井口博士のサイトより
https://quasimoto3.exblog.jp/239841072/
<転載開始>
2019年 12月 05日

アシタカ聶記




アフガニスタンのビフォー・アフター
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みなさん、こんにちは。
昨夜は衝撃的な訃報が届いた。





旧ソ連とのアフガン紛争や911以降の米国とのアフガニスタン戦争で荒廃し、国土の殆どが砂漠化したアフガニスタンで、長く医療活動や灌漑治水事業を成功させ、広大な砂漠を緑地化し、農園化し、アフガニスタンに真の平和の基盤を築いた、我が国の医師中村哲先生が、謎の軍事勢力によって銃撃されて胸を打たれ出血死されたのである。

享年73歳。まだこれからが本番というところでご逝去となった。

拙ブログでも何度も中村医師の活動をメモしてきた。





昨日の以下のメモにもこう書いていた。




もっと具体例を出せば、世界中のどこの国へ行っても、その国の貧民や農村部の貧困層に学校を作ったり、農地を開梱したり、そういう手助けを行っているのは、日本人だけだ。

特に興味深いのは、インカの末裔に学校を作ってあげたという浅川嘉富さんもそうだが、民間人が私有財産を使ってまでして、他国の貧困層を助けるのは日本人しかいない。

白人はドライ。自分が損しそうなことに手を染めない。白人が行うときは、ギブアンドテイク。かならず自分がやったことに対するそれ以上の得がある場合だけ。

一方、タルムードユダヤ人がやるのは、その地へ銀行を作り、借金させる目的の場合だけ。だから、ほぼ全世界の中央銀行はこのタルムードユダヤ人の代表格の欧州ロスチャイルドと北米ロックフェラーの金融機関である。

彼らタルムードユダヤ人は現地人を家畜だとみなすから、自分で手を汚すことはしない。ましてや日本人のようにいっしょに活動することもしない。ただ、借金させ、その見返りにその現地人の資源や土地所有を得るだけだ。

この手法を米人富豪層は、「金持ち父さん」のやり方と称賛する。一方、我々日本人の身を粉にして現地人と一緒になって現地に水路を作るとか、農園を作るとか、道路を作るとか、学校を作るとか、こういうことすることを「貧乏父さん」と呼んで蔑む。

しかしながら、本当に世界を豊かにし、世界の平和に貢献しているのは、日本人のやり方である。

基本的に日本人には利他的に動く素質がある。外人には利己的に動く素質がある。

つまり、日本人は損得で計算して「自分のために」動いているわけではなく、「その人のために」動いているのである。

相手が、南米の貧乏なインカの末裔であろうが、オランダの貧乏青年であろうが、その人が「望むこと」があるのなら、それを自分ができる範囲で助けてやろう、こういう精神がある。


まさに、中村哲先生はこういった海外で現地の貧困層を助けようと出ていった日本人の1人である。

私などは、害人を助けようなどとはこれっぽっちも思い浮かばないし、関わるだけ無駄だと思うタイプだから、中村医師は私とは違うタイプの人だろう。

私は、害人が貧困になろうがなるまいが、それはその民族の性、運命だと突き放す。

結局は自分自身で立ち上がるべきだ、というのが私のスタンスである。

むしろ、筒井康隆の「ニッポン以外全部沈没」で結構、毛だらけ猫灰だらけ、お前のケツは糞だらけ、で結構なのだ。

冗談は吉本。


いずれにせよ、中村医師の灌漑事業は理にかなっていた。おそらく、アフガンの若者たちも中村医師の遺志を組んで自ら立ち上がって灌漑事業を続けるだろう。


ところで、私が一番この中村哲医師の行ったことで一番重要だったと思うのは、彼が

貧困と戦争との関係

を正しく認識したことだ。


どうして貧困と戦争が結びつくのか?

