晴耕雨読さんのサイトより
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<転載開始>
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11月5日(土)19時より「岩上安身による『神国日本のトンデモ決戦生活』著者・早川タダノリ氏インタビュー(後編)」の模様を実況します。

前回に続き、戦時下における書籍・広告などの「戦争プロパガンダ」の実態についてお聞きします。

岩上「本日は『プロパガンダ研究シリーズ』の一環として、『神国日本のトンデモ決戦生活』『日本スゴイのディストピア』などの著書がある早川タダノリさんに、戦時下のプロパガンダの実態についてお話をお聞きします」

岩上「まずは前回のふり返りです。戦前・戦中の『日本スゴイ!』本をたくさん見ましたね」

早川氏「はい。新潮社の『日の出』の表紙を見ましたが、『不安→歴史に学べ→日本は偉い!』という3点コンボでした。これは、当時も今も変わらないと思います」

岩上「本日は『原発ユートピア』の内容から入っていきたいと思います」

早川氏「戦後の原子力政策で転機となったのが、1956年に正力松太郎が原子力委員会委員長に就任したことです。彼が読売新聞を使い、原発プロパガンダを展開しました」

早川氏「1954年のお正月、読売新聞で『ついに太陽をとらえた』という連載がスタートしました」

岩上「各国でやっているからバスに乗り遅れるな!という論調なんですね。今のTPPと同じですね」

岩上「読売新聞社主の正力松太郎の背後には、CIAが存在していたことが明らかになっています。彼には『Podam』というコードネームが付いていたと言われています。ジャーナリストではなくほとんどイベント屋ですね」

早川氏「まさにその通りですね」

岩上「『原子力推進のドン』と言えば中曽根康弘氏です」

早川氏「『原子力は身近なもの』というイメージをドンドン触れ回っていたわけですね。2004年にも『電力業界を結束させて経団連を動かす』などということも言っています」

早川氏「1955年、原子力平和利用博覧会というものが開催されました。ここで人気を博したのが『マジックハンド実演ショー』。これを広島でやったわけです」

岩上「3.11直後にも、原発は駄目だけれど核兵器はOK!という人がいましたね」

早川氏「当時は、何でもかんでも原子力です。原子力機関車に原子力飛行機。デパートでは日米原子力産業展覧会を開催。そこでは、『わたしたちの原子力』というスライドを流したりしました。メディアミックスのはしりですね」

早川氏「メルヘンな原子力広告が流行った時期があります。『たとえば、原子力は鳥・・・』。これはマラルメですね。他にも『たとえば、原子力はアフロディティ・・・』。そんな訳ないだろ!」

岩上「『ニュートピア構想』って、なんですかこれは!?」

早川氏「『僕の考えた最強の原発』ってところですね。原発田園都市構想ですね。原子力田園調布!」

岩上「後藤新平もびっくりですね!」

早川氏「1978年に第二次オイルショックが起きました。この時にも『直撃、石油嵐!』というコピーが載った原発プロパガンダ広告が展開されました。原発の広告なのにドラム缶が載っているという・・・」

岩上「チェルノブイリ原発事故の時は、『共産国のソ連だから駄目だったんだ!でも日本の原発は大丈夫だ!』といったプロパガンダが展開されましたね。その代表が産経新聞と読売新聞だったと思います」

早川氏「文科省と経産省が作った小学生向け『わくわく原子力ランド』という冊子があります。ここでは『地震が起きても日本の原発は大丈夫!』ということが書かれています」

岩上「本当に嘘ばっかり」

岩上「東電の幻のキャラクター、ってこれはなんですか?」

早川氏「漫画家の弘兼憲史さんが連載した『東田研』というキャラクターですね。福島第一原発事故が起きて、この漫画が載っていたサイトは消えてしまったんですが」

早川氏「毎年『原子力の日』には、各地の電力会社が原発への見学会を開いていました。その中でずば抜けて多いのが、九州電力玄海原発です。草の根のあらゆるグループがこの見学会に突っ込まれていた。広告だけがプロパガンダではないのです」

