みのり先生の診察室さんのサイトより
https://ameblo.jp/drminori/entry-12860150074.html
<転載開始>

なんと!

 

ひげセンセが私のブログを読んで下さってリブログされていました照れ

 

私が採り上げた記事はひげセンセが執筆されたものでした。

 

ご本人の承諾を得ていなかったので「某ブロガー医師」と書きました。

 

私が引用した記事は2013年に書かれたものだそうです。

 

10年以上前の記事です。

 

素晴らしい記事だと思いました。

 

皆さんも是非お読み下さいねウインク

ワクチンが身体と筋肉を弱くする⁉

今日は某ブロガー医師が書いたワクチンに関する記事をご紹介。

 

なんと、この記事、2017年に書かれたもの。

 

コロナパンデミックの3年前です。

 

是非ともお読み下さい↓

 

 

 

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ワクチンが身体と筋肉を弱くする

病気で苦しまないようにと、現代人は生まれてから何種類ものワクチンを打たされる。

 

では、はたして我々の身体や筋肉はワクチンを打たれることでたくましくなってきているのだろうか? 

 

今回は免疫の話パート3。

 

現代はワクチンだらけ!
 

ワクチンは牛の乳搾りを仕事にする人たちが天然痘にかかっても軽く済んでいることをヒントに、天然痘に似た病気にかかった牛の膿を子どもに摂取して病気の発症を防ごうと、18世紀終わり頃にイギリス人医師ジェンナーが始めたとされているが、日本ではそれと同時期に、天然痘にかかった人の膿を乾かして摂取する方法が細々と行なわれていた。

 

つまり人はかなり昔から、健康な時期にわざと感染すると、大変な事態にならないようだという免疫の知識を経験的に持っていたのだ。

今のワクチンは、ウイルスや病原体の一部を分離して毒性を弱め、身体に挿入する。

 

こうすることで免疫細胞に学習させようという目的で開発された。

 

これによって現在は、我々が暮らす世界から天然痘という病気は消えたのだ(実はウイルスは厳重に保管されている)。

 

また、ポリオも小児まひという不幸な転機をたどることはほとんどなくなった。

天然痘、おたふくかぜ(ムンプス)、はしか(麻疹)、三日はしか(風疹)、百日咳、ジフテリア、日本脳炎、ポリオ、破傷風、BCG…筆者が医学生時代でもこれだけのワクチンが摂取されていて、投与される年齢や時期、回数などを覚えるのが大変だった。

 

なお天然痘ワクチンは1976年を最後に接種はされていない。

 

また一時期はしかと三日はしか、そしておたふくかぜの3つのワクチンを一緒に複数回摂取されたのには驚いた。

 

最近はこれにB型肝炎、Hib(ヒブ、インフルエンザ菌)、肺炎球菌、そしてインフルエンザやはたまた子宮頸ガンワクチンまで、ワクチンが存在している。

 

いったい、身体にどこまで人工的な抵抗力を強制的につけないといけない時代なのだろうか…。

 

医学生物学関係者でも、ワクチンの摂取時期やタイミングは覚えきれない。

 

それなのに、親や行政は本当にその仕組みを理解できているのだろうか?

 

それに、生まれたばかりの赤ちゃんが蚊や昆虫の多い田畑のあぜ道で抱かれているとは思えず、土ぼこりの舞う道で生活することもなく、部屋の中で蚊帳を吊る必要などないこの時代に、水洗便所などの下水道がほぼ100%普及している現代都市で、このような病気がヒトに感染して窒死的な流行をするのだろうか?

 

強制的に、無理矢理に摂取時期を決めて、乳児や青少年の体内に病原体の一部を入れることが、果たして安全なのだろうか?

 

なお、現在すでに接種が行なわれていない天然痘ワクチンでは、ワクチン接種後の脳炎で悲惨な副作用の報告が相次いでいた。
 

 

感染する時期を決めて良いのか?
 

ウイルスは、まず呼吸粘膜に感染するインフルエンザ、性器や口腔内の粘膜に潜むパピローマ、白血球に感染するエイズウイルスなど、感染しやすい部位や好みの細胞がある。

 

それらの場所で、感染した個体の免疫反応と戦いながら成熟し、数を増やしてから別の個体に出ていくもの、そこで潜むもの、または血液や体液に乗って全身を巡るものなどさまざまだ。

 

その段階を無視して、ワクチンとして直接身体に注射すると、どうなるのだろうか?

