https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/e4b9bad3b453d334abbf8139561c287e
<転載開始>
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/e4b9bad3b453d334abbf8139561c287e
http://web.archive.org/web/20140704150513/http://angel.ap.teacup.com
/gamenotatsujin/686.html

感覚......他とは共有できない独立のもの(主観の世界)
↓
↓純粋感覚
↓
経験......存在の仕方の転換+視野の転回⇒自己の時間と個の誕生(主・客の転換)
↓
↓時間と持続
↓
定義......経験によって内面に生じた「もの」に名前を冠すること⇒個と普遍を結ぶ(客観の世界)
これは私の先生の先生である故森有正氏の根本的な考え方をある研究家がまとめられたものですが「主観の世界からいきなり客観の世界に入るのではなくその中間の経験によって生まれた内面のもの,つまり,内面的な矛盾と対峙することによって普遍的なものが生まれる,というパラダイム(座標軸)が非常に大切」であるということです。若い大学生は経験がないのでパラダイムシフトは無理です。あえてしても観念の世界だけの人(正気の狂人)になるだけです。本人は気がつきませんが。教師は突き放すのではなく高い視点を持つ習慣を養うような教育をするべきです。何が出るか分からない試験ではなく前もって問題を公開しそれによって学生に勉強させることがいかに大切か理解している教師は殆どいない。パラダイムシフト出来るのは学校以外の場所で誘惑に負けて堕落することです。これが誘惑に打ち克つには誘惑に負けるという古代バビロニア以来の唯一の方法です。
演劇論による六つの問いかけ.....

@わたしは誰?
Aわたしはどこにいる?
Bわたしはいつここにいる?
Cわたしはなぜここにきている?
Dわたしはなにをするためにここにいる?
Eわたしは今後どうする?
というものです。そしてこの中でもとりわけ重要なのが?Dの「わたしはなにをするためにここにいる?」で、これはひいてはスタニスラフスキーの有名な用語にある「超目標」 になるのです。 そして、これらの質問は、能動的な行動や感情を誘発してくれるのです。問いかけてみて想像するという習慣をつけるべきです。こうして短いソープランドのアルバイトで立派な大人の女性に変身するのです。
こんな風に変身の答え......お父さんはおウチに仕事とセックスを持ち込まないようにお外で頑張っているのです。
『子どもというのは本当に素直です。妙な偏見に侵された大人たちとはまるで違う。お父さんのペニスが充分に勃起したとき,お母さんのバギナに.......
ソクラテス:えっ,えっ,何だって?
代表(大声で):お父さんのペニスが充分に勃起したとき,それをお母さんのバギナに挿入すると言ったのです。何か?
ソクラテス:いや,僕の耳が聞き間違えをしたのかと思ったんだ。わかった。それで?
