社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1071843219.html
<転載開始>
①「エネルギー,描けぬ道筋 第5次基本計画,閣議決定」(『朝日新聞』2018年7月4日朝刊3面「総合」)
政府は〔7月〕3日,エネルギー政策の中長期的な方向性を示す「第5次エネルギー基本計画」を閣議決定した。2030年度の電源構成に占める原発の比率を「20~22%」にするとの政府目標を新たに盛りこむなど,原発推進の姿勢を維持。一方,再生可能エネルギーは,地球温暖化対策のパリ協定発効を受け,「主力電源化」をめざす方針を初めて打ち出した。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1071843219.html
<転載開始>
【原発を利用する「電力生産の必要性」など,すっかりなくなっている日本社会のエネルギー資源・経済事情,
この現実に目をつむって,エネルギー問題を語りつづける原子力村利害関係者たちの悪夢的な発想は,これからもまだつづけられるのか】
①「エネルギー,描けぬ道筋 第5次基本計画,閣議決定」(『朝日新聞』2018年7月4日朝刊3面「総合」)

補注)原発の比率を2030年度の電源比率において「20~22%」にするという政府目標は,以前から提唱されていた事項である。それゆえ,このようにいかにも,今回にあらためて「新たに盛りこむ」のだという表現方法は,相当に奇妙である。違和感を抱かせる。
つづく記事のなかに出てくるが,「原発=重要なベースロード電源」と定義した観点も実は同じであって,格別に新味はなかった。
ただし,それに対して「再生可能エネルギー⇒『主力電源化』」という観点は,なぜなのか,「原発が重要」だとする観点と無理やり同居させられている。それだけに,これら相互の関連づけに関する理解には苦しむほかない。
電力の需給関係で判断すれば,日本は人口減少を加速させていくほかなく,また省エネ体制がより進展していく前提条件のなかでは,電力の総需要に対していままで原発が占めていた割合は「再生エネルギーの開発・利用」によって補填・代替されるべき部分だとみなしたほうが,より妥当性ある判定たりうる。
「再エネ=主力電源化」といったふうな,「3・11」以前であればほとんど無視あるいは拒否されていた認識が提示されていても,いまなお「重要なベースロード電源」だと位置づける原発も並べてもちだすかっこうで,電力供給の約3割が原発に依存していた「昔の時期」に戻りたいとする〈願望〉が, “欲深く” 表現されてもいる。
ここでは,ほぼ1年前時点の説明となるが,「【エネルギー】日本の発電力の供給量割合[最新版](火力・水力・原子力・風力・地熱・太陽光等),体系的に学ぶ」『Sustainable Japan』2017/06/06 を参照されたい。
そのなかから,経済産業省エネルギー庁が公表していたつぎの図表を引用しておくが,原発(原子力に依存する電力生産)の部分は,これがナシでも済ませられる「日本のエネルギー需給関係」が,しかも再生エネルギーの開発・利用の進展にともない徐々に,かつ着実にととのいつつある。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』の記事に出ていた「再生エネルギーの主力電源化」という動名詞的な表現の方法(1種の発想)は,「3・11」以降,2年近く全面的に稼働できなかった期間もあった原発体制に対する “ある種の切実な願望” を,合わせ鏡的に定義するものであった。
つぎに引用する記事にも出てくる表現であるが,「原発は重要なベースロード電源である」という文句に対して,最近になり登場してきた「再生エネルギー=主力電源化」といった概念(観念)は,かなり〈おもしろい組み合わせ〉と思われる。この点に注目して,以下につづく『朝日新聞』記事の内容を読みたい。
1) 原発・核燃サイクル推進 新増設は触れず,世論を意識
「安全最優先の再稼働や使用済み燃料対策など,必要な対応を着実に進める」。世耕弘成経済産業相は閣議後の会見で語った。計画では,前回に続いて原発を「重要なベースロード電源」と位置づける。だが現実との隔たりは大きい。
原発比率「20~22%」を達成するには,30基程度の再稼働が必要とされるが,新規制基準のもと再稼働したのは9基。17基がそれに続くというが,地元同意の難航が予想される原発や,原子炉建屋の直下に活断層の存在が指摘される原発もあり,目標達成は「もはや絵空事」(橘川武郎・東京理科大教授)と指摘される。それでも政府は2015年に決めた電源構成の目標をみなおさなかった。
〔記事に戻る→〕 原発の運転期間は最長60年と定められ,古い原発を建て替えるなどしなければ,原発はいずれゼロになる。だが,前回同様,計画では原発の新増設の是非に触れなかった。
経産省は当初,新増設の必要性を書きこむことを模索したが,首相官邸から「門前払いを受けた」(関係者)という。新増設を認めれば世論の反発を招きかねず,憲法改正などほかの政策課題を優先したい官邸は,時期尚早と判断したとみられる。
福島の事故を受け,原発の建設費は上昇し,海外では最新鋭タイプが1基1兆円の時代に入った。政府が成長戦略にかかげる原発輸出も,日立製作所と三菱重工が英国とトルコでそれぞれ苦戦しているが,計画はあくまで原発輸出の「推進」をかかげる。
使用済み核燃料からとり出したプルトニウムを再利用する核燃料サイクルも引きつづき「推進」としたが,現実はゆきづまっている。サイクルの中核に位置づけられてきた高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉が2016年末に決定。政府がその後継と位置づけるフランスの高速炉計画も出力規模を大幅縮小する方向となり,雲行きは怪しい。
