本山よろず屋本舗さんのサイトより
http://motoyama.world.coocan.jp/
<転載開始>
最近、私は本屋にあまり行かなくなりました。
それゆえ最新のトレンドに疎くなってしまったかもしれません。
『今日、誰のために生きる?』という本に関しても、知ったのは当HPの掲示板への書き込みでした。
さっそくアマゾンで注文しようとしたんですが、売り切れでした。発売日が10月21日で、その翌日か翌々日だったのでまさか売り切れということはないだろうと思っていたので、驚きました。おそらくあっという間に完売したのだろうと思います。
アマゾンの実用・暮らし・スポーツの売れ筋ランキングで1位になったみたいなので、読まれた方も多いと思います。
初版で完売したのだから、そのうち増刷されるだろうと待ってやっと買うことができました。
今回は、その『今日、誰のために生きる?』(ひすいこたろう×SHOGEN著、廣済堂出版)から、私の印象に残った話題を紹介させていただこうと思います。
以前の記事でもペンキ画家ショーゲンさんのことを紹介しましたが、ショーゲンさんはティンガティンガというペンキ画の修行の為、日本でのサラリーマン生活を止めてアフリカのタンザニアのブンジュ村に行きます。
ティンガティンガがどんな絵か、以下のサイトが参考になるので貼っておきます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001537.000031382.html
ブンジュ村でショーゲンさんは、ティンガティンガの修行に勤(いそ)しむのですが、勉強したのは絵だけでなく、人生勉強もあったようです。
それも縄文時代の日本人の知恵のようなものを学んだということですから、興味深いです。
今回は、「思いを人に伝えることの大切さ」といった話題です。
日本人であれば、一度約束したことはできる限り守ろうとします。
しかしアフリカ人は、おおらかというかアバウトというか文化の違いというか、その場の都合で約束を守ってくれないことがあるようです。
そんな時に大切なことは、自分の強い「思い」を相手に伝えることで、その思いがちゃんと伝われば約束を守ってくれるようです。
まず、そんな話題から紹介させていただきます。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p97~p99から抜粋開始>・・・
思いを丁寧に伝える挑戦
ある日のこと。僕は描きためた絵を日本に送るために、きちんと梱包できるダンボールを探していました。アフリカでは、日本とは比較できないくらいに物資が乏しいので、ダンボールはとても貴重です。ブンジュ村にダンボールはなかったので、バスで1時間半くらいのところにある小さな売店に行くことにしました。売店の主人に、ダンボールがほしいとお願いすると、「2週間後に取りに来て。取っておくから」と言われました。
2週間後、僕はまた1時間半バスに乗って、その売店に行きました。
「ダンボールを取りに来たよ」と伝えると、店主は「ほかの人にあげちゃった」と言うんです。
「取っておいてくれるって言ったじゃないか!」
僕は思わず怒鳴ってしまいました。だって片道1時間半かけて2回も来ている上に、2週間も待ったんだから。
でも、どんなに怒っても、ないものはない。「もういいよ!」と、僕はまたバスに1時間半揺られて、ブンジュ村に帰るしかありませんでした。
僕がプリプリ怒りながら歩いていると、村長が声をかけてきたので、この経緯を伝えました。すると、
「ショーゲンより、思いの強い人のところへダンボールは行ったんだね」
と、言いました。
思いの強い人? それなら僕だってめちゃくちゃほしかった!
すると、村長は僕にこう言いました。
「ただほしいというだけじゃなくて、なぜほしいのか。
そういう思いをちゃんと伝えられたの?
大切なことを、はしょってはいけないよ」
「言っても無駄だ」と僕が言うと、村長は「やってみないとわからないでしょ」と言います。
村長は「自分の思いをちゃんと伝える挑戦をしてきなさい」と、今すぐもう一度、その売店に行くように言うのです。
僕はしぶしぶバスに乗って、またその売店まで行きました。
そして、さっき怒ったばかりの店主に向かって、僕は言いました。
「一方的に怒ってしまってごめんなさい。僕はこの村で感じた温かさを、絵を通して伝えたいんです。日常にあふれる小さな喜びを絵にすることで、日本人に幸せを感じる心や感性を取り戻してほしいと思っているんです。日本に絵を送るために、どうしてもダンボールが必要なんです」
すると、「そうだったのか」と彼は言い、「なぜダンボールがほしいのか、わかったよ。もう1回、2週間後に取りに来て」と言いました。
僕が2週間後、またパスに乗って売店に行くと、今度はちゃんと取っておいてくれました。
ダンボール1枚。これを手に入れるのに、4度もバスで往復して約1か月かかりました。僕はそのダンボールを大切に持ち帰り、夜寝る前に枕元に置きました。
ほしい物が手に入るということは、こんなにも嬉しいものなんだ--。
僕は嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
この日、僕は生まれて初めて、そういう喜びを感じました。
・・・<抜粋終了>・・・
http://motoyama.world.coocan.jp/
<転載開始>
最近、私は本屋にあまり行かなくなりました。
それゆえ最新のトレンドに疎くなってしまったかもしれません。
『今日、誰のために生きる?』という本に関しても、知ったのは当HPの掲示板への書き込みでした。
