人に内在する良心神(神言会)さんのサイトより
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=471
<転載開始>
第××項 私見。創造神ならば、この世を終わらせるは不可能ではないが⁉

私は大本教神諭予告。【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に関して、言で成る【誠】の仕組で紐解きました。それは驚くことに、大本教出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神論ではなくて、本来は【ラ】神論だったのです。
まさに、大本教の出口王仁三郎聖師が遺言として残された【信天翁(アホウドリ)】にある、【この大本教に現れた変性女子はニセ者だ】なのです。しかも、それは【みのおわり】を示しているのです。
しかしながら、現在の新神道系の教団ではどこも【ス】の神論で走っています。その中で私がいくら【ラ】神論を説いても、孤立無援に近いと言えます。


明治25年(いち早くにの西暦1892年)に大本教から世に出された【ウシトラ金神国常立尊】とは、牛頭虎パンツの「鬼」で云うの牛虎(ウシトラ)の【魂】論の仕組であったなのです。
大本教からは【五六七】大神として、【みろく神】が世に出されました。そのみろく神とは、当然に仏教で説かれるお釈迦様の死後【56億7千万年】後にこの世の終わりが訪れて、人々が忘れていたお釈迦様の本当の悟りをお釈迦様に代わって説き、人類を【未来の世】に渡すとされた弥勒菩薩のことです。
しかしながら、この地球が所属する太陽系でも誕生してから約46億年と言われており、人類の歴史などたかが知れたものです。一般的に仏教では、今の世は【末法】とされる時期であり、末法は長ければ一万年続いてこの世は終わるとされているのに、56億7千万などの数字はどこから出たのかとなります。私は末法は一万年の予定であったが、八千年縮めたと出た時、エッー!となりました。すると、今じゃないかです。
が、大本教神諭予告【九つ花】を紐解くと、そこに【みろく】の仕組と【お釈迦様の悟り】と【56億7千万の数字】が見事に浮かび上がって来るのです。

ただ、その大本教神諭が予告した【九つ花】を「誠」で紐解けと言われても、誰をもってしても解けるものではありませんでした。それは単なる数字の羅列だからです。言で成るを知らないと難しいのです。

今の世を終える前、人類を未来の世に渡すのが【みろく】の存在

大本教が日本神道でありながら、仏教の【みろく】を表に出したのは、大本教そのものは世の立替論で、今の世が終わるとまでは告げませんでしたが、みろくの仕組が紐解かれることは今の世は終わって【未来】にと向かうので、「みのおわり」そのものを告げるなのです。
実によく出来た【神芝居】の筋書きがなされたのです。

だが、正しき心で創造神の存在を信じる人達は何の心配もないのです。私が子供の頃に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【この世の舞台が終われば、そういうことだったのかと神々も人民もこの神の仕組に驚いて、この私に大喝采をして、この神の栄誉を称えるであろう。しかし、その途中の筋書きはそなたにも教えぬ】でした。

私は、その人民も神々も創造神に対して歓声や大喝采のビジョンは見ましたが、そこに至る迄の過程は見ておりませんので説明は出来ません。ただ、豊受姫が私に言われた【貴方は立替の大嵐の中を突破する】が本当に出来るのだろうかとは思っています。その時にはかなりの覚悟が必要だと思われるからです。

大本教神諭が予告した【九つ花】とは数列と言霊の仕組でしかありません。しかしながら、その解読をさせる為の言葉の仕組とは、大本教神諭にある「三千」年の月日を要したなのです。
その為に「モーゼ」も「イエス」も「お釈迦さま」まで、その日本語による言葉の仕組の為に出られたとも言えますし、この地球が365.22日で運行しているのも、霊界物語を読めばそこに必然性があったとなります。
私はこの言葉を仕組んだ神はとんでもない神だと言うのは、その仕組が日本の神社や仏閣に鎮まる神霊の力では組み立てそのものが不可能だからです。

ただ、大本教神諭には【世の立替があることはどの神もご存知なれど】とありますが、現実には立替って何だ?。そうした神霊ばかりであり、神界上層部の神霊達は立替を言われても、末端の神霊界に行き届いていない有様を見ると、それが本当に起きるとは断言は出来かねます。どうしても警告の【注意喚起】で終わってしまいます。
​為には何も解っていない。解ろうとしない末端神界の神霊は大掃除をしなければならなくなるからです。それには力の発動が欠かせないからです。

