社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1063023857.html
<転載開始>
【『原発は公害』である】
【それも半永久的にこの地球上から消せない害毒である】
①「東電,自立再建見えず 福島廃炉 国が長期関与 原発再稼働は遠く」(『日本経済新聞』2016年12月6日朝刊5面「経済」)
東京電力ホールディングス(HD)が2017年春以降も国の管理下に置かれる公算が大きくなった。柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)の再稼働が遠のいたうえ,福島第1原発の廃炉や賠償の総額が20兆円を超える見通しになったためだ。国が実質的にもつ議決権の比率
を2017年春に50%未満に下げる目標をかかげていたが,いつ自立経営に戻れるかめどは立たない。(1面参照)
補注)この1面の記事は見出しを「東電,原発・送配電を他社と統合 再建計画に明記」としているが,冒頭はこう報じていた。
東京電力ホールディングス(HD)は2017年春をメドに改定する経営再建計画に,送配電や原子力発電事業で他の電力大手と再編や統合をめざすと明記する方針だ。福島第1原子力発電所の廃炉や賠償の費用が従来想定より巨額に上る見通しとなっており,収益力を
高めて再建に必要な費用を捻出する。東電の再建と同時に電力大手を巻きこんだ本格的な再編が動き出す。(関連記事経済〔5〕面に)
〔 ① の記事本文に戻る→〕 経済産業省が〔2016年12月〕5日に開いた「東京電力改革・1F問題委員会」。委員から「国が一定の持ち株比率を維持すべきだ」「国の関与が下がると福島の事故処理を心配する人がいるのではないか」といった声が上がった。
国は原子力損害賠償・廃炉等支援機構(原賠機構)を通じて東電HDに議決権ベースで50.1%出資し,実質国有化している。経産官僚の西山圭太氏を取締役として派遣もしている。国が認定した東電HDのいまの再建計画では,東電HDの収益力やどれだけ自前で資金調達できるかなどについて2016年度末に評価することにしている。合格すれば国は議決権比率を下げ,経産省出身の役職員も撤退するはずだった。
補注)東電福島第1原発事故現場においてはまだ,地下流水による放射能の汚染問題すらきちんと解決できていない。この事故で爆発した建屋そのものは片づけが進んできたものの,原子炉の圧力容器・格納容器のなかまでには依然,まったく手出しができていない。チェルノブイリ原発事故の現場でもまだ,デブリ(事故で溶融した核燃料の塊)をとり出す作業には着手できていない。こちらの原発事故は1986年4月26日に発生していた。いままですでに30年も時間が経過している。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1063023857.html
<転載開始>
【『原発は公害』である】
【それも半永久的にこの地球上から消せない害毒である】
①「東電,自立再建見えず 福島廃炉 国が長期関与 原発再稼働は遠く」(『日本経済新聞』2016年12月6日朝刊5面「経済」)
東京電力ホールディングス(HD)が2017年春以降も国の管理下に置かれる公算が大きくなった。柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)の再稼働が遠のいたうえ,福島第1原発の廃炉や賠償の総額が20兆円を超える見通しになったためだ。国が実質的にもつ議決権の比率

補注)この1面の記事は見出しを「東電,原発・送配電を他社と統合 再建計画に明記」としているが,冒頭はこう報じていた。
東京電力ホールディングス(HD)は2017年春をメドに改定する経営再建計画に,送配電や原子力発電事業で他の電力大手と再編や統合をめざすと明記する方針だ。福島第1原子力発電所の廃炉や賠償の費用が従来想定より巨額に上る見通しとなっており,収益力を

〔 ① の記事本文に戻る→〕 経済産業省が〔2016年12月〕5日に開いた「東京電力改革・1F問題委員会」。委員から「国が一定の持ち株比率を維持すべきだ」「国の関与が下がると福島の事故処理を心配する人がいるのではないか」といった声が上がった。