日本が国内外に抱えるプルトニウムの量は原爆6千発分の約47トンに増えた。米国が核不拡散の観点から問題視していることから,計画には「保有量の削減にとり組む」との表現を初めて盛り込んだ。
だが,ふつうの原発でプルトニウムを燃やすプルサーマル発電は滞り,具体的に減らす手立てを示せていない。2.9兆円かけた六ケ所再処理工場(青森県)が完成しても操業は大幅に制限される可能性があり,「サイクルは破綻している」との声が政権内からも上がる。
2) 再生エネ,初の「主力電源化」 目標は引き上げず,欧州と差
原発の危険性が「安価でも安心でもない特性」にこそみいだせる事実の認識は,「3・11」以降は定着してきた。この原発をベースロード電源に位置づけるという思考方式は,科学的に合理性をみいだせないのであり,また経済計算上では「原発コストとして噴出しているその法外性」も確実に認知されている。
〔記事に戻る→〕 一方,日本では,大手電力が送電線の空き容量がないとして,再生エネの接続を拒否する事例が相次ぐ。世界に比べ導入比率が圧倒的に小さい風力をどう伸ばすか,割高な発電コストをどう下げるかも課題だが,今回の計画では「主力電源化」に向けた具体的な道筋までは示されていない。
高橋 洋・都留文科大教授は「日本は再生エネをどこまで政府が推進するのか不透明な点が多く,事業者が長期的に安心して投資できない。コスト低減を促すためにも,導入目標を高めるべきだ」と指摘する。(引用終わり)
以上,『朝日新聞』の記事を利用した記述であった。この記事は『日本経済新聞』(「日本財界新聞)でもさらに多くの紙面を充てて報道されていた。
③「プルトニウム削減 難題に 新エネ計画で初めて明記 核拡散懸念,逃れられず」(『日本経済新聞』2018年7月4日朝刊「総合2」)
政府は〔7月〕3日,中長期のエネルギー政策を示す新たな「エネルギー基本計画」を閣議決定した。原子力発電所の使用済み核燃料から出るプルトニウムについて「保有量の削減にとり組む」と盛りこんだ。核不拡散の観点から,国際社会が懸念を示していることに対応した。政府はプルトニウムを燃料に使う「プルサーマル発電」を進める意向だが,原発の再稼働は進んでおらず,実現は不透明だ。日本の原子力政策に難題が突きつけられた。(関連記事経済面に)
日本は「利用目的のないプルトニウムはもたない」原則をかかげていたが,原発再稼働の遅れなどから保有量が増えていた。このため,内閣府の原子力委員会が1月,削減方針を打ち出していた。今春以降,米国が削減を強く求めたため,原子力委は保有量の増加を抑える上限制を導入し,削減を促す方針を近くまとめる予定だ。
新たなエネルギー基本計画でもこうした方針に歩調を合わせ,「削減」を明記した。世耕弘成経済産業相は同日の閣議後の記者会見で「削減にとり組む趣旨をより明確にした」と意義を強調した。経産省の担当者は「外務省からも強い要望があった」と明かす。
プルトニウムはウラン燃料を原発で燃やすさいに生じ,使用済み燃料を再処理して出てくる。プルトニウムの製造は核兵器への転用を防ぐため禁止されているが,資源に乏しい日本はプルトニウムの再利用が日米原子力協定で認められている。非核保有国で認められているのは日本だけだ。
だが再利用は進まず,保有量は増えている。テロのリスクが高まるほか,他国がプルトニウム保有を要求するなど核拡散の恐れがあり,米は削減を強く求めていた。
補注)いまではネット上でいろいろ関連する記事がみつかるが,ここでは『しんぶん赤旗』が18年前に報道した記事を紹介する。
※ 関連の解説記事 ※〔記事に戻る ↓ 〕
プルサーマル発電とは,使用済み核燃料を再処理したプルトニウムとウランを混ぜてウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を作り,一般的な原発で発電する。プルトニウムの「プル」と原子炉を示すサーマル・リアクターの「サーマル」を組み合わせた名称である。
部品などの変更は不要で,いまある原発の設備を使える。炉心に装填する燃料のうち3分の1までMOX燃料にすることが認められている。
国内では2009年に九州電力玄海原発(佐賀県)で初めて実施され,東京電力福島第1原発(福島県)など4原発に導入された。福島第1原発は2011年3月の事故で停止。他の3つの原発は新規制基準に合格して再稼働するまで停止した。
a)「プルサーマルは力不足」
政府と電力会社はプルトニウム削減のため,プルサーマル発電を導入する原発を増やす方針だ。2015年度までに16~18基の原発で実施する計画だったが,原発の再稼働は進んでおらず,導入できたのは関西電力高浜原発3号機・4号機(福井県)や四国電力伊方原発3号機(愛媛県),九州電力玄海原発3号機(佐賀県)の4基にとどまる。
東京電力柏崎刈羽原発6号機・7号機(新潟県)は原子力規制委の安全審査に合格したものの,地元の慎重姿勢もあって再稼働には時間がかかりそうだ。中部電力なども再稼働が遅れている。政府は西日本の原発でプルサーマル発電を拡大し,東電や中部電の保有分を燃やして消費することを検討する。
大手電力会社でつくる電気事業連合会は政府の方針に対し「今後,検討する」(勝野 哲会長)。一方で「地元の反発が強くて実現できるかわからない」(電力幹部)との声も根強い。
プルトニウム利用の本命だった高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)の廃炉が2016年に決まり,プルサーマルは頼みの綱だ。しかし,プルトニウム削減効果は大きくない。120万キロワット級の大型原発でも,1基が1年に消費する量は0.4トンほどだ。
原子力委によると,2016年は関電高浜原発3,4号機などで実施したが,減ったのは1トンにも満たなかった。計画通りに16~18基の原発で導入できても,国内外に47トン保有するプルトニウムを大きく減らすのは簡単ではない。