私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から【私はこの世の幕を引く】と告げられました。だが、それは単に【人類の滅亡】を意味した物ではなくて、その次に【嬉し嬉しの永遠の世が訪れる】為の「今の世の幕引き」であるとも教えられました。
ただ、その嬉し嬉しの永遠の世とは、この地球上で展開されるのではなくて、聖書のヨハネの黙示録に記載される【今の天地は滅びて、私は新しい天地を見た】の方です。だが、それはあまりにも途方も無いことであり、既存の神霊や天使と称する霊達が語れるようなものでもありません。

私自身はこの世に何の未練も執着もありません。それは何故かと言った時、別にこの世では苦労ばかりであったからという理由ではなくて、私のこの世に出る前の【天の御国】の仲間達との記憶であり、その仲間達の前に【ただいま帰りました】と言いたいからです。また仲間達と【再会】したいなのです。その仲間達への土産話は、この世での私の体験話と言えます。
ただ、私が苦慮するのは中有界の霊でも、この世の人でも【神の御国】に案内しようとした時、どの霊も人も自分の概念の決めつけを起こして来ると、霊界の霊壁を越えて神の御国に導いてあげることが非常に難しいのです。私でも神霊でも言う言葉にそんな方法では登れないと反発すれば霊壁が越えられないなのです。
 
この霊界の【霊壁】を超える方法は、霊壁の存在すらスピリチュアルでも宗教でも説いてはいません。私の最初の師匠はそんな霊壁は存在しないと言うので、私は師匠が霊壁を知らないことに首を傾げて、他の霊能力がある人を当たったところ、幾多の方がこの霊界の【霊壁】を超えておられました。それらの方達がその霊壁を越えられた方法は、私が説く登る方法でした。
そうした方達は基本的に自己の内在神であるところの正守護神とか本守護神が表に出ておられるのです。その指導の下です。ですから、その言葉に素直に従えるから霊界の霊壁を越えられるなのです。外在神ではそれを教えるとは限りませんので危ないともなるのです。
私の最初の師匠は豊受姫様の御代でもその霊壁を知らず。豊受姫の分魂を貰っておられた2名の女性はその霊壁の存在を知っておられて、その登り方も知っておられたからです。だが神霊の御代に成るような方であれば、その神霊の言葉に反発されないので、その時にはその登り方に疑問を持たずにその言葉通りに従われるでしょう。
 
この世では、パワハラとか些細なことに揚げ足を取って他人を攻撃したり、自己の魂を磨こうとせずに他人に嫉妬ばかりしている人達。自己中心主義がはなはなだしくなって来ています。天国天人達の生き方とは真逆の生き方なのです。
私達がこの世で生きていられる時間など霊界時間らからすると僅かな時間にしか過ぎません。その僅かな時間に出来るだけ魂の修学をしなければならないのに、いくら便利といえどもスマホの【SNS】にしがみついて時間の浪費をする。歩きスマホ等他人の迷惑を何も考えない。車を運転しながらスマホをいじって交通事故を起こして他人を死なせる。最低のマナーも忘れたそんな世の中に辟易しています。
私はスマホが出て来た時、非常に便利な道具だが使い方を一歩間違えれば自分の魂を地獄行きに誘発させかねない危険な道具と感じました。図星になって来ています。覚醒剤中毒、酒中毒、パチンコ中毒と並ぶ自己の魂を崩壊させるスマホ中毒です。
​邪神界は多くの人が邪悪に走って多数派を取れば、天は何も動かないと読んでおられるようですが、天帝が腹を括ってしまわれたら、そう簡単に問屋は卸さないのです。

 
そうした人達の外見は人の姿をしていても、その魂は【毛物(獣)】と化した様な人達が増えたと言わざる得ません。
いくら外見は取り繕っても、魂の正体までは隠せないからです。
 
