ちこたんさんより情報を頂きました。
ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ合衆国大統領は、UFOとアルザルの教会員の正体を公表しようとして秘密結社に殺されました。
しかし、第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワーのときは、自ら大統領の辞任を決意しテレビ放送を通じて、秘密結社のシークレット・ガバメントの存在とその危険を警告しました。
大統領を辞任ししがらみから逃れるとき、それまでいえなかったことを暴露したのです。
それは、この地上で唯一真のイエス・キリストの教会である末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒で農務長官を務め終えていたエズラ・タフト・ベンソンがいたから暗殺されずに公表できました。
ロックフェラー家の陰謀を暴露した本『インサイダー』(英語版 None Dare Call It Conspiracy)では、アイゼンハワー大統領は大統領解任後の演説でアメリカが軍隊を強化していくなら、世界にとって危険な国となることを表明しました。
エズラ・タフト・ベンソン長老は、「私は自由世界のあらゆる国のあらゆる住民と鉄のカーテン(東欧共産圏と西欧諸国とを政治的・思想的に隔てた障壁)後のあらゆる奴隷のように働く者が、この本を読むことを願う」と推薦の言葉を付けました。(Beach, California: Concord Press, 1971 Back Cover)
十二使徒で農務長官だったころにエズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「主は預言者にアメリカ合衆国に関係のあるもっとも大きな脅威の広大で世界的な『秘密結社』がアメリカ合衆国を脅かすだけでなく『あらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする』と明らかにしました。(エテル 8:25)」 (総大会 1961年10月)
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1063941875.html
<転載開始>
行方の知れない10部族と月の住人 2/3

1969年7月、アポロ11号は月の「静かの海」に着陸しました。
そののち5回にわたって宇宙飛行士たちが月に降り立ち科学的な調査やサンプルの回収などを進めました。

アポロ疑惑といわれる「疑惑」のポイントはこうです。
ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ合衆国大統領は、UFOとアルザルの教会員の正体を公表しようとして秘密結社に殺されました。
しかし、第34代アメリカ合衆国大統領ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワーのときは、自ら大統領の辞任を決意しテレビ放送を通じて、秘密結社のシークレット・ガバメントの存在とその危険を警告しました。
大統領を辞任ししがらみから逃れるとき、それまでいえなかったことを暴露したのです。
それは、この地上で唯一真のイエス・キリストの教会である末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒で農務長官を務め終えていたエズラ・タフト・ベンソンがいたから暗殺されずに公表できました。
ロックフェラー家の陰謀を暴露した本『インサイダー』(英語版 None Dare Call It Conspiracy)では、アイゼンハワー大統領は大統領解任後の演説でアメリカが軍隊を強化していくなら、世界にとって危険な国となることを表明しました。
エズラ・タフト・ベンソン長老は、「私は自由世界のあらゆる国のあらゆる住民と鉄のカーテン(東欧共産圏と西欧諸国とを政治的・思想的に隔てた障壁)後のあらゆる奴隷のように働く者が、この本を読むことを願う」と推薦の言葉を付けました。(Beach, California: Concord Press, 1971 Back Cover)
十二使徒で農務長官だったころにエズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「主は預言者にアメリカ合衆国に関係のあるもっとも大きな脅威の広大で世界的な『秘密結社』がアメリカ合衆国を脅かすだけでなく『あらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする』と明らかにしました。(エテル 8:25)」 (総大会 1961年10月)
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1063941875.html
<転載開始>
行方の知れない10部族と月の住人 2/3

1969年7月、アポロ11号は月の「静かの海」に着陸しました。
そののち5回にわたって宇宙飛行士たちが月に降り立ち科学的な調査やサンプルの回収などを進めました。

アポロ疑惑といわれる「疑惑」のポイントはこうです。
① 大気のない月面で星条旗がはためいている。
② 太陽光以外の光源があるとしか考えられないような不自然な影が多数見られる。
平面に伸びる影が同じ方向を向いていなかったり、2人の宇宙飛行士の影の長さが異なったり旗の影がなかったりする。


月は真空状態なので、コントラストが強まり陰になっている部分は真っ暗になる。
ところが、逆光になっている宇宙飛行士や着陸船が明るく写っており、補助照明があったとしか考えられない画像がある。
③ 月面写真の空には星が写っていない。

④ 同一の背景を持つ2つの写真で1つは月着陸船が写っており、もう1つは月着陸船が写っていない。
月着陸船がまったく写っていない状況はありえず、スタジオで撮られた可能性が高い。
月に行ったアポロの写真のいくつかは同一の背景を持っています。
アポロ月着陸船の写真もその1つで下に見ることができます。

ここでポイントは「同一の背景」を持つ2つの写真についてで、1つは(左)、それらの背景に山が写っており、月着陸船を手前に写したもので、 別の物(右)は背景には同じ山があり、着陸船のない物です。
もちろん宇宙飛行士は、着陸する前にいずれかの写真を撮れるはずがありません。
そして、帰還の際に発射後、月着陸船の一番下の部分は残されたままにされるので、どのような場合でも2番目の写真(右)のような状態で前景に何もない状態はありえません。
山の背景は偽物のスタジオセットで撮られたものであって、別の写真(左)のためにNASAによって再利用されたことになります。
⑤ 月面の異なった場所で撮られたビデオ映像なのに、背景の丘や地面の石の配置が同じものがある。
⑥ 月着陸船の写真では、着陸船のロケット噴射でできるはずのクレーターが撮影されていない。
ロケット噴射でちりが吹き飛ばされたなら、宇宙飛行士の足跡がくっきりと残るのはおかしいし着陸船のパットがぴかぴかでちり一つないのはおかしい。
⑦ 月の重力は地球の6分の1で、それに応じて宇宙飛行士が歩行したり月面車が走ったりしているが、映像を倍速にすると地球上の動きと同じになる。
宇宙飛行士の肩から物が月面に落ちるときの落下スピードが、地球と同じである。
⑧ アポロ11号の月着陸時の音声に、ロケットのエンジン音が聞こえない。
これらの疑惑は、ただ1つ以外は解明されているとされています。
① 星条旗がはためいて見えるのは宇宙飛行士が行った演出。
② 複数の光源があったとしたら影も複数になるが、複数にはなっていません。
影の方向がばらばらなのは、月面は平らではなく起伏が激しいからです。
月面のちりはガラス成分が大量に含まれていて強く光を反射するからです。
それは雪原が太陽光を反射するようなもので「ハイリゲンシャイン」といわれます。
③ 月面は太陽の光を強く反射するため、カメラの露出を絞っていました。
その結果、わずかな光しか発しない星が、フィルムに感光しない事態になったのです。
「視差」の問題です。
④ 撮影場所を少し移動しても遠くの物体は、ほとんど位置が変わりません。
とくに月面では遠近感が狂い、必要以上に視差が強調されてしまうのです。
⑤ ビデオは映像と音声が別々に記録されていたが、ビデオを編集したときに誤って約1日前の音声をビデオに録音してしまったからです。
⑥ 月着陸船のロケット噴射はほとんど透明で、空気のない月では噴射された高熱のガスは瞬時に拡散します。
また着陸時にはスロットルが絞られ、推力1200kg程度になっていました。
これは1平方㎝あたり80gの圧力となり、この圧力ではクレーターはできません。
実際には噴射の痕跡のある写真も存在しています。
そして空気のない月ではちりは飛び散ってしまい舞い上がることがないため、着陸船のパットにちりが乗ることはないのです。
着陸船の周りでは飛び散ったちりが積もっていたこともあって、宇宙飛行士の足跡はくっきりと刻まれました。
⑦ それは印象の問題で、実際は倍速にしても地球上での映像には見えません。
月面車ローバーの車輪が巻き上げる砂は完璧な放物線を描いて落ちていますが、それはそこが真空状態であることを示しています。
実際は地球の重力で計算した場合でも計算は合いません。
宇宙飛行士が振り返ったとき、物が肩口から勢いよく落ちていることから見れば、落下するときに初速度がついていたのが原因です。
なおアポロ15号ではハンマーと鳥の羽が同時に落下する実験が行われていますが、それは空気抵抗のない月面である証拠です。
⑧ 月着陸時のエンジン音については、まったく説明していない。
月着陸のエンジン音は、空気の満ちた船内では轟音となるはずなのに、それがないのは明らかにおかしいです。
しかし、NASA側は、これを無視するように何の説明も出していません。
アポロ11号は、月に行きました。
アポロが月面に設置した観測機器は正常に作動し、7年間にわたって月の地震(月震)のデータを記録しています。
月面に設置されたレーザー光反射装置が存在することも事実です。
そして、380kgの月の石も持って帰りました。
月の石は、捏造された偽物だという意見もあります。 (参照)
アポロ11号の月着陸時の音声に、ロケットのエンジン音が聞こえないのはなぜでしょうか。
それは、公式発表よりも約1時間も早く月着陸が行われていたからです。
つまり、エンジンは切られていました。
そして、着陸時の映像を見ながら、アフレコでアームストロングが実況しました。
これは、世界へ月面着陸の成功をきれいな画像で送信したいための失敗時のフォローです。
アポロ11号の月面での活動は、アメリカで月が沈んだためオーストラリアのパークス天文台から中継されていました。
月への歴史的第一歩を記した直後のこと、アポロ11号からの実況映像が約2分間中断されます。
2分間のシャットダウン後の映像は、緊急時に備えていた別のVTRに差し替えられました。
世界に知られたくない物を隠すために、プラズマ兵器やプラズマ推進の宇宙船の機密がある軍事施設のエリア51で撮影された偽造映像を送っていのです。
当然、うその映像とばれないように月面での映像を混ぜています。
そして、日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の月周回衛星「かぐや」の映像は、アメリカが許可した画像で、JAXAは画像をアメリカに送って、アメリカが画像を加工して日本に送り返す画像です。
アポロは月へ行きました。
しかし偽造映像も存在しました。
偽造映像は、アポロの月面活動を隠す必要があったからです。
なぜなら、サンタクロースがそこに現れたからです。
公式発表では、2分間、月からの通信が完全に途絶えたことになっています。
しかし、オーストラリアのパークス天文台のある通信士がこの間のアームストロングと司令センターとの会話を傍受していました。
それが次の会話です。
アームストロング
「あれは何だ? あれはいったい何なんだ?
あれについてすべて知りたいんだ!」
ミッションコントロール
「何がそこにあるんだ?……故障(誤伝送)……ミッションコントロールからアポロ11へ……」
アポロ11
「これらの赤ん坊は……巨大だ!
sir!……でかい!……おやおや!
信じられないでしょうが!
……よその宇宙船がそこにいると言っているんだ!
……クレーターの端の遠方の側面の上に並んで!
そいつらは月の上にいてわれわれを見ている!」
一般の通信士が傍受したことに疑問が生じるかもしれませんが、こうした内容は当時のソ連も傍受していました。
NASAの正式発表では、この件についてはノーコメントです。
2006年7月24日、イギリスのチャンネル5の科学ドキュメンタリー番組『アポロ11号 明かされないストーリー』中で、アポロ11号の飛行士バズ・オルドリンが、ミッション中のUFO目撃を語りました。
オルドリンは言います。
「観測できるほど近くに、何かが存在した。
それには何の可能性があるか?」
そのドキュメンタリ番組中、彼は言います。
「そのときのわれわれ3人は、『おいヒューストン、われわれのすぐそばで何かが動いているぞ。それが何かはわれわれにはわからないが』とかいう内容を、うっかりしゃべるつもりは明白になかった。
なぜならその様な伝達は、あらゆる種類の人々、エイリアンやそのほかさまざまな理由でわれわれの帰還を要求するかもしれない誰かが、それを聞くかもしれないことを、われわれは知っていたからだ。」
NASAはUFOについて知っていましたが、その情報は隠蔽されていたと彼は語ります。


1969年、アポロ11号が遭遇したアルザル人のUFOです。
葉巻型母船とホームベース型小型船で、ぼやけて写っているのはプラズマにおおわれているからです。

1969年、ソ連のルナ15号からの撮影
サンタクロース
1968年、アポロ8号は人類史上初めて月の裏側を周回しました。
乗組員は、フランク・ボーマン船長、ジム・ラベル飛行士、ウィリアム・サンダース飛行士の計3名。
月は常に同じ面を地球に向けているため、それまで裏側を見た者は誰もいませんんでした。
アポロ8号は初めて月の裏側を見たのち、ヒューストンへの通信の中で衝撃的な発言をしました。
「みんなに伝えてくれ。サンタクロースに会ったぜ。」
NASAの用語には「サンタクロース」という単語はありません。
サンタクロースとは、UFOの隠語です。
それは、1987年、日本のテレビ番組に出演した元NASAのアポロ15号の飛行士ジェームズ・アーウィンは、「サンタクロース」はUFOを指す暗号だと肯定しました。
宇宙飛行士に規定されているエイリアンクラフトのコードは、地球圏、大気圏の中から400kmぐらいまでは「ボギー」、海抜4万kmを超えて、月の軌道上に行くまでの間は「スカンク」、月の軌道上では「クリスマスツリー」、そして月面では「サンタクロース」と呼び方が決まっています。
アポロ8号には緊急チャンネルが存在していて緊急チャンネルの記録を見ると、明らかにサンタクロースがジョークではないです。
ボーマン
「サンタクロースがつきまとっている!」
司令センター
「何機だ?」
ボーマン
「今は1機だけだが、あっという間に接近してきた。ものすごい光を放っている」
司令センター
「危険は感じるか?」
ボーマン
「いや、距離があるのでそれほど感じないが、サンタクロースも無理に接近してこない。じっと見ているという感じだ」
司令センター
「撮影しておいてくれ」
ボーマン
「了解」
ボーマン
「彼らは、月の裏側にいるんじゃない。表側にも掘削機がいくつも見えた」
司令センター
「大きさは、どのくらいだ?」
ボーマン
「あくまで目測だが、とにかく巨大な掘削機だ。地球で見るような規模じゃない。はるかに広範囲を1台で掘削しているのもいた。大きさは……駆逐艦くらいだろう」
司令センター
「了解」
宇宙飛行士が遭遇したUFO
アポロ12号から月面に降り立った飛行士は2人だけでした。
その2人が月の上を歩き回っていたとき、1人のバイザーに映っていた飛行士はカメラを持っていませんでした。
誰がその写真を撮ったのでしょうか。

一般に公開されている写真(画像上)では、月面の土を採取する月着陸船操縦士アラン・ビーンの写真を撮影したとされるコンラッド船長の姿がビーンのヘルメットに映っています。
2人きりの月面でバイザーに映ったコンラッド船長はカメラを持っていません。
上から2番目の画像は、2003年の初めごろにNASAのホームページにあった画像で現在ははありません。
なぜ、画像処理してもう1人を消す必要があったのでしょうか。
そして、月面で旗を立てる画像には人の影はあるのに旗の影がありません。
現在、月面着陸のオリジナルVTRは約700箱分が行方不明です。
NASAは1年以上も捜しましたが発見できませんでした。
ほかの映像データを上書きしたため消去されたともいわれています。
こんなばかげたうそは、もう絶対に映像は公表しないという意味です。
現在の技術では模造がばれるからです。
行方不明になったテープには映像や音声のほか、乗組員や宇宙船の状態などが記録されていました。


AS12-49-7324

AS12-49-7318

AS12-49-7319

AS12-48-7079

AS12-48-7080
連続写真には、頭上の光体が動き回っていることが判明しました。
手前の輝いている位置の上空から、飛行士の頭上へ光体が動いています。
宇宙飛行士の周りを光体が飛び回り一帯が光で溢れており、カメラの露出がおかしい光が溢れています。
明らかに太陽光線とは別の光源です。
光の位置から判断して飛行士の前方の位置で上空に滞空しているようです。
画像はUFOの光が映っている数十年にわたるNASAのプレスリリース用写真「JSC Digital Image Collection」では公開していない画像です。
発光体が目の前まで近づいてきたため、露出がおかしくなったと考えられます。
発光するUFOらしきものがうっすらと写っています。
宇宙飛行士は発光するUFOの出現を撮影し位置を変えて葉巻型の母船UFOを写しています。


月への着陸船のガラス窓にエイリアンクラフト。



現在、月の内部は空洞であり、エイリアンたちは月内部にも基地を築いています。
天地創造と地球のバプテスマ
ケネディ大統領殺害の真相
ジョン・F・ケネディ (JFK 1917年5月29日‐1963年11月22日)は、第35代アメリカ合衆国大統領です。

在任中は、アメリカのすぐ南に位置するキューバを挟んで、1962年10月15日から13日間にわたって米ソ間の冷戦の緊張が核戦争寸前までたっした危機的な状況のキューバ危機の際に、米ソ間の緊張が最高潮にたっしました。
「第三次世界大戦勃発の危機」「米ソ全面核戦争の危機」と騒がれる中で事態を収拾し、米ソ全面衝突を回避したことなどで知られますが、同時期にベトナムへの軍事介入拡大を招きました。
一般的には清新なイメージのリベラル派とされ、アメリカ国民からの期待も高かった大統領でしたが、任期なかばの1963年にテキサス州のダラスにて暗殺されました。
リベラル派(自由主義)とは、政治思想の1つで、リベラル・リベラリズムともいいます。
現代の自由主義は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいいます。
アメリカでは建国以来の伝統的保守自由主義に対する民主党の社会民主主義的な思想を持つ人々を指して「リベラル」と呼称することが多いです。

1963年11月22日、アメリカ、テキサス州ダラスでケネディが市内をパレード中に銃撃され殺されました。
ケネディ大統領暗殺事件

シークレット・ガバメント
陰謀史観好きの人間にしてみれば、世界を支配している連中とくれば、ユダヤ人からフリーメイソンリー、イルミナティ、三百人委員会と、さまざまな組織や団体の名称が思い浮かぶでしょう。
しかし、世界はもっと現実的です。
陰謀組織を考える前に、もっと重要なことがあります。
世界で最も軍事力を持っているのは、アメリカです。
国家を運営するためには、経済力が不可欠で、経済を担うのは企業です。
企業の発言は国家の行方を左右するので、経済界の実力者が政治的な発言力を持つのは当たり前です。
アメリカを動かしているのは、確かにそうした経済界の人々の発言力はあります。
しかし、現実的に力を持っているのは軍産複合体の上層部のシークレット・ガバメントです。
第二次大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発をしてきました。
そこで得た研究成果は、ダウ・ケミカル社、デュポン、ロッキードなどに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産します。
シークレット・ガバメントは、アメリカ合衆国を支配しています。
国を動かすのは、政治家です。
国民によって選ばれた政治家は、そのためにあり、それが民主主義国家です。
それは、民主主義の悪い面もあります。
衆愚政治、金権政治になり、贈収賄といった腐敗が進み、暴力団、マフィアとの関係ができます。
大衆がこの世の価値観内である限り、理想的な民主主義国家などありません。
この世の価値観内では、経済に博愛、人道主義が入る余地はありません。
すべては経済的な価値で計られます。
社会で、最も高価な値段で取り引きされている商品は「軍事兵器」で、世界の経済を支えているのは軍需産業です。
軍需産業だからといって、別にミサイルや戦闘機だけを造っているわけではありません。
いわばメーカーとよばれる企業は、多かれ少なかれ軍需産業にかかわっています。
日本の企業も、しっかりと軍需産業の一端を担っています。
三菱は戦闘機から戦車、そしてミサイルまで技術協力しているほか、電子機器という意味では、ソニー、パナソニックが少なからずかかわっています。
人を殺す、街を破壊するための兵器を造り、売る、兵器が戦争で消費され、また兵器が買われることによって軍需産業は潤います。
結果として、それが経済に反映し、好景気を生みます。
平和を訴えれば、あなたはすぐにでも正義の味方になれますが、問題の根本的な解決にはなりません。
なぜなら、これはこの世の社会構造だからで、構造は、個人の意思や主張とは無関係なのです。

軍需産業と軍部が直結したものが「軍産複合体」です。
軍需産業に従事している人々の多くは平和主義者でしょう。
しかし、組織を生かすためには、数年に一度は戦争が必要なのです。
それは、単に利益を追求する企業ではありません。
利益を国家が生み出すのです。
世界のどこかで戦争を起こすことで、軍産複合体は生き長らえるのです。
軍産複合体が生き残るためには、兵器の需要が何よりも必要で、兵器を消費する戦争が不可欠なのです。
軍用機を販売しているロッキード・マーティンが、人員削減しなければならないという苦境がリークされた2012年7月19日に、アメリカ国務省はテロ活動の警戒情報を新たに出しました。
2013年3月1日からアメリカで歳出強制削減で軍事費が大幅削減されることに決定すると、4月15日にはボストンマラソン爆弾テロ事件が起きて多くの市民が死傷しています。
アメリカ国民と議員は、軍事力を減らすべきではないと思い、戦争に正当性を感じるでしょう。
軍需産業の上層部のシークレット・ガバメントは、多くの大会社を持っている世界的な大富豪です。
軍需産業以外の会社も多数あり、軍産複合体の主とは思われず、普通の企業のオーナーとしてしか認識されていない場合が多いです。
シークレット・ガバメントは、ロックフェラー家、ロスチャイルド家などの国際金融資本家を中心にして、軍の高官と軍需産業のトップ、金融、石油、鉱物、コンピューター、マスメディアなどの巨大企業の組織体で構成された「軍産複合体」の上層部です。
シークレット・ガバメントの中枢には、第二次世界大戦以前からアメリカ政府と密接な協力関係にあった超大富豪ジョン・D・ロックフェラーの孫、共和党議員および副大統領にもなったネルソン・A・ロックフェラーが就任。
現在は、外交問題評議会(CFR)や日米欧三極委員会(TLC)の理事長を務めたデイヴィッド・ロックフェラーが中枢に座っています。
陰謀論において、フリーメイソンリーやイルミナティといった秘密組織のトップとして、ロックフェラーとロスチャイルドの名前が出ます。
しかし、それは陰謀論者を利用するシークレット・ガバメントの戦略です。
多くの組織や団体に所属することによって、自分の行いを隠しているのです。
批判を組織に向けさせるのです。
陰謀論者は、罠にかかりだまされているのです。
シークレット・ガバメントは、想像を絶するような巨額の資金を動かし、政治、経済を動かし、軍を動かし、全世界をも動かします。
シークレット・ガバメントの存在そのものは合法ですが、ロックフェラーやロスチャイルドらの巨大財閥や各メディアのメジャー企業が軍部と強力な癒着関係にあることは、知られてはならないことです。
しかも、アメリカ大統領以上の力を持つのは、民主主義の国家にあって絶対に知られてはならないのです。
1800年代、政府は富が一握りの人々の手に集積することを放置し不平などが急拡大しました。
1906年の組合の時代が終焉するころには、アメリカ国内の60%の富がわずか1%の人々の手に集中していました。
ジョン・D・ロックフェラーやJ・P・モルガンのような億万長者の手に集中していたのです。

