https://ameblo.jp/namachocoponzu/entry-12808794439.html
<転載開始>
こんにちは!生チョコぽん酢です。
日本に帰ってきて1週間ほど経ったので、そろそろエネルギーの話を書かせてもらいますね。
スピリチュアルな話になりますが「くだらねぇ」と思わず、ぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです。
私は先日まで1週間ほど海外で過ごしていました。
海外に行く前は、実は気が狂いそうなほど精神状態が良くなかったです。
その理由は日本にいると感じる変なエネルギー。
どのような症状か伝える為に自己分析してみたところ、大体3つの症状が重なっているように感じられました。
1)頭が熱い
まるで頭だけ電子レンジに入ったかのように少し重くて熱い感じです。
特に頭のてっぺんに違和感があって、頭のてっぺんから鋭いエネルギーがズボッと入ってきているような感覚がしていました。
2)ソワソワする
心が落ち着かないソワソワしている状態です。
何か悪いことが起こるのではないかという胸騒ぎのようにも感じておりました。
3)体全体で感じるエネルギー
これは昔からあることです。
全身でエネルギーの浪費を感じたり、逆にエネルギーの充電を感じたり。
人ではなく土地からも同じ現象が起こるので、これによって良いエネルギーとか悪いエネルギーとか、その土地(地域)を評価したりしてきました。
(3)は子供の頃から感じているもので経験則も多いぶん一旦置いておきますが、ここ最近は(1)(2)が突然生じてきており、平常心を保つのにも結構苦労をしていました。
今思えばそのせいでかなりイライラしていましたね。
それで、その原因について自己分析した結果は、
・自然災害や何か大きな変化の前触れなのではないか
・周りから送られてくる感情?思念?なのではないか
・5Gなどの電磁波の影響なのではないか
おもにこの3つです。
電磁波のことは今回は置いておくとして、良い事や悪い事の前兆として胸騒ぎがするなんてことは、誰もが経験していることだと思います。
私の場合は終始その感じが続いていたので、とてつもない大きな変化が起こるのかな?とか、悪い方に考えてしまっていました。
また、周りからの嫉妬や妬み、逆に好意なんかを感覚として受け取る経験も、誰もがしていることだと思います。
私の場合は敵を作るようなブログも書いているわけだし、当然と言えば当然かなと思っていました。
こんなものはスピリチュアルでも超能力でもないのです。
噂をされたらくしゃみが出る的な、他人の視線に気づく的な、人間なら誰もが日常的に経験しているエネルギーのお話ですからね。
しかし。
これは日本を発つ前の自己分析。
海外に行ってみると、もっというと成田から飛行機で飛んだ時点で、こうした嫌な感覚がピタリと消えたのでした。
海外で過ごす間も特に何も感じることがなかったので、この時点では日本に起因しているのだなと思いました。
そしていざ日本に帰国して1週間過ごしてみて思うのが・・・
ほとんど何も感じない
日本に起因しているわけではないのかもしれません。
あ、補足をしますと(3)は今も昔も人間関係や地域(土地)によって確実に存在していますよ。
具体的な地名は書きませんが、やばい地域は長居することができないほどエネルギーが吸われて?乱されて?寒気がします。
でも(1)(2)については概ねリセットされているのです。
本当に不思議。
それで思うのが、これって魂の導きの話なのかもしれないなと。
「うさんくせぇ」と思うかもしれませんがぜひ聞いてください。
人の魂は、常に何かに導いてもらっています。
だから魂の求めるままに生きている少年・少女のような人って、自己実現が出来ているのでとても幸せに見えますよね。
しかし我々は(特に日本人は)理性的・社会的に生きようとするあまり、自身の魂の衝動を押さえつけて生きている人がほとんどなのです。
私の場合は自分を抑えることが出来ませんから、突然こうして海外に行ったり、仕事を辞めたり、引っ越したり、常識的に計画的に生きている人からみたら驚かれるような行動を時々してしまいますが、それは正常なことなのだと最近は理解しています。
私は「抑えることなどできない」と表現しましたが、その衝動を理性で抑え込もうとするとき(1)(2)のような症状が出てくるようなのです。
そう、つまり私は魂の導きに対して抗っていたために、あのような症状に襲われていたのかもしれない、という説。
あの時は海外に行くべきかどうか、かなり悩んでいましたからね。
今になって思えば、私の症状が出始めたのが、丁度日本を含め、いくつかの国でコロナ入国規制が撤廃された時期とシンクロしているのも納得です。
あれは「そろそろ行動する時だよー」というサインだったのかもしれません。
魂が海外に行くこと、様々な体験をすることを求めていたのかもしれない事を、日本に帰ってきて気付かされるのでした。
知っていることのはずなのに、つい忘れてしまうことってありますよね。
コロナ禍に入り、更に多くの人が魂の求めに応じることをやめてしまっていると感じるのです。
人間死ぬときは死にます
人間は死ぬために生きているわけですから、生きている間にどう死ねるかが大事なわけです。
つまり人間は生きている間は生きていることに意味があるわけで、生きている間になすべきことがあるということ。
それによって死を受け入れられる準備になるし、死に意味をもたせることができるわけですね。
生きている間の感情は、そうした内なる自分の声は導かれている場合が多いわけですから、基本的に素直に従って生きていくべきなのです。
一方でこの世には悪魔という存在もあります。
悪魔が悪いわけではなく、善悪の対極する概念(表裏一体)があるから存在しているだけではありますが、時として悪魔による導きも起こり得るかもしれません。
そうした時には理性を働かせて抗う必要があるのでしょう。
悪い衝動ばかりに感情を動かされる人間になってしまうと存在自体が陰になっていき、多くの善良な人々に迷惑をかける存在に成り下がってしまいます(薄汚れた魂になってしまう)。
自分は自分の人生における主人公ですが、周りの人間も自身が主人公の人生を生きているので、この世は調和こそが何よりも大事ですからね。
また、上記と関連することで、コロナ禍に入ってからというもの、健康意識が高まっています。
それは良い事ではあるのですが、対極するもう一方の概念を生み出していることにも注意を払いましょう。
当初から言ってきたように、真ん中がいつだって正解なのです。
辛い物を食べたら甘い物が食べたくなるように、スリリングなアクション映画を観た後は心温まる恋愛映画が観たくなるように、
良い行いをすれば必ずそれに応じた悪いアクシデントが起こるし、正しい行いをすればするほど正しくない行いをしている自分に気付いてしまう。
こうやって本来何もない、何も存在していないものを観測する為に我々には感情が備わっているのです。
その感情を押し殺すことは、無と同義。
そしてどのような生き方をしたところで、最後は死というゼロに帰結します。
だから恐れを捨ててください。
「恐れるもなにも、死ぬために生きているのなら、我々はなぜ生きているの?」
と思うかもしれません。
その疑問に対する私なりの結論は、我々は観測者として生きているということです。
おわり
<転載終了>



