笹原シュン☆これ今、旬!!さんのサイトより
https://shunsasahara.com/entry/2021/03/03/192256
<転載開始>

早紀江さんの血統

 それでは、なぜ横田めぐみさんは、北朝鮮に渡航し、金正日の妻となり、金正恩を生むことになったのでしょうか。

 

 2017年以降、横田めぐみさんが金正恩の母である、という説がネット上を席巻し、それに応じて、横田家の人々の近親者や、友人などからの情報リークが相次ぎました。

 それらを総合すると、めぐみさんが北朝鮮に渡航するに至った最大の原因は、母である横田早紀江さんの血統にあったようです。


李王家の末裔

 朝鮮半島は、1392年から1897年まで、長きにわたり、李氏朝鮮が治めていました。李氏朝鮮は、代々李家が王位を世襲し、清の属国となっていました。

 

 1894~95年にかけて行われた、日清戦争によって、日本の力で朝鮮は清から独立を果たし、大韓帝国が成立します。

 

 大韓帝国は、李氏朝鮮の王族であった李家の当主がそのまま皇帝を務めました。初代皇帝は、李氏朝鮮最後の王であった、高宗です。

 

 1907年、高宗は退位し、息子の純宗(李拓)に皇位を譲ります。この時、純宗の弟である李垠(り ぎん)が皇太子となります。

 

 1909年、伊藤博文が暗殺され、翌1910年、大韓帝国は大日本帝国に併合されます。朝鮮半島は、大日本帝国の領土の一部となったわけです。

 

 大韓帝国は消滅し、皇帝はいなくなりましたが、李家の一族は、日本に迎え入れられ、準皇族としての待遇を受けます。

 

 日本では天皇の直系男子は親王、それ以外の皇族男子は王と呼ばれますが、李家の人々はこの王の称号を与えられ、李王家が新設されました。

 

 高宗は特別に太王の称号を与えられ、純宗と李垠には、王の称号が与えられました。東京赤坂に李王家の邸宅が作られ、3人は東京に住むことになりました。

 

 この李王家の邸宅は、二次大戦後に李王家の廃絶とともに取り壊され、跡地に赤坂プリンスホテルが建設されることになります。

 

梨本の宮方子女王の結婚

 日本は、日韓融和の証として、この李王家と日本の皇族との結婚を進めていきました。その一環として、1920年日本の皇族、梨本の宮方子(まさこ)女王と、李王家の李垠王の婚儀が行われました。

 

 梨本の宮方子女王は、一時は裕仁皇太子(のちの昭和天皇)の妃の第一候補として、名前が挙がったこともある人物です。

 

 李垠は、陸軍士官学校を卒業し、陸軍軍人としての人生を歩みます。1945年の終戦時には、陸軍中将にまでのぼり詰めていました。

 

 終戦後、李王朝が廃絶され、陸軍将官であった李垠は、公職追放処分を受けてしまいます。朝鮮への帰国も果たせず、李垠・方子夫妻は、日本において一般の在日朝鮮人夫婦として生活することを余儀なくされます。

 

 1963年の日韓国交正常化で、朝鮮半島へ帰還を果たしますが、その7年後、1970年にソウルで死去します。

 

 2人の子供は男の子は李晋(1921~22)、李玖(1931~2005)の2人が記録に残っていますが、女の子については記録が残されていません。

 

 しかし、この2人の間に、1936年に女の子が生まれていて、それが李早紀江さんだということです。

 

 この李早紀江さんが、1963年、横田滋さんと結婚して、横田早紀江さんとなり、翌64年、めぐみさんを生んだということのようです。

 

 私もこの情報は最初は半信半疑でしたが、2人の写真を見比べてみると、合点が行きます。

 

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 左が、晩年の梨本の宮方子女王、右が横田早紀江さんです。

 

 これはもう、似ているを通り越して、同一人物であるといっても通用するレベルなのではないでしょうか。

 

横田めぐみさんは、金王朝の皇后として招聘された

 もう一度、情報を整理してみましょう。

 

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 上の系図をご覧ください。横田めぐみさんの母、早紀江さんは、日本の天皇家、および、朝鮮の李王家の両方の血を引いていることがわかります。

 

 この血は、娘のめぐみさんにもそのまま流れています。

 

 そして、そのめぐみさんの血を引いた指導者が、金正恩です。

 

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金正恩

  

  2011年12月17日、金王朝2代目の指導者、金正日が死去しました。金正恩は、この2日後、12月19日の金正日死去の発表と同時に、次期指導者として報道されました。

 

 この後継指導者としての決定の異常な速さは、金正恩の指導者就任に反対する勢力が全くなかったことを示しています。

 

 それはそうです。金正恩は、由緒ある朝鮮の王家である、李家の血をひいています。さらには父親が、北朝鮮の建国者、畑中理の息子であり、さらには横田めぐみさんを通じで、日本の皇族の血も引いているのです。

 

 北朝鮮を建国し、統治している旧日本軍の残地諜者にとっても、統治されている新羅系韓族にとっても、ともに王族の血を引いているわけです。

 

 北朝鮮の統治者として、これほど望ましい血統はほかに考えられません。誰が彼の即位に反対することができるでしょうか。

 

 金王朝の血統は、3代目、金正恩において、完成を見たということができます。

 

 そして横田めぐみさんは、金王朝の血統を完成させるため、金王朝の皇后陛下として、白羽の矢を立てられ、北朝鮮に丁重に迎え入れられたのです。

 

