https://ameblo.jp/fukutyaipuku/entry-12651872620.html
<転載開始>
今日は水野南北に関するお話です。
運をよくするのに、参考になるかもしれません。
「人の運は、「食生活」によって決まる」というお話です。
「人の運は食にあり」小林正観さんのお話よりご紹介します。
<引用開始>
「食生活が、人相まで変えた」
江戸時代、水野南北という人がいました。観相家です。
宝暦7年(1757年)に生まれ、天保5年(1834年)77歳で亡くなりました。
江戸時代のこのころは
平均寿命が40歳ほどですから、
ずいぶん長生きだったといえます。
水野南北は幼少期に両親と死別、
大阪のおじ夫婦に引き取られます。
10歳の時にはすでに酒を覚え、
その後何年も、酒・ばくち・けんかに明け暮れる毎日でした。
18歳の時、おじの金を盗むなどして、
牢に入ることになりました。
それまでに盗み、脅し、詐欺まがい、
いろいろやったようです。
その牢内で、罪を犯す人間とそうでない人間に、
人相上の違いがあると気づきました。
後にすごい観相家になった水野南北でしたが、
最初のスタートは牢内だったのです。
獄を出てから、自分の人相を易者に見てもらったところ
「あと一年の命」と言われました。
「それを避けるには出家のほかはない」と。
知り合いの住職に相談したところ
「一年間、麦と大豆だけの生活をしたら入門を許す」ということだったので、
水野南北はそのとおりにしたのだそうです。
一年後、同じ易者は
「死相が消えているだけでなく、
立派な相になった」と感心してくれました。
「その食生活が陰徳となって、人相まで変えた」と言ったそうです。
本格的に相を学ぼうと旅に出た水野南北は、
髪結いに奉公3年、湯屋の奉公人になって3年、
墓守になって墓を守ること3年の日々を過ごします。
頭の形、生きているときの体の形と
死んだあとの骨の形(骨相)などを研究しました。
さて、それほどに観相学に打ち込んだ水野南北でしたが
百発百中というわけではありませんでした。
どうしても例外がある。
吉相だと思っていても、
どんどん衰運になる人がいる。
逆に、とても貧相な人で興隆運の人もいる。
なぜだろうと悩んでいる時、
突然ひらめきがあったといいます。それは・・・
「人の運は食にあり」というもので、
人を占うのにまずその人の飲食の様子を聞いて、
それによって運・不運を判断したところ、
万に一つも誤りがないことが分かり、
そこに気づいてからは、
「百発百中、当たらざるなし」と言われました。
<引用終了>
自伝などによれば、水野南北は50歳の時、
伊勢神宮の五十鈴川のほとりで
21日間の断食と、水ごりの行を行いました。
その時です。
外宮に祭られている豊受大神の啓示を受けました。
人の運は、食にあり
豊受大神といえば、縄文の女神、瀬織津姫
瀬織津姫
日本一と呼ばれた水野南北でも、
100%当たるとは行かなかったのですね。
貧相でも富んでいる人、福相でも運がない人。が居ました。
ある時、占う時に食べ物について聞いたのです。
すると
福相の人でも、
お金が入ってから、食べ物を変えると、
衰運になる
ことがわかったのでした。
それ以降、百発百中の観相家となったのでした。
心当たりのある方は、いらっしゃるでしょうか。
食生活で運が決まって来るのだそうです。
質素であっても、愛情を込めた食事
暖かな心の交流を伴った食卓
命を分けてくれた者への感謝の心
そんな気持ちでいただきたいものですね。
※画像はネットからお借りしました。
<転載終了>