さっそくアマゾンで注文しようとしたんですが、売り切れでした。発売日が10月21日で、その翌日か翌々日だったのでまさか売り切れということはないだろうと思っていたので、驚きました。おそらくあっという間に完売したのだろうと思います。
アマゾンの実用・暮らし・スポーツの売れ筋ランキングで1位になったみたいなので、読まれた方も多いと思います。
初版で完売したのだから、そのうち増刷されるだろうと待ってやっと買うことができました。
今回は、その『今日、誰のために生きる?』(ひすいこたろう×SHOGEN著、廣済堂出版)から、私の印象に残った話題を紹介させていただこうと思います。
以前の記事でもペンキ画家ショーゲンさんのことを紹介しましたが、ショーゲンさんはティンガティンガというペンキ画の修行の為、日本でのサラリーマン生活を止めてアフリカのタンザニアのブンジュ村に行きます。
ティンガティンガがどんな絵か、以下のサイトが参考になるので貼っておきます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001537.000031382.html
ブンジュ村でショーゲンさんは、ティンガティンガの修行に勤(いそ)しむのですが、勉強したのは絵だけでなく、人生勉強もあったようです。
それも縄文時代の日本人の知恵のようなものを学んだということですから、興味深いです。
今回は、「思いを人に伝えることの大切さ」といった話題です。
日本人であれば、一度約束したことはできる限り守ろうとします。
しかしアフリカ人は、おおらかというかアバウトというか文化の違いというか、その場の都合で約束を守ってくれないことがあるようです。
そんな時に大切なことは、自分の強い「思い」を相手に伝えることで、その思いがちゃんと伝われば約束を守ってくれるようです。
まず、そんな話題から紹介させていただきます。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p97~p99から抜粋開始>・・・
思いを丁寧に伝える挑戦
ある日のこと。僕は描きためた絵を日本に送るために、きちんと梱包できるダンボールを探していました。アフリカでは、日本とは比較できないくらいに物資が乏しいので、ダンボールはとても貴重です。ブンジュ村にダンボールはなかったので、バスで1時間半くらいのところにある小さな売店に行くことにしました。売店の主人に、ダンボールがほしいとお願いすると、「2週間後に取りに来て。取っておくから」と言われました。
2週間後、僕はまた1時間半バスに乗って、その売店に行きました。
「ダンボールを取りに来たよ」と伝えると、店主は「ほかの人にあげちゃった」と言うんです。
「取っておいてくれるって言ったじゃないか!」
僕は思わず怒鳴ってしまいました。だって片道1時間半かけて2回も来ている上に、2週間も待ったんだから。
でも、どんなに怒っても、ないものはない。「もういいよ!」と、僕はまたバスに1時間半揺られて、ブンジュ村に帰るしかありませんでした。
僕がプリプリ怒りながら歩いていると、村長が声をかけてきたので、この経緯を伝えました。すると、
「ショーゲンより、思いの強い人のところへダンボールは行ったんだね」
と、言いました。
思いの強い人? それなら僕だってめちゃくちゃほしかった!
すると、村長は僕にこう言いました。
「ただほしいというだけじゃなくて、なぜほしいのか。
そういう思いをちゃんと伝えられたの?
大切なことを、はしょってはいけないよ」
「言っても無駄だ」と僕が言うと、村長は「やってみないとわからないでしょ」と言います。
村長は「自分の思いをちゃんと伝える挑戦をしてきなさい」と、今すぐもう一度、その売店に行くように言うのです。
僕はしぶしぶバスに乗って、またその売店まで行きました。
そして、さっき怒ったばかりの店主に向かって、僕は言いました。
「一方的に怒ってしまってごめんなさい。僕はこの村で感じた温かさを、絵を通して伝えたいんです。日常にあふれる小さな喜びを絵にすることで、日本人に幸せを感じる心や感性を取り戻してほしいと思っているんです。日本に絵を送るために、どうしてもダンボールが必要なんです」
すると、「そうだったのか」と彼は言い、「なぜダンボールがほしいのか、わかったよ。もう1回、2週間後に取りに来て」と言いました。
僕が2週間後、またパスに乗って売店に行くと、今度はちゃんと取っておいてくれました。
ダンボール1枚。これを手に入れるのに、4度もバスで往復して約1か月かかりました。僕はそのダンボールを大切に持ち帰り、夜寝る前に枕元に置きました。
ほしい物が手に入るということは、こんなにも嬉しいものなんだ--。
僕は嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
この日、僕は生まれて初めて、そういう喜びを感じました。
・・・<抜粋終了>・・・
この話はここで終わりではなく、まだ続きがあります。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p100~p103から抜粋開始>・・・
思いを伝える「愛のリレー」
この話には、実はまだ続きがあります。
僕がダンボールを無事に手に入れたその日、その売店の主人が「実は、3日前にすごいドラマがあったんだよ!」と、興奮して言いました。
アフリカではダンボールは貴重だとお話ししましたが、売店にダンボールが入ると、みんなこぞってもらいにやって来ます。それを、店主は僕のために、みんなからのお願いをことごとく断わり続けてくれていたのでした。
