http://aska-burnishstone.hatenablog.com/entry/2017/12/30/170918
<転載開始>
「Youtube」にての公開を思いついたのは、クリスマス3日前でした。
打ち合わせ帰りのタクシーの中で、街の中に飾られた「光のオブジェ」を見たときになのです。
去年の「FUKUOKA」の公開は、24日のお昼に思いつきました。
メディアの中には、僕のことを「策略家」と、表現したところもありました。
そうですね・・・。
数年後の景色を浮かべることは常々ですが、
そこへの道順を探るのは、得意ではないようです。
ですので、僕の行動には、あまり計画性というものがありません。
隣に座っていたFUJIではないマネージャーに、
「ロンドンに連絡をして、明日中に、雨のロンドンを感じることができる写真を送って
欲しいと伝えてくれないかな?」
「何用ですか?」
「『一度きりの笑顔』に絵をつけて、クリスマスに公開したいんだよ。」
「編集の時間、ありませんよ。」
「23日の夕方までに写真が届いたら、編集はオレがやるから。」
「Weare」のロンドンでのキーマンは、藤本と言います。
そう。C&Aが初めて設立した個人事務所「REAL CAST」のロンドン支社、
「REAL CAST LONDON」の所長をやってくれていた人物です。
先日、「Weare」の打ち合わせのために、ロンドンから来日してくれました。
彼率いる「REAL CAST LONDON」があったからこそ、「MTV アンプラグド」への出
演が、滞りなく行われたと言っても、過言ではないでしょう。
全世界放送の「MTV アンプラグド」は、2年に渡って出演依頼を受けたのですが、
音楽をやっている者にはとっては、あまりにも「お化け番組」です。
1年目のお誘いは、お断り致してしまいました。
危険信号が点滅したからです。
アジアツアーの成功が「MTV」に届いたことが、お誘いのキッカケとなりましたが、
欧米クラスの、それも、選ばれしミュージシャンだけが出演することのできる
「MTV アンプラグドライブ」です。
もし、そこでアメリカやイギリスを初めとする世界の視聴者に受け入れられなかった時に僕らが受ける精神的なダメージは、その後のC&Aの活動で、大きな障害を抱えることになると思ったからです。
一口で言えば、怖かった。
「MTV」側が、僕らの出演を諦めてくれたとき、安堵したのを覚えています。
「なぜ?」
「どうして?」
「MTV アンプラグドだよ?」
「世界のミュージシャンが憧れてる番組だよ?」
ロンドン支社の外人スタッフたちには、僕らの恐怖が理解できなかったようです。
その後も、C&Aは、頻繁にロンドンを行き来していました。
向こうで活動している日本人のアーティストって、
音楽に限らず、実は本当に多いのです。
自分のポジションを確立し、普通に活動をしています。
認められてもいます。日本のメディアが知らないだけです。
日本のメディアは、日本人が、海外で仕事をすると、すぐに、
「世界の〇〇」
と、いう見出しをつけたがります・・・。
裏を返すと、外人コンプレックスだと思うのです。
もちろん、僕の中にも、それがあったようです。
ですから「恐怖」を感じたのでしょう。
海外で精力的に活動する多くの日本人との出会いから、
「もし、次に『MTV アンプラグド』からの出演依頼があったら、引き受けてみよう」
このように、気持ちは変化していきました。
しかし、MTVには、「出演を断られた」という感情が残ったでしょう。
「失礼なことをしてしまった。出演依頼は、もうないだろう」
そう思っていた矢先、再度のアプローチがあったのです。
それは、「REAL CAST LONDON」スタッフたちが、「MTV」と良い人間関係を築きあげてくれておりまして、翌年のアジアツアー成功の報告や、ライブ映像を「MTV」に観せてくれていたからでした。
そして、C&Aの「MTV アンプラグドライブ」は、その年の、ベストライブのひとつに選ばれ、その年、イギリスを含めるヨーロッパにおいて、クリスマスの一日中、何度も放送されました。
「一度きりの笑顔」
僕の中には、もう映像がありました。
