https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/8dbc3e0077412aee585577ac7c83ce68
<転載開始>
死に至る断食~ある博士論文より
file:///C:/Users/james/Downloads/da010010.pdf
以下は世界史の窓より
書籍案内 |
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中村元 『古代インド』 2004 講談社学術文庫 |
ジャイナ教
前6~5世紀、仏教と同じころ生まれたインドの新宗教。ヴァルダマーナを始祖とし、徹底した不殺生を説く。現在もかなりの信者が存在する。ジナ教ともいう。
ジャイナ教では精神と物質の二元論にたち、宇宙は生命と非生命から成り、生命は上昇性があって一切知であり幸福であるが、非生命は下降性をもち業の力で周囲に付着して輪廻の原因をつくるという。人間が輪廻を解脱するには、正しい生活を送り、苦行によって業を消し去ることが必要であると説く。苦行を否定しないところは仏教と異なる。また生き物を殺すことは厳しく禁止され(不殺生戒)、信者は殺生を避けるために生産活動から離れ、商業に従事することが多かった。
ジャイナ教の特色
「ジャイナ教」とは「ジナ(勝利者)の教え」という意味であるが、その勝利とは煩悩にうち勝つことで、戦場で敵に打ち勝つことよりも難しい。開祖ヴァルダマーナはマハーヴィーラとも言われるが、それは「偉大な雄者」の意味で、煩悩にうち勝った真の勝者とされた。彼は現世を業(ごう)に束縛された悲惨な状態とみて、そこから脱して永遠の寂静・至福の状態に達するには極度の苦行を実践して霊魂を清めることが必要であると教えた。仏教徒は似ており、姉妹宗教とも見なされるが、異なっている点も多い。最も異なる点は「苦行」と「不殺生」である。(引用)初期のジャイナ教の行者は無所有の戒律を厳守した。いっさいの所有を否定した結果は、衣類を身につけることも禁じることになる。彼らは真っ裸で暮らしていた。そして、現代もなおそうした行者が山奥にいて尊敬されているということをきいいて、わたくしは半信半疑でいたが、1956年にデリーでひらかれたジャイナ教徒の大会において、現実にそれを目撃することができた。会場では、裸の行者が坐って司会をしていた。そして、立ち上がって去るところを見ると、真っ裸で、ただ手に払子(ほっす)をもっているだけであった。<中村元『古代インド』初刊1977 講談社刊世界の歴史5 ガンジスの文明 2004 講談社学術文庫 p.115-116>
現在のジャイナ教
ジャイナ教は、農業や畜産業は不殺生の戒を破ることになるので、商業に従事するものが多かった。現在でもインドに約400万人の信者がいるが、商人と金融業者に多く、コルカタ(カルカッタ)のジャイナ教寺院は富裕な信者の寄進で豪壮な建物となっている。Episode マスクをするジャイナ教の修行者
ジャイナ教は徹底した不殺生を教義としているので、その修行者は、虫も殺すことが出来ず、気づかすに殺生をするおそれがあるのでマスクをし、歩くときは虫を踏みつぶさないように箒で前を払いながら進む。不殺生を徹底して守れば死んでしまうが、それも最も重要な修行とされた。またジャイナ教が商人や金融業者に多いのは、彼らは不殺生戒を守っているので農業や牧畜を嫌ったからである。それも行商などに出ると荷車で 虫をひき殺してしまう恐れがあるので、出歩かなくてもよい小売商や金融業を営んだ。不殺生の思想
不殺生の教えは特にジャイナ教の始祖ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が厳しく教えたことであるが、仏教やヒンドゥー教にも影響を与えた。4世紀ごろからバラモン教の儀式中心の形式主義を批判して、宗教としての体形を整えたヒンドゥー教においても、不殺生(アヒンサー)は重要な教えとして位置づけられ、特に『バガヴァッド=ギーター』での不殺生の教えは、後のガンディーのサティヤーグラハの思想に強く影響を与えている。7.ジャイナ教
(1)ジャイナ教とは
①ジャイナ教
・ 仏教と同時代(B.C.5 世紀頃)に開かれた、インドの宗教の一つである。
徹底した苦行、禁欲、不殺生の実践を重視する。
②ジャイナ教徒に該当する国民
・ ジャイナ教徒は、インド以外の国にはほとんど存在しない。インド国内に
は数百万人いるとされ、ほとんどが商業、特に宝石や貴金属を扱う仕事に
就くという伝統がある(経済的に大きな影響力を持つ)。
(2)ジャイナ教
①食に対する意識
・ 宗教が生活の土台となっており、食生活を含め、個人の宗教や信条を遵守
する。食事の規制事項があり、口に入れる食材に対して非常に気を遣う。
・ 不殺生を教義で重要視しているため、日常生活の中で、あらゆる生物(動
物、植物)を殺したり、誤って傷つけたりしないように、細心の注意を払
う。
②日常の食事パターン例
・ 厳格なジャイナ教徒は、誤って虫を殺さないように、火を使って調理する
ことを避け、また調理と食事は日中(手元の明るい時間帯)に済ませる。
・ ジャイナ教では、断食がしばしば行われる。
③ジャイナ教徒の料理の特徴
・ 生物全般が食材に使えないため、豆類、葉野菜と茎野菜(根菜以外)を中
心とした食事になることが多い。
④食に対する禁止事項と嫌悪感
-肉全般、魚介類全般、卵、根菜・球根類などの地中の野菜類、ハチミ
ツ
※インド(インド以外の国にはほとんど存在しない)。
※一切の肉食(肉類、魚介類)が禁止される。卵も食べない。
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※厳格なジャイナ教徒には、肉類を料理した調理器具が使われること
を忌避する人もいる。
※「鰹節の出汁」も対象であり、注意が必要となる。この場合には、「昆
布出汁」などの野菜や海草を使った出汁を取る必要がある。
※「ブイヨン」「ゼラチン」「肉エキス」には鶏・牛・豚・魚の肉や骨
が使われており、調理時に注意する必要がある。
※「バター」(牛乳の脂肪)、「ラード」(豚の脂肪)、「ヘット」(牛の脂
肪)、「魚油」、「馬油」などの動物性脂は、調理時に注意する必要があ
る。「植物性油」を代用するとよい。
※厳格なジャイナ教徒は、土を掘り起こして小生物を殺すことを避け
るため、根菜(大根、にんじん、ゴボウ、カブなど)も食べない。
※厳格なジャイナ教徒は、ハチミツも口にしない。
⑤ジャイナ教徒に対して良いおもてなしをするための推奨事項
<食事内容>
・ 人によって宗教上の食の禁止事項が存在することがあるため、相手の食べ
られないものを事前に把握しておくことが望ましい。豆類、葉野菜と茎
野菜(根菜以外)を中心とした食事を組み立てるとよい。
<サービス>
・ ジャイナ教徒の特性を理解したうえで、食べられない食材について必ず確
認する。個別の対応を取ると喜ばれる。
<情報提供>
・ 料理の食材が明確でないと安心して食べることができないため、オーダー
を受ける際には、料理に含まれる食材・含まれない食材(肉、魚、卵、
乳製品、根菜など)について説明するとよい。
⑥食事以外の禁止事項
・ 厳格なジャイナ教徒は、誤って空中の虫を口の中に入れてしまわないよう
に、マスクをして歩く。
・ 厳格なジャイナ教徒は、誤って足下の虫を踏みつぶしてしまわないように、
座る前に足下をほうきで掃く。
カンリン・ポチェと祈り
人間のこころの傷を癒そうとしたユングと、苦悩からの救済を試みるタントラ仏教の共通点と相違点を明らかにすることで、この2つのシステムが、現代人と現代文明に対してどのような役割を果たせるのかを探る。ユングの集合的無意識と仏教のアラヤ識との対応、錬金術との関係などを考察する。
曼荼羅について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85
チベットでは、須弥山を中心とする全世界を十方三世の諸仏に捧げる供養の一種を「曼荼羅供養」と称し、この供養に用いる金銅製の法具や、この法具を代替する印契に対しても、「曼荼羅」の呼称が使用されている。須弥山(カンリン・ポチェ)を二つに割ったものが曼荼羅と言われている。
http://web.archive.org/web/20080101215356/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/396.html