この世は魂の修行場であり【天人の苗床】でなければならないのに、今では地獄行きの【塾】となって来ている有様なのです。
 
もうこの世は【魂の修学の場】でも、天人の苗床でもなく
地獄行きの予備軍の養成所と化して来ています
魂の修学場としては、もうこの世の幕の閉め時とは言えます

しかしながら、貴方は本当にそんな途方もないことが起きると信じているのですかと尋ねられたならば、別に信じているではないのです。
言葉の仕組を見せられると、可能性が「0」でないならば、それに対して【警告】を発するバカがいてもいいと思っているだけです。如何なる天変地異も【心に準備】があるのとないのとでは、霊界に渡る時に違いが起きて来るからです。そこには【天地の差】が生じます。死の時に恐怖心を持つと、それが魂のトラウマになるからです。
 
その中で、私は
 
①全人類の魂を肉体から切り放てば、この世の幕が降りるは解りました。肉体と魂が繋がる霊子(たまのこ)線の存在からです。魂が抜けた肉体社会など、時間の問題で終わります。
この霊子(たまのこ)線の存在に関しては、大本教霊界物語や日月神示にもあろうかと思います。またスピリチュアルでも、多くの霊感者がシルバーコードとして知るものです。但し、全てがシルバー色ではないのです。
時に【神罰】と呼ばれる事柄があります。神霊によっては「この世の命」を取られる事が希にあります。その時、何が起きているのかとなりますと、この霊子(たまのこ)線が神霊により強制切断されるがあります。
外的死因としては心筋梗塞などの心臓発作で亡くなった等ですが、神霊が神罰を与えた時などに起きてはいます。 ですから、全人類の霊子(たまのこ)線の切断そのものは不可能ではないのです。
 
②聖書に記載される太陽も月も星も何の光も輝かないとは少しは違いますが、私達の目で見ている世界を何の光も見えない【真っ暗闇】にさせる物が仕組まれていることも知りました。一種の目隠し【シャッター】です。これも全人類に対して出来るのです。不可能ではありません。
それを短時間で留めるのか、それとも長々と続けるのとでは違いますが、少し長くすれば人間社会は確実に崩壊します。助けを求めても、光が存在していても私達の目が開いていても、そこは光が見えない目隠しシャッター幕により、光がまったく見えない闇世界なのです。立って歩くのは難しいので四つ足になって、暗闇で食べ物を求めなければならなくなります。誰も助けようがないのです。神のみです。
これは私の妄想ではなくて、私と同様にその目隠し【シャッター】による暗闇世界を体験された方達は存在しています。この恐怖は味わった者でないと解らないかも知れません。
 
自分はそうしたことを体験したことがないので、貴方の言うことなど信じませんと返されても結構です。それを味わったら解ることだからです。味わったことがない人にいくら理解しなさいと言っても無理です。しかし、それが起きた時、そうしたことがあると知っておけばパニックにはなりません。暗闇シャッターが開く時間を待つ余裕も出ます。
ただ、その時に神よ!。お赦しくださいといくら祈っても、聞いて貰えるかどうかなのです。他に暗闇世界として【無間地獄】が存在して来ます。ここに落とされたら、暗闇世界が延々と続くことになりかねません。
一部のスピリチュアルの方達は、神は愛だから何をしても赦されると説かれますが、それならば「無間地獄」など存在していることがおかしいとなります。
 
③天の岩戸開けと予告されたことは、全ての人の魂の中に「核」として【真性天照大御神】が存在しているなのです。魂の内部から放たれた火(光)は魂の汚れを焼き尽くす光のことです。それが自己の魂の中に仕舞われているのです。それが起きれば実に恐ろしいことになるのです。
 
この世の幕を降ろすは、創造神からすれば不可能ではないのだが⁉
 
私は優れた霊能者の方であれば、①と②のことは解っておられると思います。だが、それが【世の立替】時に一斉に行われる可能性までは、誰も頭が回らなかったと思います。どうしても【天変地異】の様なことが起きてこの世は終わると思っているからです。霊界にあるビジョンにはそうした【天変地異】はありますが、起きると断言も出来ないことでもあるのです。
③に関しては、私の最初の師匠は日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しないと豊受姫から聞かれておられましたが、まさか、天の岩戸開け神話は魂の【核】たる光を開けることだとは、ほとんどの方は思ってもおられなかったでしょう。
 