代表:それで,お互いの快感が最高潮に高まったときに射精して完了するのが正しい性交の在り方だと教えてあげると,子ども達は目を輝かせて息を呑んで聞いてくれるのです。正と性の素晴らしさに感動しているのですね。このとき私は,自分が性教育に従事していることの歓びに.ああ,恍惚とするのです』<池田昌子・帰ってきたソクラテス>より。
『川端康成の「眠れる美女」は江口老人と睡眠薬で昏睡状態になった眠れる美女との退廃的な作品である。
三島由紀夫の解説によれば「相手が眠っていることは理想的な状態であり,自分の存在が相手に通じないことによって,性欲が純粋性感に止まって,相互の官能を前提とする[愛」の浸潤を防ぐことができる。ローマ法王庁がもっとも嫌悪するところの邪悪はここにある。
しかし宿の主人は「この家には悪はありません」と断言する。しかし江口老人は迂闊にも眠り続ける美女の前で勃起してしまうのでした。』この作品で川端はノーベル文学賞を受賞した。管理人注:この作品は三島由紀夫自身の作品とも噂されています。主人公は由夫だからです。
関連記事:スタニスラフスキーの演技論
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/440.html
『現在の新宿2丁目はかつての赤線地帯である。パンパンくずれの梅毒もちの女の掃き溜めであったこの2丁目も作家にかかると見違える女になる。
「青春の門」自立篇で早稲田大学へ入ったばかりの信介は,ある日校門の前にいた2年生の緒方に出会い,物語は始まる。緒方は演劇を専攻し信介は,はじめて新宿2丁目の「かおる」を知る。学生は金がない時,かおるのもとへ本を持参して金を借り,バイトが終わると借りた金と引き換えに本を返してもらう。
いつもかおるの部屋は,貧乏学生の本でうまっていた。悲しい真理を知りつくしている哲学者的「かおる」と楽しい真理しか知らない学生との交流を描いている。
緒方は信介に言う。夜になると面白いぞ あっちでもこっちでも女達の例の声がきこえてな。あれは客に早く行かせるための演技にすぎんがね。
「スタ二スラフスキーの演技論]では,まず自分が感情移入して その役と状況に没入してしまわなきゃならん。
だがここは演技で没入しちまったら意味がないだろ。自分はあくまでも醒めていて,客だけを興奮させなきゃならんのだからな。
夢中にならず真に迫る,という困難な命題が彼女達には課せられているわけだ................』
それと忘れていましたが調理師の免許だけはとっておいた方がいいでしょう。中華料理や和食などで家族を「おもてなし」することもできます。いざという時にも役に立ちます。
関連記事:
悪魔教の原理・心の操縦術 その1
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1407
悪魔教の原理・心の操縦術 その2
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1409
悪魔教の原理・心の操縦術 その3
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1414

ジム・ストーンバランサー説
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2466
福島リポートのドイツ語訳
http://criticomblog.wordpress.com/2012/08/31/das-japanische-911-heisst-311-und-es-ist-alles-belegt/
フクシマリポートの日本語訳~ジム・ストーン氏の大変長い記事です。画像はずっとスクロールダウンした辺りに出てきます。必読ですよ
https://decryptedmatrix.com/live/did-the-dimona-dozen-murder-the-fukushima-50/
啓示は所詮はただ人間を介してのみ彼に到達し、また人間によって解釈されるので、たとえ啓示が神自身から彼に到達するように思われたとしても(汝自身の子を羊の如くに屠れという、アブラハムに発せられた命令のように)、そこになおある誤謬が支配しているかもしれないということは少なくとも可能である。そうだとすれば、彼はきわめて不正であるかもしれない事柄をなす危険をあえて冒すことになるであろうし、その点で彼の行為はまさしく無良心的なのである<カント・純粋理性批判より>
さがれサタン!
以下はブログの「滅びの予感と永遠性 その2」にいただいたコメントです。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/685.html
投稿者:tatsujin
2014/1/13 10:50
拍手転載
滅びの予感と永遠性 その2
2014/1/13 3:16
この頃の達人さんの記事は僕の歩む自分の道にとって核心を突く重要な事柄に関するものばかりです。僕にもTさんのように、自分の属する群れへの偏愛から、その群れが規定した価値観の盲目的奴隷として長く独特の高揚感に満たされた傲慢な時期がありました。ペテロがさがれサタン云々と叱られた場面を思い出します。もっとも現在もその病が完治していない自覚症状があります。
インド在住の方のようですが前にもコメントを頂きました..
マー君は疑う・世界は覚醒した?