ロックフェラー財閥の創始者、ジョン・D・ロックフェラー(1839年‐1937年) は、一代で世界最大の財閥を築いた「石油王」として知られています。
「石油王」というと、オイルラッシュのときに次々と油田を掘り当てて、巨万の富を獲得した強運な人といった感じがしますが、自身が油田を発見したことは一度もありませんでした。
1848年ごろにアメリカ合衆国のカリフォルニアで起きた新しく金が発見された地へ金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到するゴールドラッシュから10年後の1859年にアメリカ、ペンシルベニア州で世界で最初の油田が発見されました。
1870年、スタンダード・オイルを設立し、全米の石油市場の80%を押さえる独占状態になっていきました。
1890年、ロックフェラー財閥を標的にした独占禁止の法律により、1911年、スタンダード・オイル社に対して、最高裁が解体命令を出します。
しかし、解体されたはずのスタンダード・オイルの各社は、エッソ、モービル、ソーカル(のちのシェブロン)と名前を変えました。
そして、ロックフェラー自身が筆頭株主のこの3社は、国際石油資本として世界の石油市場を支配しました。
そののち、1900年ごろから世界中でオイルラッシュが続き石油会社が乱立しました。
ネルソン・A・ロックフェラー(1908年‐1979年)はロックフェラー財閥の莫大な資金から、1913年、ロックフェラー財団を設立しました。
社会事業や国際文化事業に乗りだし、ニューヨーク州知事およびアメリカ合衆国第41代副大統領にもなりました。
ロックフェラー財団は、とくに科学と医学の分野においは目覚しい業績を上げ、莫大な利益を得ています。
ロックフェラーが財団を設立した理由は、税金対策、遺産税対策でもあります。
現代の価値に換算すると20兆円以上の資産ががロックフェラーの財産のまま子供に遺産として受け継がれることになると、半分は遺産税として国に徴収されます。
信託財産として資産を財団に移動すると遺産税などの課税を免れ、その額が減ることはありません。
そして、信託基金を運用して得られた収入からロックフェラーの子孫は元本をだけを受け継ぎます。
さらに、これらの資産を持つ財団の運営権はロックフェラーが持つことになるのです。
アメリカでは当時の所得税の最高税率は所得税70%、法人税20%と定められていました。
一方で、宗教・慈善・科学・教育を目的として運営されている公益的な団体には税金がかかりませんでした。
したがって、公益的な活動を行う財団を設立すれば、財団に自己の財産を移動することにより所得税額の減免を得ることができました。
この免税措置を利用すれば、同業他社に対して競争上かなり有利な立場に立つことができ、免税の適用を受けた財団に対する個人の寄付について、所得から寄付額の控除が認められました。
この寄付を受ける側だけでなく、寄付する側にも免税待遇が与えられるという二重の免税によって、財団は設立されました。
1921年、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つ超党派の組織である外交問題評議会(CFR)が設立されました。
外交問題評議会(CFR)は、アメリカを政治的、経済的に支配する「見えざる政府」や「ロックフェラー国務省」とかよばれています。
CFRは国際金融、産業、学問、政治、財団、マスメディア、労働界の各分野のアメリカの工リートを会員としており、第一次大戦以後のアメリカの全外交政策を決定したのみならず、大統領以下の政府要職の大部分を送り出しました。

そして、創設にはデイヴィッド・ロックフェラーがCFRのトップの名誉会長になり、ロスチャイルドのアメリカ総支配人ポール・ウォーバーグも参加しました。
CFRはロックフェラー帝国の参謀本部として成長し、アメリカにおけるロックフェラーの影響力が確立されました。
CFRの目的は、アメリカの主権と国家の独立性を廃止して、この上なく強力で専制的な世界政府に譲り渡すことです。
1973年、日本・北米・ヨーロッパからの参加者が会談する私的組織であり、民間における非営利の政策協議グループである日米欧三極委員会(TLC)の理事長をデイヴィッド・ロックフェラーが務め、世界のすべての国家、すべての人々が、1つの集合体であるという考えを世界中の大衆に植えつける活動をしています。
ロックフェラー、ロスチャイルドを中心とする国際金融資本家のFRBがアメリカを政治的、経済的に支配するために作った外交問題評議会CFR、その欧米版であるビルダーバーグ会議、世界版である三極委員会で世界を動かしていくのです。
1973年にデイヴィッド・ロックフェラーが創設した三極委員会は、いわゆる陰謀論者の間では新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー、NWO)の実現を推進するための組織であるとささやかれてきました。
2002年に出版された自叙伝『Memoirs(ロックフェラー回顧録)』の中で、次のように述べています。
「私がアメリカ国民の利益に反して秘密結社の一員として働いている国際主義者で、政治的、経済的により統合された世界政府の樹立を画策しているのだと信じている人々が一部にいる。
もしその計画が罪であるというのならば確かに私は有罪であるが、それは誇らしいことだ。」

アメリカにとって戦争は公共事業であり、絶えず戦争をしないと国家財政が破綻します。
無知な日本人の多くは連邦準備制度(FRB)をアメリカ政府の機関だと思っていますが、ロックフェラーの所有であり、ロックフェラーは好きなだけお金を作れるということを意味しています。
20世紀初頭は、アメリカ国立銀行に準じる連邦準備制度(FRS)を設立してロックフェラー、モルガン、ロスチャイルドが大株主になります。

1913年、ウッドロウ・ウィルソン大統領がやや強引に、アメリカに連邦準備制度(FRS)を設立しました。
大統領選挙から、ウッドロウ・ウィルソンを支援していたのは、ポール・ウォーバーグとジェイコブ・シフでクーン・ローブ商会の共同経営者でした。
連邦準備制度(FRS)の国際金融資本家は、お金を刷れば刷るほど儲かるシステムです。
アメリカの憲法1条にもあるように、貨幣の発行権は、アメリカの議会だけが独占的に持っています。
したがって、民間会社の連邦準備制度理事会(FRB)は、貨幣の発行はできません。
そこで、政府が差し入れる「利子がつく巨額国債」の代償として通貨である「利子がつかない小額に分割された国債」を発行することで通貨供給を行います。
ドル紙幣が憲法に抵触しないために、ドル紙幣は通貨・銀行券ではなく、無利子の小口国債である連邦準備券という名目にしたのです。
ドル紙幣の表側には「Federal Reserve Note」と印刷されており、連邦準備制度(FRS)の小口の債権証書(利子の付かないFRBの社債)なのです。
アメリカの財政が赤字になるほど、FRBが儲かる仕組みです。
財政が赤字になると、その穴埋めのために政府は、国債を大量に発行します。
FRBは利子がつく巨額国債を連邦政府から受け取ります。
国民は納税によってドル紙幣を政府に償還し、政府はFRBに国債の利子を支払う仕組みなのです。
FRBは国債と同額の無利子のドル紙幣を発行します。
FRBは膨大な利子分を利益とすることができ、しかもこの利益には法律により税金がありません。
そして通貨供給を減らしたいときは、利子がつく巨額国債を売却してドル紙幣を回収します。
FRBは政府から受け取った利子がつく巨額国債の代わりに、ドル紙幣として流通させます。
FRBは金などの価値実体の準備がなくても、ドル紙幣が発行できるのです。
ウッドロウ・ウィルソンは、晩年になって連邦準備制度設立に加担したことを後悔して、こう言い残しています。
「私は最も不幸な人です。
私はうっかりして、私の国を滅亡させました。
大きな産業国家は、その国自身のクレジットシステムによって管理しています。
私たちのクレジットシステムは一点に終結しました。
したがって、国家の成長と私たちのすべての活動は、ほんのわずか人たちの手の中にあります。
私たちは、文明化した世界において支配された政府、ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。
もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投票による政府はありません。
小さなグループの支配者によって拘束される政府と化しました。」
連邦準備制度理事会(FRB)は、経済成長やインフレーション抑制を目的として、公定歩合や公開市場操作などの金融政策を遂行します。
連邦準備制度理事会(FRB)は、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガンら大富豪が、半数以上の株を所有する巨大民間企業で、公的機関ではありません。
FRBの実態は、一握りの大富豪たちが、アメリカの金融政策を統制する中央銀行を運営できることになったのです。
1913年の時点で大富豪たちの都合で自由にドルを刷れる法案が可決され、ドルを利用しながら金融政策を思うままに操ることができるのです。
ロックフェラーは、通貨発行権と通貨発行益を独占し「この金の出る蛇口があつたら、大統領の席も議会もいらない」と豪語しました。
この地球の地上の最も神に近い組織「末日聖徒イエス・キリスト教会」の本部は、アメリカにあります。
そして、この地球の地上の最も悪魔に近い秘密結社の本部はアメリカにあります。
ジョセフ・フィールディング・スミス長老は、このように述べています。
「合衆国は神の王国ではない。
英国、ドイツ、フランスも同様である。
諸国を全部を1つに合わせても神の王国になるわけはなく、人の造った世俗の政府にすぎない。
御父は賢人たちを起こし、彼らを導いてこの政府を樹立させ、民に合衆国の憲法を与えられたが、この国の政府は依然として神の政府ではない。
ほかのすべての政府と同じように人が造った政府である。
キリストが降臨し統治されるまで、神の王国は存在しない。
キリストは、降臨されると王の王となられる。
そのとき、主は正当な地位に就かれる。
現在は、サタンが支配権を握っている。
どちらを眺めてもサタンが支配している。
私たちの国もそうである。
サタンは、主が許される限界まで諸政府を牛耳っている。
全地に不和、騒動、混乱がこれほど多いのはそのためである。
1人の首領が諸国を支配している。
支配しているのは合衆国大統領でもなければ、ヒトラー、ムッソリーニでも、英国王、英国政府、あるいはそのほかの国の王政府でもない。
それはほかならぬサタン自身である。」 (『救いの教義』 3:280-281)
サタンは、人々を憎んでいて、自分のように惨めになるように人を誘惑して罪を犯させます。
サタンは、人々に金を得させるために戦争をさせ、人々の肉体も霊も苦痛と悲しみの不幸にするのです。
秘密結社の活動の動機は欲望や金儲けの利己心を中心に、支配欲やうぬぼれの自己正当化と自分に従わない者たちへの蔑みと憎しみです。
そして、このような悪の動機をおおっているのは独善的な思い違いなのです。
シークレット・ガバメントの指導者の思想は、神の御心を思い違いして聖文を誤解釈して神とは逆の思想を持ちながら自らは神の御心に従って行動していると思っています。
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
しかし、主の日は盗人のように襲って来る。
その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。
その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 (口語訳 2ペテロ 3:9-14)
新改訳では、以下のようになっています。
このように、これらのものはみな、崩れ落ちるものだとすれば、あなた方は、どれほど聖い生き方をする敬虔な人々でなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。
その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 (新改訳 2ペテロ 3:11-12)
12節は新改訳では「その日の来るのを速めなければなりません」と訳されていますが、口語訳ではこの言葉が出て来ません。
これは、新改訳で「(その日の来るのを)速める」と訳されているギリシャ語のスピュードーが「早める」の意味とともに「熱心である」という意味をも持っていることからきています。
したがって、新改訳が「神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません」と訳しているのに対して、口語訳では節がずれてはいますが「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなた方」と訳されているのです。
秘密結社は預言されているハルマゲドンの戦争を起こし主の再臨を早めるので、聖文のとおりに神を手助けしていると思っているのです。
それなので、神から遠く離れ良心は鈍り罪悪感は感じません。
大衆には隠されていますが、ケネディの暗殺は国家的陰謀でケネディの暗殺の首謀者は秘密結社を上層部にもつ「シークレット・ガバメント」です。
シークレット・ガバメントは、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー大統領の時代に作られた秘密の政府組織で、一般には「軍産複合体」とよばれる政府支援組織の上層部で、アメリカを支配し世界を動かす強力な特権階級者の組織です。

1961年1月、一国の大統領が歴史に残る演説を行いました。
それはアメリカ合衆国という国家の暗部を、白日のもとにさらした最初で最後のものでした。
大統領の名は、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー。
第二次世界大戦後は共和党から出馬し、1953年、第34代アメリカ大統領に就任しました。
自ら大統領の辞任を決意しテレビ放送を通じて、アイゼンハワーはアメリカ全国民に向け驚きの告白をしました。
「われわれ(政府と軍部)は、アメリカ合衆国の巨大な軍事機構と軍需産業の合体をアメリカ合衆国史上初めて試みることになりました。
軍産複合体を公認した結果、その影響は経済、政治、精神にいたるあらゆる分野はもちろん、市政、州議会、官公庁にまでおよぶでしょう。
しかし、軍産複合体に内在している野心的な巨大成長の可能性に対して、国民は十分な注意と監視をせねばなりません。
なぜなら、軍部と軍需産業の一体化は必ず恐ろしい結果を産む危険性をはらんでいるからです。
この巨大な複合組織にアメリカの自由の基を危うくさせてはなりません。」
大統領が自ら公認し作りだした組織を一転して批判しました。
国民に向かって危険であると警告したのです。
大統領を辞任ししがらみから逃れるとき、それまでいえなかったことを暴露したのです。
ロックフェラー家の陰謀を暴露した本『インサイダー』(英語版 None Dare Call It Conspiracy)では、アイゼンハワー大統領は大統領解任後の演説でアメリカが軍隊を強化していくなら、世界にとって危険な国となることを表明しました。

当時、農務長官を務め終えていた十二使徒のエズラ・タフト・ベンソン長老は、「私は自由世界のあらゆる国のあらゆる住民と鉄のカーテン(東欧共産圏と西欧諸国とを政治的・思想的に隔てた障壁)後のあらゆる奴隷のように働く者が、この本を読むことを願う」と推薦の言葉を付けました。(Beach, California: Concord Press, 1971 Back Cover)
十二使徒で農務長官だったころにエズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「主は預言者にアメリカ合衆国に関係のある最も大きな脅威の広大で世界的な『秘密結社』がアメリカ合衆国を脅かすだけでなく『あらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする』と明らかにしました。(エテル 8:25)」 (総大会 1961年10月)
権力と利益を得るために、このような秘密結社が全地に広がるまで支援する国民は、見よ、どのような国民でも滅ぼされる。
なぜならば、秘密結社によって流される主の聖徒たちの血が、秘密結社への報復を訴えて地からいつまでも主に叫ぶのに、主が秘密結社に報復なさらないということはあり得ないからである。
おお、あなたがた異邦人よ、これらのことがあなたがたに知らされるのは、神の知恵にかなっている。
それによってあなたがたが罪を悔い改めることができるようにするためであり、また権力と利益を得るために築かれるこれらの殺人結社に支配されることのないようにするためであり、滅亡の業があなたがたに及ばないようにするためである。
もしこれらのことが起こるのを許すならば、永遠なる神の罰の剣があなたがたに下り、あなたがたは打ち倒され、滅びるであろう。
そこで、主はあなたがたに、これらのものがあなたがたの中に起こるのを見るときに、自分たちがひどい状態にいるという意識に目覚めるようにと命じておられる。
この秘密結社があなたがたの中にあるからである。
殺された者たちの血のゆえに、秘密結社は災いである。
これらの者たちの血が、秘密結社への、また秘密結社を築いた者たちへの報復を訴えて、地から叫ぶからである。
さて、秘密結社を築く者はあらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする。
そして、秘密結社はあらゆる民の滅亡をもたらす。
それはあらゆる偽りの父である悪魔によって築かれるからである。
悪魔はわたしたちの始祖をだましたあの偽り者であり、また初めから人に殺人を犯させたあの偽り者であり、また人々の心をかたくなにして、初めから人々に預言者を殺させ、石で打たせ、追い出させたあの偽り者である。 (エテル 8:22-25)
十二使徒定員会会長時に出版された書籍で、エズラ・タフト・ベンソンはこう述べています。
「モロナイは、私たちがヤレド人を滅ぼしニーファイ人とレーマン人のかずかずの王国を滅ぼしたのと同じ秘密結社が、今日の異邦人の国々の犯罪的陰謀と同じであるという驚くべき事実を認識できるようにしたと思えます。」 (God, Family, Country: Our Three Great Loyalties [Salt Lake City: Deseret Book Co., 1974] p.349)
エズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「さて、ニーファイは民を滅亡させた要因をいろいろ挙げることができただろうが、たった1つ秘密結社を指摘していることに注意していただきたい。
それは現在の教会が、平和と繁栄と神の御業の伸展を脅かすものをたくさんあげることができるだろうが、その最大のものとして神の存在を否定するという陰謀を挙げているのと同じである。
モルモン書にあるのは陰謀論ではない。陰謀の事実である。
モロナイは現代の私たちにこう告げた。
『そこで、主はあなたがたに、これらのものがあなたがたの中に起こるのを見るときに、自分たちがひどい状態にいるという意識に目覚めるようにと命じておられる。』(エテル 8:24)
モルモン書はさらに「権力と利益を得るために、このような秘密結社が全地に広がるまで支援する国民は、見よ、どのような国民でも滅ぼされる。……」(エテル 8:22)と警告している。
この聖句は、悔い改めなければ絶対に回避できない事柄があると警告を発している。
自由世界の国民である私たちが敵の悪事に、賛成の声を日増しに高くしているのは疑いもない事実だからである。
神の存在を否定する陰謀は、法廷判決によって政府内に広がり、学校に延び、労働組合にいすわり、防衛産業に、商船界にと、さまざまな場所に触手を伸ばす。
私たちは国家として、悪い方向への多くの変革に手を貸している。」 (「忠実な聖徒の社会生活の標準」 総大会 1972年4月)

アイゼンハワー大統領が、はじめてシークレット・ガバメントを公表し警告しましたが、ベンソン長老の後ろ盾があっからこそ公表できたと思います。
1988年10月の総大会で、エズラ・タフト・ベンソン大管長はこう述べています。
「悪の力はこれまで以上に強力に組織され、より狡猾に装い、かつてない猛威を振るっています。
権力、富、名誉への欲にとりつかれた秘密結社が隆盛をきわめています。
国家の基をくつがえそうとする秘密結社がアメリカをはじめ全世界にはびこり、ますますその悪影響を広めています。
しかし、教会、神の王国もその力を増し加えています。
忠実な教会員の信仰はさらに高まり、それとともに教会員の数自体も増えています。
神聖な使命を全うするうえで、教会がこれほどよく組織され、備えられた時代は、かつてありません。
ルシフェルの指揮のもとに悪の勢力が強められ、一方ではイエスの導きのもとに善の勢力もその勢いを強めています。
この2つの勢力の争いは激しさを増し加え、やがては最終的な戦いを迎えるようになります。
問題の核心がさらに明瞭になり、やがて人々は皆、神の王国につくか悪魔の王国につくかを自ら選択しなければならなくなります。
人目につく所で行われるか否かを問わず、この戦いが激しくなるにつれ、義人は試されていきます。
間もなく、神の怒りが地の国々を震わせ、邪悪な者の上に容赦なく注がれる日がやって来ます。
しかし、神は義人に力と逃れる手段を与え、最終的には真理が勝利を収めるのです。」
また、エズラ・タフト・ベンソン大管長は、こう述べています。
「高慢の罪の実である秘密結社は、ヤレド人とニーファイ人の文明を崩壊させました。
そしてほかにも多くの国の堕落の原因となり、それは今後も続いていくことでしょう。(エテル 8:18-25参照)」 (「高ぶりを心せよ」 総大会 1989年4月)
ベンソン大管長は述べていますが、いまだに「神を忘れた謀略」が、現在も多くはびこっています。
ひどい状態にいるという意識に目覚めるときです。
秘密結社は広くはびこっています。
多くの場所にありますし、生活している多くの場所からやって来ます。
それらは単なる犯罪組織ではありません。
それらは不義な法律を制定し、民の投票によって制定された正しい法律をないがしろにします。
軍産複合体が国家を左右するように、シークレット・ガバメントの力は表の政府をはるかに超えていて、大統領もシークレット・ガバメントに逆らうことはできません。
シークレット・ガバメントの上層部は愚民たちの選挙で選ばれる大統領は、ばかたちの代表にすぎないと思っています。
つまりアメリカ大統領はアメリカの最高権力者ではなく、シークレット・ガバメントの操り人形なのです。
14 シークレット・ガバメントとサタンに従う秘密結社
ケネディは、シークレット・ガバメントが巨大化し、軍を動かすことで表の政府を牛耳ろうとしていることに気づき、テキサス石油産業への課税(当時、アメリカ南部の石油資本家は、膨大な利潤を上げていながら1000ドル以下の税金しか払わなかった)で石油メジャーを押さえ込み、世界規模のアメリカ軍基地の縮小と閉鎖で肥大化した軍の力を削こうとしました。
また実現はできませんでしたが、ベトナム戦争から全面撤退しようとしたのも軍産複合体を排して健全な民主主義体制に戻すためでした。
ベトナム問題
ケネディが大統領就任時は、生産手段の共有化による理想社会を目指す思想の共産主義者に北半分を奪われたベトナムを支援することはアメリカにとって絶対的使命でした。
ケネディは、就任直後発足させたベトナム問題特別委員会や統合参謀本部に対してアドバイスを求めました。
ベトナムの解決はアメリカ戦闘部隊の投入以外には考えられないというアドバイスを受けました。
ケネディは、ベトナム問題の政治的解決を望んでいました。
1963年の12月までに軍事顧問団の1000名の引き上げ計画を発表、そして11月の死の直前には1965年までにアメリカはベトナムから一切撤退することを発表しています。
このことは伝統的軍事優先の軍部、中央情報局(CIA)にとって耐えられない事態であり、さらに平和では利益を得ることのできない軍産複合体にとっても同様でに憎むべきことでした。
ケネディがこうした積極策を推し進め始めた直後、シークレット・ガバメントの陰謀より、1963年11月22日ダラスにおいて大衆の前で殺されてしまうのです。
仕組んだのはシークレット・ガバメントの意向のもとに動く軍部直轄の機関「NSA(国家安全保障局)」であり、暗殺に協力したのは「CIA(中央情報局)」、「FBI(連邦捜査局)」、「ダラス市警察」、「郡警察」、各地方政治組織でした。
つまりケネディの暗殺は軍が中心になって決行した軍事クーデターであり、そうさせたのは実質的にアメリカを支配するシークレット・ガバメントだったのです。

大統領暗殺騒ぎの中ダラスの郊外で、ほぼ同時刻にもう1つの殺人事件が起こっていました。
現場から6km離れたオーク・クリフ地域で、パトロール中のティピット巡査がが何者かに射殺されました。
ダラス著は緊急配備を敷き、ほどなく容疑者のリー・ハーヴェイ・オズワルドを確保します。
オズワルドはテキサス劇場でチケットを買わずに入場した不審者として逮捕されたのです。
そして、オズワルドはティピット巡査殺人容疑はさることながら、なぜか別件のケネディ大統領の実行犯として仕立て上げられます。
警察はティピット巡査を射殺した犯人を目撃した人々の証言を無視してオズワルドの調書を一切取らずに、アメリカ合衆国で保障されて基本的人権として認められているはずの弁護人さえもつけませんでした。
オズワルドが別件であるはずのケネディ大統領の暗殺犯に仕立て上げられた理由は、その時刻に教科書倉庫ビルにいたというだけで、その時点で具体的な証拠は何もありませんでした。
ところが、当局の動きは速くオズワルドが逮捕され、ケネディ大統領暗殺の嫌疑がかけられた情報が出た段階で、事件には陰謀はないと発表しました。
暗殺犯は狂信的なオズワルドによる単独犯行であると宣言し、いまだに当局はオズワルド単独犯説を主張したままです。
オズワルドは共産主義者であり、反体制でアメリカ大統領を敵視していました。
狙撃現場とされた教科書倉庫ビルの6階から、ライフルのカルカノM1891と使用済みの薬きょう3個が発見されたことも、彼が暗殺犯であることの証拠としています。

