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<転載開始>
政治や宗教についてもっと話し合おう!人間関係を損ねずに話す方法
Why we need to talk more about politics and religion — not less
2018年9月【Medium】
ある友達が言いました。「親戚の家に遊びに行く時、政治の話はしませんよ。いい関係を維持したいですからね」
別の友達はこう宣言しています。「宗教については人と議論しません。個人的なことですから」
政治と宗教の話をしないとしたら、じゃあ何の話をしたらよいのでしょうか?スポーツの話?でもスポーツの話も、応援しているチームがどこかということでやはり喧嘩になることがあるので、スポーツの話も避けた方がいいですね。ということは天気の話しか残っていませんが、誰かが気候変動の話を始めてしまったら?これも避けた方がよさそうです。
ということで、何も話すことがなくなりました。
私が子供の頃、両親は親戚の集まりによく連れて行ってくれました。いとこに会えるので、私は楽しみにしていました。こういった定期的な集まりには、基本的なパターンがあります。みんなが到着して、色んな話題でおしゃべりをします。その後、みんなでご飯を食べます。
晩ご飯の後、男性陣は外の散歩に出かけます。女性たちも集まり、子供たちはあちこちで遊んでいます。最後にみんなまた、集合します。
その間中ずっと、おしゃべりが絶えません。毎日の生活のことや天気、昔と今の比較、政治と宗教などです。そう、政治と宗教の話をしていたのです。今では状況は違っていますが。
親戚の中には、保守系の人もいれば社会主義系の人もいて、その間の人たちがいました。話が退屈になることはありませんでした。
アンダースは農家の苦労を訴え、ストゥーレはそれを親身に聞きながら工場での肉体労働者としての難しさを説明します。そして自営業で自分と家族を養っているニルスがいました。グンナーは公務員として道路管理局で働き、特に雪が積もる冬には交通を維持するために不可欠な仕事をしていました。私の父はオフィスワークで、また違った視点に立っていました。
これは男性陣だけの話です。女性陣のそれぞれの視点を持ち、男性同様に色んな人がいました。
ご想像通り、会話が盛り上がりにつれ声を荒げる者や、汚い言葉が使われる場合もあり、誰かの気持ちが傷つけられる場合もありました。
それでも近いうちに、また親戚同士での集まりがありました。男女を問わず、意見の違いにもかかわらず家族や友達という関係がなくなることはありませんでした。議論がどれほどのものであっても、そういった関係性の方がよほど重要でしたから。
その当時、私は気づかないうちにあることを学びました。つまり、議論で勝つことよりも、人間関係の方が大事だということです。議論は現れてはすぐに消えますが、人間関係は長持ちする必要があります。
会話が議論になった時、長い間知っている人が、実は自分とは全く異なる意見を持っていたことがわかることがあります。そして突然、これ以上何の話もしたくないように感じ、話さなくなります。相手が何を考えているか、勝手に想像するようになります。もし会話をしたらまた状況が悪くなるかもしれないが、会話をしない場合には関係がどんどん離れてしまう、という選びようのない選択肢に挟まれた気分になるのです。
現在の政治や宗教の会話には、あまりにも「地雷」が多くなりすぎているのは事実ですが、それでも会話することはできるでしょうか?そうした場合に、相手を徹底的にぶちのめしたくなるという結果になるのではないでしょうか?
政治や宗教は、私たちの普通の毎日の生活を決める重要なものです。そのため政治と宗教の会話を避けながらも、お互いに本当に大事なことを話し合うことは、ほとんどできないといってもいいほどです。
私は、政治と宗教の会話をすることは可能だと考えています。
実際のところ、話し合うべきだと強く信じています。この大事なことを話さない場合、私たちの関係は今以上に遠く離れたものになってしまうからです。
会話はある程度のリスクを望んで負うところから始まります。
意見の合わない人と問題について話し合わない大きな理由は、私たちが恐れているからです。
相手が議論で勝つかもしれない。もっといい答えを知っているかもしれない。もっと説得力のある事実を言うかもしれない。自分よりももっと情熱を持っているかもしれない。
相手から質問をされた時に、自分が完璧な答えを知らない場合には自分がバカのように感じ、周りからもそう見えるかもしれない。深いところでは、自分が信じていることについてそれほど知らないのかもしれない。
そういったことを恐れているからです。
会話が弾むとき
ほとんどの人は、楽しい会話というものをしたことがあるでしょう。何人かの人たちが自分の考えやアイディア、印象などについて語り、会話の後には自信がついて強く感じる、そういった会話です。
一部の考え方はより強固なものになり、あるいはその会話から学んだことに基づいて考えが変わる場合もあるでしょう。さらに前提としての考えの一部は、まったく間違っていたということに気がつくかもしれません。
どうやったら、このような建設的な会話をすることができるのでしょう?怒鳴り合いで終わるような話し合いではなく、終わった後にみんなが元気になるような会話です。
そのために必要なルールをまとめました。
★会話で避けるべきこと
・悪口・中傷はしない。私たちは成熟した、文明的な人間なのですから。
・相手を非難するような言い方や質問をしない。私たちは学び、意見を交換するために会話をしているのです。
・相手を追い詰めない。私たちは問題点について話し合っているのであって、個人的な攻撃を行おうとしているのではありません。
・仮説に基づいた話をしない。現実の世界は十分に複雑ですし、仮説というのは想像にすぎませんから。
