zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9377.html
<転載開始>
私はこの森で眠るための装備は何も持っていなかった。
アナスタシアは私をほら穴のようなくぼんだ場所に案内した。そこは野生動物の寝ぐらのようなところであり、そこにあったベッドのような床に私が横になるのを見届けると、彼女はどこかにいなくなった。私は何十キロも歩く苛酷な旅に疲労困憊していたので、すぐにぐっすりと深い眠りに落ちた。
翌朝の目覚めは素晴らしく快適で、まるで上等なベッドで休んだあとのようにすがすがしかった。見回してみるとそのほら穴は思ったよりも広く、壁や床は柔らかい杉の小枝や干し草で覆われており、さわやかな香りが空間を満たしていた。私は横になったまま背伸びをし、両腕を思い切り横に伸ばした。すると片方の手がふわふわの毛皮に触れたので、一瞬アナスタシアは狩りもするんだなと思い、その暖かい毛皮に背中を寄せた。もう少しこの温かさを感じて心地よいうたた寝を楽しもうと思った・・・。
その時、ほら穴の入り口に立っているアナスタシアに気がついた。
彼女は私が目覚めているのを見るとあわてたように、早口で言った。「ウラジーミル、今日のこの日が良い日でありますように。そして善良な心でこの日を始めることができますように。でも、どうか怖がらないで」 そして彼女が手を叩いた瞬間、私は自分が体を寄せていたものが、ただの「毛皮」ではないことに気づいて恐怖におののいた。なんと熊が1頭、ゆっくりとほら穴から出て行ったのだ。アナスタシアから「よくできたわ」というように背中をポンと軽く叩かれて、熊は彼女の手をなめ、草地からのろのろと出て行った。
前夜、アナスタシアは私のために、ベッドの頭のところに眠りを誘うハーブを置き、寒さ対策として私の隣に熊を呼び入れておいたのだった。そして彼女は入り口の外側に丸くなって寝ていたようだった。私はアナスタシアに、「自分は食いちぎられていたかもしれない」と言うと、「あの子はめす熊でとても素直な子よ。あなたに危害を加えたりは決してしないわ。彼女は何か仕事を与えられて、それをやり遂げるのが大好きでうれしいの。あなたの横で一晩中、身動き一つしないようにして、私の脚に鼻をこすりつけて幸せそうにじっとしていたわ。でもあなたが寝ている間に腕を放り出して、それが彼女の背中に当ったときは怖がって震えていたのよ」
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9377.html
<転載開始>
私はこの森で眠るための装備は何も持っていなかった。
アナスタシアは私をほら穴のようなくぼんだ場所に案内した。そこは野生動物の寝ぐらのようなところであり、そこにあったベッドのような床に私が横になるのを見届けると、彼女はどこかにいなくなった。私は何十キロも歩く苛酷な旅に疲労困憊していたので、すぐにぐっすりと深い眠りに落ちた。
翌朝の目覚めは素晴らしく快適で、まるで上等なベッドで休んだあとのようにすがすがしかった。見回してみるとそのほら穴は思ったよりも広く、壁や床は柔らかい杉の小枝や干し草で覆われており、さわやかな香りが空間を満たしていた。私は横になったまま背伸びをし、両腕を思い切り横に伸ばした。すると片方の手がふわふわの毛皮に触れたので、一瞬アナスタシアは狩りもするんだなと思い、その暖かい毛皮に背中を寄せた。もう少しこの温かさを感じて心地よいうたた寝を楽しもうと思った・・・。
その時、ほら穴の入り口に立っているアナスタシアに気がついた。
彼女は私が目覚めているのを見るとあわてたように、早口で言った。「ウラジーミル、今日のこの日が良い日でありますように。そして善良な心でこの日を始めることができますように。でも、どうか怖がらないで」 そして彼女が手を叩いた瞬間、私は自分が体を寄せていたものが、ただの「毛皮」ではないことに気づいて恐怖におののいた。なんと熊が1頭、ゆっくりとほら穴から出て行ったのだ。アナスタシアから「よくできたわ」というように背中をポンと軽く叩かれて、熊は彼女の手をなめ、草地からのろのろと出て行った。