拉致問題成立の経緯

 さて、少し時間をさかのぼって、そもそも問題視されていなかった、この17人の人物のヘッドハント、北朝鮮への移住が、なぜ、北朝鮮による「日本人拉致事件」として、問題となったのかを考えてみましょう。

 

 彼らの北朝鮮への移住が行われたのは、1977年から84年にかけてでした。この時は別に何の問題も起こっていなかったわけです。移住は合意の下で平和裏に行われ、日本、北朝鮮どちらも、問題が起きたという認識はありませんでした。

 

 しかしこの平和な状態を、いきなりひっくり返してしまう大事件が発生します。

 

 1987年に起きた、大韓航空機爆破事件です。

 

大韓航空機爆破事件の衝撃

 87年11月27日、中東に出稼ぎに来ていた韓国人労働者を乗せた大韓航空858便が、バクダットを発ち、アブダビ経由でタイのバンコクに向かう途中、ミャンマー上空で空中分解し、乗客乗員115名全員が死亡しました。


 事件発生当時は、航空機の機体の不良が原因といわれていたのですが、調査が進むにつれて、爆弾テロであることが明らかになっていきました。


 実行犯は北朝鮮の2人の工作員、金勝一と金賢姫です。

 

 2人はバクダットで858便に乗り込み、時限装置つきのプラスティック爆弾と液体爆弾が入った酒瓶を手荷物として持ち込み、手荷物を航空機のハットトラックに置いたまま、アブダビで降機しました。爆弾は時限装置によってミャンマー上空で爆発し、機体は空中分解したというわけです。


 2人の工作員は偽造の日本国のパスポートを使用しており、事件発生前から当局にマークされていました。事件発生当日からマナーマのホテルに宿泊し、30日午後、バーレーンからローマに向かう航空機に乗り込むところを、バーレーンの警察官および日本大使館職員に身柄を拘束されました。

 

 2人はその場で服毒自殺を図ります。これによって金勝一は死亡しますが、金賢姫の方は一命を取りとめ、3日後に意識を取り戻します。


 バーレーン警察の取調べの後、金賢姫の身柄は韓国に引き渡されました。

 

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金賢姫

 韓国警察による金賢姫の取り調べの模様は、日本のマスコミで連日報道されました。

 

 金勝一と金賢姫は、北朝鮮の工作員で、翌1988年に行われるソウルオリンピックの妨害のために、韓国の信用を低下させることを意図して事件を起こしたことが明らかになります。


 さらに、捜査の過程で、金賢姫が蜂矢眞由美という名で日本人に成りすましていたこと、彼女に北朝鮮で日本語や日本文化や日本人の立ち居振る舞いをを教えていたのが、「李恩恵(リ・ウネ)」という女性であったことがわかります。

 

 この、李恩恵が日本人だったのではないか、ということになり、捜査が進められました。

 

 金賢姫の供述を基に似顔絵が作られ、警察によって全国各地に「昭和55年以前に行方不明になったこの女性を知りませんか」というポスターが貼られました。

 

 その後1991年になって、埼玉県警察警備部の調べで「李恩恵」が1978年に行方不明となった田口八重子と同一人物ではないかと推定され、警察庁から2人の担当官がソウルへ行き、ソウル大使館政治部の警察庁出身の者を同行させ金賢姫と面会しました。

 

 同年輩の女性の顔写真10枚ほどが準備されました。田口八重子の写真をこの中に混入し、「このなかに教育に当たった女性がいるか」と金賢姫に示すと、1枚1枚写真を見ていた彼女は田口八重子の顔写真を見て、「この人です」と言ったということです。

 

 ここでマスコミが、日本人である田口八重子さんが、北朝鮮に拉致されていた、と騒ぎ出し、ほかにも被害者がいるのではないか、と言い始めました。

 

 それから77~78年の間に行方不明となっていた人物が次々と見つかり、「17人の人物が北朝鮮に拉致された」と騒ぎ始めたというわけです。

 

韓国とマスコミによって作られた拉致事件

 北朝鮮に納得ずくで渡航した日本人の家族は、渡航後、警察に捜索願を提出し、行方不明事件として処理していました。

 

 当時日本と北朝鮮は正式な国交がなかったので、北朝鮮への渡航は、秘密にしないといけません。

 

 しかしただ、何も処理せずいなくなると、後で大騒ぎになって面倒なので、一応捜索願を出し、当然見つかりませんので、行方不明扱いとなり、戸籍上の問題をクリアしていたというわけです。

 

 マスコミは、ここにつけ込み、「捜索願が出ていた、誘拐だ~」とさわぎ、「北朝鮮の工作員による拉致にちがいない」と騒ぎ立てました。

 

 このマスコミによる大騒ぎの中で、遺族は、「実は○○は、北朝鮮に渡航したんですよ」とは言いだせなくなってしまい、そのままマスコミに同調します。

 

 その後、日本政府から多額の補助金(次記事で詳述)を支給されることになり、いつの間にか被害者の会ができてマスコミにもてはやされるようになってしまい、後に引けなくなってしまったということです。

 

 これはなかなか巧妙な、事件のでっち上げと思われます。

 

 韓国としても、ディープステートに支配されたマスコミとしても、日本と北朝鮮の離間工作ができればばんばんざいです。

 

 結局北朝鮮への納得ずくのヘッドハントは、いつのまにか、北朝鮮による日本人拉致事件として、一人歩きを始めてしまったのです。




<転載終了>