ちこたんさんより情報を頂きました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究 さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1057968175.html
<転載開始>
偽エイリアン
末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究 さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1057968175.html
<転載開始>
偽エイリアン
異星人とされる生物の正体
かつて異星人といえばさまざまなタイプが存在しました。
SF小説や映画には、人間タイプからモンスター、そして怪獣にいたるまで、バリエーションは幅広かったですが一転して、体毛のない頭でっかちの小人型エイリアン通称「グレイ」とよばれる異星人のイメージが一般化したのは1970年代からです。
近年は「エイリアン」とは、頭と目が異常に大きい緑色の小人型生物「グレイ」を思い浮かべる方が多いでしょう。

グレイタイプの宇宙人が目撃される以前は、イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表したSF小説『宇宙戦争』の異星人などの一般的に火星人に見られる蛸型宇宙人が代表的な宇宙人のイメージでした。

かつて異星人といえばさまざまなタイプが存在しました。
SF小説や映画には、人間タイプからモンスター、そして怪獣にいたるまで、バリエーションは幅広かったですが一転して、体毛のない頭でっかちの小人型エイリアン通称「グレイ」とよばれる異星人のイメージが一般化したのは1970年代からです。
近年は「エイリアン」とは、頭と目が異常に大きい緑色の小人型生物「グレイ」を思い浮かべる方が多いでしょう。

グレイタイプの宇宙人が目撃される以前は、イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表したSF小説『宇宙戦争』の異星人などの一般的に火星人に見られる蛸型宇宙人が代表的な宇宙人のイメージでした。

しかし、グレイは異星人ではありません。
グレイタイプの宇宙人のイメージの大衆への植えつけは、SF映画『2001年宇宙の旅』に登場するスターチャイルド、映画『未知との遭遇』に登場する宇宙人などがあります。
実はアメリカの映画の中には、政府の大衆心理操作のために作られた部分や作品があります。
画像は「2001年宇宙の旅」に登場するスターチャイルド

『未知との遭遇』はスティーブン・スピルバーグ監督とUFO研究家として知られるJ・アレン・ハイネック博士が監修を行いました。
基本的にストーリーはフィクションですが、随所に散りばめられた遭遇シーンは実際に報告されたUFO事件を基にしており、単なるSFにとどまらない作品として当時は多くのUFO研究家から高い評価を得ました。
実際に起こったUFO事件が基になっているとあって、最後のクライマックスに登場するグレイ・タイプのエイリアンは多くの人に異星人実在のリアリティを抱かせました。
真理に基づかない唯物論や進化論という実証がない仮説を前提にした場合、ヒトは旧人ネアンデルタール人から、その先は原人ホモ・エレクトス、猿人アウストラロピテクス、類人猿とさかのぼり、哺乳類の先祖とされる原始的なネズミから進化したと説明されます。
当然ながら現生人類もまた、今後進化していきサルの体毛が少なくなりヒトになったように、ヒトもまた将来、体毛が少なくなることは予想され、野性的に体を使う場面が少なくなる一方で頭脳労働が多くなるため、体は華奢になり、反対に大脳が肥大化し結果的に頭部が相対的に大きなスタイルとなると想像されています。
進化は常に胎児の姿に似てくるというネオテニー(幼形進化)の思想からすれば、まさにグレイは現生人類の未来像と重なってくるというわけです。
グレイは高度の科学力を持っているので地球人類より身体が進化しているとされ、人類の進化形の身体で頭でっかちの華奢な身体と思われているのです。
進化論のうそ

『未知との遭遇』では異星人は裸です。
実際のグレイは薄いスーツを装着しているという反論はありましょうが、ヘルメットや宇宙服を着ていないのはおかしいです。
彼らは平気で地球の空気を吸っています。
空気中にはさまざまなウイルスが多く存在します。
地球人が平気なのは、免疫を持っているからです。
そして、免疫を持っていたとしても短期間に変異を繰り返すウイルスの脅威に人類は常にさらされています。
地球の空気を吸ったことのないほかの惑星の生物が突如、この地球にやってきて、ヘルメットもなしで活動するなど生物学的にありえないのです。
グレイに関係するといわれる事件の証言者や、その特徴的な姿がテレビ番組などのメディアを通じて露出が増え次第にグレイが宇宙人の代表的なイメージになっていきました。
そのシンプルでインパクトのある容姿のせいかCMに起用されたりと各方面でキャラクターとしてグッズ展開される現象も起きています。
1980年代後半から一般に知られるようになったアメリカ発のエイリアンのグレイがアメリカ政府と密約して地球人を実験材料にして被害を与えたりしているという「グレイ陰謀論」があります。

グレイに襲われた被害者の中には、グレイが人間の入った着ぐるみだったとの証言をしている人がいます。
「グレイ陰謀論」は軍事目的のための組織的演出だったのです。
軍事目的の1つはインプラント技術などの民間人を狙った生体実験や秘密兵器開発を隠蔽することです。


近年、欧米を中心に少なからず存在するアブダクション(誘拐)の事例報告は年々世界で増えています。
フィクションであったことが解明された例も増えています。
いずれの場合も証言のみで物的証拠に欠けるため科学とは認められていません。
体験者によるとUFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さな機械を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為の対象となったという報告もあります。

異星人に誘拐されたと主張する人々の「アブダクティー」とよばれる彼らの体験告白には、ある共通する奇妙な事実があります。
それは彼らを連れ去ったという異星人の顔つきです。
それぞれまったく面識のないアブダクティーたちが、まるで言い合わせたかのように、異星人の姿を特徴的な共通点の毛のない楕円形の頭、不釣り合いに大きな目、細く尖った顎に、小さい鼻と口、そしてグレーの皮膚に小さな身体を持つ似通った姿で描くのです。
米国空軍アカデミーの心理学者フレデリック・マルムストーム博士は、この問題に新たな見解を示しました。
マルストームが発表したその見解とは、異星人の顔は自分の母親の顔だといいます。
マルストームによれば、この原型的女性の顔、それは人間が生まれるときすぐに自身の母親を識別できるよう、生まれながらに持ついわば、雛形とでもいうべきイメージであるといいます。
確かにこれまでの研究において、あらゆる動物は生まれてすぐに母親を識別し生存することができるよう、生来的に視覚的原型の認識を持って生まれると判明しています。
たとえば生まれたばかりのヒヨコは生まれた直後でさえその捕食者の影を見れば怯えるのに対し、逆にガチョウのような非捕食者、あるいは鶏と似た姿の鳥の影を見た場合は何ら恐怖を示しません。
これは人間にも当てはまり人間の幼児はやはり生まれながらにして人間の平均的な顔に反応するといわれます。
かつて行われた研究では、生後2か月の幼児は、それがハロウィンのマスクであろうと人間の顔に似た物には特別に好意的反応を示すのに対し、そのほかの形にはまるで興味を示さないと判明しています。
そして今回、マルムストームが新生児がその誕生時に得る視覚的作用(乱視、ぼけた焦点)にしたがって、女性の顔写真を変化させた結果、それはあの巨大な眼を持つエイリアンの顔に酷似していると判明したといいます。

左が本来の女性の顔、右は誕生間もない新生児の視覚的影響に基づいて加工を施した女性の顔。
眼と鼻で新生児のぼやけた視覚では、顔面の特徴はぼんやりとぼやけ眼は大きく真っ黒な点になってしまうのです。
なぜ彼らアブダクティーは皆共通して母親の姿を見るのでしょうか。
それはアブダクティーが誘拐されたという入眠時、そしてその体験を想起する催眠に関係しているといいます。
実際、アブダクティーが半睡眠状態で見た、あるいは催眠状態下において想起した対象は研究対象として十分信用できます。
またこの半睡眠、半覚醒時における状態を入眠夢状態と呼びますが、これは催眠状態と同じ特徴をとても多く有しています。
そして、この状況下においては精神は人間の誕生時と同じように外的環境を理解しようとする段階へと回帰するので原初的顔の雛形認識が想起され、それが異星人の顔の虚偽記憶を生み出すのです。
虚偽記憶とは誤った催眠療法の誘導によって捏造された実際には起っていないはずの出来事に関する記憶(エピソード記憶)です。
ハーバード大学の心理学研究者スーザン・クランシーは、確率からすれば誰でも宇宙人に誘拐されたと主張する人を1人以上知っていてもおかしくないと考えています。
こうした話をする人々は、精神病院のやっかいになるような人々ではないというのです。
「こうした人々は精神異常ではない」と語るクランシーは、ハーバード大学の博士研究員で、誘拐体験の心理学的根拠を初めて分析した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』の著者です。
クランシーは、好色な異星人、UFOの中で行われた「診療」や異界の探訪など、無数にある話に何らかの信憑性を与えているのではありません。
クランシーは誰も実際には地球外生物に誘拐されていないと語ります。
その代わりにクランシーは、睡眠時の幻覚、暗示にかかりやすい生来の性質、世界を説明したい根源的な人間の要求というほかの原因を挙げています。
ここでは大衆文化も大きな役割を果たしています。
クランシーは、誘拐されたと主張する約50人にインタビューし、そこから説明の大部分を導き出しました。
また、クランシーは新たな発見を付け加えています。
多くはレイプなどの恐怖が消えないにもかかわらず、その体験を後悔していないのです。
各事例ではアブダクション体験によって「当人の人生が変容し自分自身やそれぞれが生きる世界を前よりも好ましく感じるようになった」とクランシーは語ります。
クランシーは人々が「特異な思い込み」を形成していく過程を理解する手段として、アブダクション体験を研究している数少ないアメリカの研究者の1人です。
自分は宇宙人に誘拐されたと考えているアメリカ人の数を正確に知れませんが、世論調査によるとアメリカ人の約4分の1は地球外生物が地球を訪れたと考えているといいます。
アブダクティーの多くがその体験をラジオやインターネットで喜んで語る事実がある一方、精神異常者と見なされるのを恐れて自分の体験を秘密にする人々もいるとクランシーはあるインタビューの中で語っています。
全員が起きたことを詳細に記憶してはいません。
実際、誘拐されたと考えている人々のうち、細部にわたって体験を覚えているのはわずか10%でした。
そのほかの人々は、ちょっとしたこと、謎めいた打撲傷やぼんやりとした感覚を証拠と考えて異星人に襲われたに違いないと判断するのです。
多くの人は打撲傷を見つけたとき、知らない間にどこかにぶつけたのだろうと考えます。
また普通の人は、自分の尻から何か落ちても、誘拐されて肛門を検査されたときの何かが残っていたのではないかとの考えから分析を依頼したりはしないでしょう。
あるアブダクティーは実際に研究所にサンプルを送り、正体は痔核だったとの分析結果を聞かされても信じようとしませんでした。
しかし、こうした説明を聞いても「呪術的」思考と暗示の影響を受けやすい想像力に富んだアブダクティーたちは納得しないのです。
実際、アブダクティーは偽の記憶を植えつけられやすい人々と研究によって確かめられています。
一部の人が経験する一種の金縛り状態の際に現われる幻覚がきっかけとなって妄想が作り出されます。
とくに想像力豊かな人が幻覚を説明しようとするとき、世間に広まっているアブダクションを想像するのです。

オアフ島の州都ホノルルと八ワイ島の両方に診療所を構える、脳神経専門の医師マイケル・B・ラッソ博士の診療所には、自称アブダクティーたちが多く訪れます。
ラッソ博士は脳波マッピング用の高密度脳波計測機(DEEG)でアブダクティーたちの脳内電気活動を調べた結果、アブダクティー全員の頭頂葉(脳の両半球・大脳皮質の頂上部分)に、同じ異常が見つかりました。
ラッソ博士は次のように述べています。
「脳のこの領域は、視覚と聴覚のデータを統合してより高次の思考領域に情報をあげ、前部前頭葉が事実の情報として認識する。
だが、頭頂葉それ自身が内在的な視覚・聴覚的データを創造し、前部前頭葉がそれを事実として認識してしまう可能性もある。」
ラッソ博士はこの症状が、事故でトラウマ的外傷を脳に負った患者と酷似すると述べています。

実際にわずかな人数ですが、体の手術跡などの物的証拠がある証言もあります。
アメリカ国家の機密文書の中に「アブダクション・ケース」と記された膨大な極秘資料が存在します。
そこには1970年代後半~80年代末にかけて78名もの女性がアメリカ軍によって強制連行されたと書かれてあります。
1970年代から頻繁に発生しており、ほとんど女性に絞られているのには軍のバイオ技術の研究に人間の女性の子宮が必要だからです。
それも生きたままの子宮が絶対に必要で実験の段階も女性の子宮を使ったおぞましいバイオ実験が本格化してきたからです。
1970年代末には、犬や猿の受精卵を雌から抜き出して人の子宮に移植させる実験が行われていました。
最初は哺乳類の受精卵が移植されていましたが、のちには別種の動物の遺伝子のDNAを掛け合わせた人工的な異生物の卵子も使われています。
また逆に人の受精卵を、馬、牛、犬、オランウータン、チンパンジーの子宮に移植させて実際に子供を生ませることにも成功しています。
動物の種類によっては、人の子宮への移植後数か月で再び子宮から取り出す場合もあり、そののちは人口培養器で育てます。
そうしないとゴリラやポニーなどの胎児が人の子宮を突き破ってしまうからです。
実際にそれで子宮が破れて破水と裂傷による大量出血で死亡した女性が3名いたことが記録されています。
実際にほかの動物の卵子を人の子宮に移植はできます。
子宮は人間にかぎらずほかの動物でもこの中だけは治外法権であって拒絶反応が起きないのです。
1980年代後半には、人とゴリラのDNA結合卵子を雌馬の子宮に移植して子供を誕生させましたが、誕生後数分で無呼吸状態に陥り窒息死しています。
さらに、人のDNAとカエル、猿、うさぎ、コウモリ、犬、猫、ライオン、ゴリラなどの数多くの異種生物のDNAと掛け合わせるだけでなく、その卵子を人の子宮に戻していました。
現在は、さらにバイオ技術が進んでいます。
もう1つは、本当のUFOの乗員の人々の正体を誤解させて隠すためです。
アメリカ軍にとって「グレイ陰謀論」は、強力な隠蔽の道具なのです。
「グレイ陰謀論」のほとんどは、元アメリカ軍人と名乗るいかがわしい連中からリークされた話ばかりです。
アメリカはもともと地球に住んでいた未知生物を「異星人グレイ」として利用しました。
グレイの特徴は、子供程度の大きさで、白目のないアーモンド型の目と大きな頭部を持ち性器が表面上は見当たらず細い手足で二足歩行する点です。
体の色は灰色がかったピンク色か淡い緑色で、4本指で水かきのある手と3本指だが水かきでおおわれた足(指がないように見える)を持っています。
グレイの正体
4本指で水かきを持つグレイはほかの天体の知的生物ではなく地球産の両生類です。

グレイは、日本では「河童」として伝えられています。
「河童」とは文字どおり「河の童子」で、分類的には河に住む童子型妖怪といわれます。
伝承や昔の記録や目撃談から河童のイメージは、体長は成人の人間に比べると小さく1m前後の人間のような姿をしています。
資料によっては、5~7、8歳、10歳以上の人間の身長という表現もあります。
日本以外にも河童はいて、ヨーロッパでは主に河童は妖精の類いとして扱われます。
水辺の妖精は馬を引きずり込むなど、日本の河童と性格が同じです。
実際、妖精を目撃した人のスケッチを見るとグレイそのものです。
ヨーロッパにおける河童は、主に妖精や森の小人として伝説の中で語り継がれてきたのです
ドイツのワッセルやイギリスのニクス、ニクシーは、まさに河童です。
物語の中でかわいい人間のように描かれていますが、ダンスをして人を水の中に引き込むなど客観的なデータだけを眺めると河童なのです。
インドネシアのバリ島では、トーニョという人に少し似ていて不釣り合いなまでに大きな頭とやせ細った体で古い川や湖、海辺などに住んでいます。
住処の水辺で遊んだりすると怒って足を引っ張るといわれます。
ロシアでは、民話に登場する水辺の妖怪で「水(ヴォダー)の怪物」の意味で、ヴォドニク、ヴォジャニク、ヴォジャノーイ・チョールトなどともよばれます。
スラブ系諸族の国には河川小沼の底深く水男をいう呼び名で総称される水の精がいて、チェコ(ボヘミア地方)ではヴォドニクといいます。
水にいる間は強く、陸に上がるときわめて弱くなるといいます。
ペルーを流れる河川でアマゾン川の源流の1つウルバンバ川には、子供に悪戯するラナーという大きくて足の長い蛙みたいな姿形をした妖怪がいます。
マネギシはネイティブ・カナディアンのクリー族に伝わる伝説の小人で「ガホンガ」ともいわれます。
細長い腕、頭は身体に対してとても大きく、大きな目を持ち、頭髪や鼻はないといわれます。
マネギシは小柄なため、ある種かわいらしい印象を受けますが、クリー族にとっては恐ろしい生物として描かれています。
マネギシは2種類いて、人間に友好的な種類とそうでない種類がいるとの説もあります。
マネギシは岩場のある早瀬の近くに生息して、川下りをするカヌーを転覆させて溺死させるといわれています。
このように国柄や文化によって妖精や森の小人とされている生物の中には河童が含まれているのです。

左 絵画に描かれたイギリスの妖精パックは、いたずら好きな子供の姿として描かれます。
右 詳細は不明ですがウェルシュ・ピーサントが目撃した妖精パック、その姿は河童でクチバシのように尖った口、鼻や耳はわかりませんが大きな目があります。
河童は水棲動物、カエルにイメージが似ています。
体の色も一般に緑色で黄緑から濃い青緑、淡いピンク色などのバリエーションがあります。
実際はアマガエルやモリアオガエルのような色でしょうか。
中には斑点模様もある河童もいるというからトノサマガエルやダルマガエルに近いの種類もいるんでしょう。
カエルは保護色で草の所にいれば緑色、岩場にいれば灰色と体の色を変えられます。
河童もまた体の色を変えられるのでしょう。
カエルは緑色ばかりではなくアカガエルやヒキガエルのように赤茶色をした種類も少なくなく体が赤い色をした河童の報告も多いです。
九州では山に登った河童は色が赤いともいいます。
アマガエルは葉の上にいるときは緑色ですが、アスファルト舗装の上にいるときは灰色になります。
河童も同じ両生類で、周りの色に合わせて体を保護色に変化させることができます。

