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公安と言っても
所詮サラリーマン
命を張っているわけではないし
上から右と言われれば右
左と言えば左を向く人たち
ただし国民いじめは得意です。
あいつを捕まえろと言われれば
証拠を捏造しても捕まえる。
余り言ったらいじめられそうで怖いですね!
<転載開始>
ナチス・ドイツの「象徴」を掲げるウクライナ義勇軍…米国がミサイル供与をやめた理由
政府軍と親ロシア派武装組織による戦闘が続くウクライナをめぐり、「ナチスの亡霊」の存在が事態の混乱に拍車をかけている。義勇兵部隊の「アゾフ大隊」で、米国は6月上旬、同大隊がネオナチだとして、支援する政府側への対空ミサイル供与計画を取りやめた。世界各地にいまなお巣くうナチス・ドイツの亡霊。ウクライナ情勢にも暗い影を落としている。(岡田敏彦)
ハーケンクロイツを掲げる義勇軍
ロシアの一部メディアによると、2014年5月にウクライナ内務省管轄の部隊として発足した「アゾフ大隊」は、黒海北部にある内海のアゾフ海に近いドネツク州マウリポリに本部を置く。同年8月にロシア連邦軍とみられる部隊が攻撃を仕掛けた際には先頭に立って反撃したとされる。
同大隊はネオナチとの「共通点」が少なくない。
米通信社ブルームバーグやロシアのニュース専門局RT(旧ロシア・トゥデイ、いずれも電子版)などによると、70年前のファシズム国家、ナチス・ドイツの象徴であるハーケンクロイツの旗を掲げ、部隊章には、ユダヤ人を次々と強制収容所に送り込んだナチス親衛隊(SS)が用いた紋様「ヴォルフス・アンゲル」(狼の罠)を用いている。
ナチスをめぐっては、SSだけでなく、占領地域ではアインザッツグルッペン(絶滅部隊)がユダヤ人狩りを行い、アーリア人(白人)至上主義のもと有色人種や少数民族を奴隷化するなど、悪行非道は枚挙にいとまがない。
戦後のドイツをはじめ欧州では、ハーケンクロイツを公衆の場に出すことを法律で禁じている国もあるほか、玩具の戦闘機でさえ、ハーケンクロイツが「田」のマークに置き換えられるケースもある。
しかし欧州では格差社会が進行したことも手伝って、外国人排斥を訴える極右勢力が台頭。これらの勢力はナチスの主張を一部正当化し、「ネオナチ」として危険視されている。
ただ、アゾフは外国人排斥を主張しているわけではない。にもかかわらずナチスを称(たた)えるような紋章類を引っ張り出すのは、ウクライナとロシアの歴史にあるとされる。
ソ連からの弾圧の歴史…ナチス・ドイツは「解放者」
ウクライナはもともと、中世時代にはキエフ大公国(ルーシ)として欧州最大の国家だった。いわゆるモンゴル来襲によって滅び、その後、14世紀以降は他国の支配下に入った。
1917年のロシア革命に伴い、ロシア帝国からの独立を宣言したが、第一次大戦後には赤軍と白軍(帝政ロシア派)、無政府主義者らによる内戦の結果、ポーランドとソビエト連邦の支配下に置かれた。
22年にはスターリンのソ連に一共和国として組み込まれ、第二次大戦前には農民が飢餓状態になっても穀物を輸出にまわすというスターリンの政策によって大飢饉(ききん)が発生、数百万人が餓死した。
これも、土地の国有化など共産主義に反対する農民の数を調整するための「人工的な大飢饉」だったとして、米国などは虐殺だとしている。
こうした状況下で第二次大戦が勃発。ソ連軍を電撃作戦で蹴散らし侵攻してきたナチス・ドイツの部隊は、ウクライナの少なくない人々に「ソ連を駆逐した解放者」として迎えられることになったとされる。
「アゾフ=ネオナチ」で、米国が支援拒否