2013/12/27 22:41
TSeekerさんには、ご自分のなす警告や攻撃の対象が自分自身だということを理解して欲しいです。僕は十代にキリスト教と人智学とに出会い、今日までの宗教観の基礎を形成してきました。やっと40歳で受洗し、幸いにして所属教会(ルーテル派)やその牧師たちがTSeekerさんのような自分の中の大嘘に苦しみつつも必死になって誠実にまじめに糊塗するやっかいな存在だったので、僕は、相当勇気が必要でしたがまったく良心の咎めなく教会を去りました。イエスに関しては、「完全な」よりもむしろ、「完全に」人間ということの方が僕にとって重要です。僕を友と呼ぶ人ですから。またイエスこそ宇宙最大の裏切りを仕出かす瀬戸際だったと考えています。シュタイナーは、Durchchristung(キリスト精神をあらゆる自然的営為の内に見出し、あらゆる人間的営為に根底から浸透させること=人智学の使命)という言葉を造語してまで徹底してキリストイエス主義者でした。人智学では、地上からの人間視点(北半球視点なので、まだ納得いかないのですが)で観察される天体運動は、キリストイエスを証するように、あらかじめ創造されている、という考え方です。大筋僕は納得してます。K.バルトの、いかなる巨悪も神の救いのうちにある、というのも納得しています。
そのさがれサタンとは............
下がれ。サタン。
イエス様とサタンの戦いです。
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイの福音書16章22-23節)
関連記事:神の超越性は個人の内面にあり
http://megalodon.jp/2009-0318-0304-50/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/299.html
関連記事:
蛮族戦闘団体と文明 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/155.html
蛮族戦闘団体と文明 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/156.html

翻訳本は1~3巻まであります。原書は東北大学の長谷川松次先生の翻訳によるものです。私は学生時代にアルバイトをして貯めたお金2万7千円で神田の古本屋で原書12巻を買いましたが今では大変な値打ちのある初版本です。大学の先生でご希望の方がおられましたら無料で差し上げます。メールは......
Jameslee@hotmail.co.jp
蛮族戦闘団体と文明 その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/157.html
『今日は雨の日曜日ですから「神の超越性は個人の内面に存在する」というK.Wiseman氏(Alias 小副川幸考氏)の言葉に素直に耳を傾けましょう。(転載許可済み)
キリスト教倫理の形成と超越
原文(注:原文はもうありません)
ヘレニズム世界で発生したキリスト教の信仰思想は、その影響領域の社会的拡大と共に古代ギリシャの哲学思想との融合を試みた。
その原理的な姿は、すでに新約文書のパウロ書簡にちりばめられている「倫理的勧告」や『使徒言行録』の著者によって記述された「アレオパゴスの説教」(『使徒言行録』17章16-34節)などに見られるが、最も顕著で積極的な姿は初期キリスト教弁証家たちの神学思想に現れている。
彼らは、聖書の神がギリシャ哲学の説く神とは別の神ではなく、むしろそれに優る最高の神であることを主張することをもってキリスト教の弁証を開始したのである。
アテナゴラスやテオフィロスやユスティノスは、当時のストア哲学やプラトン哲学、特にネオプラトニズムが「デミウルゴ(Demiurgo)」という概念で説いた形而上学的超越概念をもって聖書の神概念を説明したし、アレキサンドリア学派の教父たちは、プラトン的な神概念をキリスト教信仰内容の概念的形成の尺度として採用している。(8)
