本山よろず屋本舗さんのサイトより
http://motoyama.world.coocan.jp/
<転載開始>
 12月22日の冬至まであと1ヶ月ちょっととなり、並木良和さんが言う「目醒め」の道を目指すかどうかの締め切りの日が近づいてきました。
 この日までに目醒めるというのではなく、目醒めの道を歩むか、そうでないか決断する日ということです。
 私の勝手な印象ですが、目醒めの道を歩もうと決断する人は、日本人の1~2割ではないかと思っています。
 そして、この目醒めの道を歩む人には、素敵なことが待っているそうなのです。
 それが並木さんが言う「最適化」です。
 いきなり「最適化」と言われても、なんのこっちゃ? となってしまうので、まず「引き寄せの法則」から入ろうと思います。

 スピリチュアルに興味がある方なら、「引き寄せの法則」を知らない人はいないと思います。
 日本で紹介されたのは2007年に出版された『ザ・シークレット』(角川書店)が最初だったといいます。ちょうどその頃、私はゲリースクールの一期生となった時期でもあり、仲間と「引き寄せの法則」について語ったことを憶えています。
 もちろん私も「引き寄せの法則」が世に知られるようになった当初から、興味を持っていました。
 本当なのかどうか自分でも試してみたいと思いつつも、結局トライすることはありませんでした。今、私の手元には『ザ・シークレット』のDVDがあり、それなりに興味深く観たのですが、何もすることはなく、宝の持ち腐れになっています。
 私達が一番叶えたい願望と問われれば、億万長者になりたいという人が多いのではないでしょうか。
 もちろん私も、お金はほしいと思っています。
 お金があれば、日本中をキャラバンで旅したいし、事業を起こしてみたいし、完全リサイクルシステムの江戸時代型のコミュニティを作ってみたいと色々夢があります。
 しかしその願いを叶える為に、「引き寄せの法則」を使って資金を作ろうという気力が湧かないのです。
 思えば、私は若い頃から欲が無かった(薄かった)と言えるかもしれません。
 私が若かった昭和の時代は、若者(男性)はかっこいいスポーツカーをほしがったものです。
 かっこいいスポーツカーの隣には美女がいるというマーケティングに見事に乗せられたと言えるかもしれませんが、「かっこいい車=美女」という刷り込みをされた世代でした。若い頃はスポースカーで、社会に出て成功したらベンツに乗るというのが定番でした。
 つまり、人生の成功パターンとして車が刷り込まれた時代だったと言えます。
 しかしそれでも私は、車に興味が無かったし、ほしいとも思いませんでした。私の高校時代の同級生で東大に入った人がいるのですが、彼が「ベツンに乗りたい」と言ったとき、私は「なんで?」と思った思い出があります。
 一般的に成功の証として認められているのは、東大に代表される一流大学を出て高級官僚になるか、一部上場の大企業に入って出世の階段を登ることですが、じゃあ自分がそれを目指すかとなると話は別です。
 学校を卒業してとりあえず働かないと飯が食えないので私も就職したのですが、しばらく勤めて、どうもサラリーマンは性に合わないと、さっさと辞めてしまいました。
 その後はアルバイトで食いつなぐ、今でいうプータローになりました。
 当時はプータローという言葉すらなく、私はプータローの先駆けだったと言えるかもしもしれません(最近はプータローという言葉は死語らしく、ニートというらしいです。でもニートは働く意思が無い人を指すので、これにはあたりません)。
 アルバイトですから、その日暮らし的な生活でビンボーですが、会社勤めをして肉体的にも精神的にも締め付けられるよりは、ずっと私の性に合っていました。
 そんな私ですから、スピリチュアルには興味があるので「引き寄せの法則」のDVDを喜んで観るのですが、内容を知ったことに満足してしまい、じゃあ何か願望を実現しようかというところまでに至らないのです(というか、さしたる願望は無かった)。

 でも私がこの時代と、この日本という場所を選んで生まれてきたのは、きっと意味があると思っています。
 恥ずかしながら、この歳になってやっとそれがわかってきた気がしています。
 それは、人類にとって未曾有のこの大変革期を体験してみたいということです。
 サアラさんのスクールに入ったときに言われた言葉を今でもよく憶えています。
 サアラさんは、私達スクール生に、「あなた方は、金持ちになる為に生まれてきたわけではありません」と語っていました。
 この言葉に私は深く頷く思いでした。
 魂には、その人生で体験すべきテーマがあり、必然的にそのテーマに沿うように人生が流れていくのだと思います。

