達人さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/34df22b2f48d3ea02edb16069f59d306
<転載開始>

http://web.archive.org/web/20121114205803/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/320.html

9.11と同じ手口の3.11人工地震

地震を起こす兵器は存在する

あるシベリア抑留者の回顧談(1) ―――――――― 2003/09/26


原文

1945年2月、米英ソ三国首脳会議がクリミヤ半島ある保養地ヤルタで開かれました。米国大統領ルーズベルト、英国首相チャーチル、ソ連首相スターリンが戦後処理と戦後世界の枠組みを協議した。
クリックすると元のサイズで表示します
(管理人注)写真右側のスターリンはエドモンド・ロスチャイルドの非嫡出子ですから上の「分割統治案」の赤色ーソ連管轄でおやっとしますね。3.11で東北地方を狙ったのは誰かと?
クリックすると元のサイズで表示します
写真本番前チャーチルはロスチャイルド直系のスターリンに敬意を表して帽子をとった。(とらされた?)

席上、米ソの間でソ連の対日参戦問題が話し合われ、米国はソ連の参戦を望んでいました。当時、米国は対日戦争は1947年まで続き、米国側将兵に百万人の犠牲者が出ると予想していた。原爆製造のメドはつかず、日本を早期に敗北に追い込むために、どうしてもソ連の参戦が必要でした。

一方ソ連の望みは、帝政ロシアが日露戦争の敗北で失ったすべての領土と権益を復活することでした。スターリンは対日参戦の条件にそれを持ち出した。

樺太(サハリン)南部の返還、千島列島の引渡し、南満州鉄道の権益復活などです。その要求が満たされるなら、ドイツの降伏後、三ヶ月以内に対日戦争に
加わると約束した。米英は同意し「ヤルタ協定」を結んだ。これは三国の秘密の約束でした。

「当時の日本はヤルタ密約について全く知るところがなく、2月8日の非公式放送、あるいは十二日に発表された公表文にも、ソ連の対日参戦については、気配すら現れていません。(半藤一利氏の著書による) 日ソ間には1941年4月に結んだ中立条約があり、スターリンはヤルタ協定から二ヶ月後の四月五日、日本に中立条約の不延長を通告して来ました。

5月8日ドイツ無条件降伏、ソ連は兵力をソ満国境へ移し、米英との約束通り日本に宣戦布告して満州に攻め入った。その日は長崎に原爆あ投下された日でもありました。

日本が敗れた翌八月十六日、スターリンは極東軍司令官ワシレフスキーに電報を発信し「日満軍のソ連領への移送は行わない、捕虜収容所は出来る限り日本軍の武装解除の場所に設ける」としました。

ーーこの時点でスターリンは日本人捕虜のシベリア抑留を考えていなかった。
┏━┓
┃対┃応が百八十度転換したのは一週間後の八月二十三日でした。
┗━┛
彼は司令官に命令した。
・約五十万人の日本人捕虜を受け入れ、軍事捕虜収容所に送ることを義務付ける。
・日本の捕虜の中から、極東およびシベリアでの労働に肉体的に適している日本人を約五十万人選別する。
・ソ連邦へ送り出す前に、軍事捕虜を千人ずつの建設大隊に組織する。

わずか一週間の間に、スターリンはなぜ変節したのか?

「捕虜のソ連領への移送は行わない」とワシレフスキーの電報を発信したのと同じ十六日、米国大統領トルーマンへ親書を送った。

「日本軍がソ連軍に明渡す地域に北海道の北半分を含めることを提案する。境界線は釧路市と留萠市を結ぶ線で、この両市は北半分に含むものとする。
この点はソ連の世論にとって特別に重要である。周知のごとく日本は1919年-21年、ソ連極東のほぼすべてを占領した。ソ連軍がもしも日本本土のいずれかに占領地を持たないならソ連の世論はおおいに憤慨するであろう」

スターリンは対日戦勝利の報酬に北海道の北半分を要求した、日露戦争で失った領土と権益の全面復活ばかりか、日本のシベリア出兵への報復として本土の領有に手を伸ばそうとした。
トルーマンは要求をはね、翌十七日「日本固有の全島の日本軍はマッカーサー将軍に降伏するというのが私の意図である」



八月二十二日、スターリンは怒りの書簡をトルーマンに送り
「あなたの返答は意外であると言わざるを得ない」
そして翌二十三日の「五十万人の日本人捕虜連行」の決定です。
もしもソ連の野望が達せられ、日本本土がドイツの如く東西に二分されていたら今日の日本の姿は無かったでしょう。

スターリンの腹の底には、日本を南北に分けて、連合国は日本を分割占領すべきであるという意向が明らかに看取され、九州、四国は中華民国に、本州の南半は米英に、そして北部・・・奥羽地方の三十八度線以北ぐらいはソ連が占領管理するという下心が含まれていたのではないかとさえ思われます。