オズワルドは逮捕から2日後の11月24日午前11時すぎ、警察に護衛された状態で連行される途中、ジャック・ルビーによって銃殺されます。
真相を口にする前に殺されたのです。
何者かに操られていたルビーも関係者に事件の真相を話すと述べた直後に体調が悪化し、1967年1月3日に入院して治療を受けるも肺癌で死亡するという不可解な死を遂げています。
ルビーは癌細胞を注入されたと訴えましたが無視されました。
さらに、犯人とされたオズワルド、その口を封じたルビーに続き、ケネディ暗殺事件から4年ほどの間に重要証人が次々と死亡します。
自然死が5人、16人は事故や自殺、他殺、不審な死に方をしています。
多くのアメリカ国民は事件の背後に大きな力が働いていることに気づき始めましたが、真実を知る関係者は皆口をつぐみ、一般大衆には真相は不明のままです。
ケネディ大統領が暗殺されてから約2時間後、アメリカ合衆国憲法により、副大統領であったリンドン・ベインズ・ジョンソンが第36代大統領に就任しました。
ジョンソン大統領はただちに事件の調査を指示し「ウォーレン委員会」を発足させます。
この委員会はのちに大統領になるジェラルド・R・フォードを含む7人の政治的な配慮によって選ばれた人物で、ジョンソン大統領の意向を強く反映していました。
ウォーレン委員会の目的は事件の真相解明ではなく、オズワルドの単独犯行とし、あらゆる陰謀説を排除することが目的でした。
ウォーレン委員会は10か月の調査で、なかば強引に調査を終了し、ケネディ大統領暗殺事件はオズワルドの単独犯行という結論にしました。
調書の元となった膨大な資料の重要な部分は一般に公開されず、事件の真相を隠蔽するために75年後の2039年まで非公開にされました。
2039年には、真犯人はもとより黒幕の連中はすべて死亡しています。
すべてが明るみにされたときには暗殺に加担した関係者全員は亡くなっているので真相も犯罪も確認でないのです。
何事もそうですが、後ろめたい所がなく潔白なら何も隠す必要はないし、本当にオズワルドの単独犯だったら国家的最高機密扱いに指定する必要はありません。
隠すからには、そこにはバレては困る資料が存在するのです。
調査報告書によると、教科書倉庫ビルの6階から放った銃弾は3発で、そのうち2発がケネディに命中したといいます。

最初の1発が背中から入り首を貫通し、2発目が頭部を破壊し、3発目が逸れて道路に当たったといいいます。
問題は最初の銃弾で、車の前の座席にはテキサス州知事ジョン・コナリーが乗っており、彼もまた被弾しています。
ケネディの首後ろから入った銃弾は喉仏から出て、コナリー知事の右肩に入って右胸を貫通し、さらに右手首に当たったのち、最終的に左腿にめり込んだのです。
のちに「魔法の銃弾」とよばれる1発の銃弾が不可能な経路をたどり、7つもの穴をあけたというのです。
銃弾はカルカノM1891から発射されたものでした。
これはオズワルドが狙撃に使ったとウォーレン委員会が主張するライフルと一致し、教科書倉庫ビルから発見された薬きょうとも整合性はあります。
しかし、短時間で3発の銃を撃つことが不可能なのです。
教科書倉庫ビルから大統領専用車までの距離は83mで、狙撃時間5,7秒の間に銃を装填し、引き金を引く動作を繰り返すことは不可能です。
音声分析では5発とされているうち2発目と3発目はほぼ同時に発射されたため、1発のように聞こえますが、少なくとも4発以上あったことは事実です。
そのことから、狙撃犯は複数存在していることが割り出されました。

狙撃に使われたライフルがカルカノM1891だという点にも銃声が違うという疑問があります。
発表によると弾丸はケネディの頭蓋骨に命中したと報告されています。
この公表に対し専門家はこう話しています。
「報告ではケネディ大統領の頭蓋骨に銃弾が命中したということになっていますが、銃弾は骨に当たると少なからず変形します。
しかし、公表された銃弾はまったくそれとは違っていました。
そう、まるで急いで用意した新品のようだったのです。……」
また、オズワルドには銃を撃ったのちに検出されるはずの硝煙反応が検出されませんでした。
そして、最も不可解なのはオズワルドの位置からは木が邪魔をして撃つことができなかったのです。
さらに、ケネディは当時のビデオから前から撃たれ後ろに倒れましたが、仮にオズワルドが撃ったなら後ろから撃ったことになり、ビデオと一致しないのです。
他方向から撃たれているので複数犯がいたのです。
1963年11月22日午後12時30分、1発目の銃弾が前方の丘から発射され、ケネディの首に当たります。
ケネディは胸を押さえる仕草で前かがみとなり、続いて2発目と3発目の銃弾がほぼ同時にダル・テックス・ビルと教科書倉庫ビルから発射されます。
前者はテキサス州知事コナリーの胸を撃ち抜き、後者は逸れました。
4発目も発射されましたが、コンクリートの一部を砕きました。
5発目がグラシノールの丘から発射され、ケネディの右後頭部が打ち砕かれました。
頭蓋骨と脳みそが飛び散り、妻のジャクリーンは驚いて車の後方、ボンネットによじ登り、その場から必死に逃げようとしました。
時間にして6秒です。
病院で不自然に発見された銃弾を置いたのは、ジャック・ルビーでした。
ルビーはケネディが狙撃されると、パークランド記念病院に行き、あらかじめ用意していた銃弾を密かに担架に置いたのです。
オズワルドを犯人に仕立て上げるためにはどうしても銃弾は3発で、しかも凶器はカルカノM1891でなければならなかったのです。
教科書倉庫ビルの6階が現場だとするために、銃弾はケネディの背後から入ったことにしなければなりません。
そのために、遺体に細工まで施されたという情報まであります。
新聞記者のジム・マースは、調査の結果実行犯を割り出しました。
ジム・マースは、映画『JFK』の原作となった『クロスファイア』の著者です。
FBI捜査官ザック・シェルトンなる人物が1992年、匿名で私立探偵ジョー・ウエストに情報をもたらしたことによります。
ウエストはこの情報を手掛かりにイリノイ州のステートヴィル刑務所に服役中だったジェイムズ・ファイルズを割り出しました。
ファイルズはプロの殺し屋で、ケネディ大統領を狙撃し頭部に致命傷を負わせた真犯人でした。
ファイルズはウエストに事件の真相を語り始めました。
ダラスの事件が起こる半年前、ファイルズの前にマフィアのチャールズ・ニコレッティが現れました。
ニコレッティは同じマフィアのジョニー・ロゼもこの計画に参加させます。
事件当日、ファイルズはニコレッティの指示のもと、狙撃部隊の1人としてレイミント社製ファイアーボール222というライフルを手にグラシノールの丘のフェンス裏に立ち、狙撃の瞬間を待ちました。
当初、ファイルズは狙撃部隊のバックアップ担当で、仲間が撃ち損じたとき、最後にフォローするための要員でした。
それが現実となり、1発、2発、3発と狙撃が失敗し、ファイルズは引き金を引きました。
撃ったのは1発のみでケネディ大統領の頭部を直撃しました。
興奮する自分を鎮めるため、ファイルズは薬きょうをつかみ、それをフェンスの上に置きました。
ファイルズの証言は証拠があり、1988年には証言どおり歯型のついた薬きょうがグラシノールの丘から発見されています。
プロの殺し屋ファイルズにケネディ暗殺を持ちかけたチャールズ・ニコレッティはシカゴ・マフィアの構成員です。
シカゴ・マフィアはイタリア系移民の自警団的組織から非合法集団へと成長した犯罪組織です。
マフィアとはFBIがつけた呼び名であり、マフィアは自分たちの組織をシンジケートと呼びます。
マフィアはシカゴの町の治安と秩序を非合法的に維持することにより利権を手にし、それを使って警察やFBI政治家まで影響力を持つ存在となりました。
禁酒法の時代は、密造酒、そののちはカジノ賭博、麻薬など、アメリカの裏社会を支配していて、最後に彼らが手にしようとしたのがアメリカ大統領でした。
アイルランド系移民であるケネディ一家が商売を始めたとき、世話になったのはマフィアです。
父のジョセフ・P・ケネディは密造酒で財産を築き、インサイダー取引によって莫大な富を得ました。
一時、下手を打って、ジョセフ・ケネディはマフィアから命を狙われたことがあり、このときシカゴ・マフィアのサム・ジアンカーナに助けを求めました。
危機を救くわれたジョセフ・ケネディは息子たちが政治家を志すようになっても、マフィアとのつながりを保ち積極的に利用しました。
大統領選をめぐって、ジョン・F・ケネディがリチャード・ニクソンとの戦いを展開した際、裏で組織票を固めたのは、サム・ジアンカーナでした。
サム・ジアンカーナにとって目的は、親子に恩を売っておけば、自分の益になると考えたからです。
実際、父のジョセフ・P・ケネディのみならずジョン・F・ケネディ、弟のロバート・ケネディのスキャンダル情報はマフィアが握っていました。
ケネディ一家は、とかく女性問題に弱く、ジョン・F・ケネディは女優マリリン・モンローが愛人だったの有名です。
また、ジュデイス・C・エグスナーなど多くの愛人がいて、それら愛人はサム・ジアンカーナの愛人でもあったのです。
しかし、大統領に就任するとケネディ一家の態度は変わり、ジョン・F・ケネディは理想を掲げ、世界平和を本気で説き始めました。
熱く語る若い大統領の演説にアメリカ国民は好意を抱き、さらに弟のロバート・ケネディ司法長官は麻薬の根絶、非合法の暴力組織マフィアの撲滅を公然と宣言しました。
これにはマフィアも怒り、マフィアの連合組織はケネディ家、ケネディ大統領に報復しようとしていました。
しかし、マフィアのボスのサム・ジアンカーナやジョニー・ロゼリ、ジミー・ホッファも暗殺されているので、裏に黒幕が存在しているのです。
裏社会の非合法組織は、莫大な利益を生む麻薬ビジネスに手を染めています。
アメリカの場合、直接的な調達先はキューバでした。
ところが、1959年、カストロ議長がアメリカのあやつり人形だったバティスタ政権を打倒し、キューバ革命が起こりました。
キューバ首相としてカストロは、アメリカに革命政権を承認するように求めましたが、拒絶されるとキューバ国内にあったアメリカ資産を国有化し、裏でマフィアを一掃する動きにでたのです。
カストロ首相はソ連に接近し、社会主義路線を歩みます。
キューバに対して国交断絶をしたアメリカは、カストロ議長を排除する必要がありました。
実行部隊として動いたのは、非合法活動が許される諜報機関「中央情報局(CIA)」です。
麻薬ビジネスの利権を放したくないマフィアが手を組んだのはCIAでした。
CIAは密かにカストロ暗殺計画を企て、暗殺計画に参加したのがサム・ジアンカーナやジョン・ロッセーリ、サント・トラフィカンテなどのマフィアです。
オズワルドはCIAとソ連国家保安委員会(KGB)のスパイであり、CIAの二重スパイでした。
オズワルドは日本の厚木基地勤務時代にロシア語を学び、除隊後の1959年、ソ連に旅行に出かけ、そのまま亡命しました。
オズワルドがソ連に亡命したのは政治工作のためであり、ソ連から国家機密を盗むすためや諜報活動のために「共産主義」を装っていました。
そして、最終的にケネディ大統領暗殺の単独犯として仕立て上げられました。
ケネディ大統領の暗殺計画と実行はCIAとマフィアによる合作だったのです。
暗殺犯が複数いたことや暗殺犯を知っていたと思われる重要証言者たちも、NSAにより出廷前に全員殺されています。
裁判所や警察側しか知り得ない証言者リストを入手できる立場にあったNSAは、当時世間にその存在が知られていなかったためCIAやFBIより自由に動くことができました。
副大統領のリンドン・B・ジョンソンも事前にケネディ暗殺を知らされていましたが、ケネディが死ねば自分が大統領になれることもありNSAに全面協力しています。
ケネディのあとを引き継いだジョンソンは、シークレット・ガバメントの操り人形でベトナム戦争の続行を決議しアメリカを泥沼の戦争状態へと引き込んでいきました。
ケネディを大統領から失脚されるのではなく暗殺したのは、ケネディが生きていたらまずいからです。
ケネディはシークレット・ガバメントが隠してきたアルザル人の真実を知り、国民に公表しようとしたので殺されたのです。
政府専用飛行機エアフォースワンで移動する際、エアフォースワンのあるクルーから「大統領は、UFO問題をどうお考えですか?」と質問をされました。
ケネディはその質問に対し、こう答えています。
「その件を発表したいのだが、国の指導者として、実は自分の手には重い手枷がはめられているのです」
ケネディは前々から、CIAの機密情報で月の海に、エイリアンの採掘現場が多数あることを知っていました。
さらに、NSAが最後まで大統領に出し渋ったエイリアン情報も、シークレット・ガバメントの命令に逆らって、強制的に入手していました。
その結果、ケネディはロズウェル事件が事実だったことを確認し、さらに回収されたエイリアンがアルザル人だったことも、アルザル人が月にいることも知ってしまったのです。
ケネディが、ロズウェル事件で回収したUFOとエイリアンを隠しているのはエリア51であることも知っていました。
エリア51の秘密を最初から知るアイゼンハワーが次期大統領ケネディに政権を引き継ぐ際に、エリア51にロズウェル事件の証拠が存在することを申し送らないはずがないからです。
ケネディは、ロズウェル事件で墜落したUFOに残っていた彼らの聖典の翻訳から、エイリアンが行方の知れない10部族の末裔であることもアルザルのことも知っていたのです。
彼らは近い将来、大挙して地上に帰還することが彼らの聖典に記されてありました。
それを知ったケネディはエイリアンが敵ではないことを人類に知らせねばならないと決意し、当時進んでいた宇宙開発の目的地を火星ではなく月に変更することをライス大学で演説しました。
そのためアポロ11号の船長は民間人の代表でなければならず、ケネディ暗殺後もこれだけは危機管理の理由から守られました。
一般の民間人であれば見たままを話すでしょうが、軍人は軍部の指示で事実とは違う報告をするからです。
軍人だったオルドリンがなぜ民間人のアームストロングが船長になったのかわからないと嘆いていた理由がここにあります。
ケネディは、ソ連より先にアメリカが月着陸を達成すれば、アルザル人との接触できると思っていました。
なぜなら、エイリアンが一度も地上を攻撃してこないイエス・キリストに従う者たちだったからです。
また、ケネディは、もしソ連が先にアルザル人と接触をした場合に当時の共産圏にエイリアンの技術を独占される懸念を抱いました。
そして、ケネディは、1962年9月12日にライス大学のライス・スタジアムで行われた「ムーン・スピーチ」で、私たちは月に行くと国民の前で演説をしました。
それは、月にいるエイリアンとアポロ飛行士の平和的遭遇を想定した計画についての演説でした。
そして、ケネディはテキサス州ダラスで、エイリアンの存在を世界に公表しようとするスピーチを行う予定でした。
NSAの情報操作や月のアルザル人の存在を暴露し、アメリカの宇宙飛行士が月面でアルザル人たちと握手をしている場面の動画を世界に流そうとしたのです。
しかし、ケネディの目的がNSAに漏れてしまい、1963年11月22日にシークレット・ガバメントの指示によって葬られてしまいました。
月の秘密がすべて暴露されたら、彼らが作り上げてきた宗教支配から自分たちにとって都合良く仕上がりつつある地球支配などがすべてを根底から失うからです。
ケネディは、キューバ上陸を阻止した結果、CIAを敵に回し、南部の石油利権に課税することで石油メジャーを敵に回し、世界中のアメリカ軍基地を縮小することで軍を敵に回し、平和主義のエイリアンであるアルザル人の存在を認め世界に公表しようとして、シークレット・ガバメントを敵に回します。
1961年4月27日、ニュ-ヨークで、ケネディ大統領は、秘密結社がマスメディアを支配していることを暴くような演説を残しています。
「秘密主義というまさにその言葉は、自由で開かれた社会にとって、非常に不快なものです。
そして、私たちは元来、歴史的にも秘密結社の秘密の誓いと秘密の議事録に反対した民族ともいえます。
私たちは、遠い昔から度を超した不当な関連情報の隠蔽は、はるかにそれらに正当性を与えるために考慮される危険があると判断してきました。
今日、根拠のない制約によって、閉鎖社会の脅威に反対するということはほとんど価値はありません。
今日、私たちの国の生存を確実なものにするために、私たちの伝統がそれで存在しないなら、ほとんど価値はありません。
そして、報道されたセキュリティ強化の必要性が、公的な検閲と隠蔽のまさしくその範囲を限界まで広げることを切望している者たちによって廃止される、まさしくその重大な危険性があります。
私は、私のコントロール下の範囲で、このようなことを許可する意図はない。
私の政権のどのような職員であっても、彼の地位が高いか、または低いか、民間人であるか、軍人であるかにかかわらず、私の今晩ここでの言葉を、ニュースについて検閲し修正したり、まともなことをもみ消したり、私たちの誤りをごまかすために、マスメディアや民衆が知るに値する真実を抑制する口実とはならない。
私たちが世界中で反対されているのは、主として影響圏を広げるための密かな手段になっている、一枚岩的で冷酷な陰謀にあります。
侵入の代わりに浸透、選挙の代わりに転覆、自由選択の代わりに威嚇、日中の軍隊の代わりに夜間のゲリラ。
これは、膨大な人的・物質的資源を軍事、外交、情報、経済、科学、そして政治上の操作をするため結束の固い、高性能マシーンに結合する徴収するシステムです。
その準備は隠され、公表されません。
その過ちは葬られ大スクープとなりません。
その反対者は黙らされ称賛されません。
経費は質疑されず、風評は出版されません。
まったく秘密は明らかにされません。
どの大統領も市民監視を恐れるべきではありません。
そうではなく監視から理解が生じるものであり、その理解から、支持か反対かが生じます。
そして、両方が必要です。
私は政権を支持することをあなたたちの新聞にお願いしていません。
しかし、アメリカの人たちに情報を与え、注意を呼びかける大変な仕事をお願いしています。
それは、私が私たちの市民が完全に情報が行き渡ったというときには、彼らの行動と献身があるという完全な確信があるからです。」
1963年6月4日、ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令が発令され、政府紙幣で赤字財政で賄おうとしました。
そうなると、シークレット・ガバメントである国際金融資本家の利益が失われ、世界レベルで経済社会をコントロールすることが最大の利益源である国際金融資本家の世界を支配する力を削がれます。
同年1963年11月22日、ケネディは見せしめの意味もあり、公衆の注目の中で暗殺されます。
そして、総額42億ドルの政府紙幣は、ケネディ暗殺後に速やかに回収されました。
ケネディ大統領、以降に政府紙幣を発行した大統領はいません。
ケネディ大統領は1963年7月、部分的核実験の停止条約を締結すると、膨大な軍事費の削減、ベトナム戦争からの撤退を公約しました。
1963年10月、ケネディ大統領はワシントンD.C.にあるアメリカン大学の卒業式にてスピーチを行いました。
「平和とは戦争のない状態である。
一人一人が人間らしく生きるために、理想を掲げ、国々を発展させ、そして次世代を担う子供たちがよりよい生活をするための平和である。
それはアメリカのみならず、全世界の人類の平和であり、すべての時代の平和である。」
この思想が東西冷戦状態にあって、戦争回避を可能にしたのです。
これに対してアメリカ国民は熱狂し、理想を掲げる実力者としてケネディ大統領を支持したのです。
しかし、軍産複合体にとって平和は歓迎すべきものではありません。
戦争こそ軍産複合体にとって儲けるために必要であるのです。
アメリカにとって戦争こそ、経済的になくてはならないものなのです。
ケネディの暗殺以降、民主党であれ共和党であれ、もはやシークレット・ガバメントに逆らう大統領は存在しなくなってしまいます。
大統領は、裏の政府の意向に従うかぎり権力保持が約束され、軍部を自由に動かすことができるだけの存在になり果ててしまったのです。
逆に言えばアメリカが軍隊を動かすときは、そこには必ずシークレット・ガバメントの思惑がからんでいるのです。
シークレット・ガバメントの目的は、まず国連を牛耳り軍事力を持つ世界的統一機構に変貌させたのちのアメリカによる世界統一です。
ケネディの暗殺には、アメリカの社会に揺さぶりをかけるという心理的な目的もありました。
ケネディの暗殺は、「王の殺害」とよばれる悪魔的オカルトの儀式であるともいわれています。
これは、心的外傷を与えることによって、大衆心理を操作し、既存の政体に揺さぶりをかけるための革命的手法です。
首謀者たちは、あからさまな陰謀を見せつけることによって、自らの力を誇示し、同時に大衆に無力感を与えようとするのです。
実はケネディの弟のロバート・ケネディはケネディ政権下で司法長官となり、兄ケネディの暗殺後の1968年の大統領選挙の予備選を戦っていた最中、カリフォルニア州 ロサンゼルスのホテルで遊説中に、不可解な状況下で大学生のサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺されました。
末弟のエドワード・ケネディは長く上院議員を務め一時は大統領候補として取りざたされたこともありましたが、1969年にパーティーからの帰りに飲酒したまま運転中に誤って川に転落し、同乗していた女性秘書を水死させる事件を起こしました。
事件後、警察への通報が9時間以上も遅れるなどの不可解な行動に不審が持たれました。
この事件によって事実上、大統領への道は閉ざされることになりました。
ケネディ暗殺研究家の第一人者であるジム・マースは、映画『JFK』の原作となった著書『クロスファイア』に次のように書いています。
「あの日、ケネディ大統領は演説会で発表する演説原稿をポケットに持っていた。
さまざまな事柄が書かれており、その中の1つは『UFO問題の情報発表』であった。」
マサチューセッツ州ボストンあるジョン・F・ケネディ図書館で発見された国家安全保障行動覚書271号「宇宙問題に関するソ連との協力」には、NASA長官ジェームズ・ウェッブあてにこう指示を出していました。
「月面着陸など各技術計画を含めて宇宙分野におけるソ連との具体的協力の推進を、政府部内において責任をもって先導せよ。」
文書の作成日はケネディが暗殺されるちょうど12日前の1963年11月10日の日付です。
UFO研究家ティモシー・グッドのもとに、1999年6月元CIA諜報工作員という匿名の人物から、焼却処分にされかけた機密文書(通称「焼け焦げ覚書」)が郵送されてきました。
ニクソン大統領時代に上司の焼却処分命令に背いて文書が焼け焦げる前に奪ったいう差出人のメモがありました。
「焼け焦げ文書」は8ページありCIA長官など宛てに、次のような内容がありました。
「各プロジェクトについて……見直しや評価が必要になってきた。
問題解決に当たり新たな指令書を作ったので、各自検討していただきたい。
検討に当たっては、……メンバーすべてが同意できる結論を出してほしい。
すでに御承知かと思うが、ランサーがわれわれの行動について、あれこれ詮索している。
許しがたいことである。……」
「ランサー」とはケネディ大統領を指す隠語だといいます。
「―状況が当方の環境における成育を阻み、ワシントンに対してこれ以上影響を与えられない場合には雨を降らすべきである。」
この意味は「UFO情報を公開しろとうるさいから、ケネディ大統領を殺すべきである」という文章です。
政府はこの「焼け焦げ覚書」を否定しました。
しかし、数年後タイプ用紙の紙質や印字インクを分析にかけた結果、1960年代に使用されていたものと同質との鑑定結果でした。
マリリン・モンローの暗殺