 私はお金には縁のない人生でしたが、逆に、並木良和さんが言う「目醒め」には、大変な興味がありますし、「目醒め」るための努力を惜しまない気持ちはあります。
 でも並木さんによると、どうもその努力すらいらないようです。
 それが並木さんが言う「最適化」です。
 並木さんは、「最適化」を以下のように簡潔に述べています。

 「こうなりたい」「○○を手に入れたい」というような目標も願いもなく、それを祈ることさえしないのに、身のまわりのことが「最適な状態」でナチュラルに叶えられていくのです。これが「最適化」です。
 ある意味では、それはたしかに「引き寄せ」られたものですが、「引き寄せの法則」とはまったく違う意識によって、もたらされるものです。

 「引き寄せの法則」も「最適化」も宇宙の法則だといいます。
 傍から見ると願望が実現していくので、同じものに見えますが、これら2つは根本的に違うものだといいます。

 まず、「引き寄せの法則」とは何だったのかという話題から入りたいと思います。
 『「最適化」の世界』(並木良和著、きずな出版)から抜粋して紹介させていただきます。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p35~p38から抜粋開始>・・・

 引き寄せの法則とは何だったのか

 「引き寄せの法則」は、「偉大なる秘密」として、何世紀にもわたって一般の人たちには隠されてきたものだと、『ザ・シークレット』には書かれています。

 この「秘密」は、代々伝えられる中、人々に熱望され、隠され、失われ、盗まれ、莫大なお金で買われたこともありました。
 歴史上最も著名な人々は、何世紀も前から存在していたこの『秘密』を理解していたのです。プラトン、ガリレオ、ベートーベン、エディソン、カーネギー、アインシュタイン等の発明家、理論家、科学者、偉大な思想家達です。」
 (ロンダ・バーン著『ザ・シークレット』角川書店、2007年刊、裏表紙より)

 時代や地域、人によって、その法則は断片的に受け継がれていたというわけです。
 では、そのとき、「最適化」は存在していなかったのでしょうか。
 「宇宙の法則」は、宇宙の存在とともに、そこにあるものです。
 「引き寄せの法則」も、「最適化」も、「宇宙の法則」そのものですから、人類の歴史とともに、あるいは、それ以前から、それらはいつも、そこにありました。
 つまり、「引き寄せの法則」を使う人たちがいたとしたら、「最適化」もまた発動されていた、ということが言えます。
 「引き寄せの法則」のマスターたちが、じつは「最適化」されていたというのは、そういうことです。
 マスターたちは、『ザ・シークレット』の中では、「引き寄せの法則」という角度から話していますが、じつは彼らは皆、「最適化」のゾーンにいる人たちです。
 「引寄せの法則」は、言葉としても、とてもわかりやすいものだったので、それが一人歩きして、「マスター=引き寄せの達人」のように括(くく)られてしまったということだと思います。
 これまでの時代で、「最適化」のゾーンにいた人たちをあげれば、『ザ・シークレット』に登場する人たちをはじめ、仏陀やイエス・キリストにまでも遡(さかのぼ)ることができます。
 そうしたマスターたちによって、大切な意識の在り方が説かれ、「宇宙の法則」は受け継がれていったわけです。
 「引き寄せの法則」も、その例外ではなかったのですが、「思えば引き寄せられるんでしょう?」というような、自分に都合のいい解釈をして、もともとの法則とはズレていったということがあります。
 じつは、「引き寄せの法則」によって、「うまくいった」「成功できた」という人がいる一方で、「少しも役に立たなかった」「いまだに何も引き寄せられていない」という人も多く存在しています。
 それが本当に「宇宙の法則」であるなら、例外なく、願いは叶えられていいはずでしょう。けれども、そう、うまくはいかなかったのです。
 たとえ引き寄せられたとしでも、僕のように、何か違和感のようなものを感じて、疲れてしまったり、その法則を使おうとして病気になったり、という人もいたわけです。
 「引き寄せの法則」は、どうして、うまくいかなかったのか---。
 本章では、それについて検証してみたいと思います。
 それをすることによって、「最適化」との違いがわかり、もしも「いまの自分」が悶々としているとしたら、その理由も自ずとわかるはずです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 「引き寄せの法則」に興味を持ち、試してみた方もおられると思います。
 しかし意外とうまくいかなかった、ということが多かったのではないでしょうか。実際、私の周りで「引き寄せの法則」でうまくいったという話を全く聞いたことがありません。
 神秘家のゲリー・ボーネルさんは、「引き寄せの法則」がうまく機能しない理由として、「葛藤」を挙げていました。あなたの中の葛藤が、実現化を阻んでいるといいます。
 それは、そうなのでしょう。
 しかし肝心なことは、なぜ葛藤が生れたのかということです。
 これに関し、並木さんは回答を出しています。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p39~p42から抜粋開始>・・・

