高橋信次 「 心行 」 朗読
https://www.youtube.com/watch?v=SIfDueKpB_A
tomoxx2001
2017/08/26 に公開
敬愛する故高橋信次先生の「心行」を読経してみました。 現代の最高峰のお経だと確信します。 お経とは唱えるものではない、実践するものだと いう意図が心にしみます。行いが全てなのですね。
http://sunheart.web.fc2.com/siryou-sinngyou.html
<転載開始>
心行
「心行」について
「心行」は、大宇宙の相互間系と人間関係、そして、すべてのものが循環され、この循環が大宇宙の心、中道を軸にして回転し、人間の魂もまたこうした正しい循環の過程の中で育まれ、調和という目標に向かって転生輪廻を重ねて行く永遠の生命であることを、きわめて平易に、端的に文字で表したものである。
「心行」の柱となるものは
1、大自然という神の心2、永遠の生命体を維持する循環の法3、慈悲と愛の三つである。
この三つが「心行」を形作り、私達を生かし続けているものであり、「心行」はそれゆえに心の教えであり生活の規範である。したがって、これは暗記するものではなく、これを理解し実践して行くものだ。実践の過程を通して大宇宙の中道の心に調和され、真の安らぎが体得できるものである。
言葉は波動である経文もただ読み上げるだけでは意味を持たないが経文の意味を理解し実践している者が唱える時はその言葉の波動はあの世の天上界まで通じ人々を感動させる。
言葉は言霊(ことだま)と言って光の粒子からできており、言葉を発する人の心の在り方いかんでは、言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。
人の話に感動する、
ないしは笑いや怒りが出てくる場合は、話す側の心と、これを受け取る人の精神状態によっても違うが、しかし、純な心で話す場合は、これを受け取る側に邪心があっても、消えてしまう。また、話はスジが通ってわかるが、サッパリ気持ちが付いていかないということもあるであろう。
これは話す人の心の在り方が聞き手に大きな影響を与える。純な心は光であり、わだかまりがあると光が黒い塊となって相手に伝わって行くので、反作用を起こすことになる。ちょつとした寺には釣鐘があるが、常日頃心の研鑚を怠っていなければ、鐘をツク人の心の在り方によってはゴーンという鐘の音の波動もあの世の天上界にまで達し、その人に返ってくるばかりか、その鐘の波動は人々の心を浄化してくれる。
経文の朗読もこれと同じで、正しき心と行為をしている者がすると心の統一、安らぎを尚一層助長していく。「心行」の朗読はそうした意味では大切であり、しないより良いということになるが、書かれている意味もわからず、拝めばご利益があるということでは駄目である。般若心経はどこでも読まれているありがたいお経であるとされている。写経も良し読経もまたご利益があると伝えられている。しかしその意味も分からず行為のないものが朝晩あげても光は届かない。
今日の仏教は、経文をあげたり写経自体にウエイトがかかり、日ごろ
の想念と行為については問題にしていないところに問題がある。「心行」は真意をよく理解して、それを現実の生活の上に現し、その心で朗読されるならば、一の言霊はニになり、三になって心の安らぎは増していくであろう。
「心行」の意味を理解され、夜眠る前に床の上で静かに朗読されその日一日の想念行為を反省し、過ちを正し中道の心に一日も早く修正されることを望むものである。
-高橋信次-
https://www.youtube.com/watch?v=SIfDueKpB_A
tomoxx2001
2017/08/26 に公開
敬愛する故高橋信次先生の「心行」を読経してみました。 現代の最高峰のお経だと確信します。 お経とは唱えるものではない、実践するものだと いう意図が心にしみます。行いが全てなのですね。
心行-自らの心と行い
インターネット正法さんのサイトよりhttp://sunheart.web.fc2.com/siryou-sinngyou.html
<転載開始>
心行
「心行」について
「心行」は、大宇宙の相互間系と人間関係、そして、すべてのものが循環され、この循環が大宇宙の心、中道を軸にして回転し、人間の魂もまたこうした正しい循環の過程の中で育まれ、調和という目標に向かって転生輪廻を重ねて行く永遠の生命であることを、きわめて平易に、端的に文字で表したものである。
「心行」の柱となるものは
1、大自然という神の心2、永遠の生命体を維持する循環の法3、慈悲と愛の三つである。
この三つが「心行」を形作り、私達を生かし続けているものであり、「心行」はそれゆえに心の教えであり生活の規範である。したがって、これは暗記するものではなく、これを理解し実践して行くものだ。実践の過程を通して大宇宙の中道の心に調和され、真の安らぎが体得できるものである。
