ちこたんさんより情報を頂きました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究 さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1064222609.html
<転載開始>
10 世界最強兵器 プラズマ兵器

ハチソン効果
プラズナー2はアメリカ、カリフォルニア州アンテロープ・バレーの軍事施設で実験が行われました。
1990年代に目撃される銀玉UFOの正体はプラズナー2によるチタンボールであり、音速を超える際にソニックブームが起こることで知られていました。
プラズナー3のアメリカ製UFOは、プラズマ発生装置を搭載した飛行機です。
有人プラズマ航空機としての地球製UFOの飛行実験には、当然ながら人的な犠牲が払われました。
無人プラズマ航空機でも、完全に制御が可能になったわけではない段階で、すでに有人プラズマ航空機の実験が開始されました。
プラズマを発生させるためのマイクロ波は、どうしても指向性に幅があります。
外部環境の変化などにより、思わぬところにプラズマが発生してしまう事故がたびたびありました。
底部中心の炉心部にプラズマが発生していればいいが、コックピットに侵入してくるとただちにパイロットは脱出しますが、超高熱のために大やけどし電磁波障害による記憶喪失などが相次ぎました。
そのまま墜落して死亡したケースも多いです。
多くの場合、遺体はプラズマによる人体への影響を調査するために、ばらばらに解剖されホルマリン漬けにされて資料サンプルとなります。
まだ現代物理学では確認されていませんが、プラズマ発生には特殊な「黄金率 Φ(ファイ)」とよばれる周波数があり「黄金率 Φ」のプラズマは高温にならないのです。
アメリカ軍は、黄金率Φ」による電磁波を「磁力放射線」とよんでいます。
「黄金率Φ」の周波数をもった電磁波、磁力放射線はマイクロ波よりも指向性が高く、ピンポイントでプラズマを発生させやすいです。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究 さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1064222609.html
<転載開始>
10 世界最強兵器 プラズマ兵器

ハチソン効果
プラズナー2はアメリカ、カリフォルニア州アンテロープ・バレーの軍事施設で実験が行われました。
1990年代に目撃される銀玉UFOの正体はプラズナー2によるチタンボールであり、音速を超える際にソニックブームが起こることで知られていました。
プラズナー3のアメリカ製UFOは、プラズマ発生装置を搭載した飛行機です。
有人プラズマ航空機としての地球製UFOの飛行実験には、当然ながら人的な犠牲が払われました。
無人プラズマ航空機でも、完全に制御が可能になったわけではない段階で、すでに有人プラズマ航空機の実験が開始されました。
プラズマを発生させるためのマイクロ波は、どうしても指向性に幅があります。
外部環境の変化などにより、思わぬところにプラズマが発生してしまう事故がたびたびありました。
底部中心の炉心部にプラズマが発生していればいいが、コックピットに侵入してくるとただちにパイロットは脱出しますが、超高熱のために大やけどし電磁波障害による記憶喪失などが相次ぎました。
そのまま墜落して死亡したケースも多いです。
多くの場合、遺体はプラズマによる人体への影響を調査するために、ばらばらに解剖されホルマリン漬けにされて資料サンプルとなります。
まだ現代物理学では確認されていませんが、プラズマ発生には特殊な「黄金率 Φ(ファイ)」とよばれる周波数があり「黄金率 Φ」のプラズマは高温にならないのです。
アメリカ軍は、黄金率Φ」による電磁波を「磁力放射線」とよんでいます。
「黄金率Φ」の周波数をもった電磁波、磁力放射線はマイクロ波よりも指向性が高く、ピンポイントでプラズマを発生させやすいです。
そして、プラズマで包んで物体を移動させる際、プラズマ内部の慣性系が保たれ、マッハ6を越えるスピードで急停止やジグザグ飛行でも飛行中の金属物体の中は何の物理的影響も発生しないのです。
またある電磁波の周波数でプラズマを形成すると、その内部は高温になりません。
エイリアン・クラフトはプラズマを発生させても、高熱で機体が焼失することもなければ機内にプラズマが侵入することもありません。
エイリアンが発生させているプラズマは、マイクロ波で発生させているプラズマとは違うのです。
未知なる特異点というべきものが、どうもプラズマにはあるのです。
アメリカ軍は、この特異点を発見できませんでした。
プラズマの特異点を発見したのは、カナダの物理学者ジョン・ハチソンです。

ジョン・ハチソンは物理学者といっても学業を修めたのは高校までで、あとは独学でエレクトロニクスを学び、さまざまな電子装置を開発します。
その過程で物理学の常識を根底から引っくり返す装置を造り出したのです。
1988年にカナダのオタワで開かれた「新エネルギー技術シンポジウム」で、ハチソンは自分だけで開発製造した高電圧装置と静電高電圧発生装置を動かしたときに起こったさまざまな現象の映像を公開します。
同じような装置は理工系の大学なら珍しくありませんが、ハチソンの映像の現象は見たこともないものでした。
合成樹脂で作られた洗剤の容器の場合がしばらくすると、あたかも内部から空気が抜かれるように押しつぶされていきました。
水を入れた皿を置き、しばらくすると熱した油に水を入れたように水が飛び跳ねます。
ハチソンは高周波装置を使って実験しているうちに、偶然に物体が浮遊したり融合する現象を発見しました。
アイスクリームを入れたコップを置くとアイスクリームの真ん中部分が盛り上がると、それが上へ伸びていきました。
スパナやペンチなどの工具、灰皿や紙片、アルミホイール、ポリ容器、木製品などの品々が宙に浮かびました。
さらに直径20cmほどの金属球がゆっくりと浮揚し、そのまま上昇していきました。


金属に関しては、変形や破懐が起こるのです。
金属の板やパイプは、ガラスが割れるように破壊されてしまうのです。
融合する現象も起こりました。
2つの種類の金属が分子レベルで融合しているのです。
高熱を発したとしても違う種類の金属を融合させることは難しいです。
シンポジウムは参加者は驚愕し、これを聞きつけたカナダのテレビ局がニュース番組でハチソンの実験を取り上げたところ大きな反響がありました。
これらの未知の現象は、開発者の名にちなんで「ハチソン効果」とよばれ、ハチソンは有名になりました。
ハチソンが「ハチソン効果」を発見したのは、このシンポジウムの9年前の1979年のことでした。
ハチソンは、高周波、高電圧の世界に興味を持っていて、自宅にはさまざまな高周波発生装置があり研究していました。
高電圧発生装置と静電高電圧発生装置を起動させ実験をしようとしたとき、突然部屋の隅に置いてあった金属棒がハチソン目掛けて飛んできて彼の肩に当たりました。
ハチソンはこの現象を機械が引き起こす未知の現象であると分かり、勘を頼りに装置を改良していった結果、ハチソン効果は強まりさまざまな現象を引き起こすことに成功しました。
1982年、ハチソン効果の再現性に満足いくデータを得たハチソンは、知り合いの技術コンサルタント、ジョージ・ハザウェイとアレクサス・ペザーロらとともに「ファロス・テクノロジー社」を設立し、ハチソン効果を商業ベースに乗せて大きく展開しようとします。
ハチソンの研究成果に関する情報は、やがてカナダの技術者の間でちょっとした噂になり、1983年にアメリカの政府関係者がハチソンを訪れます。
彼らはハチソンの装置を視察し謎の現象について詳しい話を聞きましたが、男たちは自らを名乗ることもせずガイガーカウンターで部屋中を調べました。
ハチソンは直感的に軍関係者ではないかと感じたといいます。
これを契機にカナダやアメリカの国防総省、それに航空宇宙関係者が多数ファロス社を訪問します。
1985年には軍需産業の大手マクドネル・ダグラス社の技術者たちが来てハチソン効果を確認し、技術提携の契約をほのめかしました。
そして、ハチソンは持っているほとんどすべての実験データを提出しました。
ところがハチソン効果を確認したはずのマクドネル・ダグラス社の記録には、1983年のアメリカ政府関係者の視察の際にはハチソン効果は起きなかったと記されています。
しかし、実際は1983年にロスアラモス国立原子力研究所でハチソン効果の確認実験が行われました。
1988年、バード社から来たグレッグ・ランドとアルフレッド・サッターをハチソンは全面的に信用します。
この年に開かれたシンポジウムで公開された映像も彼らの協力で撮影したものです。
ハチソンは彼らに自分が留守の間、装置の管理を委ねるほど信頼していましたが、ハチソンが帰ってきて装置のスイッチを入れるとコンデンサーが爆発するなどのトラブルがたびたび起こるようになりました。
留守中に彼らが装置をいじったことは明白で、怪しいと感じたハチソンは彼らの背後関係を調べたところ、アメリカ航空宇宙局(NASA)と関係があることが判明します。
NASAが軍事機関であることを知っていたハチソンは、彼らとは関係を切ることにしました。
バード社の人間による妨害は続きハチソンのストレスもかなり高まり、共同経営者であるジョージ・ハザウェイとも対立します。
さらに旅行先のヨーロッパで交通事故にあいハチソンは散々な目にあいました。
そして、運命の1990年9月1年半ぶりにカナダに戻ってきたハチソンは、実験室を見て思わず呆然としてしまいました。
苦労して作り上げた装置がすべて破壊され廃棄されていたのです。
聞けばカナダ政府の指示で業者がやったといいますが、当局は事実を否定します。
ハチソン効果を再現することは事実上、不可能となってしまったのです。
自らの勘だけを頼りに作り上げた装置が破壊され、ハチソンにできるのは過去の実験データを可能なかぎり収集することだけでした。
そこでハチソンは以前に視察に来てデータを持って帰っていたアメリカ陸軍に連絡しデータの返還を要求しました。
1991年3月、陸軍省からは以下のような返事が送られてきました。
「ジョン・ハチソン、そちらの要請に対する陸軍省からの返答を差し上げます。
そちらが陸軍省に提出して下さった実験データとリポートにつきましては、現在、陸軍省で極秘扱いに指定されておりまして、残念ながらご返還できません……(中略)……もし、どうしてもこ必要であれば、情報公開請求書を提出し、情報の自由法を使われるしか方法がありませんので、そのための取り寄せ手続きをお勧め致します。」
これに関連して、ハチソンはこう発言をしています。
「ワシントンにある米軍諜報部が作成した、ハチソン効果についてまとめた計画書(1983年度)を見ると、放射性廃棄物や各種の汚染物質を処理する未知の現象を引き起こすと書かれてあります。
ロスアラモス国立研究所や海軍調査研究所は、私の研究資料を利用して4か月間も徹底的に研究したのです。」
ロスアラモス国立研究所は、核兵器からプラズマ兵器を開発していた研究所です。
さらにハチソンはこんなことも述べています。
「ハチソン効果を応用すれば、地球製のUFOを飛ばすことも可能になります。
事実、私の研究施設で400kgもある変圧装置が空申に浮揚したのですから。
UFOはその気になればハチソン効果と潜水艦建造技術で、今にでも簡単に飛ばせることができます。
そのことについて、英国放送協会(BBC)やNASAさらにアメリカ政府からも問い合わせがきています。」
ハチソンの実験施設が破壊されたのは、このコメントの直後でした。
ハチソンが地球製UFOにまで言及するとなると放っておけないと、アメリカ軍が判断しカナダ政府と共謀して、装置を破壊してしまったのです。
新しい未知の物理法則の発見だったので、実際は詳細なメカニズムはハチソン自身にも分かっていませんでした。
ハチソンは持ち前の勘で実験していくうちに偶然にこれら現象を発見したのです。
ハチソン効果を再現できなくなったハチソンは、模造の実験動画を作成し公開してしまいます。
ハチソンは1回の実験動画の模造を認めています。

左上部分に操っているワイヤーが見えています。
NSAがハチソンを脅して身の安全と引き換えに、ハチソン効果をインチキとするために模造の実験動画を作らせた可能性もあります。
ハチソンの映像を見たアメリカ軍の科学者は、その重要性が分かりました。
これこそ研究し求めていたプラズマ現象だったからです。
プラズマに包まれた物体は、プラズマが動くとそれにともなって移動します。
また水などが泡立ったことも、高周波によって水分子が大きく振動しあわ立たせる原因となったのです。
金属の場合は、それが切断や融合という形になって現れます。
内部から高い熱が発生し焼き切れる場面も撮影されています。
プラズマを当てながら溶接すると異なる金属同士が分子レベルで融合し金属と紙まで溶接できます。
「ハチソン効果」に着目したNSAはハチソンの装置を独占し徹底的に分析した結果、ついに「黄金率 Φ」とよばれる周波数の特異点を発見したのです。
ハチソンが若いころから尊敬し傾倒していた科学者がテスラコイルの発明者、クロアチア生まれのセルビア人、ニコラ・テスラです。

1881年、テスラはオーストリアのグラーツのポリテクニック・スクールを卒業し、同年には、ハンガリーのブダペストにある国営電信局に勤務することになります。
そののちパリの「コンチネンタル・エンジン社」に勤めながら、世界初の交流モーターの原理とアイデアを思いつきます。
社長の勧めもあってテスラは28歳のときにアメリカにわたり、発明王トーマス・エジソンのもとで働きながらその天才ぶりを発揮しました。
ところが全米の家庭に電気を配線するシステムに関して、エジソンは直流と主張しましたが、テスラは交流のほうが効率的で安全と主張し引き下がらなかったエジソンとの対立問題でエジソンのもとを去ります。

テスラの唱える交流は危険だと主張するエジソンに対し、テスラは肉体にショックを与えるのは高電圧ではなく高電流であると主張し、自らの体に高電圧を貫流させ針金を溶かしたり電球を点灯させたりする実験を行いました。
結局は多相交流モーター(多相交流)の発明者だったテスラの交流電気が選ばれました。
ナイアガラ爆布電力会社が世界初の交流電気を使用して以降、世界中に交流が普及することとなったのです。 (参照)
そのためテスラは、交流電流の父と称され、電気技術史の中で最も有名な科学者となり、新ユーゴスラビアのベオグラードに「テスラ博物館」も建てられました。