そして、この流れが西洋キリスト教神学の全体の方向を決定したアウグスティヌスを経て中世に至るのである。
聖書の神がプラトン的な形而上学的超越概念と同定されることによって、倫理的な事柄は、その神理解から自動的に導き出される理性の実践的な行為となり、道徳的なことはその超越によって基礎づけられた自然の道徳法則の概念から必然的に出てくる要求や理想として理解され、倫理学に対する原理的な注意は、せいぜい、教会内における建徳的な魂の訓練か教会共同体の秩序の維持以外には、ほとんど払われなかったのである。
しかし、この初代キリスト教神学が倫理学的原理に対して熟慮しなかったことは、直ちに、それが倫理的な事柄に対する無関心を意味しない。
むしろ、本質的に道徳的エートスを持つキリスト教信仰思想から、彼らは積極的にこの世界における人間の理想的な姿を問い、個々の場合についても、例えば国家や兵役、奴隷制、教育、家庭、富の問題などに重要な見解を示している。(9)
ただ、それらがユダヤ・ヘレニズム的道徳観と自然法的倫理観の無原則の混同の中で、原理的に形而上学的最高存在としての神を根拠にして、そこから形而下の一切の存在を秩序づけることができると考えられたのである。
アウグスティヌス(Augustine)の神学体系である二王国論「神の国(De Civitate Dei)」は、その流れの頂点に位置するように思われるし、宗教改革者M.ルター(M.Luther)が「善きわざは信仰によってのみ生じる」(10)と論じた源流もそこにある。
そして、神学的には、この方向は倫理学の教義学的基礎づけといった方向を取ることになるのである。
しかし、西欧社会の中で、キリスト教会的な文化統制が一応の安定を見せた中世において、文化全体を支配する価値観や倫理的な諸要求と個人の魂の建徳的訓練のための諸命題を結合させる倫理学が、世界観や文化全体を明確に認識するために必要不可欠なものとなっていったが、そのために神学自体はかえってギリシャ哲学との結合を濃密にし、キリスト教の根本思想から展開されるようなキリスト教倫理学ではなく、道徳的自然法をアリストテレスの倫理学と同一視して、ただ自然法的な道徳法則から生じるすべての倫理的目的を教会の究極的目的に従属させようとしたのである。
こうして、自然法を正しく解釈し、具体的事例をキリスト教的調停へと導くための司祭の指導が制度化され、神の恵みに伴う超自然的秩序に属するための一種の修道倫理が形成され、特に神の恩寵によって引き起こされた英雄的で禁欲的な行為を内容とする倫理学とこの世界の現存在の自然的目的から生じるような自然的、哲学的な、家庭生活や国家、経済、科学、芸術といった世俗的な諸々の関心を取り扱う倫理学が形成されていく中で、その倫理学的二元性が、一種の宗教的功利主義の枠組みの中で位置づけられたのである。
しかし、こうした中世カトリック的倫理の二元性は、社会構造が聖俗二元論的に静的に固定した存在の秩序として受け入れられている場合には有効であり得たかもしれないが、社会全体においても教会自身においても、ある種の歴史的必然としての世俗化が、初めは物理的経済的に、やがては存在論的精神的に進行するにつれ、社会構造の急激な変動とともに、それを位置づけていた枠組みそのものが崩壊し、せいぜい極端な保守主義と制度化された教会のゲットー化を生み出すぐらいにしか意味を見いだせなくなるのである。
M.ルターの宗教改革は、そのような宗教的功利主義の枠組みに入れられていた倫理の二元性 を破棄することから始まった。
聖-俗の枠組みを外して、「聖書のみ」、「恵みのみ」、「信仰による義」といったような信仰告白的標語が次々と語られ、「義人にして同時に罪人」という逆説的表現の中で、罪のゆるしと和解をもたらす神の恵みの福音への信仰は、人を罪の領域から愛と信頼の領域へと導き、その信仰によって、人は神と隣人への愛へと促されるのであり、そこですべての世俗的目的と秩序とから自由であるという「キリスト者の自由」においてすべての人に愛をもって仕える義務を負うという新しい「愛の倫理」が語られようとした。