ケネディのほかにケネディの愛人だったアメリカの大女優マリリン・モンローも暗殺されました。
1950年代、大富豪で実業家の父親ジョセブ・ケネディがハリウッド映画業界に多額の投資をしていた関係で、当時上院議員であったケネディはハリウッドに頻繁に出入りしていました。
国民の人気を得ていたケネディがあるパーティーで、有名になる前の金髪の美人女優マリリン・モンローに惹かれたのです。
モンローは当時4回の結婚、離婚を繰り返していた恋多き女性でした。
ケネディがモンローに近付き二人の情事が始まったのは、ケネディが大統領に就任した1961年以降だといわれています。
モンローとケネディの関係は、ケネディの妹の夫のピーター・ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されています。
また、モンローはジョンの弟で司法長官を務めていたケネディの弟ロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがあります。
当時ケネディは、ジャクリーンとすでに結婚しており二人の子供もいましたが頻繁な女性関係はあとを絶たずアメリカ大統領になってからもモンロー以外にも数多くの芸能界の美女と関係していました。
その中でケネディとモンローの関係は特別に親密で深い関係にあり、ほかのどの女性よりも長く続いていたとモンローの友人や関係者が語っています。
ケネディとモンローとの真剣な情事が始まってから、その事実は首都ワシントンのホワイトハウスの内部関係者の誰にも知られていましたが、一般メディアにはトップシークレット(最高機密)でした。
国民に最も尊敬されている大統領に愛人がおり、その相手がハリウッドのセックスシンボルで、女優として有名なマリリン・モンローであるという事実が一般に知れわたれば、国の指導者としての立場はモラルで失格しケネディは辞任を迫られる結果になるからでした。
その一方、大統領に夢中になっていたモンローは「いつの日かファーストレデイになることを夢見ていた」とモンローの前夫のロバート・スラッツァーは彼の著書に書いています。
ケネディとモンローは、ケネディの義理の弟でイギリスの映画俳優ピーター・ローフォードの、ロサンゼルスのマリブ海岸にあるビーチハウスやニューヨークのホテルのペントハウスで頻繁に密会を重ねていました。
ベッドでゆったりした気分でしゃべりまくるケネディは、当時ソ連と冷戦関係にあったアメリカの内政や軍事極秘事項までモンローに漏らしてしまっていました。
ケネディから聴いたこのような極秘情報を、マリリンは綿密に自分の日記に記録していました。
これがのちになって、マリリン・モンロー死亡の真相の鍵を握るといわれている有名な「赤い日記帳」です。
また、モンローは電話で長話をするのが好きな女性で映画の撮影中に起きた監督やプロデューサーとのいざこざやケネディとの密会中の出来事を友人や知人におもしろおかしく話すのが毎日の楽しみでした。
ケネディの日常の行動と電話での会話は、公式であろうとプライベートであろうとすべて盗聴されていました。
モンローの電話での会話もすべて盗聴されており彼女の寝室には盗聴機が仕掛けられていました。
モンローはある日、親友の1人で政界やハリウッド映画界に精通していた記者のドロシー・キルガレンに電話で「実は大統領からUFOの話を聞いた」と言いいました。
キルガレンは、イギリス情報局秘密情報部(MI-6)を通してすでに大まかな内容は承知していたので驚かなかったといいます。
キルガレンは、ケネディ大統領暗殺の真相を独自に調査研究しており、暗殺の単独犯とされたオズワルドを射殺して刑務所に服役中のジャック・ルビーに独占インタビューをしています。
しかし、そののちに自殺に見せかけられ殺されています。
情報部の盗聴によって、ケネディがモンローに漏らしている機密事項を知り、情報部はその件を大統領に厳重に警告しました。
アメリカの指導者が最高機密事項を一般市民に知らせることは、国家の行政・司法・軍事を侵害する犯罪者または国家反逆罪に問われ、大統領辞任はもちろん逮捕され裁判で懲役刑に処されるか運が悪ければ死刑をも言い渡されることにもなりかねないのです。
自分の立場を憂慮したケネディは、モンローとの関係終わりにしようとしました。
しかし、モンローはケネディを諦め切れず、しつこく彼を追い回していました。
窮地に陥ったケネディは、ホワイトハウスにかかってくるモンローからの電話と送付されてくるラブレターを一切シャットアウトして彼女との関係を完全に遮断しました。
ケネディにこのような仕打ちを受けたモンローは、その理由と真相もわからず憤慨し落胆しました。
1962年の夏、大統領から絶縁され心を痛めていたモンローはそれが元でノイローゼとなり不眠症にかかり多量のアルコールを飲みふけり大量の薬を飲むようになってしまいました。
そして、映画での演技も失敗を重ね監督には怒鳴られ、挙げ句には制作プロダクションであるFOXから解雇されてしまいます。
彼女は統合失調症と診断され、精神分析医ラルフ・グリーンソンの治療を受けはじめます。
憤慨しているモンローは、友人たちに電話で「私はケネディに捨てられた」とケネディへの怒りと恨みを話しています。
そして、モンローはケネディから聞いた最高機密事項を暴露し記者会見を開いて全部話したために記者会見をセッティングしてしまいます。
当時、マリリン・モンローは世界で最も有名なハリウッド女優であり、彼女が記者会見を開いて何かを発表するとなればマスメディアが注目するのは当然でした。
その記者会見の日時は、1962年8月6日、月曜日と予定が組まれました。
モンローは8月4日の夜、知人に次のような話をしています。
「記者会見では、誰もがショックを受けることを暴露してやるわ。
この全世界の人類がショックを受けることを……」
この電話も盗聴されていました。
そして、マリリン・モンローは記者会見が予定されていた前日に死亡しました。
1962年8月5日、自宅の寝室で全裸で死んでいるのが発見されました。
没年36歳。
彼女はノイローゼで、しかも不眠症のため睡眠薬を常用していたので、死んだときは事故死説、自殺説を信じられたのです。
日記帳に記されたケネディから聞いた秘密事項は「赤い日記帳」とともに行方不明になっています。
死の直後、マスメディアでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性中毒で自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃と悲嘆が駆けめぐりました。
ただの過量服薬であるとの声もある上「『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して」との根拠に欠ける仮説も唱えられました。
しかし、2000年代に入りFOXニュースがフォックスの倉庫から発見した資料によるとFOX首脳部との会談でモンローとそりの合わなかった監督を降板させモンローを復帰させる契約が交わされていたことが分かりました。
さらに、『何という行き方!』というミュージカル大作への出演も決まっており、「マリリン・モンローが配給会社から見捨てられ失意の中で死んでいった」という仮説は成立しなくなりました。
1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けています。
謀殺説は、モンローの死後間もない時期から存在していました。
現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたときに手には受話器が握られていたもののFBIが押収したモンローが死亡した前日と死亡した夜の電話の通話記録には電話局からは同時刻の通話記録はなく部屋からは彼女の赤い日記帳が消えていました。
そのため電話の通話記録の改ざん、隠蔽を行うことができる政治力の持ち主がモンローの死にかかわっていたとする主張があります。
「急性睡眠薬中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったもののダイヤルする前に事切れた」という説もあります。
モンローの元夫で、今年78歳になるロバート・スラッツアーは、モンローの死の直後から「マリリン・モンローは殺された」と一貫して主張します。
ロバート・スラッツアーは、次のように語っています。
「離婚後もマリリン・モンローとは仲の良い友達だった。
彼女が自殺するなんて、考えられない。
彼女の死の先にはホワイトハウスとCIA、ケネディ兄弟がいる」
そののち、新たな情報がニューヨーク・マンハッタンに住む弁護士カール・ピアソンからもたらされました。
ケネディ大統領は上院議員の時代から、ローレンス・キューザックという顧問弁護士を雇っていました。
ローレンス・キューザックはすでに死亡しましたが、ケネディ自筆の極秘資料は息子レックスに託され、めぐりめぐって今はピアソンの手元で管理され、関係者の間でキューザック・ファイル(J・F・K極秘メモ)とよばれています。
そのメモがケネディの自筆であることは、ロンドン警視庁の筆跡鑑定でも証明されています。
膨大な資料の中には、マリリン・モンローとの関係を裏付けるメモもありましたが、それ以上の衝撃の記述が残されていました。
「あのことは絶対に口外しない。口止め料として60万ドル(6千万円)支払う」というマリリン・モンローとの契約書のコピーがありました。
CIA機密文書には「マリリン・モンローは危険な女だ。国家を脅かす機密情報を知っている」とタイプされています。
マリリン・モンローは、友人のジーンに「私はUFOの秘密を解き明かす大変な証拠を知っているのよ」と語ったまさにその2週間後、自宅で死んでいるのを発見されました。
ロス検視局では、死因は睡眠薬のバルビタールとなっていますが、その朝に検視官の調べた結果は彼女の胃や消化器官や腎臓にはバルビタール服用の証拠は検出されませんでした。
バルビタールを飲んで死にいたるには少なくとも52錠以上が必要で、これだけの量を飲んで、胃や消化器官に何も残っていないことはありえないといいます。
それに、バルビタールの飲みすぎ特有の症状である引きつけも起こしておらず、マリリンは身体をまっすぐにして横たわっていました。
つまりモンローは、バルビタールを飲んだのではなく、別の手段で身体に入れたということになります。
注射器などは部屋からは発見されていなく、遺体にも注射の跡はありませんでした。
事実は無理やり押さえ込まれたのち、バルビタール剤とバルビツール剤とともに睡眠薬として用いられたが包水クロラールを調合した強力な座薬を肛門から入れたのです。
口から無理矢理飲ませるのは、顔や身体に揉みあった証拠を残す恐れがある上に吐く可能性があるため、肛門から強力な座薬を挿入し毒殺しました。
アルコールは、その前に彼女に無理やり飲ませた物で、死亡原因をアルコールにするためのカムフラージュにすぎません。
マリリン・モンローの死の疑惑も、ケネディ暗殺の直後だっただけにいろいろと囁かれましたが、いつの間にかそれも忘れ去られてしまいます。
UFO目撃
1897年、アメリカ中西部を飛び交う不思議な飛行物体の目撃事件が勃発しています。
当時の目撃記録によると、筒状の長い飛行物体が光の点滅とともに中西部を飛び交い強力なサーチライトで地上を照らし、ときには着陸したとされています。
しかも、謎の飛行物体の中から乗員が降りてきたと記録されています。
これは、アルザル人の葉巻型の母船です。
1940年代の北ヨーロッパでも母船の目撃事件が多発しています。
のちに「ゴーストロケット」と名づけられる巨大な筒状の飛行物が、赤い尾を引きながら北を目指して飛行する光景が各地で目撃され続けられました。
ゴーストロケットの目撃談は、ゴーストロケットは無音で超高速で飛行しときには異様なほどに遅く空中に溶け込むように消滅するといいます。
航空自衛隊の戦闘機パイロットとして3800時間の総飛行時間の経験を持つ、元自衛隊空将の佐藤守氏の著書、『実録・自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』には、37人の空自自衛官が、全員ではないものの顔写真、実名で登場していて以下のような証言があります。
1985年、名古屋上空での自衛隊の空輸送機のUFO遭遇事件。
操縦士と副操縦士の2名がコックピットから前方に細長い葉巻型の飛行物体が空中に浮いているのを目撃し、その大きさは目測で200~300mはありました。
コックピットでは「おい! カメラ持ってないか?」と騒然となり、当時は誰もがカメラ付き携帯を持っている時代ではなかったので写真にこそ収められなかったのですが、その様子を赤裸々に告白したといいます。
航空会社や自衛隊のパイロットは、UFOを目撃した、遭遇したと報告すると、精神的な健康上問題あり-とされてパイロットとして業務に就けなくなってしまうので、報告はしづらいのです。
UFOに対する日本政府のスタンスは、以下のとおりです。
日本国政府は、2007年12月に閣議決定された答弁書で、地球外から飛来してきたと思われる飛行物体について、「存在を確認していない」、「研究も飛来した場合の対策も行っていない」と記載していることを表明し、以来この答弁書に一切の変更はありません。
UFO問題に日本は遅れていると思うでしょう。
しかし、UFO問題の根幹に関係しているのはイスラエルがルーツの天皇陛下と真の神道の管理組織です。
アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブの12人の息子らの子孫は、イスラエルの12部族、あるいはイスラエルの子らとよばれます。
イスラエルの子らの国はイスラエルとよばれました。
そして、イスラエルとは先祖の血統が何であろうとキリストを心から信じる者を指します。
そして、末日聖徒イエス・キリスト教会が最もUFO問題の根幹に関係しています。
宇宙や地球内部のプラズマ亜空間の星からUFOで飛来しているのは、イスラエルなのです。
秘密結社、アメリカ軍はUFO問題を熟知しています。
イスラエルの集合は、サタンにとって不快なので、UFO問題は多くの人々がだまされています。
アルザル人とUFO情報を擬乱するマニュアルを基本とする情報操作が、さまざまに変化しながら続けられています。
たとえば全米に誘拐事件が続発すると、エイリアンによる誘拐説が出て来ます。
催眠術が受け入れられると、人間に催眠光線を当てて記憶を消すエイリアンが登場し、逆行催眠でUFOに誘拐された記憶を蘇らせるのです。
そして、家畜に登録番号を埋め込むインプラント技術が確立されてくると、人体にインプラント(体内に埋め込まれる器具)するエイリアンが登場し、世界的にバイオ技術が発展してくるとバイオ技術で増殖するエイリアンが登場します。
このように、社会状況に見合ったエイリアンを作り出し登場させているのです。
偽エイリアン
末日聖徒イエス・キリスト教会の初期の会員オリバー・B・ハンティングトン(1823年‐1909年)の日記に、以下のようなジョセフ・スミスの発言が記録されています。
「『月面上の住民は、地球上の住民よりも背丈が一様で、大体6フィート(約1,8m)くらいの身長である。
彼らは、一般的にクエーカー教徒のような装いである。
また、大変長生きで、大概は1000歳まで生きる。』
これは、ジョセフ・スミスが月の住民について語った内容であり、彼はイエスの名によって御父に願えばどのようなものでも見ることができるのです。」 (Journal of Oliver B . Huntington Vol.3 p.166 of typed copy at Utah State Historical Society)

クエーカー教徒は、外見に質素を実践しています。
男性はつばの広い帽子に灰色か茶色の服、女性は無地の服とボンネットです。
月に住民がいるという教えは、1892年になって教会出版の『The Young Woman's Journal』の中でオリバー・B・ハンティングトンはこう書いています。
「太古から現在にいたるまで天文学者と哲学者らは、月には大気がなく人間の住むことができない世界であると主張してきました。
しかし近年、優れた天体望遠鏡 による発見から科学者はこれまでの古い常識にいくつかの疑問を抱き始めています。
この半世紀における人類の偉大な発見の多くはさまざまな方法で直接的・非直接的を問わず、ジョセフ・スミスが預言者であることを証明しています。
1837年にジョセフ・スミスは、月は地球と同じように男性と女性が住んでおり、彼らは私たちよりも遥かに寿命が長くおよそ1000歳近くまで生きると言いました。
ジョセフは、月の住民の平均身長は約6フィート(約1,8m)で、皆一様にクエーカー教徒のような様式の服を着ていると説明しました。
カートランドで1837年に、預言者ジョセフの父親から祝福師の祝福を受けたとき、私は21歳までに伝道に出て、海の島々に住む人々や月の住民に福音を述べ伝え、さらには現在、目で見ることができる惑星に住む人々にも伝道するであろうと告げられました。
最初の2つの約束はもう成就しており、残りの約束も実現するでしょう。
すでに2つの約束が果たされているのですから、当然3番目の約束も成就すると期待しています。
神から与えられた知恵と霊感によって、人は1つの真実から別の真実を見つけ出します。
神の霊感によって人類は、コロンブスが発見するまで、新大陸を捜し求めるように促されました。
人類は北極に存在する1つの国を見つけるために、数百万ドルの財産と何百人もの命を失ってきました。
しかし、人類はいまだにその国を発見していません。
その国は温かく、実り豊かで、イスラエルの10部族が住んでいます。
その国は1つの川によって分けられており、片側にはマナセ族の半数が住んでいます。
マナセ族はほかのすべての部族よりも人数が多いのです。
預言者はそのように語りました。
また預言者は、細長い物に囲まれた両極における地球の状態についても説明し、その図形を描きました。
もし、太陽光線を容易に見つめることができるなら、光が両極の真ん中へほぼ垂直に降り注ぎ、地球の中心部が温められ、肥沃な土地 になっているのが分かるでしょう。
預言者は自説の証明として、次の聖文を引用しました。
『地球はその翼をもって回転し、神の創造物の中を進む。』
そして、地球の姿には相似があり、この言葉に対応していると述べました。」 ユタ州シーダー駐屯地 1892年2月6日
(“The Young Woman's Journal” pub. by the Young Ladies' Mutual Improvement Associations of Zion, 1892, Vol. 3 p. 263-264) (参照)
ダニエル・ヘンドリクスは、ある晩、マーチン・ハリスとともに馬でとある村に向かう途中、月のあまりの美しさを賞賛したところ、ハリスは、自分は月を訪れたことがあり、それが許されるのは信仰に忠実な者だけだと答えました。 (William A. Linn 著 “The Story of the Mormons”)
ジョセフの死後も、教会は長い間にわたって月に住民がいるという教義を教えています。

第2代大管長ブリガム・ヤングは、1870年7月24日に次の説教をしています。
「狂信者とはどんな人々が説明しよう。
狂信者とは偽りの原則と知識を事実として受け入れ、偽りを基とした理論を築こうとする人々である。
彼らがいかに熱心であろうと、世の終わりまで偽りの原則に基づいて判断し主張するので、その結末は偽りである。
もし私たちの宗教にそのような特性があるのなら、それを証明できる者を教えてもらいたい。
私たちは、無学だといわれている。そのとおりである。
しかし何に対してだろうか。
すべての人は無知ではないだろうか。
私はそうだと思う。
あの『月』とよばれる晩に輝く小さな天体に住民がいることを知っている者がいるだろうか。
私たちが月の面を眺めるとき、『月の住民』とよばれ、学者たちが山脈の影だと言っている部分が見える。
しかしそのような主張は非常に曖昧で無意味なものである。
もしあの天体に住民がいるかどうかを聞かれたら、最も教養のある者であっても無知を晒すしかないだろう。
太陽の住民についても同様である。
太陽に住民がいると思うだろうか。
私はいると思う。
あそこに生命体がいると思うか。
何の疑問もない。目的なしに造られたのではないのだから。
太陽はそこに住む人々とほかの惑星たちに光を与えるために造られた。
この地球も栄光を受けると同じように、光を与える星となるであろう。
すべての惑星は組織されて間もないころ、体に神の栄光を受けておらず暗い状態にある。
しかし、神の創造するすべての惑星は栄光を受けると光り輝くようになる。
キリストは、この地球の光である。
神は私たちの目に光を与えられた。
あなた方は今まで、誰が自分に見る力を与えたのか考えたことがあるだろうか。
誰が私たちの頭に2つの眼球を組織して神経で脳とつなぎ、円と四角、垂直と水平、大と小、白と黒、茶色と灰色を見分ける力を授けたのか。
あなた方は、自分でこの能力を手に入れたのか。
あなた方のうちの誰かが、この力を私に与えたのか。
あるいは私があなた方に与えたのか。
どちらも違う。
それなら私たちは、誰から見る力を与えられたのか。
至高者からである
これらの小さな事柄や地球の創造物とそこに住む人間について考えるとき、何と不思議で並外れた御業なのだろうかと思う。
自然界の法則は、何と調和のとれた美しいものなのだろうか。
神が御業を進め王国を築き始めるときに、誰がそれを妨げ神の御手をとどめることができるだろうか。」 (1870年7月24日 ブリガム・ヤング Journal of Discourses Vol.13 p.271-272)
教会ではジョセフ・スミスのような預言者以外にも、さまざまな役職にある人間は神からの啓示を受けることができるとされています。 (教会全体への指示は預言者のみです)
伝道者ともよばれる「祝福師」も、その1人です。
ジョセフの兄であり、祝福師でもあったハイラム・スミスの発言が、日記に記されています。
「われわれが見る星々の一つ一つに、地球と同様に住民が住んでいる。
太陽にも月にも星にも住民がいるのである。」 (George Laub's Journal, as cited in Brigham Young University Studies, Winter 1978)
第5代大管長ロレンゾ・スノーも「月に行く力が与えられる」と、祝福師を通して神から宣言されています。

アダムの堕落後に神は太陽に変化を起こし、現在の姿になりました。
神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。 (創世 3:24)


太陽フレアとは、太陽の大気中に発生する爆発現象
太陽は巨大な質量を持つがゆえに無数の磁力線が発生し、磁力線の無数の拡散と一定しないらせん運動は太陽大気圏の上で無数の磁気リコネクション(交差する寸前にやめて、つなぎ替えをする)を引き起こしすため、磁気リコネクションの周辺に無数の大気プラズマ現象(一種の光学現象)が無数に拡大し、太陽大気圏の上にプラズマ現象が四方八方に生まれプラズマの炎が回転し太陽表面全体をおおっています。
プラズマの特殊な電磁場がプラズマを生み出し、そこから新たな電磁場が誕生しプラズマを生じます。
無限ループともいえる電磁気現象こそ、太陽を輝かせているエネルギーの正体です。
太陽は地殻天体でありながら、大気圏外ではプラズマが燃え盛るような姿にあるのです。
つまり太陽は核融合ではなく、大気プラズマ現象で燃えているだけなのです。
1995年、アメリカのキット・ピーク国立天文台は太陽表面全体に「水分子」が存在することを観測しました。
これは、太陽表面に雲が存在すると証明します。
太陽表面に雲が存在するのは、太陽が核融合で燃えているとする誤った定説のアカデミズムの常識では絶対にありえません。
そして、1997年にイギリスのロンドン大学のオレグ・ボリアンスキー教授たちスタッフが、太陽黒点を最先端の精密装置で観測したところ赤外線スペクトルが理論上の水のスペクトルに一致して、やはり大量の水分子を検出しました。
この場合、太陽黒点の温度が4500℃と周囲より低いだけに水分子の存在は予測されたとはいえ、これで太陽表面の各所で水蒸気が検出されたことになります。
もちろん今の状況では、キット・ピークでの水分子の検出が太陽全表面にある黒点の水蒸気を観測したともとれますが、やがてそうではないと確認されるでしょう。
これだけの水蒸気を噴出するものは火山です。
規模の違いはあっても太陽系の惑星の火山はどれも大量の水蒸気や水を噴出させています。
散在する太陽黒点の下には、「巨大活火山」が存在しているのです。
太陽の水の存在は、ジェット推進研究所(JPL)や外国の天文台が公表したものです。
軍事組織であるNASAは国策上アカデミズム擁護であり、諸外国が真実に気づい初めて情報を出す性質があります。
これらのデータは太陽が、核融合で燃えていないことを証明する科学的証拠なのです。
太陽とは核融合で燃える天体ではなく、巨大な地殻と海がある厚い大気圏の上がプラズマ発光する巨大天体です。
1995年8月、イギリスのバーミンガム大学のY・エルスワースとその研究チームが、太陽のガス運動の底にある不可解な状態を明らかにしました。
彼らは太陽表面で起きる5分振動に注目し、それが太陽内部変化にともなう現象なら振動を分析することによって逆に内部構造を明らかにできると考えました。
研究チームは1992年1月から1994年8月にかけ、アメリカ、オーストラリア、チリなど世界6か所で観測を行った結果、奇妙な事実に気づきました。
定説では太陽はガス天体ゆえ緯度によって自転速度(角速度)が異なります。
地球から見て赤道付近は27日周期であるのに対して極地方は32日周期です。
内部もまた緯度によって自転速度が異なっていると思われていたのですが、この常識が違いました。
すなわち、対流層の内部では緯度にかかわらず自転速度が一定だったのです。
これはガス天体ではありえません。
緯度にかかわらず自転速度が同じなのは固体である証拠です。
アレシボ天文台から太陽に向けて照射した電波を地球上の2か所で受信し慎重にノイズを除去したあと、最新技術で画像化したところ、そこに写っていたものは驚くべき太陽の素顔でした。