緑豊かな自然にいる河童が緑色をしており、コンクリートの軍事施設に飼われているグレイが灰色をしているのはそのためです。
同様に遠野の河童が赤色なのも地域差、亜種が数多く存在するのでしょう。
目からの視覚情報により脳下垂体中葉からMSHというホルモンが分泌され、ホルモンが血液に入り皮膚の黒色素胞などが、それらに反応して体色変化を起こします。
反射ですからカエルが考えて色を変えているのではありません。
一番下の層の光を吸収する部分が表面から見えるようになり黒っぽく見えます。
また周りが明るい色の所に行くとホルモン(MSH)が減り、黄色や青色などを反射する細胞が集まるため緑に変わっていきます。
カエルの皮膚は3つの層になっていて表面と2番目の層が、太陽の光の中にある黄色や青色などの光を反射します。
だからカエルは普段黄色と青色が重なった緑っぽい色に見えます。
沼地のような暗い色の所だとホルモンが体の中に出てきて、黄色や青色などの光を反射していた細胞を散らばらせます。
河童は皮膚の感じもカエルに似ています。
カエルの皮膚は、見た目がすべすべして、いかにも水の抵抗を受けません。
表面には薄く粘膜があり、手でつかまえようとするとヌルヌルします。
河童の皮膚もすべすべして弾力性が強くぶつかったくらいでは傷がつきません。
やはり表面には粘液がありヌルヌルして、触ると気持ちが悪いといいます。
頭部に関しては異説も多く、髪がまったくない説も多いです。
また、頭のてっぺんだけが少し凹んだ河童もいるようです。
これは、ただたんに髪の毛が抜けたのではなくもともとないのです。
そして、河童には体毛もありません。
さらに、この無毛河童は頭部のお皿はない説もあります。
一般に河童の顔は、体の色と同じ緑色をしています。
もっとも体よりも少々色が濃く青黒いともいいます。
もちろん遠野の河童のように体が赤い河童は顔も赤いです。
目は大きく猿の目というよりは、やはりカエルやトカゲのようにドングリ眼です。
まん丸い目には、ほとんど白目はなく大きな瞳が中心にありらんらんと輝いているといいます。
夜にネコの目が光っているようなものです。
鼻は尖がっていて顔の前面に張り出しており、狐や犬のようになっているともいいます。
口はイヌのようであるといわれますがクチバシのように描かれるケースもあります。
河童のクチバシも亀に似ているとされているからか、カメ同様にクチバシの奥に上下4枚の歯があるといいます。
もっともイヌのような鼻、鳥のようなクチバシがまったくない河童もいます。
人間のような顔をした河童も少なくないです。
河童の鳴き声は、地方によって、いろいろなバリエーションがありますが、代表的な鳴き声は、「ガガ、ガガ」「グワーグ、グワーグ」「ヨッ、ヨッ」「ホイ、ホイ」「ヒーヨ、ヒーヨ」「ヒョウ、ヒョウ」「キャッ、キャッ」「ケ、ケ」「グワァ、グワァ」「ヒル、ヒル」「キチ、キチ」です。
河童の鳴き声には半濁音を含んだ声がほとんどありません。
「プー、プー」とか「ピャー、ピャー」という、パピプペポの音をした鳴き声がないのです。
半濁音は唇を使った破裂音で唇がない鳥やカエルには難しい発音なのです。
河童の首は、それほど長くなく人間と同じ程度ですが、獲物を取るときはいきなり首が長く伸びるのです。
体の伸縮性は河童の特徴の1つです。
そして、河童の背中にある甲羅は、河童の大きな特徴の1つです。
ただし甲羅といってもクサガメやウミガメのように、うろこ状の亀甲模様がある物とない物があり、ない物はスッポンの甲羅に近いです。
体の色は黄色から黒までさまざまです。
しかし、河童の甲羅は必ずしもあるのではなく、体毛のある河童は甲羅を背負っていません。
また古い河童にさかのぼるほど甲羅を背負っていません。
河童には頭に皿と髪の毛があり、背中には亀の甲羅を背負っている姿になったのは江戸時代のことで、それ以前の河童の姿は地方によって呼び名とともにまちまちだったのです。
とくにその姿は、江戸時代をさかのぼるほどグレイの姿と酷似してきます。
その典型的な例が、福岡県田主丸志塚島地区に保管されている「唐島の川ん殿(河童)像」です。
その木彫りの像は大きな頭部に毛髪がなく、つりあがったアーモンド・アイズ型の目を持つ河童像であり、その両眼には自目はなく瞳だけです。
九十瀬(こせ)川の水神である「川ん殿(河童)」は筑後地方であるだけに、のちに壇の浦の平家の霊と結びつき坊主頭であることから平清盛の化身とされました。
河童はカエルのように生臭いです。
河童が密かに入った風呂は、生臭くて入れるものではないといわれ、生臭いだけで河童が近くにいることが分かるのです。
河童の腕は、長くだらりと両腕を下げると手のひらは膝あたりまであります。
腕は非常に柔らかく関節はあらゆる方向に動き、ぐねぐね曲げられ、伸縮し右腕を引っ張るとその分左腕が縮むとされます。
手足の指の間には、膜があり水かきとなっています。
水かきは水中を泳ぐための器官で水棲動物の特徴です。
手の指の数は、4本が基本で3本や5本もいます。
一方、足の指は3本がほとんどです。
哺乳類の指は手足とも5本が基本ですが、両生類はばらつきがあります。
カエルの指は前足が4本で後ろ足が6本あるといわれますが、実際は指より魚のヒレに近い形状をしています。
ヒレを構成する筋骨が、そのまま指になったような形状です。
そのため、両生類は指の数が一定しません。
この指の数が一定しないのが、見間違いなどではなく正しい河童の体なら河童もカエルのように両生類だからでしょう。
河童は水かきの両手両足を使って、カエルと同じ平泳ぎで泳ぎます。
陸に上がると、4足歩行から上体を起こして人間と同じ直立二足歩行を行います。
ときには走ることもあり、とても人間が追いつかないくらいに速いといいます。
そして、筋力が強く大きな牛や馬を水中に引きずり込んでしまうほどの力です。
また、カエルのように跳躍力もあり数メートルの高さなら飛び越えます。
河童とプラズマ
河童は、火の玉を発生させます。
民話には「河童の火やろう」といって河童が火を持ってくる話が数多くあります。 (参照)
河童は、プラズマを発生させるのです。


河童、キジムナー(ブナガヤ)は火を発生させますが、この火はプラズマなのです。



宇宙のほぼ100%はプラズマで光です。
一般に、プラズマは高周波の電磁波が交差した空間に生じる火の玉で、物質の原子と電子がばらばらになった状態を指します。
プラズマは、固体・液体・気体に続く物質の第4の状態の名称であって、通常は「電離した気体」をイメージに持ちます。
プラズマの場合、物質を構成する原子は、原子核の周りを電子が高速で公転しているので、そこでは原子核(+)と電子(-)がばらばらに電離した状態で、一種の伝導性の高いソリトン状態になっています。
ソリトンとは、高度に電離した状態のプラズマ状態をいいますが、そこではまさにプラス(原子核)とマイナス(電子)がばらばらになって自由に飛び交っています。
その状態が加速されればプラズマは自ら可視光線を放射するようになりますが、その状態のプラズマはとても高温で5000℃にもなり、理論上の温度は無限大といわれています。
河童はアンバランスに大きな頭部にある脳から強力な電磁波を放射しプラズマ(火の玉)を発生さます。
高周波の電磁波はほかの動物の自律神経を麻痺させ吐き気やめまいを引き起こし、ときには気絶させます。
さらに電磁波の出力を大きくすれば、近くの大気を励起(れいき)させ、プラズマの火の玉を生じさせられるのです。
河童の大きな前頭葉が骨の壁で左右に仕切られて、前頭葉の部分に正体不明の蛇腹構造が存在して、その分だけ脳が後頭部に張り出しています。
河童は前頭葉の前側の3分の1くらいの部分で、強力な脳波である電波を強力に増幅して電磁波として照射し左右からの2点照射でプラズマを発生させるのです。
河童の知能を司る脳は、頭部の大部分を占める電磁波照射構造体の後方に隠されていて、脳自体の大きさは犬より少し大きい程度です。
そのため、グレイの後頭部は異様に後ろに突出していています。
電磁波照射構造体の後ろには、電磁波から脳を守る遮蔽骨があります。
人間も前頭葉からわずかですが電波が出ています。
河童はプラズマを発生させて、エサを摂取すると判明しています。
河童の場合、獲物の内臓をプラズマで焼き発生した蒸気を吸う性質があるようです。
しかも高温プラズマは灼熱の高温で触れた物を焼きつくしまいますが、ある周波数で発生させると常温のまま安定化します。
この低温の安定化したプラズマに身を包むと固体を透過もできるのです。
アメリカ軍は、プラズマの持つ能力、プラズマ(ガス状の物)が、すべての物質を透過して裏側に抜けることを解明しました。
プラズマに包まれた物体Aを、ほかの物体、たとえば鋼鉄の板にマイクロ波などを当ててプラズマ化した物に衝突させるとAが板を透過し互いに無傷で裏側に出ること。
また、プラズマはマイクロ波・電磁波などの強度を高めレーザーのように線形に発し、それを2つないし3つ作って交差させるとその部分に発生させられること。
さらに交点に何か物体があると、その物体をプラズマ化させられることを発見します。
プラズマには、特異点黄金率 Φ (ファイ)の低温で安定した状態が存在し、その条件のもとに作られたプラズマであれば物質を包み込んでも燃焼することはありません。
プラズマにおおわれている状態の物質は、プラズマの中に突入できます。
また河童は空を飛びます。
両手を広げるだけで、あたかも凧のように飛んでいくのです。
九州では秋になると、多数の河童が群れをなして山へ飛んで帰っていくと伝えられています。

河童が空を飛んでいる姿も昔から目撃されています。
プラズマによる飛行です。
プラズマは重力をコントロースするので飛行もできるのです。
河童は、黄金率 Φ (ファイ)によるプラスマを発生させられるらしく、全身を黄金率 Φ のプラズマて全身を包み、その発生ポイントをコントロールし空中を浮揚、移動できるのです。
日本の河童、九州の「ひょうすべ」など、空を飛ぶ伝承が各地に伝わっています。

1998年4月27日にアメリ力のオレゴン州で起こった事件です。
その日、ジョン・フォークナーは趣味のロッククライミングをするために仲間たちと一緒に力ービー近郊の山岳地帯へとやって来ました。
滝の岩場登りを楽しんでいたフォークナーたちは、ふと川の向こうの森林上空に人間のような姿をした奇妙な物を発見します。
仲間は薄気味悪がりましたが、フォークナーは興味半分で謎の生物の写真を何枚か撮影しました。
その直後、こちらの存在に気づいたのか、そいつは急上昇しやがて点に見えるほど小さくなって視界から消えました。
フォークナーたちは互いに信じられない顔で見合い、錯覚ではなかったと確かめ合ったといいます。

1999年3月、首都メキシコシティの上空に人のような姿をした生物が飛来しました。
微妙に手足を動かしながら、フワフワと浮遊している姿が人々に目撃されました。
目撃者たちはあっけにとられる中、謎の生物は突如、地面めがけて急降下したかと思うと鋭角にターンし、そのまま上空へと消えていったといいます。
謎の人形(ひとがた)生物は、それから1年後、再びメキシコに出現します。
サルバドール・ゲレーロによってビデオ撮影され世に知られるようになります。
2004年1月16日、フライング・ヒューマノイドが人間を襲った衝撃的な事件が発生します。
その日の早朝、メキシコの地方都市グアダルーペに住む警官レオナルド・サマリエゴがバトロールのため、車を運転していたとき、いきなり前方上空から黒い影が急降下し、車めがけて襲いかかってきたのです。
驚いたサマリエゴは、ライトに浮かび上がったその姿を見て全身の毛が総毛立ちました。
見たこともない醜い怪物が、そこにいたからです。
身の危険を感じたサマリエゴは思いっ切りアクセルを踏み込むと、車を急加速してその場を離れました。
怪物は追ってくる気配を見せず、彼は命拾いをしました。
サマリエゴの証言によれば、怪物は人間のような姿形をしていますが、服などは着ておらずアンバランスなほど長い腕で全身が赤茶けた色をしていました。
しかも白目の部分がまったくない大きな目玉がとても印象的だったといいます。
この怪物はフライング・ヒューマノイドとよばれるようになりました。
フライング・ヒューマノイドは河童の姿にそっくりです。
そののち近接する地区でも警官3人が空から飛来した怪物を目撃し大騒ぎとなりました。
一連の事件は地元のテレビでも大きく報道され、日本でもテレビでスペシャル番組で取り上げられました。
2003年7月、プエルトリコの山中でやしの木にしがみついているほかに、空中に浮かぶ姿も撮影されています。
2003年7月中旬、プエルトリコの南西部の街カボロ・ロホに住むシモン・ペレス(仮名)は、兄夫婦の間に生まれた赤ん坊の写真を撮影するため、彼は買ったばかりの日本製のデジタルカメラを手に山道を歩いていました。
そして、ペレスの視界の片隅を何物かがよぎりました。
動きと気配から、とっさに動物だと気づいた彼は、その先へと目をやると、その影はヤシの木につかまりそのままするすると上へと上っていきました。
一瞬、猿かなと思いましたが、この辺りでは猿の姿を見たことがなく、動きが少し奇妙でした。
木によじ登ったというよりは、まるでエレベーターか糸で吊るされたかのように、スーッと直線的に上昇したように見えたのです。
不思議に思ったペレスは、そのヤシの木の根元に近づき上を見上げると、ヤシの葉が揺れており何枚か葉っぱが落ちてきた瞬間、ペレスは持っていたカメラを構えました。
見るとそこには真っ裸の子供に見えたがヤシの木の上からペレスを見下ろしています。
淡いピンク色をした肌に大きな頭です。
しかし、人間に似ていますが人間ではありませんでした。
無気味に光る大きな目がありました。
ペレスはカメラのシャッターを切りました。
ペレスが記憶しているのはそこまでで、突如、脱力感と強烈なめまいに襲われた彼はそのまま倒れこんでしまったのです。
何時間か失神してしまいました。
河童はアンバランスに大きな頭部にある脳から強力な電磁波を放射し高周波の電磁波はほかの動物の自律神経系を麻痺させ、吐き気やめまいを引き起こし、ときには気絶させます。
さらに電磁波の出力を大きくすれば、近くの大気を励起(れいき)させプラズマの火の玉を生じさられます。
ペレスの撮影した写真には、木にしがみつく黒い影と無気味に光る目が写っていました。
しかも、撮影時には気がつかなかったのですが、向かって左側の空中にも同じような影があたかも何かに飛び移ろうとでもしているかのように写っています。

2005年9月14日、テキサス州、深夜2時すぎ、サンアントニオで自動車セールスをするD・S・フレミングは、エドワード高原の北に位置するスィートウォーターに車で向かう途中、夜空に浮かぶ光る物体を発見しました。
仕事で使っている一眼レフカメラを取り出し物体に向けて構えファインダー越しに物体にピントを合わせた瞬間、彼は思わず自分の目を疑いました。
光っていたのは人間のような姿をした得体の知れない生物だったのです。
手足をばたつかせている様子から、まぎれもなく生きていると分かりました。
彼はズームを含めて10回以上、シャッターを切りました。
その間、怪生物は徐々に上空を移動し、やがて道を挟んだ向こう側に広がる木々の間に消えていったといいます。
そして河童の天敵に近いのが猿で、猿は河童を見ると本能的に襲う習性があります。
もともと河童自体が猿に似ているので、縄張りを侵したと感じてしまうのか相性が悪いです。
河童が生息するのは、沼地や川、池や湖などの淡水域で、水中を四つんばいで移動しますが陸上では二足歩行で移動します。
まれには川が海に流れ込む水域に現われる場合もありますが、海水では生きられないという両生類の特徴をグレイは示しています。
粘液を持つ両生類は、塩分の濃い水中では粘液が溶け体表が剥き出しになるため死んでしまうのです。
両生類の中では大きな部類に入る河童は、川原の岩などで自分の柔らかい腹をこすってしまうこともあります。
河童はまた両生類と同様に体中が粘液でおおわれていつも生臭い異様な臭気をまき散ちらしています。
当然水かきを持ち同じ両生類のカエル、サンショウウオ、イモリと同じく前足は4本指です。
また両生類は見かけ上、性器が哺乳類と比べて露出しておらず一見すれぱ性器を持たないかのように見えます。
特徴を語るうえで、最も河童に近い生物はカエルです。
なぜなら、水中で生活するが陸上でも生活でき卵生で冬眠も行うからです。
河童は泳ぐことが得意ですが、陸上に上がるとなぜか相撲を取りたがります。
河童同士が相撲を取ることもさることながら、人間に相撲を挑んできます。
河童の体は粘液でヌルヌルしており、見た目は華奢でも怪力の持ち主であるから人間はそう簡単に勝てません。

