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<転載開始>
我々の世界認識は我々の注意の動きに左右される。つまり、注意の動きを操ることで、我々の世界認識を変えることが可能なのだ。
ケイトリン・ジョンストン
2024年6月9日
「軍事作戦でイスラエルが人質四人救出、数十人殺害されたとガザ当局が発表」と土曜日のニューヨーク・タイムズ見出しにある。
そこで使われているプロパガンダ戦術を何も知らなくとも、これは非常に奇妙に見える見出しだ。前半は非常に明快だが、後半は理解不能で奇妙な謎か言葉パズルのようだ。
本記事執筆時点で死者236人と報じられているイスラエルによるガザでの最新の虐殺について論じるため、こうした奇妙で不可解な言語技巧をニューヨーク・タイムズは駆使している。
すぐ気づくこの見出しの奇妙な点は、虐殺で殺されたとされる人数を「数十人」と表現していることだ。ニューヨーク・タイムズ記事自体には「ガザ中心部で200人以上が殺された」と報じられているので、この見出しの正しい数量詞は「数十人」ではなく「数百人」だ。9/11事件の見出しで「数千人」ではなく「数十人」殺されたと書くようなものだ。数学的に言えば、殺された人数は数十人なのだから、技術的には正しいが、事件の致死率について読者に誤った印象を与えることになる。
次に、見出しの途中で、能動態の確信的な口調から、疑わしい受動態口調に突然替わることに注目願いたい。イスラエル人人質四人はイスラエルに安全に救出されたが、多数殺害されたとガザ当局は主張している。
多数の何だろう? 猫なのだろうか? 鶏なのだろうか? イスラエル人なのだろうか?
何で亡くなったのだろう? サルモネラ中毒か? 交通事故か? コンゴ民兵か?
この見出しからは全く分からない。
マスメディア全般、特にニューヨーク・タイムズは、イスラエルの情報権益を推進する際に「パレスチナの子ども銃弾に当たった後に呼吸停止」という受動的言葉遣いの見出しを使うので有名だが、まさに同じ見出しの中で、通常の人間の言葉から、リドラーがバットマンに残すヒントのように聞こえる言葉に替わるのを見ると、実に良く分かる。
そして興味深いのは、ニューヨーク・タイムズ編集者がここでしたことは厳密に言えば嘘ではないことだ。見出しに慎重に選んだ言葉は、どれも厳密に言えば真実だが、数百人の人間をイスラエルが虐殺した事実から読者の注意をそらすような形で書かれている。
「イスラエル、ガザ中心部攻撃で数百人のパレスチナ人を殺害、人質四人を救出」と書いても同じように真実だったはずだが、そうすれば世間の注目は反対の方向に向けられたはずだ。ニューヨーク・タイムズが世間の注目をその方向に向けることは決してない。偏向報道は常に一方通行だ。
先日、イスラエルがパレスチナ人囚人の肛門を熱い金属棒で拷問し、時に死に至らしめているとニューヨークタイムズが報じたが、その情報は記事の一番下の方に埋もれており、見出しや副見出しでは一言も触れられていなかった。
ここでも、ニューヨークタイムズが嘘をついていると厳密に非難する人はいない。同紙は真実でないことを報じたわけでも、真実を報じなかったわけでもない。読者の注意をイスラエルの犯罪からそらすため、同紙は記事の中で真実を著しく軽視しただけだ。
マスメディアに疑念を抱くようになった多くの人々は、これらメディアはアメリカ帝国のプロパガンダ機関だと正しく理解しているが、連中は常に嘘をつくと誤って考えている。実際、帝国プロパガンダ機関はこれより遙かに洗練されており、遙かに効果的だ。
完全に嘘をでっち上げて大多数の信用を失ってしまうよりも、一般的に上記のような歪曲に頼って、マスメディアは実際厳密には嘘をつかずに世論を歪曲する。帝国に利益をもたらす分野に重点を置き、都合の悪い事実を省き、巧妙な言い回しを使い、好意的な政府高官の主張は無批判に報道する一方、不利な政府高官の主張は証拠がないと言い、都合の良いニュース記事は何度も繰り返し取り上げ、都合の悪いニュース記事は一度だけ報道して、日々のニュースの渦中に埋もれさせてしまう。