国は原子力損害賠償・廃炉等支援機構(原賠機構)を通じて東電HDに議決権ベースで50.1%出資し,実質国有化している。経産官僚の西山圭太氏を取締役として派遣もしている。国が認定した東電HDのいまの再建計画では,東電HDの収益力やどれだけ自前で資金調達できるかなどについて2016年度末に評価することにしている。合格すれば国は議決権比率を下げ,経産省出身の役職員も撤退するはずだった。
補注)東電福島第1原発事故現場においてはまだ,地下流水による放射能の汚染問題すらきちんと解決できていない。この事故で爆発した建屋そのものは片づけが進んできたものの,原子炉の圧力容器・格納容器のなかまでには依然,まったく手出しができていない。チェルノブイリ原発事故の現場でもまだ,デブリ(事故で溶融した核燃料の塊)をとり出す作業には着手できていない。こちらの原発事故は1986年4月26日に発生していた。いままですでに30年も時間が経過している。
東電福島第1原発事故現場では,あと25年ほど経った2041年になったころ,はたしてデブリのとし出し作業にとりかかれているか? チェルノブイリの原発事故現場を,すなおに〈悪い手本〉にして想定すれば,おそらく不可能のままだと解釈するほかない。こうした現状なのであれば,東電の経営問題のありように関しても,現状を変えるわけにもいかず,いつまでも国有企業であるかのようにして関与を継続していき,国家側が直接に干与・管理する体制を維持していくしかない。東電福島第1原発事故現場が実際に置かれてきた状況は,現在でもなお惨憺たるままである。
〔記事本文に戻る→〕 合格に向けた東電HDのシナリオは大きく狂っている。柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な米山隆一氏が〔2016年〕10月に新潟県知事に就任し,期待していた年2千億円規模の収支改善がみこめなくなった。再建計画で想定していた2014年の再稼働はすでにずれこんでおり,米山知事の任期が続く今後4年間も再稼働は絶望的というみかたがある。
福島第1原発の費用の膨張も想定外だ。これまで廃炉や賠償を合わせて11兆円と想定してきたが,新たな見積もりは20兆円を超える。賠償や除染の長期化にくわえ,溶け落ちた核燃料(デブリ)をとり出す2020年代前半が迫り,廃炉も従来の想定の2兆円ではとうてい足りないことが分かった。
補注)廃炉工程の工事に実際に入れる前の段階からこのありさまである。「核燃料(デブリ)をとり出す〔のは〕2020年代前半」〔の計画である〕などと説明されているけれども,これが現実的な見通しである保証はない。「廃炉」のために「従来」「想定」していたという金額「2兆円」は,きわめて控えめな算定であった。それではとうてい足りないことは,それこそ「火をみるより明らか」な経緯であるはずである。
原発事故によって現場に残された《悪魔の火》の後始末は,どうなるのか? 人間側においては,まったく「徒労に等しい」というふうに形容するほかない “果てしない戦い” が,これからも強いられていくのである。ところが,この「果てしなくも・徒労でしかない戦い」は,まだ始まったばかりである。
したがって,この戦いのために必要な軍費もそれに応じて,急激に増やしていかざるをえない。こちらの増え方も,果てしない方向に突きすすんでいくほかない。前段の記事から引用した数字(金額)も,当然のこと,それに応じてどんどん増えていく。
人類・人間はどうみたところで,トンデモないエネルギー資源に手を出してしまったものである。いまから望見できるのは,半世紀・1世紀先になっても東電福島第1原発事故現場では依然,この戦いに従事する人員が多数必要とされている光景である。いずれにせよ,まさしく末恐ろしい事態が目前に展開されている。


出所)http://50064686.at.webry.info/201411/article_15.html
