原発問題さんのサイトより
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/427400a0d8cae5fabf5b6b2badd13dff
<転載開始>
2014-03-18 12:00:05 | 放射能汚染

原発事故当時、命をかけて現場に飛び込んでいった人たちがいた。

半分以上は亡くなっていると思う。

爆発からまだ程ない時期、もう、宇宙服みたいなのを着て行く人たちがいたんだ。酸素ボンベを持って、鉛の服を着て、その上にベストを着て。

2週間で1千万円以上。それを家族に渡して、自分はその仕事に飛び込んで行くと。みんな、一切口外しないという念書を書かされているんだ。

誰かがやらなければ。で、誰がやるんだい?   
――収束作業の現場からⅢ
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-90.html より(抜粋引用開始)

宇宙服の人たちは

【ようやく斉藤さんから話を聞く機会を得たが、約束の場所に来てくれるかどうか不安だった。姿が見えたときはホッとした。が、それもつかの間、席に着くなり、取材に対する不信感を露わにして、まくしたてた。】

斉藤:私らから、何を訊きたいんだい?

マスコミとか、専門家とか、政治家とか、そういう人たちはね、自分ら、線量のあるところにはまず行こうとしないで、外から、どうたらこうたらって言っているけど、チャンチャラおかしいよ。自分ら、安全なところにいて、「汚染水が漏れてるぞ」とか、「これ、ダメじゃないか」とか。

 ダメだって言うなら、お前、一回でもいいから、50ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも浴びに来てみろと。それから言いなさいよと。私ら、言いたくなるよ。


【全く返す言葉がない。さらに現場の衝撃的な話が続いた。】

斉藤:だけどね、私らよりも、もっとすさまじい作業やっている人たちがいたんだよ。

 爆発からまだ程ない時期、もう、宇宙服みたいなのを着て行く人たちがいたんだ。酸素ボンベを持って、鉛の服を着て、その上にベストを着て。

 何をしているのかなんて、そりゃ分かんないよ。私らはそういう作業はやってないから。5~6人で、ダッダッダッて中に入っていくんだ。この人たち、何してんだろうって見てた。

 結局、そういう人らが、メルトダウンした辺りに行って、何かの作業をしてたんだろう。事態はどんどん悪化して行く状況だったから、誰かがそこに行ってやらないといけない作業があったんだと思うよ。

 でも、その人ら、半分以上は亡くなっていると思う。まあ、名目は、心筋梗塞とか、何だとか、とにかく、被ばくで死んだとはなってないと思うけど。

 聞いた話では、だいたい2週間の作業で、1日に80万円から100万円ぐらい、2週間で1千万円以上。それを家族に渡して、自分はその仕事に飛び込んで行くと。その人なりの事情もあったんだろうね。

 みんな、一切口外しないという念書を書かされているんだ。それが国なのか東電なのか、私ら、分からないよ。誰も、口をつぐんで詳しいことは言わないから。

 だから、みなさん、外で空論みたいなことを言っているけど、原子炉がメルトダウンして、どうしようもないときに、誰かがやらないと収まらなかった。そこに飛び込んで行った人たちがいたから、今の状態が保たれているんだよ。

 そう思うと、この人らに、心の中で、こう毎日、手を合わせてるね。あなた方がいてやってくれたから、われわれは今の作業ができてるんですよって。

(引用抜粋終了)

 


 

フクシマ50 下請け社長は「死んでもいい人を」と発注受けた
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1468664259 より
sarami19193さん 2011/8/11

フクシマ50 下請け社長は「死んでもいい人を」と発注受けた

菅直人首相が原発対応拠点のJヴィレッジを激励に訪れたその日も、彼は現場で働いていた。その作業服の背中には、「菅直人1回現場に来てみろよ」とある。震災から4か月以上経ち、いま明かされる「フクシマ50」の素顔。

原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、刮目レポートである。俗にいう「フクシマ50」の定義はひどく曖昧だが、一般的には、「東京電力福島第一原発(以下1F)の1号機および3号機が立て続けに水素爆発をした後、1Fに残った職員・作業員」となる。最初に残った約70人に、事故直後に加わった人たちを含めそう呼ぶ。東電は免震重要棟で指揮を執る吉田昌郎所長以外の「フクシマ50」を、プライバシー保護を理由に公開していない。

東電社員の内訳、協力企業の人数や年齢、支給された危険手当の金額など、よく分かっていない部分が多い。

東電としてはフクシマ50を英雄のまま曖昧な存在にしておきたい。一方のフクシマ50にしても、守秘義務からか、おおかた口が堅い。私はそのうち4人を知っているが、フクシマ50だとカミングアウトすることをためらっている。

そのうちの若いひとりを、佐藤としておこう。彼は3号機が水素爆発した直後、1Fへの“召集令状”を受け取り、地獄絵図の中に降り立った協力会社幹部だ。

「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』といわれていたらしい。社長、もじもじしてて、なかなか『行け』といわなかったですね。だから志願しました。だってうちの社長、熱い人だから自分が行っちゃいそうだったんで。社長が死んだら社員が路頭に迷うけど、俺が死んでも代わりはいますから」

もちろん佐藤は自殺志願者ではない。これまで原発を生活の糧にしてきた贖罪だったわけでもない。


「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的にどうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚でこの仕事に就いてるんじゃないですか? 原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし(笑い)。

最初に1Fへ入ったときは、たしかにドキドキしましたね。不謹慎かもしれないけど、それはどっちかといえば楽しい気持ちで……。これまで威勢のいいこと、偉そうなこといってた人間がビビってたんで、『よし、じゃあ俺が行ってきてやる』みたいな。

1Fに向かうバスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。話しかけられる雰囲気じゃなかった

 

 

<転載終了>