達人さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/b1f8ff92f80963e346ae82b492b75408
<転載開始>

古史古伝
つまりこんなものを認めてしまったら日本史の全てがひっくりかえるということですね。
インドのカーストの最下層にも属さない「不可触民 」という人たちがいます。ムンバイには巨大なスラムがありますが不可触民はそこにさえ入れないのです。それはサンカと同じなのです。サンカの朝鮮人明治天皇がつくった東大卒で固められた官僚組織や警察,検察,裁判所などありとあらゆる組織が成り上がりのサンカを守るためにしか機能していないのです。日本人は文句をいいませんからね。他の国では見られる人々の「温もり」がどうしてこの国ではないのかのカラクリがそれです。
戦後の朝鮮人進駐軍などはヨツと呼ばれるペクチョン(白丁)も多く含むサンカ進駐軍であった。日本での食肉解体業者はほぼ全てこのヨツで占められている。壮絶な婦女暴行などこの時見て見ぬふりをしていたのが当時の警察であった。では誰が彼らに刃向かっていったかというと同じ在日でサンカではない山口組三代目田岡一雄であった。右のリンクに「代紋」がありますがそこをご覧ください。
ヘンリー・メイコウがいうように『代理人は,彼らの忠義を彼らの国ではなく,風の征するモレア=イルミナティに捧げるのである。彼らの狙いは彼らの愛すべき国を破壊して,その殺戮から利益を得ることである。』と。サンカにとって愛すべき国ではまったくないわけで「金と名誉と地位」の引きかえにそういう人たちが今まで何をしてきたかを考えれば理解できるでしょう。彼らを一言でいえば「罪の意識が希薄なさもしい」人間としか表現できません。ロスチャイルド家がなぜ長州ボーイズのサンカを利用したのか?それは人間支配のための洞察力です。底辺のサンカを成り上がらせ去勢した上で群れの先頭に立たせる。見事なものです。外交官だったアーネスト・サトウはいいます。「日本人ほど背後に武力がある権威主義に対して容易に従う」と。だから日本人を支配するのにはさほど苦労がいらなかったということでしょう。その支配のためにどうせ意味の分からない一般大衆をイルミナティという「見世物小屋」に誘導する必要があったのです。デヴィッド・アイクなどはその誘導役を演じているのです。回し者が闇の世界を暴いたり正義の味方になってガス抜きをするのは諜報の世界では当たり前のことなのです
追伸:10月8日インドからメールが届きました。なんという高貴な人生を送られているのでしょうか。当然お金なんか要りません.....むしろこちらから貴方様へ.....万円ほど喜捨させていただきたい旨返信いたしました。下記メールの内容はご本人の了解はとっておりません。
管理人さま
311以来、達人さまのブログに出会い、日々、寝る時間を削って、勉強してまいりました。311以前、わたくしは、無知でした。それを恥ずかしく思い、反省し、自らだけでなく、ひとつでも他の魂を、平安にお連れしたいと心から願って、今も勉強しております。
以前から、情報や考察を提供してくださることに感謝し、お礼をするべきだと思っておりました。この度、有料の会員制になると知り、当然だという気持ちを持っております。
しかしながら、残念なことに、有料の会員制になると、わたくしには、もう、参加する機会が無くなってしまいます。
わたくしは、彼此10年近く、海外におります。今は、インドにおります。
曹洞宗の僧侶です。わたくしは、唯、お釈迦さまの後に続きたいと思いました。灼熱の大地を、身ひとつで裸足で歩きながら、人びとの話に耳を傾け、仏法を持って苦しみを和らげようとされたお釈迦さまのようにありたいと思いました。わたくしも、ほぼ身ひとつでおります。日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です。厳しい状況ですが、お釈迦さまの手となり、足となり、声となってはたらく使命をいただけたことは、これ以上ない歓びで、感謝しております。金品に依る幸せもいいと思います。唯、わたくしの使命は、金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくことで自ら救われていく道を、ひとりでも多くの方に知らせ、広め、人びとを励ましていくことだと思っております。自分には観えていることであっても、他人に示すのは、容易ではありません。無力感や焦りを感じながらも、どうも時間がないようですので、あきらめずに、最期の瞬間まで、心を尽くすべきだと、自ら叱咤激励する毎日です。
わたくしにとって、....円を入金するのは、残念ながら、とてもとても無理です。ですから、あきらめなければならないのでしょうが。
手元に千円札が3枚あります。以前いただいたお布施です。これを日本の住所にエアーメールで郵送することはできます。インドから銀行振り込みをするのは、難しいらしく、できても手数料でなくなってしまうようです。.....円には、程遠いのですが、これで閲覧させていただけませんでしょうか。
もし、無理でしたら、あきらめますので、どうかお気になさらないでください。
達人さまの御使命が全うできますことを、お祈りしております。
達人さまと犬くんたち、ご家族、ご友人方が、お幸せでありますよう、お祈りしております。
いつか目覚め、動き出し、どの人も、罪を犯した人たちも、救われていく時の来ることを、祈っています。
精一杯の慈悲を込めて
閑杳 慈光 比丘尼
管理人より。
閑杳 慈光 比丘尼殿へ
もしこの記事を読まれておられるのなら以下が私からのメッセージです。
「日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です......送らせていただく喜捨は「金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくこと」とおっしゃるように意に反するかも知れませんが私の.......万円で貧しい人のために有効にお使いください。」インドでの日本人僧侶の活躍は以前から聞いておりました。インド仏教徒が師と仰ぐ日本人僧侶、佐々井秀嶺氏をこえる魂の清浄を期待しております。秘教ムスタンで活動される近藤亨さんも同じように日本人の誇りです。
<転載終了>
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/b1f8ff92f80963e346ae82b492b75408
<転載開始>
トップ記事~https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/b1f8ff92f80963e346ae82b492b75408
http://web.archive.org/web/20150427201406/http://angel.ap.teacup.com
/gamenotatsujin/294.html
2011/10/9
「封印された古代文字」
人間が死せる自我を踏み石にしてより高い境地に登って行くように
<テニソン・インメモリアル>
ということが真実であるとするならば,死せる自我を踏み石としてではなく,台座として扱う誤りをおかす偶像崇拝者は,仲間の生活から離れ,ただ一人柱の上で暮らす柱行者(Stylite)と同じようにはっきりと,人生から孤立することになる。

人はなぜ、ジグソーパズルをするのだろう?
