上げした。その結果、コチャバンバ市における水道料金負担は労働者最低賃金(60ドル/月)の約1/4になった[2]。 事前説明が不十分なままコンセッション契約締結と同時の料金値上げ[6]や新たな井戸掘削計画に反発する大衆運動がコチャバンバから全国的 なゼネストや暴動に拡大しした[2]

ボリビア政府は2000年4月に非常事態を宣言した[2]。 この結果、AdTも事業から撤退し、2001年11月にAdTは投資紛争国際センターに提訴し、ボリビア政府を相手取り2,500 万ドルの賠償金を要求している[2]

水道料金が払えないとAdtは容赦なく水道を止めた。払えない人々が井戸を掘ると、水源が同じだとして井戸からも使用料を徴収。仕方がなく泥水を飲んだ子供が死ぬ事態となり、[要出典]市民団体が警官隊と衝突。

1月の中旬、新しくできた労働者同盟、人権問題指導者たちの先導で4日間連続のストライキが発生し、コチャバンバの町は活動を停止した。政府は水の価格を元に戻して2週間以内に収拾を図ることを約束せざるを得なかった。これにより、抗議行動はひとまず収まった。[要出典]

3月に6万人以上の住民に調査を行ったところ、90% の人が「AdTは撤退して水供給は公社に戻すべきである」と答えた。民営化反対論者たちはブエノスアイレスの上水道民営化の例を引き合いに出し、その時は7,500人もの労働者が解雇された上に水道料が上がったとして、上水道施設の民営化がなぜ良くないのかを主張した。[要出典]

4月4日には再びコチャバンバは機能停止に陥った。IWL社は、コカ絶滅作戦に反対するコカ生産農家たちの煽動により暴動が悪化していると主張した。[要出典]

デモが4日目に入った時、ボリビア政府は戒厳令を発令した。警察は反乱指導者たちを深夜急襲して逮捕し、地元ラジオ局を閉鎖。武装兵士が町を監視した。[要出典]

4月10日、水道会社の民営化撤回を迫るため、数千の人々がコチャバンバでデモ行進を計画した。しかし、ウゴ・バンセル・スアレス大統領は武力でこれを鎮圧しようとした。バンセルはかつて1970年代独裁政治を行なった事がある大統領である。彼は警察に指示して2日間に渡りデモ隊に催涙ガスを浴びせ続け、6人の死者と175人の負傷者を出した。この負傷者の中には失明した2人の子供も含まれる。[要出典]

この騒乱はラパスにも飛び火し、チチカカ湖周辺の住民も道路封鎖などの抗議行動を起こす。4月8日にはボリビア軍により17歳の少年が顔面を撃たれて死亡。逆に農民がボリビア軍大尉を撲殺するという事件も起こる。[要出典]

ラパスやサンタ・クルスなどの大都市では、警官や消防士などの中に反対運動に賛同するものが現れ始める。また、ボリビア中央労働者連盟(Central Obrera Boliviana : COB)の呼びかけに応じて教職員組合が無期限ストライキを始めた。[要出典]

4月12日にAdTは事業撤退を表明。ボリビア政府も最終的に抗議者たちの主張を全て受け入れることを表明した。世界銀行は援助停止の形で圧力をかけた。[要出典]

その後、ベクテル社は違約金・賠償金としてボリビア政府に対して2500万ドルを要求、支払わせた。ボリビア市民の代表は「この2500万ドルがあれば、2万5000人の教師を雇用し、貧しい子供に教育を受けさせ、12万世帯に水道を敷き、雨水でない衛生的な安全な水を提供することができた」と語っている[独自研究?][7]

現在は新生 SEMAPA のもと、公営で民主的な水道運営システムを構築すべく努力が重ねられている。このプロセスにおいて、上記水紛争で牽引的存在となった市民団体「コチャバンバ水と生活を守る協議会」 (Coordinadora en Defensa del Agua y de la Vida, Cochabamba) の貢献は大きい。[誰?]

宣言文[編集]

コチャバンバの活動家[誰?]による宣言文は次の通り[1]

私たち、ボリビアとカナダアメリカ合衆国インドブラジルの市民たち:

農民、用水番、労働者、先住民、学生、専門家、環境論者、教師、非政府組織メンバー、年金生活者たる私たちは、今日、大切な水の権利を守るため、力を結集し一致団結した。

私たちはこの地、組織や政府による虐待に立ち向かった市民の行動・勇気・犠牲によって、商業主義が握りつぶそうとしていた権利を取り戻したこの地、世界に輝けるこの地において、私たちの自由と尊厳に基づいて、次の宣言を行なうものである:

生きる権利に基づき、また、自然と私たちの祖先と私たちの土地の習俗に対する尊敬に基づき、大地から与えられた水の使用については未来永劫侵されざる以下の権利があることを明らかにしなければいけない。

  1. 水は大地と全ての生物のものにして神聖にして犯す事ができないものであり、全世界の水資源は温存され、営繕され、保護されて子孫に伝えられ、その自然の状態が尊重されなければならない。
  2. 水は人間の基本的な権利であり全ての政府機関によって公共性が保証されなければならない。すなわち、金儲けの手段になったり、民営化されたり、商業的に取引されてはならない。この権利は全ての政府機関で尊重されなければいけない。特に国際的な協定においてはこの原則に異論を挟む事は全く許されない。
  3. 水は地域社会と地域住民によって守られることが望まれ、この地域住民は水の保護と調整の上で政府と同じ重要性を持たされなければならない。世界の中の地域住民こそ、地球の民主化を促進し、水を守るための原動力なのである。

新自由主義に対する拒絶[編集]

このコチャバンバの紛争は、1980年代から1990年代にかけてアメリカ合衆国ラテンアメリカなどの諸国において進めてきた新自由主義経済モデルに対する、初めての拒絶行動であったといえよう。すなわち、経済の自由化や民営化、特に水資源の民営化に対する反対運動であった。[誰?]

水紛争を題材にした作品[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 投資仲裁の対象となる投資家/ 投資財産の範囲とその決定要因独立行政法人経済産業研究所 伊藤一頼
  2. ^ a b c d e PRSP 策定過程での「国民参加(対話)」の挑戦とその課題JICA吉田充夫
  3. ^ PRSPプロセス事例研究113頁
  4. ^ コチャバンバ 水戦争から10年 - YouTube[出典無効]
  5. ^ 世界銀行による支援の評価 水と開発
  6. ^ a b 途上国の開発事業における官民パートナーシップ(Public-Private Partnership)導入支援に関する基礎研究第2章開発における官民の役割の変遷46頁 JICA国際協力総合研修所
  7. ^ 秋田大学 水紛争について[出典無効]



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