世界の裏側ニュースさんのサイトより
https://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12689425860.html
<転載開始>

長めの文章ですが、最後の方が言いたいことの要点です。

 

 

コロナで独善性のパンデミック:パート2
The Rise of the Self-Righteous Police: Part 2

 

5月23日 https://bradleyneece.medium.com/the-rise-of-the-self-righteous-police-part-2-a2f521ec8384 より一部翻訳

 

 

 

新型コロナウィルス、マスク、ワクチンと自由に対する紛争

 

 

 

 

2020年の春、新型コロナウィルスがアメリカで大騒ぎになってからというもの、仕事上で必要な際には私はマスクを着用してきました。マスクなしで店に入れないと知っていたからです。マスクをつけるのは大した問題でもなく、今でもそれに変わりはありません。でもマスク不要の場所ではマスクはつけません。友人や家族の横を歩く時でも、外であればマスクをしません。お互いに。

 

必要に応じてマスク着用や、ソーシャルディスタンスを守ること以外は、この14か月間、私の生活はそれまでとあまりかわりませんでした。

 

政府関係者やアンソニー・ファウチ博士、CDCの勧告には耳を貸さず、クリスマスと感謝祭はテキサスの家族と過ごすことにしました。いつも通り。家族の家にいる間、私たちはマスクをしませんでした。ソーシャルディスタンスを置くこともありませんでした。いつものようにハグをして挨拶をし、いつものように食卓を囲みました。

 

趣味として、新型コロナの期間中に車で3回ほど国を横断しました。ホテルに泊まり、室内で食事ができるレストランで食事をしました。ここ数年では考えられないような旅でした。道中や目的地では、マスクが必要な場所ではすべてマスクを着用し、そうでない場所ではマスクを着用しませんでした。つまり運転中や睡眠中、食事中、外にいるときだけはマスクを着用しませんでした。

12月には甥っ子の結婚式に参列しました。数百人の参加者がいましたが、わずか一握りの人以外は誰もマスクをしていませんでした。私を含め、75歳以上の両親を含めてウイルスに感染する危険を冒すことを厭わない人々がほとんどでした。私たちは皆、素晴らしい時間を過ごすことができました。

 

ジムの数カ月間の閉鎖中は、私は近所の公園でエクササイズをしていました。そして、12月にジムが再開してからは、ほぼ毎日、ジムで運動しています。

 

昨年11月に映画館が再開して以来、40本以上の映画を観ています。他の映画館でも少なくとも15本は観ています。ほとんどの場合、映画館にいたのは5人以下でした。時には私一人ということもありました。

 

昨年末にオクラホマのレストランが再開して以来、COVID以前と同じように少なくとも週に1~2回、旅行中はそれ以上に外食をするようになりました。どのレストランでも、客が席に着くまでマスクを着用することが義務付けられていました。また、ソーシャルディスタンスのガイドラインに沿って、お客様を1つおきのテーブルに着席させていました。

 

— — — —

 

私はコロナのワクチンを受けないことにしました。なにも強硬な姿勢をとっているわけではありません。私には必要ないと思うだけです。自分の体調管理には十分気をつけています。定期的に運動をし、クリーンな食事を心がけ、免疫力を高めるためにビタミンやミネラルを摂取しています。

 

また新型コロナに感染した場合、感染していない人よりも死亡する可能性が高くなるような健康状態ではありません。もし新型コロナに感染しても、それが原因で死ぬことはないと確信しています。しかし、もしそうなったとしても、後悔のないように死にたいと思います。私は2度陰性と判定されましたが、もし陽性と判定されていたら、推奨されている日数分の隔離をしていたでしょう。

 

しかし、ワクチンを接種しないと海外旅行や生活の維持ができなくなるのであれば、接種するでしょう。ワクチンが私に有害だともマイクロチップが付いているとは思っていません。ワクチンがヨハネの黙示録に書かれている獣の印だとも思いません。また、政府や悪の組織が私をコントロールしようとしているという説も信じていません。

 

— — — —

 

私がこの記事を書いたのは、私のように政府が推奨するコロナの規則の一部または全部を守らないことを選択した人たちに対し、多くの人がコメントをソーシャルメディアに書いているのを読んだからです。

 

可能な限り、明確で簡潔な言葉でまとめると、多くの人が言おうとしているメッセージは次のような感じです。

 

「マスクやソーシャルディスタンス、ワクチンについて政府の勧めることにすべて従うことを選んだ人は、善良で親切で、人々を大切にする人たちです。

 

そして、従わない人たちは、善良で親切ではありません。そういった人たちは他の人を気に賭けないのです。多くの避けられたコロナ感染やそれに伴う死亡をもたらしてきましたが、これからもそうし続けるでしょう。

 

政府に従う私たちはとても道徳的ですが、そうでない人たちは道徳心のない人たちです」

 

 

同じような考えの仲間たちと結託して独善性の高みに座ってキーボードを打ち、自分たちとは違う生き方をする人たちを非難するような人たちで、私のことを知らず、これからも知ることのない人たちの意見を、私は真剣には受け止めません。

 

私は初日からルールに従い、必要に応じてマスクをしてきましたし、今でもそうしています。しかし着用義務のないアメリカでは、法律のないところでは、法律の範囲内で自分の好きなことをする自由があります。

 

— — — —

 

私がコロナ時代の自分の経験をまとめたのは、自慢や誇示するためではなく、この時に行ったことを恥ずかしいと思わないからです。また、私と同じようにこの時代を生きてきた人も同様でしょう。私は無謀なことはしていません。ルールが必要なときはそれを守ってきました。しかしルールがないときは、政府でも、アンソニー・ファウチ博士でも、どこかの有名人でも、国の指導者でもなく、自分の良心に従うことにしました。