数多くのヒントを基に全体像を想像し、構築する。
完成した・・そのときの歓喜が人々を魅了するのだ。
思考とはそうしたもので、誰が誉めてくれるわけでもない。
このとき誰かに正解を教わったら・・・こんなにくだらないことはない。
正解を求める力こそ・・求道心にも似た・・真理を求める心なのだ。
簡単に正解を与えられて満足する、一般人にはならないほうがいい。
真実は・・・どんな答えであれ・・・あなたの出した答えこそが・・・正解なのだから。真実は言語では表せないのですからね。ウラジミール・ジャン・ケラビッチはその著「死」の中でいっている「自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識し,同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと 悲しい真理を発見する」としてもそういう真理を求める求道心は大事だ。
<テニソン・インメモリアル>
ということが真実であるとするならば,死せる自我を踏み石としてではなく,台座として扱う誤りをおかす偶像崇拝者は,仲間の生活から離れ,ただ一人柱の上で暮らす柱行者(Stylite)と同じようにはっきりと,人生から孤立することになる。

人はなぜ、ジグソーパズルをするのだろう?
数多くのヒントを基に全体像を想像し、構築する。
完成した・・そのときの歓喜が人々を魅了するのだ。
思考とはそうしたもので、誰が誉めてくれるわけでもない。
このとき誰かに正解を教わったら・・・こんなにくだらないことはない。
正解を求める力こそ・・求道心にも似た・・真理を求める心なのだ。
簡単に正解を与えられて満足する、一般人にはならないほうがいい。
真実は・・・どんな答えであれ・・・あなたの出した答えこそが・・・正解なのだから。真実は言語では表せないのですからね。ウラジミール・ジャン・ケラビッチはその著「死」の中でいっている「自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識し,同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと 悲しい真理を発見する」としてもそういう真理を求める求道心は大事だ。
記事は26ほど更新はしていますがレベルを相当高くしております。偽典となった原始キリスト教やカタリ派などちょっと読んだだけでは理解できません。日本を支配し破壊する「サンカ」にも触れています。戊辰戦争からたった今の現在に至るまで操られた一本の線の正体はサンカです。サンカは放浪していたユダヤと同じなのです。サンカは「風の征するモレア」としてイルミナティの代理人として3.11の人工地震にも貢献しました。成りすましの明治天皇の大室寅之祐もサンカの朝鮮人部落田布施町出身です。東大はその成り上がりのサンカが作ったもので多くの成り上がりサンカは東大に裏口入学できるのです。ヨハンセンの吉田茂もそうでした。外交官試験も形式的なもので必ず彼らは英国駐在大使に任命されているのです。小沢一郎は半島出身者ですがサンカではないための攻撃を受けています。吉本興業,電通,Y新聞,などなどみなサンカの閨閥なのです。ある芸能人とヤクザの関係なんて当たり前のこと。サンカに回され汚辱にまみれた女の子たちもアイドルとして売り出されるのです。それを指示している闇の勢力を今まで書いてきました。典型的なサンカで田布施の朝鮮人部落出身者では元首相の岸信介などがいます。日米安保を強行突破した本人です。笹川良一もそうです。統一協会と組んで霊感商法などで多くの純真な若者を聖書で騙し信じさせ壷などを売らせ年間3000億円も稼いでいるのです。それをアダム国家韓国へ送金し全体ではタイの国家予算を超える金額なのです。ヤクザの殆どがサンカの同和であり有能な政治家などが自殺と見せかけて殺されているでしょ。そういう組織は昔からあるのです。
カタカムナ文献とサンカ(山窩)
『その巻物は古い和紙に書かれてあり、円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので、暗号のようなものに見えるものでした。猟師は「今までにこれを見て、刀のつばや定紋ではないかといった学者がおったが、そんなものではないのじゃ、このカタカムナの神を伝える家は、平家と食家(中家を入れて三家という説もある)の二つしかない」と語ったといいます。楢崎皐月はその巻物に描かれていた図形を見て、満州にいた頃に老子教の道志であった蘆有三に聞いた話を思い出しました。それは「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊の鉄を作り、さまざまな生活技法を開発し高度な文明を持っていて、それが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになったものと秘かに伝わっている」というものでした。巻物の図形を見て、楢崎皐月はこれが八鏡文字ではないかと直感したのでした。そこで楢崎皐月は猟師に巻物を写 し取ることを申し出ました。平十字と名乗る猟師はすぐに了解したといいます。このようにして楢崎皐月が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされています。カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もあります。』

古代日本とサンカ(山窩)

漢字が流入する前の【古代日本文字】山窩(サンカ)文字
http://bit.ly/rqcqPb
ルーツは縄文時代から日本に存在した原日本人であるようで、渡来人によるとされる弥生文明、大和朝廷による中央集権の軍事的敗者なのかも知れません。
封印された古代文字
山窩とは、明治以降の官憲用語であり、差別的な意を含むと言われていて、身殻別八万物運(ミカラワケヤヨロヅノモノハコビ)が正しい呼び方とされています。
米国の作家で,南イリノイ大學教授のLionel Bender氏はWadai-Darfur=Language in Ethiopiaの論文でSemitic Language(セム語=アラム語)のエチオピア起源説を発表したように言語学者は歴史学者であり考古学者でなければならない典型だと思います。自分の専攻している言葉しか知らない教授も多くいますがね,下の海底遺跡でも見て何かを探ってくださいよ。言語学者には癇癪もちが結構いましてね「落第させるのに生きがいを感じている」莫迦ばかりが現実だ。
海底に眠る七不思議
シュメール語古事記参照
日本人シュメール起源説
坂東誠さんの「古代日本・ユダヤ渡来説」などを17の記事にして解説した方のブログですがサンカを研究することによってユダヤ渡来説がひっくり返るかも。
邪馬台国エジプト説
ギリシャテーパイ伝説
日ユ同祖論肯定と否定
八切史観・サンカと部落民
八切止夫は、これまでの歴史の常識を覆す様々な説を唱えていた。「日本原住民論」もその一つで、端的にいえば「大和朝廷は外来政権であり、それ以前に存在していた先住民族の末裔が部落民やサンカである」というものであった。
カタカムナ文化と日本
シルクロードと天皇
三郡誌は偽物のようだ?

