逝きし世の面影さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ba2aa9df9985acda4eff910bd6e5aef0
<転載開始>
2019年02月26日 | 宗教
渡邉英徳‏ @hwtnv
83年前の今日。1936年2月26日,「2.26事件」で決起した直後,半蔵門を占拠する反乱部隊。白黒写真のニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。




『歴史的な二二六事件』

大蔵大臣の高橋是清や内大臣の斎藤実など政府要人4人と警察官5人が死亡した。18名以上の尉官クラスの陸軍青年将校たちが1500人の実戦部隊を率いて決起した本格的なクーデターなのですが、何故か途中で腰砕け。本格的な戦闘は発生せず、決起は失敗している。
半蔵門を占拠した反乱軍兵士と、傘をさした和服の女性の平和な姿が何とも皮肉である。
大雪が降った83年前の東京の写真ですが、到底命がけの歴史的クーデター騒ぎには見えないのである。クーデターを決行した反乱軍は、すぐさま簡単に警視庁を占拠するが、すぐ前にある皇居を占拠しなかった(長州のように『玉』押さえなかった)ので失敗したと言われている。まさに破壊的カルト宗教である『国家神道』教育勅語(靖国史観)による洗脳のたまもの。


元の白黒写真

クーデターを起こした陸軍青年将校や反乱軍兵士たちですが、昭和天皇側近の『君側の奸』を排除すれば、後は700年前の後醍醐天皇の『建武の中興』のおゆに 天皇親政で全てが簡単に解決すると思っていたらしいのである。
幕末に来日したイギリスの外交官アーネスト・サトウの日記によれば公武合体で徳川将軍と姻戚関係にあった孝明天皇を暗殺した長州藩などが未成年の明治天皇を擁立し一発逆転のクーデター(王政復古)を成功させたと当時の人々は信じていたらしい。
我が日本国では『玉』(天皇)を押さえないと勝てないのである。(無理やり『玉』を押さえようと、長州藩が孝明天皇の御所に向かって砲撃した『蛤御門の変』は有名な出来事)



『万歳三唱に何とも迷惑そうな明仁天皇と皇后両陛下』

メルトダウンした福島第一原発の冷温停止宣言から1周年の不吉な記念日の2012年12月14日の総選挙で大勝した安倍晋三が、2013年4月28日に日本政府主催の晴れがましい『主権回復の日』式典を強行し、今上天皇や皇后の前で万歳三唱を行った。(サンフランシスコ講和条約で本土と切り離されて、過酷なアメリカ軍の軍政下に置かれた沖縄県では4月28日は屈辱の日として人々に知られている)
沖縄も福島も自民党系知事だったが『屈辱の日である』、『到底祝えない』と仲井真沖縄県知事や未曾有の原発事故の真っ只中の福島県知事が欠席している。
我が日本国は一度も4月28日を『主権回復の日』(独立した日)として祝っていない。
安倍晋三の自民党内閣だけの珍事中の珍事、病的な日本の極度の右傾化の徒花である。幾ら安倍晋三が頭が空っぽで目が節穴でも、『4月28日』が日本の独立記念日(主権回復の日)でないことに気が付いたのだろう。
この『主権回復の日』は、2013年の1回限りで以後は中止される。

歴史豆知識

安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 2月24日

「1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布式の際に明治天皇に対する祝福の意味で万歳の呼び方を「バンザイ」に決めた。この時の様子を当時高校生だった若槻礼次郎首相(1866~1949年)が自伝に書き残している。」そうそう。読んだこれ。

安冨歩(やすとみ あゆみ)‏ @anmintei · 2月24日

確か、「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」ってやろうとしたら、最初のバンザイで、天皇かだれかの馬が驚いたので、「ばんざい」だけで終わったので、そういう習慣になった、とか書いてあったはず。手元にないので、誰か確認して〜。

『胴上げ・手締め・万歳三唱… 日本人の3月民俗学』 2015/3/29. NIKKEI STYLE(日本経済新聞社と日経BP社が共同運営)

3月は「巣立ち」の季節だ。ビジネスマンにとっては異動の時期で、毎日のように送別会に付き合う読者もおられるだろう。学生諸君も忙しい。合格発表に始まり、追い出しコンパや卒業式と続いている。この時期にとりわけよく目にする胴上げや万歳三唱は、日本人にどんな意味を持っているのか。民俗学の新谷尚紀・国学院大学教授に謎解きしてもらった。

実はお祓いの意味がある【胴上げは日本独自の風習】
新谷教授は「古くから胴上げの習慣が続く地域はほとんど日本だけ」と断言する。
プロ野球では優勝監督が胴上げされる意味がのみ込めなかった外国人選手もいたという。海外のプロサッカーなどで優勝監督が胴上げされるようになったのは21世紀に入ってからで、日本チームや日本人選手の活躍も影響していそうだ。
江戸後期の大名である平戸藩主・松浦静山が著した「甲子夜話」には江戸城での胴上げの習慣が記されている。節分の日には城中「御坐間(ござのま)」で豆をまく「年男」の役を老中が務める。まき終わると女性たちが御祝儀として胴上げした。さらに大奥でも、通行手形などを管理する「御留守居役(おるすいやく)」が豆をまいた後、多くの老女衆に胴上げされたという。
胴上げの習慣は武士階級だけではなかった。やはり江戸期に出版された井原西鶴の「好色一代男」にも胴上げのシーンが出てくる。さらに「北陸地方などでも厄年の人間や新しく婿になった男を胴上げする風習が高度成長期のころまでは残っていた」(新谷教授)という。さまざまな地域で見られたわけだ。
新谷教授は胴上げを「第一義的には本人を祓(はら)い清めるのが狙い」と解説する。
昔の豆まきの役目は追い払う鬼と対決しなければならない、いわば「汚れ役」なため、厄年の男が選ばれたりしていた。その人物を高く投げ上げ、体が空中を舞うことによってそれまで心身にまとわりついていた厄災を祓い捨て去る意味があるのだという。
合格した学生、栄転するビジネスマンは、特別な祝福や喜びに包まれた「ある意味で異常な状態の人物」(新谷教授)と捉えることができる。これも空中に投げ上げることで祓い清められ、通常の状態に戻す狙いがあるとしている。「その延長線上に第二義的な意味で祝福の意味、新婚者らを新たに仲間に迎え入れる意味が加えられてきた」(新谷教授)