前夜、アナスタシアは私のために、ベッドの頭のところに眠りを誘うハーブを置き、寒さ対策として私の隣に熊を呼び入れておいたのだった。そして彼女は入り口の外側に丸くなって寝ていたようだった。私はアナスタシアに、「自分は食いちぎられていたかもしれない」と言うと、「あの子はめす熊でとても素直な子よ。あなたに危害を加えたりは決してしないわ。彼女は何か仕事を与えられて、それをやり遂げるのが大好きでうれしいの。あなたの横で一晩中、身動き一つしないようにして、私の脚に鼻をこすりつけて幸せそうにじっとしていたわ。でもあなたが寝ている間に腕を放り出して、それが彼女の背中に当ったときは怖がって震えていたのよ」
ふだん、アナスタシアは夜になると、動物たちがつくった寝ぐらの1つをシェルターにしてその中で眠る。暖かいときにはそのまま草の上で眠ったりすることもある。そして翌朝、彼女が起きて真っ先にすることは、歓喜の叫びを上げることだ。東の空から昇る太陽に喜び、木々の枝に芽生えた若葉に喜び、土の中から芽を出した新芽に喜ぶ。こうした自然の賜物に歓喜して、その喜びをひたすら表現するのだ。それらに触れたりなでたりし、低い木々に走りよって幹をたたく。揺らされた木のてっぺんから、露のようなものがシャワーのように彼女の上に降りかかる。そして彼女は草の上に横になり、5分くらい幸せに満ちた表情で、手足を曲げたり伸ばしたりして運動する。
そのうちに彼女の全身はしっとりとした潤いで覆われてくる。
彼女は走り出して、小さな湖に飛び込む。水しぶきをあげてもぐる。素晴らしいダイバーだ。彼女と回りにいる動物たちとの関係は、人とペットとの関係に似ている。彼女が朝の日課をこなす間、たくさんの動物たちが彼女を見守っている。彼らはアナスタシアに勝手に近づくことはしないが、彼女が彼らのほうを見て明らかにそれとわかるしぐさで1匹を呼ぶと、その幸運な動物は喜び勇んで彼女の足元に走ってくるのだ。
ある朝、私は彼女がまるでペットの犬と戯(たわむ)れるように、狼の子どもとふざけながら遊んでいるのを見た。アナスタシアはその子ども狼の肩のあたりをピシャッとたたくと、サッと走って逃げた。狼の子はダッシュで彼女を追いかけ、ほとんど追いつきそうになったとき、アナスタシアは突然空中に跳び上がり、木の幹を両足で蹴って、その勢いで別の方向へ跳び下りると走って逃げた。狼の子は突然止まることができずにアナスタシアが蹴った木の前を走り過ぎ、ブレーキをかけて方向を変えると、笑いながら逃げるアナスタシアのあとを懸命に追いかけていた。
アナスタシアは一瞬でも、着るものや食べるものについて考えることはないようだった。彼女はほとんどいつも衣服を身に着けていないか、ほんの少し身に着けているといった感じで動き回っていた。彼女の食べ物は杉の実やハーブ、ベリーやキノコであり、キノコは干したものに限られていた。しかし彼女は自分でキノコや杉の実を集めることはなく、冬のためにも食糧を貯蔵したりはしない。そうしたことは、そこに棲むたくさんのリスたちによって調達されている。リスが冬に備えて食糧を調達することはよく知られているので驚くことではなく、彼らはどこにいても本能に従ってそうするのだ。
私が一番驚いたのは、アナスタシアとリスたちのやり取りだった。
アナスタシアが指を鳴らすと、彼女の近くにいるリスたちが先を争って彼女の手の平に跳び乗り、そこに皮をむいた杉の実を置く。また彼女が少し曲げた膝をたたくかあるいは地面をたたくと、リスたちは何やら騒がしく音を発しながら、干したキノコやその他の貯蔵してあるものを掘り出し、彼女の前の草の上に積んでいくのだ。彼らが騒がしくなるのは、ほかのリスにも知らせて呼び出そうとしているようにも見える。しかも彼らはこの一連の作業をすこぶる楽しげに、満足げにやっている、少なくとも私にはそう見えた。
