zeraniumの掲示板さんのサイトより
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-4741.html
<転載開始>
<転載終了>
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.韓国は慰安婦問題を日本潰しの切り札と位置付けています。
慰安婦問題は事実の歪曲と捏造から成り立った虚構ですから、反論は簡単です。にもかかわらず、日本政府が韓国に気兼ねして謝罪を繰り返したことでドツボに嵌(はま)ってしまいました。韓国では「女子挺身隊」を「従軍慰安婦」であると歴史を歪曲しています。私が調べた限り、この説を最初に「事実」として打ち出したのは朴慶植です。彼は昭和40年(1965年)に発行された『朝鮮人強制連行の記録』の中で次のように書いています。
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「うら若い同胞の女性が多数『女子挺身隊』『戦線慰問隊』などの名目でひっぱられ、慰安婦として戦争遂行の犠牲にされた」
「同胞女性は中国や南方、沖縄の戦線にも多数連行されているが全体の数は数万に上ると思われる」
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このようにまったく何の根拠もなく、唐突に「数万が連行された」と決め付けています。さらに金賛汀はその10年後に『証言 朝鮮人強制連行』の中で、またもや何の根拠もなく次のようにその数字を増やしています。
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「1944年8月には『女子挺身勤労令』が発布され、連行に国家権力の強権が伴った。『女子挺身勤労令』によって数十万人に達する朝鮮人女性が軍需工場、軍要因として『徴用』されたが、これらの女性たちのうち本人も知らぬままに、中国大陸に、南方戦線に『軍慰安婦』として送られた人々も多かった。その総数は今日に至るもはっきりしないが、10万人内外であったろうと推定されている」
と、このように書きたい放題に書いています。ですがそもそも朝鮮では、女子に対する「徴用令」である『女子挺身勤労令』は発布されてはいないのです。朝鮮で「女子挺身隊」として工場で働いた女性たちはすべて自ら志願したものであり、もちろん慰安婦にされるはずがありません。事実、元慰安婦であったと告白した韓国の女性たちでさえが、誰1人として挺身隊として引っ張られたと証言している者はいません。(李榮薫『大韓民国の物語』文藝春秋)
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ところが韓国の中学・高校の歴史教科書には「女性たちも挺身隊という名で引いて行かれ、日本軍の慰安婦として犠牲になった」と書かれています。朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』をそのまま写したと思われます。
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「従軍慰安婦の碑」をソウルの日本大使館前に設置した市民団体の名称も「韓国挺身隊問題対策協議会」であり、そのホームページでは「日本軍慰安婦問題は第二次世界大戦時、日本帝国主義がアジアの女性十乃至二十万人を国家制度で企画立案し、組織的に強制連行し、日本軍の性奴隷とした世界でも類を見ない残酷な犯罪である」と書いてあります。
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これを「事実」として、韓国側は日本に謝罪と賠償を求めているのです。ちなみにYahooKoreaの日本語辞典で「挺身隊」を引くと、「従軍慰安婦に対する日本側の公式名称」となっています。もしそれが事実なら「挺身隊」として徴用された何百万人の内地の女性も慰安婦だったことになります。私の母も「女子挺身隊」として働きました。侮辱するのもいい加減にしろ、と言いたいです。いずれにせよ、「挺身隊=慰安婦」という歴史の極端な歪曲を指摘するだけでも、韓国の主張は根底から崩れるのです。
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歴史の捏造「慰安婦狩り」
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次は歴史の捏造です。
日本の軍や官憲が、「海辺や畑で働いている女性を拉致し、無理やりトラックに積み込んで戦地に送って慰安婦にした」というものです。この「慰安婦狩り」は吉田清治なる人物が『私の戦争犯罪』(三一書房)として本に書いたものですが、内容に疑問点が多く、現地調査の結果、事実ではないことが判明しています。
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吉田自身も自分の本を売るために書いた「嘘」であることを後に認めています。しかしこのような捏造本が、韓国語に翻訳されたのではたまったものではありません。それで「慰安婦狩り」が、実際に行なわれたと韓国人の大多数が信じてしまい、「鬼畜日本!」と非難の嵐となっているのです。
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吉田自身も自分の本を売るために書いた「嘘」であることを後に認めています。しかしこのような捏造本が、韓国語に翻訳されたのではたまったものではありません。それで「慰安婦狩り」が、実際に行なわれたと韓国人の大多数が信じてしまい、「鬼畜日本!」と非難の嵐となっているのです。
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ですがこの嘘に対しては簡単に反論できます。なぜならもし自分の子どもが、兄弟姉妹が、恋人が日本の軍や官憲に拉致されて慰安婦にされそうになったら、どんな罰を受けようとも誰であれ必ず、命がけで戦って取り返そうとするはずだからです。ましてや親族間の絆が深い朝鮮であれば必ずや暴動が起き、それが何十万人も拉致されたとなれば、その騒ぎはたちまち朝鮮半島全土に広がったはずです。
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しかしそのような暴動は1件も記録されてはいません。「慰安婦狩り」が捏造であるいう何よりの証拠でしょう。それでもあったと言うのなら、それこそ「朝鮮の男たちは自分の娘や、姉妹や、恋人が強制的に慰安婦にされても何一つ抵抗しなかったという、世界でも類を見ない冷酷で不甲斐ない連中だった」ということになります。
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秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)
杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』(展転社)
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当時を知る人々の証言
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前著『救った!』では当時の資料をもとに慰安婦の実態を明らかにしました。ですが当時の状況を自分の目で見た人々の証言を求めて各方面に当たり、幸いに何人かの方々から証言を得ることができました。
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(1) 昭和17年(1942年)~昭和18年(1943年)に、ソ連に近い黒龍江省孫呉に駐屯していた玉第1師団歩兵第1連隊第5中隊に所属していた高橋哲郎氏からは、「慰安婦は韓国の女衒(ぜげん)が連れてきた単なる売春婦だった」という証言をいただきました。
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(2) 昭和18年(1943年)に、ハル2983部隊第4中隊の一員として北京の近くの駐屯地にいた福島悟朗氏は、「慰安婦は朝鮮人女衒が連れて来た。彼女たちは『朝鮮では貧しくて食事もろくにできません。日本の兵隊さんはとても親切です。毎月、郷里へお金を送ると、感謝の手紙が家族から届きます。慰安婦になって幸せです』と言っていたと、当時の慰安婦の様子を語ってくれました。
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(3) 見習い士官として中国に出征していた緒方基一氏によると、昭和19年末、内蒙古の厚和(こうわ)での体験談を、次のように手紙で知らせていただきました。「糧秣(りょうまつ)の集積作業をしていた苦力(クーリー)の年長者が慰安所に行って(おり)、点呼(する)にも不在で(いない)というので、その慰安所に呼びに行って外部より『帰隊せよ』と言ったことがあります。すると憲兵隊から『民間人の営業を邪魔するな』と苦言を言われました。当時、慰安所は軍ではなく民間人が経営していたのです」
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その手紙には続けて次のようにありました。
「昭和20年(1945年)8月、ソ連軍内蒙古侵入の報に師団は北上。最終梯団で北上して12日間を要する北上となったが、その列車の一車両に朝鮮の芸者(売春婦)が居り、大元気で「内地(日本)の女性は弱虫。役に立つのは我ら半島出身の女性のみ」と大威張りであったのには驚いたことあり」
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当時は朝鮮の女性までがお金のためだけではなく、「お国のため」という気概をもっていたことがわかります。ですからいっそのこと、麻布の韓国大使館の向かい側に「韓国人慰安婦に感謝する碑」を立ててはどうでしょうか。
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朝鮮に駐屯していた元陸軍軍人の決定的証言
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これらの証言だけでも当時の実態がわかる貴重なものですが、できれば韓国の主張する「日本兵が何十万人という女性を強制連行して慰安婦にした」という期間に、実際に朝鮮に兵隊として駐屯していた人の証言が欲しいと思っていたところ、幸運なことにまさにそのような人に巡り合いました。
その方は東京都杉並区在住の渡邉茂さんという95歳の人です。高齢ですが非常に健康で、1週間に数冊も読まれる頭脳明晰な読書家です。そして渡邉さんは中国戦線での慰安婦の状況を見ていた方です。以下は渡邉さんとのやり取りの会話です。(質問は筆者)
その方は東京都杉並区在住の渡邉茂さんという95歳の人です。高齢ですが非常に健康で、1週間に数冊も読まれる頭脳明晰な読書家です。そして渡邉さんは中国戦線での慰安婦の状況を見ていた方です。以下は渡邉さんとのやり取りの会話です。(質問は筆者)
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「戦時中はどちらにおられましたか?」
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「昭和15(1940年)年1月から17年(1942年)12月まで、朝鮮北部の羅南(ラナム)に駐屯していました。その後いったん除隊して、昭和19年に再び召集がかかり、中国湖南省の湘潭(ショウタン)に終戦までいました。約1年間の除隊期間を除き、21歳から28歳までの間ほとんどが軍隊生活でした。
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「朝鮮での日本軍の配備状況を教えてください」
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「朝鮮には二個師団が配備されていました。一つは第19師団で、歩兵は羅南に第73連隊および76連隊、咸興に74連隊、会寧(フェリョン)に75連隊が駐屯していました。また羅南には別に騎兵1個連隊、砲兵1個連隊、輜重(シチョウ)1個連隊が駐屯していました。もう一つは第20師団で京城(ソウル)の龍山(ヨンサン)、大邱(テグ)、大田(テジョン)にそれぞれ駐屯していました」
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「所属部隊はどちらでしたか?」
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「第19師団の中で75連隊及び76連隊は、新潟と福島出身の兵隊で構成されており、新潟の今で言う上越市出身の自分は76連隊でした。朝鮮に駐屯していた時の階級は、幹部候補生(軍曹)でした」
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「中に朝鮮人の兵士もいましたか?」
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「羅南駐屯地では150名で編成される各中隊に、昭和15年(1940年)と16年にそれぞれ3名、17年には6名の朝鮮人志願兵が初年兵として配属されました。彼らは非常に優秀で、昭和16年に自分の中隊に入って来た金君、李君、朴君は第一選抜で上等兵候補となりました。前年に創氏改名があって朝鮮人も日本名を名乗れるようになったのですが、彼らは3人とも堂々と朝鮮名を名乗る頼もしい連中でした。隣の中隊には朝鮮人の伍長がおり、部下の日本人兵士を絶対服従させていました」