【三本締めはブラック社会(ヤクザ)の風習】
ところで送別会などで終了の儀式のように最後に皆が手を叩く「三本締め」や「一本締め」。「数の吉凶を重要視するのは中国の陰陽道の影響」と新谷教授は言う。日本では伊勢神宮の正式な作法「八度拝」、出雲大社の四拍手、一般の神社の二拍手のように偶数が基本であるが、陰陽道では奇数が「吉」、偶数が「凶」にあたる。陰陽道の思想が日本社会に溶け込んだ身近なケースが子どもの「七五三」だ。
「イヨーッ」と掛け声とともに「シャンシャンシャン」と手をたたく「三本締め」を新谷教授は「今で言うヤミ社会やブラック企業にも陰陽思想が根付いた」とみる。ヤミ商売や人間関係の難しいトラブルを有力者に調整してもらって双方文句なし、ということでの手締めが本来の意味だという。元は中国の思想が影響しているけれども、一つの流れを締めくくることを皆で確認し合う儀式として日本独自の儀式として浸透した。新谷教授は「参加者全員の手を打つタイミングがそろわなければ意味がない。だから短い一本締めが好まれてきている理由だ」としている。

万歳三唱の歴史は意外に新しい?【「万歳三唱」の歴史は明治から?】
新谷教授は「君主をたたえる『万歳』は古代中国から伝わってきていたが、3回唱える習慣は中世まではなかったようだ」としている。呼び方も「バンザイ」ではなく「ヨロズヨ」「マンザイ」などと呼んでいたという。
近代に入って1889年(明治22年)ころから国民的な慶賀の言葉として定着したようだ。同年の大日本帝国憲法発布式の際に明治天皇に対する祝福の意味で万歳の呼び方を「バンザイ」に決めた。この時の様子を当時高校生だった若槻礼次郎首相(1866~1949年)が自伝に書き残している。
最初は二重橋に明治天皇の馬車が出て来たときに同級生らと「万歳、万歳、万々歳」と高唱する予定だったのが最初の一声で馬が驚いて棒立ちになってしまったという。2回目の万歳は小声になり、最後の万々歳は発声せずに終わったとしている。著書「明治・大正・昭和政界秘史」で若槻首相は「三声目の『万々歳』はあの時以来、闇から闇へ葬られた次第である」と締めくくっている。古くて神聖な行為と思われたものも意外に新しく俗っぽい。しかし新谷教授は「新しいから敬意を表さなくてよいわけではない。なぜそうした縁起や習慣が生まれたのかを考えるのが民俗学の立場だ」としている。(電子整理部 松本治人)


以前の神社の参拝の仕方は仏教寺院と同じように跪いて拝んでいた。出典は映画『姿三四郎』、黒澤明監督のデビュー作

『大日本帝国の敗戦後に「靖国神社」が勝手に広めた二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼)の参拝儀式』

全国の神社を会員とする神社本庁が示す基本的な所作は、二礼二拍手一礼(二拝二 拍手一拝)ですが、これは日本の敗戦後国家神道の靖国神社 の方式を全国化したもので歴史が浅い新しい方式だった。
日本における伝統的神道ですが、仏教や欧米一神教的な普通の宗教なら必ずある教義の類がそもそも存在しないのが一番の特徴なのである。
歴史的な背景もあり個々の神社が別々なのである。伊勢神宮の正式な参拝儀式は8拍手であり出雲大社は4拍手だった。(日本は偶数が尊いとされていたが、中國由来の陰陽道では逆に七五三のように奇数が縁起が良いとされた)


敗戦以前の靖国神社に参拝する大日本帝国の兵士は、当たり前ですが拍手などは打たない。今の靖国方式の神社本庁の二礼二拍手一礼は元々の靖国神社の伝統とは別物でインチキくさいのである。

そもそも廃仏毀釈以前の日本では神社と仏教寺院とは同じ場所にあり一体不可分だったので、一般的な日本人にとっては神社もお寺と同じに、拍手ではなくて跪いた姿勢で両手を合わせて拝んでいたのである。

王殺し『伊勢神宮を参拝しなかった歴代天皇家の不思議』

国家神道の総本山的な、天皇(皇室)の先祖神である天照大神を祀る伊勢神宮ですが、実は、何故か明治天皇以前の歴代天皇は誰も参拝していないのである。
天武天皇(大海人皇子)が吉野を逃れて岐阜で兵を挙げる前(天智天皇の皇太子時代)に伊勢神宮に参拝したとあるが、大海人皇子は天智天皇の子供(跡継ぎ)の大友皇子(明治時代に『弘文天皇』という名で追諡)を殺す壬申の乱を起こしている。伊勢神宮ですが、天皇家(皇室)にとって歴史的に祈りの場所であるよりも呪とか穢れの禍々しい神を封じる恐ろしい場所らしいのである。
日本書紀によるとヤマトタケルの第二子で第14代天皇の仲哀天皇は神(天照大神)の神託に従わなかったので殺され、二番目の妃の神功皇后が代わり朝鮮半島に侵攻、後に第15天皇の応神天皇を生んでいる。まさに『王殺し』である。

<転載終了>