私は彼女がリスたちを訓練したのだろうと思っていたが、アナスタシアが言うには、彼らのこの行動は本能に基づくもののようで、母親リスが子どもたちに手本を示して教えるのだという。「ずっと昔に私の祖先たちが彼らを訓練した可能性もあるけれど、たぶん、彼らにはこういったことをする習性が先天的に組み込まれているのだと思う。それに実際、リスは冬に備えて自分が食べる量の何倍もの食糧を蓄えるから」
彼女は冬でも上着を着ないというので、なぜ凍えてしまわないのか尋ねると、彼女は逆に聞いてきて、「あなたの世界にはそういう例はない? 服を着ないで寒さをしのげる能力のある人はいない?」 それで思い出したが、ポルフィリー・イワノフが書いた本に、どんな寒さでもパンツ1丁という裸同然で過ごす男のことが書いてあった。ファシストたちがこの異常なロシア人の耐寒度を試そうとして、零下20度の極寒の中で彼に冷水をぶっかけ、裸のままオートバイに乗せて連れまわしたという記述があった。
アナスタシアは幼児の頃、母乳以外にもいろいろな動物の乳を飲んで育ったという。
どの動物もごく自然に彼女に乳を吸わせたという。彼女と過ごした3日間が終わる頃には、私はもはや最初の頃のように彼女を見ることができなくなっていた。その言動を見聞きするうちに、彼女は普通の人間とは思えなくなっていたのだ。高度な知性を持っているので野生動物とは言えず、そして彼女は一度見たり聞いたりしたことは決して忘れないという、驚異的な記憶力を持っていた。
文明社会では我々は常にあらゆる手段を講じて日々の生活を整え、食糧を確保し、性的な充足を得ることに恐々としている。前述したリーコフ一家のような隔絶した生き方をする人々でさえが、食物の獲得と風雨から身を守ることに頭を使わねばならなかったようであり、彼らはアナスタシアほど自然からの助けを得てはいないようだった。この地球上にはそのほかにも、文明社会から離れて暮らすさまざまな種族が存在するが、アナスタシアと同レベルの自然との関係は見られないようだ。アナスタシアによれば、彼らの意図や動機が十分純粋ではないので、自然界と動物界がそれを察知してしまうのだという。
私がここで見聞きしたことの中で、もっとも不思議で尋常ではないものに思えたのは、はるか遠い場所にいる1人の人間の状況を、見通すことができるアナスタシアの能力だった。もしかするとこうした生活をする他の隠遁者たちも、同じ能力を持っているのかもしれない。彼女はこれを、目には見えない光線の助けを借りて行なう。彼女によると、この光線は誰でも持っているもので、ただそれに気づいていないために使うことができないのだという。「人間はいまだに、自然界に存在しないものは何1つ発明してはいない。たとえばテレビはこの光線の作用の、それも哀れなモノマネにしか過ぎない」と。
私はその見えない光線というのを信じなかったので、彼女は私を理解させようとして繰り返し実演したり、その機能を原理的に説明しようと一生懸命試みた。そしてある時、「直感」についてどう考えるかを彼女は聞いてきた。私は、「頭を使っていないときに、どうすべきかを示してくる感覚だ」と答えると、彼女は、「ということは、人間には通常の理性を超えた何かが備わっているということを否定しないのね」、「否定しないよ」、「素晴らしい」とアナスタシアは叫んだ。
「じゃあ今度は寝ている時に見る夢の話だけど、夢って何だと思う?」
「何かなあ、わからないね。夢はしょせん、夢だな」、「いいわ、夢は夢ということで、つまりあなたは夢の存在を否定しないのよね? 夢を見ている時というのは体がほぼ無意識状態にありながら、いろんな人に会ったり、いろんなことが起きているのを見ている。そればかりか夢の中でコミュニケーションを取ったりできるし、会話したり、感情移入もできる」、「うん、そうだ」、「それであなたはどう思う? 人は自分の夢をコントロールできると思う? 自分の見たいイメージや出来事を夢の中に呼び込むの。たとえばテレビのように」