熊毛郡田布施町の朝鮮部落も山口県(山口の田布施も高地にある)だが山口県の彦島(ひこしま)で発見されたペトログラフ(Shumer Petrograph)。シュメールの古代文字だという。もしこのシュメール古代文字が日本の古代神代文字であったとしたら全てが明らかになりますがさらに切り込んでいく学者はいない。学者はペトログラフが大好きなのですが真偽の程は分からない。これが本物とすればなんですが......大きな発見になるのですがね。かなりサンカ文字や八鏡文字(カタカムナ文字)と似ていますね。だとしたらロスチャイルド家が日本のサンカの溜まり場である田布施の朝鮮人部落のサンカを成りあがらせた事実と整合する。それはたった今でも続いており日本国土崩壊まで続くのであろう。米国海軍の2012年の世界地図には日本が消滅している。この辺に切り込めば霧が晴れてくるだろう。3.11はロスチャイルドと成り上がりのサンカが仕掛けたことは間違いない。イスラエルのBSP社が水爆を仕掛けた監視カメラは3号機に3台あったということだろう。なぜなら3号機の爆発音が3回したビデオからは爆発音が完全に消されている。あの日本人二人のことはもう完全に封印されている。
出エジプト記の時代のはるか以前にゴシェンの地にセム族は定住していたのですがこのセム族が日本からのサンカではなかったのかとの疑問はありますが本ブログでそこまで切り込めるのか自信はありませんが努力してみる価値はありそうです。そのゴシェンの地より東南アジアから朝鮮をへて日本に密入国し住み着いたのではないか?管理人の浅学非才ではどうしようもありませんが「セム・ハム語」とサンカ文字の共通点が見つかれば話は早いでしょう。セム語というのはアラム語でありミトコンドリアイブの研究では人類の発祥はたった一人のエチオピアの女性にたどり着く。その子孫がサハラ砂漠と戦いながらゴシェンやシュメール,古代イスラエルの地にたどりつきその後朝鮮を経由して日本にたどり着いた........サンカの人たちは長身で男前が多く頭が切れるという。なんだか面白くなってきましたね。ロスチャイルドが同胞としてサンカを成り上がらせたのは決して偶然ではないだろう。
「人の子よ、汝一片の木を取りその上にユダおよびそのともなるイスラエルの子孫と書き、また一片の木を取りその上にヨセフおよびそのともなるイスラエルの全家と書くべし。・・しかして汝これを供に合わせて一本の木となせ。・・我イスラエルの子孫をその往けるところの国々より出し、四方よりかれを集めてその地に導き、その地において汝らを一つの民となしてイスラエルの山々に居らしめん。・・再び二つの国に分かれざるべし。彼等また・・身を汚すことあらじ。・・」
(エゼキエル書第37章16~23節)
そうは言ってもですね,ロスチャイルド閣下イスラエルに住むヘブライ人の子孫であるユダヤ人をいじめちゃだめですよ。



記事にしましたが3月11日の翌日は12日土曜日(土曜日は自由研修日)松下政経塾前の中華料理店でスーツ姿の男女多数がビール10数本をあけさらに餃子や紹興酒を注文し祝杯を上げていたということを忘れてはならない。中華大新という店(住所:神奈川県茅ヶ崎市常盤町5-20)で彼らは松下政経塾の人間であることは確認した。その後彼らの一人が店を出るや塾の前をランニング中の生徒に「お~い,こっち来い」と声を掛けまた中で祝杯を上げていた。若い人も多くいたとのことでしたが例の東電の二人かどうか未確認。前原政調会長も松下政経塾の六期なのですがこの政経塾に入れる資格は「サンカの朝鮮人」なのだろう。頭がいいだけじゃ入れないということだ。サンカの朝鮮人には性豪が多いという。岸信介などもそうだ。そういえば松下幸之助も妾が3人いたということは聞き及んだが.......ただし男だった?
山窩は古代シュメールから朝鮮半島を経由して日本に渡来して住み着いた民族ではないでしょうか。山窩文字から解明すれば何かかが出てくるかも。古代イスラエルやシュメールから日本人が来たのではなく反対かもしれません。熱心で有能な主婦のかたも当面はこれ一本に絞って研究してほしい。

古代神代文字の最後に桃木文字が出てきます。これはイスラエル国旗です。
パラノイア的妄想ではイスラエルが日本を人工地震などで焼き払い将来この国をイスラエル国家にする可能性も考えられますね。古代ヘブライ民族はサンカであったというよりサンカが古代イスラエルへ渡ったこともありえる。戊辰戦争から今の現代に至るまでに一本の線はそう語っている。サンカは謎の朝鮮人と決め付ける前にこれからその歴史を調べていこう。
広島県議会の梶川ゆきこさんもこのブログを覗かれているようです。さすが聡明な方ですね。梶川さんは言います。『第二の明治維新(21世紀平成IT維新革命)・漂泊の民 サンカとの出会い ~みんなに伝えておきたいサンカのこと。絶対言ってはならないサンカのこと http://ow.ly/6RF9F サンカは明治期には全国で約20万人、業界や政界や財界スポーツ界にサンカはいまも多く存在する。 6 hours ago · reply · retweet · favorite
戸籍を持たない「日本国民」~日本のジプシー「サンカ」 http://ow.ly/6RIv6 日本には「日本人」でありながら、「日本人の戸籍」を持たない人々が存在したのです。日本列島の脊梁山脈や高地を移動し、「山」を生活の場として、何と二千年もの間、里人と共存してきました。 about 1 hour ago · reply · retweet · favorite』と。
カタカムナ文献とサンカ(山窩)