3日前、バナナやマンゴーを売っているおばあさんも、ダンボールをほしいとやって来たそうです。
「おばあちゃん、すまないが、このダンボールは渡せないんだ」
「でも腰が痛くてね、このバナナやマンゴーを持って帰るためには、どうしてもそのダンボールがほしいのだけれど」
「そうか。それは大変だな。でもね、おばあちゃん。ティンガティンガの絵を知ってるだろう? 幸せがあふれているあの絵だよ。日本の青年のショーゲンがその絵を措いていて、その思いを日本に届けるために、どうしてもダンボールが必要なんだ。だから、今回はダンボールをあげられないんだ」
僕の思いを聞いたこの店主は、「ショーゲンのために、ダンボールを死守しなければ!」と断り続けてくれていたのです。
でも、店主が僕とおばあちゃんを天秤にかけて、僕にダンボールを渡すのはまた次回でもいいか……と思っても不思議はありません。だって、目の前に腰を曲げてつらそうにしているおばあちゃんがいるんですから。
店主にしてみたら、腰が痛いと言ってダンボールを懇願しているおばあちゃんに断るのは、とても心苦しかったことでしょう。
でも、おばあちゃんは言いました。
「そんな素晴らしい青年がいるんだね。じゃあ、そのダンボールはもらえないねぇ」
そこで彼は言いました。
「よし、僕がカンガ(風呂敷のような布)にバナナとマンゴーを入れて、おばあちゃんの家まで持って行ってあげるよ」
こうして、店主は、おばあちゃんの家までバナナとマンゴーを持って行ってあげたのです。無事に家までフルーツを運んでもらったおばあちゃんは、店主に言いました。
「愛情を込めて収穫したフルーツだけど、あなたが運んでくれたから、さらに愛情が重なり合って特別なフルーツになったわ。あなたのおかげよ、ありがとう」
店主は、おばあちゃんに喜んでもらえたことが嬉しくて嬉しくて、そのきっかけを作った僕に「ショーゲン、聞いてくれよ!」と、このストーリーを大喜びで話してくれたのでした。
さらに、このおばあちゃんは、バナナやマンゴーを売る時、「たくさんの人の愛が詰まっている果物なのよ」と、お客さんに話しているそうです。
ダンボールがほしかった僕の思い。それを丁寧に伝えたら、それを受け取った店主の思いが重なり、今度は、2人の思いを受け取ったおばあちゃんの思いも重なり、思いがリレーのバトンのように受け継がれていったのです。
僕には最初、店主に対して、「言ってもどうせ聞いてくれない」という思い込みがあった。でも、それを村長は「ショーゲンが、そういうふうに接したからでしょ?」と言います。村長は続けてこう言ってくれました。
「ショーゲン、思いがあるんだったら、自分の思いは必ず伝わると信じるんだ、。
自分にそう思い込みの魔法をかけるんだよ。
自分が幸せになれる思い込みの魔法を、もっと自分にかけたほうがいいよ」
・・・<抜粋終了>・・・
自分の思いを相手に伝えることが大切という話題ですが、特に感謝の念を相手に伝えることは、「夢を叶える意外な方法」になるという話です。
文中に出てくるカンビリさんとは、ショーゲンさんがブンジュ村で住まわせてもらっている家のご主人です。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p88~p91から抜粋開始>・・・
夢を叶える意外な方法
「ショーゲン、どうやったら画家としてやっていけると思う?」
ある日、カンビリさんが聞いてきました。
「どうしたらいいんですか?」と僕が聞くと、「大切なのは、感謝の気持ちを伝えることだ」と言うんです。
絵が上手になることでもなく、絵を売る方法を考えることでもなく、感謝の気持ちを伝えること? それが画家としてやっていける方法って、どういうこと?
「考えてみて『感謝の気持ちを伝えに来ました』と言われて、
『いや、来ないでください』って言う人はいないでしょ。
感謝の気持ちを伝えられたら、みんな嬉しいんだよ」
感謝の気持ちを伝えるという行為は、喜びにあふれた気持ちを伝えるということ。そうすると、自分と同じ喜びを持っている人と出会えるし、喜びを共感し合える会社とも出会える。つまり、喜んで働ける仕事に出会い、行きたかった世界にも行ける。だから、感謝の気持ちを伝えられたら、僕が画家としてやっていくための人や会社にも出会えるよ、とカンビリさんは言うのです。
たしかにこの村の人たちは、一つひとつのことに感謝を伝えています。
たとえば、ザイちゃんは髪型を友だちに褒められたりすると、結ってくれた人のところへ走って、お礼を伝えに行きます。
「見て見て! 髪型のここの丸み、ここがかわいいって言われたの! とっても嬉しかった~、ありがとう!」
と、身振り手振りを使って、こと細かく精一杯に伝えます。
ある時、僕がイヤホンで音楽を聞いていると、「そのイヤホンはよく聞こえるの?」と友だちが聞いてきました。「すごくいい音だよ」と伝えると、「イヤホンを作った会社に感謝の気持ちを伝えに行った? 行ってないなら今すぐ行かなきゃ」と言われます。
フルーツを食べている時も、「それを作った人にちゃんと感謝を伝えに行った?」とすぐ聞いてきます。
いつも背負っているリュックを見た人から「ショーゲン、そのリュックのヒモ、どれくらい切れてないの?」と聞かれ「3年は切れてないよ」と言うと「それはすごい! 早く感謝を伝えに行ったほうがいいよ」と。日焼け止めクリームを塗っていたら、「効果があるなら、感謝を伝えに行かなきゃね」と、もう、うっとうしいくらいです(笑)。
カンビリさんは、さらに熱く語りました。
「感謝の気持ちを伝えたいって思う時の心は、どういう状態だと思う?