太陽大気圏の外は別として、プラズマ領域内部では、われわれの知る法則が通用しないプラズマの特性の影響下の世界(亜空間)が広がっています。
プラズマについては人類はやっとその門口に立った程度にすぎず、プラズマの持つ不可解な性質についてはあまり分かっていません。
とくに太陽のようなプラズマにおおわれた世界では、「特異点」ともいうべきある周波数の範囲であれば人体がプラズマで燃え尽きる危険性もなく、地球と変わらない環境が可能となります。
その世界はプラズマの特性の法則下にあるため、巨大な重力によって押し潰される心配もありません。
天地創造と地球のバプテスマ
アルザル人の寿命は、1000歳です。
これはアルザルが地球の表面と環境が異なり、有害な紫外線などを浴びることがないため、不必要な細胞分裂が進まず、若い肉体を保つことができるからです。
行方の知れない10部族やUFO問題、サタンの秘密結社の詳細な解説は非公開記事です。
ダイジェストの公開記事があります。
ダイジェスト 第三次世界大戦とハルマゲドンの最終戦争
<転載終了>
② 太陽光以外の光源があるとしか考えられないような不自然な影が多数見られる。
平面に伸びる影が同じ方向を向いていなかったり、2人の宇宙飛行士の影の長さが異なったり旗の影がなかったりする。


月は真空状態なので、コントラストが強まり陰になっている部分は真っ暗になる。
ところが、逆光になっている宇宙飛行士や着陸船が明るく写っており、補助照明があったとしか考えられない画像がある。
③ 月面写真の空には星が写っていない。

④ 同一の背景を持つ2つの写真で1つは月着陸船が写っており、もう1つは月着陸船が写っていない。
月着陸船がまったく写っていない状況はありえず、スタジオで撮られた可能性が高い。
月に行ったアポロの写真のいくつかは同一の背景を持っています。
アポロ月着陸船の写真もその1つで下に見ることができます。

ここでポイントは「同一の背景」を持つ2つの写真についてで、1つは(左)、それらの背景に山が写っており、月着陸船を手前に写したもので、 別の物(右)は背景には同じ山があり、着陸船のない物です。
もちろん宇宙飛行士は、着陸する前にいずれかの写真を撮れるはずがありません。
そして、帰還の際に発射後、月着陸船の一番下の部分は残されたままにされるので、どのような場合でも2番目の写真(右)のような状態で前景に何もない状態はありえません。
山の背景は偽物のスタジオセットで撮られたものであって、別の写真(左)のためにNASAによって再利用されたことになります。
⑤ 月面の異なった場所で撮られたビデオ映像なのに、背景の丘や地面の石の配置が同じものがある。
⑥ 月着陸船の写真では、着陸船のロケット噴射でできるはずのクレーターが撮影されていない。
ロケット噴射でちりが吹き飛ばされたなら、宇宙飛行士の足跡がくっきりと残るのはおかしいし着陸船のパットがぴかぴかでちり一つないのはおかしい。
⑦ 月の重力は地球の6分の1で、それに応じて宇宙飛行士が歩行したり月面車が走ったりしているが、映像を倍速にすると地球上の動きと同じになる。
宇宙飛行士の肩から物が月面に落ちるときの落下スピードが、地球と同じである。
⑧ アポロ11号の月着陸時の音声に、ロケットのエンジン音が聞こえない。
これらの疑惑は、ただ1つ以外は解明されているとされています。
① 星条旗がはためいて見えるのは宇宙飛行士が行った演出。
② 複数の光源があったとしたら影も複数になるが、複数にはなっていません。
影の方向がばらばらなのは、月面は平らではなく起伏が激しいからです。
月面のちりはガラス成分が大量に含まれていて強く光を反射するからです。
それは雪原が太陽光を反射するようなもので「ハイリゲンシャイン」といわれます。
③ 月面は太陽の光を強く反射するため、カメラの露出を絞っていました。
その結果、わずかな光しか発しない星が、フィルムに感光しない事態になったのです。
「視差」の問題です。
④ 撮影場所を少し移動しても遠くの物体は、ほとんど位置が変わりません。
とくに月面では遠近感が狂い、必要以上に視差が強調されてしまうのです。
⑤ ビデオは映像と音声が別々に記録されていたが、ビデオを編集したときに誤って約1日前の音声をビデオに録音してしまったからです。
⑥ 月着陸船のロケット噴射はほとんど透明で、空気のない月では噴射された高熱のガスは瞬時に拡散します。
また着陸時にはスロットルが絞られ、推力1200kg程度になっていました。
これは1平方㎝あたり80gの圧力となり、この圧力ではクレーターはできません。
実際には噴射の痕跡のある写真も存在しています。
そして空気のない月ではちりは飛び散ってしまい舞い上がることがないため、着陸船のパットにちりが乗ることはないのです。
着陸船の周りでは飛び散ったちりが積もっていたこともあって、宇宙飛行士の足跡はくっきりと刻まれました。
⑦ それは印象の問題で、実際は倍速にしても地球上での映像には見えません。
月面車ローバーの車輪が巻き上げる砂は完璧な放物線を描いて落ちていますが、それはそこが真空状態であることを示しています。
実際は地球の重力で計算した場合でも計算は合いません。
宇宙飛行士が振り返ったとき、物が肩口から勢いよく落ちていることから見れば、落下するときに初速度がついていたのが原因です。
なおアポロ15号ではハンマーと鳥の羽が同時に落下する実験が行われていますが、それは空気抵抗のない月面である証拠です。
⑧ 月着陸時のエンジン音については、まったく説明していない。
月着陸のエンジン音は、空気の満ちた船内では轟音となるはずなのに、それがないのは明らかにおかしいです。
しかし、NASA側は、これを無視するように何の説明も出していません。
アポロ11号は、月に行きました。
アポロが月面に設置した観測機器は正常に作動し、7年間にわたって月の地震(月震)のデータを記録しています。
月面に設置されたレーザー光反射装置が存在することも事実です。
そして、380kgの月の石も持って帰りました。
月の石は、捏造された偽物だという意見もあります。 (参照)
アポロ11号の月着陸時の音声に、ロケットのエンジン音が聞こえないのはなぜでしょうか。
それは、公式発表よりも約1時間も早く月着陸が行われていたからです。
つまり、エンジンは切られていました。
そして、着陸時の映像を見ながら、アフレコでアームストロングが実況しました。
これは、世界へ月面着陸の成功をきれいな画像で送信したいための失敗時のフォローです。
アポロ11号の月面での活動は、アメリカで月が沈んだためオーストラリアのパークス天文台から中継されていました。
月への歴史的第一歩を記した直後のこと、アポロ11号からの実況映像が約2分間中断されます。
2分間のシャットダウン後の映像は、緊急時に備えていた別のVTRに差し替えられました。
世界に知られたくない物を隠すために、プラズマ兵器やプラズマ推進の宇宙船の機密がある軍事施設のエリア51で撮影された偽造映像を送っていのです。
当然、うその映像とばれないように月面での映像を混ぜています。
そして、日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の月周回衛星「かぐや」の映像は、アメリカが許可した画像で、JAXAは画像をアメリカに送って、アメリカが画像を加工して日本に送り返す画像です。
アポロは月へ行きました。
しかし偽造映像も存在しました。
偽造映像は、アポロの月面活動を隠す必要があったからです。
なぜなら、サンタクロースがそこに現れたからです。
公式発表では、2分間、月からの通信が完全に途絶えたことになっています。
しかし、オーストラリアのパークス天文台のある通信士がこの間のアームストロングと司令センターとの会話を傍受していました。
それが次の会話です。
アームストロング
「あれは何だ? あれはいったい何なんだ?
あれについてすべて知りたいんだ!」
ミッションコントロール
「何がそこにあるんだ?……故障(誤伝送)……ミッションコントロールからアポロ11へ……」
アポロ11
「これらの赤ん坊は……巨大だ!
sir!……でかい!……おやおや!
信じられないでしょうが!
……よその宇宙船がそこにいると言っているんだ!
……クレーターの端の遠方の側面の上に並んで!
そいつらは月の上にいてわれわれを見ている!」
一般の通信士が傍受したことに疑問が生じるかもしれませんが、こうした内容は当時のソ連も傍受していました。
NASAの正式発表では、この件についてはノーコメントです。
2006年7月24日、イギリスのチャンネル5の科学ドキュメンタリー番組『アポロ11号 明かされないストーリー』中で、アポロ11号の飛行士バズ・オルドリンが、ミッション中のUFO目撃を語りました。
オルドリンは言います。
「観測できるほど近くに、何かが存在した。
それには何の可能性があるか?」
そのドキュメンタリ番組中、彼は言います。
「そのときのわれわれ3人は、『おいヒューストン、われわれのすぐそばで何かが動いているぞ。それが何かはわれわれにはわからないが』とかいう内容を、うっかりしゃべるつもりは明白になかった。
なぜならその様な伝達は、あらゆる種類の人々、エイリアンやそのほかさまざまな理由でわれわれの帰還を要求するかもしれない誰かが、それを聞くかもしれないことを、われわれは知っていたからだ。」
NASAはUFOについて知っていましたが、その情報は隠蔽されていたと彼は語ります。


1969年、アポロ11号が遭遇したアルザル人のUFOです。
葉巻型母船とホームベース型小型船で、ぼやけて写っているのはプラズマにおおわれているからです。

1969年、ソ連のルナ15号からの撮影
サンタクロース
1968年、アポロ8号は人類史上初めて月の裏側を周回しました。
乗組員は、フランク・ボーマン船長、ジム・ラベル飛行士、ウィリアム・サンダース飛行士の計3名。
月は常に同じ面を地球に向けているため、それまで裏側を見た者は誰もいませんんでした。
アポロ8号は初めて月の裏側を見たのち、ヒューストンへの通信の中で衝撃的な発言をしました。
「みんなに伝えてくれ。サンタクロースに会ったぜ。」
NASAの用語には「サンタクロース」という単語はありません。
サンタクロースとは、UFOの隠語です。
それは、1987年、日本のテレビ番組に出演した元NASAのアポロ15号の飛行士ジェームズ・アーウィンは、「サンタクロース」はUFOを指す暗号だと肯定しました。
宇宙飛行士に規定されているエイリアンクラフトのコードは、地球圏、大気圏の中から400kmぐらいまでは「ボギー」、海抜4万kmを超えて、月の軌道上に行くまでの間は「スカンク」、月の軌道上では「クリスマスツリー」、そして月面では「サンタクロース」と呼び方が決まっています。
アポロ8号には緊急チャンネルが存在していて緊急チャンネルの記録を見ると、明らかにサンタクロースがジョークではないです。
ボーマン
「サンタクロースがつきまとっている!」
司令センター
「何機だ?」
ボーマン
「今は1機だけだが、あっという間に接近してきた。ものすごい光を放っている」
司令センター
「危険は感じるか?」
ボーマン
「いや、距離があるのでそれほど感じないが、サンタクロースも無理に接近してこない。じっと見ているという感じだ」
司令センター
「撮影しておいてくれ」
ボーマン
「了解」
ボーマン
「彼らは、月の裏側にいるんじゃない。表側にも掘削機がいくつも見えた」
司令センター
「大きさは、どのくらいだ?」
ボーマン
「あくまで目測だが、とにかく巨大な掘削機だ。地球で見るような規模じゃない。はるかに広範囲を1台で掘削しているのもいた。大きさは……駆逐艦くらいだろう」
司令センター
「了解」
宇宙飛行士が遭遇したUFO
アポロ12号から月面に降り立った飛行士は2人だけでした。
その2人が月の上を歩き回っていたとき、1人のバイザーに映っていた飛行士はカメラを持っていませんでした。
誰がその写真を撮ったのでしょうか。

一般に公開されている写真(画像上)では、月面の土を採取する月着陸船操縦士アラン・ビーンの写真を撮影したとされるコンラッド船長の姿がビーンのヘルメットに映っています。
2人きりの月面でバイザーに映ったコンラッド船長はカメラを持っていません。
上から2番目の画像は、2003年の初めごろにNASAのホームページにあった画像で現在ははありません。
なぜ、画像処理してもう1人を消す必要があったのでしょうか。
そして、月面で旗を立てる画像には人の影はあるのに旗の影がありません。
現在、月面着陸のオリジナルVTRは約700箱分が行方不明です。
NASAは1年以上も捜しましたが発見できませんでした。
ほかの映像データを上書きしたため消去されたともいわれています。
こんなばかげたうそは、もう絶対に映像は公表しないという意味です。
現在の技術では模造がばれるからです。
行方不明になったテープには映像や音声のほか、乗組員や宇宙船の状態などが記録されていました。


AS12-49-7324

AS12-49-7318

AS12-49-7319

AS12-48-7079

AS12-48-7080
連続写真には、頭上の光体が動き回っていることが判明しました。
手前の輝いている位置の上空から、飛行士の頭上へ光体が動いています。
宇宙飛行士の周りを光体が飛び回り一帯が光で溢れており、カメラの露出がおかしい光が溢れています。
明らかに太陽光線とは別の光源です。
光の位置から判断して飛行士の前方の位置で上空に滞空しているようです。
画像はUFOの光が映っている数十年にわたるNASAのプレスリリース用写真「JSC Digital Image Collection」では公開していない画像です。
発光体が目の前まで近づいてきたため、露出がおかしくなったと考えられます。
発光するUFOらしきものがうっすらと写っています。
宇宙飛行士は発光するUFOの出現を撮影し位置を変えて葉巻型の母船UFOを写しています。


月への着陸船のガラス窓にエイリアンクラフト。



現在、月の内部は空洞であり、エイリアンたちは月内部にも基地を築いています。
天地創造と地球のバプテスマ
ケネディ大統領殺害の真相
ジョン・F・ケネディ (JFK 1917年5月29日‐1963年11月22日)は、第35代アメリカ合衆国大統領です。

在任中は、アメリカのすぐ南に位置するキューバを挟んで、1962年10月15日から13日間にわたって米ソ間の冷戦の緊張が核戦争寸前までたっした危機的な状況のキューバ危機の際に、米ソ間の緊張が最高潮にたっしました。
「第三次世界大戦勃発の危機」「米ソ全面核戦争の危機」と騒がれる中で事態を収拾し、米ソ全面衝突を回避したことなどで知られますが、同時期にベトナムへの軍事介入拡大を招きました。
一般的には清新なイメージのリベラル派とされ、アメリカ国民からの期待も高かった大統領でしたが、任期なかばの1963年にテキサス州のダラスにて暗殺されました。
リベラル派(自由主義)とは、政治思想の1つで、リベラル・リベラリズムともいいます。
現代の自由主義は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいいます。
アメリカでは建国以来の伝統的保守自由主義に対する民主党の社会民主主義的な思想を持つ人々を指して「リベラル」と呼称することが多いです。

1963年11月22日、アメリカ、テキサス州ダラスでケネディが市内をパレード中に銃撃され殺されました。
ケネディ大統領暗殺事件

シークレット・ガバメント
陰謀史観好きの人間にしてみれば、世界を支配している連中とくれば、ユダヤ人からフリーメイソンリー、イルミナティ、三百人委員会と、さまざまな組織や団体の名称が思い浮かぶでしょう。
しかし、世界はもっと現実的です。
陰謀組織を考える前に、もっと重要なことがあります。
世界で最も軍事力を持っているのは、アメリカです。
国家を運営するためには、経済力が不可欠で、経済を担うのは企業です。
企業の発言は国家の行方を左右するので、経済界の実力者が政治的な発言力を持つのは当たり前です。
アメリカを動かしているのは、確かにそうした経済界の人々の発言力はあります。
しかし、現実的に力を持っているのは軍産複合体の上層部のシークレット・ガバメントです。
第二次大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発をしてきました。
そこで得た研究成果は、ダウ・ケミカル社、デュポン、ロッキードなどに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産します。
シークレット・ガバメントは、アメリカ合衆国を支配しています。
国を動かすのは、政治家です。
国民によって選ばれた政治家は、そのためにあり、それが民主主義国家です。
それは、民主主義の悪い面もあります。
衆愚政治、金権政治になり、贈収賄といった腐敗が進み、暴力団、マフィアとの関係ができます。
大衆がこの世の価値観内である限り、理想的な民主主義国家などありません。
この世の価値観内では、経済に博愛、人道主義が入る余地はありません。
すべては経済的な価値で計られます。
社会で、最も高価な値段で取り引きされている商品は「軍事兵器」で、世界の経済を支えているのは軍需産業です。
軍需産業だからといって、別にミサイルや戦闘機だけを造っているわけではありません。
いわばメーカーとよばれる企業は、多かれ少なかれ軍需産業にかかわっています。
日本の企業も、しっかりと軍需産業の一端を担っています。
三菱は戦闘機から戦車、そしてミサイルまで技術協力しているほか、電子機器という意味では、ソニー、パナソニックが少なからずかかわっています。
人を殺す、街を破壊するための兵器を造り、売る、兵器が戦争で消費され、また兵器が買われることによって軍需産業は潤います。
結果として、それが経済に反映し、好景気を生みます。
平和を訴えれば、あなたはすぐにでも正義の味方になれますが、問題の根本的な解決にはなりません。
なぜなら、これはこの世の社会構造だからで、構造は、個人の意思や主張とは無関係なのです。

軍需産業と軍部が直結したものが「軍産複合体」です。
軍需産業に従事している人々の多くは平和主義者でしょう。
しかし、組織を生かすためには、数年に一度は戦争が必要なのです。
それは、単に利益を追求する企業ではありません。
利益を国家が生み出すのです。
世界のどこかで戦争を起こすことで、軍産複合体は生き長らえるのです。
軍産複合体が生き残るためには、兵器の需要が何よりも必要で、兵器を消費する戦争が不可欠なのです。
軍用機を販売しているロッキード・マーティンが、人員削減しなければならないという苦境がリークされた2012年7月19日に、アメリカ国務省はテロ活動の警戒情報を新たに出しました。
2013年3月1日からアメリカで歳出強制削減で軍事費が大幅削減されることに決定すると、4月15日にはボストンマラソン爆弾テロ事件が起きて多くの市民が死傷しています。
アメリカ国民と議員は、軍事力を減らすべきではないと思い、戦争に正当性を感じるでしょう。
軍需産業の上層部のシークレット・ガバメントは、多くの大会社を持っている世界的な大富豪です。
軍需産業以外の会社も多数あり、軍産複合体の主とは思われず、普通の企業のオーナーとしてしか認識されていない場合が多いです。
シークレット・ガバメントは、ロックフェラー家、ロスチャイルド家などの国際金融資本家を中心にして、軍の高官と軍需産業のトップ、金融、石油、鉱物、コンピューター、マスメディアなどの巨大企業の組織体で構成された「軍産複合体」の上層部です。
シークレット・ガバメントの中枢には、第二次世界大戦以前からアメリカ政府と密接な協力関係にあった超大富豪ジョン・D・ロックフェラーの孫、共和党議員および副大統領にもなったネルソン・A・ロックフェラーが就任。
現在は、外交問題評議会(CFR)や日米欧三極委員会(TLC)の理事長を務めたデイヴィッド・ロックフェラーが中枢に座っています。
陰謀論において、フリーメイソンリーやイルミナティといった秘密組織のトップとして、ロックフェラーとロスチャイルドの名前が出ます。
しかし、それは陰謀論者を利用するシークレット・ガバメントの戦略です。
多くの組織や団体に所属することによって、自分の行いを隠しているのです。
批判を組織に向けさせるのです。
陰謀論者は、罠にかかりだまされているのです。
シークレット・ガバメントは、想像を絶するような巨額の資金を動かし、政治、経済を動かし、軍を動かし、全世界をも動かします。
シークレット・ガバメントの存在そのものは合法ですが、ロックフェラーやロスチャイルドらの巨大財閥や各メディアのメジャー企業が軍部と強力な癒着関係にあることは、知られてはならないことです。
しかも、アメリカ大統領以上の力を持つのは、民主主義の国家にあって絶対に知られてはならないのです。
1800年代、政府は富が一握りの人々の手に集積することを放置し不平などが急拡大しました。
1906年の組合の時代が終焉するころには、アメリカ国内の60%の富がわずか1%の人々の手に集中していました。
ジョン・D・ロックフェラーやJ・P・モルガンのような億万長者の手に集中していたのです。

ロックフェラー財閥の創始者、ジョン・D・ロックフェラー(1839年‐1937年) は、一代で世界最大の財閥を築いた「石油王」として知られています。
「石油王」というと、オイルラッシュのときに次々と油田を掘り当てて、巨万の富を獲得した強運な人といった感じがしますが、自身が油田を発見したことは一度もありませんでした。
1848年ごろにアメリカ合衆国のカリフォルニアで起きた新しく金が発見された地へ金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到するゴールドラッシュから10年後の1859年にアメリカ、ペンシルベニア州で世界で最初の油田が発見されました。
1870年、スタンダード・オイルを設立し、全米の石油市場の80%を押さえる独占状態になっていきました。
1890年、ロックフェラー財閥を標的にした独占禁止の法律により、1911年、スタンダード・オイル社に対して、最高裁が解体命令を出します。
しかし、解体されたはずのスタンダード・オイルの各社は、エッソ、モービル、ソーカル(のちのシェブロン)と名前を変えました。
そして、ロックフェラー自身が筆頭株主のこの3社は、国際石油資本として世界の石油市場を支配しました。
そののち、1900年ごろから世界中でオイルラッシュが続き石油会社が乱立しました。
ネルソン・A・ロックフェラー(1908年‐1979年)はロックフェラー財閥の莫大な資金から、1913年、ロックフェラー財団を設立しました。
社会事業や国際文化事業に乗りだし、ニューヨーク州知事およびアメリカ合衆国第41代副大統領にもなりました。
ロックフェラー財団は、とくに科学と医学の分野においは目覚しい業績を上げ、莫大な利益を得ています。
ロックフェラーが財団を設立した理由は、税金対策、遺産税対策でもあります。
現代の価値に換算すると20兆円以上の資産ががロックフェラーの財産のまま子供に遺産として受け継がれることになると、半分は遺産税として国に徴収されます。
信託財産として資産を財団に移動すると遺産税などの課税を免れ、その額が減ることはありません。
そして、信託基金を運用して得られた収入からロックフェラーの子孫は元本をだけを受け継ぎます。
さらに、これらの資産を持つ財団の運営権はロックフェラーが持つことになるのです。
アメリカでは当時の所得税の最高税率は所得税70%、法人税20%と定められていました。
一方で、宗教・慈善・科学・教育を目的として運営されている公益的な団体には税金がかかりませんでした。
したがって、公益的な活動を行う財団を設立すれば、財団に自己の財産を移動することにより所得税額の減免を得ることができました。
この免税措置を利用すれば、同業他社に対して競争上かなり有利な立場に立つことができ、免税の適用を受けた財団に対する個人の寄付について、所得から寄付額の控除が認められました。
この寄付を受ける側だけでなく、寄付する側にも免税待遇が与えられるという二重の免税によって、財団は設立されました。
1921年、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織であり、アメリカの対外政策決定に対して著しい影響力を持つ超党派の組織である外交問題評議会(CFR)が設立されました。
外交問題評議会(CFR)は、アメリカを政治的、経済的に支配する「見えざる政府」や「ロックフェラー国務省」とかよばれています。
CFRは国際金融、産業、学問、政治、財団、マスメディア、労働界の各分野のアメリカの工リートを会員としており、第一次大戦以後のアメリカの全外交政策を決定したのみならず、大統領以下の政府要職の大部分を送り出しました。