『その巻物は古い和紙に書かれてあり、円と十の字を基本とした図形を渦巻き状に配列したもので、暗号のようなものに見えるものでした。猟師は「今までにこれを見て、刀のつばや定紋ではないかといった学者がおったが、そんなものではないのじゃ、このカタカムナの神を伝える家は、平家と食家(中家を入れて三家という説もある)の二つしかない」と語ったといいます。楢崎皐月はその巻物に描かれていた図形を見て、満州にいた頃に老子教の道志であった蘆有三に聞いた話を思い出しました。それは「日本の上古代に、アシア族という種族が存在し、八鏡の文字を使い、特殊の鉄を作り、さまざまな生活技法を開発し高度な文明を持っていて、それが神農氏らによって伝えられシナの文化のもとになったものと秘かに伝わっている」というものでした。巻物の図形を見て、楢崎皐月はこれが八鏡文字ではないかと直感したのでした。そこで楢崎皐月は猟師に巻物を写 し取ることを申し出ました。平十字と名乗る猟師はすぐに了解したといいます。このようにして楢崎皐月が六甲山中で平十字と名乗る不思議な猟師に出会ったことで写 し取った図象がカタカムナ文献だとされています。カタカナのもとになったのがカタカムナ文献であり、平十字なる人物がサンカ(山窩)ではなかったのかとの話もあります。』

古代日本とサンカ(山窩)

漢字が流入する前の【古代日本文字】山窩(サンカ)文字
http://bit.ly/rqcqPb
ルーツは縄文時代から日本に存在した原日本人であるようで、渡来人によるとされる弥生文明、大和朝廷による中央集権の軍事的敗者なのかも知れません。
封印された古代文字
山窩とは、明治以降の官憲用語であり、差別的な意を含むと言われていて、身殻別八万物運(ミカラワケヤヨロヅノモノハコビ)が正しい呼び方とされています。
米国の作家で,南イリノイ大學教授のLionel Bender氏はWadai-Darfur=Language in Ethiopiaの論文でSemitic Language(セム語=アラム語)のエチオピア起源説を発表したように言語学者は歴史学者であり考古学者でなければならない典型だと思います。自分の専攻している言葉しか知らない教授も多くいますがね,下の海底遺跡でも見て何かを探ってくださいよ。言語学者には癇癪もちが結構いましてね「落第させるのに生きがいを感じている」莫迦ばかりが現実だ。
海底に眠る七不思議
シュメール語古事記参照
日本人シュメール起源説
坂東誠さんの「古代日本・ユダヤ渡来説」などを17の記事にして解説した方のブログですがサンカを研究することによってユダヤ渡来説がひっくり返るかも。
邪馬台国エジプト説
ギリシャテーパイ伝説
日ユ同祖論肯定と否定
八切史観・サンカと部落民
八切止夫は、これまでの歴史の常識を覆す様々な説を唱えていた。「日本原住民論」もその一つで、端的にいえば「大和朝廷は外来政権であり、それ以前に存在していた先住民族の末裔が部落民やサンカである」というものであった。
カタカムナ文化と日本
シルクロードと天皇
三郡誌は偽物のようだ?

熊毛郡田布施町の朝鮮部落も山口県(山口の田布施も高地にある)だが山口県の彦島(ひこしま)で発見されたペトログラフ(Shumer Petrograph)。シュメールの古代文字だという。もしこのシュメール古代文字が日本の古代神代文字であったとしたら全てが明らかになりますがさらに切り込んでいく学者はいない。学者はペトログラフが大好きなのですが真偽の程は分からない。これが本物とすればなんですが......大きな発見になるのですがね。かなりサンカ文字や八鏡文字(カタカムナ文字)と似ていますね。だとしたらロスチャイルド家が日本のサンカの溜まり場である田布施の朝鮮人部落のサンカを成りあがらせた事実と整合する。それはたった今でも続いており日本国土崩壊まで続くのであろう。米国海軍の2012年の世界地図には日本が消滅している。この辺に切り込めば霧が晴れてくるだろう。3.11はロスチャイルドと成り上がりのサンカが仕掛けたことは間違いない。イスラエルのBSP社が水爆を仕掛けた監視カメラは3号機に3台あったということだろう。なぜなら3号機の爆発音が3回したビデオからは爆発音が完全に消されている。あの日本人二人のことはもう完全に封印されている。
出エジプト記の時代のはるか以前にゴシェンの地にセム族は定住していたのですがこのセム族が日本からのサンカではなかったのかとの疑問はありますが本ブログでそこまで切り込めるのか自信はありませんが努力してみる価値はありそうです。そのゴシェンの地より東南アジアから朝鮮をへて日本に密入国し住み着いたのではないか?管理人の浅学非才ではどうしようもありませんが「セム・ハム語」とサンカ文字の共通点が見つかれば話は早いでしょう。セム語というのはアラム語でありミトコンドリアイブの研究では人類の発祥はたった一人のエチオピアの女性にたどり着く。その子孫がサハラ砂漠と戦いながらゴシェンやシュメール,古代イスラエルの地にたどりつきその後朝鮮を経由して日本にたどり着いた........サンカの人たちは長身で男前が多く頭が切れるという。なんだか面白くなってきましたね。ロスチャイルドが同胞としてサンカを成り上がらせたのは決して偶然ではないだろう。
「人の子よ、汝一片の木を取りその上にユダおよびそのともなるイスラエルの子孫と書き、また一片の木を取りその上にヨセフおよびそのともなるイスラエルの全家と書くべし。・・しかして汝これを供に合わせて一本の木となせ。・・我イスラエルの子孫をその往けるところの国々より出し、四方よりかれを集めてその地に導き、その地において汝らを一つの民となしてイスラエルの山々に居らしめん。・・再び二つの国に分かれざるべし。彼等また・・身を汚すことあらじ。・・」
(エゼキエル書第37章16~23節)
そうは言ってもですね,ロスチャイルド閣下イスラエルに住むヘブライ人の子孫であるユダヤ人をいじめちゃだめですよ。



記事にしましたが3月11日の翌日は12日土曜日(土曜日は自由研修日)松下政経塾前の中華料理店でスーツ姿の男女多数がビール10数本をあけさらに餃子や紹興酒を注文し祝杯を上げていたということを忘れてはならない。中華大新という店(住所:神奈川県茅ヶ崎市常盤町5-20)で彼らは松下政経塾の人間であることは確認した。その後彼らの一人が店を出るや塾の前をランニング中の生徒に「お~い,こっち来い」と声を掛けまた中で祝杯を上げていた。若い人も多くいたとのことでしたが例の東電の二人かどうか未確認。前原政調会長も松下政経塾の六期なのですがこの政経塾に入れる資格は「サンカの朝鮮人」なのだろう。頭がいいだけじゃ入れないということだ。サンカの朝鮮人には性豪が多いという。岸信介などもそうだ。そういえば松下幸之助も妾が3人いたということは聞き及んだが.......ただし男だった?
