達人さんのサイトより
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/gamenotatsujin/379.html

チラムバラムの預言書:その1 

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FUNABU・KU(フナブ・ク)とはヤーウエ神であり,無形の最高神。FUN(フン)とは1のことで,ABU(アブ)は存在するという意味。またKU(ク)は神でマヤ唯一の真実の神(ハハル・ク)である。バガブの四神(カン・ツイオナル,ホサネク,ホブニル,サク・シミ=フナブ・クの子供たち)とチャク(チャック赤,エク黒,カン黄,サク白の各チャック)が立ち上がり,天が落ち,大地が崩壊,そして大洪水が起き,世界は一旦終わらなければならない。(Chilam Balam<チラム・バラム>Les Propheties du Chilam Balam・by J・M・G・Le Clezio<ル・クレジオ著チラム・バラムの預言より)

 1786年,マヤ文明の遺跡バレンケに到着したスペインの宣教師アントニオ・デル・リオは密林に埋もれた遺跡を見て,これほどの文明を築けるのはギリシャ・ローマの影響なしには考えられないとし,「ローマの芸術的理念を踏襲した可能性がある」と誤った報告をした。(創元社:知の再発見より)

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            コパンの石碑の神々

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イラスト:シブヤユウジ  マヤの遺跡はピラミッドとの関連は全くない。マヤ人にとっての奇跡は時間との調和であり,時の車輪の運動のみである。一年はクケブ(回る),一年の最初の日が四度目にカン(ブク・ショクの車輪=ムルク・カワク・ヒシュ・カン)に戻るとき,13年が経過する。車輪の日がそれぞれ四度目に元に戻るとき,52年の車輪(マヤの大陰暦)が回っている。13カトウンの車輪はアハウ・カトウン(260年)の車輪である。20キン(日)は1ウイナル(月)(20日),18ウイナルは1トウン(年)(360日と5日),20トウンは1カトウン(7200日),20カトウンは1バクトウン(144,000日),20バクトウンは1ピクトウン(2,880,000日),20ピクトウンは1カラブトウン(57,600,000日),20カラブトウンは1キンチルトウン(1,152、000,000日),20キンチルトウンは1アハウトウン(23,040,000,000日)

 金星の基点の1アハウの日は,一ヵ年584日の金星暦65年の最後にあたる金星出現の日で一ヵ年260日の大陰暦146年の最後の日,一ヵ年365日の太陽暦104年の最後の日と一致する。マヤの天文学者は金星暦では61年の周期ごとに最後の年から4日を引き,5番目の周期の57番目の年の終わりから8日を引く。その誤差は481年間で二時間以内にすぎない。暦を恒星時間に合わせるには,GMTにしてから恒星時間を関数計算しなくてはならない。これは古代マヤ(メキシコのチェチェンイッチャ市にある回転式展望台で)の占星学に用いられた。
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 メキシコ・チェチェンイッチャ市に残る古代マヤの回転式天文

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      古代マヤ族の日食・月食の説明

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古代マヤの預言書と思われるが,これは占星学の本。占星術とは根本的に違う。関数計算が必要。

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古代マヤにある石碑文・神聖刻印文字(絵文字)写真:八杉佳穂氏

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     マヤの数字・新潮社刊:マヤ神話より

        下記は参考として読まれることをお薦めします。

 マヤ神話とポールシフト

 内核回転推定一覧表

「話の途中ですが。」  
 「チラムバラムの預言」その2のつもりでしたが,昨日20時から見たBSビジョンで「出エジプト記」をやっていたので,そのまとめをちょっと。
 イスラエル人のレビ族の父アムラムと母ヨケベットの子がエジプトで生まれた。イスラエル人が増えすぎることを懸念したファラオはイスラエル人の生んだ男の子を殺すように命じた。この男の子は葦舟に乗せられナイル川に流された。小さな支流で男の子はファラオの王女に拾われ(マーシャー=救う)モーゼと名付けられた。王女はNefertari(ネフェルタリ)でファラオはラムセス二世ではないか?