東電福島第1原発事故現場の惨状を観たうえで,この「原発の汚染水」について, “The situation is under control” などとメチャクチャな誤認識を,それも意図的に騙っていたこの国の首相がいた(2013年9月7日,国際オリンピック委員会〔IOC〕第125回総会で)。しかしながら,現状のありままに接してみればすぐ判るように, “The situation is out of control” でしかなく,くわえて,これからいつになったらその状況が改善されたり,あるいは解決・処理されたりする日が来るのか,全然予測できていない。
〔記事本文に戻る→〕 国管理を続けるかどうかは正式には年度末の経営評価を踏まえて決めるが,評価する原賠機構幹部も「いまの状態で手放すのは無責任だ」と話す。経産省は〔12月〕5日の東電委員会で,福島第1原発の廃炉や賠償に国が長期的に関与していく姿勢を打ち出した。議決権の所有だけでなく,ほかの大手や新電力も含めた賠償負担金制度をつくったり,廃炉に向けた積立金制度を創設したりする。
補注)原発事業はもともと「国策民営の発電事業」であった。この原発史にかかわる事情については,こういう指摘に聴いておきたい。
②「もんじゅ廃炉,〔2016年12月〕20日にも正式決定」( ① に続く記事)
政府は〔2016年12月〕20日にも開く原子力関係閣僚会議で高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉を正式に決める。核燃料サイクル政策は維持し,福井県や敦賀市に試験研究炉を新設し,高速炉開発や廃炉研究などを進める方針。地元の要望に応えるかたちで,交付金の創設や政府系研究機関の移設などを検討しており,両者で詰めの作業を進めている。政府は関係閣僚会議と併せて高速炉の開発方針を話しあう「高速炉開発会議」や国と県が意見交換する「もんじゅ関連協議会」も同時に開き,廃炉を正式に決める。
--この記事は,これからも「核燃料サイクル政策は維持し」ていくと断わっている。事故ばかり起こしてきて,いまだに商用化への道が見通しすらつかないでいる高速増殖炉の開発研究を,ともかく,さらにその今後について話しあう方針だといっている。高速増殖炉は原発全体を維持していくさい,いうなればカナメ(ヘソ)を位置・役割を有する原子炉であるが,日本では実用化への開発段階において失敗の連続であった。
「国策民営」として出立した原発事業体制は,経済民主主義という政治的な観察の方法からしても問題があった事実は,さきほどの田原総一朗『ドキュメント東京電力』に目を通せば,たやすく理解できる。「3・11」東日本大震災によって誘発されてしまった東電福島第1原発事故は,その原発の利用に関する基本的な問題性(捻転)を「パンドラの箱」を開けるかとごとき惨状として露呈させた。
③「〈戦後の原点〉民主主義の力 公害対策,市民が動いた 環境経済学者・宮本憲一さん」(『朝日新聞』2016年12月4日朝刊)
1)この解説記事からは最終部4分の1ほどを引用する。なお「みやもと・けんいち」は大阪市立大学名誉教授。1930年台湾生まれ,1960年代前半,雑誌論文「しのびよる公害」や共著書『恐るべき公害』で公害の深刻さを世に伝えた。各地で被害状況を調べ,予防や救済の理論構築を進めた。集大成の著書『戦後日本公害史論』で今〔2016年〕年の日本学士院賞。
出所)画像は宮本憲一,http://www.yomiuri.co.jp/matome/archive/20150804-OYT8T50023.html
1970年代にかけて大都市を中心に誕生した「革新自治体」も大きな役割を果たした。大気汚染によるスモッグが深刻だった東京都で,「東京に青空を」をかかげた美濃部亮吉が1967年に知事に当選。国より厳しい基準の公害防止条例を作った。
1970年,政府は公害対策基本法を改正し,環境重視の姿勢を示した。翌年,環境庁もできた。ドイツの環境政治学者ワイトナーらは後にこう評したという。「ドイツでは環境政策は政党などが上から作ったが,日本では住民たちが下から作った」。
日本は「公害対策の先進国」という評価を手にするまでになっていた。「戦後民主主義の力だ」と宮本は総括する。政官財の複合体が被害を隠蔽してでも経済成長を追求しようとしたとき,地方自治,言論と報道の自由,基本的人権を生かして各地で市民が動いた。
◆ 原発事故は公害 ◆