 自分にとっての成功
 自分にとっての幸せを考える

 「マスター(master)」という言葉は、「主人」「集団の責任者」として使われますが、「習得する」「自分のものにする」という意味もあります。
 「引き寄せの法則」つまり宇宙の法則を習得した人たちが「マスター」で、前でもお話しした通り、その人たちの名前をあげるなら、イエス・キリストや仏陀にまでも遡れるわけです。
 まさに「特別な方たち」ですが、これからは、もっと普通の人たちが「マスター」になります。そう、誰もがマスターになれる時代がやってきているのです。
 「引き寄せの法則」は「思えば叶う」という、そのわかりやすさで一気に広まっていきました。
 けれども、それを誰もが使いこなせたかというと、そうではなかったのではないでしょうか。
 「引き寄せの法則」は、多くの人たちがうまくいかなかったはずなんです。
 願うことで引き寄せることができる---ということを、本当に理解できた人は、わずかだったと思います。
 では、なぜ「引き寄せの法則」はうまくいかなかったのかと言えば、引き寄せたいと願った「思い」や「夢」「目標」が、本来の自分のそれとは一致していなかった、ということに、その理由の一つがあります。
 たとえば「成功したい」という願いがあるとき、その「成功」とは何でしょうか?
 たとえば「結婚したい」という願いがあるとき、その結婚とは何でしょうか?
 「成功」とは、「お金持ちになること」だという人もいれば、「有名になること」だという人もいるでしょう。「会社を大きくすること」だという人もいれば、「社会的な影響を与えること」だという人もいるかもしれません。
 けれども、ここでもう一度、それを考えたときに、果たして、その「成功」とは、本当に自分が望んでいることだったのでしょうか?
 もしかしたら、その「成功」とは、「一般的に、そう思われていること」だったのではありませんか? 誰かに教えられたことである可能性もあります。それこそ著名な人たちが言ったり書いたりしてきたことをなぞって、「それこそが成功なんだ」と思い込んでしまったということはなかったでしょうか?
 あなたにとっての「成功」とは何でしょうか?
 あなたが「本当に望んでいたこと」とは何でしょうか?
 ある経営者で、40歳を過ぎて起業し、短期間でその会社を上場させた方がいました。それこそ、彼のいた業界では時代の寵児(ちょうじ)のようにもてはやされましたが、数年後には倒産の危機に陥ります。
 彼は、自分の仕事が好きでした。でも、いつのまにか、その好きだった仕事は、自分のものではなく、株主たちのもののようになっていたのです。少なくとも、そんな不自由を、彼は感じたのでしょう。
 「こんなことを望んでいたわけではなかったのに」と、あるとき漏(も)らした言葉が印象的でした。
 まさに、これこそが「引き寄せの法則」の盲点です。
 傍(はた)から見れば、一度は彼は「成功」を引き寄せたのかもしれません。でも、もともとの「望み」がそれではなかったとき、本当の意味で、その成功を自分のものにすることはできません。
 自分の本来の望みとは、ズレていたからです。
 自分とズレた状態で引き寄せようとしでも、それはうまくいかないのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 並木さんは、本当に自分の望んだものでないと実現しないといいます。
 言い方を換えると、魂が望んだ(魂の計画)に沿った望みでないと実現しないということです。なぜなら本来の魂の望みと違った願望を実現しようとしたら、そこに「葛藤」が生じるからです。ゲリーさんは、実現化を邪魔する葛藤を指摘しましたが、その葛藤を生み出す元となったのは魂の計画とのずれだったと言えそうです。