カエルは繁殖期になると雄が雌の体に抱き付いて交尾します。
雄のカエルが雌のカエルの背中や腹にまとわりつき、近くに雌がいない場合でも、雄やほかの何かにしがみついてきます。
それと同じことが河童にもあり、繁殖期になると人間にもしがみつくのです。
人間が勝手に相撲を取っていると思っているだけで、河童の方はメスの代わり人間に抱きついて水中に引きずり込もうとしているだけなのです。
それが川原から河童が現われて男と相撲をとったとか、川で泳いでいたら河童にしがみつかれて子供が水死した話になります。
河童は牛や馬の尻にしがみ付きそのまま水中に引きずり込みます。
そうなったら、河童は肛門から生き胆を引き出して食べてしまうとされます。
河童は人間の尻に興味を示します。
とくに、女性は危険です。
本来、トイレである厨(カワヤ)は川屋の意味で流れている川の上に建物を作りトイレとし便器の下は川で天然の水洗トイレです。
川に潜ってくればトイレの中に侵入できます。
まさに河童は川の中を泳ぎ密かに厩の下に忍び込み女性が入ってくるのをじっと待ちます。
女性が腰を下ろすのを見届けると伸縮自在の腕を伸ばし尻を触るのです。
河童は尻を触るだけではなく肛門から手を突っ込んで尻子玉を取り出しそれを食べてしまうという習性があるとされます。
尻子玉を取られたら人間は死んでしまうといいます。
しかし、解剖学的に尻子玉という臓器が人間にはありません。
尻子玉とは、お尻にあると考えられた想像上の玉のことでラムネの瓶に入っているビー玉のような物で、これがあるおかげで肛門から内臓が出てこないと昔の人は考えていたのです。
人間は死ぬと筋肉が弛緩し全身の力が完全に抜けて、ついにはお尻の穴が大きく開きます。
とくに水死した場合、肛門がぽっかりと大きく開いてしまいます。
そんな溺死体を見た昔の人は、河童に尻子玉を抜かれたのだと想像したのです。
これが尻子玉伝説の始まりであるといわれています。
日本では昔から河童が牛や人間の肝臓を肛門から抜き取っていたという話があります。
江戸時代に著された『和漢三才図絵』によると「河童は牛馬を水湾に引き入れ、尻から血を吸いつくす」とあり、河童が吸血行為を行うと記録しています。
尻子玉を抜いて内臓を食べるだけではなく、尻に咬みついて生き血を吸うといいます。
河童は吸血妖怪だったのです。
水の精や水神が牛や馬を水中に引き込み、ときには血を吸う話は世界的に分布していて河童が世界に実在する証拠です。
河童は数十年の冬眠期間があり、生活の大半を土中ですごしているようです。
冬眠から目覚めた河童は非常に獰猛であるため、人間や家畜の生き血を吸い、ときには肝臓を食らうとされます。
正確にはプラズマで蒸気化させた血液を吸い取ります。
2本の小さな牙が血管に入ると、血液を気化させ るために電撃を走らせます。
その結果、ヘモグロビンの鉄分が高電流の通り道となり、最終的に鉄分が集まる肝臓を気化させてしまうのです。
肝臓を吸い取る河童の話になり、日本の河童の肝臓を抜く記述となるのです。
アメリカ軍からの河童の生態では、河童は卵で生まれ、幼生はカエルと同様にオタマジャクシです。

近年、ベルギーでも二足歩行の緑色の生物が森の沼地付近で目撃され「リトル・グリーンマン」と名づけられました。
またフランスでも、ビスケイ湾に流れ込む川原で身長約1m20cmの生物が姿を現し陸上に上がって見物人を追いかけ回した事件が発生しています。
そのときも、二足歩行する灰色がかった緑色の人間に似た生物でした。
また、南米のブラジルでも同じような緑色の生物が出現し現地の子供たちや警官に目撃されています。

1972年3月3日深夜午前1時ごろ、オハイオ州ラブランド近くのリトルマイアミ川の近隣で、ラブランド署のウイリアムス(本名レイ・ショッキー)はパトカーでリトル・マイアミ川沿いを走っていました。
その日は、寒く路面は一部が凍結していたため、ウイリアムスは慎重に低速で運転していました。
しばらくして、ふと道路脇を見ると、そこに中型犬のような動物がうずくまっていました。
こんな寒い夜に凍死でもしたのかと不審に思ったウイリアムスは車を停めると、ヘッドライトで動物を照らしました。
すると犬のような物体は、ゆっくりと身を起こすと2本足で立ち上がったのです。
犬ではない怪物だと思ったウイリアムスは言葉を失いました。
目の前には、カエルのような顔をした身長1,2mの怪物が立っています。
全身が灰色で、ヌメヌメとした粘液質の肌をし細い手足をだらりと下げている怪物は、ウイリアムスをしばらく見つめたのちガードレールを越えて道路下へ行き、そのままリトル・マイアミ川に入ると姿を消してしまったといいます。
すぐさま駆け寄りましたが、そこには滑り込んだような跡があるだけでした。
そして、それから2週間たったころ、ウイリアムスの同僚ジョンソン(本名マーク・マシューズ)がパトカーで巡回中、やはりリトル・マイアミ川沿いで奇妙な物体に遭遇しました。
物体は路上に倒れていました。
外見からしておそらく車にはねられた動物だろうとジョンソンは思い、そのままでは通行の邪魔になり危険なので彼は動物の死体をどかそうと車を停めると外に出ました。
するとその瞬間、動物の死体だと思われた物体はいきなり動き出しすっくと立ち上がったのです。
姿はまさにカエルのようでした。
このカエル男は怪我でもしているのか足を少し引きずりながら歩き出し、川の方へと向かいガードレールをまたぎ、道路下の川に飛び込もうとしていました。
このとき、何を思ったのかジョンソンは持っていたピストルを発砲しましたが弾は外れ怪物は悠々と姿を消したといいます。
立て続けに起こったカエル男出現の事件は、地元の新聞『シンシナティ・ポスト』や『ラブランド・ヘラルド』が掲載し大騒ぎへと発展しました。
地元紙『ラブランドヘラルド』がそのことを報道すると、読者から目撃証言が多数集まり、最終的にこの怪物の捕獲に賞金がかけられましたが未発見です。
怪物目撃は周囲から好奇の目で見られ茶化されたのでしょう。
カエル男について、2人は徐々に否定的な態度を取るようになります。
ウイリアムスは事件に関して発言しなくなり、ジョンソンは目にした物をトカゲだと言い張るようになりました。
この顛末からカエル男の存在を否定する向きもありますが、2人のほかにも多数の目撃者がいるのです。
昔からリトル・マイアミ川には怪物がすんでいるといわれていて、インディアンたちは怪物を「シャウナフーク」とよびます。
新聞報道を見て名乗りを上げた11歳の少年は川遊びをしているときに、カエル男に遭遇しました。
そいつは灰色のヌメヌメとした肌をしており身長は約1,2mだったといいます。
このほか、1955年5月25日、オハイオ川で3匹のカエルの顔をした怪物が出現しています。
同じ年の1955年8月21日には、そのオハイオ川でダーウィン・ジョンソンが水泳中、何者かに足を引っ張られ、足には爪で引っかいたような跡が残っていたといいます。
その生物は、全身ヌメヌメした体とカエルのような目と顔を持ち人間の子供ほどの大きさでした。
1977年4月21日、アメリカのマサチューセッツ州ドーバーの町で事件は起こりました。
ウィリアム・バートレット(当時17歳)と同じ歳の友人マイク・マーゾッカとアンディ・プロディが、ドライブ中の事件です。
夜の10時30分ごろ、ファーム・ストリートに差し掛かったとき、バーレットが左前方に続く石垣に何やら黒い影が動いているのを発見しました。
車は黒い影に近づき約6mの位置まできたとき、ヘッドライトによって徐々に塀が明るくなり影を照らし出しました。
怪物は人間に形は似ていますが怪物の頭は胴体と同じくらい巨大で、その形は楕円形のスイカを思わせました。
耳や口、それに鼻らしき物は見当たらず、ただ丸く大きな目がオレンジ色に光っていました。
胴体に対して手足は異様に細長く、手には長い指があり、しっかりと岩を掴んでいました。
体毛はなく全身が黄色がかったピンク色をしていて、目測で体長は約1,2m。
3人とも生まれて初めて目にする動物でした。
恐怖を感じたバーレットは、そのままアクセルを踏み込み現場を足早に去りました。
それから約2時間後、怪物はファーム・ストリートから北東へ2kmほど離れた地点に再び姿を現します。
翌4月22日深夜の0時30分ごろ、ジョン・バクスターが夜道を歩いていて茂みに人影を見ました。
前方約50mから、こちらをじっと見ているようでした。
バクスターはてっきり近所に住む知人だと思って、声をかけましたが返事はなくそのままバクスターは人影に近づき5mほど手前にまでやってきたときもう一度声をかけました。
すると人影はいきなり走り出し溝をつたって、そのまま道の反対側にある斜面を駆け上ったのです。
不審に思ったバクスターはあとを追おうとしましたが、見るとそいつは人間ではなかったのです。
数字の8の字に似た大きな頭に華奢で細い体に細長い手足で、上半身をあずける形で近くの樹木に寄りかかっていました。
やはり耳や口、鼻は見えませんでしたが、らんらんと輝く大きな目が2つありました。
異様な光景にしばらく動けなくなったバクスターは急に恐ろしくなって、その場を引き返すと通りかかった車に乗せてもらって逃げました。
バクスターが怪物を目撃した翌日の月23日の深夜0時ごろ、怪物は3,17kmほど離れたスプリングディル・アベニューに現れました。
目撃者のウイル・ティンターとその彼女、アビー・ブラバムは車に乗って、自宅に帰る途中にブラバムが窓の外に猿らしき動物がしゃがみこんでいることに気づきよく見ると、その怪物は楕円形の大きな頭をしており耳や口、鼻はないようにに見えました。
ただ大きな目がありヘッドライトに照らし出され目は緑色に輝きました。
体の色はベージュか黄褐色をしていました。
怪物は仰向けになって、その細長い両手と両足を上に伸ばしていました。
ブラバムは、急に恐怖が込み上げてきて思わず叫ぶとティンターに車をそのまま走らせるように指示し急いで現場を離れたといいます。
3つの事件で目撃された怪物の姿は、細部にわたって一致しています。
それぞれ独自にスケッチを描ましたが同じ形状をしています。

画像は、中央 ウィリアム・バーレットが描いたドーバーデーモンのスケッチ。
左 ジョン・バクスターが描いたドーバーデーモンのスケッチ。
事件は一気に広まり、ドーバー中が大騒ぎとなりました。
地元の新聞は怪物を「ドーバーデーモン」と名づけ、全米に知られるようになりました。
この事件以降、再びドーバーデーモンが姿を発見されませんでした。
ドーバーデーモンの正体は河童です。
怪物は2本足で歩き、背丈は約1,2m、黒灰色の皮膚や指の間の水掻き、巨大な眼、頭部から腰まで並ぶ背中の突起を持つ蛙のような容姿でした。
そして、目撃者が描いたスケッチは河童そのものだったのです。
アメリカのオレゴン州は、巨大なセコイアの樹木が林立する公園があります。
巨木の森林地帯は「レッドウッド・エンパイアー(セコイア帝国)」とよばれアメリカ国民の憩いの場となっています。
1989年8月、オレゴン州の南部、カービーに住む高校生エリック・ホスキングは、同じ学校に通う友人のウィリアム・キース、マット・グリーン、ジャック・デモンドらとともに夏休みを利用して山奥へと出かけました。
最初の数日間は、山歩きや釣り、女の子の話などで盛り上がりました。
12日の辺りが明るいころから、何者かにじっと見られているような気配がありました。
ジャックが林の中で何かの影が動くのを見たといい狼かと話していました。
エリックもまたテントの向こうに奇妙な影を見ていました。
焚き火を囲んで夕食を食べ皆で横になりながらくつろいでいたとき、エリックがふと目をやると茂みの中に何やら動く影があります。
何と焚き火の明かりに照らされて、暗闇から怪物の姿が浮かび上がったのです。
人のように2本足で立っていますが、皮膚の色は緑色で熊や猿のような体毛はありませんでした。
茂みから出している頭には大きく真っ黒な目が光っていました。
生まれて初めて見る生き物で鳥肌が立ったエリックでしたが懸命に冷静さを取り戻し、とにかく怪物を驚かさないようにそっと観察しました。
エリックははテントの中にカメラがあるとを思い出し証拠として撮影しようと考え、ゆっくりテントの中に入っていきました。
エリックの行動を見ていたジャックも、しばらくして怪物の存在に気付き思わず小さな声を上げたと、その瞬間、ほかの2人も顔を上げ目を丸くしました。
怪物はじっとして動かず、4人のほうを見ています。
やがてエリックがカメラを構え、そっとシャッターを切りましたがストロボを忘れてしまいました。
すぐにストロボをセットして撮影しようとしましたが、異変に気づいた怪物はすばやく森の中に消えていきました。
その間1分ほどだったといいます。
怪物は二度と現れませんでした。
その夜は、ショックでほとんど寝むれず、もう一泊する予定を変更してが、そのままカービーに帰りました。
後日、エリックは撮影したフィルムを現像に出し現像さてた写真を見ると、焚き火の光に照らされた無気味な怪物の姿がぼんやりと写っていました。
遠景でストロボがないためぼやけていますが、確かに何物かの頭部が捉えられています。

画像は、焚き火の光にうっすらと浮かび上がったオレゴンデーモンの写真。
下は、頭部を拡大し、色調を変えた物。
毛髪のない丸い頭部と大きな目が確認できます。
証言によると、この怪物は人間のような姿をしていました。

2001年4月、インドのニューデリーに現れたモンキーマン。
夜中に得体の知れない小人が家に侵入し寝ている人々を次々と襲う事件が突如発生し、インド中がパニックとなった事件です。
驚いて建物から転落して死亡した人が4人、負傷者は50人にもなりました。
真相は明らかになっていなません。
目撃者によると、小人はサルのような姿をしており、鋭い爪でした。
目撃証言の中にはヘルメットをかぶっていたように見えたともあります。
身長は約1,2mですが、驚異的なジャンプカで建物から建物へと移動します。
さらに、モンキーマンはムノチュワとよばれる特殊な火を放ちます。
火の色は赤もしくは緑色をしており、直径20cmくらいのボールのようであるといいます。
これらの目撃証言は、明らかに河童と特徴を示しています。
ヘルメットをかぶっているように見えたのは、頭髪がなかったからで、猿と表現されたのは、その姿がヒトに似ており、かつ身長が低かったからです。
河童が地方によってはエンコウ、すなわちサルの一種として扱われていることから分かるように河童はしばしばサルと誤認されます。
驚異的なジャンプカは両生類、とくにカエルのような足腰を河童が持っていると思えば理解できます。
しかもプラズマを発生させて飛翔していたならば、建物から建物へとすいすい移動できたはずです。
そして、モンキーマンは河童と同じく動物の血を吸い、プラズマの火の玉を発生させます。

1985年8月1日、長崎の対馬で奇怪な事件が起こりました。
釣りを日課とする城崎竜作(当時71歳)は、夕釣りを終え自転車に乗って自宅への帰り道で、自宅が見えるというとき、前方およそ30mほどの地点に動く物体を目撃しました。
身長は約1m、ほっそりとした手足で、子供が素っ裸で歩いています。
裸の子供は右手の茂みから出てきたかと思うと、左手の草むらへ駆け込み、そのまま久田川の中へ飛び込ました。
対馬では夜釣りは珍らしくないの、で気にも止めず家路につきました。
翌朝5時ごろ目覚めた城崎は、いつものように朝釣りに出かけました。
そして、昨日の現場に差し掛かったとき、濡れた足跡のような黒っぽい染みが約50個も点々とついているのを発見しました。
お船江という入り江の淵から昨晩子供が茂みに隠れた辺りまで20mにわたって足跡が残っています。
そして、朝釣りを終えて戻ってきた城崎は、その現実に唖然としました。
足跡がまだ残っていたのです。
真夏の炎天下の中、ただの足跡が朝見たときとまったく変わっていないということはありえません。
城崎はその足跡に触ると乾いてはいるもののヌメっとするような茶褐色の液体が指に付きました。
足跡は長さ23m前後、幅10cm前後、どれも三角形、形はイチョウのようで、水かきのある3歩指をしていました。
城崎は、もしかしたら、昨夜見た子供が残したとしたら、それは人間ではなく河童だったのではないかと思いました。
事件の現場は昔から河童が現れる言い伝えがあり、河童を見た人が何人もいたのです。
城崎は町役場に勤める息子に一部始終を報告し河童出現の噂で厳原町(いづはらまち)は騒然となりました。
役場と警察の人間が現場を検証した結果、同じ足跡が久田川の対岸の道にもあることが判明しましたが、粘液の分析はできませんでした。
この事件はマスメディアが大々的に報道するにおよび、全国的に知られる河童騒動となりました。
昔から河童に遭遇した人は一様に体調に異常をきたしています。
河童の電磁波攻撃を受けて自律神経がやられたのです。
また、対馬のお船江という入り江では、しばしば海中に虹色の光が現れ、河童の仕業に違いないと地元の人々はいいます。
この光に近づいて気分が悪くなった人もいて河童が発生させるプラズマの火の玉です。
対馬の南には龍良(たてら)山があり、「山童(やまわろう)」が生息しています。
山童は河童のことです。
そして、対馬事件から7年後の1991年6月30日、全国的に見て河童の目撃が多い九州の宮崎県で再び河童騒動が起こりました。
その日、西都(さいと)市三財(さんざい)に住む松本貢(当時56歳)は買い物から戻り、鍵のかかっていた玄関の扉を開けました。
そのとたん魚が腐ったような生臭いがしました。
彼が家の中で見たのは、床一面に広がる泥のような茶褐色をした足跡でした。
最初、松本は空き巣が土足で侵入したのだと考えました。
足跡を観察すると、長さはわずか12cm、幅は10cmなので、歩幅が60cmでした。
足跡の形は、ちょうど三角形をしていて、3本の指と水掻きがあるようにも見えました。