そして、創設にはデイヴィッド・ロックフェラーがCFRのトップの名誉会長になり、ロスチャイルドのアメリカ総支配人ポール・ウォーバーグも参加しました。
CFRはロックフェラー帝国の参謀本部として成長し、アメリカにおけるロックフェラーの影響力が確立されました。
CFRの目的は、アメリカの主権と国家の独立性を廃止して、この上なく強力で専制的な世界政府に譲り渡すことです。
1973年、日本・北米・ヨーロッパからの参加者が会談する私的組織であり、民間における非営利の政策協議グループである日米欧三極委員会(TLC)の理事長をデイヴィッド・ロックフェラーが務め、世界のすべての国家、すべての人々が、1つの集合体であるという考えを世界中の大衆に植えつける活動をしています。
ロックフェラー、ロスチャイルドを中心とする国際金融資本家のFRBがアメリカを政治的、経済的に支配するために作った外交問題評議会CFR、その欧米版であるビルダーバーグ会議、世界版である三極委員会で世界を動かしていくのです。
1973年にデイヴィッド・ロックフェラーが創設した三極委員会は、いわゆる陰謀論者の間では新世界秩序(ニュー・ワールド・オーダー、NWO)の実現を推進するための組織であるとささやかれてきました。
2002年に出版された自叙伝『Memoirs(ロックフェラー回顧録)』の中で、次のように述べています。
「私がアメリカ国民の利益に反して秘密結社の一員として働いている国際主義者で、政治的、経済的により統合された世界政府の樹立を画策しているのだと信じている人々が一部にいる。
もしその計画が罪であるというのならば確かに私は有罪であるが、それは誇らしいことだ。」

アメリカにとって戦争は公共事業であり、絶えず戦争をしないと国家財政が破綻します。
無知な日本人の多くは連邦準備制度(FRB)をアメリカ政府の機関だと思っていますが、ロックフェラーの所有であり、ロックフェラーは好きなだけお金を作れるということを意味しています。
20世紀初頭は、アメリカ国立銀行に準じる連邦準備制度(FRS)を設立してロックフェラー、モルガン、ロスチャイルドが大株主になります。

1913年、ウッドロウ・ウィルソン大統領がやや強引に、アメリカに連邦準備制度(FRS)を設立しました。
大統領選挙から、ウッドロウ・ウィルソンを支援していたのは、ポール・ウォーバーグとジェイコブ・シフでクーン・ローブ商会の共同経営者でした。
連邦準備制度(FRS)の国際金融資本家は、お金を刷れば刷るほど儲かるシステムです。
アメリカの憲法1条にもあるように、貨幣の発行権は、アメリカの議会だけが独占的に持っています。
したがって、民間会社の連邦準備制度理事会(FRB)は、貨幣の発行はできません。
そこで、政府が差し入れる「利子がつく巨額国債」の代償として通貨である「利子がつかない小額に分割された国債」を発行することで通貨供給を行います。
ドル紙幣が憲法に抵触しないために、ドル紙幣は通貨・銀行券ではなく、無利子の小口国債である連邦準備券という名目にしたのです。
ドル紙幣の表側には「Federal Reserve Note」と印刷されており、連邦準備制度(FRS)の小口の債権証書(利子の付かないFRBの社債)なのです。
アメリカの財政が赤字になるほど、FRBが儲かる仕組みです。
財政が赤字になると、その穴埋めのために政府は、国債を大量に発行します。
FRBは利子がつく巨額国債を連邦政府から受け取ります。
国民は納税によってドル紙幣を政府に償還し、政府はFRBに国債の利子を支払う仕組みなのです。
FRBは国債と同額の無利子のドル紙幣を発行します。
FRBは膨大な利子分を利益とすることができ、しかもこの利益には法律により税金がありません。
そして通貨供給を減らしたいときは、利子がつく巨額国債を売却してドル紙幣を回収します。
FRBは政府から受け取った利子がつく巨額国債の代わりに、ドル紙幣として流通させます。
FRBは金などの価値実体の準備がなくても、ドル紙幣が発行できるのです。
ウッドロウ・ウィルソンは、晩年になって連邦準備制度設立に加担したことを後悔して、こう言い残しています。
「私は最も不幸な人です。
私はうっかりして、私の国を滅亡させました。
大きな産業国家は、その国自身のクレジットシステムによって管理しています。
私たちのクレジットシステムは一点に終結しました。
したがって、国家の成長と私たちのすべての活動は、ほんのわずか人たちの手の中にあります。
私たちは、文明化した世界において支配された政府、ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。
もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投票による政府はありません。
小さなグループの支配者によって拘束される政府と化しました。」
連邦準備制度理事会(FRB)は、経済成長やインフレーション抑制を目的として、公定歩合や公開市場操作などの金融政策を遂行します。
連邦準備制度理事会(FRB)は、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガンら大富豪が、半数以上の株を所有する巨大民間企業で、公的機関ではありません。
FRBの実態は、一握りの大富豪たちが、アメリカの金融政策を統制する中央銀行を運営できることになったのです。
1913年の時点で大富豪たちの都合で自由にドルを刷れる法案が可決され、ドルを利用しながら金融政策を思うままに操ることができるのです。
ロックフェラーは、通貨発行権と通貨発行益を独占し「この金の出る蛇口があつたら、大統領の席も議会もいらない」と豪語しました。
この地球の地上の最も神に近い組織「末日聖徒イエス・キリスト教会」の本部は、アメリカにあります。
そして、この地球の地上の最も悪魔に近い秘密結社の本部はアメリカにあります。
ジョセフ・フィールディング・スミス長老は、このように述べています。
「合衆国は神の王国ではない。
英国、ドイツ、フランスも同様である。
諸国を全部を1つに合わせても神の王国になるわけはなく、人の造った世俗の政府にすぎない。
御父は賢人たちを起こし、彼らを導いてこの政府を樹立させ、民に合衆国の憲法を与えられたが、この国の政府は依然として神の政府ではない。
ほかのすべての政府と同じように人が造った政府である。
キリストが降臨し統治されるまで、神の王国は存在しない。
キリストは、降臨されると王の王となられる。
そのとき、主は正当な地位に就かれる。
現在は、サタンが支配権を握っている。
どちらを眺めてもサタンが支配している。
私たちの国もそうである。
サタンは、主が許される限界まで諸政府を牛耳っている。
全地に不和、騒動、混乱がこれほど多いのはそのためである。
1人の首領が諸国を支配している。
支配しているのは合衆国大統領でもなければ、ヒトラー、ムッソリーニでも、英国王、英国政府、あるいはそのほかの国の王政府でもない。
それはほかならぬサタン自身である。」 (『救いの教義』 3:280-281)
サタンは、人々を憎んでいて、自分のように惨めになるように人を誘惑して罪を犯させます。
サタンは、人々に金を得させるために戦争をさせ、人々の肉体も霊も苦痛と悲しみの不幸にするのです。
秘密結社の活動の動機は欲望や金儲けの利己心を中心に、支配欲やうぬぼれの自己正当化と自分に従わない者たちへの蔑みと憎しみです。
そして、このような悪の動機をおおっているのは独善的な思い違いなのです。
シークレット・ガバメントの指導者の思想は、神の御心を思い違いして聖文を誤解釈して神とは逆の思想を持ちながら自らは神の御心に従って行動していると思っています。
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。
ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
しかし、主の日は盗人のように襲って来る。
その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。
その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 (口語訳 2ペテロ 3:9-14)
新改訳では、以下のようになっています。
このように、これらのものはみな、崩れ落ちるものだとすれば、あなた方は、どれほど聖い生き方をする敬虔な人々でなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。
その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。 (新改訳 2ペテロ 3:11-12)
12節は新改訳では「その日の来るのを速めなければなりません」と訳されていますが、口語訳ではこの言葉が出て来ません。
これは、新改訳で「(その日の来るのを)速める」と訳されているギリシャ語のスピュードーが「早める」の意味とともに「熱心である」という意味をも持っていることからきています。
したがって、新改訳が「神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません」と訳しているのに対して、口語訳では節がずれてはいますが「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなた方」と訳されているのです。
秘密結社は預言されているハルマゲドンの戦争を起こし主の再臨を早めるので、聖文のとおりに神を手助けしていると思っているのです。
それなので、神から遠く離れ良心は鈍り罪悪感は感じません。
大衆には隠されていますが、ケネディの暗殺は国家的陰謀でケネディの暗殺の首謀者は秘密結社を上層部にもつ「シークレット・ガバメント」です。
シークレット・ガバメントは、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー大統領の時代に作られた秘密の政府組織で、一般には「軍産複合体」とよばれる政府支援組織の上層部で、アメリカを支配し世界を動かす強力な特権階級者の組織です。

1961年1月、一国の大統領が歴史に残る演説を行いました。
それはアメリカ合衆国という国家の暗部を、白日のもとにさらした最初で最後のものでした。
大統領の名は、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー。
第二次世界大戦後は共和党から出馬し、1953年、第34代アメリカ大統領に就任しました。
自ら大統領の辞任を決意しテレビ放送を通じて、アイゼンハワーはアメリカ全国民に向け驚きの告白をしました。
「われわれ(政府と軍部)は、アメリカ合衆国の巨大な軍事機構と軍需産業の合体をアメリカ合衆国史上初めて試みることになりました。
軍産複合体を公認した結果、その影響は経済、政治、精神にいたるあらゆる分野はもちろん、市政、州議会、官公庁にまでおよぶでしょう。
しかし、軍産複合体に内在している野心的な巨大成長の可能性に対して、国民は十分な注意と監視をせねばなりません。
なぜなら、軍部と軍需産業の一体化は必ず恐ろしい結果を産む危険性をはらんでいるからです。
この巨大な複合組織にアメリカの自由の基を危うくさせてはなりません。」
大統領が自ら公認し作りだした組織を一転して批判しました。
国民に向かって危険であると警告したのです。
大統領を辞任ししがらみから逃れるとき、それまでいえなかったことを暴露したのです。
ロックフェラー家の陰謀を暴露した本『インサイダー』(英語版 None Dare Call It Conspiracy)では、アイゼンハワー大統領は大統領解任後の演説でアメリカが軍隊を強化していくなら、世界にとって危険な国となることを表明しました。

当時、農務長官を務め終えていた十二使徒のエズラ・タフト・ベンソン長老は、「私は自由世界のあらゆる国のあらゆる住民と鉄のカーテン(東欧共産圏と西欧諸国とを政治的・思想的に隔てた障壁)後のあらゆる奴隷のように働く者が、この本を読むことを願う」と推薦の言葉を付けました。(Beach, California: Concord Press, 1971 Back Cover)
十二使徒で農務長官だったころにエズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「主は預言者にアメリカ合衆国に関係のある最も大きな脅威の広大で世界的な『秘密結社』がアメリカ合衆国を脅かすだけでなく『あらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする』と明らかにしました。(エテル 8:25)」 (総大会 1961年10月)
権力と利益を得るために、このような秘密結社が全地に広がるまで支援する国民は、見よ、どのような国民でも滅ぼされる。
なぜならば、秘密結社によって流される主の聖徒たちの血が、秘密結社への報復を訴えて地からいつまでも主に叫ぶのに、主が秘密結社に報復なさらないということはあり得ないからである。
おお、あなたがた異邦人よ、これらのことがあなたがたに知らされるのは、神の知恵にかなっている。
それによってあなたがたが罪を悔い改めることができるようにするためであり、また権力と利益を得るために築かれるこれらの殺人結社に支配されることのないようにするためであり、滅亡の業があなたがたに及ばないようにするためである。
もしこれらのことが起こるのを許すならば、永遠なる神の罰の剣があなたがたに下り、あなたがたは打ち倒され、滅びるであろう。
そこで、主はあなたがたに、これらのものがあなたがたの中に起こるのを見るときに、自分たちがひどい状態にいるという意識に目覚めるようにと命じておられる。
この秘密結社があなたがたの中にあるからである。
殺された者たちの血のゆえに、秘密結社は災いである。
これらの者たちの血が、秘密結社への、また秘密結社を築いた者たちへの報復を訴えて、地から叫ぶからである。
さて、秘密結社を築く者はあらゆる地、国民、国々の自由を覆そうとする。
そして、秘密結社はあらゆる民の滅亡をもたらす。
それはあらゆる偽りの父である悪魔によって築かれるからである。
悪魔はわたしたちの始祖をだましたあの偽り者であり、また初めから人に殺人を犯させたあの偽り者であり、また人々の心をかたくなにして、初めから人々に預言者を殺させ、石で打たせ、追い出させたあの偽り者である。 (エテル 8:22-25)
十二使徒定員会会長時に出版された書籍で、エズラ・タフト・ベンソンはこう述べています。
「モロナイは、私たちがヤレド人を滅ぼしニーファイ人とレーマン人のかずかずの王国を滅ぼしたのと同じ秘密結社が、今日の異邦人の国々の犯罪的陰謀と同じであるという驚くべき事実を認識できるようにしたと思えます。」 (God, Family, Country: Our Three Great Loyalties [Salt Lake City: Deseret Book Co., 1974] p.349)
エズラ・タフト・ベンソン長老は、こう述べています。
「さて、ニーファイは民を滅亡させた要因をいろいろ挙げることができただろうが、たった1つ秘密結社を指摘していることに注意していただきたい。
それは現在の教会が、平和と繁栄と神の御業の伸展を脅かすものをたくさんあげることができるだろうが、その最大のものとして神の存在を否定するという陰謀を挙げているのと同じである。
モルモン書にあるのは陰謀論ではない。陰謀の事実である。
モロナイは現代の私たちにこう告げた。
『そこで、主はあなたがたに、これらのものがあなたがたの中に起こるのを見るときに、自分たちがひどい状態にいるという意識に目覚めるようにと命じておられる。』(エテル 8:24)
モルモン書はさらに「権力と利益を得るために、このような秘密結社が全地に広がるまで支援する国民は、見よ、どのような国民でも滅ぼされる。……」(エテル 8:22)と警告している。
この聖句は、悔い改めなければ絶対に回避できない事柄があると警告を発している。
自由世界の国民である私たちが敵の悪事に、賛成の声を日増しに高くしているのは疑いもない事実だからである。
神の存在を否定する陰謀は、法廷判決によって政府内に広がり、学校に延び、労働組合にいすわり、防衛産業に、商船界にと、さまざまな場所に触手を伸ばす。
私たちは国家として、悪い方向への多くの変革に手を貸している。」 (「忠実な聖徒の社会生活の標準」 総大会 1972年4月)

アイゼンハワー大統領が、はじめてシークレット・ガバメントを公表し警告しましたが、ベンソン長老の後ろ盾があっからこそ公表できたと思います。
1988年10月の総大会で、エズラ・タフト・ベンソン大管長はこう述べています。
「悪の力はこれまで以上に強力に組織され、より狡猾に装い、かつてない猛威を振るっています。
権力、富、名誉への欲にとりつかれた秘密結社が隆盛をきわめています。
国家の基をくつがえそうとする秘密結社がアメリカをはじめ全世界にはびこり、ますますその悪影響を広めています。
しかし、教会、神の王国もその力を増し加えています。
忠実な教会員の信仰はさらに高まり、それとともに教会員の数自体も増えています。
神聖な使命を全うするうえで、教会がこれほどよく組織され、備えられた時代は、かつてありません。
ルシフェルの指揮のもとに悪の勢力が強められ、一方ではイエスの導きのもとに善の勢力もその勢いを強めています。
この2つの勢力の争いは激しさを増し加え、やがては最終的な戦いを迎えるようになります。
問題の核心がさらに明瞭になり、やがて人々は皆、神の王国につくか悪魔の王国につくかを自ら選択しなければならなくなります。
人目につく所で行われるか否かを問わず、この戦いが激しくなるにつれ、義人は試されていきます。
間もなく、神の怒りが地の国々を震わせ、邪悪な者の上に容赦なく注がれる日がやって来ます。
しかし、神は義人に力と逃れる手段を与え、最終的には真理が勝利を収めるのです。」
また、エズラ・タフト・ベンソン大管長は、こう述べています。
「高慢の罪の実である秘密結社は、ヤレド人とニーファイ人の文明を崩壊させました。
そしてほかにも多くの国の堕落の原因となり、それは今後も続いていくことでしょう。(エテル 8:18-25参照)」 (「高ぶりを心せよ」 総大会 1989年4月)
ベンソン大管長は述べていますが、いまだに「神を忘れた謀略」が、現在も多くはびこっています。
ひどい状態にいるという意識に目覚めるときです。
秘密結社は広くはびこっています。
多くの場所にありますし、生活している多くの場所からやって来ます。
それらは単なる犯罪組織ではありません。
それらは不義な法律を制定し、民の投票によって制定された正しい法律をないがしろにします。
軍産複合体が国家を左右するように、シークレット・ガバメントの力は表の政府をはるかに超えていて、大統領もシークレット・ガバメントに逆らうことはできません。
シークレット・ガバメントの上層部は愚民たちの選挙で選ばれる大統領は、ばかたちの代表にすぎないと思っています。
つまりアメリカ大統領はアメリカの最高権力者ではなく、シークレット・ガバメントの操り人形なのです。
14 シークレット・ガバメントとサタンに従う秘密結社
ケネディは、シークレット・ガバメントが巨大化し、軍を動かすことで表の政府を牛耳ろうとしていることに気づき、テキサス石油産業への課税(当時、アメリカ南部の石油資本家は、膨大な利潤を上げていながら1000ドル以下の税金しか払わなかった)で石油メジャーを押さえ込み、世界規模のアメリカ軍基地の縮小と閉鎖で肥大化した軍の力を削こうとしました。
また実現はできませんでしたが、ベトナム戦争から全面撤退しようとしたのも軍産複合体を排して健全な民主主義体制に戻すためでした。
ベトナム問題
ケネディが大統領就任時は、生産手段の共有化による理想社会を目指す思想の共産主義者に北半分を奪われたベトナムを支援することはアメリカにとって絶対的使命でした。
ケネディは、就任直後発足させたベトナム問題特別委員会や統合参謀本部に対してアドバイスを求めました。
ベトナムの解決はアメリカ戦闘部隊の投入以外には考えられないというアドバイスを受けました。
ケネディは、ベトナム問題の政治的解決を望んでいました。
1963年の12月までに軍事顧問団の1000名の引き上げ計画を発表、そして11月の死の直前には1965年までにアメリカはベトナムから一切撤退することを発表しています。
このことは伝統的軍事優先の軍部、中央情報局(CIA)にとって耐えられない事態であり、さらに平和では利益を得ることのできない軍産複合体にとっても同様でに憎むべきことでした。
ケネディがこうした積極策を推し進め始めた直後、シークレット・ガバメントの陰謀より、1963年11月22日ダラスにおいて大衆の前で殺されてしまうのです。
仕組んだのはシークレット・ガバメントの意向のもとに動く軍部直轄の機関「NSA(国家安全保障局)」であり、暗殺に協力したのは「CIA(中央情報局)」、「FBI(連邦捜査局)」、「ダラス市警察」、「郡警察」、各地方政治組織でした。
つまりケネディの暗殺は軍が中心になって決行した軍事クーデターであり、そうさせたのは実質的にアメリカを支配するシークレット・ガバメントだったのです。

大統領暗殺騒ぎの中ダラスの郊外で、ほぼ同時刻にもう1つの殺人事件が起こっていました。
現場から6km離れたオーク・クリフ地域で、パトロール中のティピット巡査がが何者かに射殺されました。
ダラス著は緊急配備を敷き、ほどなく容疑者のリー・ハーヴェイ・オズワルドを確保します。
オズワルドはテキサス劇場でチケットを買わずに入場した不審者として逮捕されたのです。
そして、オズワルドはティピット巡査殺人容疑はさることながら、なぜか別件のケネディ大統領の実行犯として仕立て上げられます。
警察はティピット巡査を射殺した犯人を目撃した人々の証言を無視してオズワルドの調書を一切取らずに、アメリカ合衆国で保障されて基本的人権として認められているはずの弁護人さえもつけませんでした。
オズワルドが別件であるはずのケネディ大統領の暗殺犯に仕立て上げられた理由は、その時刻に教科書倉庫ビルにいたというだけで、その時点で具体的な証拠は何もありませんでした。
ところが、当局の動きは速くオズワルドが逮捕され、ケネディ大統領暗殺の嫌疑がかけられた情報が出た段階で、事件には陰謀はないと発表しました。
暗殺犯は狂信的なオズワルドによる単独犯行であると宣言し、いまだに当局はオズワルド単独犯説を主張したままです。
オズワルドは共産主義者であり、反体制でアメリカ大統領を敵視していました。
狙撃現場とされた教科書倉庫ビルの6階から、ライフルのカルカノM1891と使用済みの薬きょう3個が発見されたことも、彼が暗殺犯であることの証拠としています。

オズワルドは逮捕から2日後の11月24日午前11時すぎ、警察に護衛された状態で連行される途中、ジャック・ルビーによって銃殺されます。
真相を口にする前に殺されたのです。
何者かに操られていたルビーも関係者に事件の真相を話すと述べた直後に体調が悪化し、1967年1月3日に入院して治療を受けるも肺癌で死亡するという不可解な死を遂げています。
ルビーは癌細胞を注入されたと訴えましたが無視されました。
さらに、犯人とされたオズワルド、その口を封じたルビーに続き、ケネディ暗殺事件から4年ほどの間に重要証人が次々と死亡します。
自然死が5人、16人は事故や自殺、他殺、不審な死に方をしています。
多くのアメリカ国民は事件の背後に大きな力が働いていることに気づき始めましたが、真実を知る関係者は皆口をつぐみ、一般大衆には真相は不明のままです。
ケネディ大統領が暗殺されてから約2時間後、アメリカ合衆国憲法により、副大統領であったリンドン・ベインズ・ジョンソンが第36代大統領に就任しました。
ジョンソン大統領はただちに事件の調査を指示し「ウォーレン委員会」を発足させます。
この委員会はのちに大統領になるジェラルド・R・フォードを含む7人の政治的な配慮によって選ばれた人物で、ジョンソン大統領の意向を強く反映していました。
ウォーレン委員会の目的は事件の真相解明ではなく、オズワルドの単独犯行とし、あらゆる陰謀説を排除することが目的でした。
ウォーレン委員会は10か月の調査で、なかば強引に調査を終了し、ケネディ大統領暗殺事件はオズワルドの単独犯行という結論にしました。
調書の元となった膨大な資料の重要な部分は一般に公開されず、事件の真相を隠蔽するために75年後の2039年まで非公開にされました。
2039年には、真犯人はもとより黒幕の連中はすべて死亡しています。
すべてが明るみにされたときには暗殺に加担した関係者全員は亡くなっているので真相も犯罪も確認でないのです。
何事もそうですが、後ろめたい所がなく潔白なら何も隠す必要はないし、本当にオズワルドの単独犯だったら国家的最高機密扱いに指定する必要はありません。
隠すからには、そこにはバレては困る資料が存在するのです。
調査報告書によると、教科書倉庫ビルの6階から放った銃弾は3発で、そのうち2発がケネディに命中したといいます。

最初の1発が背中から入り首を貫通し、2発目が頭部を破壊し、3発目が逸れて道路に当たったといいいます。
問題は最初の銃弾で、車の前の座席にはテキサス州知事ジョン・コナリーが乗っており、彼もまた被弾しています。
ケネディの首後ろから入った銃弾は喉仏から出て、コナリー知事の右肩に入って右胸を貫通し、さらに右手首に当たったのち、最終的に左腿にめり込んだのです。
のちに「魔法の銃弾」とよばれる1発の銃弾が不可能な経路をたどり、7つもの穴をあけたというのです。
銃弾はカルカノM1891から発射されたものでした。
これはオズワルドが狙撃に使ったとウォーレン委員会が主張するライフルと一致し、教科書倉庫ビルから発見された薬きょうとも整合性はあります。
しかし、短時間で3発の銃を撃つことが不可能なのです。
教科書倉庫ビルから大統領専用車までの距離は83mで、狙撃時間5,7秒の間に銃を装填し、引き金を引く動作を繰り返すことは不可能です。
音声分析では5発とされているうち2発目と3発目はほぼ同時に発射されたため、1発のように聞こえますが、少なくとも4発以上あったことは事実です。
そのことから、狙撃犯は複数存在していることが割り出されました。