 だとしたら、私達は本来の自分の望み(魂が望むこと)とは何かを知る必要があります。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p43~p53から抜粋開始>・・・

 「こうあるべき」という概念にしばられてしまうとき

 「成功」と一口に言っても、何をもって成功というかは、人それぞれ違います。
 誰かにとっての「成功」を自分に持ってきても、それはうまくいくはずがないのです。
 そこに「引き寄せの法則」の無理がありました。
 「最適化」というのは、成功か失敗かということからははずれたところにあります。
 そこには、ただ「経験」があるだけです。
 「会社が倒産する」とか「病気になる」「大切なものを失う」ということが人生に起きると、それを「失敗」のように感じることがありますが、僕たちの人生には「失敗」というものはありません。ただ、「それを経験した」というだけのことです。
 それを理解することが大切です。
 僕たちは、この地球に、経験をするために生まれてきました。
 成功するために、ここにいるわけではないんです。
 お金をたくさん稼ぐためでも、パートナーを得るためでもない。
 結婚して子どもを生むためでもない。
 家を持つためでもなければ、家族団らんを楽しむためでもない。
 それらのことは、すべて「経験」の一つに過ぎないのです。
 それを人生の目的として捉(とら)えてしまうと、無理が出てきます。
 「成功」とはこういうものだ、「幸せ」とはこういうものだという、刷り込みのようなものがあって、それに「右へ倣(なら)え」で考えてしまうと、自分にはないものが目につきます。
 「お金もない自分」「家族もない自分」を意識することで、「価値がない」「力がない」と思い込み、ふさぎ込んでいくことになります。
 でも、時代は変わっています。
 一昔前のモデルといえば、とにかく痩せていなければいけないということがあったようですが、いまでは痩せすぎたらいけないそうです。
 これまでの「こうであるべき」「こうであるはず」という価値観、概念があった時代が、終わるときを迎えています。
 その「こうであるべき」ということが、多くの人が「引き寄せ」ようとしたものだったのです。
 それは「地の時代」の遺産のようなものでした。

 あなたの望みは、なぜ叶えられなかったのか

 「引き寄せの法則」を意識的に使うとき、まず自分が「それを望んでいること」が大前程にありました。
 繰り返しお話ししているように、その望みが、本来の自分のものであるなら、それは間違いなく引き寄せられ、つまりは「最適化」されていきます。
 「引き寄せの法則」がうまくいかなかったのには、その大前提が成立していなかったからです。
 自分自身が、心の底から望んでいたことではなく、誰かが望んだこと、誰かが「それがベストなんだ」と言ったことを「自分のもの」と勘違いして、ズレを生んだわけです。
 それがなぜ、よくないことなのかと言えば、自分のその思いによって支配されてしまうからです。
 「あれが欲しい」「これが欲しい」という欲や要望に支配される、のまれてしまう、というのは、やはり不幸と言わざるを得ません。
 せめて、その望みが自分から生まれたものならまだしも、自分以外の人の望みであった場合には、まさしく、その誰かに支配されているわけです。
 たとえば、結婚ということ一つをとってみても、
 「私は結婚したいんです。
 喉から手が出るほど、人生のパートナーを求めているんです」
 という人でも、よくよく話を聞いてみると、それを本当に望んでいるのは、本人の母親や父親だったりすることが多いのです。
 「早く孫が欲しい」
 「子どもがいい年して結婚しないのは世間体が悪い」
 そんな理由から、娘や息子に結婚することを望んでしまうのです。
 そして、その娘や息子は、それに応えようとして結婚を望む、というわけです。
 親の望みが、いつのまにか自分の望みにすり替わっています。
 それでは、望みは叶えられることはなく、引き寄せられないのは、当然の摂理です。
 では、それによって引き寄せることができず、不幸だったかと言えば、そうとは限りません。
 自分では「引き寄せの法則」を使って引き寄せようとしたにもかかわらず、それが叶えられなかったのは、あなたが本当に望んでいたことではなかったからかもしれないからです。
 ある意味では、それこそが「最適化」の結果だということもあります。
 「引き寄せの法則」も最適化も宇宙の法則で、それは、厳然たる真実として、常に機能してきました。
 つまり「最適化」は、ずっと前から、あなたに起こっていたということもできます。
 ではなぜ今「最適化」なのかと言えば、それを僕たちが意識できるようになるのが今だからなのです。
 「引き寄せの法則」がうまくいかないことが、不幸なのではありません。
 自分以外の誰かに支配されることが、不幸なのです。
 人は誰もが、自分の人生を体験するために生まれてきました。
 誰のものでもない自分の人生です。
 けれども、これまでの地球では、人によっては、それを楽しむのに窮屈(きゅうくつ)なところがありました。
 多様性より、型にはまっていることがよいとされていたからです。
 所有することが豊かさだと信じられていたからです。
 そういう時代に生きにくさを感じた人たちは、「引き寄せの法則」を使おうとしでも、無理が出て、うまくいかないということが多かったのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 なるほど、これで「引き寄せの法則」がうまくいかなかった理由がつかめた気がします。
 では、どうしたらいいのでしょうか。
 自分はツイていないと感じる人は多いと思います。
 しかし視点を換えて、そうした人生を選んだのは、実は私自身であると認識することだといいます。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p54~p62から抜粋開始>・・・