 

成熟していない病原体が、正規のルートをたどらない感染によって、果たして免疫が教育され正常な反応はできるのだろうか?

抗生物質のない時代に生まれた乳児は、公衆衛生状態が悪いことが重なり、細菌やウイルス、寄生虫などの攻撃に絶えず曝され、免疫力の足りない場合には命を落とした時代があった。

 

サバンナの動物の世界と同じように、環境に適応できない個体は成長できないのだ。

ライオンやヒョウは、牛やシカを皆殺しにはしない。

 

小さなもの、しかし健康な個体だけを襲って食べる。

 

弱い個体には微生物が潜んでいることを経験的に知っているからだ。

 

昔、多くの子どもは、学校ではしかをもらい、三日はしかをうつされ、流感(インフルエンザ)になり、体調が悪ければ安静にしていることでほとんどは元気になって元の生活に戻っていった。

 

もちろん、その中のごく一部の乳児や生徒は、脳膜炎や重傷の肺炎に苦しんだのは事実だ。

 

しかし都市が壊滅するほどの被害は起きなかった。

 

それは、病原体とは、元気な生き物が死に絶えては自分も生きて行けない存在だからである。

感染し発症するということは、病原体にとっては感染した相手との“話し合い”でもある。

 

うまくすれば寄生できるし、排除されても近くに似た個体があればそこでまた同じようなことをして数を増やせば良い。

 

相手を殺してしまってはいけないのだ。

 

ただ、弱い相手は勝手に死ぬ。

 

強い相手のみが微生物にとっても良い環境となるのだ。

 

生物界はすべて隙間を見つけて存在する。

 

それぞれの出会いはまさに偶然であり、意図的でありえない。


身体に不調を感じたら、とにかく休むこと。

 

筋肉の微妙な収縮を感じることができる一流ボディビルダーは、危険信号にも敏感になるべきだ

 

ワクチンボトルには“劇薬”と書いてある
 

“偶然の出会い”であるべき微生物の感染を、免疫という知識を得た人間が、恣意的に身体に覚え込ませようとするのがワクチンである。

 

それは“鍛えれば大丈夫”という一種の免疫神話である。

 

もちろん、考えられるあらゆる病原体に対し、遺伝子組み換えで抗体を作ることができる脊椎動物の免疫の強さと適応能力はすばらしいとは言えるが、幼い時代に何種類ものワクチンを投与することや、その免疫の持続期間などに不明な点が多すぎるのも事実である。

 

だから統計には出ない副作用が起きているのだ。

 

ワクチンが劇薬であることを肝に銘じるべきであると筆者はいつも思う。

 


パンデミックに怯えるべきか
 

第一次世界大戦中、スペイン風邪が猛威をふるい、多くの若者が亡くなったと記録されている。

 

若者が次々と亡くなるということから、インフルエンザが直接原因のように考える学者もいるが、はたしてそうだろうか。

 

度重なる戦争によってヨーロッパ大陸の土地が荒れ、人々は疲労困憊し、抗生物質さえ開発されていない劣悪な衛生環境があったことによる合併症とは考えられないのだろうか。

 

当時はウイルスなど想像はされていたが、医学生物学者の間でもまだ理解されていない存在だったのだから。

 

それが時代を超えて現代社会にインフルエンザのみが猛威をふるうと考えるのは、被害妄想なのではないだろうか。

2009年春、成田空港での物々しい新型インフルエンザの防疫シーンは記憶に新しいだろう。

 

メキシコで発生したインフルエンザによる死者が出たことに対する大掛かりな国家規模での検疫体勢は、なぜ日本だけで行なわれたのだろうか。

 

他の国では同様な検疫など行なわれなかったのに、大流行(パンデミック)にならなかったのはなぜだろうか。

結局、一般国民は何もわからないままでインフルエンザのシーズンは終わってしまった。

 

「強力な検疫があったことで結果的に国内での感染が防げた」という学者もいるが、世界的には検疫をまったくしなかった国でも、いつもの年と同じ感染率や死亡率だったことは、どう説明をつけるのだろうか。
 

 

ヒトはウイルスとのいたちごっこに勝てるのか?
 

インフルエンザウイルスが鳥から豚へ、そして豚の中で遺伝子が改変してヒトに移ると強毒となる――ウイルス学的な説明には納得ができる。

 

しかし改変は起きるが、毒性が強まるのは本当だろうか?

 

ヒトを絶滅するような遺伝子改変は起こっているのだろうか? 