狙撃に使われたライフルがカルカノM1891だという点にも銃声が違うという疑問があります。
発表によると弾丸はケネディの頭蓋骨に命中したと報告されています。
この公表に対し専門家はこう話しています。
「報告ではケネディ大統領の頭蓋骨に銃弾が命中したということになっていますが、銃弾は骨に当たると少なからず変形します。
しかし、公表された銃弾はまったくそれとは違っていました。
そう、まるで急いで用意した新品のようだったのです。……」
また、オズワルドには銃を撃ったのちに検出されるはずの硝煙反応が検出されませんでした。
そして、最も不可解なのはオズワルドの位置からは木が邪魔をして撃つことができなかったのです。
さらに、ケネディは当時のビデオから前から撃たれ後ろに倒れましたが、仮にオズワルドが撃ったなら後ろから撃ったことになり、ビデオと一致しないのです。
他方向から撃たれているので複数犯がいたのです。
1963年11月22日午後12時30分、1発目の銃弾が前方の丘から発射され、ケネディの首に当たります。
ケネディは胸を押さえる仕草で前かがみとなり、続いて2発目と3発目の銃弾がほぼ同時にダル・テックス・ビルと教科書倉庫ビルから発射されます。
前者はテキサス州知事コナリーの胸を撃ち抜き、後者は逸れました。
4発目も発射されましたが、コンクリートの一部を砕きました。
5発目がグラシノールの丘から発射され、ケネディの右後頭部が打ち砕かれました。
頭蓋骨と脳みそが飛び散り、妻のジャクリーンは驚いて車の後方、ボンネットによじ登り、その場から必死に逃げようとしました。
時間にして6秒です。
病院で不自然に発見された銃弾を置いたのは、ジャック・ルビーでした。
ルビーはケネディが狙撃されると、パークランド記念病院に行き、あらかじめ用意していた銃弾を密かに担架に置いたのです。
オズワルドを犯人に仕立て上げるためにはどうしても銃弾は3発で、しかも凶器はカルカノM1891でなければならなかったのです。
教科書倉庫ビルの6階が現場だとするために、銃弾はケネディの背後から入ったことにしなければなりません。
そのために、遺体に細工まで施されたという情報まであります。
新聞記者のジム・マースは、調査の結果実行犯を割り出しました。
ジム・マースは、映画『JFK』の原作となった『クロスファイア』の著者です。
FBI捜査官ザック・シェルトンなる人物が1992年、匿名で私立探偵ジョー・ウエストに情報をもたらしたことによります。
ウエストはこの情報を手掛かりにイリノイ州のステートヴィル刑務所に服役中だったジェイムズ・ファイルズを割り出しました。
ファイルズはプロの殺し屋で、ケネディ大統領を狙撃し頭部に致命傷を負わせた真犯人でした。
ファイルズはウエストに事件の真相を語り始めました。
ダラスの事件が起こる半年前、ファイルズの前にマフィアのチャールズ・ニコレッティが現れました。
ニコレッティは同じマフィアのジョニー・ロゼもこの計画に参加させます。
事件当日、ファイルズはニコレッティの指示のもと、狙撃部隊の1人としてレイミント社製ファイアーボール222というライフルを手にグラシノールの丘のフェンス裏に立ち、狙撃の瞬間を待ちました。
当初、ファイルズは狙撃部隊のバックアップ担当で、仲間が撃ち損じたとき、最後にフォローするための要員でした。
それが現実となり、1発、2発、3発と狙撃が失敗し、ファイルズは引き金を引きました。
撃ったのは1発のみでケネディ大統領の頭部を直撃しました。
興奮する自分を鎮めるため、ファイルズは薬きょうをつかみ、それをフェンスの上に置きました。
ファイルズの証言は証拠があり、1988年には証言どおり歯型のついた薬きょうがグラシノールの丘から発見されています。
プロの殺し屋ファイルズにケネディ暗殺を持ちかけたチャールズ・ニコレッティはシカゴ・マフィアの構成員です。
シカゴ・マフィアはイタリア系移民の自警団的組織から非合法集団へと成長した犯罪組織です。
マフィアとはFBIがつけた呼び名であり、マフィアは自分たちの組織をシンジケートと呼びます。
マフィアはシカゴの町の治安と秩序を非合法的に維持することにより利権を手にし、それを使って警察やFBI政治家まで影響力を持つ存在となりました。
禁酒法の時代は、密造酒、そののちはカジノ賭博、麻薬など、アメリカの裏社会を支配していて、最後に彼らが手にしようとしたのがアメリカ大統領でした。
アイルランド系移民であるケネディ一家が商売を始めたとき、世話になったのはマフィアです。
父のジョセフ・P・ケネディは密造酒で財産を築き、インサイダー取引によって莫大な富を得ました。
一時、下手を打って、ジョセフ・ケネディはマフィアから命を狙われたことがあり、このときシカゴ・マフィアのサム・ジアンカーナに助けを求めました。
危機を救くわれたジョセフ・ケネディは息子たちが政治家を志すようになっても、マフィアとのつながりを保ち積極的に利用しました。
大統領選をめぐって、ジョン・F・ケネディがリチャード・ニクソンとの戦いを展開した際、裏で組織票を固めたのは、サム・ジアンカーナでした。
サム・ジアンカーナにとって目的は、親子に恩を売っておけば、自分の益になると考えたからです。
実際、父のジョセフ・P・ケネディのみならずジョン・F・ケネディ、弟のロバート・ケネディのスキャンダル情報はマフィアが握っていました。
ケネディ一家は、とかく女性問題に弱く、ジョン・F・ケネディは女優マリリン・モンローが愛人だったの有名です。
また、ジュデイス・C・エグスナーなど多くの愛人がいて、それら愛人はサム・ジアンカーナの愛人でもあったのです。
しかし、大統領に就任するとケネディ一家の態度は変わり、ジョン・F・ケネディは理想を掲げ、世界平和を本気で説き始めました。
熱く語る若い大統領の演説にアメリカ国民は好意を抱き、さらに弟のロバート・ケネディ司法長官は麻薬の根絶、非合法の暴力組織マフィアの撲滅を公然と宣言しました。
これにはマフィアも怒り、マフィアの連合組織はケネディ家、ケネディ大統領に報復しようとしていました。
しかし、マフィアのボスのサム・ジアンカーナやジョニー・ロゼリ、ジミー・ホッファも暗殺されているので、裏に黒幕が存在しているのです。
裏社会の非合法組織は、莫大な利益を生む麻薬ビジネスに手を染めています。
アメリカの場合、直接的な調達先はキューバでした。
ところが、1959年、カストロ議長がアメリカのあやつり人形だったバティスタ政権を打倒し、キューバ革命が起こりました。
キューバ首相としてカストロは、アメリカに革命政権を承認するように求めましたが、拒絶されるとキューバ国内にあったアメリカ資産を国有化し、裏でマフィアを一掃する動きにでたのです。
カストロ首相はソ連に接近し、社会主義路線を歩みます。
キューバに対して国交断絶をしたアメリカは、カストロ議長を排除する必要がありました。
実行部隊として動いたのは、非合法活動が許される諜報機関「中央情報局(CIA)」です。
麻薬ビジネスの利権を放したくないマフィアが手を組んだのはCIAでした。
CIAは密かにカストロ暗殺計画を企て、暗殺計画に参加したのがサム・ジアンカーナやジョン・ロッセーリ、サント・トラフィカンテなどのマフィアです。
オズワルドはCIAとソ連国家保安委員会(KGB)のスパイであり、CIAの二重スパイでした。
オズワルドは日本の厚木基地勤務時代にロシア語を学び、除隊後の1959年、ソ連に旅行に出かけ、そのまま亡命しました。
オズワルドがソ連に亡命したのは政治工作のためであり、ソ連から国家機密を盗むすためや諜報活動のために「共産主義」を装っていました。
そして、最終的にケネディ大統領暗殺の単独犯として仕立て上げられました。
ケネディ大統領の暗殺計画と実行はCIAとマフィアによる合作だったのです。
暗殺犯が複数いたことや暗殺犯を知っていたと思われる重要証言者たちも、NSAにより出廷前に全員殺されています。
裁判所や警察側しか知り得ない証言者リストを入手できる立場にあったNSAは、当時世間にその存在が知られていなかったためCIAやFBIより自由に動くことができました。
副大統領のリンドン・B・ジョンソンも事前にケネディ暗殺を知らされていましたが、ケネディが死ねば自分が大統領になれることもありNSAに全面協力しています。
ケネディのあとを引き継いだジョンソンは、シークレット・ガバメントの操り人形でベトナム戦争の続行を決議しアメリカを泥沼の戦争状態へと引き込んでいきました。
ケネディを大統領から失脚されるのではなく暗殺したのは、ケネディが生きていたらまずいからです。
ケネディはシークレット・ガバメントが隠してきたアルザル人の真実を知り、国民に公表しようとしたので殺されたのです。
政府専用飛行機エアフォースワンで移動する際、エアフォースワンのあるクルーから「大統領は、UFO問題をどうお考えですか?」と質問をされました。
ケネディはその質問に対し、こう答えています。
「その件を発表したいのだが、国の指導者として、実は自分の手には重い手枷がはめられているのです」
ケネディは前々から、CIAの機密情報で月の海に、エイリアンの採掘現場が多数あることを知っていました。
さらに、NSAが最後まで大統領に出し渋ったエイリアン情報も、シークレット・ガバメントの命令に逆らって、強制的に入手していました。
その結果、ケネディはロズウェル事件が事実だったことを確認し、さらに回収されたエイリアンがアルザル人だったことも、アルザル人が月にいることも知ってしまったのです。
ケネディが、ロズウェル事件で回収したUFOとエイリアンを隠しているのはエリア51であることも知っていました。
エリア51の秘密を最初から知るアイゼンハワーが次期大統領ケネディに政権を引き継ぐ際に、エリア51にロズウェル事件の証拠が存在することを申し送らないはずがないからです。
ケネディは、ロズウェル事件で墜落したUFOに残っていた彼らの聖典の翻訳から、エイリアンが行方の知れない10部族の末裔であることもアルザルのことも知っていたのです。
彼らは近い将来、大挙して地上に帰還することが彼らの聖典に記されてありました。
それを知ったケネディはエイリアンが敵ではないことを人類に知らせねばならないと決意し、当時進んでいた宇宙開発の目的地を火星ではなく月に変更することをライス大学で演説しました。
そのためアポロ11号の船長は民間人の代表でなければならず、ケネディ暗殺後もこれだけは危機管理の理由から守られました。
一般の民間人であれば見たままを話すでしょうが、軍人は軍部の指示で事実とは違う報告をするからです。
軍人だったオルドリンがなぜ民間人のアームストロングが船長になったのかわからないと嘆いていた理由がここにあります。
ケネディは、ソ連より先にアメリカが月着陸を達成すれば、アルザル人との接触できると思っていました。
なぜなら、エイリアンが一度も地上を攻撃してこないイエス・キリストに従う者たちだったからです。
また、ケネディは、もしソ連が先にアルザル人と接触をした場合に当時の共産圏にエイリアンの技術を独占される懸念を抱いました。
そして、ケネディは、1962年9月12日にライス大学のライス・スタジアムで行われた「ムーン・スピーチ」で、私たちは月に行くと国民の前で演説をしました。
それは、月にいるエイリアンとアポロ飛行士の平和的遭遇を想定した計画についての演説でした。
そして、ケネディはテキサス州ダラスで、エイリアンの存在を世界に公表しようとするスピーチを行う予定でした。
NSAの情報操作や月のアルザル人の存在を暴露し、アメリカの宇宙飛行士が月面でアルザル人たちと握手をしている場面の動画を世界に流そうとしたのです。
しかし、ケネディの目的がNSAに漏れてしまい、1963年11月22日にシークレット・ガバメントの指示によって葬られてしまいました。
月の秘密がすべて暴露されたら、彼らが作り上げてきた宗教支配から自分たちにとって都合良く仕上がりつつある地球支配などがすべてを根底から失うからです。
ケネディは、キューバ上陸を阻止した結果、CIAを敵に回し、南部の石油利権に課税することで石油メジャーを敵に回し、世界中のアメリカ軍基地を縮小することで軍を敵に回し、平和主義のエイリアンであるアルザル人の存在を認め世界に公表しようとして、シークレット・ガバメントを敵に回します。
1961年4月27日、ニュ-ヨークで、ケネディ大統領は、秘密結社がマスメディアを支配していることを暴くような演説を残しています。
「秘密主義というまさにその言葉は、自由で開かれた社会にとって、非常に不快なものです。
そして、私たちは元来、歴史的にも秘密結社の秘密の誓いと秘密の議事録に反対した民族ともいえます。
私たちは、遠い昔から度を超した不当な関連情報の隠蔽は、はるかにそれらに正当性を与えるために考慮される危険があると判断してきました。
今日、根拠のない制約によって、閉鎖社会の脅威に反対するということはほとんど価値はありません。
今日、私たちの国の生存を確実なものにするために、私たちの伝統がそれで存在しないなら、ほとんど価値はありません。
そして、報道されたセキュリティ強化の必要性が、公的な検閲と隠蔽のまさしくその範囲を限界まで広げることを切望している者たちによって廃止される、まさしくその重大な危険性があります。
私は、私のコントロール下の範囲で、このようなことを許可する意図はない。
私の政権のどのような職員であっても、彼の地位が高いか、または低いか、民間人であるか、軍人であるかにかかわらず、私の今晩ここでの言葉を、ニュースについて検閲し修正したり、まともなことをもみ消したり、私たちの誤りをごまかすために、マスメディアや民衆が知るに値する真実を抑制する口実とはならない。
私たちが世界中で反対されているのは、主として影響圏を広げるための密かな手段になっている、一枚岩的で冷酷な陰謀にあります。
侵入の代わりに浸透、選挙の代わりに転覆、自由選択の代わりに威嚇、日中の軍隊の代わりに夜間のゲリラ。
これは、膨大な人的・物質的資源を軍事、外交、情報、経済、科学、そして政治上の操作をするため結束の固い、高性能マシーンに結合する徴収するシステムです。
その準備は隠され、公表されません。
その過ちは葬られ大スクープとなりません。
その反対者は黙らされ称賛されません。
経費は質疑されず、風評は出版されません。
まったく秘密は明らかにされません。
どの大統領も市民監視を恐れるべきではありません。
そうではなく監視から理解が生じるものであり、その理解から、支持か反対かが生じます。
そして、両方が必要です。
私は政権を支持することをあなたたちの新聞にお願いしていません。
しかし、アメリカの人たちに情報を与え、注意を呼びかける大変な仕事をお願いしています。
それは、私が私たちの市民が完全に情報が行き渡ったというときには、彼らの行動と献身があるという完全な確信があるからです。」
1963年6月4日、ケネディにより、政府紙幣の発行を財務省に命じる大統領行政命令が発令され、政府紙幣で赤字財政で賄おうとしました。
そうなると、シークレット・ガバメントである国際金融資本家の利益が失われ、世界レベルで経済社会をコントロールすることが最大の利益源である国際金融資本家の世界を支配する力を削がれます。
同年1963年11月22日、ケネディは見せしめの意味もあり、公衆の注目の中で暗殺されます。
そして、総額42億ドルの政府紙幣は、ケネディ暗殺後に速やかに回収されました。
ケネディ大統領、以降に政府紙幣を発行した大統領はいません。
ケネディ大統領は1963年7月、部分的核実験の停止条約を締結すると、膨大な軍事費の削減、ベトナム戦争からの撤退を公約しました。
1963年10月、ケネディ大統領はワシントンD.C.にあるアメリカン大学の卒業式にてスピーチを行いました。
「平和とは戦争のない状態である。
一人一人が人間らしく生きるために、理想を掲げ、国々を発展させ、そして次世代を担う子供たちがよりよい生活をするための平和である。
それはアメリカのみならず、全世界の人類の平和であり、すべての時代の平和である。」
この思想が東西冷戦状態にあって、戦争回避を可能にしたのです。
これに対してアメリカ国民は熱狂し、理想を掲げる実力者としてケネディ大統領を支持したのです。
しかし、軍産複合体にとって平和は歓迎すべきものではありません。
戦争こそ軍産複合体にとって儲けるために必要であるのです。
アメリカにとって戦争こそ、経済的になくてはならないものなのです。
ケネディの暗殺以降、民主党であれ共和党であれ、もはやシークレット・ガバメントに逆らう大統領は存在しなくなってしまいます。
大統領は、裏の政府の意向に従うかぎり権力保持が約束され、軍部を自由に動かすことができるだけの存在になり果ててしまったのです。
逆に言えばアメリカが軍隊を動かすときは、そこには必ずシークレット・ガバメントの思惑がからんでいるのです。
シークレット・ガバメントの目的は、まず国連を牛耳り軍事力を持つ世界的統一機構に変貌させたのちのアメリカによる世界統一です。
ケネディの暗殺には、アメリカの社会に揺さぶりをかけるという心理的な目的もありました。
ケネディの暗殺は、「王の殺害」とよばれる悪魔的オカルトの儀式であるともいわれています。
これは、心的外傷を与えることによって、大衆心理を操作し、既存の政体に揺さぶりをかけるための革命的手法です。
首謀者たちは、あからさまな陰謀を見せつけることによって、自らの力を誇示し、同時に大衆に無力感を与えようとするのです。
実はケネディの弟のロバート・ケネディはケネディ政権下で司法長官となり、兄ケネディの暗殺後の1968年の大統領選挙の予備選を戦っていた最中、カリフォルニア州 ロサンゼルスのホテルで遊説中に、不可解な状況下で大学生のサーハン・ベシャラ・サーハンに暗殺されました。
末弟のエドワード・ケネディは長く上院議員を務め一時は大統領候補として取りざたされたこともありましたが、1969年にパーティーからの帰りに飲酒したまま運転中に誤って川に転落し、同乗していた女性秘書を水死させる事件を起こしました。
事件後、警察への通報が9時間以上も遅れるなどの不可解な行動に不審が持たれました。
この事件によって事実上、大統領への道は閉ざされることになりました。
ケネディ暗殺研究家の第一人者であるジム・マースは、映画『JFK』の原作となった著書『クロスファイア』に次のように書いています。
「あの日、ケネディ大統領は演説会で発表する演説原稿をポケットに持っていた。
さまざまな事柄が書かれており、その中の1つは『UFO問題の情報発表』であった。」
マサチューセッツ州ボストンあるジョン・F・ケネディ図書館で発見された国家安全保障行動覚書271号「宇宙問題に関するソ連との協力」には、NASA長官ジェームズ・ウェッブあてにこう指示を出していました。
「月面着陸など各技術計画を含めて宇宙分野におけるソ連との具体的協力の推進を、政府部内において責任をもって先導せよ。」
文書の作成日はケネディが暗殺されるちょうど12日前の1963年11月10日の日付です。
UFO研究家ティモシー・グッドのもとに、1999年6月元CIA諜報工作員という匿名の人物から、焼却処分にされかけた機密文書(通称「焼け焦げ覚書」)が郵送されてきました。
ニクソン大統領時代に上司の焼却処分命令に背いて文書が焼け焦げる前に奪ったいう差出人のメモがありました。
「焼け焦げ文書」は8ページありCIA長官など宛てに、次のような内容がありました。
「各プロジェクトについて……見直しや評価が必要になってきた。
問題解決に当たり新たな指令書を作ったので、各自検討していただきたい。
検討に当たっては、……メンバーすべてが同意できる結論を出してほしい。
すでに御承知かと思うが、ランサーがわれわれの行動について、あれこれ詮索している。
許しがたいことである。……」
「ランサー」とはケネディ大統領を指す隠語だといいます。
「―状況が当方の環境における成育を阻み、ワシントンに対してこれ以上影響を与えられない場合には雨を降らすべきである。」
この意味は「UFO情報を公開しろとうるさいから、ケネディ大統領を殺すべきである」という文章です。
政府はこの「焼け焦げ覚書」を否定しました。
しかし、数年後タイプ用紙の紙質や印字インクを分析にかけた結果、1960年代に使用されていたものと同質との鑑定結果でした。
マリリン・モンローの暗殺