テスラが作った会社ニコラ・テスラ・カンパニーの関連物にも、巨大な電気放電発生装置(正式には拡大送信機や無線送電塔)から、すさまじい電気放電がされている恐ろしいシーンが描かれていますが、テスラはその超高圧の電気放電の前で自らが優雅に本を読む写真を公表し自分の研究がいかに安全かを実証しました。
1889年、テスラは巨大な「地震発生装置」を研究し、その実験を行うことになりました。
実験開始の日の朝、テスラの研究所に近い警察本部では大変な事態が発生します。
警官たちがつめている警察署内で急に不気味な地鳴りがしたかと思うと、床や壁が細かく震動し始め徐々に強くなっていきました。
机の上の鉛筆や消しゴムが床に落ち椅子が勝手に移動したかと思うと、警察署の大きな窓ガラスが割れ天井から吊るされた電球が揺れて、壁の上塗りの漆喰がばらばらと落ちて床一面に広がりました。
警官たちは、またテスラの実験のせいだと分かりました。
急いで研究所に飛びこんだ警官たちは中の様子を見て驚きました。
さまざまな物が飛び回り、ポルターガイスト現象が起きていたのです。
直すこともできずにコントロール不能にの地震発生装置を、テスラは斧を使い装置を破壊して停止させました。
おかげでテスラの印象はマッド・サイエンティストとして定着してしまいます。
これが有名な「テスラの地震発生装置実験」です。
次にテスラが行ったのは、高さ36,5mもある巨大な無線送電装置による実験でした。
1899年、コロラド州コロラドスプリングスに建てた巨大な鋼鉄のマストは、テスラが主張する電力を無線で送信できることを証明するための装置で、マストの先に取り付けられた巨大な銅球に1000万ボルトの大電流を流した瞬間、3,3キロヘルツもの高周波が発生する仕組みでした。
その結果、無線送電装置から40kmも離れたところにある、200個の50ワット電球をまとめて点灯させた上、最高960km先まで電力を無線送信することに成功したのです。

1901年、J・P・モルガンの援助により、ニューヨーク州、ロングアイランドに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」 の建設を開始。
地球の定常波(地震発生装置から判明した何らかの地球エネルギー)を拡大送信装置の高周波と共鳴させ、地球を導体として使うことで、低コストのエネルギーに変換しようと考えたのです。
それが完成すれば、膨大な電力を世界中に送ることが可能となり、テスラは「世界システム」を構築しようとしていました。
1905年に完成するも、そののちモルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断します。
アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去されました。

フィラデルフィア計画
ハチソンが使った高電圧発生装置とは、テスラコイルでした。
原爆開発計画マンハッタン・プロジェクトと並行して、プラズマ研究は1939年の第二次世界大戦以前から基礎的な研究が行われていました。
当初、プラズマ発生装置として用いられていたのは高電圧高周波を生み出す共振変圧器であるテスラコイルでした。

ニコラ・テスラによる放電実験、高周皮高電圧によって生じる強烈な火花放電もプラズマ現象です。
開発者であるニコラ・テスラがプラズマ兵器の開発にたずさわっていたのですが、実験はなかなか成功せず、発生した電磁波によって人的な被害があとを絶ちませんでした。
フィラデルフィア計画は、1943年に行われたアメリカ海軍がフィラデルフィアの造船所、護衛駆逐艦エルドリッジを使ったレーダー不可視化実験、または艦船が持つ磁気が地磁気を乱すのを探知して爆発する「磁気機雷」対策のため、艦船に電線を巻き付け電流を流し、電磁石の原理で艦艇の磁気を消す「消磁実験」とされています。

このプロジェクトの責任者はニコラ・テスラで、アルベルト・アインシュタインやジョン・フォン・ノイマンなどプリンストン大学が研究の中心でした。
テスラは発電機と変圧器を組み合わせた特殊なコイルであるテスラコイルを開発し、物体のレーダー不可視化の実験を繰り返していました。
しかし、その実験の最中に恐ろしい事故が発生し、テスラは責任を持てないとして総指揮から降りてしまいました。
1943年6月10日、テスラの後継者となったノイマンは船体の3か所に巨大な高電圧発生装置を据えつけ、乗せた水兵も含めて不可視化する実験を閉鎖したドックの中で行いました。
すると高電圧発生装置からすさまじい電磁波が発生し、精神が破壊されてしまう者や自律神経系が麻痺する者が続出する結果を招いたのです。
そこでノイマンは高電圧発生装置を2か所に減らして、8月12日に再度実験を行いました。
メインスイッチはエルドリッジの艦橋にあり、スイッチが入った瞬間、異様な震動が艦全体に伝わりました。
数分後、エルドリッジは不気味な光に包まれると、波止場で見守る人々の眼前から姿を消してしまったのです。
船内では、メインマストのアンテナや送信機は吹き飛び、体からすさまじい炎が吹き出す水兵が続出し、精神錯乱、発狂、呼吸停止、そのほかあらゆる悪夢のような状況が水兵を襲っていました。
一部の技術者たちは何とか高電圧発生装置を停止させようとしましたが、計器類は暴走し、まったくコントロールできない状況に陥っていました。
この間、エルドリッジはフィラデルフィアから2500km以上も離れたノーフォーク沖まで瞬間移動し、再びフィラデルフィアに舞い戻っていました。
戻ってきたエルドリッジに乗りこんだ人々は、この世のものとは思えぬ惨状を目にしました。
体の一部、あるいは全身が黒い灰と化した人間の姿、発狂したまま中空を睨む者、体が硬直したまま呼吸が止まった者がいて、艦船の各所から人間の体の一部が突き出たり、生えているように見えたのです。



人体と金属が重なった部分は骨も肉も金属との接点で完全に融合しており、凄惨な光景が艦内に展開していたのです。
結局、モップの先の平たい部分で突き出ている顔や腕を強く押すと床からめくれることが分かり、多数の人体がこのように引きはがされて回収されました。
そして、付着している肉片や血液は水で洗い流され金属と融合した人体は、そのまま金属内部に残されたのです。
その作業の最中にも作業員は幽霊を見たり、うめき声が聞こえるという怪現象に悩まされ続けました。
そのため作業を中断する者が続出し、人体を引きはがす作業はドックに入ってからも数日間続けられたといいます。
生き残ったエルドリッジの水兵は全員例外なく体の不調から入院し、そこから精神病院に送られる者が続出しました。
結局、生き残った中で復帰した者はなく、全員廃人同然か死亡する結果となりました。
海軍は同じ実験を今度は水兵を乗せずにエルドリッジをドックに引き上げた陸上実験を10月に行うことになりました。
コントロール制御も艦橋ではなく陸上に置き、万全の態勢で同じ実験を行いました。
その結果、不可視化は成功したものの再び信じがたい現象が発生しました。
送信機と2基の高電圧発生装置が消滅し、エルドリッジの船内が怪物に荒らされたようなありさまに変貌していたのです。
フィラデルフィア実験は、プラズマ実験でした。
発光現象、精神錯乱、人体発火、物体の超高速移動、自律神経系のダメージ、合体現象、亜空間移動などはプラズマが成せる業です。 (参照)
物体の不可視化はプラズマ化した物体の状態と酷似し、艦船の瞬間移動も亜空間を移動したとすれば理解できます。
実験の最中に発生した異常な事故は、正確には電磁波(電磁気)の2点、3点交差が引き起こした偶発的なプラズマ発生事故だったのです。
実験に参加していた磁気と磁場専門の科学者トーマス・タウンゼント・ブラウンの役割は、テスラが考案した高電圧発生装置が生み出す異常現象をコントロールすることでした。
テスラコイルを備えた複数以上の高電圧発生装置からすさまじい電磁波が漏れ出し、それが人体に悪影響を与えると考えたテスラは、消磁装置の専門家であるタウンゼント・ブラウンを研究スタッフに加えたのです。
しかし、2~3基の高電圧発生装置から四方に放射される電磁波を排除することはできませんでした。
そこで実験に不安を覚えたテスラは、実験の最高責任者の地位にい続ける自信を持てず要職を辞したのです。
当時はプラズマが不可視化の主役だとは気づいていませんでした。
テスラのあとを引き継いだフォン・ノイマンは、より強力な不可視化を図るため、高電圧発生装置を3基のままドック内で実験を行ったところ、システムの暴走からプラズマが暴発し、多数の水兵を焼き殺してしまったのです。
1943年8月12日、ノイマンは、基の高電圧発生装置に減らした形で本格実験に臨みましたが、発生したプラズマのエネルギーは巨大で、一瞬にして多くの水兵を蒸し焼きにし、体内発火させて灰にしてしまいました。
あわてた技術者たちは何とか高電圧発生装置をコントロールしようとしましたが、結果的にその行動が2点交差の位置を遠方へ移動させました。
青い光のプラズマにおおわれた護衛駆逐艦エルドリッジも無数に発生する交差位置を亜空間移動し、結果的にノーフォークに出現しましたが、再度のコントロールの暴走から元のフィラデルフィアに舞い戻りました。
そして、設置した高電圧発生装置が制御不能だったため、人体を包んだプラズマが船体部分と重なってしまい、電源が切れた瞬間、人体と船体が合体してしまったのです。
報告によれば、多くの水兵は金属と融合した瞬間にほとんどの者が即死しましたが、中には足や手、または顔の一部などが船体に潜りこんでいたため生きたまま切断して切り離した者もいたとされています。
命は助かった者はいましたが、全員正常な状態に復帰したとはいえず、秘密厳守とされこの事件は隠蔽されました。
テスラはアメリカ政府に対するサボタージュを理由に罷免され、あらゆる役職から追放されています。
アメリカ政府と軍、シークレット・ガバメントにとって、自分たちの意向に逆らった許しがたい反逆者でした。
テスラが総指揮をとったフィラデルフィア実験は次世代の兵器体系を生み出す最高軍事機密だったので、テスラとアインシュタインのかかわりだけは知られてはまずかったのです。
アインシュタインが「フィラデルフィア実験」にかかわっていた話は知られていますが、それを証明する物的証拠は表には出ていません。
政府と軍が否定するかぎりフィラデルフィア実験についてはもみ消せますが、そのプロジェクトの総指揮者だったテスラとアインシュタインが一緒にいる写真があるのはまずいです。



アインシュタインとテスラが一緒にいる写真は、フィラデルフィア実験の物的証拠にはならずとも状況証拠になりえる危険性があったのです。
テスラとアインシュタインの関係を示す写真はネガを含めてアメリカでは葬られましたが、1枚だけはテスラのところに残りました。
1943年1月7日、86歳でテスラはアインシュタイン同様に暗殺されています。
テスラの死はフィラデルフィア実験へのサボタージュで身を引いた数か月後に起きています。
テスラが国家反逆罪で追放されたのが1942年、その直後に死んでいるのはあまりにも不自然です。
「レッドライト・プロジェクト」に発展する未知のシステムの秘密を握るテスラは、シークレット・ガバメントにとっては、いつ軍事秘密を暴露してもおかしくない危険人物でした。
テスラが死んだのはニューヨーカー・ホテルの一室で、最期を見取った者は誰もおらず、翌朝、部屋の掃除に入ったメイドが、遺体を見つけたとされています。
葬儀は、知らせを受けた友人や知人の手でしめやかに行われ、葬列はマディソン街を粛々と進みました。
ところがその間、テスラが泊まっていたホテルの一室では、ホテルマンの証言によると、急に何人かの黒スーツ姿の男たちがテスラの部屋に入りこみ、テスラの金庫をすばやくこじ開けたといいます。
まるで最初から金庫の存在を知っており、そのために金庫を開ける専門の人間を葬儀のドタバタの間を利用して連れてきたとしか思えないほどに段取りの良い行動でした。
彼らは金庫の中にあったテスラの重要書類とファイルの束を持ち出すと消え去ったといいます。
彼らがホテルマンに見せたのはFBIの身分証明書でしたが、本物かどうかは不明で、FBIに問い合わせても、そんなことは知らないといいました。
テスラの暗殺は深夜に行われました。
フィラデルフィア実験にかかわる重要な証拠書類は、金庫の中に入っていることは前から分かっており、殺害の時点で専門家が開けようとしましたが思うように作業が進まずに夜が明けてメイドが来る時間になったため、その日は現場から一時撤退しました。
そののち葬儀の間に何とか金庫を開け重要な書類を持ち出すことに成功したのです。
銀球UFOの正体
目撃が多い球形UFOの中でも銀色をしたメタリック・ボールUFOは、とくに1990年ごろから目撃が急増しました。
そして低部が二等辺三角形のUFOが見られ始める数年前には、球形UFOはあまり見られなくなりました。
銀球UFOのほとんどは小型で約1m前後で、超高速で飛行し急停止し忽然と消えるといいます。
目撃者の中には旅客機のパイロットも多く、彼らは飛行物体の専門家で頻繁に現れる銀球UFOは無気味な存在だといいます。
多くは内陸部から西の方角、つまりは太平洋へ向かって飛び去っていきます。
日本にも、銀球UFOは現れています。
岡山市に住む谷口亮介は車に乗って仕事場に向かっている途中、住宅街を低空飛行する銀球を発見し車内にあったインスタントカメラで連続写真で撮影しました。
銀球UFOはプーンという音をし高速で回転していたといいます。
カリフォルニア州アンテロープ・バレーは、アメリカでも有数の軍事兵器開発地帯です。
施設の内部には、飛行機が発着しない滑走路だけが延びています。

飛行機が発着しない滑走路は、直線が2本で角度をでV字形に伸びています。
これらは滑走路ではなく、別の目的で作られた施設なのです。
その証拠に、アスファルト道路の上には巨大なパイロン(尖塔)が立っています。