 

ジョージ・フロイドが殺害された昨年の夏、私はオクラホマ・シティで行われた抗議活動に、数千人の親しい友人たちと参加しました。みんなマスクをしていました。しかし、公民権運動をしている場合はコロナに感染しないので、ソーシャルディスタンスを置く必要はないと考えられていました。

 

— — — —

 

この14ヶ月間、私はアメリカで与えられている自由を行使してきただけです。私が店内でのマスク着用を拒否したからと店員を罵倒するような動画を撮影されたこともありません。法律に違反したわけでも、逮捕されたわけでもありません。

 

私は、必要のないマスクを着用することを決めた人を非難したり、愚民呼ばわりしたりはしません
私たちはコロナ以前から、自分自身で正しいことを選ぶ能力がありましたし、コロナ期間中も同様の判断をすることができることにかわりはありません。

 

必要のない場所でマスクを着用しないというのは、私の選択です。同じように、他の人が必要のない場所でマスクを着用することを決めるのも、その人の自由です。

 

 

私は、コロナの感染リスクを恐れる誰かの人生を危険にさらしたことはありません。私は誰かの死に対して責任を負わないし、ワクチンを受ける責任も負いません。

 

ワクチンを受けた人にとっては、もしワクチンに言われているような予防効果があるなら、ワクチンを受けていない人のそばにいても感染を心配する必要はないでしょう。

 

ですので、マスクをしない人がワクチンを受けたかどうかを知ることは、ワクチンを受けた人には問題がないはずです。

 

ワクチンを受けた人は、大きな自信と共にコロナ前のような生活に戻ったらよいだけなのでは?そしてワクチン未接種の人たちも自分たちの生きても問題がないのでは?

 

 

ワクチンを受けたにかかわらず、それでもまだ心配なら、その心配はワクチンを打っていない人に対する疑惑ではなく、ワクチンの有効性に対する疑惑を持っているということでしょう。

 

マスクを着用するもしないも、ご自由にしてください。一生、マスクをすることで安全を感じることができるならそうしたらよいでしょう。ワクチン接種もご自由にしたらよいのでは?

 

自分の良心に従って生きるという自由を楽しみましょう。

 

コロナに関して、他の人がどう生きているかなんて気にせずに生きましょう。たとえ他の人が自分たちとは違う生き方でも、自分が信じる正しい生き方を他人がしているかどうかなど気にする必要がありますか?

 

他の人を非難する前に、まず相手のことを理解しましょう。周りの人が、自分が信じる生き方と違うすべての行動に対し、取り締まろうとすることに疲れていませんか?

 

あなたの貴重な、残された人生を、他人の批判だけで生きたいのですか?

 

 

(一部翻訳終了)

 

*******************************

 

【コメント】

 

コロナやワクチンに対する基本的な考えは私とは違うものの、「他人は他人、自分は自分」というスタンスに共鳴した方のブログ記事がこちらです。

 

 

コロナが始まってから、この独善性というものが「普通」のようになってまかり通っているのを見てきました。

 

自分ひとりが正しく、周りの人もみんなそれに従うべきだという考えです。「認識の歪み」の「すべき思考」に近いかと。マイルールの他人への押し付けというか。自分の確固とした考えがあることは素晴らしいことですが、それを他人に強要するとなると別の問題です。

 

 

この記事を書いたのは東京オリンピックのデモの記事に、「東京オリンピックなんかよりも、コロナワクチンの方が多くの人を殺しているんだから、そっちを記事にするべき!あなた頭おかしい(精神薄弱な)んじゃない?」的なコメントをいただいて、なんとも言えない違和感を感じたからです。

(すいません、気持ち悪くて反射的に削除してしまいましたが)

 

たしかにワクチンの方が多くの人を殺している、という点には私も賛成ですが、その言い方( ゚Д゚)!

しかもこれまで交流のなかった方からです。

 

私の上司でも、親でもない方からだったので、ひたすらびっくりしました。あまりにも激しい怒りをむき出しにしたコメントで、コロナへの恐怖はない代わりに、コロナワクチンへの恐怖で少しお気持ちが乱れておられるのかと、少し心配になるほどでした。

 

その方がどうお考えでも私にはどっちでもいいのですが、自分が正しいから他人の行動を制限・コントロールする権利が自分にあるという考えるのでは、コロナ警察、マスク警察、自粛警察と同じメカニズムのように思われます。

 

どういうわけか、このブログが「コロナワクチンに関する情報ブログ」だと勘違いさせてしまったのならすいません。私は、自分が共有したい情報を、したい時にアップしているだけですので。

 

コロナワクチンに関しては、他の多くのサイトでも随時最新情報を確認することができますし、私一人ががんばらないと!とは考えていませんので。ワクチン情報を見続けていないと不安を感じるほどの精神状態になっているのでしょうか?そこまで不安が強い場合は、たまにはちょっとお休みをされるのもありかもしれませんが、どうでしょう?


他人の頭を気にかけられる前に、ご自分のことも大事にしてあげてください。世界のあらゆる問題の重責は、あなた一人の肩の上には乗っかっていないません。一日二日、コロナやワクチンの情報は見なくても十分に生きていけますから。

 

他人に自分の考えを理解してもらいたいという気持ちはわかりますが、特に医療行為となるとやはり、本人が最終決断をするのが自然かと。それで結果がどうなっても、責任を取るのは本人なので。でもまあ、家族の場合はそうも言ってられないですけどね。。。難しいところです。

 

 

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<転載終了>