公害との闘いは未完である。2011年3月に東京電力福島第1原発の事故が発生した。「環境汚染のせいで多くの住民が強制疎開させられ,ふるさとを失った。明治期の足尾銅山鉱毒事件以来のことです」。
宮本によれば,公害とは,企業や政府が環境保全への十分な用意をしなかった結果,生活環境が侵害され,健康障害や生活困難が起きる社会的災害である。福島の事故は公害以外のなにものでもない。「福島の事故を戦後最大の公害ととらえ,環境民主主義を前進させること。それは現代の私たちの課題なのです」。
2)伊東藤光晴の意見
1)の宮本憲一の意見につづいて,伊東光晴の意見も記事の内容になっていた。こちらは後半部分を引用する。
1960年代以降の公害の深刻化に市民や地方自治体が厳しい視線を向けたのも,主権者意識の高まりがあったからだ。日本経済の抱える問題を長年論じてきた経済学者,伊東光晴(89歳)は「戦後,自由や平等を求めて行動する国民の精神が,民主的な制度を中身のあるものにしていった」と話す。伊東の民主主義の定義は民衆が権力をもつこと。近代に入り,基本的人権の尊重や言論の自由などにより豊かになった。「ただし,一度つくった制度も,えてして形骸化する」。
バブル経済の崩壊を経て成長が当たりまえではない時代が続く。伊東はいま,増えつづける非正規雇用などの労働環境の変化や格差,貧困に心を寄せる。「民主主義に完成はない。その精神は,現実のゆがみをあらためようと行動するなかにしか宿らない」。 戦後日本社会の発展は,経済成長と公害という光と影を生んだ。その相克は今も続いている。(記事からの引用終わり)
さて,21世紀の現段階において原発事故を引きずっている日本であるが,皮肉にも公害先進国と称賛されてきた経歴ももつこの国が,原発事故という『新しい公害』を生んでしまった。さきに旧ソ連も原発事故を起こしていたが,公害先進国となるための「公害克服の歴史」を積みあげてきた日本が,原発の事故を発生させたがために,その先進国「性」を大きく損価させた。
従来型の公害問題に対する対応・克服の過程においてはもちろん,数々の妨害や障壁があったものの,これを排除し克服していく過程において,この国はそれなりに「公害問題に対する先進の技術と理念」を開拓・構築してきた。ところが,原発事故に関しては先行していたチェルノブイリの原発事故のことを,日本においては「安全神話」信仰のために,自国では「絶対に・けっしてありえない事象」だとごまかしつづけてきた。しかしながら,その技術信仰は「3・11」原発事故によってもろくも瓦解させられた。
要は,東電福島第1原発事故は『21世紀の新公害』の実在物となっている。この事故の被災者となった福島県浜通り地域の人びとは,いまも避難生活を余儀なくされている。避難者数の推移は,164,865人(ピーク時,2012年5月)から84,289人(2016年11月)に減っては居るものの,最終的に戻れない人びとが残る。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
3)日本の公害史と原発事故問題
原発事故の被害にかかわっていうと,これが公害に分類されえたとしても,その災害の具体的な現象は,従来にあった公害とはまた異なっており,放射性物質の影響のために特殊な様相を呈することになった。
足尾銅山は日本の自然・環境の一部を破壊していたが,いまでは渡良瀬遊水池という埋め立て地域にその傷跡を封印した。また,水俣病の原因となっていた自然・環境である海域の場合は,つぎのように後始末されていた。
日本が公害「先進国」だと,蔑称ではなく,尊称であるかのように呼称されえたのは,公害問題をはじまりのところではいやいやながらもとりくみつつ,その後においては徐々に多くの難題を解決する実績を積み上げてきたからである。ところが,原発事故のほうではチェルノブイリ原発事故が発生していたにもかかわらず,その四半世紀後に起きてしまった東電福島第1原発事故のさいにも,その対策がいい加減である態勢のなかで再発させられていた。
ところが,原子力村日本支社の圏内では,まだまだ,つぎのような “企業の欲望” が渦巻いている。
4)簡単なむすび