岩上「今日、私はちょっと寝不足でして。声もガラガラなんです。ちょっと用意したパワポの最後まではいかないと思います。しかしとりあえず、次の『大東亜共栄圏』と『八紘一宇』のチャプターにいきましょう」

早川氏「まずは『八紘一宇』についてです。戦前は政府が公式見解として『八紘一宇の精神』というパンフレットを出していました。『全体として靄然たる一家をなし』と。一大家族国家観です」

岩上「山口組による全国制覇みたいな話ですね」

早川氏「特急昭南(シンガポール)行で大東亜を縦断!なんていう記事もありました。当時、国民もそうした夢を見たのでしょう」

岩上「これはJR東海の話ではないんですね!? 今もリニア新幹線という無茶な計画がありますが」

早川氏「当時は、主たるプロパガンダ・メディアとしてラジオが用いられました。このラジオを使って何をやったのかというと、ラジオ体操です。中央会場を靖国神社境内にして、隣組や町内会を使ってラジオ体操をやっていました」

早川氏「このラジオ体操を、戦争で侵略した所にも持ち込んでいくんですね。『共栄圏の確立はラジオ体操から』と。時間の感覚を一元化していくわけですね」

岩上「まさに、電波による八紘一宇ですね」

早川氏「大東亜共栄圏といえば、北原白秋に『大東亜地図』という詩があります。『すばらしいの、何のって、君、大東亜共栄圏なんだもの』というもの。かなり調子に乗って書いていたとしか思えません」

早川氏「さらに、『智恵子抄』『道程』の高村光太郎もやっちゃっています。1943年に出された『少女の思へる』という詩。『この日本に少女と生まれた身が今何を為なければいけないのか、それが身にしみて分かりました・・・』」

早川氏「北原白秋は『ナチス万歳』みたいな詩を書いたりもしているんですね」

岩上「そこでこれです!最近、アイドルグループ『欅坂46』がナチス風コスプレでイベントに登場し、サイモン・ヴィーゼンタール・センターが謝罪を求める事態になりました」

早川氏「高市早苗総務相とか、ネオナチを称揚する人物とツーショットを撮った人間が閣内に入っています。そういう文脈で世界中に拡散されていくのでしょう。しかし、現場レベルでも『これはヤバイ!』という感覚がないのは駄目だと思います」

早川氏「しかしこれは、今に始まったことではありません。1938年に『ヒトラー・ユーゲント』が来日した際、日劇ダンシングチームが『ハイル・ヒトラー』と題したレビューを上演しました」

早川氏「日劇のレビューを見てもよくわかるのですが、制服の禁欲的なイメージと少女性のセットは、エロチシズムの一形態として消費されてきたんですね。今回の欅坂46のケースも、海外ではそう受け取られかねません」

早川氏「当時の慰問葉書でも、可愛い少女が描かれていたんですよ。戦地の兵士は、まあこういう絵葉書を『オカズ』にしていたわけですね。これが、見ず知らずの女学生から送られてくるんですね」

早川氏「他方、政府は『銃後の妻』『靖国の妻』に対して『貞操』を強いるようになります。『一生独身生活を送るのが至当』などと言って、『再婚は罪悪』としていました。徹底的な女性蔑視です」

早川氏「『銃後の妻』に対しては、警察が『姦通』に対して目を光らせていました。警察だけではありません。大日本婦人会が『慰問』と称して見て回っていたんですね。靖国神社で『英霊』として祀るといっても、軍人遺族は監視対象だったんですね」

以上で「岩上安身による早川タダノリ氏インタビュー第2回」

の実況を終了します。長時間にわたりご視聴いただきましてありがとうございました。動画アーカイブは準備が整い次第、IWJのWebサイトにアップいたします。@iwakamiyasumi



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