足跡の主は人間ではない何か得体の知れない者かもと思った松本は、すぐに近くの駐在所へ通報しました。
松本宅にやってきた警察官は現場をつぶさに観察し盗まれた物がないと確認し足跡に注目しました。
本来、泥棒は家の中忙侵入したら、貴重品がありそうな所へ直行しますが、この足跡はそうはなっていなく少なくとも空き巣の足跡ではないのです。
警官が考えられるのは、松本が出かける前に汚れた足で家中を歩き床に足跡が付いたと知らないまま出かけたのではないかというのです。
松本は、午前中に庭掃除をしたので警察の指摘になんとなく納得しましたが、警察が帰ったのちに新たな事実が判明しました。
侵入者の足跡は粘着質の液体で付けられており、拭いてもきれいに落ちません。
まるで粘液を体中に分泌する動物が緋徊したようでした。
松本は、何らかの動物が自宅に侵入してきたのではないかと考え、彼は動物を特定するために足跡の粘液を採集し、宮崎県日南(にちなん)保健所に持ち込み検査を依頼しました。
その結果、足跡の粘液には大量の鉄分が含まれていることが分かりました。
こうした鉄分は、自然界では一般に涌き水や小川の底などに沈殿しています。
このことから、謎の生物は家の周囲を流れる農業用水路もしくは裏山から流れる小川を通ってきたと考えられます。
この宮崎の河童家宅侵入事件で、床一面に残された粘液上の河童の足跡は現在でも消えずに、松本氏宅に残されています。
1995年、フジテレビ系制作会社のスタッフは、ラジカセから採取した粘液を宮崎工業試験場に持ち込み、精密な分析を依頼しました。
当試験場は、これを電子線マイクロアナライザという最新機器で精密分析しました。
分析の結果、鉄と塩素が大量に検出され、粘液の主成分は「塩化鉄」であることが判明しました。
黒茶色をしていたのは、塩化鉄(Ⅱ)が塩化鉄(Ⅲ)へと変化したのが原因でした。
埼玉大学理学部の町田武生教授によると、このような成分を分泌する生物は知られていないといいます
松本氏は、足跡の写真をフェニックス自然動物園の関係者に見せて意見を聞きましたが、答えは正体不明といわれました。
あまり似ていませんが形としては鳥類が考えられ、カラスの足跡ではないかと指摘する人もいます。
しかし、侵入者の足跡と同じ形状をした鳥の種類は存在しないといいます。
松本氏は、科学的な分析はこれまでで、あとはスピリチュアルな方法でも試すしかないと考え、試しに霊能者に診てもらいました。
霊能者は正体は河童だといい、今では松本氏も納得しているといいます。
異臭は残念ながら、それらしき成分は検出されませんでした。
サンプル自体がすでに4年近くたっていたせいか臭いの成分はなくなっていたのです。
強い臭いの元は揮発しやすい性質があります。
密封した容器に入ってなく露出していた状態では、すでに揮発して拡散していたのです。
河童は異様に生臭くて、その屍を嗅いだら卒倒してしまうともいわれます。
臭いの原因が、体から出る汗や分泌物であると考えられます。
窒素系の化合物、アンモニアが含まれているのでしょう。
アンモニアは揮発性で粘液に含まれていたとしても短時間で蒸発してしまいます。
松本は家に入ったとき、生臭い異臭がしたと証言しています。
こうした揮発性の物質を放出することでほかの生物に不快感を与えることは、生物学的に天敵を遠ざけることを意味します。
河童は全身が粘膜でおおわれています。
地球上において、粘膜により体を保護している生物は両生類しかいません。
そして、この事件で興味深いのは部屋への侵入路がない事実です。
密室状態の部屋に入ることができるのはプラズマ以外にはありません。
河童がプラズマを発生させて壁をすり抜けてきたのです。

沖縄には昔から「キジムナー」という川原に住む生物が目撃されており、その特徴は5歳程度の子供の大きさで、くすんだ灰色がかった赤色の体と4本指の手を持ちます。
沖縄の河童であるキジムナー(ブナガヤ)は、今でも目撃事件が発生していて実在性の高い動物として地元では認識されています。
キジムナー研究家の山城善光(やましろぜんこう)は、キジムナーは、未確認の動物だとして実在を証明するために、キジムナーを見た35人もの証言をまとめて『ブナガヤ実在証言集』という本にしました。
その中から典型的な事件を1つ紹介します。
1932年8月、山城善貞氏が喜如嘉(きじょか)で体験した話です。
梅雨のように蒸し暑い夜に山城氏は友達の4人と小屋に泊まっていると、外が瞬間的に明るくなりました。
それは火の球のようでした。
4人のうち3人が外に出ると、川岸の木々を照らす火の球の光がまた現れました。
何の光か不思議に思った3人は、そっと光に近づきました。
すると突然、川の中を何者かが走る音がし見るとそこに現れたのはキジムナーでした。
キジムナーは3人に気づいていないようでした。
そこで3人は裸足になってそっとキジムナーを追い、キジムナーは50mくらい先にある堰(せき)付近で止まりました。
3人との距離は、約15mで、キジムナーの動きが見えるようになりました。
キジムナーは体長は50~60cmで体は濃い紅色をです。
キジムナーのそばには火の球が灯って浮遊していました。
火の色はオレンジ、もしくは青色で大きさは提灯ほどもありました。
3人は、そのまま1時間以上もずっとキジムナーを見て、はっきりとその姿はおぼえているといいます。
こうした具体的な目撃者35人の証言をまとめると、キジムナーの色は赤から赤茶色ですが体毛はほとんどありません。
その代わり頭部に毛髪のような物があるケースと、そうではなくまったく無毛のケースがあります。
毛髪がある場合は、ザンバラで茶髪だとの証言がほとんどです。
川の近くか樹木に掴まっていて、手の指は4本で指の間には水かきがあります。
そして近くに浮遊する火があるのです。
人々はブナガヤ火と呼んでいて夜中にははっきりと見えます。
ブナガヤ火は実際に高熱を発しており触ると火傷をします。
キジムナーと遭遇して体に火傷を負ったケースは少なくありません。
キジムナーと同類と考えられる奄美諸島のケンムンも目撃事件が多いです。
現在でも喜如夏や石垣島や久米島では、キジムナーの目撃者が相次いでいます。
奄美諸島には、沖縄のキジムナーと同じ特徴を持つ「ケンムン」という生物が生息するとされています。
ケンムンは、ガジュマルの木にいて全身を赤い毛におおわれ、身長は約1m。
顔つきは犬にも猫にも猿にも似ており、頭には河童のように皿があるともいわれています。
性格は、いたずら好きで相撲が好きで、人間と出会うと勝負を挑んきたりもします。
好物は魚の目玉で、嫌いな物は夕コです。
本来はおとなしいですが、生息域を荒らす人間には危害を加えることもあるそうです。
そして、ケンムンが歩くと竹筒で突いたような穴が残るといいます。
1986年11月16日には、鹿児島県の奄美大島、龍郷(たつごう)町に住む里山勇広氏が奄美大島の砂浜で小さな足跡を発見しました。
直径約10cmの丸い窪みが500mも続いており、地元の民俗研究家によって、ケンムンの足跡ではないかと分析されました。

画像は、左から、ケンムンの想像画、1986年、2010年のケンムンの足跡
2010年1月16日には、奄美市名瀬朝仁(なぜあさに)の貝浜(けばま)海岸で同様の足跡が見付かり「ケンムン出現」と話題になりました
発見者は奄美市名瀬、長浜町に住む有馬康文(当時65歳)で、同日午後2時ごろ、有馬はクジラが漂着したと聞いて向かった貝浜で人が歩いたように点々と続く丸い窪みを発見しました。
直径約5cmの窪みが20cm間隔で、山側から波打ち際まで約25mも続いていたのです。
二足歩行の足跡で窪みのいくつかは指により3つに分かれており、人間による足跡ではありませんでした。
貝浜は元は「ケ浜」と書き、ケンムンが目撃されることからこの名がついたともいわれています。

2002年12月、アメリカのミズーリ州ケープグラデュー近くにある墓地に現われたとされる河童らしき画像

2011年、ブラジルのマナウスでイギリス人らの観光客によって撮影されました。
河童の近くにプラズマがあります。
河童の名前の意味
現在、熊本県八代市を流れる球磨川(くまがわ)の河口付近には、1945年(昭和20年)に地元の有志によって建てられた大きな石碑が1つあります。

そこには、熊本地方の河童の由来について、記されています。
「ここは千五六百年前、河童が中国方面から日本に来て、住みついたと伝えられる浦(うら)である。
この二個の石は、カッパ(ガラッパ)石とよばれ、三百五十年前、木の橋石であった。
この石がすり減って消えてしまうまでいたある日いたずら河童が、附近の人に捕らえられたとき、いたずらはせぬと誓い、年に一度の祭りを請うたので住民がこの願を諒(りょう)とし、祭を当日の五月十八日と定めて『オレオレデーライタ川祭』と名づけ祭を行っている。」
石がすり減ってしまうまで悪さをしないという話は、類例がいくつもあり珍しくはありません。
注目は、一行目で、今から1500~1600年前の紀元5~6世紀ごろ、八代湾、現在の有明海の彼方から河童がやって来たというのです。
囃子(はやし)言葉「オレオレデイライタ」は、ポルトガル語で「オーレオーレデーライター」と発音し、その意味は「さあさあ、河童渡来の碑みんなで遊びましょう」となります。
まさに祭りの囃子言葉としてはぴったりです。
ポルトガル語と河童は、どう関係するのでしょうか。
河童の漢字は、なぜカッパと読むのかに関係しています。
合羽は、ポルトガル語で上着を意味する「capa」からきてます。

安土桃山時代(1573年‐1603年)の絵画に描かれたポルトガル人やスペイン人が一様にマントのような上着を着ていますが、これが合羽です。
多くの庶民が合羽を目にするようになったのは、主にイエズス会の宣教師が町を歩くようになってからです。
来日した西洋人の中ではポルトガル人宣教師が最も多かったと思われます。
ポルトガル人宣教師たちは、カトリックのキリスト教を広めるために積極的に町や村に出向き人々と接しました。
言葉の分からない相手にポルトガル人宣教師は身振り手振りでコミュニケーションを図ろうとしたでしょう。
西洋人を見たことがない当時の日本人にとって、ポルトガル人は紅毛金髪で目が青く尖った高く長い鼻に異様な着物と驚きだったでしょう。
当時の絵画を見ると西洋人は鬼か天狗のような容貌として描かれています。
ポルトガル人宣教師と遭遇した日本人は、彼らは何者かと疑問に思ったはずです。
そこで、彼らはポルトガル人宣教師に向かって指を指して、あなたは何者かと聞いたのでしょう。
日本語が分からないポルトガル人でも指を指されれば、彼らが何かを尋ねているか分かるでしょう。
日本人はポルトガル人を指していたつもりが、ポルトガル人は自分たちが着ている物を指差されたと勘違いしていたとして「カッパ」と答えたと思われます。
これを聞いた日本人は、ポルトガル人宣教師たちの名前が「カッパ」だと誤解しました。
やがて噂は広がりカッパという言葉は伝言ゲームのように伝わり広がり、ついには異様な姿をしたポルトガル人は妖怪として理解され、その名前がカッパと考えられるようになったのです。
噂や伝聞は誇張や誤解を含み話す相手を驚かせようとする心理も加わり、ポルトガル人は妖怪として伝聞され、やがて妖怪の河童と混同されていきました。
これが河童の漢字をカッパとよぶ起源です。
河童の姿の真相
河童は頭の皿が乾くと、とたんに弱くなり、死んでしまうこともあるといわれています。
そのため、頭のお皿に水をかけると元気になります。
これはカトリック教会のバプテスマです。
カトリック教会に改宗した人は、水をかけます。
正式なバプテスマは本来、体全体を水に沈めます。
頭に水をかける洗礼は「滴礼式 (てきれいしき)」といって、時間短縮、簡略化したカトリック教会が作り出した儀式です。

このカトリック式のバプテスマで頭に水をかける姿は、河童の頭の水かけとして河童の伝説に加わりました。
カトリック信者が頭のてっぺんを剃りトンスラにしていた頭に水をかける姿は、河童のお皿に水をかける光景なのです。
そして、洗礼をされた者はキリシタンとして生まれ変わるのだから喜びでに生き生きしているのでしょう。
カトリック教会の教義や儀式を知らない人にとっては、水を頭にかけられただけで、元気に様子が変わってしまうのを不思議に思ったはずです。
河童の最大の特徴は、頭にあるお皿です。
1549年に来日したフランシスコ・ザビエルの頭も頭頂部が禿げていました。
これはわざと頭頂部だけ、髪の毛を剃っている髪型です。
イエズス会の宣教師も頭頂部を剃る髪型をポルトガルで「トンスラ」といいます。

トンスラは古典ラテン語(紀元前1世紀ごろ~紀元2世紀ごろまでの古代ローマ(共和政ローマ、ローマ帝国)で実際に使われていたラテン語)です。
1972年にトンスラは公式に廃止されました。
トンスラはカトリック教会の聖職者の印で、カトリックの信者が司祭になる修行の中での通過儀礼として行われます。
「NEW CATHOLIC ENCYCLOPEDIA(新カトリック百科事典)」の「TONSURE」(トンスラ)の項目には「(訳)聖職者になった印として頭頂部の毛髪をすべて剃ること」と書かれています。
髪の毛を剃る行為自体は、髪の毛を気にしてよく見られたいという煩悩を捨てることや俗世間を断ち切る意味で、仏教の僧侶などキリスト教以外のさまざまな宗教でも見られる行為ですが、頭頂部だけを丸く剃ってしまう理由としてはキリストの頭に巻かれていたいばらの冠の形を想像して似せたとの説が有力です。
しかし、実際のいばらの冠は頭をおおう帽子状の形です。
当時の日本人にとってポルトガル人宣教師のトンスラが、伝聞していく間に河童の無毛の頭と混同したのです。
また河童の目は大きく、顔は尖っており犬のようだとも表現されます。
これもポルトガル人の顔の彫りが深く、高い鼻をした西洋人の容貌と一致します。
当時はほとんどの日本人が見たこともない外人は、とかく妖怪として表現される場合が多いのです。
ポルトガル人宣教師の姿をまだ見たことがない人に説明するとき、目が大きくて顔が尖っており頭のてっぺんが禿げていると描写したら、現在の伝えられる河童のような姿を思い浮かべるでしょう。
キュウリは、河童の好物中の大好物とされています。
どうして河童はキュウリが好きなのでしょうか。

キュウリはウリで、ウリは「水」の象徴だからです。
中国では天帝がウリを割ったところ、そこから水が出て夜空の天の川になったという伝説があります。
これは天帝の娘である織姫と彼女を追ってやって来た彦星の間を引き裂くためにした天の川になったというのです。
大河によって引き裂かれた2人でしたが、7月7日の夜だけは会うことが許されたという話です。
実は、この七夕の節句は水のお祭りでもあります。
天の川に見立てた川に川を支配する神様へのささげ物としてウリやキュウリを供え流すのです。
天の川がウリを割った水でできたように、地上の河川ではウリやキュウリを流すのです。
本来、ウリやキュウリをささげる対象は天帝ですが地上の河川を支配している水神様は河童です。
キュウリは河童にささげられるのです。
この一因から河童はキュウリ好きというイメージが生まれました。
七夕のお祭りの際、お供えとして出されるのはキュウリのほかにナスやカボチャで、いずれも河童の好物だとされます。
旧暦の7月7日は野菜の初物が収穫される季節で河童がキュウリの初物が好きだというのも、この点に理由があるのです。
そしてポルトガル人宣教師を河童と混同しました。
ポルトガル人もキュウリを食べます。
キュウリの原産はインドで西洋に伝来したのは日本よりも古くローマ帝国ではキュウリを日常的に食べていました。
とくにヨーロッパではピクルスとして食べられていました。
ポルトガル人宣教師もポルトガルから保存食としてピクルスを持ってきたのでしょう。
日本のキュウリを使ってピクルスを作ったかもしれません。
現在は日本は1人当たりのキュウリ消費量は世界一ですが、当時はそうでもなく江戸時代に書かれた『農業全書』にはキュウリを下等の瓜であって賞味して食べる物ではないと記されています。
また江戸時代中期の1713年出版の挿絵入りの百科事典『和漢三才図会』には、多食すれば害多く益少なしとまで書かれています。
キュウリを好んで食べるポルトガル人宣教師を見て、当時の日本人は、どうしてそんなまずい物を食べるのだろう、よほど好きなのかと思い変わった特徴として伝聞していったのでしょう。
これも河童のキュウリ好き伝説の一因です。

江戸時代以降の河童の姿は、頭に皿があり、クチバシが尖り、甲羅を背負う水神として描かれます。
この河童は、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を示した「四神相応」の構図を示しています。
俗にいう「風水」です。

「東=青竜=水神の使い」「西=白虎=河童の別称の水虎」「南=朱雀=鳥のクチバシ」「北=玄武=亀の甲羅」 。
これらを集合させた姿が河童の姿になるのです。
江戸時代に描かれた河童は、天の四方を表す象徴として陰陽道の使い手、陰陽師が作ったものです。
ユダヤ密教(カバラ)が基である陰陽道の裏の陰陽道の名を「迦波羅(かばら)」といい、音写でユダヤ密教「カバラ」のことです。
また、サンスクリットの「カパーラ(kapla)」の原意は「皿」で、サンスクリットの「サラ(sara)」という言葉は「本質」の意味です。
つまり末日聖徒イエス・キリスト教会の忠実な教会員の聖徒に向けてこう教えています。
未来において、サタンの秘密結社は、カッパを用いて真理をくらまし人々をだます。
しかし、聖徒は福音と啓示により本質を理解せよ。
象徴を込めたようにカッパは、地球の真のイエス・キリストの教会に関係している。
秘密結社は宇宙船の乗員を悪者とする。
しかし、真実は宇宙船の乗員はアルザルにあるイエス・キリスト教会の教会員である行方の知れない10部族である。 (参照)
<転載終了>
グレイタイプの宇宙人のイメージの大衆への植えつけは、SF映画『2001年宇宙の旅』に登場するスターチャイルド、映画『未知との遭遇』に登場する宇宙人などがあります。
実はアメリカの映画の中には、政府の大衆心理操作のために作られた部分や作品があります。