「それはできないと思うよ。夢は単独でひとりでに生まれるものだ」
「それは違う。人間はすべてをコントロールできるの。人間はすべてをコントロールするように創られているのよ。私が先ほどから言っている光線は、人が内面に持つ情報と思考と感情からできているので、結果的に、夢も含めてあらゆるビジョンは人間の意志で意識的にコントロールできるの」、「眠っている間にどうやってコントロールできるというの?」、「眠っている間ではなく、目覚めているときにできるのよ。それは前もってプログラミングするの。ある方法で、しかも絶対的な正確さでね」
「実はあなたは同じことを混沌とした夢の中で体験しているのよ。
だけど人間は、自然現象や自分をコントロールする能力のほとんどを失ってしまった。だから夢を、地球上のほとんどすべての人が、疲れた脳が生み出す無用な産物だと結論づけてしまった。ああ、そう、あなたにも遠くのものが見えるように、今ここでお手伝いしてもいい?」、そう言うとアナスタシアは私に、草の上に横になってゆったりリラックスし、体が消費するエネルギーを抑え、心地よい状態になるようにと言った。そして私が一番よく知っている人のことを考えるように、たとえば奥さんや彼女を思い出して、その服装や歩き方、彼女が今いると思う場所を考えるようにと言った。これを全部、自分の想像力で絵を描くようにと。
私は妻のことを思った。
彼女はこの時期は郊外の別荘にいるはずで、私は建物の回りや内部の家具などを思い浮かべた。しかし何も見えてこないと言うと、眠りに入るときのようにリラックスする方法がわからないのねと言い、彼女の指が私の指に触れた感覚がして・・・、やがて私はまどろみのような感覚に吸い込まれていった。(略)私はキッチンに立っている妻を見たが、これはふつうの夢だと思ったし、その瞬間に彼女がキッチンにいたという証拠は何もないと言った。アナスタシアはもしそれを立証したければ、今日のこの日とこの時間をよく覚えておき、家に帰ったら聞くといいと言った。
アナスタシアは、「奥さんが窓辺に駆け寄ったとき、微笑んでいなかった?」と言い、彼女も自分の光線で妻を見ており、そして彼女を温めたと言った。「きみの光線が彼女を温めた? じゃあ私の光線は冷たいのか?」、「あなたはただ好奇心で見ていただけで、そこに何の感情も入れなかった」、「きみの光線は遠くにいる誰かを温めたりすることができるの?」、「そう」、「ほかにはどんなことができる?」、「ある情報を受け取って、それを別のところへ伝えられるわ。またこの光線で誰かの気分を明るくしたり、人の痛みを部分的に和らげたりもできる。私の感情と意志、それに願望の強さ次第では、私のエネルギーでもっと多くのことができるわ」
「きみは未来も見ることができるの?」
「もちろん!」、「過去は?」、「未来は過去と同じものよ。その違いは表面に現れるディテール(細部)だけで、本質的なものは常に変わらないのよ」、「どういうこと? 何が変わらないの?」、「たとえば1000年前、人々は今とは違う服装で、日常生活もそのやり方や道具は違っていたけれど、それは本質的なことではない。つまり1000年前の人々であっても、今の現代の人々と同じ感情を持っていたし、人間の感情は時代が違っても変わることはないのよ。それは恐れや喜びや愛の感情で、ロシアのヤロスラフ賢帝もイワン雷帝も、また古代エジプトのファラオたちも、今のあなたや他の誰かとまったく同じ感情を抱いて女性を愛したの」
「たしかに。つまりきみが持っている光線を、誰でもが持っていたはずだと言っているの?」、「そう、今も変わらず人々は感情や直感を持っているし、白昼夢や物事の推測をしたり、未来の状況を思い描いたり、睡眠中に夢を見る能力を持っている。ただ、それがみな混沌とした中にあってコントロールされていない。でも訓練すればコントロールできるようになるわ。ただし、光線を自分の意志で用いるためにはもう一つ絶対不可欠な条件がある」。
