KNESTinc.(marisco)さんのサイトより
https://ameblo.jp/knest-kitano/entry-12802480671.html
<転載開始>

『 驚異の超科学が実証された 』

~ 精神エネルギーの奇跡 ・ その真実 ~
政木和三

 

 

 

あとがき

 

 

ーーー わが人生に悔いはなし

 

 

 

 本書は、私自身の周辺に起きた超常現象の事実を網羅して、諸兄にその判断を仰ぐものです。

 私は七七歳となり、いつあの世に旅立っても不思議でない歳です。

 若い頃、人の数倍の働きと苦労をしたために、六〇歳を過ぎてから、たとえようもない幸福感に満たされています。

 大阪大学時代の四十数年間は毎日が向上進歩の連続でした。

 航空、電気通信、建築土木、応用化学、発酵、造船、精密工学科の各学科で教わり、医学部にも数年間お世話になり、人間の神経の研究によって現代科学の未熟さを痛感させられました。

 また、工学部に戻っては、一般力学の研究室に入り、

 『真理は自然のなかにある』

 ことを教えられ、私の発明の大きな力の根源となりました。

 終戦後は、週の半分を大阪大学医学部で過ごし、シンプルな発明品が九〇〇以上も生まれました。

 このような広範囲の研究ができた要因は、友人の研究の手助けをしたからでした。

 専門外の友人のために尽くした努力があとになって

 『情けは人のためならず』

 のことわざのとおり、自分に戻ったものだったわけです。

 若いとき、人のために苦労したおかげで、いま、多くの人々に深く愛され、幸福感いっぱいの人生を送っております。

 若いときの苦労は進んで求めるべきであることを、いまの若い人々に伝えたい気持ちがこの著書となりました。

 私は、大正五年(一九一六年)、兵庫県の山奥の瀬加村(現、神崎郡市川町)という所に生まれました。

 小学生のとき、町から来た先生が

 『洗濯物を乾かすときは、こちらの山から向こうの山へ、竹竿を渡せばよい』

 といったほどの山間の村だったのです。

 幼少の頃は少し吃音(きつおん)者の傾向があったのでそれを治そうとして、腹式深呼吸をはじめました。

 それをはじめてから数年で、千里眼といって、目を閉じたまま部屋の内の物がみえ、ふすまの外の風景もみえるようになりました。

 そうすると、ある人から、

 『そんなことをしていると、早く死ぬよ』

 といわれたので、止めることにしました。

 また、一一歳のとき、ピアノが自然に弾けて、三八〇年前の曲を弾いていました。

 それを平成二年(一九九〇年)に作曲し、平成三年(一九九一年)八月二七日に大阪ロイヤルホテルでの演奏会となりました。

 私の生家には、六五〇年前にさかのぼっても記録が残っています。

 私の先祖は、何千年の昔、

 『空に羽衣が飛ぶのを追いかけよ。

 そして落下した場所にお宮をつくれ』

 という神示によって、この山奥に住みついたと郷土史に記載されています。

 その宮には観音像がありましたが、いまから二〇〇年前に火災にあったとき、なかにあった観音像だけが、ひとりで飛び出して、池に落ち、それが市川町の朝日寺に残っていて、

 『焼け逃げの観音』

 といわれています。

 私の周りには昭和五〇年代に数体の仏像が空中から発生していますが、私の家は昔から観音様に深い縁があったようです。

 さて、話は元に戻ります。

 小学校、高等小学校と終わったとき、私は工業学校へ行きたくて、単独で村を飛び出し、神戸に行くと、目の前にラジオ研究所があったのでした。

 そこでの一年間で、無線機の基礎を習得し、工業の町・大阪で、工業学校、高等工業を卒業しました。

 高等工業卒業のとき、講師でもあった大阪帝国大学の教授が、

 『君は特異だ。

 阪大へこい』

 とおっしゃったことによって、大阪帝国大学工学部航空学科の研究生となり、通信工学科の講義を受けながら、得意のエレクトロニクス技術を航空工学に応用しました。

 昭和一五年(一九四〇年)“赤紙”がきて出征し、八日市の飛行部隊では電気班となり、週一回は阪大へ研究のための出張という変わった兵隊となりました。

 一年後、阪大の要請により召集解除。

 三つ星の上等兵で阪大へ戻りました。

 昭和一八年(一九四三年)、東條英機首相に面会しました。

 そして内閣から戦時研究員として任命され、上等兵から九階級特進の中佐待遇となり、赤斜線の入った身分証明書をいただきました。

 このようにして、若いときに、工学と医学をやったおかげで、発明品には、昭和一五年(一九四〇年)のエレキギター(電気ギター)、一九年(一九四四年)の自動炊飯器(昭和二七年、朝日ニュース映画にて上映)、昭和二八年(一九五三年)一月に新聞に報道された格安テレビの試作、そして昭和三五年(一九六〇年)の神経波治療器ビメークなどがあります。

 専門がなく、なんでも屋型の発明をしてきました。

 そして、昭和四八年(一九七三年)からは、超常現象が我が身の周辺に続発し、口からの真珠の発生、仏像の出現などが起こり、人間性測定のフーチパターンも発明しました。

 さらに昭和五〇年(一九七五年)以降は、新製品の発明がインスピレーションによって瞬間に実現し、一か月に数件の特許出願をしたこともあります。

 仏像の出現など

『無から有の現象』

 は、一般の人々に何の幸福も与えませんが、新製品の発明は、

 同じ

 『無から有』

 でも、

 多くの人々に幸福を与えるものだと教えられました。

 この新製品の発明は、目先の欲望をもたず、脳波をシータ波にした瞬間に実現するものです。

 私は今後も世の中の人のために役立つ間は、目先の欲望を捨て、過去完了形の発想を説き、人々に幸福を与える多くのものを生み出していきたいと考えています。




驚異の超科学が実証された
KOSAIDO BOOKS
初版発行:平成5年4月15日
13版発行:平成6年11月30日
著者:政木和三
発行者:櫻井道弘
発行所:廣済堂出版
    〒107 東京都港区赤坂 6-17-5
    電話 03(3584)7610(営業)
       03(3584)6123(編集)
    振替 00180-0-164137
印刷所:株式会社 廣 済 堂
編集担当:松田順三
ISBN 4-331-00604-2 C0240
© 1993 政木和三
Printed in Japan

 

 

 

 政木先生とのご縁の始まりは、
令和元年七月一日に他界しました昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり、
(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご教授を、家族ぐるみのご近所付き合いの中で個人的に無償で賜ったそうです)
その後、御晩年には、政木先生の素晴らしいご発明品の集大成のひとつとして
“世のため、人々のため”に御余生をかけ陰徳にご尽力なさいました
超強力 神経波磁力線発生器
(改名機器、インパルス磁力線、そして、Mリング。すべての御販売は㈲政木研究所、㈲ケントにて)
の製造に至るまで、数々のお仕事をお世話頂き、
政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いを賜わり、
今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。

 

 

 政木和三先生の廃刊御著書

 

『 驚異の超科学が実証された 』

~ 精神エネルギーの奇跡 ・ その真実 ~

 

を掲載させていただいています。

 

 

 

 政木先生の御教えである

『目先の欲望を捨て去り、世のため、人々のために尽力せよ!』

との仰せを引き続き継承するため、

今後も少しずつではありますが、

何度も何度も繰り返す、日々の心の学びの礎として、

政木先生の御教えのすべてをこれからも紹介させて頂きますので、

皆様には引き続きのお付き合いの程、

何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

深謝

m(__)m


<転載終了>