 

種の壁を超えることができる、細胞を変化させることができるのも、ウイルスの特性なのではないだろうか。

“さまよう遺伝子”ともいわれるウイルスは、タンパク質の殻をかぶっている遺伝子である。

 

相性のある細胞にとりつき、自分の遺伝子を注入して、細胞のシステムを乗っ取る。

 

乗っ取られた細胞は信号を発して、やってきた免疫細胞(マクロファージ)に食べられるか、自ら死を選ぶ(アポトーシス)。

 

しかしウイルスはみすみす食べられたくはないので、ことを荒立てず乗っ取った細胞に隠れて時期を待つ(潜伏期またはキャリア化)。

 

免疫細胞のシステムが弱った時や、あるいは力が弱いとみると、感染した細胞を一気に破壊して外に出る。

 

その間に別の個体に感染するか身体に隠れていくのだ。

 

ワクチンの投与とは、この過程を学んだことからウイルスの侵入を予測し、前線を設けておくということだ。

安定した遺伝子構造をしていた天然痘ウイルスは、遺伝子レベルで絶えず改変を繰り返すことを予測できたことで根絶することができた。

 

しかしほとんどのウイルスは、多細胞ででき機能分化が進んだ改変しにくいヒトや他の動物の遺伝子に比べれば不安定である。

 

そこで、その不安定さを逆手にとって自らの遺伝子を変えているのだ。

 

こうすることによって、ワクチンが効かない、あるいは効きにくくなるというわけだ。

 

つまりウイルスはまったく同じ遺伝子構造を何世代もとっていないことによって、世代を超え、種を超えてさまよえるのである。


どれだけ巨大な筋肉をつけようと、どれだけ重いウェイトが持てようと、微生物はある日突然、無差別に襲い来る。

 

しかしそれは自然なこと。

 

「身体を休める時期」と思い直し、微生物と戦い、彼らとの会話や出会いを進歩ととらえよう



ワクチンは接種すべき?
 

数年前から寒くなって来ると、高齢者が重症化しないようにインフルエンザワクチンを勧めるようになった。

 

高齢者はあらゆる病原体に対して、それまで生きて来た歴史の中で学習した免疫力があるはずだというのに、だ。

 

確かに新たな病原体に対してはそれに対応する力が乏しいかもしれない。

 

けれども“起こるかもしれないから”と予防的に病原体を老化した身体にあえて注入する必要があるのだろうか?

 

「ワクチンが余っているからだろうか?」とまで疑いたくなる。

 

認知症で何も理解できないお年寄りたち、そしてその介護をする人たちに「ワクチンを接種しなくてインフルエンザが流行したら大変なことになりますよ」と、半ば強制的にワクチン接種をしている現場を見ると、妙にうさんくささを感じるのは筆者だけだろうか。

インフルエンザワクチンが効かなそうな統計が出され、かつその副作用による訴訟も目立つようになり、学童への集団接種はなくなった。

 

そのため、大量に作られたワクチンをさばく市場として乳児と高齢者が眼をつけられたのではないのだろうか。

子宮頸癌は20~40歳代というもっとも美しい世代の女性を襲い、無症状で進行し、残念な結果になることが多い。

 

フィットネスやボディビルの選手も無縁ではない。

子宮頸癌は修道女にはほとんど見られず、男性経験のある女性の方がなりやすいことは、医師の間では不思議な疑問の一つであった。

 

処女信仰の強い時代にはこの病気が軽蔑さえされたこともある。

 

それが子宮頚部粘膜でもパピローマウイルスの感染によるものと判ったのは最近のこと。

 

簡単に言えば、男性が悪いのである。

性交渉を禁止することは、ヒトという個体の存続にかかわる。

 

そこで男性側ではなく、女性側に投与するワクチンが作られた。

 

けれどもそれはたった3種類のウイルスに対するもの。

 

子宮頸癌を起こす可能性のあるウイルスは100種類もある。

 

そのうちたった3%のウイルスにしか効かないワクチンを、若年の、しかも性交渉を行なう前の女性に打つなんて!

