達人さんのサイトより
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<転載開始>

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黒い瞳の伯爵夫人~香水の光子で知られています。また青山通りは青山という家の苗字が由来とのこと

https://www.youtube.com/watch?v=HmA1aoqN9sI




ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと妻の青山光子 ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー(Heinrich Coudenhove-Kalergi、1859年10月12日 - 1906年5月14日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官、伯爵。
オーストリア貴族のフランツ・カール・クーデンホーフ(Franz Karl Coudenhove)と、ポーランド貴族のマリー・カレルギー(Marie Kalergi)の間にクーデンホーフ家の長男として生まれる。
クーデンホーフはギリシャ大使などを経て、1892年2月29日に代理公使として明治時代の日本の東京に着任。
乗っていた馬が凍った道で転んで落馬し、当時18歳の日本人女性青山みつ(後のクーデンホーフ=カレルギー光子)に助けられたことがきっかけで同年3月16日に彼女と結婚し、東京で1893年9月16日長男ヨハン(光太郎)、1894年に次男リヒャルト(栄次郎)の二子を儲ける。
リヒャルトは長ずるに及んで欧州統合を提唱し、欧州連合の理念の先駆者となった。
1896年にオーストリア=ハンガリー帝国帰国後は、父の死により外交官のキャリアを諦め、クーデンホーフ家の家督を相続する。
伝統や格式を重んじる家族から白眼視されるミツを庇い、「ミツコを侮辱するものとは決闘をする」というほどであった。
これはかつてハインリヒ・クーデンホーフがマリーという平民の女性と恋に落ち、妊娠するに至ったが結婚に反対され、マリーが自殺してしまったという悲しい過去が影響しているといわれる。
帰国後、光子(旧名みつ)との間にさらに五子を儲ける(クーデンホーフ=カレルギー家参照)。
父母の死後1903年より、自身のクーデンホーフ姓と妻の青山姓ではなく父母の姓を合わせたクーデンホーフ=カレルギーの複合姓を用いた。
末子となるカルル(光)が生まれたのは、この頃である。
ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーは1906年に心臓発作で急逝した。
かくようにして遺言により光子が家督を一括して相続した(一族でもめ事が起こった)。
次男リヒャルトが誕生して間もない1894年11月24日、東京音楽学校奏楽堂で在日外国人を中心として赤十字の慈善コンサートが開かれ、そのメインプログラムとしてシャルル・グノーの歌劇『ファウスト』より第1幕が抜粋上演された。
この公演でメフィストフェレスを歌ったのがハインリヒであり、ファウスト役はブラッチャリーニというイタリア大使館員であった。
管弦楽は宮内省雅楽部、指揮はフランツ・エッケルトで、ハインリヒはドイツ語で、ブラッチャリーニはイタリア語でそれぞれの役を歌った。
満足な装置もなく大きな見せ場もない幕ではあるものの観客は十分に満足し、折から旅順口の戦い戦勝の知らせも届いたこともあって募金活動の成果は上々に終わり、1500円近い金額が赤十字に寄付されたという。
ハインリヒらが出演した『ファウスト』第1幕の公演こそが日本で初めてのオペラ公演と見做されており、11月24日は「オペラの日」に制定されている。



ロスチャイルドのご主人は?

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ヘッセンカッセル家がロスチャイルドのご主人

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新興成金のロスチャイルドが世界を牛耳っているのか???

https://www.youtube.com/results?search_query=+%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%83
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雲上の覇権競争

http://www.kanekashi.com/blog/2009/08/994.html

ヘッセンカッセル家とハプスブルグ家

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0%E5%AE%B6%
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グ~デンホーフで検索すると5件ヒットします

https://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83O%81%5B%83f%83%93%83z%81%5B%83t&x=0&y=0&inside=1

世界の5ブロック ? 著書『パン・ヨーロッパ』の世界地図におけるブロック構成。

注:パン・ヨーロッパ思想

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91
%E6%80%9D%E6%83%B3&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=11525&aq=-1&oq=&at=&ai=cf1dd9f8-8fbf-4436-8bd0-de97b5c21b74


欧州統合訴えた日系人

https://mainichi.jp/articles/20210405/k00/00m/030/167000c

1919年のある日、クーデンホーフ=カレルギーは地球儀を眺めて世界のブロック化に思い至った。

欧州の統合を目指したクーデンホーフ=カレルギーが、欧州統合の先に目指すところは世界が1つになること、世界連邦である。

https://rapt-neo.com/?p=34358

EU創始者の母グーデンホーフ光子

https://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1226.html

香水光子とカサブランカ

https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3686

グ―デンホーフ光子

https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/530.html

今から約100年以上も前の、明治時代のはじめに、とてつもない人生を送った日本人女性がいます。

青山光子は、1874年(明治7年)に東京市牛込納屋町に生まれました。  父は青山喜八といい、骨董商を営む大地主で、今日の東京の青山という地名は、この家の苗字がう由来であると伝えられています。

ある冬の日、この骨董屋の前で凍った水溜りに滑って転んだ男性がいました。 彼はオーストリア代理公使の肩書を持つ、ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギ-(Heinrich
Coudenhove-Kalergi)伯爵でした。

それを見た、この家の三女のミツコは、親切に彼をかれを介抱したのが縁で、二人は結ばれることとなりました。

しかしながら、父の喜八はチョンマゲを切らずに文明開化に反抗していた頑固親父で、二人の結婚に猛反対。  ハインリッヒ家も伯爵家ということもあり、東洋の異教徒の娘との結婚に猛反対しました。

