カラパイアさんのサイトより
http://karapaia.com/archives/52095503.html
<転載開始>

0_e0

 ベトナム戦争は、第一次インドシナ戦争の延長上に起きた宣戦布告なき戦争で、南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年12月に始まり、1965年2月7日のアメリカ合衆国と北ベトナムの戦争を経て、1975年4月30日のサイゴン陥落まで続いた長きに渡る戦いである。

 ベトナム戦争中、クチ州では何千人もの人々が地下トンネルで暮らしていた。戦闘中のベトコンゲリラの隠れ家としてだけでなく、コミュニケーションや供給ルート、病院、食品や多数のゲリラの戦闘機の武器倉庫や家族用の宿舎としてとしても使われていた。 トンネルシステムは、米軍に抵抗するベトコンにとって非常に重要で、ベトナム戦争での勝利に主要な役割を果たしたという。
スポンサードリンク 

ソース:The Underground Tunnels of Cu Chi, Vietnam | Amusing Planet  
原文翻訳:ふんふん鳥
  
 クチのトンネルはフランスと戦争中の1940年代後半に始まり25年の期間にわたって建設された。トンネルは、村と村の連絡手段やフランス軍の爆撃を避けるために使用されていた。民族解放戦線(NLF)が1960年頃に活動を始めたとき、古いトンネルが修復され新しい部分が増えた。数年以内にトンネルシステムは巨大な戦略の需要拠点となり、クチ地区や近隣地区のほとんどがベトコンのコントロール下になっていた。  
  
 トンネル見取り図  
1_e1  
  
 拠点をつなぎ、米軍基地の真下にも建設されていた秘密のトンネルは、ベトコンゲリラにとっての要塞と言うだけでなく社会生活の中心でもあった。トンネルの中には、学校や、カップルが結婚式を挙げるような公共の場所、恋人たちがデートするプライベートな場所があった。歌やダンス、伝統的な物語を演じる劇場も存在した。  
  
2_e0  
  
 とは言え、狭いトンネル内での暮らしは厳しいものだった。 空気や、水、食べ物が不足し、アリや毒ムカデ、サソリや蜘蛛といった害虫がはびこっていた。ゲリラたちは日中をトンネル内ですごし、夜にのみ、必需品を調達する為、また、農作物の手入れのため、そして敵を襲うために出てきた。大規模爆撃や、米軍軍が移動する間は何日もトンネルにいることを余儀なくされた。  
  
3_e1  
  
 マラリアのような伝染病がトンネルに暮らす人々に蔓延し、戦死者に次ぐ大きな死因となった。ほとんどの人が危険な腸内寄生虫をもっており、トンネル内で戦った16000人のうち約6000人だけが戦争で生き残った。  
  
 クチの地下トンネルは、米軍の大きなフラストレーションとなった。アメリカとオーストラリアは、全てのトンネルを探り出すために様々な試みをしたがなかなかうまくいかない。  
  
8_e1  
  
 地上では、数万人の軍を投入して大規模戦が開始された。米軍は、水田を荒らし、化学枯葉剤を散布し、ガソリンやナパーム弾を使い、地上にあるありとあらゆるものを焼き払い、村を徹底的に破壊した。皮肉なことに、ナパーム弾の猛烈な熱は、湿った熱帯の空気との相互作用で、火災を鎮火する豪雨を創り出しただけだった。  
  
9_e1  
  
 一方、地下トンネルにいたベトコンゲリラたちは、大規模地上戦の間はトンネルの中で安全に過ごしていた。  
  
 化学兵器を使った戦いでも成果を見いだせなかった米軍は、今度はトンネルに“トンネルラット”と呼ばれる男たちを送り始めた。銃とナイフそれに懐中電灯と糸をもったトンネルラットたちは自力でトンネルに入り、罠を目指して慎重にトンネル内を進んでいった。 トンネルラットたちの仕事は計り知れない危険を孕んでいる。地下への入り口はかろうじて肩が入る程度の大きさで、滑りながら数メートル降りると狭いトンネルは地上に向かってUターンし、さらに水平方向にねじれていた。懐中電灯のバッテリーは十分ではなく、引き返すことも後退することもできなかった。 トンネル内部の構造を把握してない地下での銃撃戦で、トンネルラットたちの死傷率は驚くほど高いものになった。  
  
10_e0  
  
11_e1  
  
 次に米軍は、訓練されたジャーマンシェパード犬を使って 地下への入り口やゲリラを探し始めた。トンネルに住む人々は、犬にとっては嗅ぎ慣れた臭いのアメリカ製の石鹸をつかって体を洗うことで対抗した。また犬を混乱させるために、死傷した米軍兵の制服を着用した。軍犬による作戦が失敗に終わった一番の原因は、犬がブービートラップを発見できなかったということだ。罠によってたくさんの犬が死傷し、米軍は犬にトンネルを探させることに恐怖を感じた。  
  
 ブービートラップ  
13_e0  
  
 そして1960年代後半、米軍はトンネルとその周辺すべてを破壊する「じゅうたん爆撃」を開始した。この攻撃は、戦争を終わらせる為のものではなく、ただひたすらトンネルの破壊のみを目的とする、軍事的にはまったく無意味な攻撃だった。  
  
 クチの120?にもおよぶトンネルは、長きにわたる戦争だったにもかかわらず、現在まで保存され、戦争記念公園となっている。トンネルは人気の観光スポットで 訪問者は安全にトンネルの一部を見学できる。  
  
14_e0  
  
15_e0  
  
16_e0  
  
いくつかのトンネルではブービートラップがよくわかるようにライトアップし、多くの欧米からの旅行者がそれをたどりながら見学できるようにしている。テト攻勢のような運動を指揮した地下の会議室は、1968年に修復され訪問者はベトコンが食べていた素朴な食事をそこで楽しむことができる。  
  
17_e0  
  
  
クチトンネルの出入りをデモンストレーション  
  
  
<転載終了>