 

それでいて、ワクチンを打ったとしても、その後の検診は打たない場合と同じように受診しないといけない。

 

ほとんどが発症せずに隠れていくウイルスに対して、これほどの無駄はあるのだろうか。

さらに現在、「3種類では少なすぎる」と、もっとたくさんの種類が同時に叩けるワクチンも開発中とのことだ。

 

検診の普及こそ強調すべきなのに、しかもワクチンで叩けば叩くほどウイルスは変異することを忘れてはいけないというのに、そして感染の根源である男性側にはなにも対策をさせていないというのに、本当にこのままのワクチン信仰が続いて良いのだろうか。
 

 

抗ウイルス剤への妄信
 

最近は、ウイルスそのものを抑えようとする薬が開発されてきた。

 

抗インフルエンザウイルスの飲み薬であるタミフルだ。

ウイルスは鼻や喉の呼吸粘膜で増殖するのに、タミフルは胃腸で溶かし、しかも血中をめぐらせて、最後に呼吸粘膜の血管まで届けるという遠回りをさせている。

 

タミフルはウイルスが細胞を乗っ取り増殖して細胞から外に出る時に必要な酵素タンパク質(ノリラミダーゼ)をブロックする薬なのだが、ウイルスはどんどん増殖するので、細胞そのものは死ぬし、ウイルスもなくならない。

 

しかも数が増えたウイルスは必ずその酵素タンパク質を作る遺伝子組み替えを起こして、タミフルに耐性を持つ。

 

つまり、わざとウイルスの遺伝子組み換えを多様にしているような薬とも言える。

 

脳への副作用の報告もたくさんあり、乱用を控えるべき薬の一つだ。
 

 

自然免疫を信じよ
 

コンテストに全身全霊を傾ける時期でも、筋トレ愛好者に容赦なく襲いかかる病原体。

 

身体がだるければ休むべきだ。

 

熱があったり、身体の節々が痛くなったりするのは、ウイルスや細菌の感染に対して、免疫担当細胞が必死に戦っているシグナルだ。

 

そこには膨大なエネルギーが必要になる。

 

病原体を取り囲む抗体もタンパク質だ。

 

遺伝子を改変するにも時間がかかり、たくさんのタンパク質からなる酵素を必要とする。

 

戦い消耗した細胞内の修復にもタンパク質が必要で、新陳代謝が早まった細胞の補充にも大量のタンパク質が必要である。

 

そのすべてにエネルギーがじゅうぶんに供給されるべきだ。

 

ただでさえ必要最低限にあるべき筋肉が、個人の興味だけで肥大化され、形を変えられた筋肉組織は、感染に対しては無用の長物でしかない。

 

その形を維持したければ、身体の声に耳を傾け、無駄なワクチンなどは摂取せず、休養すること。

 

急がば回れだ。

 

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この時はコロナもなければmRNAコロナワクチンもありません。

 

従来のワクチンの話です。

 

私は恥ずかしながらmRNAコロナワクチンが登場するまで、既存のワクチンについて疑ったこともなければ、当たり前のように打ってきました。

 

自分にも子供たちにも。

 

コロナワクチンを通して「ワクチン」というものについて考えるようになりました。

 

色々調べて勉強もしました。

 

結果、今までのワクチンについても疑問を持つようになりました。

 

本当に必要なのか?

効果があるのか?

 

と。

 

 

10年前から分子栄養学に興味を持つようになり、第一人者である大学時代の友人医師から「ワクチンをうつと自己免疫疾患になりやすい」と聞いて、その時の私はちんぷんかんぷんでした。

 

インフルエンザのワクチンは?

 

と聞くと「そんなものはいらん。ビタミンDで予防する」と答えが返ってきました。

 

インフルエンザワクチンの中にチメロサールという水銀が入っていることも知りませんでした。

 

今となっては恥ずかしいです。

 

 

毎年接種していたインフルエンザワクチンもやめました。

 

接種してもかかる。

関係ない。

 

希望するスタッフだけに接種していたけれど、接種したスタッフだけがインフルエンザにかかったりしたので中止しました。

 

 

コロナで色々と世の中変わりました。

 

本当に大変な時期もあったけれど、こんなにもワクチンや医療について考えた事はなかったので、ある意味、考えさせられた4年間でもあったと思います。

 

またコロナやワクチンが登場しなければ出会うことがなかった人々とも繋がることができました。

 

それはとても貴重な繋がりで私自身が救われました。

 

価値観を共有できるドクターにたくさん出会えたことは私の医師人生の中の大きな財産となりました。

 

ずっと孤独だったので・・・。

 

 

また思いもしなかった活動に身を投じることになりましたが、これも運命。

 

与えられた使命だと考え全うしたいと思っております。

 

 

とても大変な時代ですが、出会うべき人と出会い、やるべきことができるという意味では幸せなのかもしれません。

 

 

これから国内でも世界でも予想できなかったようなことが起きるかもしれませんが、日本という国を守るために活動していきたいと思います。




<転載終了>