「それは意図が純粋でなければならないということ。
意図の純粋性こそが不可欠なものよ。なぜなら光線の力は、それを用いる人の光の感情の強さに比例するから」
この光線は誰もが持っていると聞いて半信半疑であったが、私は大分あとになって、人間には目には見えない光線のようなものがすべての人から放射されており、人によってその強さにはいろいろな段階があるということを知った。物理学者のアナトリー・アキモフが特殊装置を用いてこの光線を撮っており、雑誌『ミラクルズ・アンド・アドヴェンチャーズ』の1996年5月号に掲載した。しかし我々は、この光線をアナスタシアのように操作することはできないという。科学界ではこの光線のようなものを、トーション・フィールド(ねじれ場)と呼んでいるという。
アナスタシアに神について聞いてみた。
「神は個体ではなく、惑星間の至高なる源であり知性であり、半分は宇宙の非物質的な領域に存在し、すべてのエネルギーの集合体をなしている。もう半分は小さな粒子となって、たとえば地球上の人間一人ひとりの中に分散されている。そして闇の勢力が、この粒子を締め出そうと必死になっている」
「きみは今後、我々の社会に待ち受けているのは何だと考えているの?」
「これまでの技術優先主義がもたらしてきた、有害な側面についての目覚めよ。そして人間が本来あるべき元の姿に立ち帰ろうとする動き、それがこれから起きてくることよ」、「世界の科学者はみな、我々を袋小路へと導いている未熟な存在というわけだね」、「たしかに彼らによってそのプロセスが加速されている。でも逆に言えば、彼らは人々が間違った道を歩いているということに気づく時期を早めていると言える」、「ということは、我々がつくる車も家も意味がないということかな?」、「そういうことね」
「きみはここにひとりで住んで、テレビも電話もないところにいて退屈じゃない?」
「テレビも電話もとても原始的なものよ。人間は実は初めからそういうものを全部持っているし、それももっと完璧な形で持っている。私も持っているわ。テレビって何? つまり想像力の退化してしまった人間に向けて情報や画像を使って描き出す装置のことでしょ。私は自分の想像力でどんなテーマでも、画像でも描けるし、どんな信じがたい状況でも作り出せる。それだけでなく自分が物語に入っていって、その物語に影響を及ぼすこともできるの。人は実は電話がなくてもお互いに話ができるのよ。話したいという意志と願い、それに発達した想像力さえあればね」
響き渡るシベリア杉 シリーズ1
『アナスタシア』 ウラジーミル・メグレ著 ナチュラルスピリット
抜粋
<転載終了>
そのうちに彼女の全身はしっとりとした潤いで覆われてくる。
彼女は走り出して、小さな湖に飛び込む。水しぶきをあげてもぐる。素晴らしいダイバーだ。彼女と回りにいる動物たちとの関係は、人とペットとの関係に似ている。彼女が朝の日課をこなす間、たくさんの動物たちが彼女を見守っている。彼らはアナスタシアに勝手に近づくことはしないが、彼女が彼らのほうを見て明らかにそれとわかるしぐさで1匹を呼ぶと、その幸運な動物は喜び勇んで彼女の足元に走ってくるのだ。
ある朝、私は彼女がまるでペットの犬と戯(たわむ)れるように、狼の子どもとふざけながら遊んでいるのを見た。アナスタシアはその子ども狼の肩のあたりをピシャッとたたくと、サッと走って逃げた。狼の子はダッシュで彼女を追いかけ、ほとんど追いつきそうになったとき、アナスタシアは突然空中に跳び上がり、木の幹を両足で蹴って、その勢いで別の方向へ跳び下りると走って逃げた。狼の子は突然止まることができずにアナスタシアが蹴った木の前を走り過ぎ、ブレーキをかけて方向を変えると、笑いながら逃げるアナスタシアのあとを懸命に追いかけていた。
