lilac(ライラック)のブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/white-lilac719/entry-12738972514.html
<転載開始>

今回は、最近書かせて頂いている記事に通じる内容になるでしょうか。

(^^✿

 

前回のコラムでも書かせて頂きましたが、私は職業柄若い頃から沢山の国に行かせて頂いたのですが、その数々の貴重な経験から感じた事は、

 

海外の人達は「私に構って!」の"赤ちゃん文化"の中で育った日本人と違って、実に正直でシビアな人達が多いという事です。

 

つまり彼らは精神的にとても自立していて、「日本人より大人」という印象を受けました。

(・。・;

 

勿論お国柄というものもあって、それぞれの国の歴史や文化から育まれている民族性・国民性というものは様々で、例えば同じヨーロッパでも、大雑把に言えば

 

「良く言えばネアカで軽妙・悪く言えば何処か軽薄なラテン系の方達」

「良く言えば重厚さを感じさせる・悪く言えば何処か無愛想で冷たいスラブ系の方達」

 

みたいなものがあります。

(^^✿

 

ちなみにこうしたお国の傾向=個性というものにも必ず二面性というものがある訳で、どれが良いとか悪いとかという事ではなく、

 

つまり私はこうした様々な文化と個性を持った国々で、自分がプロのバレリーナとして色々な作品を踊らせて頂いた経験が、私に沢山の気付きというものを与えてくれたという事なのです。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

そうした中で、今思い返せば何処の国であっても、私は一度も「差別を受けた」とか「軽く扱われた」という事がなかったという事を思います。

(^^✿

例えば、私はルーマニアのヤシ国立オペラ・バレエ劇場から招かれて、「ジゼル」という全幕作品に主演させて頂いた事がありました。(※かれこれ23年も前のお話し)

 

本番が極寒の真冬の2月初旬だったので、1月下旬には現地入りしてバレエ団の方達とリハーサルに入っていた訳ですが、

 

何とリハーサルが始まってから、稽古場の暖房(※ルーマニアの暖房の多くはロシアのシステムと同じで、壁や床にオイルヒーターのようなパイプが通っており、その中を熱いお湯が循環するスタイル)が壊れてしまったのです。

(^^;

 

つまりマイナス温度の中で、皆リハーサルをせねばならない事になってしまったのです。

(◎_◎;)

 

でもそうしたコンディションでも、私は全然苦ではありませんでした。何故なら情熱というものから人が動く時というのは凄いパワーが生まれるものなので、私は稽古に入ればそんな寒さなど全く感じなかったからです。

(^^✿

 

そうして無事本番を踊り終える事が出来たのですが(※劇場の暖房は壊れていなかったので、上演出来たのだと思います)、

 

後になって「本来ならこの様なコンディションになった時は、団員はすぐ働く事を拒否して公演中止を要求するのだけれど、貴女がリハーサルをしている時の純粋で真摯な姿勢を見ていた彼らは心を動かされた様だ」という事を伝えられたのです。(※私が帰国した後に、彼らはすぐにストライキに入ったという事を聞きました)

\(◎o◎)/~☆彡☆彡☆彡

 

又、私の事ではないのですが、イギリスのバレエ団で契約ダンサーとして活躍されたバレリーナの方が、初めて現地の稽古場に足を踏み入れた時、

 

日本人ソリストダンサーの下で踊らされる事に対して不満を露わにし、あからさまに侮蔑的な態度を取る団員の姿を見た彼女は、心の中で「やってやる!」と思い、リハーサルに臨んだそうです。

 

そうしたらその団員の方含め、稽古場の空気が一変したというエピソードもお聞きした事があります。

 

つまり私にも彼女にも"人の心を動かす何か"があったという事なのですが、それが踊る事への純粋な情熱から生まれる「本気」「真剣」というものだったのではないでしょうかという事を私は思います。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

ここからは、又別のお話しに飛びますが…。

 

例えば私は三谷幸喜さんという方の「喜劇の要素を多分に盛り込んだ演劇やドラマ」というものを拝見するのが大好きな一人なのですが、

 

それはそうした作品を作る彼の根底に在る「多面性を持っている人間」というものに対してのシビアで奥深い視点というものをビンビン感じる事が出来るからなのです。

 

良く「悲劇より喜劇の方が難しい」」と言われますが、それは喜劇作品に携わる人間の根底に「人間というものの本質への理解」というものが、モロに反映されるものだからなのでしょう。

 

例えば"名喜劇役者"と言われる方達というのは、「ただ登場するだけで人を笑わせてしまう」という天性の才能の様なものを持っている様に私は思います。

 

一見"軽い"様に見える喜劇ですが、実は演じる役者さんに「人としての奥深さ=いざという時の真剣・本気というものも知っている」というものが根底になければ、私はその様な笑いを取る事は出来ないと、昔から理屈ではなく感じている一人なのです。

 

ちなみにそうしたカラクリに付いての詳しい解説は、先日書かせて頂いたこちらのコラムの中に書かれている様に思う私でしょうか。

(^^✿

 

【参考コラム】

 

 

 

これは喜劇役者に関わらず、人を心から感動させたり、笑顔にさせる事の出来る方達には共通点があって、それは作者や演じ手の根底に「奥深い人間愛」というものが在るか無いかという事から来ている様に私は思います。

 

ちなみに「面白く見せてやろう」とか「受けを狙う」というスケベ心で喜劇を演じても、そういう"計算から作られたもの"というのは、逆に観客からは「安っぽくつまらないもの」として見透かされてしまい、シラけられてしまうというのが常ですよね。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;;

 

私が何を言いたいかと言うと、つまりは「いざという時の本気と真剣さ」というものを持っている人達の根本に在るのは"自他に対する敬意"であり、

 

そして「自然体で何もしなくても、登場するだけで笑いを取れてしまう様な名喜劇役者」には"人間愛"という奥深いものが存在しているという事でしょうか。

 

つまりそういうものが"意識せずに自然に備わっている方達"には、「何をしても敵わない」という現象が起こってしまうのは、

 

やはりそういう原点から自然に育まれて来る「格の違い」というものから来るでありましょう。

 

 

 

…というお話でございました。

☆_(_☆_)_☆

 

 

【参考コラム】

 

 

 

 

 

 

 

この写真は、8年前の私が当時覚えたての慣れないパソコンで、

初めてコラムを執筆した時に使用した、思い出の「朝焼けの写真」です。

(^^✿

 

 

 

 

人間の持つ"格の違い"というものは「誰が見ていなくとも、質の高いものを"自分で維持する"という事が出来るか出来ないか」という事から生まれて来る様に私は思います。

 

もし本当に「自他に対する敬意」というものが在るならば、自ずと「自分はこの一瞬一瞬に、何を選択するのか」の答えは、自分の中から自然に出て来るものなのだと私は思います。

 

「誰かが見ているからやる(※やった様に見せる)」とか「関わる人によって態度が変わる」様な方達というのは、他者に対して敬意を持っている訳ではなく、「自分の為に損得から計算で動く」という様な方達なのでしょう。

 

でも自分が「他者をどう扱うか」は、結局「自分が自分をどう扱っているか=人からどう扱われるか」に通じて来る訳ですからね。

 

ですので、そういう事を深く俯瞰で理解出来ている方達は、

 

「慣れ合い」「マンネリ」といったものとは無縁の方達=自分で気付ける方達=自分の中に師を持った方達=高い格を持った方達=真に誇り高い方達=自分らしく在るだけで、他者の心を動かす事の出来る方達なのだと私は思います。

( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡

 

 

 

 

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<転載終了>