Jパワーが建設中の大間原発(青森県)はプルサーマル発電を前提にしており,稼働すれば年に1.1トン消費できる。しかし,東電福島第1原発事故後,工事が大幅に遅れ,稼働のメドはは立っていない。
日本原燃が2021年の完成をめざす使用済み核燃料再処理施設(青森県)が稼働すれば,使用済み核燃料に含まれるプルトニウムが抽出され,増えてしまう。使用済み核燃料のままなら核兵器への転用はむずかしく,保有量にはカウントされない。
原燃の再処理施設は最大で年間8トンのプルトニウムをとり出せる。政府は原発の再稼働が進むことを前提に,再処理する量をプルサーマルの実施に必要な量だけに限定し,余剰分を持たないようにする方針だ。
b)「英仏へ譲渡 実現みえず」
日本が保有する約47トンのプルトニウムのうち約37トンは,使用済み燃料の再処理を委託する英国とフランスにある。米はこうした海外の在庫も問題視しているという。日本政府内では,英仏に譲渡する案も浮上している。経産省幹部は「金を出して消費してもらうことも選択肢」と話す。
ただ交渉は始まっておらず,実現は見通せない。英国はプルサーマルを凍結しており,プルトニウムを消費できない。フランスでは40年以上の実績があるが,日本の要望を受け入れるかは不明だ。いまの原子力政策では,プルサーマル発電で出る核燃料も再利用する方針だ。原子力委の元委員長代理の鈴木達治郎・長崎大学教授は「政策転換が必要だ」と指摘する。(引用終わり)
ここでは,つぎの記述を参考とするために引用する。前段に紹介した「戦争ごっこの大好きな」安倍晋三の,2002年時点における発言と併せて聞くべき内容である。
〔7月〕3日に閣議決定したエネルギー基本計画では,原子力を引き続き活用していく方針を示した一方,再生可能エネルギーは「主力電源化」をめざすと初めて位置づけ,導入の推進をかかげた。ただ,いずれの電源や技術も活用拡大に向けた具体策となると課題は多い。資源が乏しい日本でエネルギーの安定供給をどう維持していくか。計画策定後も官民での議論が不可欠だ。(総合2面参照)
今回の計画では,原子力20~22%,再生エネ22~24%といった2030年の電源に占める比率の目標は維持した。2011年の東京電力福島第1原子力発電所の事故以降,原子力政策に対する国民の視線は厳しい。計画ではそうした世論も踏まえたうえで,原発再稼働を推進する姿勢をあらためて明確にした。
原子力をめぐっては,焦点だった原発の新増設の是非には触れなかった。将来も原発を活用するのであれば,次世代の原発のあり方を議論せざるをえないが,経済産業省は計画見直しの検討会議で踏みこみを避けた。放置すれば原子力に関わる技術や人材は先細りになる。
将来的には,電力会社の原発事業は法的に分離され,原子力専業会社として2~3社に集約されることが望ましい。送配電事業と同様,競争環境下でも原発事業には総括原価方式が採用されるべきであり,あまねく広く電気利用者に政策的費用の負担をさせるためには同時に原発のメリットを享受できる仕組であるべきだ。
補注中の補注)この「競争環境下でも原発事業には総括原価方式が採用されるべき」だという提唱は,目茶苦茶な発想である。この総括原価方式でほかの電源,とくに「再生エネ」との競争が成立すると考えているのか? 「原発の技術経済学」の基本から無縁の議論である。このようにいわれる事由はいちおう,つぎにつづく記述のなかに言及されている。
〔記事に戻る→〕 具体的には原発からの電気を新電力にも調達しやすいかたちで公益電源として一部卸売市場に拠出することを義務づけるのもひとつの選択肢だ。水力や地熱などからの電気も組み合わせ,卸売り収益の一定額をプールし,再生エネ拡大のための開発投資に活用することもできるだろう。
補注)これは原発以外の電源によって電力事業を展開する電力会社に,原発事業との無理心中を強要する理屈が,正々堂々と述べられている。なんとしてでも,原発の再稼働から発生する負担は,このように「他所に付けまわしをするかたち」でもって,分散的に負担させていこうとする企図である。こういう意見を陳述できる工学者は,はたして「経済の論理」だとか事業経営としての「電力産業の本質問題」を,いかほど理解したうえで議論の参入してきたのか疑問が生じて当然である。
リプレースのさいの資金調達には,現実的には政府保証が必要となる。また,現行の原発事故の損害賠償制度においては,発災事業者に無限に責任を負わせる枠組となっているが,原発政策を推進する社会的責務として,政府の実質負担が求められるべきだ。原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない。さもなければ,政府がめざす日本の原発維持はできない。
註記)遠藤典子慶應義塾大学大学院特任教授「第29回 福島後の未来をつくる」 『週刊エコノミスト』2016年3月22日号,https://www.weekly-economist.com/2016/03/22/……)
補注)このビックリさせられる意見,「原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない。さもなければ,政府がめざす日本の原発維持はできない」といういいぶんは,実質で「3・11」以前の立場となんら変わりない。従来,「国策民営」という用語はまさに,以前からその種の事実を端的に指摘してきたはずである。
要はことばを変え,表現をひねってはいるものの,結局は,いまでは完全に〈厄介もの〉になった〈原発の面倒〉を国家がみろ,それも最後までしっかり手当をしていけ,後始末の面倒だけはきちんとみてくれよ,といっているに過ぎない。語るに落ちた主張である。