なかんずく「原発が公害の原因になっている」のではなく,どうみても「公害そのものであるのが原発」なのである。原発というものは,公害史のなかで,どこかに位置づけることじたいむずかしいのであり,多分,そのことを「もともとしにくい性格をもった異端児」だとみなしてよい。原発はその意味では〈特別に深刻な公害性を有する〉といえる。
足尾や水俣はいまでは,ごく表層的にのみその傷跡をみせている状態にあるけれども,チェルノブイリやフクシマはそうではな
く剥き出しの状態を,これからあと何世紀ものあいだ間違いなく続けていく。いったい,いつごろになって始末ができたという時が来るのかは,誰にも判らないのである。
<転載終了>
〔記事本文に戻る→〕 合格に向けた東電HDのシナリオは大きく狂っている。柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な米山隆一氏が〔2016年〕10月に新潟県知事に就任し,期待していた年2千億円規模の収支改善がみこめなくなった。再建計画で想定していた2014年の再稼働はすでにずれこんでおり,米山知事の任期が続く今後4年間も再稼働は絶望的というみかたがある。
福島第1原発の費用の膨張も想定外だ。これまで廃炉や賠償を合わせて11兆円と想定してきたが,新たな見積もりは20兆円を超える。賠償や除染の長期化にくわえ,溶け落ちた核燃料(デブリ)をとり出す2020年代前半が迫り,廃炉も従来の想定の2兆円ではとうてい足りないことが分かった。
補注)廃炉工程の工事に実際に入れる前の段階からこのありさまである。「核燃料(デブリ)をとり出す〔のは〕2020年代前半」〔の計画である〕などと説明されているけれども,これが現実的な見通しである保証はない。「廃炉」のために「従来」「想定」していたという金額「2兆円」は,きわめて控えめな算定であった。それではとうてい足りないことは,それこそ「火をみるより明らか」な経緯であるはずである。
原発事故によって現場に残された《悪魔の火》の後始末は,どうなるのか? 人間側においては,まったく「徒労に等しい」というふうに形容するほかない “果てしない戦い” が,これからも強いられていくのである。ところが,この「果てしなくも・徒労でしかない戦い」は,まだ始まったばかりである。
したがって,この戦いのために必要な軍費もそれに応じて,急激に増やしていかざるをえない。こちらの増え方も,果てしない方向に突きすすんでいくほかない。前段の記事から引用した数字(金額)も,当然のこと,それに応じてどんどん増えていく。
人類・人間はどうみたところで,トンデモないエネルギー資源に手を出してしまったものである。いまから望見できるのは,半世紀・1世紀先になっても東電福島第1原発事故現場では依然,この戦いに従事する人員が多数必要とされている光景である。いずれにせよ,まさしく末恐ろしい事態が目前に展開されている。


出所)http://50064686.at.webry.info/201411/article_15.html
東電福島第1原発事故現場の惨状を観たうえで,この「原発の汚染水」について, “The situation is under control” などとメチャクチャな誤認識を,それも意図的に騙っていたこの国の首相がいた(2013年9月7日,国際オリンピック委員会〔IOC〕第125回総会で)。しかしながら,現状のありままに接してみればすぐ判るように, “The situation is out of control” でしかなく,くわえて,これからいつになったらその状況が改善されたり,あるいは解決・処理されたりする日が来るのか,全然予測できていない。
〔記事本文に戻る→〕 国管理を続けるかどうかは正式には年度末の経営評価を踏まえて決めるが,評価する原賠機構幹部も「いまの状態で手放すのは無責任だ」と話す。経産省は〔12月〕5日の東電委員会で,福島第1原発の廃炉や賠償に国が長期的に関与していく姿勢を打ち出した。議決権の所有だけでなく,ほかの大手や新電力も含めた賠償負担金制度をつくったり,廃炉に向けた積立金制度を創設したりする。
補注)原発事業はもともと「国策民営の発電事業」であった。この原発史にかかわる事情については,こういう指摘に聴いておきたい。