この神と隣人への愛という動機によって、社会的、政治的、法的実践が基礎づけられ、福音理解に基づく人間の現存在の倫理的要請が再解釈されたのである。
信仰によって神から与えられた良心に基づいて行為する自由な人間、行為の責任を負う責任主体としての人間の形成が説かれ、その自由と責任の根源としての神の愛についての教説の中で、あらゆる倫理的な事柄が新たに理解されようとした。
そこで、倫理学はいつでも福音理解に基づいて神と世界と人間と救済の概念を示す教義学の中で取り扱われ、その結果、キリスト教倫理学の古典的な問題が再登場したのである。
つまり、信仰と信仰共同体である教会に集中しつつ、国家、法、戦争、教育、哲学を含めた芸術や科学、この世の財、身分、職業などに対してどのような態度をとるべきかという問題である。
そして、ここに至って、神の超越性はその超越性を保持しつつ見事に内在化しようとしたのであり、近代哲学者のカントの人格理念に基づく倫理学もそこから生じたと言えるのである。
しかし、宗教改革後の西欧プロテスタント正統主義は、そのことによってかえって、宗教改革的「愛の倫理」を徹底させるのではなく、科学者や哲学者や法学者がそれ自体の学問的追求との関連で導き出す客観的事実の主張の中で、信仰を主観の領域に限定する傾向から、キリスト教倫理学をただ教会内の、あるいはキリスト者の個人的私生活の在り方を道徳的に問うものへと限定していったのである。
「十戒」と「山上の説教」は内面化され、アブラハムの神は哲学者の神とは異なり、中世カトリックの二元論的構造とは異なった倫理の二重構造がキリスト教倫理学を宗教的特殊倫理学の中に限定していったのである。
人は、個人として与えられた境遇の中で信仰深く、まじめで、誠実な服従心をもって、神の召命に基づいて、自然法的諸要求、つまり国家組織や経済組織の要求に従うことを最善のこととし、あらゆるところで、その自然法的諸要求が先行する中で、神の超越性はただ個人の内面にのみ存在するようになったのである。
イエス30歳の時ヨルダン川のバプティスト・ヨハネより洗礼を受ける。プロテスタントはイエスの誕生が西暦4年であり世界の終末は2026年に来るという考え方をしている。
また、この宗教改革的「愛の倫理」は、その倫理的要請の前提としてもっていた神の創造の秩序への確信が社会変動と世俗化の中での近代市民社会における個人の権利と自由意識の高揚によって崩壊していく中で、次第に信仰者の個人的領域にのみ有効性をもつか、形而上学から解放されてそれぞれ独自に超越的な神との関連なしに考察されるようになった自然と世界についての科学的認識とは全く別の、単なる宗教的次元の倫理として位置づけられるようになり、西欧倫理思想史の中で、宗教改革者たちの意図とは別の方向へ進んでいったのである。
そして、近代諸科学の合理的認識による理性と認識における形而上学的超越からの解放というコペルニクス的転回は、 国家、経済、社会構造を含めた人間のすべての行為をそれ自体に内在する合目的性から理解するようになり、宗教的な事柄もまた、人間の経験的認識によって取り扱われる諸現象の一つとして部分化したのである。
それはカントの「わたしは信仰に席をあたえるために、知識を廃棄しなければならなかった」(11)という言葉によく表明されているように思われる。
こうして、倫理学は西欧近代社会において、それまでその基礎づけ、もくしは究極的目的として前提されていた形而上学的超越、あるいは神といった枠組みから離れて、独自に近代哲学的倫理学へと向かったのである。
一般的な傾向として、人々は理性によって到達可能な現に存在するものの経験的現象世界に思惟を傾け、数理学的思考が中心となり、人間と世界は数値による比較が可能な経済原理に基づいて理解されるようになった。
たとえば英国ではロック(J.Locke)の経験主義的流れの中で、神学的、教義学的前提なしに、社会と文化生活の行為と目的を人間の理性に基づくそれ自身の道徳性から追求し、自然法に基づく自然状態としての自由と平等が主張され、フランス革命やアメリカ独立戦争を導く要因が生み出されていったのである。