心に余裕がある時なんだ。
心に余裕がないと、誰も感謝を伝えたいなんて、思えないよね」
僕は心に余裕がない上に、感謝を伝えるのが下手だったようで、「血の通わないロボットのようだ」と言われていました。
ある時、あまりの言われように、僕が落ち込んでいると、女の子がカシューナッツをくれました。すっかりへコんでいたので、その女の子の優しさが身に染みて嬉しかった! だから翌日会った時、「昨日は本当にありがとう! あのカシューナッツで僕は心が満たされたんだよ、喜びをもらって元気になれたよ!」と言うと、女の子は「それそれ! 感謝を伝えるってそういうことよ!」。
感謝を伝えるというのは、ありがとうを言えばいいということではなく、思いを伝えることなんだと、僕は10歳の女の子に教えてもらいました。
「感謝の気持ちを伝えると、言われた相手は嬉しいでしょ。
それだけで、こっちも嬉しいよね。でもそれだけじゃない。
感謝の気持ちを伝えると、たまにすごいことが起きるんだよ」
カンビリさんはそう言いました。
実際、日本に帰って感謝の気持ちを伝えに行った僕に、本当に「すごいこと」が起きたのですが、それはあとでまたお話しします。
・・・<抜粋終了>・・・
ショーゲンさんが「あとでまたお話しします」と言った話が、以下です。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p126~p133から抜粋開始>・・・
ブンジュ村から帰ってからの僕
2015年、僕はアフリカから日本に帰ってきました。
ペンキ画家として初めての仕事は、北海道にある「ノースサファリサッポロ」という動物園からいただきました。園内にある80メートルの壁に、ライブペイントで描くという仕事です。
近くにあったホームセンターでペンキを買って描いたんですが、描き終えてから見てみると驚きました! まさにアフリカを思わせるような、明るい生命力にあふれていたのです。突き抜けるような鮮やかな空色に僕は感激しました。
ペンキの缶を見ると、「日本ペイント株式会社」と書いてあります。
その時、カンビリさんから、画家としてやっていくために言われたことを思い出しました。
「大切なのは、感謝の気持ちを伝えること」
「日本ペイント株式会社」をインターネットで調べると、東京の品川に本社があるとわかりました。僕は北海道から羽田に戻ると、空港からそのまま本社へ突撃訪問しました。受付には電話があり、人事部やマーケティング部など各部署に繋がる内線ボタンがあります。僕はまず、マーケティング部に電話をしました。
「感謝の気持ちを伝えに来たのですが、お会いすることはできますか」
感謝の気持ちを伝えに来たと言って、嫌がる人はいない---というカンビリさんの言葉通り、会社の人に会うことができました。そしてその人に、
「こんなに明るい空色を作れるのは、明るい未来を作っていける会社だと思ったので、一緒に仕事がしたいです」
と言うと、その後、なんとスポンサー契約を結んでくれることになったのです。
140年以上も歴史があり、アジアで1位、世界で4位のペンキ会社が初めてスポンサー契約を結んだのが、なんと無名のペンキ画家の僕でした。
カンビリさんは僕に、画家としてやっていくためには、感謝の気持ちを伝えることだと言いましたが、まさにその通りになったのです。
日本のある小学校で、僕はブンジュ村での体験と、この奇跡的な話をしました。
すると、5年生の男の子が「僕はバスケット部に入っています。今使っているバスケットボールがめちゃくちゃ使いやすいので、バスケットボールを作っている会社に感謝の気持ちを伝えに行ったら、何か起きるかな?」と聞いてきました。
僕は「行ってみたらいいよ」と伝えました。
その1週間後のこと。その子のお母さんから電話がかかってきて、本当に男の子が企業に感謝を伝えに行ったことを聞きました。そしてすごいことが起きましたと言うのです。
男の子は、その会社からバスケットボールを2つもらい、さらにプロのバスケットボール選手に指導してもらうことが決まったんです! さらに、彼がもうすぐジュニアの日本代表になるという、ビッグな話も聞きました。
感謝を伝えると、好きな人と出会い、好きな世界に連れて行ってもらえると、カンビリさんは僕に言いました。そして「たまにすごいことが起きる」とも。
そうなんです、感謝を伝えると、想像以上に「すごいこと」が起きるんです。
プンジュ村での体験は、それ以外にも僕にいろんなことを教えてくれました。
僕がアフリカに行くと父に言った時、猛烈に反対されました。「そんなことをするために育ててきたんじゃない」と。
でも思い返してみると、僕は父に、いったいどれほど「僕の思い」を語ったでしょうか。
「思いがあるんだったら、自分の思いは必ず伝わると信じるんだ。自分にそう思い込みの魔法をかけるんだよ」
これは村長の言葉です。
僕は最初から「わかってもらえない」と、あきらめていたんじゃないか……。
ブンジュ村でダンボール1枚を手に入れるために、一生懸命に自分の思いを伝えたように、もし父に同じように自分の思いを伝えられていたら、状況は違っていたかもしれません。
「あなたのことを信じてる」
これもブンジュ村でよく交わされる言葉ですが、僕は父を信じていなかったのかもしれません。