・議論をしない。会話は意見交換です。何が何でも勝たなければならないというものではありません。
・相手にとどめを刺そうとして、同じ内容を繰り返さない。相手がそのことについて無知を示す場合もありますが、これは相手に最後の一撃を食らわすチャンスではなく、もっと話し合うことができるチャンスにすぎません。
★会話で積極的にすること
・調和した関係を築くこと。
相手の人は議論している問題よりもずっと大事で、価値のある人間であるということ、そして相手の考え方や理解について、自分が本当に心から興味を持っていると、相手に言葉にして伝えてください。
・相手を理解しようと真剣に耳を傾けること。
*相手の考えの背景を理解すること。相手がその意見や考え方に至った経緯とは?優しさを保ちながら、掘り下げてください。
*相手のことを完璧に理解しているつもりであったとしても、確認するための質問をすること。
*学ぶこと。ご自分の変化と成長のために心を開いてください。実は相手の人の言っていることには、あなたの考え方を変えるような大事なことが含まれているかもしれません。
・現実にある、具体的な問題に集中すること。
・会話という形式を保つこと。会話というのは、与えて受け取るという二方向の意見交換です。相手の考え方を理解する方法を学びましょう。
・自分一人の独断場にならないように。自分の考え方に無我夢中になることはよくあります。それでも、相手の考え方を話すチャンスを与えるようにしましょう。
会話が行き詰った時
会話がどうしても行き詰った時は(起こりがちなことですが)、一番いいのはその議題の一部の点について意見が違うということを認めることです。そうすることで、その場の気まずい雰囲気を和らげて、他のトピックに移ることができるようになります。またその議論になった点について、後で戻ってくることもできるようになります。
あるいは、その問題点からいったん保留することに合意を求めることもできます。後でまた話し合うための場所と時間を決めておいてもよいでしょう。または、結論が出ないということで決着をつけても。どのような方法で終わらせても、お互いの人間としての品性を保ったまま会話を終わらせることができます。
そして関係を確認するために、その他の点で考えが共通していることについて話しましょう。たった一つの問題点で、友達関係を決めてしまっている場合があまりにも多すぎます。つまりそこで意見が合わない場合に、友好関係を終わらせてしまうということです。関係を終わらせるのではなく、他の繋がりがないか考えてみましょう。そうすることで、最初は相手の意見に納得できなかった問題点についても理解し合える場合があります。
相手の話に真剣に耳を傾ける
今の時代に政治や宗教について会話する際の大きな問題とは、多くの人は喜んで自分の考えを話そうとするのに、相手側の考えを聞く準備ができていないことです。相手の話の内容を聞きもしないで判断し、そこから自分が学ぶことができることはないと決めつけてしまっている人が多すぎます。
これは誰にとっても望ましい状態ではありません。会話は気まずいまま終わり、私たちのみんなが人間関係をさらに失って孤独になっていきます。
なにも相手の考え方と同化しなければならない、とは言いません。私が言いたいのは、相手の考え方と、相手がどうしてそのような考え方に至ったのかを理解する必要があるということです。会話を深いものにしなければいけません。
「事実」の個人差?
もう一つの問題は、それぞれの人が自分自身の知っている事実を持ち出すことです。私が相手の「事実」に賛同しない場合、それは事実ではなくなります。そうなると会話のすべての内容が非常に主観的になり、会話を続ける基盤がなくなってしまいます。
それでもなお、この世界にはまだ議論の余地のない事実も存在しています。ただその事実を観る際の各人の「レンズ」が異なっているだけという場合もあるでしょう。
基盤となる事実が存在していることに同意し、その事実をそれぞれがどう解釈したかと話を進めることと、「これは私の事実であって、あなたの事実ではない」と言うことには大きな違いがあります。
ネットで分極化する意見
自分がどんな考え方を持っていたとしても、オンライン上であれば同じ考え方の人を見つけることができる、というのが現状を難しくする一因になっています。そのために、自分の周りに自分の意見に賛成する人がいなくてもどうでもいいように思えます。ネット上であれば、もっと似た考え方の人を見つけることができますから。
そのため自分たちに賛成しない人達を遮断し、自分が信じていることやそれを支援する理由について考え直さなくていい状態にして、自分自身の小さな世界に固執するようになります。そして自分たちとまったく同じ考え方の人達だけと結びつき、そうするプロセスにおいて自分の考え方をより狭いものに絞っていきます。
このプロセスの結果、あらゆる人がその領域における両極端なところにたどり着き、誰も中間にいない状態に到達します。
(訳注;この現象は「エコーチェンバー現象」と呼ばれます。詳しい説明はこちらから→リンク)
しかし、本当の進歩が起こりえるのはバランスの取れた考え方(利点と弱点の両方が含まれる考え方)であり、その中間に近い考え方においてのみ可能になります。
このような分極化が深刻化する一方の時代においては、政治や宗教に限らず難しい問題について話す時は、とても意識的である必要があります。そうすることで初めて、それぞれの相手の考え方、結論に至った理由を理解することができるからです。
相手の視点を理解することで、その考え方の中で自分の考え方と合致している部分を見つけ、そこにいる全員が進歩する可能性をもたらす場合もあるでしょう。
これは、私やあなたが会話のトピックを選ぶ時に始まります。理解し合うために。そして学んで成長するために。
考えてみよう:
・あなたの周りで、政治や宗教について普通に会話ができる人は誰ですか?その人と自分の考え方はまったく同じでしょうか?