 自分が選択して生まれてきたことを意識する

 「自分はツイていない」
 「自分ばかりが損している」
 と思うときに、その原因を「こんな家に生まれたからだ」「会社が悪いからだ」「政府が悪いからだ」というように、自分以外の人や何かのせいにしてしまうことがあります。
 そうしてしまうのは、「いまの人生を自分で選択して生まれてきたのだ」という意識がないからです。
 けれども僕たちは、すべてを自分で選択して、この地球に生まれています。
 自分はどの国に生まれるのか、どの両親のもとに生まれるのか、ということも、もちろん自分で選んできたのです。
 これがスピリチュアルな真実です。
 まずは、この視点をしっかりと持つことがとても大切です。
 「自分が選んだことだ」ということがわからないと、「なんで自分が、この場所にいるのか」がわからなくなってしまうことがあります。
 とくに、環境的につらいことが重なると、その思いが強くなり、結果として、自分以外の誰かを責めることになるわけです。
 今ここにいるのは、あなたが、この状況を体験するためです。
 それを体験したいと思ったから、あなたは、ここに、自ら選んで生まれてきています。この意識が持てないと、「間違って産み落とされただけ」という気分がぬぐえません。
 「こんなところに、生まれたくて生まれたんじゃない!」と思うのです。
 でも、そう思っているうちは、自分とのつながりから離れていくばかりです。
 自分とつながっていない人は、自分の力を発揮することができません。
 本当の人生を生きることもできません。
 そして、ますます「自分はツイていない」「自分ばかりが損をしている」という状況から抜け出せなくなってしまうのです。
 すると、ますます、それを人のせいにします。
 自分が進学できないのも、結婚できないのも、親のせいにしたりします。会社で認められないのを上司のせいにしたり、給料が安いのを会社のせいにしたりします。病気になったり、災害にあったりすれば、運命のせいにします。
 文句を言うばかりの人生です。
 「そんな人生でもしかたがない」と思えるならば、それでもいいんです。
 でも、「こんなんじゃイヤだ」と思うから、文句が出るのでしょう。
 そうだとしたら、もう、そのやり方を変えませんか?
 人のせいにしているうちは、意識が自分から離れています。
 その意識を、自分に戻すのです。
 「いま起こっていることは。すべて自分が選択したもの」
 と、意識することです。
 それだけで、自分に力を取り戻すことができます。
 力を取り戻せば、いま見えている景色も変わるはずです。
 いま病気だという人は、そのために働けなかったり、夢をあきらめなければならなくなったり、ということがあるかもしれません。
 そのときに、病気になったことを恨んでも、気持ちは落ち込むばかりです。
 「人のせい」にするということには、「自分のせい」も含まれます。
 いま起きていることの原因を自分を含む「誰か」に設定して、その責任を押しつけてしまうのです。
 でも、誰のせいでもない。すべては、自分が選んできたことなのです。