こういうことではなかったか。もとから「高コストの原発は,電力自由化時代には,増設どころか,すべて運転停止に追いこまれる」必然性があった。つまり「原発は結論からするとすべてNG」であった。
註記)この段落の「 」内の黒字での引用のみ,https://hyiromenque1976.wordpress.com/2014/10/09/採算性の無い原発/
〔ここで日経の記事に戻る→〕 今後大きく伸ばしていくとした再生エネも,普及させるための道は険しい。そもそも再エネは固定価格買い取り制度(FIT)のもと,消費者が月々の電力料金で「賦課金」を負担するかたちで導入を支援している。年々増え続けるこうしたコストを抑えながら,いかに再エネを増やしていくかは課題で,FITに代わる新たな制度の設計が求められる。
再生エネは,天候や時間帯によって出力が変動する「弱点」もある。高性能な蓄電池や水素を用いた出力の調整など,新技術との組み合わせも追求していく必要がある。
太陽光だけでなく風力発電の導入を増やしていくには,狭い国土のなかで新たな適地をみつけなければいけない。政府は沖合の洋上風力の開発を重点的に支援する方針だが,法制度の整備を含め,とり組みは緒に就いたばかりだ。
2011年に全国の原発が稼働を相次いで停止したため,日本ではいま,火力発電への依存度が高まっている。一方で海外では温暖化ガスを多く排出する火力への風当たりは強い。計画では温暖化ガスの排出量を抑えた高効率の火力発電を導入しつつ,古く非効率な火力の「フェードアウト」をうたった。
原子力や再生エネ,火力と,それぞれの電源には価格や供給能力で特徴がある。エネルギーの安定供給を確保していくためには各電源の強みや弱みをいま一度とらえなおし,政策の力点の置き方をあらためて考えていくことが重要になる。(引用終わり)
『日本経済新聞』はさりげなく「原子力や再生エネ,火力と,それぞれの電源」があると記述するけれども,同じ火力であっても「原子力」と「各種の火力」とのあいだには物性的において〈隔絶した相違〉があり,また「原子力」と「再生エネ」とは対極に位置するエネルギー源であった。こうして,本質面からして原子力は,ほかの諸電源から別枠に移され議論されていい事由があった。
ともかく,絶対に安全で一番コストが安く,ともて安心だと喧伝されてきた原発による電力の生産・販売が,どうしていまとなってわざわざ,その発電のためのコストには「原発政策を推進する社会的責務として,政府の実質負担が求められるべきだ。原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない」などと,完全に方向違いのトンチンカンを大真面目で主張することができるのか?
ここでは,ほぼ1年前時点の説明となるが,「【エネルギー】日本の発電力の供給量割合[最新版](火力・水力・原子力・風力・地熱・太陽光等),体系的に学ぶ」『Sustainable Japan』2017/06/06 を参照されたい。
そのなかから,経済産業省エネルギー庁が公表していたつぎの図表を引用しておくが,原発(原子力に依存する電力生産)の部分は,これがナシでも済ませられる「日本のエネルギー需給関係」が,しかも再生エネルギーの開発・利用の進展にともない徐々に,かつ着実にととのいつつある。(画面 クリックで 拡大・可)
出所)経済産業省エネルギー庁『エネルギー白書 2017』。
なお今日〔2018年7月4日〕現在で,稼働する
原発は国内で,5原発9基である。
註記)以上,https://sustainablejapan.jp/2017/06/06/electricity-proportion/13961 も参照。 『朝日新聞』の記事に出ていた「再生エネルギーの主力電源化」という動名詞的な表現の方法(1種の発想)は,「3・11」以降,2年近く全面的に稼働できなかった期間もあった原発体制に対する “ある種の切実な願望” を,合わせ鏡的に定義するものであった。
つぎに引用する記事にも出てくる表現であるが,「原発は重要なベースロード電源である」という文句に対して,最近になり登場してきた「再生エネルギー=主力電源化」といった概念(観念)は,かなり〈おもしろい組み合わせ〉と思われる。この点に注目して,以下につづく『朝日新聞』記事の内容を読みたい。
1) 原発・核燃サイクル推進 新増設は触れず,世論を意識
「安全最優先の再稼働や使用済み燃料対策など,必要な対応を着実に進める」。世耕弘成経済産業相は閣議後の会見で語った。計画では,前回に続いて原発を「重要なベースロード電源」と位置づける。だが現実との隔たりは大きい。
原発比率「20~22%」を達成するには,30基程度の再稼働が必要とされるが,新規制基準のもと再稼働したのは9基。17基がそれに続くというが,地元同意の難航が予想される原発や,原子炉建屋の直下に活断層の存在が指摘される原発もあり,目標達成は「もはや絵空事」(橘川武郎・東京理科大教授)と指摘される。それでも政府は2015年に決めた電源構成の目標をみなおさなかった。
補注)橘川武郎がこのようにきつく批判するのは,その目標達成には「原発の代替新設も必要だ」と判断する見地を控えているからである。もっとも,この橘川がなぜ,2030年における原発比率「20~22%」にこだわるのか不可解な側面もある。
橘川はいままで,原発の安全問題をめぐる問題でもある,その非「安価」性には立ち入った議論をしようとせず,ひたすら「20~22%」という数値を橋頭堡にしたかのような議論に終始してきた。経営史を主専攻をするはずの社会科学者が「資本の論理(=経営の行動)」の原理的な基点を踏まえない議論に走っているように映る。この点はつぎの記事のなかに関説があった。
〔記事に戻る→〕 原発の運転期間は最長60年と定められ,古い原発を建て替えるなどしなければ,原発はいずれゼロになる。だが,前回同様,計画では原発の新増設の是非に触れなかった。