言葉は波動である経文もただ読み上げるだけでは意味を持たないが経文の意味を理解し実践している者が唱える時はその言葉の波動はあの世の天上界まで通じ人々を感動させる。
言葉は言霊(ことだま)と言って光の粒子からできており、言葉を発する人の心の在り方いかんでは、言葉の一つ一つが、光の玉となって空間に流れ出て行く。
人の話に感動する、
ないしは笑いや怒りが出てくる場合は、話す側の心と、これを受け取る人の精神状態によっても違うが、しかし、純な心で話す場合は、これを受け取る側に邪心があっても、消えてしまう。また、話はスジが通ってわかるが、サッパリ気持ちが付いていかないということもあるであろう。
これは話す人の心の在り方が聞き手に大きな影響を与える。純な心は光であり、わだかまりがあると光が黒い塊となって相手に伝わって行くので、反作用を起こすことになる。ちょつとした寺には釣鐘があるが、常日頃心の研鑚を怠っていなければ、鐘をツク人の心の在り方によってはゴーンという鐘の音の波動もあの世の天上界にまで達し、その人に返ってくるばかりか、その鐘の波動は人々の心を浄化してくれる。
経文の朗読もこれと同じで、正しき心と行為をしている者がすると心の統一、安らぎを尚一層助長していく。「心行」の朗読はそうした意味では大切であり、しないより良いということになるが、書かれている意味もわからず、拝めばご利益があるということでは駄目である。般若心経はどこでも読まれているありがたいお経であるとされている。写経も良し読経もまたご利益があると伝えられている。しかしその意味も分からず行為のないものが朝晩あげても光は届かない。
今日の仏教は、経文をあげたり写経自体にウエイトがかかり、日ごろ
の想念と行為については問題にしていないところに問題がある。「心行」は真意をよく理解して、それを現実の生活の上に現し、その心で朗読されるならば、一の言霊はニになり、三になって心の安らぎは増していくであろう。
「心行」の意味を理解され、夜眠る前に床の上で静かに朗読されその日一日の想念行為を反省し、過ちを正し中道の心に一日も早く修正されることを望むものである。
-高橋信次-
http://sunheart.web.fc2.com/singyo.html
「心行」(しんぎょう)
われいま見聞(けんもん)し正法(しょうほう)に帰依することを得(え)たり
広大なる宇宙体は万生万物(ばんしょうばんぶつ)の根元(こんげん)にして万生万物相互の作用により転生輪廻の法に従う
大宇宙大自然界に意識あり
意識は大宇宙体を支配し 万生万物をして調和の姿を示さん
万生万物は、広大無辺(こうだいむへん)な大慈悲なり
大宇宙体は意識の当体にして意識の中心は心なり
心は慈悲と愛の塊(かたま)りにして当体意識は不二(ふじ)なることを悟るべし
この大意識こそ大宇宙大神霊・仏なるべし神仏なるがゆえに 当体は大神体なり
この現象界における太陽系は大宇宙体の小さな諸器官の一つにすぎず地球は小さな細胞体なることを知るべし
当体の細胞なるがゆえに細胞に意識あり
かくの如く 万物すべて生命にしてエネルギーの塊りなることを悟るべし
大宇宙体は、大神体なるがゆえにこの現象界の地球も神体なり
神体なるがゆえに 大神殿なるべし
大神殿は 万生 魂の修行所なり
諸々の諸霊 皆ここに集まれり
諸霊の輪廻は三世の流転
この現象界で己の魂を磨き神意に添った仏国土・ユートピアを建設せんがためなり
さらに 宇宙体万生が 神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため己の魂を修行せることを悟るべし
過去世 現世 来世の三世は生命流転の過程にして
永久(とわ)に不変なることを知るべし
過去世は 己が修行せし前世すなわち過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり
現世は、生命・物質不二の現象界この世界のことなり
熱 光 環境 一切を含めてエネルギーの塊にしてわれら生命意識の修行所なり
神仏より与えられし慈悲と愛の環境なることを感謝すべし
来世は次元の異なる世界にして現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり
意識の調和度により 段階あり
この段階は神仏の心と己の心の調和度による光の量の区域(くいき)なり
神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満(み)ち実在の世界にあって
諸々の諸霊を善導(ぜんどう)する光の天使なり
光の天使 すなわち諸如来 諸菩薩のことなり
この現象界は神仏より一切の権限を光の天使に委ねしところなり
光の天使は慈悲と愛の塊にしてあの世 この世の諸霊を導かん
さらに 諸天善神あり諸々の諸霊を 一切の魔より守り正しき衆生を擁護せん
肉体を有する現世の天使は諸々の衆生に正法神理を説き調和の光明へ導かん
