https://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/202206130000/
<転載開始>
先日のこちら、
「起きている時より、睡眠時に生命活動の本質がある、」
それと、昨日の、

古代チベットに見るマトリックスからの脱出法「想像力のレベルで人生を生きる」
「自由は個人の中に存在する、(社会には存在しない)」
及び、
ルカ17:21 『そら、ここにある』とか、
『あそこにある』とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。
「神の国はあなた方のただ中にある、」
この3つを見て、(以前にも増して、)
物事の本質と言うのは、見える世界にはない!
と言うことが、自分の中で、真実味を帯びてきた、
一般的には、
万物の根源は目に見える原子分子とされている、
が、量子論が台頭し、これは崩れつつある、
すべての存在は状態であるより、
世界のすべては、見えないモノ(光量子/エネルギー)で出来ている、
量子論の竹内さんの解説:
「すべての存在は状態である」/「量子とは心のようなものである」
夢か現(うつつ)かより、
魂はすべてであり、生命に思考と肉体を与えるものです。
身体は、(あたかもそうであるかのように錯覚していますが、)
創造する力はありません。
この錯覚が、多くのフラストレーションの原因です。
身体は純粋な結果であり、原因となったり創造する力もないのです。
魂のレベルでの活動こそ、創造の源泉である、
この世の中(見える世界)とは、
見えない世界(神/霊魂)の産物/結果に過ぎない!?
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
精神活動(思索/想像/黙想/祈りなど)が、
動き回る肉体活動よりも上位に来るわけで、
行動の前に、祈れ!とか、
よく考えろ!と言われる所以、
時間が解決してくれるのではないかと思うが、
とりあえず、業平と清少納言の会話から、

在原業平 清少納言
私の体、有るのでしょうか、無いのでしょうか。
自分の目にするもの、手に触れているものは、
在るのでしょうか、無いのでしょうか。
あなた、ほんとに、あるからそれは、あるとでも思っているの?
業平:有っても無いの?
清少納言:有るか無いかなんて分からないわよ。
有るから有るなんてことなんか無いの。
業平:無いから無いなんてことも無いの?
清少納言:そうよ。
決して決して推し量れぬ世界に、何かと相互作用しつつ、
永遠に永遠に、貴方は、有るけれども無い、のです。
最後の「有るけれども無い」は至言、
この世は夢かうつつかと問われたら、前者であり、
今ここにいる自分は現実かと問われたら、それは影と答える、
参考)
柳澤桂子さんが読み解く般若心経の世界観(明石雅弘のブログ)より、
色不異空 空不異色:形のあるものは形がなく、形のないものは形があるのです、
受想行識 亦復如是:感覚、表象、意志、知識も、すべて実体がないのです、
空即是色:実体がないからこそ、形をつくれるのです、
実体がなくて、変化するからこそ、物質であることができるのです、
<転載終了>




スプリガンで松果体のリミット外された人間、幻覚を現実化してたな。
非言語コミュニケーションは会社で全従業員、5人だけだが、一日限定で実験した事がある。[ビ]以外の発音禁止、身振り手振り、表情、声のトーンだけで普通に仕事出来た。
面白いのが、間違いを指摘する際言葉だと険悪なムードになるのに、どれだけ[ビビビビビーッ!ビビッ!]と本気で怒っても双方、まったく嫌な感情を抱かないのだ。
genkimaru1
が
しました