画像は「2001年宇宙の旅」に登場するスターチャイルド

『未知との遭遇』はスティーブン・スピルバーグ監督とUFO研究家として知られるJ・アレン・ハイネック博士が監修を行いました。
基本的にストーリーはフィクションですが、随所に散りばめられた遭遇シーンは実際に報告されたUFO事件を基にしており、単なるSFにとどまらない作品として当時は多くのUFO研究家から高い評価を得ました。
実際に起こったUFO事件が基になっているとあって、最後のクライマックスに登場するグレイ・タイプのエイリアンは多くの人に異星人実在のリアリティを抱かせました。
真理に基づかない唯物論や進化論という実証がない仮説を前提にした場合、ヒトは旧人ネアンデルタール人から、その先は原人ホモ・エレクトス、猿人アウストラロピテクス、類人猿とさかのぼり、哺乳類の先祖とされる原始的なネズミから進化したと説明されます。
当然ながら現生人類もまた、今後進化していきサルの体毛が少なくなりヒトになったように、ヒトもまた将来、体毛が少なくなることは予想され、野性的に体を使う場面が少なくなる一方で頭脳労働が多くなるため、体は華奢になり、反対に大脳が肥大化し結果的に頭部が相対的に大きなスタイルとなると想像されています。
進化は常に胎児の姿に似てくるというネオテニー(幼形進化)の思想からすれば、まさにグレイは現生人類の未来像と重なってくるというわけです。
グレイは高度の科学力を持っているので地球人類より身体が進化しているとされ、人類の進化形の身体で頭でっかちの華奢な身体と思われているのです。
進化論のうそ

『未知との遭遇』では異星人は裸です。
実際のグレイは薄いスーツを装着しているという反論はありましょうが、ヘルメットや宇宙服を着ていないのはおかしいです。
彼らは平気で地球の空気を吸っています。
空気中にはさまざまなウイルスが多く存在します。
地球人が平気なのは、免疫を持っているからです。
そして、免疫を持っていたとしても短期間に変異を繰り返すウイルスの脅威に人類は常にさらされています。
地球の空気を吸ったことのないほかの惑星の生物が突如、この地球にやってきて、ヘルメットもなしで活動するなど生物学的にありえないのです。
グレイに関係するといわれる事件の証言者や、その特徴的な姿がテレビ番組などのメディアを通じて露出が増え次第にグレイが宇宙人の代表的なイメージになっていきました。
そのシンプルでインパクトのある容姿のせいかCMに起用されたりと各方面でキャラクターとしてグッズ展開される現象も起きています。
1980年代後半から一般に知られるようになったアメリカ発のエイリアンのグレイがアメリカ政府と密約して地球人を実験材料にして被害を与えたりしているという「グレイ陰謀論」があります。

グレイに襲われた被害者の中には、グレイが人間の入った着ぐるみだったとの証言をしている人がいます。
「グレイ陰謀論」は軍事目的のための組織的演出だったのです。
軍事目的の1つはインプラント技術などの民間人を狙った生体実験や秘密兵器開発を隠蔽することです。


近年、欧米を中心に少なからず存在するアブダクション(誘拐)の事例報告は年々世界で増えています。
フィクションであったことが解明された例も増えています。
いずれの場合も証言のみで物的証拠に欠けるため科学とは認められていません。
体験者によるとUFOによりUFOの中に誘拐され、医学的な手術を受けたり、小さな機械を埋め込まれたり、実験や研究の対象となったという証言、場合によっては性行為の対象となったという報告もあります。

異星人に誘拐されたと主張する人々の「アブダクティー」とよばれる彼らの体験告白には、ある共通する奇妙な事実があります。
それは彼らを連れ去ったという異星人の顔つきです。
それぞれまったく面識のないアブダクティーたちが、まるで言い合わせたかのように、異星人の姿を特徴的な共通点の毛のない楕円形の頭、不釣り合いに大きな目、細く尖った顎に、小さい鼻と口、そしてグレーの皮膚に小さな身体を持つ似通った姿で描くのです。
米国空軍アカデミーの心理学者フレデリック・マルムストーム博士は、この問題に新たな見解を示しました。
マルストームが発表したその見解とは、異星人の顔は自分の母親の顔だといいます。
マルストームによれば、この原型的女性の顔、それは人間が生まれるときすぐに自身の母親を識別できるよう、生まれながらに持ついわば、雛形とでもいうべきイメージであるといいます。
確かにこれまでの研究において、あらゆる動物は生まれてすぐに母親を識別し生存することができるよう、生来的に視覚的原型の認識を持って生まれると判明しています。
たとえば生まれたばかりのヒヨコは生まれた直後でさえその捕食者の影を見れば怯えるのに対し、逆にガチョウのような非捕食者、あるいは鶏と似た姿の鳥の影を見た場合は何ら恐怖を示しません。
これは人間にも当てはまり人間の幼児はやはり生まれながらにして人間の平均的な顔に反応するといわれます。
かつて行われた研究では、生後2か月の幼児は、それがハロウィンのマスクであろうと人間の顔に似た物には特別に好意的反応を示すのに対し、そのほかの形にはまるで興味を示さないと判明しています。
そして今回、マルムストームが新生児がその誕生時に得る視覚的作用(乱視、ぼけた焦点)にしたがって、女性の顔写真を変化させた結果、それはあの巨大な眼を持つエイリアンの顔に酷似していると判明したといいます。

左が本来の女性の顔、右は誕生間もない新生児の視覚的影響に基づいて加工を施した女性の顔。
眼と鼻で新生児のぼやけた視覚では、顔面の特徴はぼんやりとぼやけ眼は大きく真っ黒な点になってしまうのです。
なぜ彼らアブダクティーは皆共通して母親の姿を見るのでしょうか。
それはアブダクティーが誘拐されたという入眠時、そしてその体験を想起する催眠に関係しているといいます。
実際、アブダクティーが半睡眠状態で見た、あるいは催眠状態下において想起した対象は研究対象として十分信用できます。
またこの半睡眠、半覚醒時における状態を入眠夢状態と呼びますが、これは催眠状態と同じ特徴をとても多く有しています。
そして、この状況下においては精神は人間の誕生時と同じように外的環境を理解しようとする段階へと回帰するので原初的顔の雛形認識が想起され、それが異星人の顔の虚偽記憶を生み出すのです。
虚偽記憶とは誤った催眠療法の誘導によって捏造された実際には起っていないはずの出来事に関する記憶(エピソード記憶)です。
ハーバード大学の心理学研究者スーザン・クランシーは、確率からすれば誰でも宇宙人に誘拐されたと主張する人を1人以上知っていてもおかしくないと考えています。
こうした話をする人々は、精神病院のやっかいになるような人々ではないというのです。
「こうした人々は精神異常ではない」と語るクランシーは、ハーバード大学の博士研究員で、誘拐体験の心理学的根拠を初めて分析した『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』の著者です。
クランシーは、好色な異星人、UFOの中で行われた「診療」や異界の探訪など、無数にある話に何らかの信憑性を与えているのではありません。
クランシーは誰も実際には地球外生物に誘拐されていないと語ります。
その代わりにクランシーは、睡眠時の幻覚、暗示にかかりやすい生来の性質、世界を説明したい根源的な人間の要求というほかの原因を挙げています。
ここでは大衆文化も大きな役割を果たしています。
クランシーは、誘拐されたと主張する約50人にインタビューし、そこから説明の大部分を導き出しました。
また、クランシーは新たな発見を付け加えています。
多くはレイプなどの恐怖が消えないにもかかわらず、その体験を後悔していないのです。
各事例ではアブダクション体験によって「当人の人生が変容し自分自身やそれぞれが生きる世界を前よりも好ましく感じるようになった」とクランシーは語ります。
クランシーは人々が「特異な思い込み」を形成していく過程を理解する手段として、アブダクション体験を研究している数少ないアメリカの研究者の1人です。
自分は宇宙人に誘拐されたと考えているアメリカ人の数を正確に知れませんが、世論調査によるとアメリカ人の約4分の1は地球外生物が地球を訪れたと考えているといいます。
アブダクティーの多くがその体験をラジオやインターネットで喜んで語る事実がある一方、精神異常者と見なされるのを恐れて自分の体験を秘密にする人々もいるとクランシーはあるインタビューの中で語っています。
全員が起きたことを詳細に記憶してはいません。
実際、誘拐されたと考えている人々のうち、細部にわたって体験を覚えているのはわずか10%でした。
そのほかの人々は、ちょっとしたこと、謎めいた打撲傷やぼんやりとした感覚を証拠と考えて異星人に襲われたに違いないと判断するのです。
多くの人は打撲傷を見つけたとき、知らない間にどこかにぶつけたのだろうと考えます。
また普通の人は、自分の尻から何か落ちても、誘拐されて肛門を検査されたときの何かが残っていたのではないかとの考えから分析を依頼したりはしないでしょう。
あるアブダクティーは実際に研究所にサンプルを送り、正体は痔核だったとの分析結果を聞かされても信じようとしませんでした。
しかし、こうした説明を聞いても「呪術的」思考と暗示の影響を受けやすい想像力に富んだアブダクティーたちは納得しないのです。
実際、アブダクティーは偽の記憶を植えつけられやすい人々と研究によって確かめられています。
一部の人が経験する一種の金縛り状態の際に現われる幻覚がきっかけとなって妄想が作り出されます。
とくに想像力豊かな人が幻覚を説明しようとするとき、世間に広まっているアブダクションを想像するのです。

オアフ島の州都ホノルルと八ワイ島の両方に診療所を構える、脳神経専門の医師マイケル・B・ラッソ博士の診療所には、自称アブダクティーたちが多く訪れます。
ラッソ博士は脳波マッピング用の高密度脳波計測機(DEEG)でアブダクティーたちの脳内電気活動を調べた結果、アブダクティー全員の頭頂葉(脳の両半球・大脳皮質の頂上部分)に、同じ異常が見つかりました。
ラッソ博士は次のように述べています。
「脳のこの領域は、視覚と聴覚のデータを統合してより高次の思考領域に情報をあげ、前部前頭葉が事実の情報として認識する。
だが、頭頂葉それ自身が内在的な視覚・聴覚的データを創造し、前部前頭葉がそれを事実として認識してしまう可能性もある。」
ラッソ博士はこの症状が、事故でトラウマ的外傷を脳に負った患者と酷似すると述べています。

実際にわずかな人数ですが、体の手術跡などの物的証拠がある証言もあります。
アメリカ国家の機密文書の中に「アブダクション・ケース」と記された膨大な極秘資料が存在します。
そこには1970年代後半~80年代末にかけて78名もの女性がアメリカ軍によって強制連行されたと書かれてあります。
1970年代から頻繁に発生しており、ほとんど女性に絞られているのには軍のバイオ技術の研究に人間の女性の子宮が必要だからです。
それも生きたままの子宮が絶対に必要で実験の段階も女性の子宮を使ったおぞましいバイオ実験が本格化してきたからです。
1970年代末には、犬や猿の受精卵を雌から抜き出して人の子宮に移植させる実験が行われていました。
最初は哺乳類の受精卵が移植されていましたが、のちには別種の動物の遺伝子のDNAを掛け合わせた人工的な異生物の卵子も使われています。
また逆に人の受精卵を、馬、牛、犬、オランウータン、チンパンジーの子宮に移植させて実際に子供を生ませることにも成功しています。
動物の種類によっては、人の子宮への移植後数か月で再び子宮から取り出す場合もあり、そののちは人口培養器で育てます。
そうしないとゴリラやポニーなどの胎児が人の子宮を突き破ってしまうからです。
実際にそれで子宮が破れて破水と裂傷による大量出血で死亡した女性が3名いたことが記録されています。
実際にほかの動物の卵子を人の子宮に移植はできます。
子宮は人間にかぎらずほかの動物でもこの中だけは治外法権であって拒絶反応が起きないのです。
1980年代後半には、人とゴリラのDNA結合卵子を雌馬の子宮に移植して子供を誕生させましたが、誕生後数分で無呼吸状態に陥り窒息死しています。
さらに、人のDNAとカエル、猿、うさぎ、コウモリ、犬、猫、ライオン、ゴリラなどの数多くの異種生物のDNAと掛け合わせるだけでなく、その卵子を人の子宮に戻していました。
現在は、さらにバイオ技術が進んでいます。
もう1つは、本当のUFOの乗員の人々の正体を誤解させて隠すためです。
アメリカ軍にとって「グレイ陰謀論」は、強力な隠蔽の道具なのです。
「グレイ陰謀論」のほとんどは、元アメリカ軍人と名乗るいかがわしい連中からリークされた話ばかりです。
アメリカはもともと地球に住んでいた未知生物を「異星人グレイ」として利用しました。
グレイの特徴は、子供程度の大きさで、白目のないアーモンド型の目と大きな頭部を持ち性器が表面上は見当たらず細い手足で二足歩行する点です。
体の色は灰色がかったピンク色か淡い緑色で、4本指で水かきのある手と3本指だが水かきでおおわれた足(指がないように見える)を持っています。
グレイの正体
4本指で水かきを持つグレイはほかの天体の知的生物ではなく地球産の両生類です。

グレイは、日本では「河童」として伝えられています。
「河童」とは文字どおり「河の童子」で、分類的には河に住む童子型妖怪といわれます。
伝承や昔の記録や目撃談から河童のイメージは、体長は成人の人間に比べると小さく1m前後の人間のような姿をしています。
資料によっては、5~7、8歳、10歳以上の人間の身長という表現もあります。
日本以外にも河童はいて、ヨーロッパでは主に河童は妖精の類いとして扱われます。
水辺の妖精は馬を引きずり込むなど、日本の河童と性格が同じです。
実際、妖精を目撃した人のスケッチを見るとグレイそのものです。
ヨーロッパにおける河童は、主に妖精や森の小人として伝説の中で語り継がれてきたのです
ドイツのワッセルやイギリスのニクス、ニクシーは、まさに河童です。
物語の中でかわいい人間のように描かれていますが、ダンスをして人を水の中に引き込むなど客観的なデータだけを眺めると河童なのです。
インドネシアのバリ島では、トーニョという人に少し似ていて不釣り合いなまでに大きな頭とやせ細った体で古い川や湖、海辺などに住んでいます。
住処の水辺で遊んだりすると怒って足を引っ張るといわれます。
ロシアでは、民話に登場する水辺の妖怪で「水(ヴォダー)の怪物」の意味で、ヴォドニク、ヴォジャニク、ヴォジャノーイ・チョールトなどともよばれます。
スラブ系諸族の国には河川小沼の底深く水男をいう呼び名で総称される水の精がいて、チェコ(ボヘミア地方)ではヴォドニクといいます。
水にいる間は強く、陸に上がるときわめて弱くなるといいます。
ペルーを流れる河川でアマゾン川の源流の1つウルバンバ川には、子供に悪戯するラナーという大きくて足の長い蛙みたいな姿形をした妖怪がいます。
マネギシはネイティブ・カナディアンのクリー族に伝わる伝説の小人で「ガホンガ」ともいわれます。
細長い腕、頭は身体に対してとても大きく、大きな目を持ち、頭髪や鼻はないといわれます。
マネギシは小柄なため、ある種かわいらしい印象を受けますが、クリー族にとっては恐ろしい生物として描かれています。
マネギシは2種類いて、人間に友好的な種類とそうでない種類がいるとの説もあります。
マネギシは岩場のある早瀬の近くに生息して、川下りをするカヌーを転覆させて溺死させるといわれています。
このように国柄や文化によって妖精や森の小人とされている生物の中には河童が含まれているのです。

左 絵画に描かれたイギリスの妖精パックは、いたずら好きな子供の姿として描かれます。
右 詳細は不明ですがウェルシュ・ピーサントが目撃した妖精パック、その姿は河童でクチバシのように尖った口、鼻や耳はわかりませんが大きな目があります。
河童は水棲動物、カエルにイメージが似ています。
体の色も一般に緑色で黄緑から濃い青緑、淡いピンク色などのバリエーションがあります。
実際はアマガエルやモリアオガエルのような色でしょうか。
中には斑点模様もある河童もいるというからトノサマガエルやダルマガエルに近いの種類もいるんでしょう。
カエルは保護色で草の所にいれば緑色、岩場にいれば灰色と体の色を変えられます。
河童もまた体の色を変えられるのでしょう。
カエルは緑色ばかりではなくアカガエルやヒキガエルのように赤茶色をした種類も少なくなく体が赤い色をした河童の報告も多いです。
九州では山に登った河童は色が赤いともいいます。
アマガエルは葉の上にいるときは緑色ですが、アスファルト舗装の上にいるときは灰色になります。
河童も同じ両生類で、周りの色に合わせて体を保護色に変化させることができます。