このようにして、倫理学は「人間性の追求の学」としての歩みを進め、神に代わって人間の道徳感情や宗教感情、もしくは先験的(ア・プリオリ)な理性的了解事項がその前提として置かれるようになったのである。
それは、かって古代ギリシャにおいて、超越的神々を人間に無関係な世界外存在として弾き出し、内在の原理のみに従って生きることを主張したエピクロスの亡霊の近代的出現であるとも言えるかもしれない。
西欧思想史全体にわたる背骨のような根本的問題としての「超越と内在」の問題は、近代科学によってもたらされた客観的認識の方法によって明瞭に分離され、超越性は現存在の内在的目的表象へと変形されていき、倫理学は、たとえそれが宗教倫理学であったとしても、内在論的倫理学となった。
そして、この倫理学は、人間と社会の哲学的、心理学的分析成果を前提にして、あらゆる存在現象の個々の事柄を取り扱うがゆえに、ある特定の歴史と状況下における個別の倫理学となり、その個別の領域から全体性が志向されることがあっても、それはただ部分的になされるだけに過ぎなくなったのである。
現代の倫理学的分裂状況はそこに由来する。そして、キリスト教倫理学は、ますます特殊宗教倫理学のひとつとなり、その有効領域をせばめ、信仰と経済的、社会的な実生活の分離が進展していったのである。
キリスト教神学において、こうした近代のエピクロス的亡霊に対する抵抗は、初めはカントの道徳哲学の影響下で行われた。
ドイツ敬虔主義と啓蒙主義および近代自然科学の客観的認識の主張の中で育ったカントは、ルソー(J.Rousseau)のヒューマニズムとの出会いによって、その偉大な天才的思考力を用いて人間の理性を認識論的に厳密に分析し、人間理性の先験性(ア・プリオリ)に基づく倫理学を哲学の総体として形成した。
カントは、人間の道徳性の原理が人間の「人格性」に基づく「自律(自己立法-Autonomie)」にあることを明白にし、「善」なるものとしての人間の理性的意志に基づく倫理の根本原理として、「それが普遍的法則となることを、それによって汝が同時に欲しうるところのその格率(Maxime-主体的行為の原則)に従ってのみ行為せよ。」(12)という断言的命令法則を打ち出し、それぞれの主観的行為の大前提(格率-Maxime)と客観的普遍的法則との綜合を「人格」概念において試みたのである。
それは、カントが彼の哲学において、それまで西欧思想史の根本問題として横たわっていた超越と内在、主観と客観、個人と世界、特殊性と普遍性などの二律する概念を明瞭に区別すると同時に、そのことによって人格の実践理性の要請として両者を包み越える絶対的で永遠なる神に帰依して行くという人間の倫理的行為の静態的基礎づけを厳密におこなったことを意味している。
そして彼は、そこから意図的に倫理学を主観的意志のア・プリオリに必然的な諸規定の教説として提示し、彼以後の倫理学の方向を決定づけ、哲学的倫理学は、やがてシラー(J.C.von Schiller)やフィヒテ(J.G.Fichte)を経てヘーゲル(Hegel)に至るドイツ観念論の中で、それまで倫理学的前提とされてきた形而上学的超越を人間精神と自我、もしくは精神の弁証法的運動の中に解消し、歴史と実存の諸問題へと向かったのである。
また、ヘーゲルを批判したキルケゴール(S.Kierkegaard)に始まり現代に至る実存倫理学も、神の超越性が人間の真の実存の回復に不可欠の問題として問われるにせよ、実存の弁証法の中での「緊張」として内在的な人格機能として考えられていることから、その倫理学的構造はカントの批判哲学のG線上の延長であるように思われる。
カントの影響を受けたキリスト教神学者たちは、カントが、従来の形而上学的超越に基づく上からの倫理学とは全く異なる純粋実践理性のア・プリオリの要請としての超越(神)を見定めつつ自律的意志の倫理学を形成し、しかも、その倫理が不可避的に個人の外に立つ法授与者の理念に入って行くという、つまり、「為すべき当為(sollen)」の背後で善を命じる「法授与者」の存在へと目を向けざるを得ないという「倫理から宗教へ」向かう基本的倫理学構造を保持していたことから、倫理学の補完もしくは形而上学的保証としてキリスト教を位置づけ、神について語る代わりに人間の道徳性の完全な姿を神という言葉の下で模索した。