山窩は古代シュメールから朝鮮半島を経由して日本に渡来して住み着いた民族ではないでしょうか。山窩文字から解明すれば何かかが出てくるかも。古代イスラエルやシュメールから日本人が来たのではなく反対かもしれません。熱心で有能な主婦のかたも当面はこれ一本に絞って研究してほしい。

古代神代文字の最後に桃木文字が出てきます。これはイスラエル国旗です。
パラノイア的妄想ではイスラエルが日本を人工地震などで焼き払い将来この国をイスラエル国家にする可能性も考えられますね。古代ヘブライ民族はサンカであったというよりサンカが古代イスラエルへ渡ったこともありえる。戊辰戦争から今の現代に至るまでに一本の線はそう語っている。サンカは謎の朝鮮人と決め付ける前にこれからその歴史を調べていこう。
広島県議会の梶川ゆきこさんもこのブログを覗かれているようです。さすが聡明な方ですね。梶川さんは言います。『第二の明治維新(21世紀平成IT維新革命)・漂泊の民 サンカとの出会い ~みんなに伝えておきたいサンカのこと。絶対言ってはならないサンカのこと http://ow.ly/6RF9F サンカは明治期には全国で約20万人、業界や政界や財界スポーツ界にサンカはいまも多く存在する。 6 hours ago · reply · retweet · favorite
戸籍を持たない「日本国民」~日本のジプシー「サンカ」 http://ow.ly/6RIv6 日本には「日本人」でありながら、「日本人の戸籍」を持たない人々が存在したのです。日本列島の脊梁山脈や高地を移動し、「山」を生活の場として、何と二千年もの間、里人と共存してきました。 about 1 hour ago · reply · retweet · favorite』と。

古史古伝
つまりこんなものを認めてしまったら日本史の全てがひっくりかえるということですね。
インドのカーストの最下層にも属さない「不可触民 」という人たちがいます。ムンバイには巨大なスラムがありますが不可触民はそこにさえ入れないのです。それはサンカと同じなのです。サンカの朝鮮人明治天皇がつくった東大卒で固められた官僚組織や警察,検察,裁判所などありとあらゆる組織が成り上がりのサンカを守るためにしか機能していないのです。日本人は文句をいいませんからね。他の国では見られる人々の「温もり」がどうしてこの国ではないのかのカラクリがそれです。
戦後の朝鮮人進駐軍などはヨツと呼ばれるペクチョン(白丁)も多く含むサンカ進駐軍であった。日本での食肉解体業者はほぼ全てこのヨツで占められている。壮絶な婦女暴行などこの時見て見ぬふりをしていたのが当時の警察であった。では誰が彼らに刃向かっていったかというと同じ在日でサンカではない山口組三代目田岡一雄であった。右のリンクに「代紋」がありますがそこをご覧ください。
ヘンリー・メイコウがいうように『代理人は,彼らの忠義を彼らの国ではなく,風の征するモレア=イルミナティに捧げるのである。彼らの狙いは彼らの愛すべき国を破壊して,その殺戮から利益を得ることである。』と。サンカにとって愛すべき国ではまったくないわけで「金と名誉と地位」の引きかえにそういう人たちが今まで何をしてきたかを考えれば理解できるでしょう。彼らを一言でいえば「罪の意識が希薄なさもしい」人間としか表現できません。ロスチャイルド家がなぜ長州ボーイズのサンカを利用したのか?それは人間支配のための洞察力です。底辺のサンカを成り上がらせ去勢した上で群れの先頭に立たせる。見事なものです。外交官だったアーネスト・サトウはいいます。「日本人ほど背後に武力がある権威主義に対して容易に従う」と。だから日本人を支配するのにはさほど苦労がいらなかったということでしょう。その支配のためにどうせ意味の分からない一般大衆をイルミナティという「見世物小屋」に誘導する必要があったのです。デヴィッド・アイクなどはその誘導役を演じているのです。回し者が闇の世界を暴いたり正義の味方になってガス抜きをするのは諜報の世界では当たり前のことなのです
追伸:10月8日インドからメールが届きました。なんという高貴な人生を送られているのでしょうか。当然お金なんか要りません.....むしろこちらから貴方様へ.....万円ほど喜捨させていただきたい旨返信いたしました。下記メールの内容はご本人の了解はとっておりません。
管理人さま
311以来、達人さまのブログに出会い、日々、寝る時間を削って、勉強してまいりました。311以前、わたくしは、無知でした。それを恥ずかしく思い、反省し、自らだけでなく、ひとつでも他の魂を、平安にお連れしたいと心から願って、今も勉強しております。
以前から、情報や考察を提供してくださることに感謝し、お礼をするべきだと思っておりました。この度、有料の会員制になると知り、当然だという気持ちを持っております。
しかしながら、残念なことに、有料の会員制になると、わたくしには、もう、参加する機会が無くなってしまいます。
わたくしは、彼此10年近く、海外におります。今は、インドにおります。
曹洞宗の僧侶です。わたくしは、唯、お釈迦さまの後に続きたいと思いました。灼熱の大地を、身ひとつで裸足で歩きながら、人びとの話に耳を傾け、仏法を持って苦しみを和らげようとされたお釈迦さまのようにありたいと思いました。わたくしも、ほぼ身ひとつでおります。日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です。厳しい状況ですが、お釈迦さまの手となり、足となり、声となってはたらく使命をいただけたことは、これ以上ない歓びで、感謝しております。金品に依る幸せもいいと思います。唯、わたくしの使命は、金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくことで自ら救われていく道を、ひとりでも多くの方に知らせ、広め、人びとを励ましていくことだと思っております。自分には観えていることであっても、他人に示すのは、容易ではありません。無力感や焦りを感じながらも、どうも時間がないようですので、あきらめずに、最期の瞬間まで、心を尽くすべきだと、自ら叱咤激励する毎日です。
わたくしにとって、....円を入金するのは、残念ながら、とてもとても無理です。ですから、あきらめなければならないのでしょうが。
手元に千円札が3枚あります。以前いただいたお布施です。これを日本の住所にエアーメールで郵送することはできます。インドから銀行振り込みをするのは、難しいらしく、できても手数料でなくなってしまうようです。.....円には、程遠いのですが、これで閲覧させていただけませんでしょうか。
もし、無理でしたら、あきらめますので、どうかお気になさらないでください。
達人さまの御使命が全うできますことを、お祈りしております。
達人さまと犬くんたち、ご家族、ご友人方が、お幸せでありますよう、お祈りしております。
いつか目覚め、動き出し、どの人も、罪を犯した人たちも、救われていく時の来ることを、祈っています。
精一杯の慈悲を込めて
閑杳 慈光 比丘尼
管理人より。
閑杳 慈光 比丘尼殿へ
もしこの記事を読まれておられるのなら以下が私からのメッセージです。