アナスタシアは一瞬でも、着るものや食べるものについて考えることはないようだった。彼女はほとんどいつも衣服を身に着けていないか、ほんの少し身に着けているといった感じで動き回っていた。彼女の食べ物は杉の実やハーブ、ベリーやキノコであり、キノコは干したものに限られていた。しかし彼女は自分でキノコや杉の実を集めることはなく、冬のためにも食糧を貯蔵したりはしない。そうしたことは、そこに棲むたくさんのリスたちによって調達されている。リスが冬に備えて食糧を調達することはよく知られているので驚くことではなく、彼らはどこにいても本能に従ってそうするのだ。
私が一番驚いたのは、アナスタシアとリスたちのやり取りだった。
アナスタシアが指を鳴らすと、彼女の近くにいるリスたちが先を争って彼女の手の平に跳び乗り、そこに皮をむいた杉の実を置く。また彼女が少し曲げた膝をたたくかあるいは地面をたたくと、リスたちは何やら騒がしく音を発しながら、干したキノコやその他の貯蔵してあるものを掘り出し、彼女の前の草の上に積んでいくのだ。彼らが騒がしくなるのは、ほかのリスにも知らせて呼び出そうとしているようにも見える。しかも彼らはこの一連の作業をすこぶる楽しげに、満足げにやっている、少なくとも私にはそう見えた。
私は彼女がリスたちを訓練したのだろうと思っていたが、アナスタシアが言うには、彼らのこの行動は本能に基づくもののようで、母親リスが子どもたちに手本を示して教えるのだという。「ずっと昔に私の祖先たちが彼らを訓練した可能性もあるけれど、たぶん、彼らにはこういったことをする習性が先天的に組み込まれているのだと思う。それに実際、リスは冬に備えて自分が食べる量の何倍もの食糧を蓄えるから」
彼女は冬でも上着を着ないというので、なぜ凍えてしまわないのか尋ねると、彼女は逆に聞いてきて、「あなたの世界にはそういう例はない? 服を着ないで寒さをしのげる能力のある人はいない?」 それで思い出したが、ポルフィリー・イワノフが書いた本に、どんな寒さでもパンツ1丁という裸同然で過ごす男のことが書いてあった。ファシストたちがこの異常なロシア人の耐寒度を試そうとして、零下20度の極寒の中で彼に冷水をぶっかけ、裸のままオートバイに乗せて連れまわしたという記述があった。
アナスタシアは幼児の頃、母乳以外にもいろいろな動物の乳を飲んで育ったという。
どの動物もごく自然に彼女に乳を吸わせたという。彼女と過ごした3日間が終わる頃には、私はもはや最初の頃のように彼女を見ることができなくなっていた。その言動を見聞きするうちに、彼女は普通の人間とは思えなくなっていたのだ。高度な知性を持っているので野生動物とは言えず、そして彼女は一度見たり聞いたりしたことは決して忘れないという、驚異的な記憶力を持っていた。
文明社会では我々は常にあらゆる手段を講じて日々の生活を整え、食糧を確保し、性的な充足を得ることに恐々としている。前述したリーコフ一家のような隔絶した生き方をする人々でさえが、食物の獲得と風雨から身を守ることに頭を使わねばならなかったようであり、彼らはアナスタシアほど自然からの助けを得てはいないようだった。この地球上にはそのほかにも、文明社会から離れて暮らすさまざまな種族が存在するが、アナスタシアと同レベルの自然との関係は見られないようだ。アナスタシアによれば、彼らの意図や動機が十分純粋ではないので、自然界と動物界がそれを察知してしまうのだという。
私がここで見聞きしたことの中で、もっとも不思議で尋常ではないものに思えたのは、はるか遠い場所にいる1人の人間の状況を、見通すことができるアナスタシアの能力だった。もしかするとこうした生活をする他の隠遁者たちも、同じ能力を持っているのかもしれない。彼女はこれを、目には見えない光線の助けを借りて行なう。彼女によると、この光線は誰でも持っているもので、ただそれに気づいていないために使うことができないのだという。「人間はいまだに、自然界に存在しないものは何1つ発明してはいない。たとえばテレビはこの光線の作用の、それも哀れなモノマネにしか過ぎない」と。