経産省は当初,新増設の必要性を書きこむことを模索したが,首相官邸から「門前払いを受けた」(関係者)という。新増設を認めれば世論の反発を招きかねず,憲法改正などほかの政策課題を優先したい官邸は,時期尚早と判断したとみられる。
福島の事故を受け,原発の建設費は上昇し,海外では最新鋭タイプが1基1兆円の時代に入った。政府が成長戦略にかかげる原発輸出も,日立製作所と三菱重工が英国とトルコでそれぞれ苦戦しているが,計画はあくまで原発輸出の「推進」をかかげる。
使用済み核燃料からとり出したプルトニウムを再利用する核燃料サイクルも引きつづき「推進」としたが,現実はゆきづまっている。サイクルの中核に位置づけられてきた高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の廃炉が2016年末に決定。政府がその後継と位置づけるフランスの高速炉計画も出力規模を大幅縮小する方向となり,雲行きは怪しい。
日本が国内外に抱えるプルトニウムの量は原爆6千発分の約47トンに増えた。米国が核不拡散の観点から問題視していることから,計画には「保有量の削減にとり組む」との表現を初めて盛り込んだ。
だが,ふつうの原発でプルトニウムを燃やすプルサーマル発電は滞り,具体的に減らす手立てを示せていない。2.9兆円かけた六ケ所再処理工場(青森県)が完成しても操業は大幅に制限される可能性があり,「サイクルは破綻している」との声が政権内からも上がる。
補注)「高速増殖炉の開発・利用」は半世紀もの時間を費やしながら,確たる成果も挙げられずに終焉を余儀なくされた「夢(悪夢?)の原子炉」であった。一方で,核燃料サイクルが確立できない原発政策だったとすれば,他方で,原発そのものを電力生産のための設備として利用したあとに残された廃炉問題のほうは,原発事故が発生しなかったとしても,これからほぼ未来永劫に継続されていく《悪夢》そのものを意味している。
これらの問題はすでに発現しており,使用済み核燃料の後始末に関してこれまで用意されている具体的な諸方法は,いままで人類・人間が対面したことすらない,いいかえれば,一筋縄にはいかない非常に困難な現実に当面させられており,立ち往生の最中にある。
2) 再生エネ,初の「主力電源化」 目標は引き上げず,欧州と差
「主力電源化」をめざす再生エネについて,政府は2030年度の電源構成に占める比率を「22~24%」にする目標だ。2012年に始まった固定価格買いとり制度で導入が進み,再生エネの比率は2010年度の約10%から2016年度に約15%まで増えている。
外務省や自民党の一部議員らは今回,再生エネ目標を引き上げるよう求めたが,経産省はこれに応じなかった。海外では大胆な数値目標を設定して普及を図る国があり,2030年時点でドイツは65%,フランスは40%をかかげる。
こうした欧州諸国は日本のように原発や石炭火力を「ベースロード電源」として頼る考え方ではなく,安価な電気を競争原理を働かせて融通し合うシステムを築こうとしている。
補注)この「ベースロード電源」という観念(概念ではなく)に執着している経済産業省の立場は,時代遅れどころか,いまでは完全に異端である原発の考え方を,みずから暴露させている。どの電源を「ベースロード」とみなすか,位置づけるかについては,昨今における「再生エネルギーの開発・利用」の普及・進展によってさまがわりしてきた。原発の危険性が「安価でも安心でもない特性」にこそみいだせる事実の認識は,「3・11」以降は定着してきた。この原発をベースロード電源に位置づけるという思考方式は,科学的に合理性をみいだせないのであり,また経済計算上では「原発コストとして噴出しているその法外性」も確実に認知されている。
〔記事に戻る→〕 一方,日本では,大手電力が送電線の空き容量がないとして,再生エネの接続を拒否する事例が相次ぐ。世界に比べ導入比率が圧倒的に小さい風力をどう伸ばすか,割高な発電コストをどう下げるかも課題だが,今回の計画では「主力電源化」に向けた具体的な道筋までは示されていない。
高橋 洋・都留文科大教授は「日本は再生エネをどこまで政府が推進するのか不透明な点が多く,事業者が長期的に安心して投資できない。コスト低減を促すためにも,導入目標を高めるべきだ」と指摘する。(引用終わり)
この最後の高橋 洋の指摘は,原発=ベースロード電源とみなしていきたい日本政府・経済産業省・エネルギー庁の,いまでは電源「観」としては「世界の基本的な潮流」にとり残されたごとき,別の表現を借りれば「引かれ者の小唄」ごとき “原発にまつわる観念” を表現している。
つまり,片方では「再生エネルギーの開発・利用」は「主力電源化」になると認めているものの,他方では「原発=ベースロード電源」とみなしていたい「基本の立場(あるいはそのイデオロギー性じたい)」が,まだどうしても棄てられないでいる,といったきわめて中途半端で《奇怪な理屈》が保持・留保されている。
以上,『朝日新聞』の記事を利用した記述であった。この記事は『日本経済新聞』(「日本財界新聞)でもさらに多くの紙面を充てて報道されていた。
③「プルトニウム削減 難題に 新エネ計画で初めて明記 核拡散懸念,逃れられず」(『日本経済新聞』2018年7月4日朝刊「総合2」)
政府は〔7月〕3日,中長期のエネルギー政策を示す新たな「エネルギー基本計画」を閣議決定した。原子力発電所の使用済み核燃料から出るプルトニウムについて「保有量の削減にとり組む」と盛りこんだ。核不拡散の観点から,国際社会が懸念を示していることに対応した。政府はプルトニウムを燃料に使う「プルサーマル発電」を進める意向だが,原発の再稼働は進んでおらず,実現は不透明だ。日本の原子力政策に難題が突きつけられた。(関連記事経済面に)