というと、

戦争で国が荒廃すると男たちの働く場がなくなる。
すると、男たちは家族を養うために出稼ぎに出ることになる。
出稼ぎは他国へ移住するか、あるいは、自国内の紛争地で戦争に加わるかいずれかになる。
つまり、戦争が貧困を生み、その貧困がまた戦争を生む。

だったら、


だとしたら、仕事を作ればよろしい。
故郷に仕事があれば、男たちは農園で働け、戦地に赴くことは必要なくなる。

だから、

水路を引き、農地を作る。


中村医師はこう考えたわけだ。


この考え方はかなりユニバーサルである。どの民族、どの国家、どの地方でも成り立つ。当然、我が国にもそのアナロジーは成り立つ。


我が国では、いまのところ、いわゆる戦争の銃撃や爆撃を行う戦地はない。しかしグローバル経済戦争の戦地はある。それが東京や大阪などの大都市だ。

地方には若者が働く場がない。だから、若者は大学へ行って経済戦争のための訓練をする。そして、首都圏や大都市に出稼ぎに行く。

地方の若者が東京へ行くのは、出稼ぎ以外の何物でもないのだ。

地方という国家から東京や大阪という経済大国への出稼ぎにすぎないのだ。


だとすれば、地方が若者を自分の市町村、あるいは、県内に就職してほしいとすれば、一番簡単なことは、地方自治体が農業を育成することなのだ。そのための灌漑事業が必要になる。

ダムの建設、道路やトンネルの復旧。用水路や水道事業の改善。農地の開梱。山の修復。

つまり、普通の言葉、これまでの言い方で言えば、

公共事業

これを復活させること。


もうだいぶ前になるが、

どうして空白の10年、20年、30年、そしてその間に我が国が格差社会になったか?
A層、B層というような言い方、勝ち組負け組という言い方、富裕層や貧困層というような言い方ができたか?

ということの理由を私は旧BBS掲示板のKazumoto Iguchi’s BBS、旧ブログのDoblogおよび拙ブログのブログ1などにもメモしたけれども、それは実に単純明快な理由があった。

旧掲示板時代の文章を本にしたものが、「何が科学をつぶすのか?」の前後に作った一般書の本である。


最近はかなり多くの人が理解するようになったが、我が国の数百兆円の国家予算のうち、国会の政治家が扱う権利があるのは、せいぜい100兆円の一般会計のみ。官僚が見えない形で使う国家予算が特別会計である。それが、300兆円。これが日本の闇資金である。

特別会計は戦後74年ほどの間に蜘蛛の巣のように張り巡らされた、官僚ファミリーの天下り先の特殊法人のネットワークで消費されるものである。

この官僚ネットワークにどれほど他の国が絡んでいるのか誰も知らない。南北朝鮮、在日朝鮮、国連、WHO、ジャパンハンドラー、米国、IMF、。。。などどれほど吸血鬼になっているかだれにもわからない。

公共事業として地方交付税として使われたものは、100兆円のうちのたったの年5兆円だった。

しかし、この5兆円を毎年続けてきた結果、我が国は高度成長を生み出すことに成功したのである。田中角栄の日本列島改造論である。

ところが、それによって生まれた「土地バブル」、この崩壊を同和出身の東大出身宮沢喜一が行った。

そして1990年代になり、バブルが崩壊し、我が国は怒涛のリストラに入っていった。

この時さらに「自民党をぶっ壊す」「自民党をぶっ潰す」のフレーズ(ちょうどN国党の「NHKをぶっ壊す」と同じ)で首相になったのが、在日北朝鮮系の小泉純一郎だった。(鹿児島の在日帰化人系鮫島である。)

この小泉純一郎と側近のNWO米CSISの工作員である竹中平蔵の「骨太の方針」(私は最初からこれは「狂牛病の方針」だとメモしてきたが)により、土地より人、建物より人へ」キャッチフレーズで、

科学技術基本法(平成7年、1995年)

が生まれ、それまでの地方の公共事業のための地方交付税の5兆円が、そっくりそのまま、大学の公共事業のために回されたのである。

その結果、荒廃し、欧米から立ち遅れていた大学の復旧がなされた。

また、ほぼ同時に「大学法人化」が行われて、大学が独立行政法人となり、大学の学長が大学人の給料を決めることができるようになったわけだ。

こうして、我々の大学院生時代には、大学教授は一律の給料体型で大企業のせいぜい中間管理職から重役程度の給料に合わせていたものが、研究者の実績に応じてどんどん増額できるようになり、我々の昔は大学教授も徒歩で研究室へ通ったものが、いまやベンツやボルボなどの高級外車で通えるほどになったわけだ。