『ドキュメント東京電力』を書いたジャーナリストの田原総一朗は,木川田一隆(当時,東電社長)が当初は原発反対の立場だったと指摘する。〔記事本文に戻る→〕 一方,発電や送配電,小売りといった福島以外の事業はなるべく国の関与を薄め,事業再編の相手を募りやすくする。福島の資金捻出を迫られる東電以外の電力会社は事業再編や統合を決断するほどの強い危機感をもっているとは限らない。相手にとってのメリットを示せるかがカギになる。
田原は ブルームバーグ・ニュースとのインタビューで,「初めのころ,木川田氏は原子力を悪魔だといった。悪魔と手を結ぶんだといった」と語る。田原はその木川田が原発を自分の故郷にもってきた背景には,なにか問題が起きたときに,最終的に民間に付けを回すような官僚や政治家には任せられないという信念があった,とみている。
田原は「戦前,戦争中は電力は国有だった。国が仕切っていた。 国対民間の戦いがあった」と指摘。「木川田さんがもし東電で原発を導入しないとすると,政府が導入していた。そうすればまた国営になる。 どちらが主導権をとるかという戦いだった」との見方を示した。
②「もんじゅ廃炉,〔2016年12月〕20日にも正式決定」( ① に続く記事)
政府は〔2016年12月〕20日にも開く原子力関係閣僚会議で高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉を正式に決める。核燃料サイクル政策は維持し,福井県や敦賀市に試験研究炉を新設し,高速炉開発や廃炉研究などを進める方針。地元の要望に応えるかたちで,交付金の創設や政府系研究機関の移設などを検討しており,両者で詰めの作業を進めている。政府は関係閣僚会議と併せて高速炉の開発方針を話しあう「高速炉開発会議」や国と県が意見交換する「もんじゅ関連協議会」も同時に開き,廃炉を正式に決める。
--この記事は,これからも「核燃料サイクル政策は維持し」ていくと断わっている。事故ばかり起こしてきて,いまだに商用化への道が見通しすらつかないでいる高速増殖炉の開発研究を,ともかく,さらにその今後について話しあう方針だといっている。高速増殖炉は原発全体を維持していくさい,いうなればカナメ(ヘソ)を位置・役割を有する原子炉であるが,日本では実用化への開発段階において失敗の連続であった。
「国策民営」として出立した原発事業体制は,経済民主主義という政治的な観察の方法からしても問題があった事実は,さきほどの田原総一朗『ドキュメント東京電力』に目を通せば,たやすく理解できる。「3・11」東日本大震災によって誘発されてしまった東電福島第1原発事故は,その原発の利用に関する基本的な問題性(捻転)を「パンドラの箱」を開けるかとごとき惨状として露呈させた。
③「〈戦後の原点〉民主主義の力 公害対策,市民が動いた 環境経済学者・宮本憲一さん」(『朝日新聞』2016年12月4日朝刊)
1)この解説記事からは最終部4分の1ほどを引用する。なお「みやもと・けんいち」は大阪市立大学名誉教授。1930年台湾生まれ,1960年代前半,雑誌論文「しのびよる公害」や共著書『恐るべき公害』で公害の深刻さを世に伝えた。各地で被害状況を調べ,予防や救済の理論構築を進めた。集大成の著書『戦後日本公害史論』で今〔2016年〕年の日本学士院賞。
出所)画像は宮本憲一,http://www.yomiuri.co.jp/matome/archive/20150804-OYT8T50023.html
1970年代にかけて大都市を中心に誕生した「革新自治体」も大きな役割を果たした。大気汚染によるスモッグが深刻だった東京都で,「東京に青空を」をかかげた美濃部亮吉が1967年に知事に当選。国より厳しい基準の公害防止条例を作った。
1970年,政府は公害対策基本法を改正し,環境重視の姿勢を示した。翌年,環境庁もできた。ドイツの環境政治学者ワイトナーらは後にこう評したという。「ドイツでは環境政策は政党などが上から作ったが,日本では住民たちが下から作った」。
日本は「公害対策の先進国」という評価を手にするまでになっていた。「戦後民主主義の力だ」と宮本は総括する。政官財の複合体が被害を隠蔽してでも経済成長を追求しようとしたとき,地方自治,言論と報道の自由,基本的人権を生かして各地で市民が動いた。