「日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です......送らせていただく喜捨は「金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくこと」とおっしゃるように意に反するかも知れませんが私の.......万円で貧しい人のために有効にお使いください。」インドでの日本人僧侶の活躍は以前から聞いておりました。インド仏教徒が師と仰ぐ日本人僧侶、佐々井秀嶺氏をこえる魂の清浄を期待しております。秘教ムスタンで活動される近藤亨さんも同じように日本人の誇りです。
サンカとゴシェン
サンカとゴシェン その2
天竺から慈悲の光 その1
天竺から慈悲の光 その2
空(くう)の彼方へ
サンカとゴシェン その3
サンカとゴシェン その4
サンカのルーツは創世記のヘテ人
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その2
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その3
サンカとゴシェン その2
天竺から慈悲の光 その1
天竺から慈悲の光 その2
空(くう)の彼方へ
サンカとゴシェン その3
サンカとゴシェン その4
サンカのルーツは創世記のヘテ人
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その2
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その3
日本には天才的な人が多い。例えばこのENTEE MEMOだ。
巨悪はわれわれの心を養分として育つ(上記管理人記す)
巨悪はわれわれの無知につけいって育つ(ここの管理人記す)
June 30, 2004
集団となって「悪さをする」のは、何も野次馬や暴徒化した群衆だけではない。会社でも国家でも、ある一定以上の規模になった組織は、容易に「悪」の巣喰う場所となる。
それはなぜか。それは人間が集団の中に、自分の醜い「悪」の顔を隠すことができるからである。「悪の顔」を隠すことができれば、われわれはもっと容易に悪を成すことができる。おそらくは、悪であると自覚せずに、その悪を成すことさえ可能である。人間の大部分は弱い。そして弱さの集合的発現こそが、将来われわれが代価を払うことになる(であろう)大規模の「悪の発露」たる戦争である。集団の陰に隠れて行われる、各人の「卑怯の合算」である戦争なのである。それによって生じるあらゆる破壊や殺戮は、それに関わるひとすべての共犯であるために、おそらくいかなる戦争も、その責任をきちんと追及することは不可能である。ましてや共犯関係にある者同士が互いを追及することなどあるはずがない。
ひとりひとりは、いかにも良心のありそうな人間であったとしても、悪いのは自分だけではないと信じる無責任、利益を自分に向けて抜け目なく最大限引き出そうとする利己主義、人の背中に隠れて小さな悪への誘惑に負ける意志薄弱という側面は、実は各自に潜む。ひとりひとりは一見「善良」ではあり得ても、集団というものは、こうした人間の最低の部分が、最大に「活かされる」場所なのだ。そして、人間の最低の部分の集合的な発現は、法的に違反しているものである必要はない。それら「悪」のほとんどは「合法的に」なされるのである。いかなる法も所詮人間が作りだした、われわれにとっての便宜のひとつのありかたにすぎないからである。
人間のこの狡賢さは、自分が被害者にならない限りにおいて、その帰属する集団を、暴力、嘘、盗み、といったあらゆる悪の行為に駆り立てる。いや、「駆り立てる」という言い方はひょっとすると正しくない。そういう行為を「許し」、密かに「見逃し」、悪の成就を、無言で「支持する」のだ。そしてあらゆる悪への牽制メカニズムの網の目をかいくぐって、最終的に悪はどこかで成就する。国家とは、そうした悪だけが表に発露される最低最悪の場のことである。われわれ小市民は、自分の利益のためにとても人を殺せないが、「国家」という乗り物を使ってなら、より大規模にそれを成し遂げることができる。より無自覚に。
嘘を付いて過去の悪行を認めない国家。
嘘を付いて他国から経済援助を引き出す国家。
嘘と知りながら大国の巨悪に「大義」を見出す小国。
嘘と知りながら国をまとめるだけのイデオロギーを以て、小国を支配するための大義とする大国。
あらゆる嘘や暴力が、歴史上あらゆる国家という国家によって堂々と実現されてきた。
支配されるわれわれの間では
人を殺せばそこには殺人の罪が生じる。
嘘を付いて他人の援助を受ければ、そこには詐欺の罪が生じる。
しかしいかなる隠れた狡猾も、明らかな罪科も、国家という巨大集団によって、より大規模に成されるや、それは「われわれの責任ではない」ということになる。実に、巨大な群衆としての「国家」とは、われわれ小市民にとって、便利な隠れ家である。日常の中に滑り込んでくる個人による殺人を、残虐であるとか非人間的な悪逆であると評し赦さない一方、われわれは、集団による組織的な殺人を「政策である」と呼ぶことができ、過去のそうした組織的かつ大量な殺人を「他に選択の余地がなかったこと」として情状酌量し、容易に忘却する。
年金制度や税の徴収のあり方など、何を見ても、人間としての考えられる限り“最低の在り方”を、政治家の判断や活動を通して、国家はわれわれに見本を示してくれている。しかし、実は、悪いのは政治家や官僚だけではない。「大きな集団」とは、小さな悪や小さな良心、その他諸々人間の行為や思いのすべてを濾し落として、内なる最大の巨悪だけをそのまま残して一番上に提示する、いわばザルのような仕組みのことなのである。このザルを以てしては、良心という人間のもう一つのちっぽけな真実の在り方を掬い上げるには、あまりに器としては大きすぎるのである。
何千年経ってもなくならない官僚組織の腐敗。一部の利益を代表するだけの、大局を決して見ることのない御用政治家の限界。個人の思いを無視した外交官僚たちの秘密の工作。どうして無くならないのか、われわれはいつも考える。しかし答が見つからない。そうした行いの正邪は、合法であるか非合法であるかという判断とはこの際関係がない。
官僚組織自体は、合法的に組織された集団である。そして国会は(表向きには)合法的に選ばれた代議士達によって組織されているものである。しかし、仮に、ひとりひとりの官僚や政治家に「一般人の良心」というものがあったとしても、それは国家や行政の「行為」として具現化できない。たとえば、行政活動の必要に応じて、いったん金の流れというものが生じると、それが時代と共に意味を成さないものとなっても、その旧弊な「流れ」を温存したいひとりひとりの心が、その変革を許さない。それら利権を温存する方法が、如何にわれわれの法に適ったものであっても、そこには集団としての、あきらかな悪がある。官僚や政治家のひとりひとりが、その悪を見ようとせず、その悪を悪であると、心の弱さと曇りから認めることができない。したがって、たとえば、必要だとされたひとつの「金の流れ」という利権が、時代の変化や必要の有無に関わらず、いつまでも温存される。結果的に一般の納税者から合法的に金を巻き上げ続けるシステムだけが残される。だからいくら増税しても、これら金を吸い上げる者達が、そのシステムを諦めない以上、いくら民衆が金を稼ぎ出しても、彼ら悪徳官僚達の腹を十分に満たすことはできない。われわれは、毎日額に汗して働いて、そういう者達を養い続けている。しかし権力という言葉が、こうした「もてる者達」にとっての「保身」の意味でしかない以上、この状態を変えることは容易にはできない。もてる者達自信が自らの矛盾のために自壊するしかないのかもしれない。(しかしどのように?)