ケネディのほかにケネディの愛人だったアメリカの大女優マリリン・モンローも暗殺されました。
1950年代、大富豪で実業家の父親ジョセブ・ケネディがハリウッド映画業界に多額の投資をしていた関係で、当時上院議員であったケネディはハリウッドに頻繁に出入りしていました。
国民の人気を得ていたケネディがあるパーティーで、有名になる前の金髪の美人女優マリリン・モンローに惹かれたのです。
モンローは当時4回の結婚、離婚を繰り返していた恋多き女性でした。
ケネディがモンローに近付き二人の情事が始まったのは、ケネディが大統領に就任した1961年以降だといわれています。
モンローとケネディの関係は、ケネディの妹の夫のピーター・ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されています。
また、モンローはジョンの弟で司法長官を務めていたケネディの弟ロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがあります。
当時ケネディは、ジャクリーンとすでに結婚しており二人の子供もいましたが頻繁な女性関係はあとを絶たずアメリカ大統領になってからもモンロー以外にも数多くの芸能界の美女と関係していました。
その中でケネディとモンローの関係は特別に親密で深い関係にあり、ほかのどの女性よりも長く続いていたとモンローの友人や関係者が語っています。
ケネディとモンローとの真剣な情事が始まってから、その事実は首都ワシントンのホワイトハウスの内部関係者の誰にも知られていましたが、一般メディアにはトップシークレット(最高機密)でした。
国民に最も尊敬されている大統領に愛人がおり、その相手がハリウッドのセックスシンボルで、女優として有名なマリリン・モンローであるという事実が一般に知れわたれば、国の指導者としての立場はモラルで失格しケネディは辞任を迫られる結果になるからでした。
その一方、大統領に夢中になっていたモンローは「いつの日かファーストレデイになることを夢見ていた」とモンローの前夫のロバート・スラッツァーは彼の著書に書いています。
ケネディとモンローは、ケネディの義理の弟でイギリスの映画俳優ピーター・ローフォードの、ロサンゼルスのマリブ海岸にあるビーチハウスやニューヨークのホテルのペントハウスで頻繁に密会を重ねていました。
ベッドでゆったりした気分でしゃべりまくるケネディは、当時ソ連と冷戦関係にあったアメリカの内政や軍事極秘事項までモンローに漏らしてしまっていました。
ケネディから聴いたこのような極秘情報を、マリリンは綿密に自分の日記に記録していました。
これがのちになって、マリリン・モンロー死亡の真相の鍵を握るといわれている有名な「赤い日記帳」です。
また、モンローは電話で長話をするのが好きな女性で映画の撮影中に起きた監督やプロデューサーとのいざこざやケネディとの密会中の出来事を友人や知人におもしろおかしく話すのが毎日の楽しみでした。
ケネディの日常の行動と電話での会話は、公式であろうとプライベートであろうとすべて盗聴されていました。
モンローの電話での会話もすべて盗聴されており彼女の寝室には盗聴機が仕掛けられていました。
モンローはある日、親友の1人で政界やハリウッド映画界に精通していた記者のドロシー・キルガレンに電話で「実は大統領からUFOの話を聞いた」と言いいました。
キルガレンは、イギリス情報局秘密情報部(MI-6)を通してすでに大まかな内容は承知していたので驚かなかったといいます。
キルガレンは、ケネディ大統領暗殺の真相を独自に調査研究しており、暗殺の単独犯とされたオズワルドを射殺して刑務所に服役中のジャック・ルビーに独占インタビューをしています。
しかし、そののちに自殺に見せかけられ殺されています。
情報部の盗聴によって、ケネディがモンローに漏らしている機密事項を知り、情報部はその件を大統領に厳重に警告しました。
アメリカの指導者が最高機密事項を一般市民に知らせることは、国家の行政・司法・軍事を侵害する犯罪者または国家反逆罪に問われ、大統領辞任はもちろん逮捕され裁判で懲役刑に処されるか運が悪ければ死刑をも言い渡されることにもなりかねないのです。
自分の立場を憂慮したケネディは、モンローとの関係終わりにしようとしました。
しかし、モンローはケネディを諦め切れず、しつこく彼を追い回していました。
窮地に陥ったケネディは、ホワイトハウスにかかってくるモンローからの電話と送付されてくるラブレターを一切シャットアウトして彼女との関係を完全に遮断しました。
ケネディにこのような仕打ちを受けたモンローは、その理由と真相もわからず憤慨し落胆しました。
1962年の夏、大統領から絶縁され心を痛めていたモンローはそれが元でノイローゼとなり不眠症にかかり多量のアルコールを飲みふけり大量の薬を飲むようになってしまいました。
そして、映画での演技も失敗を重ね監督には怒鳴られ、挙げ句には制作プロダクションであるFOXから解雇されてしまいます。
彼女は統合失調症と診断され、精神分析医ラルフ・グリーンソンの治療を受けはじめます。
憤慨しているモンローは、友人たちに電話で「私はケネディに捨てられた」とケネディへの怒りと恨みを話しています。
そして、モンローはケネディから聞いた最高機密事項を暴露し記者会見を開いて全部話したために記者会見をセッティングしてしまいます。
当時、マリリン・モンローは世界で最も有名なハリウッド女優であり、彼女が記者会見を開いて何かを発表するとなればマスメディアが注目するのは当然でした。
その記者会見の日時は、1962年8月6日、月曜日と予定が組まれました。
モンローは8月4日の夜、知人に次のような話をしています。
「記者会見では、誰もがショックを受けることを暴露してやるわ。
この全世界の人類がショックを受けることを……」
この電話も盗聴されていました。
そして、マリリン・モンローは記者会見が予定されていた前日に死亡しました。
1962年8月5日、自宅の寝室で全裸で死んでいるのが発見されました。
没年36歳。
彼女はノイローゼで、しかも不眠症のため睡眠薬を常用していたので、死んだときは事故死説、自殺説を信じられたのです。
日記帳に記されたケネディから聞いた秘密事項は「赤い日記帳」とともに行方不明になっています。
死の直後、マスメディアでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性中毒で自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃と悲嘆が駆けめぐりました。
ただの過量服薬であるとの声もある上「『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して」との根拠に欠ける仮説も唱えられました。
しかし、2000年代に入りFOXニュースがフォックスの倉庫から発見した資料によるとFOX首脳部との会談でモンローとそりの合わなかった監督を降板させモンローを復帰させる契約が交わされていたことが分かりました。
さらに、『何という行き方!』というミュージカル大作への出演も決まっており、「マリリン・モンローが配給会社から見捨てられ失意の中で死んでいった」という仮説は成立しなくなりました。
1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けています。
謀殺説は、モンローの死後間もない時期から存在していました。
現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、また彼女が遺体で発見されたときに手には受話器が握られていたもののFBIが押収したモンローが死亡した前日と死亡した夜の電話の通話記録には電話局からは同時刻の通話記録はなく部屋からは彼女の赤い日記帳が消えていました。
そのため電話の通話記録の改ざん、隠蔽を行うことができる政治力の持ち主がモンローの死にかかわっていたとする主張があります。
「急性睡眠薬中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったもののダイヤルする前に事切れた」という説もあります。
モンローの元夫で、今年78歳になるロバート・スラッツアーは、モンローの死の直後から「マリリン・モンローは殺された」と一貫して主張します。
ロバート・スラッツアーは、次のように語っています。
「離婚後もマリリン・モンローとは仲の良い友達だった。
彼女が自殺するなんて、考えられない。
彼女の死の先にはホワイトハウスとCIA、ケネディ兄弟がいる」
そののち、新たな情報がニューヨーク・マンハッタンに住む弁護士カール・ピアソンからもたらされました。
ケネディ大統領は上院議員の時代から、ローレンス・キューザックという顧問弁護士を雇っていました。
ローレンス・キューザックはすでに死亡しましたが、ケネディ自筆の極秘資料は息子レックスに託され、めぐりめぐって今はピアソンの手元で管理され、関係者の間でキューザック・ファイル(J・F・K極秘メモ)とよばれています。
そのメモがケネディの自筆であることは、ロンドン警視庁の筆跡鑑定でも証明されています。
膨大な資料の中には、マリリン・モンローとの関係を裏付けるメモもありましたが、それ以上の衝撃の記述が残されていました。
「あのことは絶対に口外しない。口止め料として60万ドル(6千万円)支払う」というマリリン・モンローとの契約書のコピーがありました。
CIA機密文書には「マリリン・モンローは危険な女だ。国家を脅かす機密情報を知っている」とタイプされています。
マリリン・モンローは、友人のジーンに「私はUFOの秘密を解き明かす大変な証拠を知っているのよ」と語ったまさにその2週間後、自宅で死んでいるのを発見されました。
ロス検視局では、死因は睡眠薬のバルビタールとなっていますが、その朝に検視官の調べた結果は彼女の胃や消化器官や腎臓にはバルビタール服用の証拠は検出されませんでした。
バルビタールを飲んで死にいたるには少なくとも52錠以上が必要で、これだけの量を飲んで、胃や消化器官に何も残っていないことはありえないといいます。
それに、バルビタールの飲みすぎ特有の症状である引きつけも起こしておらず、マリリンは身体をまっすぐにして横たわっていました。
つまりモンローは、バルビタールを飲んだのではなく、別の手段で身体に入れたということになります。
注射器などは部屋からは発見されていなく、遺体にも注射の跡はありませんでした。
事実は無理やり押さえ込まれたのち、バルビタール剤とバルビツール剤とともに睡眠薬として用いられたが包水クロラールを調合した強力な座薬を肛門から入れたのです。
口から無理矢理飲ませるのは、顔や身体に揉みあった証拠を残す恐れがある上に吐く可能性があるため、肛門から強力な座薬を挿入し毒殺しました。
アルコールは、その前に彼女に無理やり飲ませた物で、死亡原因をアルコールにするためのカムフラージュにすぎません。
マリリン・モンローの死の疑惑も、ケネディ暗殺の直後だっただけにいろいろと囁かれましたが、いつの間にかそれも忘れ去られてしまいます。
UFO目撃
1897年、アメリカ中西部を飛び交う不思議な飛行物体の目撃事件が勃発しています。
当時の目撃記録によると、筒状の長い飛行物体が光の点滅とともに中西部を飛び交い強力なサーチライトで地上を照らし、ときには着陸したとされています。
しかも、謎の飛行物体の中から乗員が降りてきたと記録されています。
これは、アルザル人の葉巻型の母船です。
1940年代の北ヨーロッパでも母船の目撃事件が多発しています。
のちに「ゴーストロケット」と名づけられる巨大な筒状の飛行物が、赤い尾を引きながら北を目指して飛行する光景が各地で目撃され続けられました。
ゴーストロケットの目撃談は、ゴーストロケットは無音で超高速で飛行しときには異様なほどに遅く空中に溶け込むように消滅するといいます。
航空自衛隊の戦闘機パイロットとして3800時間の総飛行時間の経験を持つ、元自衛隊空将の佐藤守氏の著書、『実録・自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』には、37人の空自自衛官が、全員ではないものの顔写真、実名で登場していて以下のような証言があります。
1985年、名古屋上空での自衛隊の空輸送機のUFO遭遇事件。
操縦士と副操縦士の2名がコックピットから前方に細長い葉巻型の飛行物体が空中に浮いているのを目撃し、その大きさは目測で200~300mはありました。
コックピットでは「おい! カメラ持ってないか?」と騒然となり、当時は誰もがカメラ付き携帯を持っている時代ではなかったので写真にこそ収められなかったのですが、その様子を赤裸々に告白したといいます。
航空会社や自衛隊のパイロットは、UFOを目撃した、遭遇したと報告すると、精神的な健康上問題あり-とされてパイロットとして業務に就けなくなってしまうので、報告はしづらいのです。
UFOに対する日本政府のスタンスは、以下のとおりです。
日本国政府は、2007年12月に閣議決定された答弁書で、地球外から飛来してきたと思われる飛行物体について、「存在を確認していない」、「研究も飛来した場合の対策も行っていない」と記載していることを表明し、以来この答弁書に一切の変更はありません。
UFO問題に日本は遅れていると思うでしょう。
しかし、UFO問題の根幹に関係しているのはイスラエルがルーツの天皇陛下と真の神道の管理組織です。
アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブの12人の息子らの子孫は、イスラエルの12部族、あるいはイスラエルの子らとよばれます。
イスラエルの子らの国はイスラエルとよばれました。
そして、イスラエルとは先祖の血統が何であろうとキリストを心から信じる者を指します。
そして、末日聖徒イエス・キリスト教会が最もUFO問題の根幹に関係しています。
宇宙や地球内部のプラズマ亜空間の星からUFOで飛来しているのは、イスラエルなのです。
秘密結社、アメリカ軍はUFO問題を熟知しています。
イスラエルの集合は、サタンにとって不快なので、UFO問題は多くの人々がだまされています。
アルザル人とUFO情報を擬乱するマニュアルを基本とする情報操作が、さまざまに変化しながら続けられています。
たとえば全米に誘拐事件が続発すると、エイリアンによる誘拐説が出て来ます。
催眠術が受け入れられると、人間に催眠光線を当てて記憶を消すエイリアンが登場し、逆行催眠でUFOに誘拐された記憶を蘇らせるのです。
そして、家畜に登録番号を埋め込むインプラント技術が確立されてくると、人体にインプラント(体内に埋め込まれる器具)するエイリアンが登場し、世界的にバイオ技術が発展してくるとバイオ技術で増殖するエイリアンが登場します。
このように、社会状況に見合ったエイリアンを作り出し登場させているのです。
偽エイリアン
末日聖徒イエス・キリスト教会の初期の会員オリバー・B・ハンティングトン(1823年‐1909年)の日記に、以下のようなジョセフ・スミスの発言が記録されています。
「『月面上の住民は、地球上の住民よりも背丈が一様で、大体6フィート(約1,8m)くらいの身長である。
彼らは、一般的にクエーカー教徒のような装いである。
また、大変長生きで、大概は1000歳まで生きる。』
これは、ジョセフ・スミスが月の住民について語った内容であり、彼はイエスの名によって御父に願えばどのようなものでも見ることができるのです。」 (Journal of Oliver B . Huntington Vol.3 p.166 of typed copy at Utah State Historical Society)

クエーカー教徒は、外見に質素を実践しています。
男性はつばの広い帽子に灰色か茶色の服、女性は無地の服とボンネットです。
月に住民がいるという教えは、1892年になって教会出版の『The Young Woman's Journal』の中でオリバー・B・ハンティングトンはこう書いています。
「太古から現在にいたるまで天文学者と哲学者らは、月には大気がなく人間の住むことができない世界であると主張してきました。
しかし近年、優れた天体望遠鏡 による発見から科学者はこれまでの古い常識にいくつかの疑問を抱き始めています。
この半世紀における人類の偉大な発見の多くはさまざまな方法で直接的・非直接的を問わず、ジョセフ・スミスが預言者であることを証明しています。
1837年にジョセフ・スミスは、月は地球と同じように男性と女性が住んでおり、彼らは私たちよりも遥かに寿命が長くおよそ1000歳近くまで生きると言いました。
ジョセフは、月の住民の平均身長は約6フィート(約1,8m)で、皆一様にクエーカー教徒のような様式の服を着ていると説明しました。
カートランドで1837年に、預言者ジョセフの父親から祝福師の祝福を受けたとき、私は21歳までに伝道に出て、海の島々に住む人々や月の住民に福音を述べ伝え、さらには現在、目で見ることができる惑星に住む人々にも伝道するであろうと告げられました。
最初の2つの約束はもう成就しており、残りの約束も実現するでしょう。
すでに2つの約束が果たされているのですから、当然3番目の約束も成就すると期待しています。
神から与えられた知恵と霊感によって、人は1つの真実から別の真実を見つけ出します。
神の霊感によって人類は、コロンブスが発見するまで、新大陸を捜し求めるように促されました。
人類は北極に存在する1つの国を見つけるために、数百万ドルの財産と何百人もの命を失ってきました。
しかし、人類はいまだにその国を発見していません。
その国は温かく、実り豊かで、イスラエルの10部族が住んでいます。
その国は1つの川によって分けられており、片側にはマナセ族の半数が住んでいます。
マナセ族はほかのすべての部族よりも人数が多いのです。
預言者はそのように語りました。
また預言者は、細長い物に囲まれた両極における地球の状態についても説明し、その図形を描きました。
もし、太陽光線を容易に見つめることができるなら、光が両極の真ん中へほぼ垂直に降り注ぎ、地球の中心部が温められ、肥沃な土地 になっているのが分かるでしょう。
預言者は自説の証明として、次の聖文を引用しました。
『地球はその翼をもって回転し、神の創造物の中を進む。』
そして、地球の姿には相似があり、この言葉に対応していると述べました。」 ユタ州シーダー駐屯地 1892年2月6日
(“The Young Woman's Journal” pub. by the Young Ladies' Mutual Improvement Associations of Zion, 1892, Vol. 3 p. 263-264) (参照)
ダニエル・ヘンドリクスは、ある晩、マーチン・ハリスとともに馬でとある村に向かう途中、月のあまりの美しさを賞賛したところ、ハリスは、自分は月を訪れたことがあり、それが許されるのは信仰に忠実な者だけだと答えました。 (William A. Linn 著 “The Story of the Mormons”)
ジョセフの死後も、教会は長い間にわたって月に住民がいるという教義を教えています。

第2代大管長ブリガム・ヤングは、1870年7月24日に次の説教をしています。
「狂信者とはどんな人々が説明しよう。
狂信者とは偽りの原則と知識を事実として受け入れ、偽りを基とした理論を築こうとする人々である。
彼らがいかに熱心であろうと、世の終わりまで偽りの原則に基づいて判断し主張するので、その結末は偽りである。
もし私たちの宗教にそのような特性があるのなら、それを証明できる者を教えてもらいたい。
私たちは、無学だといわれている。そのとおりである。
しかし何に対してだろうか。
すべての人は無知ではないだろうか。
私はそうだと思う。
あの『月』とよばれる晩に輝く小さな天体に住民がいることを知っている者がいるだろうか。
私たちが月の面を眺めるとき、『月の住民』とよばれ、学者たちが山脈の影だと言っている部分が見える。
しかしそのような主張は非常に曖昧で無意味なものである。
もしあの天体に住民がいるかどうかを聞かれたら、最も教養のある者であっても無知を晒すしかないだろう。
太陽の住民についても同様である。
太陽に住民がいると思うだろうか。
私はいると思う。
あそこに生命体がいると思うか。
何の疑問もない。目的なしに造られたのではないのだから。
太陽はそこに住む人々とほかの惑星たちに光を与えるために造られた。
この地球も栄光を受けると同じように、光を与える星となるであろう。
すべての惑星は組織されて間もないころ、体に神の栄光を受けておらず暗い状態にある。
しかし、神の創造するすべての惑星は栄光を受けると光り輝くようになる。
キリストは、この地球の光である。
神は私たちの目に光を与えられた。
あなた方は今まで、誰が自分に見る力を与えたのか考えたことがあるだろうか。
誰が私たちの頭に2つの眼球を組織して神経で脳とつなぎ、円と四角、垂直と水平、大と小、白と黒、茶色と灰色を見分ける力を授けたのか。
あなた方は、自分でこの能力を手に入れたのか。
あなた方のうちの誰かが、この力を私に与えたのか。
あるいは私があなた方に与えたのか。
どちらも違う。
それなら私たちは、誰から見る力を与えられたのか。
至高者からである
これらの小さな事柄や地球の創造物とそこに住む人間について考えるとき、何と不思議で並外れた御業なのだろうかと思う。
自然界の法則は、何と調和のとれた美しいものなのだろうか。
神が御業を進め王国を築き始めるときに、誰がそれを妨げ神の御手をとどめることができるだろうか。」 (1870年7月24日 ブリガム・ヤング Journal of Discourses Vol.13 p.271-272)
教会ではジョセフ・スミスのような預言者以外にも、さまざまな役職にある人間は神からの啓示を受けることができるとされています。 (教会全体への指示は預言者のみです)
伝道者ともよばれる「祝福師」も、その1人です。
ジョセフの兄であり、祝福師でもあったハイラム・スミスの発言が、日記に記されています。
「われわれが見る星々の一つ一つに、地球と同様に住民が住んでいる。
太陽にも月にも星にも住民がいるのである。」 (George Laub's Journal, as cited in Brigham Young University Studies, Winter 1978)
第5代大管長ロレンゾ・スノーも「月に行く力が与えられる」と、祝福師を通して神から宣言されています。

アダムの堕落後に神は太陽に変化を起こし、現在の姿になりました。
神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。 (創世 3:24)


太陽フレアとは、太陽の大気中に発生する爆発現象
太陽は巨大な質量を持つがゆえに無数の磁力線が発生し、磁力線の無数の拡散と一定しないらせん運動は太陽大気圏の上で無数の磁気リコネクション(交差する寸前にやめて、つなぎ替えをする)を引き起こしすため、磁気リコネクションの周辺に無数の大気プラズマ現象(一種の光学現象)が無数に拡大し、太陽大気圏の上にプラズマ現象が四方八方に生まれプラズマの炎が回転し太陽表面全体をおおっています。
プラズマの特殊な電磁場がプラズマを生み出し、そこから新たな電磁場が誕生しプラズマを生じます。
無限ループともいえる電磁気現象こそ、太陽を輝かせているエネルギーの正体です。
太陽は地殻天体でありながら、大気圏外ではプラズマが燃え盛るような姿にあるのです。
つまり太陽は核融合ではなく、大気プラズマ現象で燃えているだけなのです。
1995年、アメリカのキット・ピーク国立天文台は太陽表面全体に「水分子」が存在することを観測しました。
これは、太陽表面に雲が存在すると証明します。
太陽表面に雲が存在するのは、太陽が核融合で燃えているとする誤った定説のアカデミズムの常識では絶対にありえません。
そして、1997年にイギリスのロンドン大学のオレグ・ボリアンスキー教授たちスタッフが、太陽黒点を最先端の精密装置で観測したところ赤外線スペクトルが理論上の水のスペクトルに一致して、やはり大量の水分子を検出しました。
この場合、太陽黒点の温度が4500℃と周囲より低いだけに水分子の存在は予測されたとはいえ、これで太陽表面の各所で水蒸気が検出されたことになります。
もちろん今の状況では、キット・ピークでの水分子の検出が太陽全表面にある黒点の水蒸気を観測したともとれますが、やがてそうではないと確認されるでしょう。
これだけの水蒸気を噴出するものは火山です。
規模の違いはあっても太陽系の惑星の火山はどれも大量の水蒸気や水を噴出させています。
散在する太陽黒点の下には、「巨大活火山」が存在しているのです。
太陽の水の存在は、ジェット推進研究所(JPL)や外国の天文台が公表したものです。
軍事組織であるNASAは国策上アカデミズム擁護であり、諸外国が真実に気づい初めて情報を出す性質があります。
これらのデータは太陽が、核融合で燃えていないことを証明する科学的証拠なのです。
太陽とは核融合で燃える天体ではなく、巨大な地殻と海がある厚い大気圏の上がプラズマ発光する巨大天体です。
1995年8月、イギリスのバーミンガム大学のY・エルスワースとその研究チームが、太陽のガス運動の底にある不可解な状態を明らかにしました。
彼らは太陽表面で起きる5分振動に注目し、それが太陽内部変化にともなう現象なら振動を分析することによって逆に内部構造を明らかにできると考えました。
研究チームは1992年1月から1994年8月にかけ、アメリカ、オーストラリア、チリなど世界6か所で観測を行った結果、奇妙な事実に気づきました。
定説では太陽はガス天体ゆえ緯度によって自転速度(角速度)が異なります。
地球から見て赤道付近は27日周期であるのに対して極地方は32日周期です。
内部もまた緯度によって自転速度が異なっていると思われていたのですが、この常識が違いました。
すなわち、対流層の内部では緯度にかかわらず自転速度が一定だったのです。
これはガス天体ではありえません。
緯度にかかわらず自転速度が同じなのは固体である証拠です。
アレシボ天文台から太陽に向けて照射した電波を地球上の2か所で受信し慎重にノイズを除去したあと、最新技術で画像化したところ、そこに写っていたものは驚くべき太陽の素顔でした。



太陽大気圏の外は別として、プラズマ領域内部では、われわれの知る法則が通用しないプラズマの特性の影響下の世界(亜空間)が広がっています。
プラズマについては人類はやっとその門口に立った程度にすぎず、プラズマの持つ不可解な性質についてはあまり分かっていません。
とくに太陽のようなプラズマにおおわれた世界では、「特異点」ともいうべきある周波数の範囲であれば人体がプラズマで燃え尽きる危険性もなく、地球と変わらない環境が可能となります。
その世界はプラズマの特性の法則下にあるため、巨大な重力によって押し潰される心配もありません。
天地創造と地球のバプテスマ
アルザル人の寿命は、1000歳です。
これはアルザルが地球の表面と環境が異なり、有害な紫外線などを浴びることがないため、不必要な細胞分裂が進まず、若い肉体を保つことができるからです。
行方の知れない10部族やUFO問題、サタンの秘密結社の詳細な解説は非公開記事です。
ダイジェストの公開記事があります。
ダイジェスト 第三次世界大戦とハルマゲドンの最終戦争
<転載終了>
罪はだれでも過去、働く、私も同様。その罪の棘は、誰にもある。ただその棘が刺さったままは本当に苦しいですよね?思い出すだけで目をおおってしまう。そう、それが一番、本当に苦しい。だからなのか、神様…の前にイエスと呼ばれている転生してきた存在はその棘を抜いてくれる方法を伝えに一旦来てくれたのはラッキーすぎるチャンスですね。対象は誰にでも…だから。
だから過去サイコパスすぎる罪を働き尽くしたから、もうどうしようと助からない…なんて思わないように。もう焼かれるしか道がないからとか…全くそんな事じゃないんですよ。そう思ってほしくは無いですね。またそんな風には書かれていない。
棘は抜かれたらもうそれは帳消しにするそうで、過去、悪人だった人々すら、尚更見捨てたりなどしない。と言う事。助かる人間の魂…王を辞めて変わったダビデや改めたモーセは、自分自身だけで助かるからイエスの差し伸べる手はもう必要ないんですね。
差し伸べるのは、罪の棘がささったままの人々に、尚更救う気持ちが向けられている。直ったら過去はどんなに重くとも…忘れよう…それは素晴らしいじゃないですか?だから生きている意味があるんですよね?
そう言う様にいつでも心はやり直せる。その様に前を向けば良いじゃないですか、いつでもいつからでも、老人からでも、出来ますよ。
バプテスマ…と、言っても、形式的な方式…では無くて、それは本当の御霊に包まれた本当のバプテスマを経験した人々ならきっと解る筈。
安らぎを授ける…と、そしてその安らぎとは、この世の贅沢な裕福にひたる安らぎでは無くて、
この世のものでは無い別の安らぎを与える…それに包まれる…と。
それは本当でしたね。個人の経験上は…の話ではございますが。