ここに至って、神学もまた、ヘルマン(W.Herrmann)の主観的神学やトレルチの歴史主義的神学のように内在論的神学の方向へと向かったのである。19世紀を代表する神学者の一人であるシュライエルマッハー(F.E.D.Schleiermacher)はカントの認識理性のア・プリオリに対して、「宗教感情」もしくは「宗教意識」を人間精神のア・プリオリとして捕らえ、宗教を形而上学から切り離し、人間の全体的な人格性の中心にあるものとして位置づけ、倫理学をその人間の行為の諸目的の普遍的客観的規定へと向かわせた。
従ってそこでは、倫理学は、行為の客観的価値を規定する国家、社会、法、芸術、科学、家族、宗教(教会)などの実質的目的へ向かう実質的価値の倫理学となり、キリスト教をそれらの実質的価値目的へと向かう「精神」の強化原理として理解することによる文化哲学となる。
そして、それによって彼は、キリスト教信仰の精神化を行ってしまったのである。
こうした内在論的神学におけるキリスト教倫理学の構造は、ある意味では、神がイエス・キリストの「受肉」において自らの超越性を放棄し、完全な内在において自己を啓示したというキリ スト教信仰の使信の必然的帰結であると同時に、世俗化していく社会変動の中で人間のすべての領域において形而上学的超越を否定して人間の行為と存在を理解可能な理性の限界内で思惟してきた近代知性の必然的結果であるとも言える。
こうした内在論的神学に対して、20世紀になって、バルト(K.Barth)に代表される弁証法神学者たちは、明瞭に「否」を告げ、再び、「神の言葉の啓示」に基づいて、つまり、倫理を「神の戒め」から、もちろん決定論的にではなく弁証法的にではあるが、再構築しようとした。
そこでキリスト教倫理は、「神の行動によって規定された人間の行動についての学問」(E.Brunner)となり、プロテスタント神学においては、あの宗教改革の原理であった福音理解に基づく人間の現存在の倫理的要請という観点からキリスト教倫理学の再構築が試みられてきたのである。
しかし、超越概念が意味を失う世俗化された社会の中では、超越概念に基づく教義学的教説と現存在を全くの現存在の側から認識しようとすることとの分離が明瞭となり、ボンヘッファー(D.Bonhoeffer)が提示したような「そもそもキリスト教倫理は存在しうるのか」(13)といった根本的な問い直しが起こってきたのである。
従って、キリスト教倫理学の基本問題は、超越論的倫理学と内在論的倫理学をいかに綜合するかということにかかっている。この問いは、さしあたり、キリスト教の使信と倫理的規範の関係、広義には宗教と倫理との関係の問題として問われる。』
引用している文は当時立教大学の小副川幸考氏でHPはHNはWisemanという方でした。これこれこういうブログを書いているので転載の許可をいただけませんか.....とメールを送りましたが気持ちよく許可をいただきました。先生の講義を受けた学生は幸運です。今はHPも消えているのお亡くなりになったのでしょうか。とても悲しいです。
滅びの予感と永遠性 その4
gamenotatsujin/687.html
管理人注:ディアスポラ・預言の終焉
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2096
彼らはいったいどこから来たのだろうか ?
1.
旧約聖書によるとソロモンの時代にユダヤ人がアラビア半島地域に移住したとされ、今日のアラビアの地名であるWadi Jauf やWadi Sirhanと同一視される。
2.
“シバの女王の求めに応じてユダヤ人の職人がイエメンに赴いた”という説もあれば、そもそもシバの女王がソロモンを訪れたのは、彼の叡智についてユダヤ人商人を通じて知ったからだとも言われている。乳香などの交易関係がイスラエルの地と南アラビア半島地域に確立されていたのは、聖書の記述からもうかがうことができる。
3.