時の蒋介石中国総統の特使としてマッカーサー元帥と会見した張羣特使はソ連の野心を看破し「北海道にソ連軍が進駐した場合、日本の国土は完全に二つに分裂され、思想的にも分裂と混乱をきたし、政局は常に安定を欠き、経済復興が遅れるばかりか、共産主義勢力の太平洋進出となって、アジア及び世界の平和にとって重大な危機を招くでしょう」

と進言し、中国の日本進駐を固く辞退したのです。マッカーサー元帥はこれを支持して、頑強に日本分割統治を主張するソ連のテリビヤンコ中将に、知日派の対日理事会会長アジソン大使は将総統の日本分割統治反対と中国軍進駐辞の事実を基礎としてソ連の要求を粉砕したのです。

これに対しテレビヤンコ中将は、ソ連は必ず貴官(マッカーサー元帥)を最高司令官の職から罷免させる、と脅かして、たとえ承知しようがしまいがソ連は日本に進駐する、とまで極言した。そこでマッカーサーも「もしソ連兵が一兵たりとも許可無く日本に侵入したならば、テレビアンコ中将を含めてソ連代表を全部即座に投獄する」と言って応じ、ソ連の野望は潰えたのです。

論語憲問編(第14):
或る人曰く、徳を以って怨に報いば如何。子曰く、何を以ってか徳に報いん。
直きを以って怨みに報い、徳を以って徳に報いん。

今大戦において最も被害、犠牲の大きかった中国が自発的に賠償請求放棄をした歴史的勝利宣言の一説です。

八月十五日、蒋介石総統の「交戦勝利にあたり全国軍民及び世界人士に告ぐ」は、敗戦にうちひしがれた日本にとっては神の声にも等しく、特に火事場泥棒的スターリン首相の言辞と比較すると、正に悪魔と神ほどの差がありました。

この中国の人道的処理は対日戦に参加した各国にも意外の衝撃を与え、日本を徹底的に骨抜きにするまで賠償を吸い上げようとした態度に大きなブレーキをかける役割を果たしたに違いありません。
【大久保伝蔵著「忘れてはならない歴史の一頁」(P109-126)時事通信社発行】
┏━┓
┃近┃代戦争の戦後処理で、スターリンが行ったシベリア抑留ほど野蛮な行為
┗━┛はない。軍事捕虜を、戦利品代わりに自国へ強制連行して過酷な労働を
課し、日本人だけで6万を越す人々を死に追いやった。

国際法に違反したこの行為の残虐さと悲惨さは、これまで多くの人々によって体験記やルポルタージュとして書き記されてきた。それがどんなに残忍で酷薄な仕打ちであったかはいくら強調してもし過ぎることはない。

シベリア抑留の物語は読む者には、いつも暗くて重いものしか残さない。戦争の勝利者は、如何なる非道残虐なことをしても裁かれることはないのか?

第一級戦犯として裁かれ、死刑にされた日本の戦争指導者は言うに及ばず、フィリピンやインドネシアなどで捕虜虐待の罪で死刑になった多くの日本軍人より、六万人余りを餓死、過労死させたソ連軍関係者を国際法廷はなぜ黙認しているのか?

機会を見て、勝者が敗者を裁いた東京裁判というものの矛盾を検証していきたいと思っています。

追記:第56-57代の内閣総理大臣を務めた岸信介は、三田村武夫氏の著書『大東亜戦争とスターリンの謀略』の序文でこう記している。

「近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うならば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。
私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない。


戦後半世紀余の時を経て、戦争にまつわる話の聞き取りは時間との競争ではないかと思われます。体験者が高齢化して、年々というより日々その作業は難しくなっています。

或る抑留者からの聞き取りをご紹介したいと思いますが、彼はもう84歳。現在病床にあり、いかんせん60年になんなんとする空白があり、しかもシベリア強制収容所という閉ざされた世界の出来事で、事実誤認も含まれていると思います。読者の皆様のご指摘とご教示をお願いいたします。


満州回顧録

政治家というものは裏も表も持っているものです。このビデオはある壮行会のもようです。アメリカにとって『べノナ文書』はパンドラの箱を開けられたも同然.........これがあの不幸な事件へと繋がっていったのでは。惜しい人を亡くしました。合掌

米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)

 同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。
【資料コード:0000017550】

 内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
 メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

天皇メッセージ~沖縄公文書館

https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392

米国収集資料

“天皇メッセージ”

 米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)

 同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。
【資料コード:0000017550】

 内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
 メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
≫PDF画像(2頁)(226KB)

管理人注:沖縄の歴代知事はこれを知らないはずがないだろう。沖縄を独立させて中国に売ろうという魂胆でもあるのか?

田母神論文解説~立派な侍の論文です。万一有事の際は総司令官として引っ張り出されるかも?

日本は侵略国家であったのか
田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金(キン)錫源(ソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

 李王朝の最後の殿下である李垠(イウン)殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠(イウン)殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子(まさこ)妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠(イウン)殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀(フギ)殿下の弟君である溥(フ)傑(ケツ)殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

 さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

 自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポーで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

心の操縦術

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/2224626.html?ref=popular_article&id=4073950-310298


<転載終了>