この現象界におけるわれらは過去世において己(おのれ)が望み 両親より与えられし肉体という舟に乗り人生航路の海原へ己の意識・魂を磨き神意の仏国土を造らんがため生れ出でたることを悟るべし
肉体の支配者は 己(おのれ)の意識なり
己の意識の中心は心なり
心は実在の世界に通じ
己の守護・指導霊が常に善導せることを忘れるべからず
善導せるがために 己の心は己自身に忠実になることを知るべし
しかるに 諸々の衆生は
己の肉体に 意識・心が支配され己が前世の約束を忘れ
自己保存 自我我欲に明け暮れて己の心の魔に支配され 神意に反しこの現象界を過ぎ行(ゆ)かん
また 生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり
その原因は煩悩なり
煩悩は
眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・にい・び・ぜつ・しん・い)の六根が根元なり
六根の調和は 常に中道を根本として己の正しい心に問うことなり 己の正しい心に問うことは反省にして反省の心は己の魂が浄化されることを悟るべし
己自身は孤独に非(あら)ず意識のなかに己に関連せし守護・指導霊の存在を知るべし
守護指導霊に感謝し さらに反省は己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし
六根あるがゆえに 己が悟れば菩提と化すことを悟るべし
神仏の大慈悲に感謝し万生相互の調和の心が神意なることを悟るべし
肉体先祖に報恩供養の心を忘れず両親に対しては孝養を尽くすべし
心身を調和し 常に健全な生活をし平和な環境を造るべし
肉体保存のエネルギー源は万生をふくめ 動物・植物・鉱物なり
このエネルギー源に感謝の心を忘れず日々の生活のなかにおいて
己の魂を修行すべし
己の心、意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活のなかに
神仏より与えられることを悟るべし 己の肉体が苦しめば 心脳乱しわが身楽なれば 情欲に愛着す
苦楽はともに正道成就の根本にあらず 苦楽の両極を捨て 中道に入り自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし
一切の諸現象に対し
正しく見 正しく思い 正しく語り
正しく仕事をなし 正しく生き
正しく道に精進(しょうじん)し 正しく念じ
正しく定(じょう)に入るべし
かくの如き正法の生活のなかにこそ神仏の光明を得(え) 迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり
このときに神仏の心と己の心が調和され心に安らぎを生(しょう)ぜん 心は光明の世界に入り三昧(さんまい)の境涯に到達せん
(この諸説は末法万年の神理なることを悟り、日々の生活の師とすべし)
<転載終了>
「心行」(しんぎょう)
われいま見聞(けんもん)し正法(しょうほう)に帰依することを得(え)たり
広大なる宇宙体は万生万物(ばんしょうばんぶつ)の根元(こんげん)にして万生万物相互の作用により転生輪廻の法に従う
大宇宙大自然界に意識あり
意識は大宇宙体を支配し 万生万物をして調和の姿を示さん
万生万物は、広大無辺(こうだいむへん)な大慈悲なり
大宇宙体は意識の当体にして意識の中心は心なり
心は慈悲と愛の塊(かたま)りにして当体意識は不二(ふじ)なることを悟るべし
この大意識こそ大宇宙大神霊・仏なるべし神仏なるがゆえに 当体は大神体なり
この現象界における太陽系は大宇宙体の小さな諸器官の一つにすぎず地球は小さな細胞体なることを知るべし
当体の細胞なるがゆえに細胞に意識あり
かくの如く 万物すべて生命にしてエネルギーの塊りなることを悟るべし
大宇宙体は、大神体なるがゆえにこの現象界の地球も神体なり
神体なるがゆえに 大神殿なるべし
大神殿は 万生 魂の修行所なり
諸々の諸霊 皆ここに集まれり
諸霊の輪廻は三世の流転
この現象界で己の魂を磨き神意に添った仏国土・ユートピアを建設せんがためなり
さらに 宇宙体万生が 神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため己の魂を修行せることを悟るべし
過去世 現世 来世の三世は生命流転の過程にして
永久(とわ)に不変なることを知るべし
過去世は 己が修行せし前世すなわち過ぎ去りし実在界と現象界の世界なり
現世は、生命・物質不二の現象界この世界のことなり
熱 光 環境 一切を含めてエネルギーの塊にしてわれら生命意識の修行所なり
神仏より与えられし慈悲と愛の環境なることを感謝すべし
来世は次元の異なる世界にして現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり
意識の調和度により 段階あり
この段階は神仏の心と己の心の調和度による光の量の区域(くいき)なり