 なぜ、この人生を自分は体験しているのか

 「いまの人生は、すべて自分が選んできたこと。
 そうだとしたら、それはやっぱり自分のせいなのではありませんか?
 やっぱり私はツイてない。そういうことなんですよね?」
 人生がうまくいかないとき、自分の人生を不運続きだと思うとき、そんなふうに言う人がいますが、その考え方は極端すぎます。
 人生を客観的に見たときに、いいときもあれば、いいとは言いがたいときもあります。
 でも、それは、人生に起こる出来事に、自分の視点を通して、ポジティブだ、ネガティプだと判断している状態にすぎません。
 僕たちは、この人生で起こることを体験するために、ここに生まれてきています。
 日本では2020年から始まった新型コロナウイルスの感染拡大は言うまでもなく、この数年でその他の自然災害、人的被害、そこから波及した、さまざまな「大変なこと」がこの世界を取り巻いています。
 「なんで、こんなときに生まれてきちやったんだろう」と思っている人もいるかもしれませんが、スピリチュアルの視点からすれば、僕たちは、この時期に起こることを知って、生まれてきているのです。
 たとえば、2021年1月1日に東京で生まれた子どもは、自分の親が誰で、親たちの環境や境遇はどういうものかを知って、その日を選んで生まれています。自分の生まれた場所で何が起きるのか、ということも知っています。
 「なにも、こんな大変なときに生まれてこなくても」と思うかもしれませんが、その子は、その大変さを体験したくで、生まれてきているのです。
 言い方を換えるなら、この時期を選ばなければならなかったわけでもないのに、さらには東京という場所でなくてもよかったのに、あえて、それを選んで生まれてきたのです。
 ある意味で、とてもチャレンジャーな魂です。
 僕はよく、人生をテーマパークのアトラクションにたとえるのですが、なにもお化け屋敷に入って怖い思いをしたり、ジェットコースターに乗って、手に汗にぎるような体験をしなくてもいいじやないかという人もいるでしょう。でも、お化け屋敷やジェットコースターの列に並ぶ人たちは、それをしたくて、列に並んでいるのです。
 「どうせなら1回転より2回転、3回転のほうが面白いよね」というのが、いまの時代を選んで生まれた人たちの共通点かもしれません。
 「こんなつらい思いをするために生まれてきたはずがない」
 という人もいるでしょう。
 でも、スピリチュアルの真実は、それほどのつらい思いを体験するために、あなたは生まれてきて、まさに今、それを体験している真っ最中、とも言えます。
 なぜ、そんな体験がしたかったのかと言えば、地球に生まれる前には、そうした体験がなかったからです。
 生まれる前の世界では、僕たちは「完全な存在」でした。
 支配もコントロールもない世界、比較や嫉妬のない世界で、ありとあらゆる欲からも解放された存在として、そこにいたのです。
 だから、「ちょっと地球に行って、『嫉妬』ってどんなものか見てこようかな」と思ったのです。「『成功』って、どんなものか見てこよう」と思った人もいれば、「『その後の挫折(ざせつ)』を味わいたい」と思った人もいたのです。
 そうして僕たちは、地球での体験を果たして、この人生を終えることになります。
 「こんなにつらい人生はなかった」という人も、終わったときには、それこそお化け屋敷の外に出たような気持ちで、「でも、面白かったね」となるのです。
 繰り返して言うなら、僕たちは、この人生で起こることを、ある程度、知って、生まれてきました。つまり、それに向けて準備もしてきています。
 あなたの人生には、いろいろなことが起きているでしょう。
 それこそ、いまほど苦しかったことはないという人もいるはずです。
 でも、あなたには、その準備ができているのです。
 その苦しい体験を越えられるだけの力をもって、ここに来ています。
 らくらく乗り越えられる、ということではありません。それを克服するのは、そんなに簡単ではないでしょう。その大変さを体験しに来ているからです。
 でも、突然にそれを体験させられているのではなく、もともとのあなたにとっては「想定内」のことだということを知ってください。
 だから、あなたは、だいじょうぶなのです。
 同じように、あなたのまわりの人たちも、だいじょうぶです。
 人生で起きることは、誰のせいでもありません。
 そうなることを知って、それを体験するために、僕たちは生まれてきた。それがわかれば、誰かを責める必要がないこともわかるでしょう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 つまり、人生で起こる不幸なことも含めて、私たちはそれを体験する為に生まれてきたということになります。
 そうだとすると、「不幸」と思っていたことが、本当に不幸なことなのか、ということになります。
 その起こった出来事を、ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかを選ぶのは本人が決めることだと気づきます。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p63~p67から抜粋開始>・・・