私はその見えない光線というのを信じなかったので、彼女は私を理解させようとして繰り返し実演したり、その機能を原理的に説明しようと一生懸命試みた。そしてある時、「直感」についてどう考えるかを彼女は聞いてきた。私は、「頭を使っていないときに、どうすべきかを示してくる感覚だ」と答えると、彼女は、「ということは、人間には通常の理性を超えた何かが備わっているということを否定しないのね」、「否定しないよ」、「素晴らしい」とアナスタシアは叫んだ。
「じゃあ今度は寝ている時に見る夢の話だけど、夢って何だと思う?」
「何かなあ、わからないね。夢はしょせん、夢だな」、「いいわ、夢は夢ということで、つまりあなたは夢の存在を否定しないのよね? 夢を見ている時というのは体がほぼ無意識状態にありながら、いろんな人に会ったり、いろんなことが起きているのを見ている。そればかりか夢の中でコミュニケーションを取ったりできるし、会話したり、感情移入もできる」、「うん、そうだ」、「それであなたはどう思う? 人は自分の夢をコントロールできると思う? 自分の見たいイメージや出来事を夢の中に呼び込むの。たとえばテレビのように」
「それはできないと思うよ。夢は単独でひとりでに生まれるものだ」
「それは違う。人間はすべてをコントロールできるの。人間はすべてをコントロールするように創られているのよ。私が先ほどから言っている光線は、人が内面に持つ情報と思考と感情からできているので、結果的に、夢も含めてあらゆるビジョンは人間の意志で意識的にコントロールできるの」、「眠っている間にどうやってコントロールできるというの?」、「眠っている間ではなく、目覚めているときにできるのよ。それは前もってプログラミングするの。ある方法で、しかも絶対的な正確さでね」
「実はあなたは同じことを混沌とした夢の中で体験しているのよ。
だけど人間は、自然現象や自分をコントロールする能力のほとんどを失ってしまった。だから夢を、地球上のほとんどすべての人が、疲れた脳が生み出す無用な産物だと結論づけてしまった。ああ、そう、あなたにも遠くのものが見えるように、今ここでお手伝いしてもいい?」、そう言うとアナスタシアは私に、草の上に横になってゆったりリラックスし、体が消費するエネルギーを抑え、心地よい状態になるようにと言った。そして私が一番よく知っている人のことを考えるように、たとえば奥さんや彼女を思い出して、その服装や歩き方、彼女が今いると思う場所を考えるようにと言った。これを全部、自分の想像力で絵を描くようにと。
私は妻のことを思った。
彼女はこの時期は郊外の別荘にいるはずで、私は建物の回りや内部の家具などを思い浮かべた。しかし何も見えてこないと言うと、眠りに入るときのようにリラックスする方法がわからないのねと言い、彼女の指が私の指に触れた感覚がして・・・、やがて私はまどろみのような感覚に吸い込まれていった。(略)私はキッチンに立っている妻を見たが、これはふつうの夢だと思ったし、その瞬間に彼女がキッチンにいたという証拠は何もないと言った。アナスタシアはもしそれを立証したければ、今日のこの日とこの時間をよく覚えておき、家に帰ったら聞くといいと言った。
アナスタシアは、「奥さんが窓辺に駆け寄ったとき、微笑んでいなかった?」と言い、彼女も自分の光線で妻を見ており、そして彼女を温めたと言った。「きみの光線が彼女を温めた? じゃあ私の光線は冷たいのか?」、「あなたはただ好奇心で見ていただけで、そこに何の感情も入れなかった」、「きみの光線は遠くにいる誰かを温めたりすることができるの?」、「そう」、「ほかにはどんなことができる?」、「ある情報を受け取って、それを別のところへ伝えられるわ。またこの光線で誰かの気分を明るくしたり、人の痛みを部分的に和らげたりもできる。私の感情と意志、それに願望の強さ次第では、私のエネルギーでもっと多くのことができるわ」