緑豊かな自然にいる河童が緑色をしており、コンクリートの軍事施設に飼われているグレイが灰色をしているのはそのためです。
同様に遠野の河童が赤色なのも地域差、亜種が数多く存在するのでしょう。
目からの視覚情報により脳下垂体中葉からMSHというホルモンが分泌され、ホルモンが血液に入り皮膚の黒色素胞などが、それらに反応して体色変化を起こします。
反射ですからカエルが考えて色を変えているのではありません。
一番下の層の光を吸収する部分が表面から見えるようになり黒っぽく見えます。
また周りが明るい色の所に行くとホルモン(MSH)が減り、黄色や青色などを反射する細胞が集まるため緑に変わっていきます。
カエルの皮膚は3つの層になっていて表面と2番目の層が、太陽の光の中にある黄色や青色などの光を反射します。
だからカエルは普段黄色と青色が重なった緑っぽい色に見えます。
沼地のような暗い色の所だとホルモンが体の中に出てきて、黄色や青色などの光を反射していた細胞を散らばらせます。
河童は皮膚の感じもカエルに似ています。
カエルの皮膚は、見た目がすべすべして、いかにも水の抵抗を受けません。
表面には薄く粘膜があり、手でつかまえようとするとヌルヌルします。
河童の皮膚もすべすべして弾力性が強くぶつかったくらいでは傷がつきません。
やはり表面には粘液がありヌルヌルして、触ると気持ちが悪いといいます。
頭部に関しては異説も多く、髪がまったくない説も多いです。
また、頭のてっぺんだけが少し凹んだ河童もいるようです。
これは、ただたんに髪の毛が抜けたのではなくもともとないのです。
そして、河童には体毛もありません。
さらに、この無毛河童は頭部のお皿はない説もあります。
一般に河童の顔は、体の色と同じ緑色をしています。
もっとも体よりも少々色が濃く青黒いともいいます。
もちろん遠野の河童のように体が赤い河童は顔も赤いです。
目は大きく猿の目というよりは、やはりカエルやトカゲのようにドングリ眼です。
まん丸い目には、ほとんど白目はなく大きな瞳が中心にありらんらんと輝いているといいます。
夜にネコの目が光っているようなものです。
鼻は尖がっていて顔の前面に張り出しており、狐や犬のようになっているともいいます。
口はイヌのようであるといわれますがクチバシのように描かれるケースもあります。
河童のクチバシも亀に似ているとされているからか、カメ同様にクチバシの奥に上下4枚の歯があるといいます。
もっともイヌのような鼻、鳥のようなクチバシがまったくない河童もいます。
人間のような顔をした河童も少なくないです。
河童の鳴き声は、地方によって、いろいろなバリエーションがありますが、代表的な鳴き声は、「ガガ、ガガ」「グワーグ、グワーグ」「ヨッ、ヨッ」「ホイ、ホイ」「ヒーヨ、ヒーヨ」「ヒョウ、ヒョウ」「キャッ、キャッ」「ケ、ケ」「グワァ、グワァ」「ヒル、ヒル」「キチ、キチ」です。
河童の鳴き声には半濁音を含んだ声がほとんどありません。
「プー、プー」とか「ピャー、ピャー」という、パピプペポの音をした鳴き声がないのです。
半濁音は唇を使った破裂音で唇がない鳥やカエルには難しい発音なのです。
河童の首は、それほど長くなく人間と同じ程度ですが、獲物を取るときはいきなり首が長く伸びるのです。
体の伸縮性は河童の特徴の1つです。
そして、河童の背中にある甲羅は、河童の大きな特徴の1つです。
ただし甲羅といってもクサガメやウミガメのように、うろこ状の亀甲模様がある物とない物があり、ない物はスッポンの甲羅に近いです。
体の色は黄色から黒までさまざまです。
しかし、河童の甲羅は必ずしもあるのではなく、体毛のある河童は甲羅を背負っていません。
また古い河童にさかのぼるほど甲羅を背負っていません。
河童には頭に皿と髪の毛があり、背中には亀の甲羅を背負っている姿になったのは江戸時代のことで、それ以前の河童の姿は地方によって呼び名とともにまちまちだったのです。
とくにその姿は、江戸時代をさかのぼるほどグレイの姿と酷似してきます。

その典型的な例が、福岡県田主丸志塚島地区に保管されている「唐島の川ん殿(河童)像」です。
その木彫りの像は大きな頭部に毛髪がなく、つりあがったアーモンド・アイズ型の目を持つ河童像であり、その両眼には自目はなく瞳だけです。
九十瀬(こせ)川の水神である「川ん殿(河童)」は筑後地方であるだけに、のちに壇の浦の平家の霊と結びつき坊主頭であることから平清盛の化身とされました。
河童はカエルのように生臭いです。
河童が密かに入った風呂は、生臭くて入れるものではないといわれ、生臭いだけで河童が近くにいることが分かるのです。
河童の腕は、長くだらりと両腕を下げると手のひらは膝あたりまであります。
腕は非常に柔らかく関節はあらゆる方向に動き、ぐねぐね曲げられ、伸縮し右腕を引っ張るとその分左腕が縮むとされます。
手足の指の間には、膜があり水かきとなっています。
水かきは水中を泳ぐための器官で水棲動物の特徴です。
手の指の数は、4本が基本で3本や5本もいます。
一方、足の指は3本がほとんどです。
哺乳類の指は手足とも5本が基本ですが、両生類はばらつきがあります。
カエルの指は前足が4本で後ろ足が6本あるといわれますが、実際は指より魚のヒレに近い形状をしています。
ヒレを構成する筋骨が、そのまま指になったような形状です。
そのため、両生類は指の数が一定しません。
この指の数が一定しないのが、見間違いなどではなく正しい河童の体なら河童もカエルのように両生類だからでしょう。
河童は水かきの両手両足を使って、カエルと同じ平泳ぎで泳ぎます。
陸に上がると、4足歩行から上体を起こして人間と同じ直立二足歩行を行います。
ときには走ることもあり、とても人間が追いつかないくらいに速いといいます。
そして、筋力が強く大きな牛や馬を水中に引きずり込んでしまうほどの力です。
また、カエルのように跳躍力もあり数メートルの高さなら飛び越えます。
河童とプラズマ
河童は、火の玉を発生させます。
民話には「河童の火やろう」といって河童が火を持ってくる話が数多くあります。 (参照)
河童は、プラズマを発生させるのです。


河童、キジムナー(ブナガヤ)は火を発生させますが、この火はプラズマなのです。



宇宙のほぼ100%はプラズマで光です。
一般に、プラズマは高周波の電磁波が交差した空間に生じる火の玉で、物質の原子と電子がばらばらになった状態を指します。
プラズマは、固体・液体・気体に続く物質の第4の状態の名称であって、通常は「電離した気体」をイメージに持ちます。
プラズマの場合、物質を構成する原子は、原子核の周りを電子が高速で公転しているので、そこでは原子核(+)と電子(-)がばらばらに電離した状態で、一種の伝導性の高いソリトン状態になっています。
ソリトンとは、高度に電離した状態のプラズマ状態をいいますが、そこではまさにプラス(原子核)とマイナス(電子)がばらばらになって自由に飛び交っています。
その状態が加速されればプラズマは自ら可視光線を放射するようになりますが、その状態のプラズマはとても高温で5000℃にもなり、理論上の温度は無限大といわれています。
河童はアンバランスに大きな頭部にある脳から強力な電磁波を放射しプラズマ(火の玉)を発生さます。
高周波の電磁波はほかの動物の自律神経を麻痺させ吐き気やめまいを引き起こし、ときには気絶させます。
さらに電磁波の出力を大きくすれば、近くの大気を励起(れいき)させ、プラズマの火の玉を生じさせられるのです。
河童の大きな前頭葉が骨の壁で左右に仕切られて、前頭葉の部分に正体不明の蛇腹構造が存在して、その分だけ脳が後頭部に張り出しています。
河童は前頭葉の前側の3分の1くらいの部分で、強力な脳波である電波を強力に増幅して電磁波として照射し左右からの2点照射でプラズマを発生させるのです。
河童の知能を司る脳は、頭部の大部分を占める電磁波照射構造体の後方に隠されていて、脳自体の大きさは犬より少し大きい程度です。
そのため、グレイの後頭部は異様に後ろに突出していています。
電磁波照射構造体の後ろには、電磁波から脳を守る遮蔽骨があります。
人間も前頭葉からわずかですが電波が出ています。
河童はプラズマを発生させて、エサを摂取すると判明しています。
河童の場合、獲物の内臓をプラズマで焼き発生した蒸気を吸う性質があるようです。
しかも高温プラズマは灼熱の高温で触れた物を焼きつくしまいますが、ある周波数で発生させると常温のまま安定化します。
この低温の安定化したプラズマに身を包むと固体を透過もできるのです。
アメリカ軍は、プラズマの持つ能力、プラズマ(ガス状の物)が、すべての物質を透過して裏側に抜けることを解明しました。
プラズマに包まれた物体Aを、ほかの物体、たとえば鋼鉄の板にマイクロ波などを当ててプラズマ化した物に衝突させるとAが板を透過し互いに無傷で裏側に出ること。
また、プラズマはマイクロ波・電磁波などの強度を高めレーザーのように線形に発し、それを2つないし3つ作って交差させるとその部分に発生させられること。
さらに交点に何か物体があると、その物体をプラズマ化させられることを発見します。
プラズマには、特異点黄金率 Φ (ファイ)の低温で安定した状態が存在し、その条件のもとに作られたプラズマであれば物質を包み込んでも燃焼することはありません。
プラズマにおおわれている状態の物質は、プラズマの中に突入できます。
また河童は空を飛びます。
両手を広げるだけで、あたかも凧のように飛んでいくのです。
九州では秋になると、多数の河童が群れをなして山へ飛んで帰っていくと伝えられています。

河童が空を飛んでいる姿も昔から目撃されています。
プラズマによる飛行です。
プラズマは重力をコントロースするので飛行もできるのです。
河童は、黄金率 Φ (ファイ)によるプラスマを発生させられるらしく、全身を黄金率 Φ のプラズマて全身を包み、その発生ポイントをコントロールし空中を浮揚、移動できるのです。
日本の河童、九州の「ひょうすべ」など、空を飛ぶ伝承が各地に伝わっています。

1998年4月27日にアメリ力のオレゴン州で起こった事件です。
その日、ジョン・フォークナーは趣味のロッククライミングをするために仲間たちと一緒に力ービー近郊の山岳地帯へとやって来ました。
滝の岩場登りを楽しんでいたフォークナーたちは、ふと川の向こうの森林上空に人間のような姿をした奇妙な物を発見します。
仲間は薄気味悪がりましたが、フォークナーは興味半分で謎の生物の写真を何枚か撮影しました。
その直後、こちらの存在に気づいたのか、そいつは急上昇しやがて点に見えるほど小さくなって視界から消えました。
フォークナーたちは互いに信じられない顔で見合い、錯覚ではなかったと確かめ合ったといいます。

1999年3月、首都メキシコシティの上空に人のような姿をした生物が飛来しました。
微妙に手足を動かしながら、フワフワと浮遊している姿が人々に目撃されました。
目撃者たちはあっけにとられる中、謎の生物は突如、地面めがけて急降下したかと思うと鋭角にターンし、そのまま上空へと消えていったといいます。
謎の人形(ひとがた)生物は、それから1年後、再びメキシコに出現します。
サルバドール・ゲレーロによってビデオ撮影され世に知られるようになります。
2004年1月16日、フライング・ヒューマノイドが人間を襲った衝撃的な事件が発生します。
その日の早朝、メキシコの地方都市グアダルーペに住む警官レオナルド・サマリエゴがバトロールのため、車を運転していたとき、いきなり前方上空から黒い影が急降下し、車めがけて襲いかかってきたのです。
驚いたサマリエゴは、ライトに浮かび上がったその姿を見て全身の毛が総毛立ちました。
見たこともない醜い怪物が、そこにいたからです。
身の危険を感じたサマリエゴは思いっ切りアクセルを踏み込むと、車を急加速してその場を離れました。
怪物は追ってくる気配を見せず、彼は命拾いをしました。
サマリエゴの証言によれば、怪物は人間のような姿形をしていますが、服などは着ておらずアンバランスなほど長い腕で全身が赤茶けた色をしていました。
しかも白目の部分がまったくない大きな目玉がとても印象的だったといいます。
この怪物はフライング・ヒューマノイドとよばれるようになりました。
フライング・ヒューマノイドは河童の姿にそっくりです。
そののち近接する地区でも警官3人が空から飛来した怪物を目撃し大騒ぎとなりました。
一連の事件は地元のテレビでも大きく報道され、日本でもテレビでスペシャル番組で取り上げられました。
2003年7月、プエルトリコの山中でやしの木にしがみついているほかに、空中に浮かぶ姿も撮影されています。
2003年7月中旬、プエルトリコの南西部の街カボロ・ロホに住むシモン・ペレス(仮名)は、兄夫婦の間に生まれた赤ん坊の写真を撮影するため、彼は買ったばかりの日本製のデジタルカメラを手に山道を歩いていました。
そして、ペレスの視界の片隅を何物かがよぎりました。
動きと気配から、とっさに動物だと気づいた彼は、その先へと目をやると、その影はヤシの木につかまりそのままするすると上へと上っていきました。
一瞬、猿かなと思いましたが、この辺りでは猿の姿を見たことがなく、動きが少し奇妙でした。
木によじ登ったというよりは、まるでエレベーターか糸で吊るされたかのように、スーッと直線的に上昇したように見えたのです。
不思議に思ったペレスは、そのヤシの木の根元に近づき上を見上げると、ヤシの葉が揺れており何枚か葉っぱが落ちてきた瞬間、ペレスは持っていたカメラを構えました。
見るとそこには真っ裸の子供に見えたがヤシの木の上からペレスを見下ろしています。
淡いピンク色をした肌に大きな頭です。
しかし、人間に似ていますが人間ではありませんでした。
無気味に光る大きな目がありました。
ペレスはカメラのシャッターを切りました。
ペレスが記憶しているのはそこまでで、突如、脱力感と強烈なめまいに襲われた彼はそのまま倒れこんでしまったのです。
何時間か失神してしまいました。
河童はアンバランスに大きな頭部にある脳から強力な電磁波を放射し高周波の電磁波はほかの動物の自律神経系を麻痺させ、吐き気やめまいを引き起こし、ときには気絶させます。
さらに電磁波の出力を大きくすれば、近くの大気を励起(れいき)させプラズマの火の玉を生じさられます。
ペレスの撮影した写真には、木にしがみつく黒い影と無気味に光る目が写っていました。
しかも、撮影時には気がつかなかったのですが、向かって左側の空中にも同じような影があたかも何かに飛び移ろうとでもしているかのように写っています。

2005年9月14日、テキサス州、深夜2時すぎ、サンアントニオで自動車セールスをするD・S・フレミングは、エドワード高原の北に位置するスィートウォーターに車で向かう途中、夜空に浮かぶ光る物体を発見しました。
仕事で使っている一眼レフカメラを取り出し物体に向けて構えファインダー越しに物体にピントを合わせた瞬間、彼は思わず自分の目を疑いました。
光っていたのは人間のような姿をした得体の知れない生物だったのです。
手足をばたつかせている様子から、まぎれもなく生きていると分かりました。
彼はズームを含めて10回以上、シャッターを切りました。
その間、怪生物は徐々に上空を移動し、やがて道を挟んだ向こう側に広がる木々の間に消えていったといいます。
そして河童の天敵に近いのが猿で、猿は河童を見ると本能的に襲う習性があります。
もともと河童自体が猿に似ているので、縄張りを侵したと感じてしまうのか相性が悪いです。
河童が生息するのは、沼地や川、池や湖などの淡水域で、水中を四つんばいで移動しますが陸上では二足歩行で移動します。
まれには川が海に流れ込む水域に現われる場合もありますが、海水では生きられないという両生類の特徴をグレイは示しています。
粘液を持つ両生類は、塩分の濃い水中では粘液が溶け体表が剥き出しになるため死んでしまうのです。
両生類の中では大きな部類に入る河童は、川原の岩などで自分の柔らかい腹をこすってしまうこともあります。
河童はまた両生類と同様に体中が粘液でおおわれていつも生臭い異様な臭気をまき散ちらしています。
当然水かきを持ち同じ両生類のカエル、サンショウウオ、イモリと同じく前足は4本指です。
また両生類は見かけ上、性器が哺乳類と比べて露出しておらず一見すれぱ性器を持たないかのように見えます。
特徴を語るうえで、最も河童に近い生物はカエルです。
なぜなら、水中で生活するが陸上でも生活でき卵生で冬眠も行うからです。
河童は泳ぐことが得意ですが、陸上に上がるとなぜか相撲を取りたがります。
河童同士が相撲を取ることもさることながら、人間に相撲を挑んできます。
河童の体は粘液でヌルヌルしており、見た目は華奢でも怪力の持ち主であるから人間はそう簡単に勝てません。