マネージャーが、ロンドンの藤本と連絡がついたとき、彼はポーランドにいたのです。
それでも、藤本は動いてくれました。
また、僕には、彼が動いてくれるであろうということがわかっていたのです。
「プロでも、プロを目指している者でも構わない。『The London』と言える写真
が、20枚から30枚。そして、動画をひとつあればいい。」
そして「Weare理念」に、賛同してくれたイギリス人と日本人のハーフ、
「Akira Trees」から、写真が届きました。
茨城で生まれ、7歳で渡英。まだ、ロンドン大学を卒業したばかりの青年でした。
ロンドン大学か・・・。
なかなか入れる大学ではないと記憶しています。
ご存知のように、イギリスやアメリカでは、日本以上に「権利」が発生します。
しかし、「Akira Trees」は、ほぼ無償で、写真を提供してくれました。
その届けられた写真の中から「一度きりの笑顔」に合う写真を選び、
それを繋ぎ、完成したのは、23日の19時ごろでした。
しかし、「Youtube」に公開直前に、「赤の扉」「緑の扉」など、数点が、さらに送られてきました。これこそ、望んでいた写真でした。
すぐに、それらを動画に放り込む作業を行い、
全てが完了したのは、23日23時58分でした。
イブの2分前に完成した「一度きりの笑顔」。
みなさん、喜んでくれてどうもありがとう。
「Akira Trees」は、それを、本当に喜んでくれました。
世界は、文化の違いにより、当然、人としての表現が違います。
しかし、「喜怒哀楽」は同じです。
みなさんや僕が、あの出来事によって「幸福感」を分け合った。
それが、彼に伝わった。
幸せな「クリスマスイブ」になりました。
で、早くも、来年のクリスマスがプレッシャーとなっています。
あれ、ほんとに思いつきですから・・・。
ほんと、思いつき。
期待されても困るわけです。
ホント、困る・・・。
マジ、困る・・・。
そして、いよいよ明日は、大晦日か・・・。
テレビ観なきゃね。
日本人としての大晦日の行事です。
で、
僕は「AbemaTV」で元旦に放送する、
「亀田大毅に勝ったら1000万!!」
これが、楽しみです。
いろいろ、楽しみなんです・・・。
P.S
1 月1日11時。
「一度きりの笑顔」
が、「Weare」から、配信されます。
「黄昏を待たずに」
も、
「12月半ば配信」と、お伝え致しました。
遅れてしまいましたが、実は、遅らせたのです。
ハイレゾ配信日に、その意味を分かっていただけるはずです。
<転載終了>
一度きりの笑顔 ASKA 2017/10/25 ASKA New Album「Black&White」の隠しトラックを公開 ASKA
Burnish Stone
ふと思い出した話をしよう
一度きり
たった一度きりの笑顔に出会った話を
そこは二度目のロンドン生活の地
“Vivian Way Hampstead Garden Suburb”
寒い夜には星の鳴る声が聞こえそうなところ
まだ僕が家族を持っていたとき
もうすでに老婆はひとりだった
あの老婆の目には何が映っていたのだろう
いつもいつも窓際に立ち 外を見ていた
まるで一枚の肖像画で窓を塞いだように
いつもいつも 同じ表情をしていた
空を見上げることもなく
ただ静かに立っていた
さらりと老いている人ではない気がした
いつか 笑顔のための笑顔を向けてみたが
そこには 恍惚のための恍惚の顔しかなかった
日の光がとても柔らかな正午の真ん中での出来事だった
家族で外出をするときだった
「おばあちゃーん!」
ふたりの幼子が大きく手を振りながら
日本語で老婆に駆け寄ったのだ
老婆は恍惚をやめ
微笑みを浮かべ手を振り返した
僕はこのできごとを
いつか歌にしたいと思っている
「一度きりの笑顔」を
先日 グーグルアースで家を見つけた
その瞬間に思い出した
「一度きりの笑顔」を
“Vivian Way Hampstead Garden Suburb”
僕の住んだ家
ここも「遥か昨日のこと」
ASKA
Photo&Movie by Mitsuya Fujimoto
Thanks for Big help from LONDON.
この作品の権利は「Burnish Stone」「DADAレーベル」にあります。