https://nofia.net/?p=15775
<転載開始>
今はもうもう……。子どもにコロナワクチン打たせて、38℃程度の熱で、子どもに解熱剤を飲ませている時代ですから。
以下は、渡辺京二さんの名著『逝きし世の面影』からの抜粋です。
『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」より
エドウィン・アーノルドは 1899年(明治 22年)来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヶ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。
「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。…従って、俥屋(くるまや)はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っ只中ではしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく控え目な振る舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズのよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」
子どもたちが馬や乗り物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。
「日本ほど子どもが、下層社会の子どもさえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」。
モースは言う。「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子どものために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」
以下の記事に他の抜粋などがあります。
(記事)革命的行動の最上位は「子どもたちへの無条件の愛」を獲得した社会に戻すこと
In Deep 2015年07月12日
<転載終了>
かって「スポック博士の育児書」との対比で熱く語られていたので、「京都の開業医の医師が執筆した日本的、いい意味で保守的な育児書だった」と今までずーっと思っていたので、いい意味でズルッ。
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■■松田道雄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E9%81%93%E9%9B%84
■来歴・人物
茨城県水海道町(現・常総市)に代々医師の家に生まれ、生後すぐ京都に移る。松田家の初代は千姫の侍医と伝わり、祖父は江戸で修行した蘭学医だった。父は京都で小児科医を開業していた。(略)大学時代は「社会科学研究会」に所属してマルクス主義の研究・運動を行うが、共産党に入党する決心は出来なかった
(略)その後京都に診療所を開く。
小児科の医師として診療する傍ら、久野収の勧めもあって1949年に平和問題談話会に参加。末川博、恒藤恭、田中美知太郎、桑原武夫らの知遇を得る。1960年に京都大学人文科学研究所の共同研究「革命の比較研究」などに参加する。1978年には武谷三男、野間宏、水上勉らとともに安楽死法制化を阻止する会声明発起人となった。
1967年に小児科の診療を辞め、執筆・評論活動に専念。1967年に出版した代表作でベストセラーの『育児の百科』(岩波書店)をはじめ、数多くの著作があり(略)
genkimaru1
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