「きみは未来も見ることができるの?」
「もちろん!」、「過去は?」、「未来は過去と同じものよ。その違いは表面に現れるディテール(細部)だけで、本質的なものは常に変わらないのよ」、「どういうこと? 何が変わらないの?」、「たとえば1000年前、人々は今とは違う服装で、日常生活もそのやり方や道具は違っていたけれど、それは本質的なことではない。つまり1000年前の人々であっても、今の現代の人々と同じ感情を持っていたし、人間の感情は時代が違っても変わることはないのよ。それは恐れや喜びや愛の感情で、ロシアのヤロスラフ賢帝もイワン雷帝も、また古代エジプトのファラオたちも、今のあなたや他の誰かとまったく同じ感情を抱いて女性を愛したの」
「たしかに。つまりきみが持っている光線を、誰でもが持っていたはずだと言っているの?」、「そう、今も変わらず人々は感情や直感を持っているし、白昼夢や物事の推測をしたり、未来の状況を思い描いたり、睡眠中に夢を見る能力を持っている。ただ、それがみな混沌とした中にあってコントロールされていない。でも訓練すればコントロールできるようになるわ。ただし、光線を自分の意志で用いるためにはもう一つ絶対不可欠な条件がある」。
「それは意図が純粋でなければならないということ。
意図の純粋性こそが不可欠なものよ。なぜなら光線の力は、それを用いる人の光の感情の強さに比例するから」
この光線は誰もが持っていると聞いて半信半疑であったが、私は大分あとになって、人間には目には見えない光線のようなものがすべての人から放射されており、人によってその強さにはいろいろな段階があるということを知った。物理学者のアナトリー・アキモフが特殊装置を用いてこの光線を撮っており、雑誌『ミラクルズ・アンド・アドヴェンチャーズ』の1996年5月号に掲載した。しかし我々は、この光線をアナスタシアのように操作することはできないという。科学界ではこの光線のようなものを、トーション・フィールド(ねじれ場)と呼んでいるという。
アナスタシアに神について聞いてみた。
「神は個体ではなく、惑星間の至高なる源であり知性であり、半分は宇宙の非物質的な領域に存在し、すべてのエネルギーの集合体をなしている。もう半分は小さな粒子となって、たとえば地球上の人間一人ひとりの中に分散されている。そして闇の勢力が、この粒子を締め出そうと必死になっている」
「きみは今後、我々の社会に待ち受けているのは何だと考えているの?」
「これまでの技術優先主義がもたらしてきた、有害な側面についての目覚めよ。そして人間が本来あるべき元の姿に立ち帰ろうとする動き、それがこれから起きてくることよ」、「世界の科学者はみな、我々を袋小路へと導いている未熟な存在というわけだね」、「たしかに彼らによってそのプロセスが加速されている。でも逆に言えば、彼らは人々が間違った道を歩いているということに気づく時期を早めていると言える」、「ということは、我々がつくる車も家も意味がないということかな?」、「そういうことね」
「きみはここにひとりで住んで、テレビも電話もないところにいて退屈じゃない?」
「テレビも電話もとても原始的なものよ。人間は実は初めからそういうものを全部持っているし、それももっと完璧な形で持っている。私も持っているわ。テレビって何? つまり想像力の退化してしまった人間に向けて情報や画像を使って描き出す装置のことでしょ。私は自分の想像力でどんなテーマでも、画像でも描けるし、どんな信じがたい状況でも作り出せる。それだけでなく自分が物語に入っていって、その物語に影響を及ぼすこともできるの。人は実は電話がなくてもお互いに話ができるのよ。話したいという意志と願い、それに発達した想像力さえあればね」
響き渡るシベリア杉 シリーズ1

抜粋
<転載終了>