日本は「利用目的のないプルトニウムはもたない」原則をかかげていたが,原発再稼働の遅れなどから保有量が増えていた。このため,内閣府の原子力委員会が1月,削減方針を打ち出していた。今春以降,米国が削減を強く求めたため,原子力委は保有量の増加を抑える上限制を導入し,削減を促す方針を近くまとめる予定だ。
新たなエネルギー基本計画でもこうした方針に歩調を合わせ,「削減」を明記した。世耕弘成経済産業相は同日の閣議後の記者会見で「削減にとり組む趣旨をより明確にした」と意義を強調した。経産省の担当者は「外務省からも強い要望があった」と明かす。
プルトニウムはウラン燃料を原発で燃やすさいに生じ,使用済み燃料を再処理して出てくる。プルトニウムの製造は核兵器への転用を防ぐため禁止されているが,資源に乏しい日本はプルトニウムの再利用が日米原子力協定で認められている。非核保有国で認められているのは日本だけだ。
だが再利用は進まず,保有量は増えている。テロのリスクが高まるほか,他国がプルトニウム保有を要求するなど核拡散の恐れがあり,米は削減を強く求めていた。
補注)いまではネット上でいろいろ関連する記事がみつかるが,ここでは『しんぶん赤旗』が18年前に報道した記事を紹介する。
◆ “核兵器使用は違憲ではない” 安倍官房副長官 ◆
=『しんぶん赤旗』2002年5月28日 =
安倍晋三官房副長官は〔2002年5月〕27日の参院予算委員会で,週刊誌が報じた “核兵器の使用は違憲ではない” とする発言について,「政府の従来からの解釈を紹介したものだ」とのべて,認めました。
この発言は,先週発売の「サンデー毎日」(6月2日号)が報じたもので,同氏が13日に東京・早稲田大学での講演で,「戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが,日本人はちょっとそこを誤解しているんです」とのべたというものです。
安倍氏はこの日の答弁で,「自衛のための必要最小限度を超えないかぎり,核兵器であると,通常兵器であるとを問わず,これを保有することは,憲法の禁ずるところではない」という核兵器保有についての政府の統一見解(1978年3月)を示した上で,「核兵器は用いることができる,できないという解釈は憲法の解釈としては適当ではない」と述べました。
安倍氏は一方で「憲法論と政策論とは別だ」と主張し,憲法上,核兵器使用は認められるが,「非核三原則」という政策があるのでできないとの考えを示しました。現憲法下でも,政府の政策判断しだいで,被爆国である日本が核兵器の保有・使用に踏みこめると主張したものです。
核兵器の使用と憲法9条との関係については,1998年6月に大森政輔内閣法制局長官(当時)が「核兵器の使用も,わが国を防衛するための必要最小限にとどまるならば,可能ということに論理的になろうかと考える」と答弁,被爆者をはじめとする国民の批判を浴びました。
註記)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-05-28/08_0204.html
もっとも,軍事の論理では「攻撃は最大の防御」だという定説もあるくらいだから,安倍晋三のこの見解は「わが国を防衛するための必要最小限にとどまるならば」「核兵器の使用も可能ということ」という観念で,頭のなかは充満しているはずである。
機会があれば戦争をやりたくてしかたのない意思を抱くこの首相であるが,在日米軍に自国領土を支配されている政治家のいうことにしては,舌足らずという以上に,この国が置かれている現実的な軍事状況から宙に浮いた意見であった。そもそもっても,政治意識そのものとしては核兵器をもちたい自民党の願望を正直に告白していた。
※ 関連の解説記事 ※〔記事に戻る ↓ 〕
プルサーマル発電とは,使用済み核燃料を再処理したプルトニウムとウランを混ぜてウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を作り,一般的な原発で発電する。プルトニウムの「プル」と原子炉を示すサーマル・リアクターの「サーマル」を組み合わせた名称である。
部品などの変更は不要で,いまある原発の設備を使える。炉心に装填する燃料のうち3分の1までMOX燃料にすることが認められている。
国内では2009年に九州電力玄海原発(佐賀県)で初めて実施され,東京電力福島第1原発(福島県)など4原発に導入された。福島第1原発は2011年3月の事故で停止。他の3つの原発は新規制基準に合格して再稼働するまで停止した。
a)「プルサーマルは力不足」
政府と電力会社はプルトニウム削減のため,プルサーマル発電を導入する原発を増やす方針だ。2015年度までに16~18基の原発で実施する計画だったが,原発の再稼働は進んでおらず,導入できたのは関西電力高浜原発3号機・4号機(福井県)や四国電力伊方原発3号機(愛媛県),九州電力玄海原発3号機(佐賀県)の4基にとどまる。
東京電力柏崎刈羽原発6号機・7号機(新潟県)は原子力規制委の安全審査に合格したものの,地元の慎重姿勢もあって再稼働には時間がかかりそうだ。中部電力なども再稼働が遅れている。政府は西日本の原発でプルサーマル発電を拡大し,東電や中部電の保有分を燃やして消費することを検討する。
大手電力会社でつくる電気事業連合会は政府の方針に対し「今後,検討する」(勝野 哲会長)。一方で「地元の反発が強くて実現できるかわからない」(電力幹部)との声も根強い。
プルトニウム利用の本命だった高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)の廃炉が2016年に決まり,プルサーマルは頼みの綱だ。しかし,プルトニウム削減効果は大きくない。120万キロワット級の大型原発でも,1基が1年に消費する量は0.4トンほどだ。