カエルは繁殖期になると雄が雌の体に抱き付いて交尾します。
雄のカエルが雌のカエルの背中や腹にまとわりつき、近くに雌がいない場合でも、雄やほかの何かにしがみついてきます。
それと同じことが河童にもあり、繁殖期になると人間にもしがみつくのです。
人間が勝手に相撲を取っていると思っているだけで、河童の方はメスの代わり人間に抱きついて水中に引きずり込もうとしているだけなのです。
それが川原から河童が現われて男と相撲をとったとか、川で泳いでいたら河童にしがみつかれて子供が水死した話になります。
河童は牛や馬の尻にしがみ付きそのまま水中に引きずり込みます。
そうなったら、河童は肛門から生き胆を引き出して食べてしまうとされます。
河童は人間の尻に興味を示します。
とくに、女性は危険です。
本来、トイレである厨(カワヤ)は川屋の意味で流れている川の上に建物を作りトイレとし便器の下は川で天然の水洗トイレです。
川に潜ってくればトイレの中に侵入できます。
まさに河童は川の中を泳ぎ密かに厩の下に忍び込み女性が入ってくるのをじっと待ちます。
女性が腰を下ろすのを見届けると伸縮自在の腕を伸ばし尻を触るのです。
河童は尻を触るだけではなく肛門から手を突っ込んで尻子玉を取り出しそれを食べてしまうという習性があるとされます。
尻子玉を取られたら人間は死んでしまうといいます。
しかし、解剖学的に尻子玉という臓器が人間にはありません。
尻子玉とは、お尻にあると考えられた想像上の玉のことでラムネの瓶に入っているビー玉のような物で、これがあるおかげで肛門から内臓が出てこないと昔の人は考えていたのです。
人間は死ぬと筋肉が弛緩し全身の力が完全に抜けて、ついにはお尻の穴が大きく開きます。
とくに水死した場合、肛門がぽっかりと大きく開いてしまいます。
そんな溺死体を見た昔の人は、河童に尻子玉を抜かれたのだと想像したのです。
これが尻子玉伝説の始まりであるといわれています。
日本では昔から河童が牛や人間の肝臓を肛門から抜き取っていたという話があります。
江戸時代に著された『和漢三才図絵』によると「河童は牛馬を水湾に引き入れ、尻から血を吸いつくす」とあり、河童が吸血行為を行うと記録しています。
尻子玉を抜いて内臓を食べるだけではなく、尻に咬みついて生き血を吸うといいます。
河童は吸血妖怪だったのです。
水の精や水神が牛や馬を水中に引き込み、ときには血を吸う話は世界的に分布していて河童が世界に実在する証拠です。
河童は数十年の冬眠期間があり、生活の大半を土中ですごしているようです。
冬眠から目覚めた河童は非常に獰猛であるため、人間や家畜の生き血を吸い、ときには肝臓を食らうとされます。
正確にはプラズマで蒸気化させた血液を吸い取ります。
2本の小さな牙が血管に入ると、血液を気化させ るために電撃を走らせます。
その結果、ヘモグロビンの鉄分が高電流の通り道となり、最終的に鉄分が集まる肝臓を気化させてしまうのです。
肝臓を吸い取る河童の話になり、日本の河童の肝臓を抜く記述となるのです。
アメリカ軍からの河童の生態では、河童は卵で生まれ、幼生はカエルと同様にオタマジャクシです。

近年、ベルギーでも二足歩行の緑色の生物が森の沼地付近で目撃され「リトル・グリーンマン」と名づけられました。
またフランスでも、ビスケイ湾に流れ込む川原で身長約1m20cmの生物が姿を現し陸上に上がって見物人を追いかけ回した事件が発生しています。
そのときも、二足歩行する灰色がかった緑色の人間に似た生物でした。
また、南米のブラジルでも同じような緑色の生物が出現し現地の子供たちや警官に目撃されています。

1972年3月3日深夜午前1時ごろ、オハイオ州ラブランド近くのリトルマイアミ川の近隣で、ラブランド署のウイリアムス(本名レイ・ショッキー)はパトカーでリトル・マイアミ川沿いを走っていました。
その日は、寒く路面は一部が凍結していたため、ウイリアムスは慎重に低速で運転していました。
しばらくして、ふと道路脇を見ると、そこに中型犬のような動物がうずくまっていました。
こんな寒い夜に凍死でもしたのかと不審に思ったウイリアムスは車を停めると、ヘッドライトで動物を照らしました。
すると犬のような物体は、ゆっくりと身を起こすと2本足で立ち上がったのです。
犬ではない怪物だと思ったウイリアムスは言葉を失いました。
目の前には、カエルのような顔をした身長1,2mの怪物が立っています。
全身が灰色で、ヌメヌメとした粘液質の肌をし細い手足をだらりと下げている怪物は、ウイリアムスをしばらく見つめたのちガードレールを越えて道路下へ行き、そのままリトル・マイアミ川に入ると姿を消してしまったといいます。
すぐさま駆け寄りましたが、そこには滑り込んだような跡があるだけでした。
そして、それから2週間たったころ、ウイリアムスの同僚ジョンソン(本名マーク・マシューズ)がパトカーで巡回中、やはりリトル・マイアミ川沿いで奇妙な物体に遭遇しました。
物体は路上に倒れていました。
外見からしておそらく車にはねられた動物だろうとジョンソンは思い、そのままでは通行の邪魔になり危険なので彼は動物の死体をどかそうと車を停めると外に出ました。
するとその瞬間、動物の死体だと思われた物体はいきなり動き出しすっくと立ち上がったのです。
姿はまさにカエルのようでした。
このカエル男は怪我でもしているのか足を少し引きずりながら歩き出し、川の方へと向かいガードレールをまたぎ、道路下の川に飛び込もうとしていました。
このとき、何を思ったのかジョンソンは持っていたピストルを発砲しましたが弾は外れ怪物は悠々と姿を消したといいます。
立て続けに起こったカエル男出現の事件は、地元の新聞『シンシナティ・ポスト』や『ラブランド・ヘラルド』が掲載し大騒ぎへと発展しました。
地元紙『ラブランドヘラルド』がそのことを報道すると、読者から目撃証言が多数集まり、最終的にこの怪物の捕獲に賞金がかけられましたが未発見です。
怪物目撃は周囲から好奇の目で見られ茶化されたのでしょう。
カエル男について、2人は徐々に否定的な態度を取るようになります。
ウイリアムスは事件に関して発言しなくなり、ジョンソンは目にした物をトカゲだと言い張るようになりました。
この顛末からカエル男の存在を否定する向きもありますが、2人のほかにも多数の目撃者がいるのです。
昔からリトル・マイアミ川には怪物がすんでいるといわれていて、インディアンたちは怪物を「シャウナフーク」とよびます。
新聞報道を見て名乗りを上げた11歳の少年は川遊びをしているときに、カエル男に遭遇しました。
そいつは灰色のヌメヌメとした肌をしており身長は約1,2mだったといいます。
このほか、1955年5月25日、オハイオ川で3匹のカエルの顔をした怪物が出現しています。
同じ年の1955年8月21日には、そのオハイオ川でダーウィン・ジョンソンが水泳中、何者かに足を引っ張られ、足には爪で引っかいたような跡が残っていたといいます。
その生物は、全身ヌメヌメした体とカエルのような目と顔を持ち人間の子供ほどの大きさでした。
1977年4月21日、アメリカのマサチューセッツ州ドーバーの町で事件は起こりました。
ウィリアム・バートレット(当時17歳)と同じ歳の友人マイク・マーゾッカとアンディ・プロディが、ドライブ中の事件です。
夜の10時30分ごろ、ファーム・ストリートに差し掛かったとき、バーレットが左前方に続く石垣に何やら黒い影が動いているのを発見しました。
車は黒い影に近づき約6mの位置まできたとき、ヘッドライトによって徐々に塀が明るくなり影を照らし出しました。
怪物は人間に形は似ていますが怪物の頭は胴体と同じくらい巨大で、その形は楕円形のスイカを思わせました。
耳や口、それに鼻らしき物は見当たらず、ただ丸く大きな目がオレンジ色に光っていました。
胴体に対して手足は異様に細長く、手には長い指があり、しっかりと岩を掴んでいました。
体毛はなく全身が黄色がかったピンク色をしていて、目測で体長は約1,2m。
3人とも生まれて初めて目にする動物でした。
恐怖を感じたバーレットは、そのままアクセルを踏み込み現場を足早に去りました。
それから約2時間後、怪物はファーム・ストリートから北東へ2kmほど離れた地点に再び姿を現します。
翌4月22日深夜の0時30分ごろ、ジョン・バクスターが夜道を歩いていて茂みに人影を見ました。
前方約50mから、こちらをじっと見ているようでした。
バクスターはてっきり近所に住む知人だと思って、声をかけましたが返事はなくそのままバクスターは人影に近づき5mほど手前にまでやってきたときもう一度声をかけました。
すると人影はいきなり走り出し溝をつたって、そのまま道の反対側にある斜面を駆け上ったのです。
不審に思ったバクスターはあとを追おうとしましたが、見るとそいつは人間ではなかったのです。
数字の8の字に似た大きな頭に華奢で細い体に細長い手足で、上半身をあずける形で近くの樹木に寄りかかっていました。
やはり耳や口、鼻は見えませんでしたが、らんらんと輝く大きな目が2つありました。
異様な光景にしばらく動けなくなったバクスターは急に恐ろしくなって、その場を引き返すと通りかかった車に乗せてもらって逃げました。
バクスターが怪物を目撃した翌日の月23日の深夜0時ごろ、怪物は3,17kmほど離れたスプリングディル・アベニューに現れました。
目撃者のウイル・ティンターとその彼女、アビー・ブラバムは車に乗って、自宅に帰る途中にブラバムが窓の外に猿らしき動物がしゃがみこんでいることに気づきよく見ると、その怪物は楕円形の大きな頭をしており耳や口、鼻はないようにに見えました。
ただ大きな目がありヘッドライトに照らし出され目は緑色に輝きました。
体の色はベージュか黄褐色をしていました。
怪物は仰向けになって、その細長い両手と両足を上に伸ばしていました。
ブラバムは、急に恐怖が込み上げてきて思わず叫ぶとティンターに車をそのまま走らせるように指示し急いで現場を離れたといいます。
3つの事件で目撃された怪物の姿は、細部にわたって一致しています。
それぞれ独自にスケッチを描ましたが同じ形状をしています。

画像は、中央 ウィリアム・バーレットが描いたドーバーデーモンのスケッチ。
左 ジョン・バクスターが描いたドーバーデーモンのスケッチ。
事件は一気に広まり、ドーバー中が大騒ぎとなりました。
地元の新聞は怪物を「ドーバーデーモン」と名づけ、全米に知られるようになりました。
この事件以降、再びドーバーデーモンが姿を発見されませんでした。
ドーバーデーモンの正体は河童です。
怪物は2本足で歩き、背丈は約1,2m、黒灰色の皮膚や指の間の水掻き、巨大な眼、頭部から腰まで並ぶ背中の突起を持つ蛙のような容姿でした。
そして、目撃者が描いたスケッチは河童そのものだったのです。
アメリカのオレゴン州は、巨大なセコイアの樹木が林立する公園があります。
巨木の森林地帯は「レッドウッド・エンパイアー(セコイア帝国)」とよばれアメリカ国民の憩いの場となっています。
1989年8月、オレゴン州の南部、カービーに住む高校生エリック・ホスキングは、同じ学校に通う友人のウィリアム・キース、マット・グリーン、ジャック・デモンドらとともに夏休みを利用して山奥へと出かけました。
最初の数日間は、山歩きや釣り、女の子の話などで盛り上がりました。
12日の辺りが明るいころから、何者かにじっと見られているような気配がありました。
ジャックが林の中で何かの影が動くのを見たといい狼かと話していました。
エリックもまたテントの向こうに奇妙な影を見ていました。
焚き火を囲んで夕食を食べ皆で横になりながらくつろいでいたとき、エリックがふと目をやると茂みの中に何やら動く影があります。
何と焚き火の明かりに照らされて、暗闇から怪物の姿が浮かび上がったのです。
人のように2本足で立っていますが、皮膚の色は緑色で熊や猿のような体毛はありませんでした。
茂みから出している頭には大きく真っ黒な目が光っていました。
生まれて初めて見る生き物で鳥肌が立ったエリックでしたが懸命に冷静さを取り戻し、とにかく怪物を驚かさないようにそっと観察しました。
エリックははテントの中にカメラがあるとを思い出し証拠として撮影しようと考え、ゆっくりテントの中に入っていきました。
エリックの行動を見ていたジャックも、しばらくして怪物の存在に気付き思わず小さな声を上げたと、その瞬間、ほかの2人も顔を上げ目を丸くしました。
怪物はじっとして動かず、4人のほうを見ています。
やがてエリックがカメラを構え、そっとシャッターを切りましたがストロボを忘れてしまいました。
すぐにストロボをセットして撮影しようとしましたが、異変に気づいた怪物はすばやく森の中に消えていきました。
その間1分ほどだったといいます。
怪物は二度と現れませんでした。
その夜は、ショックでほとんど寝むれず、もう一泊する予定を変更してが、そのままカービーに帰りました。
後日、エリックは撮影したフィルムを現像に出し現像さてた写真を見ると、焚き火の光に照らされた無気味な怪物の姿がぼんやりと写っていました。
遠景でストロボがないためぼやけていますが、確かに何物かの頭部が捉えられています。

画像は、焚き火の光にうっすらと浮かび上がったオレゴンデーモンの写真。
下は、頭部を拡大し、色調を変えた物。
毛髪のない丸い頭部と大きな目が確認できます。
証言によると、この怪物は人間のような姿をしていました。

2001年4月、インドのニューデリーに現れたモンキーマン。
夜中に得体の知れない小人が家に侵入し寝ている人々を次々と襲う事件が突如発生し、インド中がパニックとなった事件です。
驚いて建物から転落して死亡した人が4人、負傷者は50人にもなりました。
真相は明らかになっていなません。
目撃者によると、小人はサルのような姿をしており、鋭い爪でした。
目撃証言の中にはヘルメットをかぶっていたように見えたともあります。
身長は約1,2mですが、驚異的なジャンプカで建物から建物へと移動します。
さらに、モンキーマンはムノチュワとよばれる特殊な火を放ちます。
火の色は赤もしくは緑色をしており、直径20cmくらいのボールのようであるといいます。
これらの目撃証言は、明らかに河童と特徴を示しています。
ヘルメットをかぶっているように見えたのは、頭髪がなかったからで、猿と表現されたのは、その姿がヒトに似ており、かつ身長が低かったからです。
河童が地方によってはエンコウ、すなわちサルの一種として扱われていることから分かるように河童はしばしばサルと誤認されます。
驚異的なジャンプカは両生類、とくにカエルのような足腰を河童が持っていると思えば理解できます。
しかもプラズマを発生させて飛翔していたならば、建物から建物へとすいすい移動できたはずです。
そして、モンキーマンは河童と同じく動物の血を吸い、プラズマの火の玉を発生させます。

1985年8月1日、長崎の対馬で奇怪な事件が起こりました。
釣りを日課とする城崎竜作(当時71歳)は、夕釣りを終え自転車に乗って自宅への帰り道で、自宅が見えるというとき、前方およそ30mほどの地点に動く物体を目撃しました。
身長は約1m、ほっそりとした手足で、子供が素っ裸で歩いています。
裸の子供は右手の茂みから出てきたかと思うと、左手の草むらへ駆け込み、そのまま久田川の中へ飛び込ました。
対馬では夜釣りは珍らしくないの、で気にも止めず家路につきました。
翌朝5時ごろ目覚めた城崎は、いつものように朝釣りに出かけました。
そして、昨日の現場に差し掛かったとき、濡れた足跡のような黒っぽい染みが約50個も点々とついているのを発見しました。
お船江という入り江の淵から昨晩子供が茂みに隠れた辺りまで20mにわたって足跡が残っています。
そして、朝釣りを終えて戻ってきた城崎は、その現実に唖然としました。
足跡がまだ残っていたのです。
真夏の炎天下の中、ただの足跡が朝見たときとまったく変わっていないということはありえません。
城崎はその足跡に触ると乾いてはいるもののヌメっとするような茶褐色の液体が指に付きました。
足跡は長さ23m前後、幅10cm前後、どれも三角形、形はイチョウのようで、水かきのある3歩指をしていました。
城崎は、もしかしたら、昨夜見た子供が残したとしたら、それは人間ではなく河童だったのではないかと思いました。
事件の現場は昔から河童が現れる言い伝えがあり、河童を見た人が何人もいたのです。
城崎は町役場に勤める息子に一部始終を報告し河童出現の噂で厳原町(いづはらまち)は騒然となりました。
役場と警察の人間が現場を検証した結果、同じ足跡が久田川の対岸の道にもあることが判明しましたが、粘液の分析はできませんでした。
この事件はマスメディアが大々的に報道するにおよび、全国的に知られる河童騒動となりました。
昔から河童に遭遇した人は一様に体調に異常をきたしています。
河童の電磁波攻撃を受けて自律神経がやられたのです。
また、対馬のお船江という入り江では、しばしば海中に虹色の光が現れ、河童の仕業に違いないと地元の人々はいいます。
この光に近づいて気分が悪くなった人もいて河童が発生させるプラズマの火の玉です。
対馬の南には龍良(たてら)山があり、「山童(やまわろう)」が生息しています。
山童は河童のことです。
そして、対馬事件から7年後の1991年6月30日、全国的に見て河童の目撃が多い九州の宮崎県で再び河童騒動が起こりました。
その日、西都(さいと)市三財(さんざい)に住む松本貢(当時56歳)は買い物から戻り、鍵のかかっていた玄関の扉を開けました。
そのとたん魚が腐ったような生臭いがしました。
彼が家の中で見たのは、床一面に広がる泥のような茶褐色をした足跡でした。
最初、松本は空き巣が土足で侵入したのだと考えました。
足跡を観察すると、長さはわずか12cm、幅は10cmなので、歩幅が60cmでした。
足跡の形は、ちょうど三角形をしていて、3本の指と水掻きがあるようにも見えました。