巨大なフックがパイロンの色は白もしくは灰色で高さは約40mで地上面に対して約60度の傾斜角を保って立っていて、フックで引っ掛けている金属質の物体Xがパイロンの先に乗っています。
金属質の物体Xの形状は主に球体でほかに楕円体や円盤形、三角形をした物が存在します。
目撃者の証言によれば、菱形やブーメラン形をした物体も取り付けられることもあるといいます。
強烈な電波をターゲットに向かって、一直線にパイロン上の物体Xに照射することが分かっています。
パラボラ・アンテナは少なくとも2基で複数のパラボラ・アンテナが1つの物体Xに対して電磁波を照射しています。
アンテロープ・バレーに林立するパラボラ・アンテナは、電波を照射することが主な役割です。
物体Xに電磁波を照射して電磁波の反射率を測定しているのだといいます。
レーダーは電磁波を放射していて、放射された電磁波は物体に当たると吸収されるか反射します。
反射して戻ってきた電磁波の量と方向を測定すると、その物体の位置と大きさが分かる仕組みになっています。
電磁波の吸収、反射率は、その物体によって異なり木材などの有機物の場合、多くが吸収されますが金属などの場合はかなり反射されます。
また同じ反射でもどの方向に反射するのかで、レーダーに映る影に大きな違いがあります。
戦場において敵のレーダーにはできるだけ映らないように戦闘機の材質や形状を工夫するステルス性の実験です。
各社の施設に1つは上空を向いたパラボラ・アンテナがあります。
軍事施設の上空にあるのは軍事衛星に向けて電磁波を照射しているのです。
ステルス実験よりも、この軍事衛星とパラボラ・アンテナのほうがアンテロープ・バレーの主な実験です。
1990年代に入って、ここロサンゼルスで兵器開発実験の目撃が頻発しています。
1991年10月31日、ロサンゼルス一帯で轟音であるソニックブームが響きわたる事件が続けて2度起こり、アメリカ西海岸では同様の事件が毎週木曜日に定期的に発生するようになります。
ソニックブームとは一種の衝撃波で、音は空気の振動で空気の密度変化が波となって伝わって行く現象です。
この音波には、伝わる速度が決まっています。
音は秒速331,45mの速さで、音源から同心円状(回心球状)に広がっていますが、音源が動いている場合は音波の広がりは同心円ではなく、中心が動いている方向にずれて行く形になり進行方向の円の間隔は狭く反対側が広くなります。
これが速くなるとやがて円と円の間隔がなくなってしまいます。
このとき音は進行方向に伝わる余地がありません。
そして物体の速さが音速を突破するとに、空気は流体ではなく固体と同じ性質を示します。
つまり物体は空気の中を移動するのではなく、空気を切り裂いて移動することになります。
この固体と化した空気を切り裂くときに強い衝撃があり、これがソニックブームなのです。
ソニックブームが走ったということは、音速を超える飛行機がロサンゼルス上空を飛んでいたのです。
そして、レーダースクリーンに映ったソニックブームを引き起こした飛行物体は、マッハ6のスピードからいきなりUターンをしたり急停止急発進していたのです。
マッハは音の速さを1としたときの、速度の比で速度が音速の何倍かを表した値です。
アンテロープ・バレーと宇宙空間の軍事衛星と連動させ、金属球を自由自在に操っています。
世界中で目撃が多発していた銀球UFOの多くは、アンテロープ・バレーから発射される金属球なのです。
アメリカにおける銀球UFOの目撃事件を調べてみると、アンテロープ・バレー周辺が多いのです。

2005年報道機関向けに発表された X-47B無人戦闘機のロッキード·マーティン社

金属球をプラズマで包み込んだのちにプラズマ発生ポイントをずらすことによって、物体を移動させる仕組みです。
普通の金属なら約4000℃以上の高温に融解し蒸発してしまいますが、ここで使用される金属はステルス機と同じ融点の高いレアメタルです。
パラボナアンテナを操作し電磁波(マイクロ波)の交点を移動させれば、金属球もそれにともない超速度で飛行します。
さらに地上のパラボナアンテナを上空の軍事衛星と連動させれば、金属球やほかの物体を一瞬にして宇宙空間に移動できます。
その上でアンテロープ・バレー上空の軍事衛星をほかの軍事衛星、とくにNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の軍事衛星ネットワークと連動させれば、そのままリレー電磁波(マイクロ波)に乗って、地球上いかなる場所にも瞬間的にプラズマ火球や金属球を移動させることができるのです。
開洋丸のUFO遭遇事件
1984年12月18日に南アメリカ大陸南端付近のフォークランド諸島付近で、日本の農林水産省所属の海漁業調査船「開洋丸」の航海士が北進中の船首方向で、右(東)へ移動していく黄色っぽい光体を発見。
最初は人工衛星かと思ったが、フラフラという動きが途中から速度を上げて一直線に動き、視界から消えていきました。
この光体はおよそ10分おきに計8回も同じような位置に現れています。
消えた方向は異なり、4回は右方向へ、2回は上方向へ、2回は下方向へスピードアップして消えていきました。
目撃者は計5人で、そのなかの1人は、こう述べています。
「流れ星なら一瞬であり、あれほど持続はしません。
しかも水平に飛ぶことなどまずありません。
最初のフラフラとした動きも初めて見るものです。
それが連続して8個。
心のそこから、『さわやかな不思議さ』がわきあがってきました。」

2度目の遭遇は2年後の1986年12月21日午後6時のウェーク島近辺の北緯26度の日付変更線付近において、航海士がレーダーのスイッチを入れると左舷側(北方向)約5,6kmの位置に正体不明の巨大なレーダー映像が現れました。
それは見たこともないような楕円形の物体でした。
船の周囲でマッハ4の速度で音もなく飛行し180度ターンなどの不規則運動をする巨大タンカーほどのレーダー映像を確認しました。
しかし、その飛行物体は肉眼では見えませんでした。
午後10時30分、引き継ぎを受けた3人の当直者は、レーダーに推定400mの巨大な楕円形の物体がとらえられました。
このレーダー上でのみ確認された大きさ直径300mほどの巨大な飛行物体は、開洋丸の周囲を数度回ったのち、突然直角に角度を変えて船に至近距離まで近づいて鋭角に旋回して去っていきました。

同夜午後11時10分、今度は反対側の船尾方向に、またしてもレーダーに映るだけの正体不明の飛行物体が現れ、開洋丸の至近距離まで近づきレーダーから物体が消えると、物体が風を切り裂いたような「ブォーッ」という音が聞こえました。
その音は大音響ではなく衝撃も何もない自動車のエンジン音よりも小さな音で、音がとおりすぎて向かった前方を見ると、そこには楕円形の赤みがかった黄色をした光が輝いていて1~2秒で消えてしまいました。
レーダーが開発された当初から、敵が利用する電磁スペクトルを妨害すして敵のレーダーになにも映らなくしたり敵のレーダー画面にノイズを表示させるようなECM(エレクトロニック・カウンター・メジャー、電子対抗手段)が発達しました。
開洋丸もこのECMを搭載した軍用機の訓練の標的にされ、レーダーにUFOが飛び回ったように見せられたという説がありますが、マッハ4の速度や音きいても目視できないことを考えると軍用機ではないでしょう。
調査船「開洋丸」UFO遭遇事件
アメリカ軍が実験を船舶を使って行う際の方法として、同盟国の科学調査船を使用することがベストな方法です。
同盟国の科学調査船には科学者がいて貴重なデータを得られますし、日本政府にはプラズマ兵器の恐ろしさを見せつけられます。
アメリカ軍のこの実験の目的は移動する船舶をプラズマで追尾し、相手のレーダーの守備範囲外からアタックを試みることでした。
最後に赤くに光らせたのは、エイリアンクラフトと思わせるための偽装です。
航空自衛隊の戦闘機パイロットとして3800時間の総飛行時間の経験を持つ、元自衛隊空将の佐藤守の著書『実録・自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』には、37人の空自自衛官が全員ではないものの顔写真と実名で登場していて、次のような証言があります。
1985年、名古屋上空での自衛隊の空輸送機のUFO遭遇事件では、操縦士と副操縦士の2名がコックピットから前方に細長い葉巻型の飛行物体が空中に浮いているのを目撃し、その大きさは目測で200~300ミリはありました。
コックピットでは「おい!カメラ持ってないか?」と騒然となり、当時は誰もがカメラ付き携帯電話を持っている時代ではなかったので写真にこそ収められなかったのですが、その様子を赤裸々に告白したといいます。
航空会社や自衛隊のパイロットは、UFOを目撃や遭遇したと報告すると精神的な健康上問題ありとされてパイロットとして業務に就けなくなってしまうので報告しづらいです。
UFOに対する日本政府のスタンスは次のとおりです。
日本国政府は2007年12月に閣議決定された答弁書で、地球外から飛来したと思われる飛行物体について「存在を確認していない」「研究も飛来した場合の対策も行っていない」と記載していることを表明し、以来この答弁書に一切の変更はありません。
ノウルズ事件
1988年1月21日午前4時ごろ、オーストラリアの南岸に続くエーア・ハイウェイをセダン車で、東へ向かって走っていたフェイ・ノウルズ夫人と3人の息子と愛犬2匹は、メルボルンにいる祖母の家へと向かっていく途中にUFOに遭遇しました。
暗闇の中に道路の向こうから強烈な光が見え、対向車のヘッドライトかと思った瞬間、その光はノウルズ一家が乗る車に正対したまま猛烈なスピードで突進してきました。
近付く光は、フロントガラスいっぱいになるや車内を明るく照らし予期した衝撃がありません。
正面衝突だけは避けられたようで、息子ショーンは後ろを振り返るとそこには光の球があり、徐々に小さくなっていきUFOは車を通り過ぎて遠ざかっていきました。
すると遠ざかっていた光球が遠くでUターンし、車目掛けて突進してきました。
反射的にショーンはアクセルを踏み込み逃走をしようとしましたが、なおもUFOは追いかけてきます。
宙に浮かぶUFOは幅が1m、高さが3mほどで、中心部が黄色いエッグスタンドを逆さにしたような形をしており、強い光を放っていました。
ショーンはさらに加速し車のスピードを上げますが、UFOは瞬時に車に接近し、このままでは追突されると思った瞬間、UFOは車の上を追い越していきました。
あわてて車をUターンし、そのままUFOを振り切ろうとすると、またもやUFOもUターンし再び車に突進してきます。
そして、またしても車の上を通過しました。
またしてもUFOが車を通過しようとしたとき、車の天井から鈍い音が響きました。
次の瞬間、熱気が車内に充満し始め、しらばくすると、屋根から光が透過してきて車内が昼間のように明るくなりました。
完全に4人はパニック状態で、体が麻痺し金縛り状態となって体の自由がまったく効かなくなり、呼吸が困難で気分も悪くなりました。

後部座席に座っていたノウルズ夫人が窓から上空を見上げると、そこには例のUFOが屋根にくっついていました。
彼女は窓から腕を伸ばし屋根を探ってみると海綿状の得体の知れない熱い物体に触った感触があり思わず手を引っ込めると手は赤色になり、やがてミミズ腫れになってしまいました。
その直後、まぶしい光とは別に真っ黒な気体が車内に侵入し、完全に暗黒状態と化してしまいました。
そして次の瞬間、闇は消え去り、4人は体に重力を感じました。
車が宙に浮き上がったのです。
UFOが車ごと自分たちを宇宙に連れ去ろうとしていると思い恐怖は頂点にたっしました。
そして約1分後に車は路面へと落とされ、ショーンは車を止め、4人と2匹は一目散で車の外へ飛び出し近くの草むらに逃げ込みました。
車の方を見ると、光り輝くUFOが車の上を何度も旋回しているのが見えました。
20分後、UFOは鈍い捻り音を立てながら、上空へと消え去っていきました。
この事件は地元の新聞でも報道され大きな話題となりました。
日本でも、読売新聞や写真週刊誌『フォーカス』が海外ニュースという形で取り上げました。
UFO研究家も異星人の地球人誘拐未遂事件としてさまざまな角度から調査されましたが、事件の真相を明らかにすることはできませんでした。
ノウルズ事件のUFOは、プラズマ兵器のプラズマです。
アメリカ軍が人工衛星と連動させて、わざわざオーストラリアの片田舎に打ち込んでいったプラズマ兵器の物体移動実験です。
オーストラリアにはアメリカ軍の施設がかなりの数あり、広大な砂漠地帯を利用して兵器の実験をしています。
民間の車を狙ったのは、これがUFO情報のかく乱工作としての意味がありました。
ノウルズ一家は、まんまと異星人が車ごと誘拐しようとしたのだと思い込み、これを調査したUFO研究家がさらに印象を強くさせました。
プラズマを生み出す電磁波が金属に当たると反射します。
高い周波数の電磁波は光と同じように考えられ、金属に電磁波が当たると光が鏡に当たるように反射します。
UFOが車を持ち上げたというのは、金属の近くに電荷をもってきたときに引力が発生する現象「鏡像力」によって説明できます。
プラズマは全体的に見ると電気的に中性だが、局所的にはプラスかマイナスに偏っています。
プラズマの表面がプラスの電気を帯びており、そのまま金属に接近したとき、金属の表面にはプラズマがもつプラスの電気に引かれて、マイナスの電気すなわち電子が集まってきます。
プラスとマイナスの電気の間にはクーロン力が働きます。
しかも、接近したプラズマのプラスの電気量と金属表面に集まってきたマイナスの電気量は等しく鏡像であるかのように電気が発生するところから、このような力を鏡像力とよびます。
ノウルズ事件では天井付近にプラズマが接近したとき、プラズマと車の間には鏡像力が働いたのです。
ノウルズ夫人はプラズマの海綿状の物体に触ったときに、赤いミミズ腫れができてしまったのは放射能障害です。
プラズマは自らを生み出す電磁波よりも周波数の高い電磁波の放射線を発生している場合が少なくありません。
ノウルズ夫人が触ったという海綿状の物体は、プラズマが周囲のダストを吸い上げて生成したフラクタル物質です。
フラクタル物質とは大気中のエアロゾルがプラズマによって化学反応し、高分子のゼリー状になった物です。
プラズマはプラズマの表面に空気中のダストを引き寄せて、軟らかいまたは硬い外装を身にまといます。
車内に侵入してきた光もプラズマで、プラズマで車内が熱くなったのです。
プラズマが発生する有害電磁波で、神経が麻痺し金縛り状態になりました。
そして車が持ち上げられる寸前、車内が「暗黒プラズマ」に包まれました。 (参照)
アメリカ軍は銀球UFOを飛行させたり、ミステリー・サークルを作って実験しているだけではありません。
アメリカ軍はスーパー・プラズナーを使って密かに大規模な人体実験の大量虐殺を行っているのです。
1991年4月29日、バングラデシュを突然、巨大なサイクロンが襲いました。 (参照)
史上最大とも形容される、このサイクロンは平野部の農村を水没させ、20万人以上の死傷者を出しまた。
のちに被害状況が明らかになるつれ、不可解な事が明らかになりました。
サイクロンが襲来した際、暴風雨とともに炎のカーテンとよばれた現象によって無数の火の玉が田畑を焼き尽くしたというのです。
このバングラデシュの炎のカーテンは、スーパー・プラズナーの実験でした。
エリア51から照射されたマイクロ波は軍事衛星をリレーし、東南アジア上空へと運ばれ、そこからバングラデシュで発生したサイクロンの中心部へ打ちこまれました。
瞬時に巨大なプラズマが発生し、その形は円筒形のプラズマ弾性体となりながら平野部をローラーのようにすべり、地上を焼き尽くしたのです。
実はこの実験については事前に当時のソ連の首脳部にも非公式に伝えられていました。
その目的はプラズナーの威力を見せつけるためです。
当日、ソ連の軍事衛星によって実験の一部始終を目にしたミハイル・ゴルバチョフやソ連共産党の首脳部は、軍事力の差が分かりアメリカには勝てないと分かりました。
それから4か月後、ソ連は体制が崩壊し独立国家共同体をへてロシアへなりました。
ソ連崩壊