スピリチュアルでどこそこの神社に行ったら、神霊と呼ばれる存在と会話が出来た。その姿が見えたなどは霊人が存在することの証明ですが、世の立替に関してはほとんど意味をなさないのです。
その時には、それらの神社の御神霊は何の助けの力にもならないからです。神社や仏閣に鎮まっている御神霊そのものも、創造神の裁きの判定の下に置かれてしまうからです。為に、大本教は【三千世界】にそれが起きると宣伝したと言えます。

 
私が途方も無いと言うのは、新しい神の御国がこの地球上ではなくて、この地球と同型の地球船が存在していると言われたことなのです。そんな、この地球と同型の地球船がどこにあるのかです。天文学でいくらその存在を調べてもそんな地球はありません。果たして物理的に存在しているのかです。
それに関しては天文学者でも調べようがない異次元の話となります。その新しい地球、もう一つの地球を語る霊能者の方達は、その地球は高次元界に存在していて、科学とか物理では解らない世界に存するといいます。その存在を肯定する霊能者の人達は少しは居られるわけです。
ただ、それは信じる信じないの問題になると、かなり難しいとは言えます。
 
この新地球を知る霊能力者達の話をまとめると、元々は七次元界に隠されていた予備地球を五次元界まで降ろして、三次元界に居た人類を五次元界に上げて、その五次元の新し地球の天地に移すなのです。
 
大本教神諭 明治31年旧12月26日
【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ】とあります。
一般的に考えればその人物は大本教の出口王仁三郎聖師さんを指すと考えるべきことですが、何故か出口王仁三郎聖師さんは創造神の大望を述べてはおられません。
 
また、たった一人の「誠」の人が出て来ても、何の力も持たないでは、こりゃなんだとなります。
 
優秀な霊能者でも七次元界以上に関わるのはかなり難しく、その地球の確認は難しいとなりますが、その地球が五次元界まで降りて来るとその存在が神々や霊能者には解って来るとなります。
一般的にスピリチュアルではこの地球が五次元界に進むが定番ですが、その五次元界で新地球に【乗り換える】もあり得るなのです。
 
スピリチュアルでも弥勒の世が【五次元世界】と言われるのは同じですが、スピリチュアルの方達は、何も心配しなくてもこの地球が自然に【五次元界】に行くのですと言われます。それならば、最後の審判も立替も起きません。事態は変わりません。
それは【プラットホーム】の考え方を異にしているからです。この地球そのもはプラットホームが【三次元界】でも、それに四次元界、五次元界を地球の上層部霊界に併発しています。日月神示にある【三四五(みよいづ)】です。たぶん、一部の六次元界と七次元界も併発はしているのでしょう。
その既存の四次元界五次元界に行くにしても、今の肉体という服を脱がないと行けません。今の世の肉体がある身でも、霊能力があれば短時間ならば四次元界五次元界に魂を飛ばして行くことは出来ますが、肉体という服を着用したままで四次元界五次元界には行けていないのです。
それは霊的世界に関わっているならば解りきっていることなのです。なのに、スピリチュアルを標榜する人達の中には、それを無視したことを平気で言う方があるのです。
 
確かに、いくらヨハネの黙示録にあるとしても、これまでの天地は消えて、私は新しい天地を見た。いくら霊が見えるとか霊と会話が出来るであっても、そんなビジョンを見るなどはないわけです。考えも及ばないことと言えます。
それに対して、新しい天地を形成する新地球ではプラットホームそのものが五次元界になるのです。上層界に六次元界七次元界を併発しますので【五六七(みろく)】の世となります。それに、今度は一部の八次元界九次元界も併発されていると考えられます。 ですから、各自の魂の【行く先の審査】が行われるなのです。その審査が輪廻転生の最終審査なので、そこから先が【永遠の世】と呼ばれるわけです。
 
これまでの世は【三四五】なので、六七界に創造神を見ず
みろくの世は【五六七】なので、八九界で創造神を見る
 
創造神とは、自分はこの世で苦しんでいます。どうか自分を助けてくださいとお願いする神ではありません。自分がその神の一介の僕(しもべ)として、どれだけ働けるかなのです。
自分がこの世で受けている苦しみの原因の多くは、【自分の過去世の罪による】ものが大きいのです。前世の罪の償いとして、その罪分を払いましょうで、祓うではなく払うなのです。
スピリチュアルでは、自分の過去世の罪である【カルマ】に面と向かって言う方が皆無に近いのです。人は今生のみならず、前世・過去・未来と進む為には自己の【カルマ】を解消しない限り、【高次元世界に進む】などは絵に描いた餅に等しいのです。
 