一方、地方は公共事業がなくなり、地方の職場が消えた。

公共事業がなくなり、道路工事、トンネル工事、ダム建設、河川治水工事、学校整備、。。。などができなくなった結果、1970年代の日本列島改造論で生まれたコンクリート建築物がコンクリートの耐用年数の40年を超えても回収できずに、ぼろぼろになるという歴史を生み出したのである。

本来なら、別に大学を復旧するために年5兆円の投資は仕方のないことだったが、なにも公共事業の地方交付税の分を減らす必要はなかったのだ。両方に年5兆円を配布すればよかったのである。


いまだに、笹子トンネルの崩落事故で、その遺族が、どうしてそういう事故が起こったか?その真実を知りたい、なんて言っているらしいが、その理由は明らかだ。

小泉と竹中の「骨太の方針」以来、日本政府が地方交付税を大学に回した結果にすぎない。


逆に、大学の方は、この20年間、大学キャンパス内の建築事業が年中行事になり、どんどん新築のビルが建てられてきた。まさに大学内のゴールドラッシュ。

そのため、できた学部の中の労働者である学生や大学院生が足りなくなり、どんどん外国人を雇う結果になった。おかげで、いまや国立大学の主要研究室の院生は、日本人より外人の方が多い。ちょうど私がユタ大に留学した当時の米国の大学のようになっているのだ。



話を戻して、中村哲医師が何を行ったか?に戻すと、

実は中村哲医師は、実質上この公共事業という概念の重要性に気づいたのである。


中村医師は、現地の無職の若者や中高年に働く場を与えた。つまり、労働すればその対価として給料を貰えるシステムを作ったのである。

その労働が治水灌漑事業の水路建設である。水路を作るための土石作業、掘削作業、石の掘削運搬作業、こういった労働にNPOからお金を出した。

たとえそれがわずかの金でもその労働でそれなりのお金が他に入れば人は幸せになる。家族を養える。

こうして戦地へ行ってテロ戦に参加して金をもらう方式以外に、水路建設で働いてそれ以上の金をもらえるシステムを構築した。

そして、20年でついに水路が完成すると、水を引き、まず水道ができ、その水路の周りが延々と農地に変わっていった。

こうなると、水路建築から農地へと人の動労が移る。

水路建築という公共事業と農地という農業と何が本質的に異なるか?

いわゆるインフラ整備と農業の違いである。

農業は生きるための食料が手に入る。余ればそれを商品にできる。つまり、農産物を売ってお金に変えることができる。農産物を加工すれば、また別の商品ができる。

つまり、産業の誕生である。


こうして働く場がその地に誕生する。自立できるわけだ。


中村哲医師の最大の発見はこれだと思う。これを実証したことだ。


これは、アフガニスタンだけの問題ではない。アフリカも同じである。

アフリカが内戦で戦争ばかりして危ないから、避難民ができる。避難民には仕事がない。食料がない。だから、近くのアラブ世界やヨーロッパへ難民として渡る。そうせざるを得ない。

あるいは、内戦に参加し、わずかの金を得る。

内戦すればするほど土地は荒廃し、インフラが破壊される。土地が砂漠化する。

まさに我が国の戦国時代のようなものだが、我が国より悲惨になる。


したがって、アフリカを復活再生するためには、中村医師が行ったことと全く同じことをする他ないのである。

砂漠に水路を引き、水路から水道を作り、その周りを農地に変える。

農地ができれば、人は食べていける。農産物を売ることができる。豊かになれば、祖先の国へ家族が戻る。難民移民が減る。

農業は緑化だから、酸素が増える。気候が良くなる。自然も増える。


とまあ、こういった想像をだれもが行うことができる。


中村哲医師の功績は、この公共事業の意味の大きさを我々に教えてくれたことにあると思う。




ご冥福を心からお祈りしたい。RIP. 合掌。



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