「お父さんはわかってくれると、僕は信じている」
今だったら、そう言えます。
日本に帰ってきて数年後のことです。京都で年に1度の、小学校の校長先生と教頭先生が参加するシンポジウムが行われました。そこに僕が選ばれて講演することになったんです。僕はブンジュ村で学んだすべてを語りました。
客席を見ると、そこにはかつて教員だった父がいました。
アフリカ行きを反対していた父が、まさかアフリカでの体験を話す僕の講演を聞くことになるなんて、想像もしていなかったに違いありません。
でも、客席で僕の話を聞いている嬉しそうな父を見た時、もしかすると、父は僕のことを信じてくれていたのかもしれない……と思いました。
でも、「思い込みの魔法」をかけることができず、「どうせわかってくれない」と、景初からあきらめていた僕には、それが聞こえなかった、見えなかったのかもしれません。
「思いは伝わる」という思い込みの魔法をかけると、「あなたを信じているよ」という声も聞こえてくるのかもしれません。
僕の帰国が決まった時、村長は言いました。
「虫の音がメロディーとして、会話として聞こえることが、
どれだけ素晴らしいことか、日本人には改めて考えて、感じてほしい。
ショーゲン、日本人にその素晴らしさをちゃんと伝えてね。
おれは地球にはまだ希望があると思っている。
日本人は1億2千万人もいる。世界は80億人だ。
世界の80人に1人は日本人なんだ。
だから、地球にはまだまだ可能性がある。
地球のために頼むぞ日本人!
日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」
僕は今、村長のこの願いを受け継いで、目の前に人がいればブンジュ村で体験したこと、日本人の素晴らしさを伝え続けています。
初めて会った人にも突然話しかけるので「こんな時に話します?」って言われたこともあります。プロローグにもあったように、お風呂に入っていたって話しかけます(笑)。
これまで小学校で、中学校で、高校で、自治体で、会社で、お寺や神社で、セミナー会場で……さまざまなところで話し続けてきました。
村長は、日本人がその感性を取り戻すことを本気で願っているので、僕がちゃんと伝えているかを気にかけてくれています。
「今月は何回、日本人に伝えられた?」と連絡が来るほどです。
2023年9月現在、1万1938回。
村長からは、「聞いてくれた人みんなにわかってもらえなくてもいい。ただ、話し続けることが大事なんだ。話し続けることは、自分も聞き続けていることだから、ショーゲン自身も変わっていくよ」と言われました。
実際、僕は変わりました。
一番変わったことは、心に余裕を持てるようになったことです。
ブンジュ村ではいろんな人から、耳が痛くなるほど「ショーゲンは、なんでそんなに余裕がないんだ」と言われ続けてきたけれど、ブンジュ村の出来事を話すほどに、少しずつ心の余裕が身についてきたように思うんです。
日常にあふれる小さな喜びを伝えているのが「ティンガティンガ」という絵です。
僕は、僕の絵を通して、「ティンガティンガ」から感じた生きるための力、勇気を伝えていきたいと思っていました。でも、その前に大切なことがあると知りました。
日常を丁寧に過ごすということ。
とことん丁寧に。
その繰り返しの先に「生きている」という感覚や喜びを感じ、自然と心に余裕が出てくるように思っています。
今でも僕はやっぱり失敗もするし、足りないところもたくさんあります。でも失敗しても、足りないところや不足があっても、野生の感覚がそれを補ってくれる。そんな僕を、僕自身が信じています。
・・・<抜粋終了>・・・
ブンジュ村の村長の祖父がシャーマンで、夢の中で時空を超えて日本人と交信していたといいます。
ショーゲンさんは、その日本人というのが、竪穴式住居に住んでいたということで縄文時代の人だったと言われています。
それゆえブンジュ村の村人の生活は、縄文時代の人々の知恵や文化を色濃く反映したものとなっているようです。
『今日、誰のために生きる?』がベストセラーになったのは、多くの人がそうした縄文人の生き方や考え方に魅かれたからではないかと思うのです。
私は、次の新時代において、「縄文」がキーワードになるのではないかと考えています。
(2023年12月2日)
<転載終了>
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p100~p103から抜粋開始>・・・
思いを伝える「愛のリレー」
この話には、実はまだ続きがあります。
僕がダンボールを無事に手に入れたその日、その売店の主人が「実は、3日前にすごいドラマがあったんだよ!」と、興奮して言いました。
アフリカではダンボールは貴重だとお話ししましたが、売店にダンボールが入ると、みんなこぞってもらいにやって来ます。それを、店主は僕のために、みんなからのお願いをことごとく断わり続けてくれていたのでした。
3日前、バナナやマンゴーを売っているおばあさんも、ダンボールをほしいとやって来たそうです。
「おばあちゃん、すまないが、このダンボールは渡せないんだ」
「でも腰が痛くてね、このバナナやマンゴーを持って帰るためには、どうしてもそのダンボールがほしいのだけれど」