 さてこの「出エジプト記」は旧約聖書の物語の謎解きで興味深いものであった。監督はジェームズ・キャメロン。1947年にエジプト・カイロ博物館の地下にある石碑にイスラエル人奴隷迫害やエジプト人に起こった災害などファラオ・アフネス二人のうちの妻のミイラが発見されたが,モーゼの印章の証拠がみつかった。それは月が生まれた/モーゼの兄弟と書かれていた。モーゼはファラオの地位を約束されていたが,モーゼとアフネスは対立していた。

 出エジプト記はラムセス二世がファラオの時であったが,BC1700年ごろイスラエルは奴隷としてやって来たが,200年後のBC1500年エジプトから追放された。時期的にちょっと食い違いがある。ベニサハンの墓(BC1700)には古代イスラエル人の移住を描いた壁画がある。彼らはアモ(神の民)とされる。ヤコブ(後にイスラエル)と正妻レケルの息子ヨセフはすでにエジプトにいた。ファラオから授かる印章にはヨセフと描かれていた(アバリスの遺跡から)

 イスラル人がトルコ石の採掘の奴隷として弾圧を受けた証拠に,シナイのセビラート・エルハーデムにL(イスラエルの神)よ救いたまえという奴隷の書いた文字が発見された。「出エジプト記」には10の災害がある。大洪水や血の海,大噴火などなど。血の海や川は,ガスによる水中の錆びであり,モーゼが奴隷を率いて逃げる際に,海が真っ二つに割れたことは,直前にサントリング島の噴火と地震で中心が突起し盛り上がり道が出来てモーゼたちは海をなんなく渡った。後を追う兵隊たちには今度は200メートルの大津波が襲いかかった。モーゼたちはすでに海を渡っていたので難を逃れた。その他の災害として氷と炎のヒョウが降ったり、イナゴの大群や噴煙の火山灰によって暗闇が訪れた。(パピルスの巻物に書かれている)ところでこれはドキュメンタリー番組であるので,モーゼがシナイの山で十戒を授かった山を特定できたことは素晴らしいが,奴隷の書いた文字はやらせであろう。ヘブライ文字は西セム語であり,ここに書かれていた言葉が何語であるかの説明は全くないのだから。真実とは目に見えないもの,これは星の王子様の話だが見えるようにした石碑などの存在そのものは疑ってかかったほうがよいだろう。

 旧約聖書「出エジプト記」第10章に,海が二つに割れるシーンは三つの波,二つのナイフと書かれている。当時の海は現在ナイルデルタの端にあるエルバラ湖である。シナイの山でモーゼが十戒を授かった山は南北のルートではなく,「申命記」にあるティムルから45キロのカデシュバルネア(KadshBarnea)であった。またエジプトを脱出しギリシャのサイトリング島までの航海の記録は残されていないが,エジプトからモーゼとともに脱出した中に,ギリシャ人もかなりおり,ギリシャミノス文明と古代オリエント文明は交流があったことが分かった。

 
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葦舟でナイル川支流を流れていたモーゼを拾ったとされるネフェルタリ王女(王はラムセス二世)

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    ラムセス二世のアブ・シンベル(ABU SIMBEL)宮殿

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アブ・シンベル宮殿内部。セト神(左)とホロス神(右)の中央に立つラムセス二世。

いずれにしても吉村作治先生のHPを見たほうが早いかも,でも肝心な「出エジプト記」とかモーゼとか全くないんだよ。ピラミッドの内部がどうなっているなんてもういらないのに,そればかりやっている。モーゼを葦の舟から拾ったのは,ラムセス二世の第一王妃ネフェルタリでいいのかい?
 
「ニーベルンゲンの指輪 その7」 
 
 
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 写真はNEBI MUSAの空中写真。聖職者が触れたがらないモーゼの墓(MUSA=MOSES)である。(Nebi Musa - Arabic: Nebi=prophet, Musa - Moses. Also spelled: Nabi, Neby.)ムスリムとキリスト教の対立,あるいは,資本主義と共産主義の対立......何のことはない。そのa defact SYNTHESISは「テーブルの下で握手をしているお友だち」なのである。イスラム教とキリスト教も元を辿ればアブラハムに行き着く。テロ組織なんてのもお友だちさくら団体。それはイスラエル盟主の下請けとしての食扶ちなのですよ。
 

<転載終了>