二人は、この試練を乗り切り、ミツコ21歳(1895年)の時、めでたく入籍することになりました。

夫のハインリッヒに帰国命令がでて、二人の息子(光太郎・栄次郎)をつれて遠い異国の地に旅立ちました。 クーデンホーフ・カレルギ-家の領地はオーストリアのボヘミア地方にあり、一家はそこのロンスベルク城で充実した日々を過ごし、次々と5人の子供が生まれました。

優しい夫と7人もの子供に囲まれ、幸せな日々を送っていたミツコですが、日露戦争がはじまった頃、彼女は結核にかかり、南チロルで闘病生活を送っています。

明治女のミツコは、お国が頑張っている時だから、自分も頑張らなくてはと、気力をふりしぼり、日本がロシアに勝つと、光子の病状も良くなってゆきました。

一家はボヘミアに戻ってきましたが、夫ハインリッヒは突然の亡くなってしまいました。ハインリッヒは、財産を全てミツコに、と遺書を残しましたが、親族は東洋の異教徒にクーデンホーフ伯爵家を渡してはなるものかと、ミツコに譲渡を迫りました。

これを機に、ミツコは 「東洋の可憐な花から、西洋の竜」 に変身を遂げ、裁判で争い、夫の財産を引き継ぎ、子供たちをウイーンの名門校に入れ、伯爵夫人として活躍しました。  東洋の小国、日本が大国ロシアを負かすと、日本は注目され、彼女も社交界の花形となりました。

やがて、第一次世界大戦がはじまり、不幸にもオーストリアと日本は敵国になってしまいました。  しかし、彼女は3男ゲロルクを最前線で活躍させて欲しいと司令官に申し出て、司令官はこの姿に感動し、最大の賛辞を彼女に贈りました。

この戦争が終わった頃、パリで 「ミツコ」 という香水がゲラン社から発売されましたが当時、ヨーロッパでは日本人女性ミツコの名前は有名で、フランス人作家クロード・ファーレルの小説「ラ・バタイユ」のヒロインも「ミツコ」と名づけられました。

この小説のヒロインである「ミツコ」をイメージし香水の名前を「ミツコ」としたことは、ゲラン家3代目のジャック・ゲランが語っており、これは当時の日本ブームの中で日本人女性ヒロインをイメージしたもので、すなわちクーデンホーフ・ミツコまた、小説のヒロインであるミツコであった訳です。  特にウイーンでは、この香水ブランド「ミツコ」は、クーデンホーフ・ミツコであると受け止められました。

ゲラン社では、日本人女性の神秘性と美しさを香水であらわしたもので、
「ミツコは官能的でミステリアスな気品に満ちた香りであり、 発売後八十年たった今でも世界中で愛されている」  としています。

ゲラン社 香水 「ミツコ」
http://www.guerlain.co.jp/fragrance/frame_mitsouko_story.html

http://www.guerlain.co.jp/frompress/expert12/1.html

1918年に、第一次世界大戦が終わると、ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊したことに伴い、クーデンホーフ・カレルギー家も過半の財産を消失し、更に彼女は脳溢血により右半身不随となりました。  この頃の静養生活で、唯一の楽しみは祖国日本から送られてくる新聞や雑誌を読むことであったと伝えられています。

1924年、彼女の次男リヒャルト・クーデンホーフは、第一次大戦の惨禍を見て、ヨーロッパの国々が合体して一つになるべきだという 「パン・ヨーロッパ思想」 を打ちたてますが、これが今日のEU構想の先駆けとなり、リヒャルトは 「EUの父」 と呼ばれています。

彼は、第二次世界大戦で、ナチスに事務所を襲撃され、妻とアメリカに亡命しましたが、映画カサブランカでイングリッド・バーグマンの夫役のポール・ヘンリード(映画ではラズロ)は、リヒャルト・クーデンホーフをモデルとしたもので、容姿も良く似た俳優を選んだことは有名です。

まだ女性の人権が抑圧されていた明治時代に、国際的に活躍し、波乱万丈の人生を送り、「EUの父」リヒャルトを生み育て、日本人女性の可憐さや強さなどの、明治女の生き様をヨーロッパの人たちに見せた、クーデンホーフ・ミツコ。

1941年8月27日、第二次世界大戦の火の手がヨーロッパを覆う中、次女オルガに見守られながら、静かに息を引き取りました。

クーデンホーフ・ミツコ  享年67歳。

ちきゅう号~またおまえか.......!!!

https://twitter.com/love_80s_/status/1484579070478147588?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5E
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史上最悪ぺースのナスダック

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN00003_S2A120C2000000/

いわゆる収穫逓減の法則。米国ではストップ高 ストップ安がないため21日のネットフリックスは22%下落した。収穫急増急落の法則はまだない。日銀はFRBのテンパリングを前にして口をあけて見守っているのみ。日銀には出口がない。





おまけ~各国人の性格

https://newstyle.link/category34/entry2847.html

字幕大王さんはいつも凄い~PCR検査について

https://www.jimakudaio.com/post-12059

確か2006年の1月にUSAはNationではなくてCorporationであると記事にしたのですが日本も株式会社だったとは......

https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12723174808.html

<転載終了>