足跡の主は人間ではない何か得体の知れない者かもと思った松本は、すぐに近くの駐在所へ通報しました。
松本宅にやってきた警察官は現場をつぶさに観察し盗まれた物がないと確認し足跡に注目しました。
本来、泥棒は家の中忙侵入したら、貴重品がありそうな所へ直行しますが、この足跡はそうはなっていなく少なくとも空き巣の足跡ではないのです。
警官が考えられるのは、松本が出かける前に汚れた足で家中を歩き床に足跡が付いたと知らないまま出かけたのではないかというのです。
松本は、午前中に庭掃除をしたので警察の指摘になんとなく納得しましたが、警察が帰ったのちに新たな事実が判明しました。
侵入者の足跡は粘着質の液体で付けられており、拭いてもきれいに落ちません。
まるで粘液を体中に分泌する動物が緋徊したようでした。
松本は、何らかの動物が自宅に侵入してきたのではないかと考え、彼は動物を特定するために足跡の粘液を採集し、宮崎県日南(にちなん)保健所に持ち込み検査を依頼しました。
その結果、足跡の粘液には大量の鉄分が含まれていることが分かりました。
こうした鉄分は、自然界では一般に涌き水や小川の底などに沈殿しています。
このことから、謎の生物は家の周囲を流れる農業用水路もしくは裏山から流れる小川を通ってきたと考えられます。
この宮崎の河童家宅侵入事件で、床一面に残された粘液上の河童の足跡は現在でも消えずに、松本氏宅に残されています。
1995年、フジテレビ系制作会社のスタッフは、ラジカセから採取した粘液を宮崎工業試験場に持ち込み、精密な分析を依頼しました。
当試験場は、これを電子線マイクロアナライザという最新機器で精密分析しました。
分析の結果、鉄と塩素が大量に検出され、粘液の主成分は「塩化鉄」であることが判明しました。
黒茶色をしていたのは、塩化鉄(Ⅱ)が塩化鉄(Ⅲ)へと変化したのが原因でした。
埼玉大学理学部の町田武生教授によると、このような成分を分泌する生物は知られていないといいます
松本氏は、足跡の写真をフェニックス自然動物園の関係者に見せて意見を聞きましたが、答えは正体不明といわれました。
あまり似ていませんが形としては鳥類が考えられ、カラスの足跡ではないかと指摘する人もいます。
しかし、侵入者の足跡と同じ形状をした鳥の種類は存在しないといいます。
松本氏は、科学的な分析はこれまでで、あとはスピリチュアルな方法でも試すしかないと考え、試しに霊能者に診てもらいました。
霊能者は正体は河童だといい、今では松本氏も納得しているといいます。
異臭は残念ながら、それらしき成分は検出されませんでした。
サンプル自体がすでに4年近くたっていたせいか臭いの成分はなくなっていたのです。
強い臭いの元は揮発しやすい性質があります。
密封した容器に入ってなく露出していた状態では、すでに揮発して拡散していたのです。
河童は異様に生臭くて、その屍を嗅いだら卒倒してしまうともいわれます。
臭いの原因が、体から出る汗や分泌物であると考えられます。
窒素系の化合物、アンモニアが含まれているのでしょう。
アンモニアは揮発性で粘液に含まれていたとしても短時間で蒸発してしまいます。
松本は家に入ったとき、生臭い異臭がしたと証言しています。
こうした揮発性の物質を放出することでほかの生物に不快感を与えることは、生物学的に天敵を遠ざけることを意味します。
河童は全身が粘膜でおおわれています。
地球上において、粘膜により体を保護している生物は両生類しかいません。
そして、この事件で興味深いのは部屋への侵入路がない事実です。
密室状態の部屋に入ることができるのはプラズマ以外にはありません。
河童がプラズマを発生させて壁をすり抜けてきたのです。

沖縄には昔から「キジムナー」という川原に住む生物が目撃されており、その特徴は5歳程度の子供の大きさで、くすんだ灰色がかった赤色の体と4本指の手を持ちます。
沖縄の河童であるキジムナー(ブナガヤ)は、今でも目撃事件が発生していて実在性の高い動物として地元では認識されています。
キジムナー研究家の山城善光(やましろぜんこう)は、キジムナーは、未確認の動物だとして実在を証明するために、キジムナーを見た35人もの証言をまとめて『ブナガヤ実在証言集』という本にしました。
その中から典型的な事件を1つ紹介します。
1932年8月、山城善貞氏が喜如嘉(きじょか)で体験した話です。
梅雨のように蒸し暑い夜に山城氏は友達の4人と小屋に泊まっていると、外が瞬間的に明るくなりました。
それは火の球のようでした。
4人のうち3人が外に出ると、川岸の木々を照らす火の球の光がまた現れました。
何の光か不思議に思った3人は、そっと光に近づきました。
すると突然、川の中を何者かが走る音がし見るとそこに現れたのはキジムナーでした。
キジムナーは3人に気づいていないようでした。
そこで3人は裸足になってそっとキジムナーを追い、キジムナーは50mくらい先にある堰(せき)付近で止まりました。
3人との距離は、約15mで、キジムナーの動きが見えるようになりました。
キジムナーは体長は50~60cmで体は濃い紅色をです。
キジムナーのそばには火の球が灯って浮遊していました。
火の色はオレンジ、もしくは青色で大きさは提灯ほどもありました。
3人は、そのまま1時間以上もずっとキジムナーを見て、はっきりとその姿はおぼえているといいます。
こうした具体的な目撃者35人の証言をまとめると、キジムナーの色は赤から赤茶色ですが体毛はほとんどありません。
その代わり頭部に毛髪のような物があるケースと、そうではなくまったく無毛のケースがあります。
毛髪がある場合は、ザンバラで茶髪だとの証言がほとんどです。
川の近くか樹木に掴まっていて、手の指は4本で指の間には水かきがあります。
そして近くに浮遊する火があるのです。
人々はブナガヤ火と呼んでいて夜中にははっきりと見えます。
ブナガヤ火は実際に高熱を発しており触ると火傷をします。
キジムナーと遭遇して体に火傷を負ったケースは少なくありません。
キジムナーと同類と考えられる奄美諸島のケンムンも目撃事件が多いです。
現在でも喜如夏や石垣島や久米島では、キジムナーの目撃者が相次いでいます。
奄美諸島には、沖縄のキジムナーと同じ特徴を持つ「ケンムン」という生物が生息するとされています。
ケンムンは、ガジュマルの木にいて全身を赤い毛におおわれ、身長は約1m。
顔つきは犬にも猫にも猿にも似ており、頭には河童のように皿があるともいわれています。
性格は、いたずら好きで相撲が好きで、人間と出会うと勝負を挑んきたりもします。
好物は魚の目玉で、嫌いな物は夕コです。
本来はおとなしいですが、生息域を荒らす人間には危害を加えることもあるそうです。
そして、ケンムンが歩くと竹筒で突いたような穴が残るといいます。
1986年11月16日には、鹿児島県の奄美大島、龍郷(たつごう)町に住む里山勇広氏が奄美大島の砂浜で小さな足跡を発見しました。
直径約10cmの丸い窪みが500mも続いており、地元の民俗研究家によって、ケンムンの足跡ではないかと分析されました。

画像は、左から、ケンムンの想像画、1986年、2010年のケンムンの足跡
2010年1月16日には、奄美市名瀬朝仁(なぜあさに)の貝浜(けばま)海岸で同様の足跡が見付かり「ケンムン出現」と話題になりました
発見者は奄美市名瀬、長浜町に住む有馬康文(当時65歳)で、同日午後2時ごろ、有馬はクジラが漂着したと聞いて向かった貝浜で人が歩いたように点々と続く丸い窪みを発見しました。
直径約5cmの窪みが20cm間隔で、山側から波打ち際まで約25mも続いていたのです。
二足歩行の足跡で窪みのいくつかは指により3つに分かれており、人間による足跡ではありませんでした。
貝浜は元は「ケ浜」と書き、ケンムンが目撃されることからこの名がついたともいわれています。

2002年12月、アメリカのミズーリ州ケープグラデュー近くにある墓地に現われたとされる河童らしき画像

2011年、ブラジルのマナウスでイギリス人らの観光客によって撮影されました。
河童の近くにプラズマがあります。
河童の名前の意味
現在、熊本県八代市を流れる球磨川(くまがわ)の河口付近には、1945年(昭和20年)に地元の有志によって建てられた大きな石碑が1つあります。

そこには、熊本地方の河童の由来について、記されています。
「ここは千五六百年前、河童が中国方面から日本に来て、住みついたと伝えられる浦(うら)である。
この二個の石は、カッパ(ガラッパ)石とよばれ、三百五十年前、木の橋石であった。
この石がすり減って消えてしまうまでいたある日いたずら河童が、附近の人に捕らえられたとき、いたずらはせぬと誓い、年に一度の祭りを請うたので住民がこの願を諒(りょう)とし、祭を当日の五月十八日と定めて『オレオレデーライタ川祭』と名づけ祭を行っている。」
石がすり減ってしまうまで悪さをしないという話は、類例がいくつもあり珍しくはありません。
注目は、一行目で、今から1500~1600年前の紀元5~6世紀ごろ、八代湾、現在の有明海の彼方から河童がやって来たというのです。
囃子(はやし)言葉「オレオレデイライタ」は、ポルトガル語で「オーレオーレデーライター」と発音し、その意味は「さあさあ、河童渡来の碑みんなで遊びましょう」となります。
まさに祭りの囃子言葉としてはぴったりです。
ポルトガル語と河童は、どう関係するのでしょうか。
河童の漢字は、なぜカッパと読むのかに関係しています。
合羽は、ポルトガル語で上着を意味する「capa」からきてます。

安土桃山時代(1573年‐1603年)の絵画に描かれたポルトガル人やスペイン人が一様にマントのような上着を着ていますが、これが合羽です。
多くの庶民が合羽を目にするようになったのは、主にイエズス会の宣教師が町を歩くようになってからです。
来日した西洋人の中ではポルトガル人宣教師が最も多かったと思われます。
ポルトガル人宣教師たちは、カトリックのキリスト教を広めるために積極的に町や村に出向き人々と接しました。
言葉の分からない相手にポルトガル人宣教師は身振り手振りでコミュニケーションを図ろうとしたでしょう。
西洋人を見たことがない当時の日本人にとって、ポルトガル人は紅毛金髪で目が青く尖った高く長い鼻に異様な着物と驚きだったでしょう。
当時の絵画を見ると西洋人は鬼か天狗のような容貌として描かれています。
ポルトガル人宣教師と遭遇した日本人は、彼らは何者かと疑問に思ったはずです。
そこで、彼らはポルトガル人宣教師に向かって指を指して、あなたは何者かと聞いたのでしょう。
日本語が分からないポルトガル人でも指を指されれば、彼らが何かを尋ねているか分かるでしょう。
日本人はポルトガル人を指していたつもりが、ポルトガル人は自分たちが着ている物を指差されたと勘違いしていたとして「カッパ」と答えたと思われます。
これを聞いた日本人は、ポルトガル人宣教師たちの名前が「カッパ」だと誤解しました。
やがて噂は広がりカッパという言葉は伝言ゲームのように伝わり広がり、ついには異様な姿をしたポルトガル人は妖怪として理解され、その名前がカッパと考えられるようになったのです。
噂や伝聞は誇張や誤解を含み話す相手を驚かせようとする心理も加わり、ポルトガル人は妖怪として伝聞され、やがて妖怪の河童と混同されていきました。
これが河童の漢字をカッパとよぶ起源です。
河童の姿の真相
河童は頭の皿が乾くと、とたんに弱くなり、死んでしまうこともあるといわれています。
そのため、頭のお皿に水をかけると元気になります。
これはカトリック教会のバプテスマです。
カトリック教会に改宗した人は、水をかけます。
正式なバプテスマは本来、体全体を水に沈めます。
頭に水をかける洗礼は「滴礼式 (てきれいしき)」といって、時間短縮、簡略化したカトリック教会が作り出した儀式です。

このカトリック式のバプテスマで頭に水をかける姿は、河童の頭の水かけとして河童の伝説に加わりました。
カトリック信者が頭のてっぺんを剃りトンスラにしていた頭に水をかける姿は、河童のお皿に水をかける光景なのです。
そして、洗礼をされた者はキリシタンとして生まれ変わるのだから喜びでに生き生きしているのでしょう。
カトリック教会の教義や儀式を知らない人にとっては、水を頭にかけられただけで、元気に様子が変わってしまうのを不思議に思ったはずです。
河童の最大の特徴は、頭にあるお皿です。
1549年に来日したフランシスコ・ザビエルの頭も頭頂部が禿げていました。
これはわざと頭頂部だけ、髪の毛を剃っている髪型です。
イエズス会の宣教師も頭頂部を剃る髪型をポルトガルで「トンスラ」といいます。

トンスラは古典ラテン語(紀元前1世紀ごろ~紀元2世紀ごろまでの古代ローマ(共和政ローマ、ローマ帝国)で実際に使われていたラテン語)です。
1972年にトンスラは公式に廃止されました。
トンスラはカトリック教会の聖職者の印で、カトリックの信者が司祭になる修行の中での通過儀礼として行われます。
「NEW CATHOLIC ENCYCLOPEDIA(新カトリック百科事典)」の「TONSURE」(トンスラ)の項目には「(訳)聖職者になった印として頭頂部の毛髪をすべて剃ること」と書かれています。
髪の毛を剃る行為自体は、髪の毛を気にしてよく見られたいという煩悩を捨てることや俗世間を断ち切る意味で、仏教の僧侶などキリスト教以外のさまざまな宗教でも見られる行為ですが、頭頂部だけを丸く剃ってしまう理由としてはキリストの頭に巻かれていたいばらの冠の形を想像して似せたとの説が有力です。
しかし、実際のいばらの冠は頭をおおう帽子状の形です。
当時の日本人にとってポルトガル人宣教師のトンスラが、伝聞していく間に河童の無毛の頭と混同したのです。
また河童の目は大きく、顔は尖っており犬のようだとも表現されます。
これもポルトガル人の顔の彫りが深く、高い鼻をした西洋人の容貌と一致します。
当時はほとんどの日本人が見たこともない外人は、とかく妖怪として表現される場合が多いのです。
ポルトガル人宣教師の姿をまだ見たことがない人に説明するとき、目が大きくて顔が尖っており頭のてっぺんが禿げていると描写したら、現在の伝えられる河童のような姿を思い浮かべるでしょう。
キュウリは、河童の好物中の大好物とされています。
どうして河童はキュウリが好きなのでしょうか。

キュウリはウリで、ウリは「水」の象徴だからです。
中国では天帝がウリを割ったところ、そこから水が出て夜空の天の川になったという伝説があります。
これは天帝の娘である織姫と彼女を追ってやって来た彦星の間を引き裂くためにした天の川になったというのです。
大河によって引き裂かれた2人でしたが、7月7日の夜だけは会うことが許されたという話です。
実は、この七夕の節句は水のお祭りでもあります。
天の川に見立てた川に川を支配する神様へのささげ物としてウリやキュウリを供え流すのです。
天の川がウリを割った水でできたように、地上の河川ではウリやキュウリを流すのです。
本来、ウリやキュウリをささげる対象は天帝ですが地上の河川を支配している水神様は河童です。
キュウリは河童にささげられるのです。
この一因から河童はキュウリ好きというイメージが生まれました。
七夕のお祭りの際、お供えとして出されるのはキュウリのほかにナスやカボチャで、いずれも河童の好物だとされます。
旧暦の7月7日は野菜の初物が収穫される季節で河童がキュウリの初物が好きだというのも、この点に理由があるのです。
そしてポルトガル人宣教師を河童と混同しました。
ポルトガル人もキュウリを食べます。
キュウリの原産はインドで西洋に伝来したのは日本よりも古くローマ帝国ではキュウリを日常的に食べていました。
とくにヨーロッパではピクルスとして食べられていました。
ポルトガル人宣教師もポルトガルから保存食としてピクルスを持ってきたのでしょう。
日本のキュウリを使ってピクルスを作ったかもしれません。
現在は日本は1人当たりのキュウリ消費量は世界一ですが、当時はそうでもなく江戸時代に書かれた『農業全書』にはキュウリを下等の瓜であって賞味して食べる物ではないと記されています。
また江戸時代中期の1713年出版の挿絵入りの百科事典『和漢三才図会』には、多食すれば害多く益少なしとまで書かれています。
キュウリを好んで食べるポルトガル人宣教師を見て、当時の日本人は、どうしてそんなまずい物を食べるのだろう、よほど好きなのかと思い変わった特徴として伝聞していったのでしょう。
これも河童のキュウリ好き伝説の一因です。

江戸時代以降の河童の姿は、頭に皿があり、クチバシが尖り、甲羅を背負う水神として描かれます。
この河童は、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を示した「四神相応」の構図を示しています。
俗にいう「風水」です。

「東=青竜=水神の使い」「西=白虎=河童の別称の水虎」「南=朱雀=鳥のクチバシ」「北=玄武=亀の甲羅」 。
これらを集合させた姿が河童の姿になるのです。
江戸時代に描かれた河童は、天の四方を表す象徴として陰陽道の使い手、陰陽師が作ったものです。
ユダヤ密教(カバラ)が基である陰陽道の裏の陰陽道の名を「迦波羅(かばら)」といい、音写でユダヤ密教「カバラ」のことです。
また、サンスクリットの「カパーラ(kapla)」の原意は「皿」で、サンスクリットの「サラ(sara)」という言葉は「本質」の意味です。
つまり末日聖徒イエス・キリスト教会の忠実な教会員の聖徒に向けてこう教えています。
未来において、サタンの秘密結社は、カッパを用いて真理をくらまし人々をだます。
しかし、聖徒は福音と啓示により本質を理解せよ。
象徴を込めたようにカッパは、地球の真のイエス・キリストの教会に関係している。
秘密結社は宇宙船の乗員を悪者とする。
しかし、真実は宇宙船の乗員はアルザルにあるイエス・キリスト教会の教会員である行方の知れない10部族である。 (参照)
<転載終了>
神道の起源は非常に古く、縄文時代を起点に、弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられています。
こうして日本の風土や日本人の生活習慣に基づき自然に生じた神観念は、やがて、自然神から人格神へ、精霊的な神から理性的神へ、恐ろしい神から貴い神へ、進化発展を遂げてきたと推察されます。
神道の神は、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」ですが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟る」性格も持っています(荒魂・和魂)。
神道には人間も死後神になるという思想があり、神話に残る祖霊に加えて、地域社会や国家のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊として祟りをなした人物なども、神として神社に祀られ、崇敬されることがあります。
流行神と分霊
大衆の人気を集めた神は流行神(はやりがみ)と呼ばれ、分霊の勧請によって神社の数を増やしていきました。
神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされます。
大衆の人気を集めた流行神、八幡神・伊勢神・天神・稲荷神・熊野神・諏訪神・祇園神です。