ソ連が崩壊したのは共産主義が凝り固まった体制と融通のきかない機構の中で国家予算を膨大な軍の維持と核兵器や戦略兵器の開発ばかりに投資し、農業、一般産業を含む経済活動をなおざりにしたためとされています。
ソ連時代は生活よりも工業や軍事分野に力を入れてますから、国民の生活の日常品も質が悪く豊かではありませんでした。
ソ連の崩壊劇にアメリカは深く関与していました。
アメリカにとって当時の大統領ミハイル・ゴルバチョフは、平和裏に旧ソ連を解体するための切り札でした。
ゴルバチョフにはソ連を解体する気も共産党を消滅させる気もありませんでしたが、軍を抑え国民を束ねることができるとアメリカに思われていました。
アメリカが恐れていたのはゴルバチョフの暗殺で、もしそうした事態になればソ連は支えをなくして内乱状態に陥るか軍が世界に向けた核戦争を起こす可能性がありました。
ゴルバチョフの暗殺を防ぐためにアメリカはゴルバチョフに「ノーベル平和賞」を取らせ、何度もゴルバチョフを招いて、米ソ協調があって初めて旧ソ連が経済的に西側の援助を受けられることを強調しました。
つまりもしゴルバチョフの身に何かが起きれば、ソ連は西側の信用を一気になくし孤立国家に没落するという圧力をソ連国内の反ゴルバチョフ派に仕掛けたのです。
ゴルバチョフ自身も、その立場を十分に理解していましたが、ソ連解体に反対する姿勢を崩しませんでした。
アメリカがイラクを相手に「湾岸戦争」(1991年)に踏み切ったのはこの時期です。
クウェートの救出はただの名目にすぎず当時のクウェートは民主主義国家ではなく独裁に近い王政でした。
イラク占領まではしなかった湾岸戦争の真の目的は、イラクを利用して中東にアメリカの影響力を強めることでした。
湾岸戦争が終結したとき、戦場の砂漠には多数のミステリーサークルがありました。
主に単純な円形で大きな物で直径が十数mで内部が窪んでおり、一見すると巨大なクレーターのようでした。
報道管制下においてその映像は表に出ませんでしたが、戦場に突入したカメラマンやジャーナリストがミステリーサークルを目撃しています。
戦場ではプラズマ兵器やさまざまなアメリカ製の最新兵器が使用され、ソ連の世界最強の戦車「T-72」はかないませんでした。
ソ連に対して力の差を見せつけるため、それまで極秘にしていたプラズマ兵器を使用しました。
エリア51から照射した電波で発生させた低熱プラズマをわざと目視できるようにして、イラク兵の立てこもる地下陣地に発生させ、多くのイラク兵がパニックに陥り一部は自律神経が麻痺して呼吸困難で悶絶しました。
このような兵器が湾岸戦争で使用されていることは、捕虜になったイラク兵からマスメディアに知られるようになりました。
イラク兵の体験談から、次のような現象を引き起こす秘密兵器が使用されたことになります。
幻覚を引き起こす、記憶に干渉する、戦意を消失させる兵器。
空中に立体映像を投影させる兵器、空中を超高速で移動する兵器。
これらはプラズマ兵器が持つ特微です。
しかし無知な多くの西側のマスメディア陣はアメリカの情報操作の効果もあって、これらを断続的に繰り返される集中砲火の下で恐怖に陥ったイラク兵が見た幻覚としています。
多くのイラク兵はプラズマ兵器で殺されました。
イラク軍の戦死者数と発見された遺体の10倍以上もの極端な差があるように、イラク兵の大量の遺体が見付っていないのは、遺体が残らないほどの超高温のプラズマで蒸発して殺されたからです。
湾岸戦争では、アメリカは、プラズマ兵器体系が実戦段階の一歩手前に到達していることを、ソ連の軍事偵察衛星を通してソ連の指導者たちに見せつけたのです。
ソ連軍の頭の固い上級幹部の戦意をくじくには、アメリカはソ連の軍部にアメリカに勝ち目がないと思わせる圧倒的な差を見せつけることで、ゴルバチョフが軍部を説得できるように援護しました。
それでもソ連の歩みは遅くゴルバチョフは軍を押さえ切れずにいて、ソ連がコントロール不能の事態に陥ることを懸念したアメリカは、バングラデシュのプラズマ兵器による大量虐殺で脅しをかけたのです。
今やアメリカに勝てる国は、この地球上にはありません。
世界最強の軍事大国としてアメリカは君臨しているのです。
そもそもシークレット・ガバメントにとって世界の国々などは眼中にはなく、アルザル人との全面戦争を視野に軍事力を強化しているのです。
かつて異星人といえばさまざまなタイプが存在しました。
SF小説や映画には、人間タイプからモンスター、そして怪獣にいたるまで、バリエーションは幅広かったですが一転して、体毛のない頭でっかちの小人型エイリアン通称「グレイ」とよばれる異星人のイメージが一般化したのは1970年代からです。
近年は「エイリアン」とは、頭と目が異常に大きい緑色の小人型生物「グレイ」を思い浮かべる方が多いでしょう。

しかし、グレイは異星人ではありません。
グレイタイプの宇宙人のイメージの大衆への植えつけは、SF映画『2001年宇宙の旅』に登場するスターチャイルド、映画『未知との遭遇』に登場する宇宙人などがあります。
実はアメリカの映画の中には、政府の大衆心理操作のために作られた部分や作品があります。
画像は「2001年宇宙の旅」に登場するスターチャイルド

『未知との遭遇』はスティーブン・スピルバーグ監督とUFO研究家として知られるJ・アレン・ハイネック博士が監修を行いました。
基本的にストーリーはフィクションですが、随所に散りばめられた遭遇シーンは実際に報告されたUFO事件を基にしており、単なるSFにとどまらない作品として当時は多くのUFO研究家から高い評価を得ました。
実際に起こったUFO事件が基になっているとあって、最後のクライマックスに登場するグレイ・タイプのエイリアンは多くの人に異星人実在のリアリティを抱かせました。
1980年代後半から一般に知られるようになったアメリカ発のエイリアンのグレイがアメリカ政府と密約して地球人を実験材料にして被害を与えたりしているという「グレイ陰謀論」があります。

グレイに襲われた被害者の中には、グレイが人間の入った着ぐるみだったとの証言をしている人がいます。
「グレイ陰謀論」は軍事目的のための組織的演出だったのです。
軍事目的の1つはインプラント技術などの民間人を狙った生体実験や秘密兵器開発を隠蔽することです。


近年、欧米を中心に少なからず存在するアブダクション(誘拐)の事例報告は年々世界で増えています。
フィクションであったことが解明された例も増えています。
いずれの場合も証言のみで物的証拠に欠けるため科学とは認められていません。
体験者によるとUFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さな機械を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為の対象となったという報告もあります。

異星人に誘拐されたと主張する人々の「アブダクティー」とよばれる彼らの体験告白には、ある共通する奇妙な事実があります。
それは彼らを連れ去ったという異星人の顔つきです。
それぞれまったく面識のないアブダクティーたちが、まるで言い合わせたかのように、異星人の姿を特徴的な共通点の毛のない楕円形の頭、不釣り合いに大きな目、細く尖った顎に、小さい鼻と口、そしてグレーの皮膚に小さな身体を持つ似通った姿で描くのです。
米国空軍アカデミーの心理学者フレデリック・マルムストーム博士は、この問題に新たな見解を示しました。
マルストームが発表したその見解とは、異星人の顔は自分の母親の顔だといいます。
マルストームによれば、この原型的女性の顔、それは人間が生まれるときすぐに自身の母親を識別できるよう、生まれながらに持ついわば、雛形とでもいうべきイメージであるといいます。
確かにこれまでの研究において、あらゆる動物は生まれてすぐに母親を識別し生存することができるよう、生来的に視覚的原型の認識を持って生まれると判明しています。
たとえば生まれたばかりのヒヨコは生まれた直後でさえその捕食者の影を見れば怯えるのに対し、逆にガチョウのような非捕食者、あるいは鶏と似た姿の鳥の影を見た場合は何ら恐怖を示しません。
これは人間にも当てはまり人間の幼児はやはり生まれながらにして人間の平均的な顔に反応するといわれます。
かつて行われた研究では、生後2か月の幼児は、それがハロウィンのマスクであろうと人間の顔に似た物には特別に好意的反応を示すのに対し、そのほかの形にはまるで興味を示さないと判明しています。
そして今回、マルムストームが新生児がその誕生時に得る視覚的作用(乱視、ぼけた焦点)にしたがって、女性の顔写真を変化させた結果、それはあの巨大な眼を持つエイリアンの顔に酷似していると判明したといいます。

左が本来の女性の顔、右は誕生間もない新生児の視覚的影響に基づいて加工を施した女性の顔。
眼と鼻で新生児のぼやけた視覚では、顔面の特徴はぼんやりとぼやけ眼は大きく真っ黒な点になってしまうのです。
なぜ彼らアブダクティーは皆共通して母親の姿を見るのでしょうか。
それはアブダクティーが誘拐されたという入眠時、そしてその体験を想起する催眠に関係しているといいます。
実際、アブダクティーが半睡眠状態で見た、あるいは催眠状態下において想起した対象は研究対象として十分信用できます。
またこの半睡眠、半覚醒時における状態を入眠夢状態と呼びますが、これは催眠状態と同じ特徴をとても多く有しています。
そして、この状況下においては精神は人間の誕生時と同じように外的環境を理解しようとする段階へと回帰するので原初的顔の雛形認識が想起され、それが異星人の顔の虚偽記憶を生み出すのです。
虚偽記憶とは誤った催眠療法の誘導によって捏造された実際には起っていないはずの出来事に関する記憶(エピソード記憶)です。
ハーバード大学の心理学研究者スーザン・クランシーは、確率からすれば誰でも宇宙人に誘拐されたと主張する人を1人以上知っていてもおかしくないと考えています。
こうした話をする人々は、精神病院のやっかいになるような人々ではないというのです。
「こうした人々は精神異常ではない」と語るクランシーは、ハーバード大学の博士研究員で、誘拐体験の心理学的根拠を初めて分析した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』の著者です。
クランシーは、好色な異星人、UFOの中で行われた「診療」や異界の探訪など、無数にある話に何らかの信憑性を与えているのではありません。
クランシーは誰も実際には地球外生物に誘拐されていないと語ります。
その代わりにクランシーは、睡眠時の幻覚、暗示にかかりやすい生来の性質、世界を説明したい根源的な人間の要求というほかの原因を挙げています。
ここでは大衆文化も大きな役割を果たしています。
クランシーは、誘拐されたと主張する約50人にインタビューし、そこから説明の大部分を導き出しました。
また、クランシーは新たな発見を付け加えています。
多くはレイプなどの恐怖が消えないにもかかわらず、その体験を後悔していないのです。
各事例ではアブダクション体験によって「当人の人生が変容し自分自身やそれぞれが生きる世界を前よりも好ましく感じるようになった」とクランシーは語ります。
クランシーは人々が「特異な思い込み」を形成していく過程を理解する手段として、アブダクション体験を研究している数少ないアメリカの研究者の1人です。
自分は宇宙人に誘拐されたと考えているアメリカ人の数を正確に知れませんが、世論調査によるとアメリカ人の約4分の1は地球外生物が地球を訪れたと考えているといいます。
アブダクティーの多くがその体験をラジオやインターネットで喜んで語る事実がある一方、精神異常者と見なされるのを恐れて自分の体験を秘密にする人々もいるとクランシーはあるインタビューの中で語っています。
全員が起きたことを詳細に記憶してはいません。
実際、誘拐されたと考えている人々のうち、細部にわたって体験を覚えているのはわずか10%でした。
そのほかの人々は、ちょっとしたこと、謎めいた打撲傷やぼんやりとした感覚を証拠と考えて異星人に襲われたに違いないと判断するのです。
多くの人は打撲傷を見つけたとき、知らない間にどこかにぶつけたのだろうと考えます。
また普通の人は、自分の尻から何か落ちても、誘拐されて肛門を検査されたときの何かが残っていたのではないかとの考えから分析を依頼したりはしないでしょう。
あるアブダクティーは実際に研究所にサンプルを送り、正体は痔核だったとの分析結果を聞かされても信じようとしませんでした。
しかし、こうした説明を聞いても「呪術的」思考と暗示の影響を受けやすい想像力に富んだアブダクティーたちは納得しないのです。
実際、アブダクティーは偽の記憶を植えつけられやすい人々と研究によって確かめられています。
一部の人が経験する一種の金縛り状態の際に現われる幻覚がきっかけとなって妄想が作り出されます。
とくに想像力豊かな人が幻覚を説明しようとするとき、世間に広まっているアブダクションを想像するのです。

オアフ島の州都ホノルルと八ワイ島の両方に診療所を構える、脳神経専門の医師マイケル・B・ラッソ博士の診療所には、自称アブダクティーたちが多く訪れます。
ラッソ博士は脳波マッピング用の高密度脳波計測機(DEEG)でアブダクティーたちの脳内電気活動を調べた結果、アブダクティー全員の頭頂葉(脳の両半球・大脳皮質の頂上部分)に、同じ異常が見つかりました。
ラッソ博士は次のように述べています。
「脳のこの領域は、視覚と聴覚のデータを統合してより高次の思考領域に情報をあげ、前部前頭葉が事実の情報として認識する。
だが、頭頂葉それ自身が内在的な視覚・聴覚的データを創造し、前部前頭葉がそれを事実として認識してしまう可能性もある。」
ラッソ博士はこの症状が、事故でトラウマ的外傷を脳に負った患者と酷似すると述べています。