私が12回に渡り、本当に世の立替、天の岩戸開けなどがあるかの記事を書いたのは、私が神霊世界に関わった中でのものであり、絶対に起きるという予言でもありません。ただ、誰かがこうしたことを言葉で【仕組】しているなのです。
 
お前は悪神に騙されているのだと言われたならば、そうかも知れません。ただ、私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人にはその仕組を見せる。そなたはそれを紐解いて人々に告げなさい】と言われたことをしているのです。
私はその言葉の仕組を見て、これは伊勢神宮の天照大御神とか出雲の大国主命様とかの段階ではない神の存在だと言うのです。
例え、その声の主は私を【騙して】いる存在なのかも知れませんが、この仕組は既存の御神霊では無理だと解った時、それが悪神だとしても、それを超えれるだけの神が存在するのかと、逆に問いたいのです。既存の御神霊など、全て吹っ飛ばされてしまうでしょう。
しかし、私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【そなたには何一つこの神の力を与えない。そなたにこの神の力を授けるのは最後の最後の時である】と告げられて、言葉の紐解きしか出来ないことから何の霊力も無いのかとバカにされて来たとは言えます。
 
悔しかったら、力で押して来いです。
 
そう言われたら、私には返す言葉も何も為す全てはありません。その言葉の仕組をした神に騙されているのだと言われる言葉を受け止めるより道はありません。

 
私が出雲大社教の先生の元に相談に行った時、その出雲大社教の先生が出雲大社から考えられない内容が降りていますと言われます。それは、私が出雲大社教に転じたならば全出雲神界の力を貴方に渡しますと言われていますです。考えられない内容に出雲大社教の先生は驚かれたのです。
出雲大社教の先生が言われるのですから、そうした内容が出雲大社から降りたのでしょう。
 
もし私が神の力を欲しかったならば、出雲大社教に転じる道もありました。伊勢神宮に転じる道もあったのです。だが、私は出雲大社教にも伊勢神宮にも転じるなどはありません。私はそうした神々の宣伝マンではないからです。この日本に満ちあふれているものから「仕組」を解読する役だからです。
私が言葉の仕組の解説を出したことは、私が最初の者であり、そして私をもって終わるでしょう。誰も【言葉の仕組】などに気づくことがないからです。
 
また、最初は興味を持って言葉の仕組に取り組んでも、霊が見えるとか霊の声が聞こえるとなると、どうしてもそちらに興味が行きます。現在の霊界には聖書にある【龍神とは霊界で年老いた蛇霊】が存在していて、単に霊が見えるとか霊と会話が出来る程度では太刀打ちなど出来ないのです。
なまじ「心が綺麗」だけでは、それを打ち破れないのです。蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊とされる神霊の段階を超えないと、【真理】は掴めないのです。

私が何故にこうした【言葉の仕組】を今日まで紐解いて来たのか?。世間一般論として見れば実にバカバカしい内容ですが、日本語という言葉だけであっても、長年に渡ってそれを仕組んだ神が存在するなのです。
大本教神諭には【三千年に渡って仕組んだ】とありますが、遙かなる昔から仕組んできた存在があるなのです。
 
スピリチュアルの世界では「霊の姿が見える。聞こえる」に主眼に置かれていますが、大本教神諭に次の様なものがあります。
明治38年旧4月16日
【帰神(かんがかり)ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集まり来るなれど、余り碌な神は出てこんから、終いには山師、飯綱使い、悪魔使いと言われて、一代思はくは立たんぞよ。】
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けの話は、この私が「予言」の為に仕組んだものであり、そなたはその意味を解読して世に告げなさい】でした。
 
ですから、今回その分だけを告げました。
 
実際に立替が起きるかどうか解らぬことであり、まして新地球など途方もない話になります。別に私が解いて【言葉の仕組】から来た事柄を信じて貰わなくても結構なのです。
 
信じる信じないは各自の自由であり、創造神もそれを強制されないからです。
言葉で仕組まれたものを見て、自分はどうするかは各自の自由です。
ただ、その時になって後悔の涙を流しても、その時には遅い。それだけなのです。

<転載終了>