神仏と表裏一体の諸霊は 光明に満(み)ち実在の世界にあって
諸々の諸霊を善導(ぜんどう)する光の天使なり
光の天使 すなわち諸如来 諸菩薩のことなり
この現象界は神仏より一切の権限を光の天使に委ねしところなり
光の天使は慈悲と愛の塊にしてあの世 この世の諸霊を導かん
さらに 諸天善神あり諸々の諸霊を 一切の魔より守り正しき衆生を擁護せん
肉体を有する現世の天使は諸々の衆生に正法神理を説き調和の光明へ導かん
この現象界におけるわれらは過去世において己(おのれ)が望み 両親より与えられし肉体という舟に乗り人生航路の海原へ己の意識・魂を磨き神意の仏国土を造らんがため生れ出でたることを悟るべし
肉体の支配者は 己(おのれ)の意識なり
己の意識の中心は心なり
心は実在の世界に通じ
己の守護・指導霊が常に善導せることを忘れるべからず
善導せるがために 己の心は己自身に忠実になることを知るべし
しかるに 諸々の衆生は
己の肉体に 意識・心が支配され己が前世の約束を忘れ
自己保存 自我我欲に明け暮れて己の心の魔に支配され 神意に反しこの現象界を過ぎ行(ゆ)かん
また 生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり
その原因は煩悩なり
煩悩は
眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・にい・び・ぜつ・しん・い)の六根が根元なり
六根の調和は 常に中道を根本として己の正しい心に問うことなり 己の正しい心に問うことは反省にして反省の心は己の魂が浄化されることを悟るべし
己自身は孤独に非(あら)ず意識のなかに己に関連せし守護・指導霊の存在を知るべし
守護指導霊に感謝し さらに反省は己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし
六根あるがゆえに 己が悟れば菩提と化すことを悟るべし
神仏の大慈悲に感謝し万生相互の調和の心が神意なることを悟るべし
肉体先祖に報恩供養の心を忘れず両親に対しては孝養を尽くすべし
心身を調和し 常に健全な生活をし平和な環境を造るべし
肉体保存のエネルギー源は万生をふくめ 動物・植物・鉱物なり
このエネルギー源に感謝の心を忘れず日々の生活のなかにおいて
己の魂を修行すべし
己の心、意識のエネルギー源は調和のとれた日々の生活のなかに
神仏より与えられることを悟るべし 己の肉体が苦しめば 心脳乱しわが身楽なれば 情欲に愛着す
苦楽はともに正道成就の根本にあらず 苦楽の両極を捨て 中道に入り自己保存 自我我欲の煩悩を捨てるべし
一切の諸現象に対し
正しく見 正しく思い 正しく語り
正しく仕事をなし 正しく生き
正しく道に精進(しょうじん)し 正しく念じ
正しく定(じょう)に入るべし
かくの如き正法の生活のなかにこそ神仏の光明を得(え) 迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり
このときに神仏の心と己の心が調和され心に安らぎを生(しょう)ぜん 心は光明の世界に入り三昧(さんまい)の境涯に到達せん
(この諸説は末法万年の神理なることを悟り、日々の生活の師とすべし)
心行について |
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心行は人間が神の子であることを高らかに宣言しています。 そこに、今までの人間は罪の子であるという極小の虚像は崩れ去っていくのです。他に依存した人間の姿はそこにはありません。 心の道は、この大宇宙を調和させ、この宇宙を永遠の生命として、とまることのない、宇宙の完成に向けて歩む生命としての人間の姿がそこにあります。 人間は神の子なのです。 それゆえに心行は拝むものでも、暗記するものでもありません。これを理解し実践することにこそ意義があるのです。 何かにすがって拝む、極小の虚像はそこにはないからです。 心は神の心に通じています。 神の心に通じた本当の人間の姿を真我とするならば、自らの心のスモックに覆われ光を失った姿を偽我とすることができるでしょう。 そのスモッグを取り払うことができるのは、自分しかできません。これが神の子人間としての厳しい掟なのです。 そして嘘のつけない自分の心に問うことが大切です。 人には嘘をつけても自分には嘘はつけません。嘘のつけない自分の心を信じる事です。それが本当の信心です。 日々、一切の諸現象に対して、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をし、正しく生き、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく禅定し、この八正道を通じ真我なる自分を見つけることです。 慈悲愛にあふれた自分を見つけることです。 そして慈悲ある真我たる自分を見つけたときに、その行為は愛となってこの地上界を調和させて行くのです。 |