恐らく、社会的弱者に対する無視(内へ向かう暴力)も、戦争への道(外へこぼれ出す暴力)も、より強い巨悪への追従も、個人個人の狡さや弱さを足し合わせた、その集団の総意の結果なのだ。暗殺や小国政府の転覆など、明らかな非合法行為も、実はそうした「合法的に赦されている」一般民衆の弱さの合算したものの例に漏れないはずだ。
合法的に赦されたわれわれが、倫理的に明らかな非合法である戦争を作りだすのである。戦争を可能にする合法的な制度によって。
個人の中ならばしばしば認められる良心や寛容というものも、生き物の本来持っている一側面である。政治家とは、そうした人間の善良さが、巨大な国家という生き物の性質として表現されるための、類い希な創意工夫と、鉄のような意志と、実行力を兼ね備えた者でなければならない。そして、われわれは、われわれの個人の中に生きている良心の具現化を助けない人間を、政治家として選んではならないのである。
私が書くことは、おそらく巨悪への共犯という私の罪を何ら酌量しないだろう。ましてや、このままではこれから起こるかも知れないことを防ぐなんの助けにもならないだろう。私の心に奇跡が起こり、私がわれわれを押しつぶす巨大な車輪の前に身を投げ出したところで、この巨悪の大河の流れをもはや止めることはできないかもしれない。しかし最も効果的な身の投げ出し方を悟れば、それを実行するかも知れない。しかし、次善でさえないにも拘わらず、今の時点で、私が何を信じていたのかを隠さないことには、何らかの意味があってほしいと願わずにいられない。そしてこれを公共に向けて書いていたことが、私の今後の「扱われ方」に多少の影響を与えることはあるかもしれない。あるいは図らずも「身を投げ出す」第一歩に結びつくのかも知れない。
巨悪はわれわれの心を養分として育つ(上記管理人記す)
巨悪はわれわれの無知につけいって育つ(ここの管理人記す)
June 30, 2004
集団となって「悪さをする」のは、何も野次馬や暴徒化した群衆だけではない。会社でも国家でも、ある一定以上の規模になった組織は、容易に「悪」の巣喰う場所となる。
それはなぜか。それは人間が集団の中に、自分の醜い「悪」の顔を隠すことができるからである。「悪の顔」を隠すことができれば、われわれはもっと容易に悪を成すことができる。おそらくは、悪であると自覚せずに、その悪を成すことさえ可能である。人間の大部分は弱い。そして弱さの集合的発現こそが、将来われわれが代価を払うことになる(であろう)大規模の「悪の発露」たる戦争である。集団の陰に隠れて行われる、各人の「卑怯の合算」である戦争なのである。それによって生じるあらゆる破壊や殺戮は、それに関わるひとすべての共犯であるために、おそらくいかなる戦争も、その責任をきちんと追及することは不可能である。ましてや共犯関係にある者同士が互いを追及することなどあるはずがない。
ひとりひとりは、いかにも良心のありそうな人間であったとしても、悪いのは自分だけではないと信じる無責任、利益を自分に向けて抜け目なく最大限引き出そうとする利己主義、人の背中に隠れて小さな悪への誘惑に負ける意志薄弱という側面は、実は各自に潜む。ひとりひとりは一見「善良」ではあり得ても、集団というものは、こうした人間の最低の部分が、最大に「活かされる」場所なのだ。そして、人間の最低の部分の集合的な発現は、法的に違反しているものである必要はない。それら「悪」のほとんどは「合法的に」なされるのである。いかなる法も所詮人間が作りだした、われわれにとっての便宜のひとつのありかたにすぎないからである。
人間のこの狡賢さは、自分が被害者にならない限りにおいて、その帰属する集団を、暴力、嘘、盗み、といったあらゆる悪の行為に駆り立てる。いや、「駆り立てる」という言い方はひょっとすると正しくない。そういう行為を「許し」、密かに「見逃し」、悪の成就を、無言で「支持する」のだ。そしてあらゆる悪への牽制メカニズムの網の目をかいくぐって、最終的に悪はどこかで成就する。国家とは、そうした悪だけが表に発露される最低最悪の場のことである。われわれ小市民は、自分の利益のためにとても人を殺せないが、「国家」という乗り物を使ってなら、より大規模にそれを成し遂げることができる。より無自覚に。
嘘を付いて過去の悪行を認めない国家。
嘘を付いて他国から経済援助を引き出す国家。
嘘と知りながら大国の巨悪に「大義」を見出す小国。
嘘と知りながら国をまとめるだけのイデオロギーを以て、小国を支配するための大義とする大国。
あらゆる嘘や暴力が、歴史上あらゆる国家という国家によって堂々と実現されてきた。
支配されるわれわれの間では
人を殺せばそこには殺人の罪が生じる。
嘘を付いて他人の援助を受ければ、そこには詐欺の罪が生じる。
しかしいかなる隠れた狡猾も、明らかな罪科も、国家という巨大集団によって、より大規模に成されるや、それは「われわれの責任ではない」ということになる。実に、巨大な群衆としての「国家」とは、われわれ小市民にとって、便利な隠れ家である。日常の中に滑り込んでくる個人による殺人を、残虐であるとか非人間的な悪逆であると評し赦さない一方、われわれは、集団による組織的な殺人を「政策である」と呼ぶことができ、過去のそうした組織的かつ大量な殺人を「他に選択の余地がなかったこと」として情状酌量し、容易に忘却する。
年金制度や税の徴収のあり方など、何を見ても、人間としての考えられる限り“最低の在り方”を、政治家の判断や活動を通して、国家はわれわれに見本を示してくれている。しかし、実は、悪いのは政治家や官僚だけではない。「大きな集団」とは、小さな悪や小さな良心、その他諸々人間の行為や思いのすべてを濾し落として、内なる最大の巨悪だけをそのまま残して一番上に提示する、いわばザルのような仕組みのことなのである。このザルを以てしては、良心という人間のもう一つのちっぽけな真実の在り方を掬い上げるには、あまりに器としては大きすぎるのである。