 自分の体験をどう感じて、どう捉えるか

 誰かを責めているうちは、「引き寄せの法則」はうまく起動しないのです。
 あなたのまわりに、うまくいかないことを人のせいにして、いつも文句ばかり言っている人がいたら、つい、「それはよくないよ」と言いたくなるでしょう。
 なんとか、その人に変わってもらいたいと考えるかもしれません。
 僕は、みなさんに目醒めのタイミングをお知らせするために、この地球に来たと思っているのですが、僕の仕事は、お知らせするまで、と思っています。
 お知らせして、その人が目醒めるかどうかにはタッチしません。それは、みなさんが自分で決めることだからです。
 こんな言い方をすると突き放されたように感じる人もいるかもしれませんが、そうではありません。
 それを選ぶのは、僕も含めて、他人がとやかく言うことではないと心から思っています。誰だって、自分の人生の方向性を無理矢理決められるのはイヤなのではないでしょうか?
 人生で大切なのは、いまを楽しむことです。
 「楽しむ」というと、面白おかしく過ごすことだと思うかもしれませんが、それは少し違います。言葉を換えるなら、「味わう」のほうがいいかもしれません。
 自分の人生に起こることを、味わいつくしてこそ、ここに生まれてきた意味があります。
 なにか悪いことが起こると、それをなんとか、いいことに変えないといけないような気持ちになります。それが、自分ではどうしようもないことだと思えば、誰かのせいにするしかない、ということが起きてきます。
 でも、いいことも悪いことも、全部を体験しに来ていることを思えば、そんな必要はないでしょう。
 何がいい悪いではなく、それを自分がどう感じ、どう捉えるか。それによって、「あなたにとっての人生」が変わっていきます。
 そう考えると、自分を変えることはいつだってできる、ということに気づかれるのではないでしょうか。
 たとえば何か事柄が起きていたとしても、その事柄をどういうふうに見るのか。その見方は、いくらでも変えられるはずです。
 病気をしたことをネガティブに捉えて、不運だと嘆(なげ)く人もいれば、病気をしたからこそ体験できたことに目を向けて、ポジティブにそれを乗り越えていく人もいます。
 不況で会社が倒産したら、失業したことを恨む人もいれば、「転職のチャンス!」と思う人もいるわけです。
 同じ事柄でも、ネガティブな見方と、ポジティブな見方があるわけです。
 どちらの見方を選ぶかは、自分次第です。
 自分に起きたことについて、自分自身を不甲斐(ふがい)なく思ったり、誰か人のせいにしたりするのは、ネガティブな見方です。
 それに対して、「これを体験することができた」「ここから学べることができた」というように考えられるのが、ポジティブな見方です。
 いままでは、もしかしたらネガティブな見方になりがちだったのが、それをポジティブな見方に変えられたら、そこから先は、それまでとはまったく違う流れをつくっていくことだってできます。
 ところで、ついネガティブな見方をしてしまいたくなるようなことというのは、人生に起こりがちです。自分自身が病気になったり、仕事で失敗したり、思いがけない人との別れがあったときには、誰かのせいにしたくなるものです。自分だけでなく、自分の家族や親しい関係の人たちにトラブルが起こるときも同様です。
 そのときこそ、自分の人生の見方、捉え方に気づき、変えていけるチャンスです。
 そのためのメッセージとして、そうしたことが起こっているということもできます。
 それに気づいて、ポジティブに受けとることができたら、それこそ、人生が変わっていきます。「最適化」が発動するわけです。
 残念ながら、それに気づける人は、そう多くはありません。
 自分ではどうしようもないことが起こったときというのは、つらいものです。
 誰かのせいにできるなら、そのほうが簡単で、一時(いっとき)はラクなんです。
 でも、それでは、本当の意味では、何も変わらないし、救われることも、乗り越えることもできません。
 ただただ、文句を言うだけの人生が続いていくだけです。
 あなたは、それでいいのですか? ということなんです。
 「引き寄せの法則」で引き寄せられる人は、「思い」と自分自身が一致している人です。
 自分の人生を人まかせにしているうちは、それができていないのです。だから「引き寄せ」も、うまくいかなかったのです。
 それさえわかれば、今この瞬間から、「最適化」が始まります。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 今までネガティブに捉えてきたことを、ポジティブに捉えることができた!
 よしこれで、「最適化」が始まるぞ!、と思ったらそう単純でもないようです。
 この世界は3次元である以上、そこに「行動」を伴う必要があるといいます。では、どんな行動をすればいいのでしょうか。
 それは、直感に従った行動だと言います。