グレイタイプの宇宙人とされているのは、一般には未確認の地球に生息している両生類です。
参照 偽エイリアン
アルザルのイエス・キリスト教会の聖徒であるエイリアンたちとの遭遇によって末日聖徒イエス・キリスト教会に導かれる人々が飛躍的増えれば、シークレット・ガバメントの莫大な富や地位や権力は失われます。
シークレット・ガバメントはアルザル人を敵対視して、シークレット・ガバメントの妨害をするなら攻撃して殺してしまおうとしているのです。
シークレット・ガバメントは特権を守るためには強くなるしかないと考え、アルザル人が攻撃してこない間に彼らに匹敵する軍事力を手に入れようとしています。
シークレット・ガバメントの上部のサタンに従う秘密結社は、人々が末日聖徒イエス・キリスト教会に導かれないようにエイリアンの真相を隠蔽します。
その一方でUFOに乗ってくる異星人がグレイであるという情報を流します。
捕獲した河童を異星人に仕立て、さまざまな事件を演出すると同時に映画やテレビやマスメディアを使って異性人グレイのイメージを浸透させます。
同時にUFO研究家にはグレイが人間を誘拐して人体実験をしているとか、キャトル・ミューティレーションをしているという情報を流します。
動物の臓器や体液を皮膚から吸収したり、人間と交配させているといった無気味なイメージをとにかく植えつけます。
しかし情報はいずれ漏れるものでグレイが異星人ではないと気づく前に先手を打って人間型エイリアンの偽情報を流してかく乱し、グレイを使役しているのが人間型エイリアンであるという情報も流し印象を悪くするのです。
こうして人間型エイリアンは地球人にとって危険な存在であるかをアピールし、最終的にはエイリアンは地球人共通の敵であるという世論を形成するのがシークレット・ガバメントの企みです。
12 アメリカ製UFOと赤鬼青鬼
<転載終了>
またある電磁波の周波数でプラズマを形成すると、その内部は高温になりません。
エイリアン・クラフトはプラズマを発生させても、高熱で機体が焼失することもなければ機内にプラズマが侵入することもありません。
エイリアンが発生させているプラズマは、マイクロ波で発生させているプラズマとは違うのです。
未知なる特異点というべきものが、どうもプラズマにはあるのです。
アメリカ軍は、この特異点を発見できませんでした。
プラズマの特異点を発見したのは、カナダの物理学者ジョン・ハチソンです。

ジョン・ハチソンは物理学者といっても学業を修めたのは高校までで、あとは独学でエレクトロニクスを学び、さまざまな電子装置を開発します。
その過程で物理学の常識を根底から引っくり返す装置を造り出したのです。
1988年にカナダのオタワで開かれた「新エネルギー技術シンポジウム」で、ハチソンは自分だけで開発製造した高電圧装置と静電高電圧発生装置を動かしたときに起こったさまざまな現象の映像を公開します。
同じような装置は理工系の大学なら珍しくありませんが、ハチソンの映像の現象は見たこともないものでした。
合成樹脂で作られた洗剤の容器の場合がしばらくすると、あたかも内部から空気が抜かれるように押しつぶされていきました。
水を入れた皿を置き、しばらくすると熱した油に水を入れたように水が飛び跳ねます。
ハチソンは高周波装置を使って実験しているうちに、偶然に物体が浮遊したり融合する現象を発見しました。
アイスクリームを入れたコップを置くとアイスクリームの真ん中部分が盛り上がると、それが上へ伸びていきました。
スパナやペンチなどの工具、灰皿や紙片、アルミホイール、ポリ容器、木製品などの品々が宙に浮かびました。
さらに直径20cmほどの金属球がゆっくりと浮揚し、そのまま上昇していきました。


金属に関しては、変形や破懐が起こるのです。
金属の板やパイプは、ガラスが割れるように破壊されてしまうのです。
融合する現象も起こりました。
2つの種類の金属が分子レベルで融合しているのです。
高熱を発したとしても違う種類の金属を融合させることは難しいです。
シンポジウムは参加者は驚愕し、これを聞きつけたカナダのテレビ局がニュース番組でハチソンの実験を取り上げたところ大きな反響がありました。
これらの未知の現象は、開発者の名にちなんで「ハチソン効果」とよばれ、ハチソンは有名になりました。
ハチソンが「ハチソン効果」を発見したのは、このシンポジウムの9年前の1979年のことでした。
ハチソンは、高周波、高電圧の世界に興味を持っていて、自宅にはさまざまな高周波発生装置があり研究していました。
高電圧発生装置と静電高電圧発生装置を起動させ実験をしようとしたとき、突然部屋の隅に置いてあった金属棒がハチソン目掛けて飛んできて彼の肩に当たりました。
ハチソンはこの現象を機械が引き起こす未知の現象であると分かり、勘を頼りに装置を改良していった結果、ハチソン効果は強まりさまざまな現象を引き起こすことに成功しました。
1982年、ハチソン効果の再現性に満足いくデータを得たハチソンは、知り合いの技術コンサルタント、ジョージ・ハザウェイとアレクサス・ペザーロらとともに「ファロス・テクノロジー社」を設立し、ハチソン効果を商業ベースに乗せて大きく展開しようとします。
ハチソンの研究成果に関する情報は、やがてカナダの技術者の間でちょっとした噂になり、1983年にアメリカの政府関係者がハチソンを訪れます。
彼らはハチソンの装置を視察し謎の現象について詳しい話を聞きましたが、男たちは自らを名乗ることもせずガイガーカウンターで部屋中を調べました。
ハチソンは直感的に軍関係者ではないかと感じたといいます。
これを契機にカナダやアメリカの国防総省、それに航空宇宙関係者が多数ファロス社を訪問します。
1985年には軍需産業の大手マクドネル・ダグラス社の技術者たちが来てハチソン効果を確認し、技術提携の契約をほのめかしました。
そして、ハチソンは持っているほとんどすべての実験データを提出しました。
ところがハチソン効果を確認したはずのマクドネル・ダグラス社の記録には、1983年のアメリカ政府関係者の視察の際にはハチソン効果は起きなかったと記されています。
しかし、実際は1983年にロスアラモス国立原子力研究所でハチソン効果の確認実験が行われました。
1988年、バード社から来たグレッグ・ランドとアルフレッド・サッターをハチソンは全面的に信用します。
この年に開かれたシンポジウムで公開された映像も彼らの協力で撮影したものです。
ハチソンは彼らに自分が留守の間、装置の管理を委ねるほど信頼していましたが、ハチソンが帰ってきて装置のスイッチを入れるとコンデンサーが爆発するなどのトラブルがたびたび起こるようになりました。
留守中に彼らが装置をいじったことは明白で、怪しいと感じたハチソンは彼らの背後関係を調べたところ、アメリカ航空宇宙局(NASA)と関係があることが判明します。
NASAが軍事機関であることを知っていたハチソンは、彼らとは関係を切ることにしました。
バード社の人間による妨害は続きハチソンのストレスもかなり高まり、共同経営者であるジョージ・ハザウェイとも対立します。
さらに旅行先のヨーロッパで交通事故にあいハチソンは散々な目にあいました。
そして、運命の1990年9月1年半ぶりにカナダに戻ってきたハチソンは、実験室を見て思わず呆然としてしまいました。
苦労して作り上げた装置がすべて破壊され廃棄されていたのです。
聞けばカナダ政府の指示で業者がやったといいますが、当局は事実を否定します。
ハチソン効果を再現することは事実上、不可能となってしまったのです。
自らの勘だけを頼りに作り上げた装置が破壊され、ハチソンにできるのは過去の実験データを可能なかぎり収集することだけでした。
そこでハチソンは以前に視察に来てデータを持って帰っていたアメリカ陸軍に連絡しデータの返還を要求しました。
1991年3月、陸軍省からは以下のような返事が送られてきました。
「ジョン・ハチソン、そちらの要請に対する陸軍省からの返答を差し上げます。
そちらが陸軍省に提出して下さった実験データとリポートにつきましては、現在、陸軍省で極秘扱いに指定されておりまして、残念ながらご返還できません……(中略)……もし、どうしてもこ必要であれば、情報公開請求書を提出し、情報の自由法を使われるしか方法がありませんので、そのための取り寄せ手続きをお勧め致します。」
これに関連して、ハチソンはこう発言をしています。
「ワシントンにある米軍諜報部が作成した、ハチソン効果についてまとめた計画書(1983年度)を見ると、放射性廃棄物や各種の汚染物質を処理する未知の現象を引き起こすと書かれてあります。
ロスアラモス国立研究所や海軍調査研究所は、私の研究資料を利用して4か月間も徹底的に研究したのです。」
ロスアラモス国立研究所は、核兵器からプラズマ兵器を開発していた研究所です。
さらにハチソンはこんなことも述べています。
「ハチソン効果を応用すれば、地球製のUFOを飛ばすことも可能になります。
事実、私の研究施設で400kgもある変圧装置が空申に浮揚したのですから。
UFOはその気になればハチソン効果と潜水艦建造技術で、今にでも簡単に飛ばせることができます。
そのことについて、英国放送協会(BBC)やNASAさらにアメリカ政府からも問い合わせがきています。」
ハチソンの実験施設が破壊されたのは、このコメントの直後でした。
ハチソンが地球製UFOにまで言及するとなると放っておけないと、アメリカ軍が判断しカナダ政府と共謀して、装置を破壊してしまったのです。
新しい未知の物理法則の発見だったので、実際は詳細なメカニズムはハチソン自身にも分かっていませんでした。
ハチソンは持ち前の勘で実験していくうちに偶然にこれら現象を発見したのです。
ハチソン効果を再現できなくなったハチソンは、模造の実験動画を作成し公開してしまいます。
ハチソンは1回の実験動画の模造を認めています。

左上部分に操っているワイヤーが見えています。
NSAがハチソンを脅して身の安全と引き換えに、ハチソン効果をインチキとするために模造の実験動画を作らせた可能性もあります。
ハチソンの映像を見たアメリカ軍の科学者は、その重要性が分かりました。
これこそ研究し求めていたプラズマ現象だったからです。
プラズマに包まれた物体は、プラズマが動くとそれにともなって移動します。
また水などが泡立ったことも、高周波によって水分子が大きく振動しあわ立たせる原因となったのです。
金属の場合は、それが切断や融合という形になって現れます。
内部から高い熱が発生し焼き切れる場面も撮影されています。
プラズマを当てながら溶接すると異なる金属同士が分子レベルで融合し金属と紙まで溶接できます。
「ハチソン効果」に着目したNSAはハチソンの装置を独占し徹底的に分析した結果、ついに「黄金率 Φ」とよばれる周波数の特異点を発見したのです。
ハチソンが若いころから尊敬し傾倒していた科学者がテスラコイルの発明者、クロアチア生まれのセルビア人、ニコラ・テスラです。

1881年、テスラはオーストリアのグラーツのポリテクニック・スクールを卒業し、同年には、ハンガリーのブダペストにある国営電信局に勤務することになります。
そののちパリの「コンチネンタル・エンジン社」に勤めながら、世界初の交流モーターの原理とアイデアを思いつきます。
社長の勧めもあってテスラは28歳のときにアメリカにわたり、発明王トーマス・エジソンのもとで働きながらその天才ぶりを発揮しました。
ところが全米の家庭に電気を配線するシステムに関して、エジソンは直流と主張しましたが、テスラは交流のほうが効率的で安全と主張し引き下がらなかったエジソンとの対立問題でエジソンのもとを去ります。

テスラの唱える交流は危険だと主張するエジソンに対し、テスラは肉体にショックを与えるのは高電圧ではなく高電流であると主張し、自らの体に高電圧を貫流させ針金を溶かしたり電球を点灯させたりする実験を行いました。
結局は多相交流モーター(多相交流)の発明者だったテスラの交流電気が選ばれました。
ナイアガラ爆布電力会社が世界初の交流電気を使用して以降、世界中に交流が普及することとなったのです。 (参照)
そのためテスラは、交流電流の父と称され、電気技術史の中で最も有名な科学者となり、新ユーゴスラビアのベオグラードに「テスラ博物館」も建てられました。


テスラが作った会社ニコラ・テスラ・カンパニーの関連物にも、巨大な電気放電発生装置(正式には拡大送信機や無線送電塔)から、すさまじい電気放電がされている恐ろしいシーンが描かれていますが、テスラはその超高圧の電気放電の前で自らが優雅に本を読む写真を公表し自分の研究がいかに安全かを実証しました。
1889年、テスラは巨大な「地震発生装置」を研究し、その実験を行うことになりました。
実験開始の日の朝、テスラの研究所に近い警察本部では大変な事態が発生します。
警官たちがつめている警察署内で急に不気味な地鳴りがしたかと思うと、床や壁が細かく震動し始め徐々に強くなっていきました。
机の上の鉛筆や消しゴムが床に落ち椅子が勝手に移動したかと思うと、警察署の大きな窓ガラスが割れ天井から吊るされた電球が揺れて、壁の上塗りの漆喰がばらばらと落ちて床一面に広がりました。
警官たちは、またテスラの実験のせいだと分かりました。
急いで研究所に飛びこんだ警官たちは中の様子を見て驚きました。
さまざまな物が飛び回り、ポルターガイスト現象が起きていたのです。
直すこともできずにコントロール不能にの地震発生装置を、テスラは斧を使い装置を破壊して停止させました。
おかげでテスラの印象はマッド・サイエンティストとして定着してしまいます。
これが有名な「テスラの地震発生装置実験」です。
次にテスラが行ったのは、高さ36,5mもある巨大な無線送電装置による実験でした。
1899年、コロラド州コロラドスプリングスに建てた巨大な鋼鉄のマストは、テスラが主張する電力を無線で送信できることを証明するための装置で、マストの先に取り付けられた巨大な銅球に1000万ボルトの大電流を流した瞬間、3,3キロヘルツもの高周波が発生する仕組みでした。
その結果、無線送電装置から40kmも離れたところにある、200個の50ワット電球をまとめて点灯させた上、最高960km先まで電力を無線送信することに成功したのです。

1901年、J・P・モルガンの援助により、ニューヨーク州、ロングアイランドに高さ57mの無線送信塔「ウォーデンクリフ・タワー」 の建設を開始。
地球の定常波(地震発生装置から判明した何らかの地球エネルギー)を拡大送信装置の高周波と共鳴させ、地球を導体として使うことで、低コストのエネルギーに変換しようと考えたのです。
それが完成すれば、膨大な電力を世界中に送ることが可能となり、テスラは「世界システム」を構築しようとしていました。
1905年に完成するも、そののちモルガンとの関係が悪化して資金繰りに詰まり、研究は中断します。
アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、1917年にタワーは標的にされるとの理由で撤去されました。