ナスカの地上絵の黄色いこまうぐいす・シブユユムはカンリン・ボ・チェ山の頂上に聳え立つ天空に120キロにわたって君臨し,時折,降りてきてはタルチョの願いを叶えるという。その換わり死んだ時,シブ・ユユムの空腹を満たすために,肉を捧げなければならない。

ラサからカイラスまでの旅


チベット、青海、雲南、四川、甘粛、モンゴルの数千万人の仏教徒やボン教徒、インド、ネパールの10億に及ぶヒンドゥー教徒やジャイナ教徒が、それぞれ聖山と仰ぐ山がチベットの奥地にある。チベット語でカンリンポチェ(尊い雪山)とよばれるカイラス(サンスクリット語でカイラーサ)山である。
各地から巡礼が訪れるが、今年は12年に一度の巡礼年。とりわけ巡礼者が多いという。わたしたちも誌上で巡礼に加わって、いっとき巷の暑さを忘れよう。
以下省略


谷内六郎作 子供が話を聞いているのはお釈迦様か?
後ろの山は聖なる「須弥山」であることは確かだ。

「僕の隣の国の顔の違う人たち」のHP「五体投地」より。

Rainbow・虹

死につ
インドで空海は弟子に質問をされた。「空海殿,不老長寿の薬はありませぬか?」空海は答える。「作ってしんぜよう。ただしな,条件がある。もし近所の家を周って,死者が出たことがない家があったらの話だ」
それ故に賢者は世の成り行きを知って悲しまない。
厳密に言えば,アダムは何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り,善と悪の区別を意識するのだ。同様に歳を取ってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもとに,悲しい真理を発見するのだ。ウラジミール・ジャン・ケレビッチ La Mort(死)第一部第4章より。中沢紀雄訳。