◆ 原発事故は公害 ◆
公害との闘いは未完である。2011年3月に東京電力福島第1原発の事故が発生した。「環境汚染のせいで多くの住民が強制疎開させられ,ふるさとを失った。明治期の足尾銅山鉱毒事件以来のことです」。
宮本によれば,公害とは,企業や政府が環境保全への十分な用意をしなかった結果,生活環境が侵害され,健康障害や生活困難が起きる社会的災害である。福島の事故は公害以外のなにものでもない。「福島の事故を戦後最大の公害ととらえ,環境民主主義を前進させること。それは現代の私たちの課題なのです」。
2)伊東藤光晴の意見
1)の宮本憲一の意見につづいて,伊東光晴の意見も記事の内容になっていた。こちらは後半部分を引用する。
1960年代以降の公害の深刻化に市民や地方自治体が厳しい視線を向けたのも,主権者意識の高まりがあったからだ。日本経済の抱える問題を長年論じてきた経済学者,伊東光晴(89歳)は「戦後,自由や平等を求めて行動する国民の精神が,民主的な制度を中身のあるものにしていった」と話す。伊東の民主主義の定義は民衆が権力をもつこと。近代に入り,基本的人権の尊重や言論の自由などにより豊かになった。「ただし,一度つくった制度も,えてして形骸化する」。
バブル経済の崩壊を経て成長が当たりまえではない時代が続く。伊東はいま,増えつづける非正規雇用などの労働環境の変化や格差,貧困に心を寄せる。「民主主義に完成はない。その精神は,現実のゆがみをあらためようと行動するなかにしか宿らない」。 戦後日本社会の発展は,経済成長と公害という光と影を生んだ。その相克は今も続いている。(記事からの引用終わり)
さて,21世紀の現段階において原発事故を引きずっている日本であるが,皮肉にも公害先進国と称賛されてきた経歴ももつこの国が,原発事故という『新しい公害』を生んでしまった。さきに旧ソ連も原発事故を起こしていたが,公害先進国となるための「公害克服の歴史」を積みあげてきた日本が,原発の事故を発生させたがために,その先進国「性」を大きく損価させた。
従来型の公害問題に対する対応・克服の過程においてはもちろん,数々の妨害や障壁があったものの,これを排除し克服していく過程において,この国はそれなりに「公害問題に対する先進の技術と理念」を開拓・構築してきた。ところが,原発事故に関しては先行していたチェルノブイリの原発事故のことを,日本においては「安全神話」信仰のために,自国では「絶対に・けっしてありえない事象」だとごまかしつづけてきた。しかしながら,その技術信仰は「3・11」原発事故によってもろくも瓦解させられた。
要は,東電福島第1原発事故は『21世紀の新公害』の実在物となっている。この事故の被災者となった福島県浜通り地域の人びとは,いまも避難生活を余儀なくされている。避難者数の推移は,164,865人(ピーク時,2012年5月)から84,289人(2016年11月)に減っては居るものの,最終的に戻れない人びとが残る。( ↓ 画面 クリックで 拡大・可)
出所)http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html
3)日本の公害史と原発事故問題
原発事故の被害にかかわっていうと,これが公害に分類されえたとしても,その災害の具体的な現象は,従来にあった公害とはまた異なっており,放射性物質の影響のために特殊な様相を呈することになった。
足尾銅山は日本の自然・環境の一部を破壊していたが,いまでは渡良瀬遊水池という埋め立て地域にその傷跡を封印した。また,水俣病の原因となっていた自然・環境である海域の場合は,つぎのように後始末されていた。
水俣湾に堆積した水銀ヘドロのうち,水銀濃度が25ppm以上のものについて,熊本県が14年の歳月と485億円という巨額の費用をかけて,一部浚渫・一部埋立工事をおこないました。その結果,水俣には58ヘクタール(東京ドーム13.5個分)の埋立地が生まれました。時代の流れとしてその間の変化(経済次元でのインフレ傾向)があるゆえ,金銭的な評価は簡単には比較できない。けれども,東電福島第1原発事故の対策のためにすでに費消してきた金額のほうが「桁違いに高いこと」だけは,いまからさきに指摘しておける。 原発事故の場合,経済的に金銭面で表現したその対策費が,これからも膨張していくことは覚悟しなければならない。その意味でいっても,宮本憲一が原発事故を公害だと表現・指弾した点は「公害とは闘いは未完である」という表現をもって肝に銘じておかねばならない。