実際にはナチスもウクライナの独立を認めず、むしろ戦争で国土が荒廃しただけだった。しかし当時は独立運動家らがナチスのSSに入隊するなど、反ソ連感情は消えることがなかった。武力でソ連を撃退したナチスのイメージは「アゾフ大隊」の構成員にも強く影響しているのは間違いない。
ユダヤ人虐殺の中心となった内務省SSと、前線でソ連軍と戦った武装SSとは別組織だったことに加え、ヴォルフス・アンゲルの印章は武装SSだけでなく、国防軍の部隊も複数用いていたこともあり、アゾフ大隊が気軽に部隊章などに取り入れた一因とみられている。
ウクライナ情勢をめぐって、米国は政府軍を支援し、ミサイル供与を計画していた。自由と民主主義を掲げ、ロシアの強引なクリミア編入に反対してきた米国にとって、ナチスは許し難い存在だ。米国に入国する際に記入する出入国カードにはいまだに「ナチスの迫害や虐殺に加担していないか」を問う項目がある。
ロシアの一部報道で「アゾフ=ネオナチ」説が喧伝(けんでん)されたことも手伝い、米国ではこの問題が表面化。米下院のジョン・コンヤーズ議員(民主党)が、アゾフへの携行地対空ミサイル(スティンガー)供与と、その訓練を停止させる修正法案を提案、承認された。
アゾフ大隊は「われわれはネオナチではない」と反論している。ただ、その存在がウクライナ情勢をさらなる混迷に陥れている可能性も大きい。
アメリカ企業とナチス・ドイツとの協力関係
戦争の裏には利権争いと、死体を見ながら札束を数える軍需産業がある。 第二次世界大戦中、アメリカの企業数社がナチス・ドイツを支援していた。 この利権構造の実態について触れていきたいと思う。
第1章 I.G.ファルベン
I.G.ファルベンは1939年までにドイツの外貨の90%を稼ぎ出し、
ナチス・ドイツの崩壊後、破壊されたフランクフルトに入った
イギリス化学工業界はI.G.ファルベンに対抗して、
第2章 スタンダード・オイルとナチス・ドイツとの協力関係
当時の戦闘機や爆撃機はテトラエチル鉛(ガソリンエンジンのノッキングを防ぐ為のガソリン添加剤)が無ければ、飛ぶことが出来なかった。 テトラエチル鉛の権利を持っていたスタンダード・オイルは、イギリスのエチル社を通じて、テトラエチル鉛をI.G.ファルベンに供給し、ドイツ空軍の戦闘機や爆撃機が飛べるようにした。 更に、スタンダード・オイルはテトラエチル鉛を日本にも供給し、日本軍の戦闘機や爆撃機が飛べるようにした。
1939年になると、アメリカでは合成ゴムが不足し、アメリカ軍は軍用航空機や軍用車両の車輪を完成させるのも困難になっていた。 しかし、スタンダード・オイルはアメリカ軍に対して合成ゴムの供給を一切しなかった。 この時期、スタンダード・オイルはヒトラーと契約を結び、ヒトラーはスタンダード・オイル製の何種類かの合成ゴムを取得することができた。 この契約は真珠湾攻撃の後まで継続した。 スタンダード・オイルとI.G.ファルベンとが石油と化学製品の独占権で世界市場を二分し、スタンダード・オイルとI.G.ファルベンとが協定していた為、アメリカ政府は真珠湾攻撃の後でさえ、アンモニアの合成工程や天然ガスから水素を取り出す技術を取得できなかった。
アメリカが参戦する前(1941年12月8日以前)、ヨーロッパにおける戦争が長引くにつれて、ドイツは深刻な石油不足に陥り、石油の備蓄はごく僅かしかなかったが、スタンダード・オイルはルーマニアの油田をドイツにリースし、更に、ハンガリーの油田をドイツに売り渡して、ナチス政権を助けた。 また、スタンダード・オイルはタンカーでカナリア諸島のテネリフェ島に燃料油(ガソリン・軽油等)を運び、その燃料油をそこでドイツ軍に供給したり、ドイツのタンカーに移し替えたりしていた。 アメリカ政府がUボートヘの燃料油供給を容認できないと言明し、その上、大西洋でアメリカ国籍の商船がUボートに撃沈されていたにもかかわらず、スタンダード・オイルはUボートに燃料油を供給していた。 また、スタンダード・オイルはナチス政権のために毎週1万5千トンの航空燃料を生産する製油所をハンブルクに建設していた。