西伊豆「黄金崎の夕焼け」
なにがさ?
永遠というもの
没陽(いりひ)といっしょに
去ってしまった海のことだ
一すじの熱情から
繻子(しゅす)のおき火は
あっ,とうとうとも言わずに
燃え尽きて消えてゆくのだ
とうとうみつかったよ
なにがさ?
永遠というもの
没陽といしょに
去ってしまった海のことだ
ランボー詩集「永遠」より

チェンマイの少女に詩人は語りかける。星あかりで,君は今も,夜になると,君が摘んだ花をさがしにやってくると。またながい被衣(かつぎ)とともに水を臥床として色白なオフェリア姫が,大きな白百合のように浮いていたのを見てきたと。 (オフェリア3章より)享年17歳。永遠の海・ロッブリの寺院にて眠る
この世に神がおられるならば
http://web.archive.org/web/20080106050251/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/716.html

写真は諏訪茂さんの「続」ある特攻隊整備員の手記から


昭和42年4月12日 母校立教大学で日本舞踊を披露する素子さん。23歳の春。
鎮魂の詩(うた) 戦友に捧ぐ
この世に真実に神々が存在されるなら
神々がもし おられますならば特別の
限りなき 慈しみの心をもって
犠牲(いけにえ)となった 若き人々の血を涙を
捨石となった 兵士たちをなぐさめ給え
桜花の花吹雪となった人々をいけにえに
親や弟妹たちの悲愁の涙を訴えを
レイテ湾や リンガエン湾に
大空に星と輝かせまし 水清く屍
草むす屍に 額たれてただ祈るは
安らぎを 永遠の安らぎをと祈るのみ
深い静寂に包まれた森林の奥深く奥深く
ひっそりと眠りつづける 比島だけで
深海の底に横たわる50万柱とか
数えきれない艦船を 山野を洞窟を
「墓標」として本土へ還るすべなく
太平洋の海鳴りは この貴い犠牲者達
の望郷の想いだ。平和の礎たちよ安らかに
昭和55年元旦 大學教授 今富正己・諏訪茂さんの手記から。
それは昨日のことであった。私が熱海経由で伊豆急下田行きの電車に乗ってしばらくすると,斜め左の席に陣取っていた少女たちが楽しそうに感嘆詞としての大げさな笑い声とともにトランプに興じはじめた。それはとても無邪気で見ていて飽きなかったし,平和を実感した。私はこの鎮魂の詩(うた)を読んで涙をながしていた。ねえ,ねえ。あそこにいるおじさん泣いているよ,と一人の少女が小声で囁くとみなこちらを見ていた。私は早速志村流<アイーン>をすると,大きな笑い声がした。
達人さんの記事は夏くらいから読ませて頂いてます。
記事のご提供にこころから感謝してます。
それと勝手ながらこの記事等へリンクさせて頂きました。
自己承諾で申し訳ありません。
もし不都合でしたら削除します。
それでは、よろしくお願いいたします。
参考;アダムとイブの舞台はエチオピアだった
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/7ceee5d86b3d4555e20bf380f826d5f2
凝縮された曼荼羅
http://web.archive.org/web/20170502022241/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html

キリストの頭の背後にあるものも東西南北ですがこれは春分,秋分,夏至,冬至を意味する。

「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800)
『人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。これも春分,秋分,夏至,冬至を意味する。パリのノートルダム寺院入り口上部にあるキリストを囲む象徴も全く同じ。
ノートルダム寺院に行かれたら是非ご覧ください。
Ω祖型とは何か
http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=127094
これからの世界
http://www.archivelago.com/Garden/Cloisters/2001-2003/korekarano_sekai.html
なぜ御徒町にジャイナ教徒が多いか? 宝石商とか貴金属商は外を歩く必要がない........ということは外を歩いていて小さな虫を殺すことはない,ということが最近分かりました。秋葉原にジャイナ教徒がやっている食堂があるそうなので一度行ってみましょう。NHKでサヘル・ローズさんが紹介していました。外務大臣にしたい女性です。サヘルローズとは砂漠に咲く一凛のバラだそうです。
https://note.com/jewelryandlaw/n/ne3f7ddafce58

須弥山(チベット語でカンリン・ボチェ=SUMERU)の頂上にあるジャイナ教寺院のローカ・プルシャ(宇宙大巨人)の曼荼羅の一種。曼荼羅とは須弥山の断面図であり,中心が中尊の大日如来であるが,ジャイナ教の場合は一寸違う。中心はクシャトリア王族の出身を意味するマハヴィーラ,本名ヴァルダマーラ(日本では達磨と呼ばれる)やアヒンサー(AHIMSA)という不殺生の文字がある。須弥山はインド側でティベット国境沿いにあるが,空海が唐から持ち帰ってきたという根本曼荼羅は密教の曼荼羅で中尊は大日如来である。
ジャイナ教徒は見ないでしょうね
<転載終了>
詳細は忘れましたが、『魔神英雄伝ワタル』の初期版の物語終盤にそういう話が出てきます。
伏見稲荷に直接的に言及していませんが、千本鳥居と思しきものが登場し、
そこを潜ると悪になるぞ~みたいな表現がなされてます。
後はドワルダー様にでも聞いてください。
ハッキリ言って面白カッコいいぜ!(笑)
genkimaru1
が
しました