「そうか。それは大変だな。でもね、おばあちゃん。ティンガティンガの絵を知ってるだろう? 幸せがあふれているあの絵だよ。日本の青年のショーゲンがその絵を措いていて、その思いを日本に届けるために、どうしてもダンボールが必要なんだ。だから、今回はダンボールをあげられないんだ」
僕の思いを聞いたこの店主は、「ショーゲンのために、ダンボールを死守しなければ!」と断り続けてくれていたのです。
でも、店主が僕とおばあちゃんを天秤にかけて、僕にダンボールを渡すのはまた次回でもいいか……と思っても不思議はありません。だって、目の前に腰を曲げてつらそうにしているおばあちゃんがいるんですから。
店主にしてみたら、腰が痛いと言ってダンボールを懇願しているおばあちゃんに断るのは、とても心苦しかったことでしょう。
でも、おばあちゃんは言いました。
「そんな素晴らしい青年がいるんだね。じゃあ、そのダンボールはもらえないねぇ」
そこで彼は言いました。
「よし、僕がカンガ(風呂敷のような布)にバナナとマンゴーを入れて、おばあちゃんの家まで持って行ってあげるよ」
こうして、店主は、おばあちゃんの家までバナナとマンゴーを持って行ってあげたのです。無事に家までフルーツを運んでもらったおばあちゃんは、店主に言いました。
「愛情を込めて収穫したフルーツだけど、あなたが運んでくれたから、さらに愛情が重なり合って特別なフルーツになったわ。あなたのおかげよ、ありがとう」
店主は、おばあちゃんに喜んでもらえたことが嬉しくて嬉しくて、そのきっかけを作った僕に「ショーゲン、聞いてくれよ!」と、このストーリーを大喜びで話してくれたのでした。
さらに、このおばあちゃんは、バナナやマンゴーを売る時、「たくさんの人の愛が詰まっている果物なのよ」と、お客さんに話しているそうです。
ダンボールがほしかった僕の思い。それを丁寧に伝えたら、それを受け取った店主の思いが重なり、今度は、2人の思いを受け取ったおばあちゃんの思いも重なり、思いがリレーのバトンのように受け継がれていったのです。
僕には最初、店主に対して、「言ってもどうせ聞いてくれない」という思い込みがあった。でも、それを村長は「ショーゲンが、そういうふうに接したからでしょ?」と言います。村長は続けてこう言ってくれました。
「ショーゲン、思いがあるんだったら、自分の思いは必ず伝わると信じるんだ、。
自分にそう思い込みの魔法をかけるんだよ。
自分が幸せになれる思い込みの魔法を、もっと自分にかけたほうがいいよ」
・・・<抜粋終了>・・・
自分の思いを相手に伝えることが大切という話題ですが、特に感謝の念を相手に伝えることは、「夢を叶える意外な方法」になるという話です。
文中に出てくるカンビリさんとは、ショーゲンさんがブンジュ村で住まわせてもらっている家のご主人です。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p88~p91から抜粋開始>・・・
夢を叶える意外な方法
「ショーゲン、どうやったら画家としてやっていけると思う?」
ある日、カンビリさんが聞いてきました。
「どうしたらいいんですか?」と僕が聞くと、「大切なのは、感謝の気持ちを伝えることだ」と言うんです。
絵が上手になることでもなく、絵を売る方法を考えることでもなく、感謝の気持ちを伝えること? それが画家としてやっていける方法って、どういうこと?
「考えてみて『感謝の気持ちを伝えに来ました』と言われて、
『いや、来ないでください』って言う人はいないでしょ。
感謝の気持ちを伝えられたら、みんな嬉しいんだよ」
感謝の気持ちを伝えるという行為は、喜びにあふれた気持ちを伝えるということ。そうすると、自分と同じ喜びを持っている人と出会えるし、喜びを共感し合える会社とも出会える。つまり、喜んで働ける仕事に出会い、行きたかった世界にも行ける。だから、感謝の気持ちを伝えられたら、僕が画家としてやっていくための人や会社にも出会えるよ、とカンビリさんは言うのです。
たしかにこの村の人たちは、一つひとつのことに感謝を伝えています。
たとえば、ザイちゃんは髪型を友だちに褒められたりすると、結ってくれた人のところへ走って、お礼を伝えに行きます。
「見て見て! 髪型のここの丸み、ここがかわいいって言われたの! とっても嬉しかった~、ありがとう!」
と、身振り手振りを使って、こと細かく精一杯に伝えます。
ある時、僕がイヤホンで音楽を聞いていると、「そのイヤホンはよく聞こえるの?」と友だちが聞いてきました。「すごくいい音だよ」と伝えると、「イヤホンを作った会社に感謝の気持ちを伝えに行った? 行ってないなら今すぐ行かなきゃ」と言われます。
フルーツを食べている時も、「それを作った人にちゃんと感謝を伝えに行った?」とすぐ聞いてきます。
いつも背負っているリュックを見た人から「ショーゲン、そのリュックのヒモ、どれくらい切れてないの?」と聞かれ「3年は切れてないよ」と言うと「それはすごい! 早く感謝を伝えに行ったほうがいいよ」と。日焼け止めクリームを塗っていたら、「効果があるなら、感謝を伝えに行かなきゃね」と、もう、うっとうしいくらいです(笑)。
カンビリさんは、さらに熱く語りました。
「感謝の気持ちを伝えたいって思う時の心は、どういう状態だと思う?