註記)http://www.minamata195651.jp/pdf/tishiki/10tisiki_all.pdf
補記)渡良瀬遊水池の問題について本ブログは,つぎの記述をしている。
※-1 2014年05月24日,主題「天皇夫妻の『私的な公的旅行』に関する一考察」,副題「天皇が動けば私的旅行も公的行事になる不思議なこの国の出来事」
※-2 2016年07月31日,主題「原発を止められない愚かな地球人たち,これからも21世紀中を『魔物である原子力』によって翻弄されつづけていくのか(その1)」,副題「原発反対論に有効に反論できる原発推進論はない」,副題2「悪魔の火の機械=原発の恐ろしさ」
日本が公害「先進国」だと,蔑称ではなく,尊称であるかのように呼称されえたのは,公害問題をはじまりのところではいやいやながらもとりくみつつ,その後においては徐々に多くの難題を解決する実績を積み上げてきたからである。ところが,原発事故のほうではチェルノブイリ原発事故が発生していたにもかかわらず,その四半世紀後に起きてしまった東電福島第1原発事故のさいにも,その対策がいい加減である態勢のなかで再発させられていた。
ところが,原子力村日本支社の圏内では,まだまだ,つぎのような “企業の欲望” が渦巻いている。
春闘の問題と原発関連の業績がこの日立製作所の事例でどうなるかという論点は,ここではささいな現実問題である。それにしても「足元では(原発輸出に)いろいろと逆風が吹いている」のだが,「将来の経済の発展や環境問題を考えた議論をしたとき,原発は重要な選択肢として残るはずだ」という認識は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用を基本的な選択肢として望む立場からすれば,完全に〈狂気のエネルギー観〉というほかない。◆「原発の重要性不変」日立・東原社長,輸出に注力 ◆
=『朝日新聞』2016年12月6日朝刊=
日立製作所の東原敏昭社長は〔2016年12月〕5日,ベトナム政府が日本やロシアとの原発計画を撤回したことについて,「逆風があっても,将来を考えれば原発の重要性は変わらない」と述べ,引きつづき原発の輸出に注力する考えを示した。朝日新聞などのインタビューに答えた。
ベトナム政府は先〔11〕月,安全対策費用の高騰などから原発計画を撤回。日立が受注をめざすリトアニアでも10月の議会選で「反原発」をかかげる野党が第一党となったことなどを踏まえ,東原氏は「足元では(原発輸出に)いろいろと逆風が吹いている」との認識を示した。そのうえで,「将来の経済の発展や環境問題を考えた議論をしたとき,原発は重要な選択肢として残るはずだ」と強調した。
米大統領選でトランプ氏が勝利してから円安が進んでいることについては,「業績にプラスに働くのは事実だが,今後もなにが起こるか分からない。為替も1ドル=100円から120円ぐらいまで幅をもってみていく」とした。業績に追い風が吹くなか,政府が経済界に求めている来春闘での賃上げについては,「為替の影響を除いた実力の成果をみきわめて判断したい」と述べるにとどめた。
4)簡単なむすび
なかんずく「原発が公害の原因になっている」のではなく,どうみても「公害そのものであるのが原発」なのである。原発というものは,公害史のなかで,どこかに位置づけることじたいむずかしいのであり,多分,そのことを「もともとしにくい性格をもった異端児」だとみなしてよい。原発はその意味では〈特別に深刻な公害性を有する〉といえる。
足尾や水俣はいまでは,ごく表層的にのみその傷跡をみせている状態にあるけれども,チェルノブイリやフクシマはそうではな
く剥き出しの状態を,これからあと何世紀ものあいだ間違いなく続けていく。いったい,いつごろになって始末ができたという時が来るのかは,誰にも判らないのである。
<転載終了>