フィラデルフィア計画
ハチソンが使った高電圧発生装置とは、テスラコイルでした。
原爆開発計画マンハッタン・プロジェクトと並行して、プラズマ研究は1939年の第二次世界大戦以前から基礎的な研究が行われていました。
当初、プラズマ発生装置として用いられていたのは高電圧高周波を生み出す共振変圧器であるテスラコイルでした。

ニコラ・テスラによる放電実験、高周皮高電圧によって生じる強烈な火花放電もプラズマ現象です。
開発者であるニコラ・テスラがプラズマ兵器の開発にたずさわっていたのですが、実験はなかなか成功せず、発生した電磁波によって人的な被害があとを絶ちませんでした。
フィラデルフィア計画は、1943年に行われたアメリカ海軍がフィラデルフィアの造船所、護衛駆逐艦エルドリッジを使ったレーダー不可視化実験、または艦船が持つ磁気が地磁気を乱すのを探知して爆発する「磁気機雷」対策のため、艦船に電線を巻き付け電流を流し、電磁石の原理で艦艇の磁気を消す「消磁実験」とされています。

このプロジェクトの責任者はニコラ・テスラで、アルベルト・アインシュタインやジョン・フォン・ノイマンなどプリンストン大学が研究の中心でした。
テスラは発電機と変圧器を組み合わせた特殊なコイルであるテスラコイルを開発し、物体のレーダー不可視化の実験を繰り返していました。
しかし、その実験の最中に恐ろしい事故が発生し、テスラは責任を持てないとして総指揮から降りてしまいました。
1943年6月10日、テスラの後継者となったノイマンは船体の3か所に巨大な高電圧発生装置を据えつけ、乗せた水兵も含めて不可視化する実験を閉鎖したドックの中で行いました。
すると高電圧発生装置からすさまじい電磁波が発生し、精神が破壊されてしまう者や自律神経系が麻痺する者が続出する結果を招いたのです。
そこでノイマンは高電圧発生装置を2か所に減らして、8月12日に再度実験を行いました。
メインスイッチはエルドリッジの艦橋にあり、スイッチが入った瞬間、異様な震動が艦全体に伝わりました。
数分後、エルドリッジは不気味な光に包まれると、波止場で見守る人々の眼前から姿を消してしまったのです。
船内では、メインマストのアンテナや送信機は吹き飛び、体からすさまじい炎が吹き出す水兵が続出し、精神錯乱、発狂、呼吸停止、そのほかあらゆる悪夢のような状況が水兵を襲っていました。
一部の技術者たちは何とか高電圧発生装置を停止させようとしましたが、計器類は暴走し、まったくコントロールできない状況に陥っていました。
この間、エルドリッジはフィラデルフィアから2500km以上も離れたノーフォーク沖まで瞬間移動し、再びフィラデルフィアに舞い戻っていました。
戻ってきたエルドリッジに乗りこんだ人々は、この世のものとは思えぬ惨状を目にしました。
体の一部、あるいは全身が黒い灰と化した人間の姿、発狂したまま中空を睨む者、体が硬直したまま呼吸が止まった者がいて、艦船の各所から人間の体の一部が突き出たり、生えているように見えたのです。



人体と金属が重なった部分は骨も肉も金属との接点で完全に融合しており、凄惨な光景が艦内に展開していたのです。
結局、モップの先の平たい部分で突き出ている顔や腕を強く押すと床からめくれることが分かり、多数の人体がこのように引きはがされて回収されました。
そして、付着している肉片や血液は水で洗い流され金属と融合した人体は、そのまま金属内部に残されたのです。
その作業の最中にも作業員は幽霊を見たり、うめき声が聞こえるという怪現象に悩まされ続けました。
そのため作業を中断する者が続出し、人体を引きはがす作業はドックに入ってからも数日間続けられたといいます。
生き残ったエルドリッジの水兵は全員例外なく体の不調から入院し、そこから精神病院に送られる者が続出しました。
結局、生き残った中で復帰した者はなく、全員廃人同然か死亡する結果となりました。
海軍は同じ実験を今度は水兵を乗せずにエルドリッジをドックに引き上げた陸上実験を10月に行うことになりました。
コントロール制御も艦橋ではなく陸上に置き、万全の態勢で同じ実験を行いました。
その結果、不可視化は成功したものの再び信じがたい現象が発生しました。
送信機と2基の高電圧発生装置が消滅し、エルドリッジの船内が怪物に荒らされたようなありさまに変貌していたのです。
フィラデルフィア実験は、プラズマ実験でした。
発光現象、精神錯乱、人体発火、物体の超高速移動、自律神経系のダメージ、合体現象、亜空間移動などはプラズマが成せる業です。 (参照)
物体の不可視化はプラズマ化した物体の状態と酷似し、艦船の瞬間移動も亜空間を移動したとすれば理解できます。
実験の最中に発生した異常な事故は、正確には電磁波(電磁気)の2点、3点交差が引き起こした偶発的なプラズマ発生事故だったのです。
実験に参加していた磁気と磁場専門の科学者トーマス・タウンゼント・ブラウンの役割は、テスラが考案した高電圧発生装置が生み出す異常現象をコントロールすることでした。
テスラコイルを備えた複数以上の高電圧発生装置からすさまじい電磁波が漏れ出し、それが人体に悪影響を与えると考えたテスラは、消磁装置の専門家であるタウンゼント・ブラウンを研究スタッフに加えたのです。
しかし、2~3基の高電圧発生装置から四方に放射される電磁波を排除することはできませんでした。
そこで実験に不安を覚えたテスラは、実験の最高責任者の地位にい続ける自信を持てず要職を辞したのです。
当時はプラズマが不可視化の主役だとは気づいていませんでした。
テスラのあとを引き継いだフォン・ノイマンは、より強力な不可視化を図るため、高電圧発生装置を3基のままドック内で実験を行ったところ、システムの暴走からプラズマが暴発し、多数の水兵を焼き殺してしまったのです。
1943年8月12日、ノイマンは、基の高電圧発生装置に減らした形で本格実験に臨みましたが、発生したプラズマのエネルギーは巨大で、一瞬にして多くの水兵を蒸し焼きにし、体内発火させて灰にしてしまいました。
あわてた技術者たちは何とか高電圧発生装置をコントロールしようとしましたが、結果的にその行動が2点交差の位置を遠方へ移動させました。
青い光のプラズマにおおわれた護衛駆逐艦エルドリッジも無数に発生する交差位置を亜空間移動し、結果的にノーフォークに出現しましたが、再度のコントロールの暴走から元のフィラデルフィアに舞い戻りました。
そして、設置した高電圧発生装置が制御不能だったため、人体を包んだプラズマが船体部分と重なってしまい、電源が切れた瞬間、人体と船体が合体してしまったのです。
報告によれば、多くの水兵は金属と融合した瞬間にほとんどの者が即死しましたが、中には足や手、または顔の一部などが船体に潜りこんでいたため生きたまま切断して切り離した者もいたとされています。
命は助かった者はいましたが、全員正常な状態に復帰したとはいえず、秘密厳守とされこの事件は隠蔽されました。
テスラはアメリカ政府に対するサボタージュを理由に罷免され、あらゆる役職から追放されています。
アメリカ政府と軍、シークレット・ガバメントにとって、自分たちの意向に逆らった許しがたい反逆者でした。
テスラが総指揮をとったフィラデルフィア実験は次世代の兵器体系を生み出す最高軍事機密だったので、テスラとアインシュタインのかかわりだけは知られてはまずかったのです。
アインシュタインが「フィラデルフィア実験」にかかわっていた話は知られていますが、それを証明する物的証拠は表には出ていません。
政府と軍が否定するかぎりフィラデルフィア実験についてはもみ消せますが、そのプロジェクトの総指揮者だったテスラとアインシュタインが一緒にいる写真があるのはまずいです。



アインシュタインとテスラが一緒にいる写真は、フィラデルフィア実験の物的証拠にはならずとも状況証拠になりえる危険性があったのです。
テスラとアインシュタインの関係を示す写真はネガを含めてアメリカでは葬られましたが、1枚だけはテスラのところに残りました。
1943年1月7日、86歳でテスラはアインシュタイン同様に暗殺されています。
テスラの死はフィラデルフィア実験へのサボタージュで身を引いた数か月後に起きています。
テスラが国家反逆罪で追放されたのが1942年、その直後に死んでいるのはあまりにも不自然です。
「レッドライト・プロジェクト」に発展する未知のシステムの秘密を握るテスラは、シークレット・ガバメントにとっては、いつ軍事秘密を暴露してもおかしくない危険人物でした。
テスラが死んだのはニューヨーカー・ホテルの一室で、最期を見取った者は誰もおらず、翌朝、部屋の掃除に入ったメイドが、遺体を見つけたとされています。
葬儀は、知らせを受けた友人や知人の手でしめやかに行われ、葬列はマディソン街を粛々と進みました。
ところがその間、テスラが泊まっていたホテルの一室では、ホテルマンの証言によると、急に何人かの黒スーツ姿の男たちがテスラの部屋に入りこみ、テスラの金庫をすばやくこじ開けたといいます。
まるで最初から金庫の存在を知っており、そのために金庫を開ける専門の人間を葬儀のドタバタの間を利用して連れてきたとしか思えないほどに段取りの良い行動でした。
彼らは金庫の中にあったテスラの重要書類とファイルの束を持ち出すと消え去ったといいます。
彼らがホテルマンに見せたのはFBIの身分証明書でしたが、本物かどうかは不明で、FBIに問い合わせても、そんなことは知らないといいました。
テスラの暗殺は深夜に行われました。
フィラデルフィア実験にかかわる重要な証拠書類は、金庫の中に入っていることは前から分かっており、殺害の時点で専門家が開けようとしましたが思うように作業が進まずに夜が明けてメイドが来る時間になったため、その日は現場から一時撤退しました。
そののち葬儀の間に何とか金庫を開け重要な書類を持ち出すことに成功したのです。
銀球UFOの正体
目撃が多い球形UFOの中でも銀色をしたメタリック・ボールUFOは、とくに1990年ごろから目撃が急増しました。
そして低部が二等辺三角形のUFOが見られ始める数年前には、球形UFOはあまり見られなくなりました。
銀球UFOのほとんどは小型で約1m前後で、超高速で飛行し急停止し忽然と消えるといいます。
目撃者の中には旅客機のパイロットも多く、彼らは飛行物体の専門家で頻繁に現れる銀球UFOは無気味な存在だといいます。
多くは内陸部から西の方角、つまりは太平洋へ向かって飛び去っていきます。
日本にも、銀球UFOは現れています。
岡山市に住む谷口亮介は車に乗って仕事場に向かっている途中、住宅街を低空飛行する銀球を発見し車内にあったインスタントカメラで連続写真で撮影しました。
銀球UFOはプーンという音をし高速で回転していたといいます。
カリフォルニア州アンテロープ・バレーは、アメリカでも有数の軍事兵器開発地帯です。
施設の内部には、飛行機が発着しない滑走路だけが延びています。

飛行機が発着しない滑走路は、直線が2本で角度をでV字形に伸びています。
これらは滑走路ではなく、別の目的で作られた施設なのです。
その証拠に、アスファルト道路の上には巨大なパイロン(尖塔)が立っています。

巨大なフックがパイロンの色は白もしくは灰色で高さは約40mで地上面に対して約60度の傾斜角を保って立っていて、フックで引っ掛けている金属質の物体Xがパイロンの先に乗っています。
金属質の物体Xの形状は主に球体でほかに楕円体や円盤形、三角形をした物が存在します。
目撃者の証言によれば、菱形やブーメラン形をした物体も取り付けられることもあるといいます。
強烈な電波をターゲットに向かって、一直線にパイロン上の物体Xに照射することが分かっています。
パラボラ・アンテナは少なくとも2基で複数のパラボラ・アンテナが1つの物体Xに対して電磁波を照射しています。
アンテロープ・バレーに林立するパラボラ・アンテナは、電波を照射することが主な役割です。
物体Xに電磁波を照射して電磁波の反射率を測定しているのだといいます。
レーダーは電磁波を放射していて、放射された電磁波は物体に当たると吸収されるか反射します。
反射して戻ってきた電磁波の量と方向を測定すると、その物体の位置と大きさが分かる仕組みになっています。
電磁波の吸収、反射率は、その物体によって異なり木材などの有機物の場合、多くが吸収されますが金属などの場合はかなり反射されます。
また同じ反射でもどの方向に反射するのかで、レーダーに映る影に大きな違いがあります。
戦場において敵のレーダーにはできるだけ映らないように戦闘機の材質や形状を工夫するステルス性の実験です。
各社の施設に1つは上空を向いたパラボラ・アンテナがあります。
軍事施設の上空にあるのは軍事衛星に向けて電磁波を照射しているのです。
ステルス実験よりも、この軍事衛星とパラボラ・アンテナのほうがアンテロープ・バレーの主な実験です。
1990年代に入って、ここロサンゼルスで兵器開発実験の目撃が頻発しています。
1991年10月31日、ロサンゼルス一帯で轟音であるソニックブームが響きわたる事件が続けて2度起こり、アメリカ西海岸では同様の事件が毎週木曜日に定期的に発生するようになります。
ソニックブームとは一種の衝撃波で、音は空気の振動で空気の密度変化が波となって伝わって行く現象です。
この音波には、伝わる速度が決まっています。
音は秒速331,45mの速さで、音源から同心円状(回心球状)に広がっていますが、音源が動いている場合は音波の広がりは同心円ではなく、中心が動いている方向にずれて行く形になり進行方向の円の間隔は狭く反対側が広くなります。
これが速くなるとやがて円と円の間隔がなくなってしまいます。
このとき音は進行方向に伝わる余地がありません。
そして物体の速さが音速を突破するとに、空気は流体ではなく固体と同じ性質を示します。
つまり物体は空気の中を移動するのではなく、空気を切り裂いて移動することになります。
この固体と化した空気を切り裂くときに強い衝撃があり、これがソニックブームなのです。
ソニックブームが走ったということは、音速を超える飛行機がロサンゼルス上空を飛んでいたのです。
そして、レーダースクリーンに映ったソニックブームを引き起こした飛行物体は、マッハ6のスピードからいきなりUターンをしたり急停止急発進していたのです。
マッハは音の速さを1としたときの、速度の比で速度が音速の何倍かを表した値です。
アンテロープ・バレーと宇宙空間の軍事衛星と連動させ、金属球を自由自在に操っています。
世界中で目撃が多発していた銀球UFOの多くは、アンテロープ・バレーから発射される金属球なのです。
アメリカにおける銀球UFOの目撃事件を調べてみると、アンテロープ・バレー周辺が多いのです。