心に余裕がある時なんだ。
心に余裕がないと、誰も感謝を伝えたいなんて、思えないよね」
僕は心に余裕がない上に、感謝を伝えるのが下手だったようで、「血の通わないロボットのようだ」と言われていました。
ある時、あまりの言われように、僕が落ち込んでいると、女の子がカシューナッツをくれました。すっかりへコんでいたので、その女の子の優しさが身に染みて嬉しかった! だから翌日会った時、「昨日は本当にありがとう! あのカシューナッツで僕は心が満たされたんだよ、喜びをもらって元気になれたよ!」と言うと、女の子は「それそれ! 感謝を伝えるってそういうことよ!」。
感謝を伝えるというのは、ありがとうを言えばいいということではなく、思いを伝えることなんだと、僕は10歳の女の子に教えてもらいました。
「感謝の気持ちを伝えると、言われた相手は嬉しいでしょ。
それだけで、こっちも嬉しいよね。でもそれだけじゃない。
感謝の気持ちを伝えると、たまにすごいことが起きるんだよ」
カンビリさんはそう言いました。
実際、日本に帰って感謝の気持ちを伝えに行った僕に、本当に「すごいこと」が起きたのですが、それはあとでまたお話しします。
・・・<抜粋終了>・・・
ショーゲンさんが「あとでまたお話しします」と言った話が、以下です。
・・・<『今日、誰のために生きる?』、p126~p133から抜粋開始>・・・
ブンジュ村から帰ってからの僕
2015年、僕はアフリカから日本に帰ってきました。
ペンキ画家として初めての仕事は、北海道にある「ノースサファリサッポロ」という動物園からいただきました。園内にある80メートルの壁に、ライブペイントで描くという仕事です。
近くにあったホームセンターでペンキを買って描いたんですが、描き終えてから見てみると驚きました! まさにアフリカを思わせるような、明るい生命力にあふれていたのです。突き抜けるような鮮やかな空色に僕は感激しました。
ペンキの缶を見ると、「日本ペイント株式会社」と書いてあります。
その時、カンビリさんから、画家としてやっていくために言われたことを思い出しました。
「大切なのは、感謝の気持ちを伝えること」
「日本ペイント株式会社」をインターネットで調べると、東京の品川に本社があるとわかりました。僕は北海道から羽田に戻ると、空港からそのまま本社へ突撃訪問しました。受付には電話があり、人事部やマーケティング部など各部署に繋がる内線ボタンがあります。僕はまず、マーケティング部に電話をしました。
「感謝の気持ちを伝えに来たのですが、お会いすることはできますか」
感謝の気持ちを伝えに来たと言って、嫌がる人はいない---というカンビリさんの言葉通り、会社の人に会うことができました。そしてその人に、
「こんなに明るい空色を作れるのは、明るい未来を作っていける会社だと思ったので、一緒に仕事がしたいです」
と言うと、その後、なんとスポンサー契約を結んでくれることになったのです。
140年以上も歴史があり、アジアで1位、世界で4位のペンキ会社が初めてスポンサー契約を結んだのが、なんと無名のペンキ画家の僕でした。
カンビリさんは僕に、画家としてやっていくためには、感謝の気持ちを伝えることだと言いましたが、まさにその通りになったのです。
日本のある小学校で、僕はブンジュ村での体験と、この奇跡的な話をしました。
すると、5年生の男の子が「僕はバスケット部に入っています。今使っているバスケットボールがめちゃくちゃ使いやすいので、バスケットボールを作っている会社に感謝の気持ちを伝えに行ったら、何か起きるかな?」と聞いてきました。
僕は「行ってみたらいいよ」と伝えました。
その1週間後のこと。その子のお母さんから電話がかかってきて、本当に男の子が企業に感謝を伝えに行ったことを聞きました。そしてすごいことが起きましたと言うのです。
男の子は、その会社からバスケットボールを2つもらい、さらにプロのバスケットボール選手に指導してもらうことが決まったんです! さらに、彼がもうすぐジュニアの日本代表になるという、ビッグな話も聞きました。
感謝を伝えると、好きな人と出会い、好きな世界に連れて行ってもらえると、カンビリさんは僕に言いました。そして「たまにすごいことが起きる」とも。
そうなんです、感謝を伝えると、想像以上に「すごいこと」が起きるんです。
プンジュ村での体験は、それ以外にも僕にいろんなことを教えてくれました。
僕がアフリカに行くと父に言った時、猛烈に反対されました。「そんなことをするために育ててきたんじゃない」と。
でも思い返してみると、僕は父に、いったいどれほど「僕の思い」を語ったでしょうか。
「思いがあるんだったら、自分の思いは必ず伝わると信じるんだ。自分にそう思い込みの魔法をかけるんだよ」
これは村長の言葉です。