原子力委によると,2016年は関電高浜原発3,4号機などで実施したが,減ったのは1トンにも満たなかった。計画通りに16~18基の原発で導入できても,国内外に47トン保有するプルトニウムを大きく減らすのは簡単ではない。
Jパワーが建設中の大間原発(青森県)はプルサーマル発電を前提にしており,稼働すれば年に1.1トン消費できる。しかし,東電福島第1原発事故後,工事が大幅に遅れ,稼働のメドはは立っていない。
日本原燃が2021年の完成をめざす使用済み核燃料再処理施設(青森県)が稼働すれば,使用済み核燃料に含まれるプルトニウムが抽出され,増えてしまう。使用済み核燃料のままなら核兵器への転用はむずかしく,保有量にはカウントされない。
原燃の再処理施設は最大で年間8トンのプルトニウムをとり出せる。政府は原発の再稼働が進むことを前提に,再処理する量をプルサーマルの実施に必要な量だけに限定し,余剰分を持たないようにする方針だ。
b)「英仏へ譲渡 実現みえず」
日本が保有する約47トンのプルトニウムのうち約37トンは,使用済み燃料の再処理を委託する英国とフランスにある。米はこうした海外の在庫も問題視しているという。日本政府内では,英仏に譲渡する案も浮上している。経産省幹部は「金を出して消費してもらうことも選択肢」と話す。
ただ交渉は始まっておらず,実現は見通せない。英国はプルサーマルを凍結しており,プルトニウムを消費できない。フランスでは40年以上の実績があるが,日本の要望を受け入れるかは不明だ。いまの原子力政策では,プルサーマル発電で出る核燃料も再利用する方針だ。原子力委の元委員長代理の鈴木達治郎・長崎大学教授は「政策転換が必要だ」と指摘する。(引用終わり)
ここでは,つぎの記述を参考とするために引用する。前段に紹介した「戦争ごっこの大好きな」安倍晋三の,2002年時点における発言と併せて聞くべき内容である。
日本では福島第1原発事故のあとも,電力会社は原発再稼働と新設に積極的である。だが,米国では多くの専門家が,原発について悲観的な将来像を語っている。その最大の理由は,シェールガスや自然エネルギーの普及がすでに進んでおり,原子力はエネルギー源としては採算のとれない事業になりつつあるからだ。くわえて,直近の米国での世論調査では原発反対の傾向が強まっている。そのため,米国でも進む予定だったプルサーマル計画は,昨〔2016〕年11月中旬に破棄されている。④「主力電源,育成に課 新エネ基本計画 原発新増設触れず,再生エネ普及も難路」(『日本経済新聞』2018年7月4日朝刊5面「経済」)
「日本は,現在は核兵器を保有していないが,原発や再処理工場から抽出される大量のプルトニウムが,将来的に核兵器に転用されるのではないかと懸念されている。とくに韓国では『日本が核兵器を保有したら,韓国でも保有するべき』という世論があり,日本が核拡散の口火を切ってしまう可能性がある。六ヶ所村の再処理工場はこれまでほとんど稼働しておらず,また,プルトニウム保有が核廃絶の阻害要因となっていることから,再処理工程の見直しが必要ではないか」。
註記)「『日本が核燃料サイクルをやるかやらないかは日本の主権の問題である! アメリカがとやかく言うことではない!』 逢坂誠二議員~日米原子力協定とプルトニウム問題に関する訪米団 院内報告会」『IWJ』2017.12.5,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/406801.
〔7月〕3日に閣議決定したエネルギー基本計画では,原子力を引き続き活用していく方針を示した一方,再生可能エネルギーは「主力電源化」をめざすと初めて位置づけ,導入の推進をかかげた。ただ,いずれの電源や技術も活用拡大に向けた具体策となると課題は多い。資源が乏しい日本でエネルギーの安定供給をどう維持していくか。計画策定後も官民での議論が不可欠だ。(総合2面参照)
今回の計画では,原子力20~22%,再生エネ22~24%といった2030年の電源に占める比率の目標は維持した。2011年の東京電力福島第1原子力発電所の事故以降,原子力政策に対する国民の視線は厳しい。計画ではそうした世論も踏まえたうえで,原発再稼働を推進する姿勢をあらためて明確にした。
原子力をめぐっては,焦点だった原発の新増設の是非には触れなかった。将来も原発を活用するのであれば,次世代の原発のあり方を議論せざるをえないが,経済産業省は計画見直しの検討会議で踏みこみを避けた。放置すれば原子力に関わる技術や人材は先細りになる。
出所)画像は遠藤典子,下掲の『週刊エコノミスト』から。
補注)この遠藤典子という京都大学大学院エネルギー科学研究科博士課程で学んできた学究は,かなり奇妙な原発擁護の論理を披露している。
原発を国策民営で稼働させてきて,そして「3・11」の大事故を起こした歴史を教訓にするのではなく,原発をかかえてきた電力社会の無責任な社会的立場を,今後も原発を維持させつつ,社会全体に押しつける見地を押し出していた。こう主張していた。原発維持政策のためなのであれば,時代錯誤的に歴史の歯車を逆回しにしようとする発想である。
将来的には,電力会社の原発事業は法的に分離され,原子力専業会社として2~3社に集約されることが望ましい。送配電事業と同様,競争環境下でも原発事業には総括原価方式が採用されるべきであり,あまねく広く電気利用者に政策的費用の負担をさせるためには同時に原発のメリットを享受できる仕組であるべきだ。
補注中の補注)この「競争環境下でも原発事業には総括原価方式が採用されるべき」だという提唱は,目茶苦茶な発想である。この総括原価方式でほかの電源,とくに「再生エネ」との競争が成立すると考えているのか? 「原発の技術経済学」の基本から無縁の議論である。このようにいわれる事由はいちおう,つぎにつづく記述のなかに言及されている。