何千年経ってもなくならない官僚組織の腐敗。一部の利益を代表するだけの、大局を決して見ることのない御用政治家の限界。個人の思いを無視した外交官僚たちの秘密の工作。どうして無くならないのか、われわれはいつも考える。しかし答が見つからない。そうした行いの正邪は、合法であるか非合法であるかという判断とはこの際関係がない。
官僚組織自体は、合法的に組織された集団である。そして国会は(表向きには)合法的に選ばれた代議士達によって組織されているものである。しかし、仮に、ひとりひとりの官僚や政治家に「一般人の良心」というものがあったとしても、それは国家や行政の「行為」として具現化できない。たとえば、行政活動の必要に応じて、いったん金の流れというものが生じると、それが時代と共に意味を成さないものとなっても、その旧弊な「流れ」を温存したいひとりひとりの心が、その変革を許さない。それら利権を温存する方法が、如何にわれわれの法に適ったものであっても、そこには集団としての、あきらかな悪がある。官僚や政治家のひとりひとりが、その悪を見ようとせず、その悪を悪であると、心の弱さと曇りから認めることができない。したがって、たとえば、必要だとされたひとつの「金の流れ」という利権が、時代の変化や必要の有無に関わらず、いつまでも温存される。結果的に一般の納税者から合法的に金を巻き上げ続けるシステムだけが残される。だからいくら増税しても、これら金を吸い上げる者達が、そのシステムを諦めない以上、いくら民衆が金を稼ぎ出しても、彼ら悪徳官僚達の腹を十分に満たすことはできない。われわれは、毎日額に汗して働いて、そういう者達を養い続けている。しかし権力という言葉が、こうした「もてる者達」にとっての「保身」の意味でしかない以上、この状態を変えることは容易にはできない。もてる者達自信が自らの矛盾のために自壊するしかないのかもしれない。(しかしどのように?)
恐らく、社会的弱者に対する無視(内へ向かう暴力)も、戦争への道(外へこぼれ出す暴力)も、より強い巨悪への追従も、個人個人の狡さや弱さを足し合わせた、その集団の総意の結果なのだ。暗殺や小国政府の転覆など、明らかな非合法行為も、実はそうした「合法的に赦されている」一般民衆の弱さの合算したものの例に漏れないはずだ。
合法的に赦されたわれわれが、倫理的に明らかな非合法である戦争を作りだすのである。戦争を可能にする合法的な制度によって。
個人の中ならばしばしば認められる良心や寛容というものも、生き物の本来持っている一側面である。政治家とは、そうした人間の善良さが、巨大な国家という生き物の性質として表現されるための、類い希な創意工夫と、鉄のような意志と、実行力を兼ね備えた者でなければならない。そして、われわれは、われわれの個人の中に生きている良心の具現化を助けない人間を、政治家として選んではならないのである。
私が書くことは、おそらく巨悪への共犯という私の罪を何ら酌量しないだろう。ましてや、このままではこれから起こるかも知れないことを防ぐなんの助けにもならないだろう。私の心に奇跡が起こり、私がわれわれを押しつぶす巨大な車輪の前に身を投げ出したところで、この巨悪の大河の流れをもはや止めることはできないかもしれない。しかし最も効果的な身の投げ出し方を悟れば、それを実行するかも知れない。しかし、次善でさえないにも拘わらず、今の時点で、私が何を信じていたのかを隠さないことには、何らかの意味があってほしいと願わずにいられない。そしてこれを公共に向けて書いていたことが、私の今後の「扱われ方」に多少の影響を与えることはあるかもしれない。あるいは図らずも「身を投げ出す」第一歩に結びつくのかも知れない。
下は『ボーっと生きてんじゃねーよ』から
・・・
しかしもちろん、実際問題どうにも困った人々はおります。
これはなにもあたら我慢すれば良いというものではありません。
この「以和爲貴」という言葉の由来とも考えられる論語(中国古典。四書五経の四書の一つに数えられる儒教の経書)には下記のようにあります。
「禮之用和為貴」
ですがこれは、いたずらにただ付和雷同にせよという意味ではありません。互いに論じて物事の道理を通すには、まず和する気持ちがなければ、話し合いにならないという程の意味合いです。
同じ論語には次のようにも書かれています。
「子曰。君子和而不同。小人同而不和」
いわゆる「和して同ぜず」という心持ちです。
付和雷同という言葉を思い出しますが、これも礼記の「勦説する毋れ、雷同する毋れ」に由来すると言われております。
つまり「自らの信念や考えを捨てて、我慢して、相手の考えや意見になびいて従う」ということを指しているわけではないということです。
・・・
<転載終了>
10の次、、11ですよね。
この繰り上がりに疑問持つ人は数少ない。
そもそも繰り上がる時点でそれは周期。
人の思考から発生する数。
自然数をnと書き、無限大に増え続ける。
この人の思考から発生する別なものが『言語』。
普通50音。ピャ、ピュなど入れても200音に満たない。発音は増え続けない。
なのに数だけ∞や1/∞がある。つまりそれは脳内ゲームだから。周期だから。
自然数を考えると立体共鳴(3次元)であることに気づく。そして、周期が面共鳴(2次元)ということにも同時に気づく。脳内ではこの二つの認知がある。
だから地球に球体説と平面説が起こる。
観測者視点の固定には自我の在り方という問題が介在する。それこそが人類から人間への進化ともいえる。
神代文字とは脳内共鳴をそのまま文字にしている。
だからそのままの形がDNA記憶になる。
『神代文字幾何学共鳴』それは大脳共鳴とDNA共鳴を橋渡す、三進数、腸ニューロン共鳴が鍵。
神代文字図形を理解し腸ニューロン活性させられる人々が現れる必要がある。救世主。
概念に囚われループしてると活性化できない。ポールシフトに加担することになる。
カタカムナは現象を文字にしているので幾何学ではない。
って、地底人さんが言ってました。
genkimaru1
が
しました