僕は最初から「わかってもらえない」と、あきらめていたんじゃないか……。
ブンジュ村でダンボール1枚を手に入れるために、一生懸命に自分の思いを伝えたように、もし父に同じように自分の思いを伝えられていたら、状況は違っていたかもしれません。
「あなたのことを信じてる」
これもブンジュ村でよく交わされる言葉ですが、僕は父を信じていなかったのかもしれません。
「お父さんはわかってくれると、僕は信じている」
今だったら、そう言えます。
日本に帰ってきて数年後のことです。京都で年に1度の、小学校の校長先生と教頭先生が参加するシンポジウムが行われました。そこに僕が選ばれて講演することになったんです。僕はブンジュ村で学んだすべてを語りました。
客席を見ると、そこにはかつて教員だった父がいました。
アフリカ行きを反対していた父が、まさかアフリカでの体験を話す僕の講演を聞くことになるなんて、想像もしていなかったに違いありません。
でも、客席で僕の話を聞いている嬉しそうな父を見た時、もしかすると、父は僕のことを信じてくれていたのかもしれない……と思いました。
でも、「思い込みの魔法」をかけることができず、「どうせわかってくれない」と、景初からあきらめていた僕には、それが聞こえなかった、見えなかったのかもしれません。
「思いは伝わる」という思い込みの魔法をかけると、「あなたを信じているよ」という声も聞こえてくるのかもしれません。
僕の帰国が決まった時、村長は言いました。
「虫の音がメロディーとして、会話として聞こえることが、
どれだけ素晴らしいことか、日本人には改めて考えて、感じてほしい。
ショーゲン、日本人にその素晴らしさをちゃんと伝えてね。
おれは地球にはまだ希望があると思っている。
日本人は1億2千万人もいる。世界は80億人だ。
世界の80人に1人は日本人なんだ。
だから、地球にはまだまだ可能性がある。
地球のために頼むぞ日本人!
日本人こそが世界を真の幸せに導ける人たちなんだから」
僕は今、村長のこの願いを受け継いで、目の前に人がいればブンジュ村で体験したこと、日本人の素晴らしさを伝え続けています。
初めて会った人にも突然話しかけるので「こんな時に話します?」って言われたこともあります。プロローグにもあったように、お風呂に入っていたって話しかけます(笑)。
これまで小学校で、中学校で、高校で、自治体で、会社で、お寺や神社で、セミナー会場で……さまざまなところで話し続けてきました。
村長は、日本人がその感性を取り戻すことを本気で願っているので、僕がちゃんと伝えているかを気にかけてくれています。
「今月は何回、日本人に伝えられた?」と連絡が来るほどです。
2023年9月現在、1万1938回。
村長からは、「聞いてくれた人みんなにわかってもらえなくてもいい。ただ、話し続けることが大事なんだ。話し続けることは、自分も聞き続けていることだから、ショーゲン自身も変わっていくよ」と言われました。
実際、僕は変わりました。
一番変わったことは、心に余裕を持てるようになったことです。
ブンジュ村ではいろんな人から、耳が痛くなるほど「ショーゲンは、なんでそんなに余裕がないんだ」と言われ続けてきたけれど、ブンジュ村の出来事を話すほどに、少しずつ心の余裕が身についてきたように思うんです。
日常にあふれる小さな喜びを伝えているのが「ティンガティンガ」という絵です。
僕は、僕の絵を通して、「ティンガティンガ」から感じた生きるための力、勇気を伝えていきたいと思っていました。でも、その前に大切なことがあると知りました。
日常を丁寧に過ごすということ。
とことん丁寧に。
その繰り返しの先に「生きている」という感覚や喜びを感じ、自然と心に余裕が出てくるように思っています。
今でも僕はやっぱり失敗もするし、足りないところもたくさんあります。でも失敗しても、足りないところや不足があっても、野生の感覚がそれを補ってくれる。そんな僕を、僕自身が信じています。
・・・<抜粋終了>・・・
ブンジュ村の村長の祖父がシャーマンで、夢の中で時空を超えて日本人と交信していたといいます。
ショーゲンさんは、その日本人というのが、竪穴式住居に住んでいたということで縄文時代の人だったと言われています。
それゆえブンジュ村の村人の生活は、縄文時代の人々の知恵や文化を色濃く反映したものとなっているようです。
『今日、誰のために生きる?』がベストセラーになったのは、多くの人がそうした縄文人の生き方や考え方に魅かれたからではないかと思うのです。
私は、次の新時代において、「縄文」がキーワードになるのではないかと考えています。
(2023年12月2日)
<転載終了>
ただただ、きめえ
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