〔記事に戻る→〕 具体的には原発からの電気を新電力にも調達しやすいかたちで公益電源として一部卸売市場に拠出することを義務づけるのもひとつの選択肢だ。水力や地熱などからの電気も組み合わせ,卸売り収益の一定額をプールし,再生エネ拡大のための開発投資に活用することもできるだろう。
補注)これは原発以外の電源によって電力事業を展開する電力会社に,原発事業との無理心中を強要する理屈が,正々堂々と述べられている。なんとしてでも,原発の再稼働から発生する負担は,このように「他所に付けまわしをするかたち」でもって,分散的に負担させていこうとする企図である。こういう意見を陳述できる工学者は,はたして「経済の論理」だとか事業経営としての「電力産業の本質問題」を,いかほど理解したうえで議論の参入してきたのか疑問が生じて当然である。
リプレースのさいの資金調達には,現実的には政府保証が必要となる。また,現行の原発事故の損害賠償制度においては,発災事業者に無限に責任を負わせる枠組となっているが,原発政策を推進する社会的責務として,政府の実質負担が求められるべきだ。原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない。さもなければ,政府がめざす日本の原発維持はできない。
註記)遠藤典子慶應義塾大学大学院特任教授「第29回 福島後の未来をつくる」 『週刊エコノミスト』2016年3月22日号,https://www.weekly-economist.com/2016/03/22/……)
補注)このビックリさせられる意見,「原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない。さもなければ,政府がめざす日本の原発維持はできない」といういいぶんは,実質で「3・11」以前の立場となんら変わりない。従来,「国策民営」という用語はまさに,以前からその種の事実を端的に指摘してきたはずである。
要はことばを変え,表現をひねってはいるものの,結局は,いまでは完全に〈厄介もの〉になった〈原発の面倒〉を国家がみろ,それも最後までしっかり手当をしていけ,後始末の面倒だけはきちんとみてくれよ,といっているに過ぎない。語るに落ちた主張である。
こういうことではなかったか。もとから「高コストの原発は,電力自由化時代には,増設どころか,すべて運転停止に追いこまれる」必然性があった。つまり「原発は結論からするとすべてNG」であった。
註記)この段落の「 」内の黒字での引用のみ,https://hyiromenque1976.wordpress.com/2014/10/09/採算性の無い原発/
〔ここで日経の記事に戻る→〕 今後大きく伸ばしていくとした再生エネも,普及させるための道は険しい。そもそも再エネは固定価格買い取り制度(FIT)のもと,消費者が月々の電力料金で「賦課金」を負担するかたちで導入を支援している。年々増え続けるこうしたコストを抑えながら,いかに再エネを増やしていくかは課題で,FITに代わる新たな制度の設計が求められる。
再生エネは,天候や時間帯によって出力が変動する「弱点」もある。高性能な蓄電池や水素を用いた出力の調整など,新技術との組み合わせも追求していく必要がある。
太陽光だけでなく風力発電の導入を増やしていくには,狭い国土のなかで新たな適地をみつけなければいけない。政府は沖合の洋上風力の開発を重点的に支援する方針だが,法制度の整備を含め,とり組みは緒に就いたばかりだ。
2011年に全国の原発が稼働を相次いで停止したため,日本ではいま,火力発電への依存度が高まっている。一方で海外では温暖化ガスを多く排出する火力への風当たりは強い。計画では温暖化ガスの排出量を抑えた高効率の火力発電を導入しつつ,古く非効率な火力の「フェードアウト」をうたった。
原子力や再生エネ,火力と,それぞれの電源には価格や供給能力で特徴がある。エネルギーの安定供給を確保していくためには各電源の強みや弱みをいま一度とらえなおし,政策の力点の置き方をあらためて考えていくことが重要になる。(引用終わり)
『日本経済新聞』はさりげなく「原子力や再生エネ,火力と,それぞれの電源」があると記述するけれども,同じ火力であっても「原子力」と「各種の火力」とのあいだには物性的において〈隔絶した相違〉があり,また「原子力」と「再生エネ」とは対極に位置するエネルギー源であった。こうして,本質面からして原子力は,ほかの諸電源から別枠に移され議論されていい事由があった。
ここでひとる,こういう悪夢のような想定をしてみるほかなくなる。もしも,第2の「3・11」に相当する原発事故が現在稼働中の原発から発生したら,この日本はそれこそ「沈没」の目に遭うはずである。
それでも原発をどうにかしろ,再稼働をどんどん実現させろ,原発の膨らんでいくばかりのコストは社会全般に負担させればいいという論理の構築は,《悪魔の火》に自身の学的精神をあぶられ破壊された顛末を,みずからすすんで物語っているようなものである。
ともかく,絶対に安全で一番コストが安く,ともて安心だと喧伝されてきた原発による電力の生産・販売が,どうしていまとなってわざわざ,その発電のためのコストには「原発政策を推進する社会的責務として,政府の実質負担が求められるべきだ。原発は今後,公共性の色合いを強めていかざるをえない」などと,完全に方向違いのトンチンカンを大真面目で主張することができるのか?
末尾においてはこう反論しておく。もともと原発とは「そういう性質をもって生まれるほかなかった」「発電のための機械・装置」であり,いわば,その「《悪魔の火》をもらい火した〔ような〕子」であったのだから……。
------------------------------
<転載終了>
<転載終了>