ザウルスの法則さんのサイトより
https://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/1c6d9053e5ab825f06c8b2e7997ae733
昔は隣組という密告制度があったようですね。
<転載開始>

日本人の行動原理

 

 

理想的な監視社会

中国における非人間的な監視社会化を見て中国人がロボット化していると思ったら、大間違いである。中国には必ず反逆者が現れ、抵抗勢力が戦う。

国民のロボット化に関してはおそらく日本が世界のどの国よりもスムーズに進むことだろう。日本では強権的な監視や管理は不要で、反逆者が現れる伝統もない。

中国的監視社会では密告が奨励され、国民は「相互監視」をする。しかし、日本ではそうはならない。日本人は「自己監視」して、「自粛」するからだ。

 

 

 

 

日本人にとって「ヒーロー」とは?

日本人のヒーロー像は、反逆者でも解放者でもない。日本人にとっての美徳は「忍耐」と「努力」であり、それは奴隷の美徳である。けっきょく支配者に与えられた美徳である。支配者が大衆を操作しやすくするために時間をかけて練り上げてきた「美徳」なのだ。違うだろうか?

弱音を吐かず、歯を食いしばってひたすら走る マラソンランナーが日本人のヒーロー像に近い。奴隷としては、こういう人間が理想ではないだろうか?

 

 

日本にはこういう人間がいるだろうか?

 

 

 

奴隷=ロボット=日本人?

奴隷とは、命令された通りに機械のように動く人間である。ロボットは人間のように動く機械だ。 ロボットは機械で、奴隷は人間だと言うひとがいるだろう。たしかに素材は違う。しかし、機能は同じだ。どちらも道具であって、自分がしていることの意味や目的を考える必要はない。日本人がまさにそれだ。

「無私の精神」というと上等に聞こえるが、自分のしていることの意味もわからず、上からの力(権力)を端末に伝えるだけの歯車として機能しているだけだ。「最少の摩擦」「最大の伝導率」の人間が、高い社会的地位を得る社会だ。

 

 

 

 

 

日本人の行動モデルとしての阿波踊り

「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損」

「踊らされるのはバカ」はいいだろう。しかし、踊らされないのも、むりやりバカとしている。やはり、踊らされない少数派がいるのが気になるのだ。

そこで、どっちも阿呆だけれど、踊っている方は「損」を回避しているぶん賢いんだと言いたいのだ。つまり、踊らされない人間は、以下の「損失」をこうむっているぶんだけ、より阿呆なんだと。しかも「損、損」と繰り返している。

損1は、タダの接種をしないのは損?

損2は、「大勢に順応しないのは不利」?

いずれにせよ、浅はかな損得勘定が行動原理?


<転載終了>