1941年7月15日、アメリカ陸軍情報部のチャールズ・A・パローズ少佐は、スタンダード・オイルがオランダ領アルバ島からカナリア諸島のテネリフェ島へ燃料油を輸送していると、陸軍省に次のように報告した。「スタンダード・オイルはこの燃料油の20%をドイツ軍に供給している。 この航路に就航している約6隻のタンカーに乗船している高級船員のほとんどはナチ党員のドイツ人であると考えられる。 船員たちは、カナリア諸島のすぐ傍で潜水艦を何回も目撃し、また潜水艦がカナリア諸島で燃料補給をしていることも知っていると、我々の情報提供者に話している。 スタンダード・オイルのタンカーは魚雷攻撃を今日まで1回も受けたことがないにもかかわらず、異なった航路に就航している他のアメリカの会社は魚雷攻撃でタンカーを失っていると、この情報提供者は述べている」。 アメリカ財務省は、この報告を受け、1941年7月22日、スタンダード・オイルが行なっているタンジール向けの石油輸出についてアメリカ国務省と会議をしたが、スタンダード・オイルに対して圧力をかけることはしなかった。 結局、真珠湾攻撃(1941年12月8日)の後も、アメリカ財務省とアメリカ国務省は、スタンダード・オイルや他のアメリカ大企業がナチス・ドイツと取り引きすることを許可し、証明書を発行していた。
スタンダード・オイルは第二次世界大戦を通してファシストの国であるスペインにも燃料油を輸送していた。 スペインヘの燃料油輸送は間接的に枢軸国を援助することだった。 スペインのタンカー船団は定期的にドイツに航行し、ドイツ大使館やドイツ軍に燃料油を供給し、更に、ソ連軍と戦っているスペイン軍にも燃料油を供給していた。 このような状況を憂えた経済学者ヘンリー・ウォルドマンは、1943年2月26日付の『ニューヨーク・タイムズ』に次のような意見を載せた。「考えても見てください。 戦争の真っ最中に敵国を実際に助けている国がアメリカなのです。 そればかりではなく、スペイン大使が詳細に述べているように、アメリカはこのような援助を続けるばかりか、援助を拡大する準備までしているのです。 スペインは敵国です。 しかし、それでも、アメリカはスペインを援助しているのです」。 それでも、状況は改善されなかった。 毎月4万8千トンのアメリカ産の燃料油がスペインを経由してナチス・ドイツに供給され続けた。
このような状況の中で、イギリス情報機関が秘密作戦を駆使してアメリカのマスメディアを操り、スタンダード・オイルとI.G.ファルベンとの提携関係を暴露し始めた。 すると、予想通りスタンダード・オイルの首脳陣はアメリカ国民から猛烈な非難の声を浴びることになった。 このイギリス情報機関が仕掛けたネガティブキャンペーンにより、スタンダード・オイルのティーグル会長と彼の跡を引き継いだビル・ファーリッシュ新社長は裏切り者・国賊というレッテルを貼られ、ビル・ファーリッシュ新社長はストレスのあまり、まもなく心臓発作で死んだ。 残されたティーグル会長も顧客の信用を一気に失い、精神状態が不安定になり、失意のうちに第一線を退いた。 この反スタンダード・オイルキャンペーンを受けて、アメリカ政府による調査が開始された。 しかし、アメリカ陸軍省と戦略情報局(OSS)は、スタンダード・オイルの協力無しにはアメリカは戦争を継続できないことを熟知していた為、スタンダード・オイルに対する攻撃をある程度のところで止めるように働きかけたと言われている。
第3章 ITTとナチス・ドイツとの協力関係