 ・・・<『「最適化」の世界』、p68~p71から抜粋開始>・・・

 義務ではなく、直感にしたがって行動する

 「思い」と自分自身が一致していれば、引き寄せようとしなくても、「引き寄せの法則」が勝手に働きます。
 そうなると、もう、願わずして叶うのです。
 祈ることも、望むことも必要ない---「最適化」が始まるわけです。
 そして、「最適化」が始まると、じつは、あなたは少し忙しくなります。
 「もう祈ることもしなくていいのに、どうして忙しくなるのか?」
 と思われるかもしれませんが、最適化されるというのは、宇宙とつながることです。
 宇宙とつながると、いろいろな情報やインスピレーションが降りてくるようになります。
 その降りてきた情報に対して、肉体を持っている僕たちは、行動を起こしていく必要があります。
 なぜなら、肉体を持っているというのは、必ず行動を伴うということでもあるからです。
 宇宙からのメッセージは、ふとしたビジョンや体感で受けとることができます。
 自分が感じたことを、行動と一致させていく---「最適化」には、そのプロセスも含まれています。
 行動しなければ、「最適化」には至らないわけです。
 「祈ることさえしなくていい」というのは、「何もしなくていい」ということではありません。ただボーッと待っているだけでは、「引き寄せ」も「最適化」もありません。
 もっと簡単に言うと、「最適化」されると、「自分が次にどうすればいいか」ということが明確にわかっている状態になります。
 「あ、いまは寝ていよう」
 「あ、いまは起きて行動しよう」
 「あ、いま掃除しよう」
 「あ、いま、あの人に電話してみよう」
 「あ、いま、あそこに行ってみよう」
 というように、「今すべきこと」がクリアになっていきます。
 「すべきこと」という言い方は、適当ではありません。
 「べき」には、「義務」の意味が含まれているからです。
 義務ではなく、自分が取るとよい行動というのが、明確に自分でわかるのです。
 あとは、そのわかっていることをするだけです。
 「やるといいっていうのはわかっているんだけど、面倒なんだよね」というのでは、思いと行動が一致していません。
 行動に一致させることで、必要な展開が起きていきます。
 たとえば、「あ、あそこに行ってみよう」とピンと来て、つまりメッセージを受けとって、その通りに行動してみると、「こういう人に会いたかったんだよね」という人に出会ったり、「この情報を聞きたかったんだ」という情報をつかむことになったりします。
 「自分の感覚にしたがって、行動してみて本当によかった」
 そう思えるようになるのです。これこそが、「最適化」です。
 自分に思い、願いや望みがあっても、そのために今何をすればいいのかわからない、ということがあるでしょう。
 「情報はどこに行けば得られるか」
 それを引き寄せられるのが、「引き寄せの法則」です。
 これまでにも、メッセージを受けとっていたことがあったかもしれませんが、行動できなかったことが引き寄せられなかった理由です。
 だからといって何でも動けばいいということでもありません。いまは動かないほうがよいと感じて動かなかったことがよい結果につながった、ということもあります。
 「行動しないこと」も含んで、いま何をするのかを決めていくことです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 冒頭で述べたことの繰り返しになりますが、「最適化」は、「目醒め」の道を志した人にしか訪れません。
 目醒めるということは、今までの自分を変えるということです。その覚悟があって初めて、自分の周りの変化が訪れるということでしょう。
 もし自分が変わることなしに、周りが都合のよいように変化してくることを期待するのは、さすがに虫のいい話です。

 「目醒め」の道を歩むか、これまでと同じ道に留まるかは本人が決めることです。
 でも、「目醒め」の道を志せば、素敵な変化が期待できそうです。


(2021年11月14日)

<転載終了>