2005年報道機関向けに発表された X-47B無人戦闘機のロッキード·マーティン社

金属球をプラズマで包み込んだのちにプラズマ発生ポイントをずらすことによって、物体を移動させる仕組みです。
普通の金属なら約4000℃以上の高温に融解し蒸発してしまいますが、ここで使用される金属はステルス機と同じ融点の高いレアメタルです。
パラボナアンテナを操作し電磁波(マイクロ波)の交点を移動させれば、金属球もそれにともない超速度で飛行します。
さらに地上のパラボナアンテナを上空の軍事衛星と連動させれば、金属球やほかの物体を一瞬にして宇宙空間に移動できます。
その上でアンテロープ・バレー上空の軍事衛星をほかの軍事衛星、とくにNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の軍事衛星ネットワークと連動させれば、そのままリレー電磁波(マイクロ波)に乗って、地球上いかなる場所にも瞬間的にプラズマ火球や金属球を移動させることができるのです。
開洋丸のUFO遭遇事件
1984年12月18日に南アメリカ大陸南端付近のフォークランド諸島付近で、日本の農林水産省所属の海漁業調査船「開洋丸」の航海士が北進中の船首方向で、右(東)へ移動していく黄色っぽい光体を発見。
最初は人工衛星かと思ったが、フラフラという動きが途中から速度を上げて一直線に動き、視界から消えていきました。
この光体はおよそ10分おきに計8回も同じような位置に現れています。
消えた方向は異なり、4回は右方向へ、2回は上方向へ、2回は下方向へスピードアップして消えていきました。
目撃者は計5人で、そのなかの1人は、こう述べています。
「流れ星なら一瞬であり、あれほど持続はしません。
しかも水平に飛ぶことなどまずありません。
最初のフラフラとした動きも初めて見るものです。
それが連続して8個。
心のそこから、『さわやかな不思議さ』がわきあがってきました。」

2度目の遭遇は2年後の1986年12月21日午後6時のウェーク島近辺の北緯26度の日付変更線付近において、航海士がレーダーのスイッチを入れると左舷側(北方向)約5,6kmの位置に正体不明の巨大なレーダー映像が現れました。
それは見たこともないような楕円形の物体でした。
船の周囲でマッハ4の速度で音もなく飛行し180度ターンなどの不規則運動をする巨大タンカーほどのレーダー映像を確認しました。
しかし、その飛行物体は肉眼では見えませんでした。
午後10時30分、引き継ぎを受けた3人の当直者は、レーダーに推定400mの巨大な楕円形の物体がとらえられました。
このレーダー上でのみ確認された大きさ直径300mほどの巨大な飛行物体は、開洋丸の周囲を数度回ったのち、突然直角に角度を変えて船に至近距離まで近づいて鋭角に旋回して去っていきました。

同夜午後11時10分、今度は反対側の船尾方向に、またしてもレーダーに映るだけの正体不明の飛行物体が現れ、開洋丸の至近距離まで近づきレーダーから物体が消えると、物体が風を切り裂いたような「ブォーッ」という音が聞こえました。
その音は大音響ではなく衝撃も何もない自動車のエンジン音よりも小さな音で、音がとおりすぎて向かった前方を見ると、そこには楕円形の赤みがかった黄色をした光が輝いていて1~2秒で消えてしまいました。
レーダーが開発された当初から、敵が利用する電磁スペクトルを妨害すして敵のレーダーになにも映らなくしたり敵のレーダー画面にノイズを表示させるようなECM(エレクトロニック・カウンター・メジャー、電子対抗手段)が発達しました。
開洋丸もこのECMを搭載した軍用機の訓練の標的にされ、レーダーにUFOが飛び回ったように見せられたという説がありますが、マッハ4の速度や音きいても目視できないことを考えると軍用機ではないでしょう。
調査船「開洋丸」UFO遭遇事件
アメリカ軍が実験を船舶を使って行う際の方法として、同盟国の科学調査船を使用することがベストな方法です。
同盟国の科学調査船には科学者がいて貴重なデータを得られますし、日本政府にはプラズマ兵器の恐ろしさを見せつけられます。
アメリカ軍のこの実験の目的は移動する船舶をプラズマで追尾し、相手のレーダーの守備範囲外からアタックを試みることでした。
最後に赤くに光らせたのは、エイリアンクラフトと思わせるための偽装です。
航空自衛隊の戦闘機パイロットとして3800時間の総飛行時間の経験を持つ、元自衛隊空将の佐藤守の著書『実録・自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』には、37人の空自自衛官が全員ではないものの顔写真と実名で登場していて、次のような証言があります。
1985年、名古屋上空での自衛隊の空輸送機のUFO遭遇事件では、操縦士と副操縦士の2名がコックピットから前方に細長い葉巻型の飛行物体が空中に浮いているのを目撃し、その大きさは目測で200~300ミリはありました。
コックピットでは「おい!カメラ持ってないか?」と騒然となり、当時は誰もがカメラ付き携帯電話を持っている時代ではなかったので写真にこそ収められなかったのですが、その様子を赤裸々に告白したといいます。
航空会社や自衛隊のパイロットは、UFOを目撃や遭遇したと報告すると精神的な健康上問題ありとされてパイロットとして業務に就けなくなってしまうので報告しづらいです。
UFOに対する日本政府のスタンスは次のとおりです。
日本国政府は2007年12月に閣議決定された答弁書で、地球外から飛来したと思われる飛行物体について「存在を確認していない」「研究も飛来した場合の対策も行っていない」と記載していることを表明し、以来この答弁書に一切の変更はありません。
ノウルズ事件
1988年1月21日午前4時ごろ、オーストラリアの南岸に続くエーア・ハイウェイをセダン車で、東へ向かって走っていたフェイ・ノウルズ夫人と3人の息子と愛犬2匹は、メルボルンにいる祖母の家へと向かっていく途中にUFOに遭遇しました。
暗闇の中に道路の向こうから強烈な光が見え、対向車のヘッドライトかと思った瞬間、その光はノウルズ一家が乗る車に正対したまま猛烈なスピードで突進してきました。
近付く光は、フロントガラスいっぱいになるや車内を明るく照らし予期した衝撃がありません。
正面衝突だけは避けられたようで、息子ショーンは後ろを振り返るとそこには光の球があり、徐々に小さくなっていきUFOは車を通り過ぎて遠ざかっていきました。
すると遠ざかっていた光球が遠くでUターンし、車目掛けて突進してきました。
反射的にショーンはアクセルを踏み込み逃走をしようとしましたが、なおもUFOは追いかけてきます。
宙に浮かぶUFOは幅が1m、高さが3mほどで、中心部が黄色いエッグスタンドを逆さにしたような形をしており、強い光を放っていました。
ショーンはさらに加速し車のスピードを上げますが、UFOは瞬時に車に接近し、このままでは追突されると思った瞬間、UFOは車の上を追い越していきました。
あわてて車をUターンし、そのままUFOを振り切ろうとすると、またもやUFOもUターンし再び車に突進してきます。
そして、またしても車の上を通過しました。
またしてもUFOが車を通過しようとしたとき、車の天井から鈍い音が響きました。
次の瞬間、熱気が車内に充満し始め、しらばくすると、屋根から光が透過してきて車内が昼間のように明るくなりました。
完全に4人はパニック状態で、体が麻痺し金縛り状態となって体の自由がまったく効かなくなり、呼吸が困難で気分も悪くなりました。

後部座席に座っていたノウルズ夫人が窓から上空を見上げると、そこには例のUFOが屋根にくっついていました。
彼女は窓から腕を伸ばし屋根を探ってみると海綿状の得体の知れない熱い物体に触った感触があり思わず手を引っ込めると手は赤色になり、やがてミミズ腫れになってしまいました。
その直後、まぶしい光とは別に真っ黒な気体が車内に侵入し、完全に暗黒状態と化してしまいました。
そして次の瞬間、闇は消え去り、4人は体に重力を感じました。
車が宙に浮き上がったのです。
UFOが車ごと自分たちを宇宙に連れ去ろうとしていると思い恐怖は頂点にたっしました。
そして約1分後に車は路面へと落とされ、ショーンは車を止め、4人と2匹は一目散で車の外へ飛び出し近くの草むらに逃げ込みました。
車の方を見ると、光り輝くUFOが車の上を何度も旋回しているのが見えました。
20分後、UFOは鈍い捻り音を立てながら、上空へと消え去っていきました。
この事件は地元の新聞でも報道され大きな話題となりました。
日本でも、読売新聞や写真週刊誌『フォーカス』が海外ニュースという形で取り上げました。
UFO研究家も異星人の地球人誘拐未遂事件としてさまざまな角度から調査されましたが、事件の真相を明らかにすることはできませんでした。
ノウルズ事件のUFOは、プラズマ兵器のプラズマです。
アメリカ軍が人工衛星と連動させて、わざわざオーストラリアの片田舎に打ち込んでいったプラズマ兵器の物体移動実験です。
オーストラリアにはアメリカ軍の施設がかなりの数あり、広大な砂漠地帯を利用して兵器の実験をしています。
民間の車を狙ったのは、これがUFO情報のかく乱工作としての意味がありました。
ノウルズ一家は、まんまと異星人が車ごと誘拐しようとしたのだと思い込み、これを調査したUFO研究家がさらに印象を強くさせました。
プラズマを生み出す電磁波が金属に当たると反射します。
高い周波数の電磁波は光と同じように考えられ、金属に電磁波が当たると光が鏡に当たるように反射します。
UFOが車を持ち上げたというのは、金属の近くに電荷をもってきたときに引力が発生する現象「鏡像力」によって説明できます。
プラズマは全体的に見ると電気的に中性だが、局所的にはプラスかマイナスに偏っています。
プラズマの表面がプラスの電気を帯びており、そのまま金属に接近したとき、金属の表面にはプラズマがもつプラスの電気に引かれて、マイナスの電気すなわち電子が集まってきます。
プラスとマイナスの電気の間にはクーロン力が働きます。
しかも、接近したプラズマのプラスの電気量と金属表面に集まってきたマイナスの電気量は等しく鏡像であるかのように電気が発生するところから、このような力を鏡像力とよびます。
ノウルズ事件では天井付近にプラズマが接近したとき、プラズマと車の間には鏡像力が働いたのです。
ノウルズ夫人はプラズマの海綿状の物体に触ったときに、赤いミミズ腫れができてしまったのは放射能障害です。
プラズマは自らを生み出す電磁波よりも周波数の高い電磁波の放射線を発生している場合が少なくありません。
ノウルズ夫人が触ったという海綿状の物体は、プラズマが周囲のダストを吸い上げて生成したフラクタル物質です。
フラクタル物質とは大気中のエアロゾルがプラズマによって化学反応し、高分子のゼリー状になった物です。
プラズマはプラズマの表面に空気中のダストを引き寄せて、軟らかいまたは硬い外装を身にまといます。
車内に侵入してきた光もプラズマで、プラズマで車内が熱くなったのです。
プラズマが発生する有害電磁波で、神経が麻痺し金縛り状態になりました。
そして車が持ち上げられる寸前、車内が「暗黒プラズマ」に包まれました。 (参照)
アメリカ軍は銀球UFOを飛行させたり、ミステリー・サークルを作って実験しているだけではありません。
アメリカ軍はスーパー・プラズナーを使って密かに大規模な人体実験の大量虐殺を行っているのです。
1991年4月29日、バングラデシュを突然、巨大なサイクロンが襲いました。 (参照)
史上最大とも形容される、このサイクロンは平野部の農村を水没させ、20万人以上の死傷者を出しまた。
のちに被害状況が明らかになるつれ、不可解な事が明らかになりました。
サイクロンが襲来した際、暴風雨とともに炎のカーテンとよばれた現象によって無数の火の玉が田畑を焼き尽くしたというのです。
このバングラデシュの炎のカーテンは、スーパー・プラズナーの実験でした。
エリア51から照射されたマイクロ波は軍事衛星をリレーし、東南アジア上空へと運ばれ、そこからバングラデシュで発生したサイクロンの中心部へ打ちこまれました。
瞬時に巨大なプラズマが発生し、その形は円筒形のプラズマ弾性体となりながら平野部をローラーのようにすべり、地上を焼き尽くしたのです。
実はこの実験については事前に当時のソ連の首脳部にも非公式に伝えられていました。
その目的はプラズナーの威力を見せつけるためです。
当日、ソ連の軍事衛星によって実験の一部始終を目にしたミハイル・ゴルバチョフやソ連共産党の首脳部は、軍事力の差が分かりアメリカには勝てないと分かりました。
それから4か月後、ソ連は体制が崩壊し独立国家共同体をへてロシアへなりました。
ソ連崩壊

