人の心に灯をともすさんのサイトより
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<転載開始>

小林正観さんの心に響く言葉より…

 

 

松下幸之助さんは、パナソニックがまだ小さい会社だった頃、自らが採用の面接をするときに、「あなたは自分が運のいい人間だと思いますか?」と質問して、「自分は幸運だ」「ラッキーだ」「ツイてる」と答えた人だけを採用したそうです。

 

徳川家康をはじめ、戦国時代を生き延びた武将たちが、自分のまわりに置いた側近は、どのような人だったでしょうか。

 

剣の名人だったでしょうか?

 

あるいは槍(やり)の名手だったでしょうか?

 

そうではありません。

 

彼らが選んだのは、これまでの戦を九死に一生を得て生き残ってきた「運のいい」人たちだった。

 

つまり、戦の技術がすぐれている人ではなく、運が強い人たちを選んだのです。

 

 

人生や日常に起きるいろいろな事象を、努力とか競争とか頭のよさといったものではなく、「運」というものからとらえると、とてもおもしろくなります。

 

 

いま、この場所ですぐに「運のよい人」になる方法を教えます。

 

みなさんは自分の人生を「運がよかった」と思いますか?

 

「運が悪かった」と思いますか?

 

あるいは「運がよい」と思いますか?

 

「運が悪い」と思いますか?

 

 

「運がよかった」と過去形で言った人は、過去形で「運がよかった人」になります。

 

「運が悪かった」と言った人は、過去形で「運が悪かった人」になってしまいます。

 

「運がよい」と思っていたら、現在から未来にかけて「運がよい」人になります。

 

一方、「運が悪い」と思っていたら、現在から未来にかけて「運が悪い」人になってしまいます。

 

 

つまり、運のよしあしは全部、自分が決めている。

 

 

運をよくしたければ、「自分は運がいい」と言うこと。

 

その瞬間から、運がよくなっていくみたいです。

 

宇宙的にみれば、運がよい現象というのはなく、運が悪い現象というものもありません。

 

 

したがって、運のよしあしは宇宙的には決められません。

 

決められるのは本人だけ。

 

本人が「運がいい」と言えば、「運がいい」人になってしまうのです。

 

 

つまり、いま病気であろうが、けがをしていようが、どんな状況にあろうとそれに感謝し、「自分は運がいい」と言っている人は、神さまにとってもかわいい存在です。

 

だから味方になってあげようという気にもなります。

 

自分の思うようになったときだけ、自分にとって都合がよい状況のときだけ感謝するというのでは、どうやら神さまは味方についてくれないらしい。

 

 

どんな状況にあろうと、そこに感謝を見出すことができる人を「運がいい」人といいます。

 

目の前に80点の現象があるとき、「100点満点じゃないじゃないか」と文句を言うのではなく、「80点もあってありがとう」と手を合わせることができる人なのです。

 

 

人生は4つの「おつきあい」』サンマーク出版

 

 

 

 

「運がいい」と言えば、「運がいい」人になる。

 

これは、色々なことに言い換えることができる。

 

 

たとえば…

 

「ツイてる」と言えば、「ツイてる」人になる。

 

「今、とてもしあわせ」と言えば、「しあわせ」な人になる。

 

「これ、おもしろい」と言えば、「おもしろい」ことになる。

 

 

すべては、考え方、見方しだい。

 

「運がいい」と言えば、今がたとえどんなに厳しい状況であっても、その中から、運がいいことを見つけ出す。

 

 

『どんな状況にあろうと、そこに感謝を見出すことができる人を「運がいい」人という』

 

「運ではなく、自分の実力だ」と思う人は、傲慢(ごうまん)で謙虚さがない。

 

つまり、感謝の心がたりない。

 

 

どんなところにも感謝を見出すことができる人でありたい。

 

 

 

 
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