真珠湾攻撃後、ドイツの陸海空軍はITTと契約を結び、その結果、ITTはドイツ軍向けに電話交換機・電話機・警報機・ブイ・空襲警報装置・レーダー装置を製造した。 また、ITTは砲弾用の導火線をドイツ軍向けに月間3万本製造した。 更に、ITTはドイツ軍向け砲弾用導火線を1944年までに月間5万本製造するようになった。 更に、ITTは、ロンドンを空襲する為のロケットの原材料・乾式整流器用のセレン光電池・高周波無線装置・要塞および野戦用の通信セットをドイツ軍に供給した。
作家チャールズ・ハイアムは次のように述べている。「この戦略上非常に重要な資材がなかったならば、ドイツ空軍はアメリカ軍とイギリス軍の将兵を殺傷できなかっただろうし、ドイツ陸軍はアフリカ・イタリア・フランス・ドイツで連合軍と戦うことが出来なかっただろう。 また、イギリスは空爆されなかっただろうし、連合国の艦船が海上で攻撃を受けることもなかっただろう。 ITTとその関連企業の助けがなければ、ドイツ海軍のレーダー提督がパナマから南方の国々を猛攻撃しようと計画したときに、ドイツ側が中南米の国々にこの計画を連絡することができなかったはずである」。
ITTのベーン会長(彼は当時、アメリカ軍の大佐でもあった)のこうした活動は裏切りというレッテルを貼られてもおかしくなかった。 なのに、連合軍によってフランスが解放される1944年の時点で、彼はアメリカのヒーローとして褒めたたえられていた。
第4章 フォードとナチス・ドイツとの協力関係
ヘンリー・フォードにはエドセル・フォードという息子がいた。 エドセル・フォードは1930年代を通じて、アメリカにおけるI.G.ファルベンの子会社GAFの取締役を務めた。 フォード親子はイギリス空軍向けの航空機エンジンの製造を断わり、その代わりにドイツ陸軍の輸送部隊の主力となった5トントラックの部品の製造を始めた。 その上、アメリカ国内のタイヤ不足にもかかわらず、ナチス・ドイツへのタイヤ輸送を手配していた。 フォードからのタイヤ輸出の30%はナチス・ドイツが支配する地域に出荷されていた。
1940年にフォードはナチス・ドイツ占領地域にあるポアシー(フランスの都市)に自動車工場を建設し、ドイツ空軍向けの航空機エンジンの製造に着手した。 また、この工場はドイツ陸軍の軍用車両の製造も手がけた。 更に、フォードは北アフリカにも自動車工場を建設し、ロンメル軍団のためにトラックと装甲車を製造した。 こうして1942年には、ナチス・ドイツで使用されていたトラックのうち、約3分の2をフォード製が占めるようになった。
第5章 GMとナチス・ドイツとの協力関係
1929年、GMは当時ドイツ最大の自動車メーカーだった「オペル」を買収した。 1931年、オペルはGMの完全子会社となり、オペル製の乗用車はドイツ乗用車市場で40%という圧倒的なシェアを持つようになった。 その当時のダイムラー・ベンツのシェアは9%、フォードのシェアは8%、BMWのシェアは3%だった。 1930年代の中頃になると、GMはオペルを通してドイツで軍需用トラック・装甲車・戦車・軍用航空機の本格的な生産に取り組んでいた。 ブランデンブルクにあるオペルの工場は軍需用3トン・トラックを年間3万台近く生産し、その規模はドイツの軍需用トラック生産の約40%を占めた。 リュッセルスハイムにあるオペルの工場は、第二次世界大戦を通して、ドイツ空軍の為に軍用航空機を生産し、特にドイツ空軍で最も殺傷力が高かった中型爆撃機であるユンカースJu88のエンジンの50%を製造していた。 また、オペルはドイツ軍用車の装備の大部分を製造していた。