ソ連が崩壊したのは共産主義が凝り固まった体制と融通のきかない機構の中で国家予算を膨大な軍の維持と核兵器や戦略兵器の開発ばかりに投資し、農業、一般産業を含む経済活動をなおざりにしたためとされています。
ソ連時代は生活よりも工業や軍事分野に力を入れてますから、国民の生活の日常品も質が悪く豊かではありませんでした。
ソ連の崩壊劇にアメリカは深く関与していました。
アメリカにとって当時の大統領ミハイル・ゴルバチョフは、平和裏に旧ソ連を解体するための切り札でした。
ゴルバチョフにはソ連を解体する気も共産党を消滅させる気もありませんでしたが、軍を抑え国民を束ねることができるとアメリカに思われていました。
アメリカが恐れていたのはゴルバチョフの暗殺で、もしそうした事態になればソ連は支えをなくして内乱状態に陥るか軍が世界に向けた核戦争を起こす可能性がありました。
ゴルバチョフの暗殺を防ぐためにアメリカはゴルバチョフに「ノーベル平和賞」を取らせ、何度もゴルバチョフを招いて、米ソ協調があって初めて旧ソ連が経済的に西側の援助を受けられることを強調しました。
つまりもしゴルバチョフの身に何かが起きれば、ソ連は西側の信用を一気になくし孤立国家に没落するという圧力をソ連国内の反ゴルバチョフ派に仕掛けたのです。
ゴルバチョフ自身も、その立場を十分に理解していましたが、ソ連解体に反対する姿勢を崩しませんでした。
アメリカがイラクを相手に「湾岸戦争」(1991年)に踏み切ったのはこの時期です。
クウェートの救出はただの名目にすぎず当時のクウェートは民主主義国家ではなく独裁に近い王政でした。
イラク占領まではしなかった湾岸戦争の真の目的は、イラクを利用して中東にアメリカの影響力を強めることでした。
湾岸戦争が終結したとき、戦場の砂漠には多数のミステリーサークルがありました。
主に単純な円形で大きな物で直径が十数mで内部が窪んでおり、一見すると巨大なクレーターのようでした。
報道管制下においてその映像は表に出ませんでしたが、戦場に突入したカメラマンやジャーナリストがミステリーサークルを目撃しています。
戦場ではプラズマ兵器やさまざまなアメリカ製の最新兵器が使用され、ソ連の世界最強の戦車「T-72」はかないませんでした。
ソ連に対して力の差を見せつけるため、それまで極秘にしていたプラズマ兵器を使用しました。
エリア51から照射した電波で発生させた低熱プラズマをわざと目視できるようにして、イラク兵の立てこもる地下陣地に発生させ、多くのイラク兵がパニックに陥り一部は自律神経が麻痺して呼吸困難で悶絶しました。
このような兵器が湾岸戦争で使用されていることは、捕虜になったイラク兵からマスメディアに知られるようになりました。
イラク兵の体験談から、次のような現象を引き起こす秘密兵器が使用されたことになります。
幻覚を引き起こす、記憶に干渉する、戦意を消失させる兵器。
空中に立体映像を投影させる兵器、空中を超高速で移動する兵器。
これらはプラズマ兵器が持つ特微です。
しかし無知な多くの西側のマスメディア陣はアメリカの情報操作の効果もあって、これらを断続的に繰り返される集中砲火の下で恐怖に陥ったイラク兵が見た幻覚としています。
多くのイラク兵はプラズマ兵器で殺されました。
イラク軍の戦死者数と発見された遺体の10倍以上もの極端な差があるように、イラク兵の大量の遺体が見付っていないのは、遺体が残らないほどの超高温のプラズマで蒸発して殺されたからです。
湾岸戦争では、アメリカは、プラズマ兵器体系が実戦段階の一歩手前に到達していることを、ソ連の軍事偵察衛星を通してソ連の指導者たちに見せつけたのです。
ソ連軍の頭の固い上級幹部の戦意をくじくには、アメリカはソ連の軍部にアメリカに勝ち目がないと思わせる圧倒的な差を見せつけることで、ゴルバチョフが軍部を説得できるように援護しました。
それでもソ連の歩みは遅くゴルバチョフは軍を押さえ切れずにいて、ソ連がコントロール不能の事態に陥ることを懸念したアメリカは、バングラデシュのプラズマ兵器による大量虐殺で脅しをかけたのです。
今やアメリカに勝てる国は、この地球上にはありません。
世界最強の軍事大国としてアメリカは君臨しているのです。
そもそもシークレット・ガバメントにとって世界の国々などは眼中にはなく、アルザル人との全面戦争を視野に軍事力を強化しているのです。
かつて異星人といえばさまざまなタイプが存在しました。
SF小説や映画には、人間タイプからモンスター、そして怪獣にいたるまで、バリエーションは幅広かったですが一転して、体毛のない頭でっかちの小人型エイリアン通称「グレイ」とよばれる異星人のイメージが一般化したのは1970年代からです。
近年は「エイリアン」とは、頭と目が異常に大きい緑色の小人型生物「グレイ」を思い浮かべる方が多いでしょう。

しかし、グレイは異星人ではありません。
グレイタイプの宇宙人のイメージの大衆への植えつけは、SF映画『2001年宇宙の旅』に登場するスターチャイルド、映画『未知との遭遇』に登場する宇宙人などがあります。
実はアメリカの映画の中には、政府の大衆心理操作のために作られた部分や作品があります。

画像は「2001年宇宙の旅」に登場するスターチャイルド

『未知との遭遇』はスティーブン・スピルバーグ監督とUFO研究家として知られるJ・アレン・ハイネック博士が監修を行いました。
基本的にストーリーはフィクションですが、随所に散りばめられた遭遇シーンは実際に報告されたUFO事件を基にしており、単なるSFにとどまらない作品として当時は多くのUFO研究家から高い評価を得ました。
実際に起こったUFO事件が基になっているとあって、最後のクライマックスに登場するグレイ・タイプのエイリアンは多くの人に異星人実在のリアリティを抱かせました。
1980年代後半から一般に知られるようになったアメリカ発のエイリアンのグレイがアメリカ政府と密約して地球人を実験材料にして被害を与えたりしているという「グレイ陰謀論」があります。

グレイに襲われた被害者の中には、グレイが人間の入った着ぐるみだったとの証言をしている人がいます。
「グレイ陰謀論」は軍事目的のための組織的演出だったのです。
軍事目的の1つはインプラント技術などの民間人を狙った生体実験や秘密兵器開発を隠蔽することです。


近年、欧米を中心に少なからず存在するアブダクション(誘拐)の事例報告は年々世界で増えています。
フィクションであったことが解明された例も増えています。
いずれの場合も証言のみで物的証拠に欠けるため科学とは認められていません。
体験者によるとUFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さな機械を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為の対象となったという報告もあります。

異星人に誘拐されたと主張する人々の「アブダクティー」とよばれる彼らの体験告白には、ある共通する奇妙な事実があります。
それは彼らを連れ去ったという異星人の顔つきです。
それぞれまったく面識のないアブダクティーたちが、まるで言い合わせたかのように、異星人の姿を特徴的な共通点の毛のない楕円形の頭、不釣り合いに大きな目、細く尖った顎に、小さい鼻と口、そしてグレーの皮膚に小さな身体を持つ似通った姿で描くのです。
米国空軍アカデミーの心理学者フレデリック・マルムストーム博士は、この問題に新たな見解を示しました。
マルストームが発表したその見解とは、異星人の顔は自分の母親の顔だといいます。
マルストームによれば、この原型的女性の顔、それは人間が生まれるときすぐに自身の母親を識別できるよう、生まれながらに持ついわば、雛形とでもいうべきイメージであるといいます。
確かにこれまでの研究において、あらゆる動物は生まれてすぐに母親を識別し生存することができるよう、生来的に視覚的原型の認識を持って生まれると判明しています。
たとえば生まれたばかりのヒヨコは生まれた直後でさえその捕食者の影を見れば怯えるのに対し、逆にガチョウのような非捕食者、あるいは鶏と似た姿の鳥の影を見た場合は何ら恐怖を示しません。
これは人間にも当てはまり人間の幼児はやはり生まれながらにして人間の平均的な顔に反応するといわれます。
かつて行われた研究では、生後2か月の幼児は、それがハロウィンのマスクであろうと人間の顔に似た物には特別に好意的反応を示すのに対し、そのほかの形にはまるで興味を示さないと判明しています。
そして今回、マルムストームが新生児がその誕生時に得る視覚的作用(乱視、ぼけた焦点)にしたがって、女性の顔写真を変化させた結果、それはあの巨大な眼を持つエイリアンの顔に酷似していると判明したといいます。

左が本来の女性の顔、右は誕生間もない新生児の視覚的影響に基づいて加工を施した女性の顔。
眼と鼻で新生児のぼやけた視覚では、顔面の特徴はぼんやりとぼやけ眼は大きく真っ黒な点になってしまうのです。
なぜ彼らアブダクティーは皆共通して母親の姿を見るのでしょうか。
それはアブダクティーが誘拐されたという入眠時、そしてその体験を想起する催眠に関係しているといいます。
実際、アブダクティーが半睡眠状態で見た、あるいは催眠状態下において想起した対象は研究対象として十分信用できます。
またこの半睡眠、半覚醒時における状態を入眠夢状態と呼びますが、これは催眠状態と同じ特徴をとても多く有しています。
そして、この状況下においては精神は人間の誕生時と同じように外的環境を理解しようとする段階へと回帰するので原初的顔の雛形認識が想起され、それが異星人の顔の虚偽記憶を生み出すのです。
虚偽記憶とは誤った催眠療法の誘導によって捏造された実際には起っていないはずの出来事に関する記憶(エピソード記憶)です。
ハーバード大学の心理学研究者スーザン・クランシーは、確率からすれば誰でも宇宙人に誘拐されたと主張する人を1人以上知っていてもおかしくないと考えています。
こうした話をする人々は、精神病院のやっかいになるような人々ではないというのです。
「こうした人々は精神異常ではない」と語るクランシーは、ハーバード大学の博士研究員で、誘拐体験の心理学的根拠を初めて分析した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』の著者です。
クランシーは、好色な異星人、UFOの中で行われた「診療」や異界の探訪など、無数にある話に何らかの信憑性を与えているのではありません。
クランシーは誰も実際には地球外生物に誘拐されていないと語ります。
その代わりにクランシーは、睡眠時の幻覚、暗示にかかりやすい生来の性質、世界を説明したい根源的な人間の要求というほかの原因を挙げています。
ここでは大衆文化も大きな役割を果たしています。
クランシーは、誘拐されたと主張する約50人にインタビューし、そこから説明の大部分を導き出しました。
また、クランシーは新たな発見を付け加えています。
多くはレイプなどの恐怖が消えないにもかかわらず、その体験を後悔していないのです。
各事例ではアブダクション体験によって「当人の人生が変容し自分自身やそれぞれが生きる世界を前よりも好ましく感じるようになった」とクランシーは語ります。
クランシーは人々が「特異な思い込み」を形成していく過程を理解する手段として、アブダクション体験を研究している数少ないアメリカの研究者の1人です。
自分は宇宙人に誘拐されたと考えているアメリカ人の数を正確に知れませんが、世論調査によるとアメリカ人の約4分の1は地球外生物が地球を訪れたと考えているといいます。
アブダクティーの多くがその体験をラジオやインターネットで喜んで語る事実がある一方、精神異常者と見なされるのを恐れて自分の体験を秘密にする人々もいるとクランシーはあるインタビューの中で語っています。
全員が起きたことを詳細に記憶してはいません。
実際、誘拐されたと考えている人々のうち、細部にわたって体験を覚えているのはわずか10%でした。
そのほかの人々は、ちょっとしたこと、謎めいた打撲傷やぼんやりとした感覚を証拠と考えて異星人に襲われたに違いないと判断するのです。
多くの人は打撲傷を見つけたとき、知らない間にどこかにぶつけたのだろうと考えます。
また普通の人は、自分の尻から何か落ちても、誘拐されて肛門を検査されたときの何かが残っていたのではないかとの考えから分析を依頼したりはしないでしょう。
あるアブダクティーは実際に研究所にサンプルを送り、正体は痔核だったとの分析結果を聞かされても信じようとしませんでした。
しかし、こうした説明を聞いても「呪術的」思考と暗示の影響を受けやすい想像力に富んだアブダクティーたちは納得しないのです。
実際、アブダクティーは偽の記憶を植えつけられやすい人々と研究によって確かめられています。
一部の人が経験する一種の金縛り状態の際に現われる幻覚がきっかけとなって妄想が作り出されます。
とくに想像力豊かな人が幻覚を説明しようとするとき、世間に広まっているアブダクションを想像するのです。

オアフ島の州都ホノルルと八ワイ島の両方に診療所を構える、脳神経専門の医師マイケル・B・ラッソ博士の診療所には、自称アブダクティーたちが多く訪れます。
ラッソ博士は脳波マッピング用の高密度脳波計測機(DEEG)でアブダクティーたちの脳内電気活動を調べた結果、アブダクティー全員の頭頂葉(脳の両半球・大脳皮質の頂上部分)に、同じ異常が見つかりました。
ラッソ博士は次のように述べています。
「脳のこの領域は、視覚と聴覚のデータを統合してより高次の思考領域に情報をあげ、前部前頭葉が事実の情報として認識する。
だが、頭頂葉それ自身が内在的な視覚・聴覚的データを創造し、前部前頭葉がそれを事実として認識してしまう可能性もある。」
ラッソ博士はこの症状が、事故でトラウマ的外傷を脳に負った患者と酷似すると述べています。


グレイタイプの宇宙人とされているのは、一般には未確認の地球に生息している両生類です。
参照 偽エイリアン
アルザルのイエス・キリスト教会の聖徒であるエイリアンたちとの遭遇によって末日聖徒イエス・キリスト教会に導かれる人々が飛躍的増えれば、シークレット・ガバメントの莫大な富や地位や権力は失われます。
シークレット・ガバメントはアルザル人を敵対視して、シークレット・ガバメントの妨害をするなら攻撃して殺してしまおうとしているのです。
シークレット・ガバメントは特権を守るためには強くなるしかないと考え、アルザル人が攻撃してこない間に彼らに匹敵する軍事力を手に入れようとしています。
シークレット・ガバメントの上部のサタンに従う秘密結社は、人々が末日聖徒イエス・キリスト教会に導かれないようにエイリアンの真相を隠蔽します。
その一方でUFOに乗ってくる異星人がグレイであるという情報を流します。
捕獲した河童を異星人に仕立て、さまざまな事件を演出すると同時に映画やテレビやマスメディアを使って異性人グレイのイメージを浸透させます。
同時にUFO研究家にはグレイが人間を誘拐して人体実験をしているとか、キャトル・ミューティレーションをしているという情報を流します。
動物の臓器や体液を皮膚から吸収したり、人間と交配させているといった無気味なイメージをとにかく植えつけます。
しかし情報はいずれ漏れるものでグレイが異星人ではないと気づく前に先手を打って人間型エイリアンの偽情報を流してかく乱し、グレイを使役しているのが人間型エイリアンであるという情報も流し印象を悪くするのです。
こうして人間型エイリアンは地球人にとって危険な存在であるかをアピールし、最終的にはエイリアンは地球人共通の敵であるという世論を形成するのがシークレット・ガバメントの企みです。
12 アメリカ製UFOと赤鬼青鬼
<転載終了>