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「駐屯地から外に出ることはありましたか?」
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「軍隊行動としては時々、演習に出かけました。演習地は山間部で民間人の家はなく、第一稜線、第二稜線、第三稜線などと呼ばれる演習地で演習をしました。演習以外に軍隊が外に出ることはありませんでした。ソウルや大邱、大田に駐屯していた第20師団も全く同じです。個人的には、日曜日に希望を出すと外出できました。その場合も『民間人にはなるべく接触するな』という軍の方針があったので、居酒屋などでお酒を飲む程度でした」
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「近くに慰安所はありましたか?」
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「近くにはありませんが、町に出れば遊郭もあり、兵隊の中にはそこへ遊びに行く者もいました。特に既婚者のほうがよく遊びに行ったようです。私のような独身者は、そちらのほうにはそれほど興味がありませんでした」
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「遊郭の状況はどのようなものでしたか?」
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「同僚たちから聞いたところでは、日本人娼婦と朝鮮人娼婦の両方がおり、だいたい4対6ぐらいの割合でした。料金は内地からやって来た日本人娼婦が4円から5円、朝鮮人娼婦が2円から3円でした。当時、一般の兵隊の月給が4円から5円だったので、兵隊はほとんどが朝鮮人の娼婦を相手にしていました」
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「中国での経験を教えてください」
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「中国では第14師団傘下の独立混成旅団第15連隊第1大隊で分隊長をしており、終戦までの1年間、湖南省の湘漂に駐屯していました。その間、1回だけ朝鮮人女衒が朝鮮人娼婦の一団を連れてやって来ました。近くにテントを張って3日程度営業して帰りました。当時はこのような施設を匪賊(ひぞく)などが襲うことがあり、自分は彼らが安全に営業できるよう警備を命じられ、テントの周りの警備をしていました。したがって、慰安婦の顔は見ていません。兵隊たちは列を作って順番を待っており、1人の慰安婦が多い場合は10人程度相手をしていたようです。
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しかし1人当たりの時間が極めて短く、あっという間に終わってしまうケースがほとんどで、10人相手にしてもそれほど苦痛だったとは思えません。当時、歌手などが慰問にやって来ましたが、全くそれと同じような『慰問』という感じであちこちを1年ほど回り、大変なお金を貯め込んで帰国していました」
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「『慰安婦強制連行』についてどう思われますか?」
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「強制連行などとんでもありません。日本の軍隊は民間人に神経質なほど気を使っていました。戦地では慰安婦の一団が襲われたりしないよう、安全な輸送を図ってやりました。軍人が慰安婦も含めた民間人になにか酷いことをすれば、憲兵が絶対に許しませんでした。
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特に女性問題が人心に与える影響が最も大きいため、一般の婦女子には絶対に手を出してはいけない、というのが当時の軍全体の了解事項でした。民間人を守る立場の軍隊が駐屯地から外に出て、朝鮮の女性たちを『組織的に強制連行して性奴隷にする』など、あまりにも馬鹿げています。一体、誰がそんなことを言い出したのでしょう。第一、そんなことを朝鮮の人々が許すはずもないでしょう」
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特に女性問題が人心に与える影響が最も大きいため、一般の婦女子には絶対に手を出してはいけない、というのが当時の軍全体の了解事項でした。民間人を守る立場の軍隊が駐屯地から外に出て、朝鮮の女性たちを『組織的に強制連行して性奴隷にする』など、あまりにも馬鹿げています。一体、誰がそんなことを言い出したのでしょう。第一、そんなことを朝鮮の人々が許すはずもないでしょう」
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.「当時の治安維持はどうなっていましたか?」
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「当時、朝鮮の治安維持は全て警察が担当していました。普段、民衆と接する巡査クラスはほとんどが朝鮮人でしたね。彼らは職務にとても熱心で、民衆の悩み事などの相談にのっていました。治安は極めてよく、『強制連行』など絶対にあり得ません」
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渡邉さんは戦後32年間に渡り、規模の大きい会社の社長をされており、社会的に高い信用を得ている人です。そうした人の詳細にわたる明確な証言は何にも代え難い千鈞(せんきん)の重みがあります。日本政府も、出自も名前も不確実な自称元慰安婦の女性たちの曖昧な証言ではなく、このような人の証言をこそ尊重すべきです。 ――④に続く
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『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』松木國俊著 WAC
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抜粋
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多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。
私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。
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