・あなたの周りで、政治や宗教の会話をするのは危険だと感じる人はいますか?どうしてそう感じるのでしょう?無難なところから会話を始めて、そこから掘り下げていくことはできそうですか?特定のトピックについて、相手がどうしてそう考えるに至ったのか質問してみてはどうでしょうか?
(翻訳終了)
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【コメント】
「政治と宗教の会話を避けるように教えられてきたため、政治と宗教に関する理解が欠如する世の中になってしまいました。
その会話を禁止するのではなく、代わりに口論になりやすい話題について文明的に会話する方法を学ぶべきです」
・・・日本でも、政治や宗教、野球などのチームスポーツの会話は口論になりやすいため、職場などでは避けるべき、というのが一般常識になっています。しかしそうやって政治の話を避け続けてきた結果、政治に興味のない人が大量生産されることになりました。
「 昨日、子猫の写真を投稿したら、5分の間に52件のいいね!がついたよ。
今日、政府のGMO対策に関する記事を投稿したら、いいね!が2件ついて、その一つは私のだったよ。
どうやら、フッ素には言われているような効果があるようだね」
(「【ミーム】陰謀論あるある」より)
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アメリカではトランプ大統領の是非、またイギリスではEU離脱の是非を巡り、「難しいトピック」について考えが違うというだけで長年の友人であっても簡単に口論になり、縁が切れたという例は周りだけを見てもかなり存在しています。
たしかに本文にあるように、そういった場合には「相手の考えをまともに聞かずに頭から否定し、中傷している」場合がよく見られます。
政治や宗教については、長年の知識や経験から各人それぞれの「結論」に到達している場合が多く、そこを否定された場合に人格まで否定されたように感じる場合も多くあるでしょう。
「意見の交換」の場として政治に関する会話をすることはやはり、成熟した民主主義実現のためには不可欠です。
しかし「議論」としてどちらかが「負ける」まで話し合うのではなく、相手の考えに100%賛成はしなくとも相手の考えとして理解して受け入れ、自分の考えが絶対的に正しいから相手も信じるべきだ(独善)と、口調を荒げるようなことはできる限り避けたいものです。
その時に意見が合わなくても、後に、あるいは別のトピックでは賛成し合える場合もあるかもしれません。
私自身もつい罠に陥りがちですが、相手に何らかのレッテルを貼りつけて理解はしあえないと片付けるのは簡単なことですし、ついしがちなことですが、それをしてしまうとまさに「エコーチェンバー現象」で自分の考えを狭めてしまいます。
本文中には「事実(fact)」について説明がありますが、こちらの説明の方がわかりやすいかもしれません。
★「事実」と「真実」の違い(違いがわかる事典様より)
https://chigai-allguide.com/%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E3%81%A8%E7%9C%9F%E5%AE%9F/
事実とは客観的なもので、実際に起きたと多くの人が認識していることで一つしかない。
真実とは主観的なもので、それぞれの人が正しいと感じることで人の数だけある。
【関係記事の一部】
★人類の共感力の低下から生まれた世界的な「怒りの時代」・進む分極化
★目覚めから解脱までの5つのステージより一部抜粋
<転載終了>
本当の人間関係を
築こうとして
同じ思想の集団に所属してしまうが
そこでまた
色々な違いが
気になり派閥や
争いが生じる
ちょっとした
境遇の違いが
阻むのである
職場の人間関係も
同じレベルで
同じ目的意識を
もちながら
仲良くも
できなかったりする
理想の人間関係とは
家族のような
自他の区別無く
接するものであると
大半の人が
誤った理想を
信じている
家族とは
子供を育て
子供は何れ卒業する
卒業した後は
他人と自分の共通部分をみつけるか
他人との違いに
こだわるかで
生き方に天地の差がある
後者は思想の餌食となるのだ
簡単にいえば
精神的に
無菌状態で生きることを選択し続けるのだ
究極の人間関係は
人種のるつぼの中にあり何でもかんでも
気楽に話せる
間柄ではないと思う
本当の人間関係など
ないのだから
よく宇宙人の組織が長老制の未開民族とかわらないが
疑問を持ちましょう
genkimaru1
が
しました