記事で私はマスメディアをかなり引用する。なぜなら欧米帝国の犯罪行為に関する有益で真実な情報の多くが、ニューヨーク・タイムズなどのメディアを通して出るためだ。ただ、その情報は、それらメディアを運営するプロパガンダ担当者に軽視され、すぐ世間の注目から排除され、メディアは技術的には真実を伝えながら、世界で起きていることに関する全体的物語を操作できるのだ。
ニューヨーク・タイムズなどのメディアを編集するプロパガンダ担当者は、人間の経験は注意の動きに支配されていることを理解しているので、帝国に有利なように大衆の認識を歪められる。注意の動きを操作できれば、世界を人々かどのように認識するかも操作できるのだ。
かつて注意のことを「意識の無冠の王」と表現した人に会ったことがあるが、その言葉の正確さゆえ私はその言葉をよく思い出す。注意が意識の無冠の王なのは、その動きが、世界を我々がどう経験するか、つまり我々が何を考えるか、何に気づくか、何を見るか、何を聞くか、あるいは何であれ知覚するかを左右するためだ。しかし、我々は注意を余り重要視せず、注意によって人生がどの程度まで支配されるかを意識しない。
現実には、我々の人生経験にとって、注意力の動き以上に重要なものはほとんどない。注意力は非常に基本的なものなので、二人の人が全く同じ時間に全く同じ草原を歩いても同じ経験をすることは決してない。一人は心地よいそよ風、木でさえずる鳥、道を横切るバッタや驚くほど美しい空がある草原を経験するかも知れないが、もう一人は将来に対する精神的不安や過去に対する不満や、家族との想像上の口論や、頭から離れない心を捉える歌などと遠く離れたほとんど気づかない背景として草原を経験するかも知れない。
人が亡くなった後、人々は良く、その人の人生での行い、つまり業績や遺産や子どもを何人育てたか、どんな仕事をしたかなどについて語る。しかし実際人がどんな人生を送ったかは、何をしたかより、その人の注意の動かし方と関係がある。生涯にわたる注意の動かし方が、その人の人生そのものだ。それによって、この世での体験が実際どのようなものだったか決まるからだ。どれだけその場にいたのか。どれだけ美を体験したのか。どれだけの精神力を空想の戯言に浪費したのか。何に気づいたのか。何を見逃したのか。
世界に対する我々の認識は、私たちの注意の動きに左右される。つまり注意の動きを操作することで、世界に対する我々認識を変えられるのだ。プロパガンダをする連中は、このことを理解しているので、ウラジミール・プーチンがいかに悪い奴か何度も何度も語りながら、個々のイスラエル犯罪行為例には時折非常に控えめに言及するだけだったり、10月7日について何度も語りながら、それ以降毎日ガザのパレスチナ人に対しイスラエルが犯している虐殺はほとんど言及しなかったりすることに時間を費やす。
これによって、帝国の情報権益に利益をもたらす方向に国民の注目は向かい、情報権益を損なう方向から遠ざかるようになる。しかも実際に嘘をつく必要はないのだ。人々の世界観は、こうした巧みなプロパガンダによって形成されており、それが起きていることにさえ人々は気づいていない。
欧米帝国のプロパガンダが、これまでどこかに存在したどのプロパガンダよりもずっと効果的なのは、欧米帝国の住民が自分がプロパガンダされているのに全く気づいていないためだ。
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長周新聞 優秀な企業をいじめて、宗主国のために自国産業の首を絞める公安の愚かさを剔抉する記事。
デモクラシータイムス
<転載終了>
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