口伝によれば、ヘロデ王の神殿が破壊される42年前、紀元前722年頃にイスラエル王国の衰亡がはじまった頃にアラビア半島南部への移民がはじまったとされている。伝承によれば大予言者エレミヤに従って、7万5千人のユダヤ人がエルサレムからイエメンに移住したとされている(ウィキペディア参照)。
こうした様々な伝承は大変興味深い。問題はその伝承の信憑性というよりも、ユダヤ人のディアスポラがそこにあった事実だ。そして、オリジナルに近いヘブライ語を継承しているイエメン系ユダヤ人の起源をめぐっては、聖書の記述以外にそれを説明するものはほとんどない。
より科学的な検証によれば、アラビア半島南部に移住したユダヤ人は同一の故郷を持っていたというわけではない。先住民としてそこに住んでいたイエメン系のユダヤ人に加え、古代イスラエル王国、バビロニア、ペルシア、エジプト、シリア、そしてスペインや北アフリカなどからも入植があったようだ。
考古学的に証明できるのは、西暦4世紀のものと思われるユダヤ人の碑文とアラビア半島の各地で発見されたシナゴーグが最古のものとなっている。4世紀半に栄えた後期ヒムヤル王国の時代には、国家として一神教を崇めた時代があったというが、それがユダヤ教であったのかは定かではない。
ヒムヤル王国最後の王(滅びたのは西暦525年)であるDhu Nuwas(Yūsuf ʾAsʾar Yaṯʾar)は、確実にユダヤ教徒であったことが分かっている(他の説ではその前任者であるMa'adikarib II. Ya'furも)。彼が率いた帝国は、最終的にビザンチン帝国を後ろ盾としたキリスト教国家であるエチオピアのアスクム王国によって滅ぼされることになるのだが、それ以前の歴史となると立証できる資料などの数は非常に少ない。
ただ、この辺りの事情を調べてみると、自分が見ている方角が逆なのではないかと感じる事もある。
つまり、イエメンのユダヤ人は・・・
すでに文明を築いていたメソポタミア周辺やシリア・カナン地方などから入植してきたのではなく、
元々 そこ にいたのでは?・・・と。
つまり、上記ヘロドトスのフェニキア人に対する記述のように・・・
南アラビア半島こそ、
ユダヤ人の発祥の地ではなかったのかと・・・?
今を遡ること60余年、約束の地にイスラエルが建国された。私はこの時にキリスト教とユダヤ教を合体させるシステムが完成されたと思う。イスラエルは約束された地への帰還ではなく、キリスト教徒とユダヤ教徒がコインの裏表として機能するためのプロミス・ランドとなっている。イスラエル建国宣言に対して打てば響くように答えた唯一の大国アメリカは、キチガイ沙汰ともいえる巨額の軍事費をイスラエルつぎ込んで行く。イスラエルは見る間に軍事大国に変貌していく。その陰にはいわゆるユダヤロビーの蠢動があったといわれていが、しかしユダヤロビー=ユダヤ教徒とは限らないのである。私は狂信者の化けの皮を被って、キリスト教徒とユダヤ教徒を自在に操る覚めた集団がいると考えている。
イルミナテイ人委員会、フリーメーソンのピラミッド階級、すべてを見通す目、ユダヤ悪魔教、シオンの議定書、タルムードを小道具として用いる、信仰を持たない非常に冷徹な一群、おそらく100人にも満たない真の寡頭勢力がいると私は考えを改めている。つまりキリスト教徒とユダヤ教徒の二元対立はmajickのタネで、真のマジシャンはユダヤ悪魔教徒をネタとして使う、彼ら覚めた一群であると。マジシャンたちは二元対立のバリエーションを自在に操る。その一例がサブラとシャテイーラの二つの難民キャンプ虐殺である。この事件の真相を知るとき、キリスト教とユダヤ教の対立は建前に過ぎず、両者はすでに60余年前に合体していることが分かるのである。(私......というネタ元は不明です)
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