1974年、アメリカ連邦議会の上院小委員会で、上院付き某弁護士が、「連合国のGM工場と枢軸国のGM工場の間では、情報も物品も絶えず行き来していた。 フォードやGMの支援がなければ、ナチスはあれだけ持続的に首尾よく戦争を行なうことができなかっただろう」と発言した。 すると、GMの弁護士はこれを「全くの偽り」と反駁し、退けた。
第6章 デュポンとナチス政権との親密関係
1937年、革新派のドイツ駐在のアメリカ大使ウィリアム・ドッドは、任期終了時にニューヨーク港で記者会見を開き、次のように語った。「アメリカの産業資本家たちのあるグループは、民主的な政府の代わりにファシスト政権を何が何でもアメリカに樹立したいと、ドイツとイタリアのファシスト政権と密接に連絡を取り合っている。 私はベルリンでの任期中に、アメリカの支配階級の一部がナチス政権といかに親密であるかを見聞する機会を多く持った。 船上で旅客の1人が、彼はある巨大銀行の著名な重役だが、ルーズベルト大統領がこのまま革新的な政策を続ければ、具体的な行動を取ってアメリカにファシズム政権をもたらす用意があると単刀直入に語ってくれた」。
1944年、アメリカ上院軍事調査委員会において、検事次長は次のように発言した。「I.G.ファルベンは国際カルテル協定によって勢力を保っている。 アメリカにおいて同社はデュポンおよびICIと協定を結び、アメリカ国内市場を三分割している。 1940年、デュポンはI.G.ファルベンに対し、戦後、I.G.ファルベンの市場回復に協力することを約束した」。 この発言を受けて、キルゴア委員長は次のように結論を下した。「このようなデュポンの協定は、スタンダード・オイルのそれと同じく売国奴の行為であり、上院議員ハリー・トルーマンも同様の語を使って非難した」。 もちろん、このような利敵行為が売国奴の行為であることは言うまでもないが、デュポンは当然その事を否定し、次のように述べた。「I.G.ファルベンとの関係を、アメリカ及び連合国側の利益を損ねる利敵行為であるとして非難する意見があるが、それは全くの嘘である。 それはあたかもソ連共産党のプラウダ紙が『原子力研究は完全に独占資本の支配下にある』と非難するようなもので、的はずれもいいところだ」。
因みに、第二次世界大戦中のデュポンは原子爆弾の生産にも大きく関わっていた。 マンハッタン計画が密かに計画された頃、この計画の責任者レズリー・グローブス准将はデュポンに協力を求めた。 これを受けて、デュポンはゼネラル・エレクトリックやウェスティングハウスと共に、シカゴ大学の監督のもと、まずテネシー州オークリッジにウラン濃縮工場を建設し、次いで、ワシントン州ハンフォードサイトにプルトニウム抽出工場を建設した。 もっとも、これらの工場建設のための巨額な費用はデュポンが自腹を切ったものではない。 全て国費である。
第7章 IBMとナチス・ドイツとの協力関係
日本じゃナチスではないというし、外国ではナチスだという。どっちかがデタラメを言っているよね?
もともとは日本もこうだったんですよ
なのに突然変わってしまったんですwww
<転載終了>

日本人って~戦車や銃のドンパチ戦争には異常な位の反応で、真相も調べずに「可哀想かわいそう~」
で~寄付行動に走るのよね~
自分や家族の躰に入れられた
銃弾より怖い毒物には無関心~?!
その毒物で、家族や友人が
突然死しても~
歳だし~
若死にしても~毒物を躰に入れた認識すら無いのよね~?
なんでダロ~?
腹の中は、貯金残高の白衣姿の医師を、聖人だと信じてる? 日本人は低脳な民族だった?
んニャー!!!
デジタルテレビ電波のせだ!
現在のテレビ電波は
洗脳の周波数だからね~
アノ オウム真理教が洗脳に使っていた ヘッドギア同様だ!
ラジオ派になったら、睡眠の質が非常に良くなったョ!
genkimaru1
が
しました