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真珠湾攻撃の前に
米国が日本艦船を攻撃していたとか
だから、真珠湾が始まりではないようです。
<転載開始>
最近、興味をそそる表題を持った記事に気が付いた。去年の6月の記事ではあるのだが、内容が内容だけに決して古過ぎることはない。「あなたが知っている第二次世界大戦に関する事柄はどうして何もかもが間違っているのか? ― 5番目の点:真珠湾攻撃」と題されている(注1)。全体が8項目に分かれており、「真珠湾攻撃」は5番目に論じられている。
Mike WhitneyとRon Unzとの対談である。真珠湾攻撃以外にはどんな項目が取り上げられているのかについてご興味がおありの方は原文を覗いてみていただきたい。
本日はこの記事(5番目の項目:真珠湾攻撃のみ)を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。
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マイク・ウィトニー:日本軍による真珠湾攻撃は本当に予想外だったのか?あるいは、その前に米国から受けた数々の挑発が日本を軍事的対応に駆り立てたのか?
ロン・ウンズ:1941年12月7日、日本軍は真珠湾を拠点とする米太平洋艦隊に対して奇襲攻撃を開始し、最大級の軍艦を数多く轟沈せしめ、2,400人以上の米軍が戦死した。その結果、米国は突然第二次世界大戦に参入。この日は我が国の歴史上最も有名な出来事の一つとして「不名誉の烙印」が押された。
当時、一般の米国人の誰もが日本軍の攻撃を衝撃的で、いわれのない青天の霹靂と見なし、その後80年以上にもわたってわれわれの主流の歴史書やメディアの報道はその強い印象をさらに強めて来た。しかし、2019年に説明したように、実際の事実はそれとはまったく異なるのである:
1940年以降、ルーズベルト大統領は米国を対ドイツ戦争に直接巻き込むために大きな政治的努力を払ってはいたのだが、世論調査では人口の80%が反対していた。日本軍の爆弾がハワイに投下されるや否や、すべてが一変。突然のように米国は戦争状態に入って行った。
これらの事実を考えると、ルーズベルトが日本の資産を凍結し、重要な燃料油の出荷をすべて禁じ、東京の指導者からの度重なる交渉要請を拒絶するという彼の行政決定によって、故意にこの攻撃を引き起こしたのではないかという疑念は自然と浮かび上がって来る。バーンズが編集した1953年の巻で、著名な外交史家チャールズ・タンシルは日本の攻撃をルーズベルトがドイツに対する最高の「戦争への裏口」として利用しようとしたという
したがって、大統領は米艦隊に対する日本の攻撃計画を十分に認識しており、現地の司令官に対する警告を故意に怠たり、その結果生じる米国の大きな損失が戦争のために国民を団結させ、復讐心に満ちた国を生み出すことを確実にするという考えが、議論の余地があるとは言え、広く語られて来た。タンシルと議会調査委員会の元主任研究員は同じ1953年のバーンズの巻でこの主張を記述し、翌年には元米海軍大将が「真珠湾の最終秘密」を出版し、同様の議論をより詳細に提供した。また、同書には第二次世界大戦時では米国の最高位の海軍司令官の一人となった人物による緒論も含まれており、彼はこの物議を醸しかねない議論を完全に支持していた。
2000年、ジャーナリストのロバート・M・スティネットは、8年間にもわたるアーカイブでの研究に基づいて、裏付けとなる追加の証拠を豊富に発表した。スティネットが指摘した重要な点は、もしもワシントンが真珠湾の司令官に事前に警告していたならば、彼らが行う防御準備は地元にいる日本のスパイに気づかれ、接近してくる機動部隊に伝えられていただろうという推測だ。そして、奇襲作戦が期待できないならば、攻撃はおそらく中止され、ルーズベルトの長年の戦争計画の全てが挫折していたことであろう。様々な詳細が議論されることになるかも知れないが、ルーズベルトが予知した事柄を示す証拠には非常に説得力があると私には思える。
昨年、私はこれらの議論をさらに:
この歴史的復元は多くの追加資料によって強く支持されている。この時期、レヴィロ・P・オリバー教授は軍事情報部の上級職に就いており、40年後に回顧録を出版した際にルーズベルトが故意に日本を騙して、真珠湾を攻撃させたと主張した。
実際、真珠湾攻撃のわずか数ヶ月前、米国でもっとも人気のある雑誌のひとつである「アーゴシー・ウィークリー」は、海軍による事件に対する報復として、太平洋艦隊の強力な爆撃機が準備不足の日本の首都に甚大な損害を与えたという、まさに東京への壊滅的な奇襲攻撃を描いた架空のカバーストーリーを掲載した。ルーズベルト政権は果たしてこの記事を出版することに手を貸したのであろうか?それとも、まったく関与しなかったのだろうか?
1940年5月、早くもルーズベルトは太平洋艦隊にサンディエゴの母港からハワイの真珠湾へ移転するよう命じていた。だが、この決定は司令官のジェームズ・リチャードソン提督によって「不必要に挑発的であり、危険でもある」として強く反対された。その結果、彼は解任された。さらには:
また、真珠湾攻撃の直後に非常に奇妙な国内事件があったが、不思議なことにこれはまったく関心を引かなかったようだ。当時、映画は最も強力で人気の高いメディアであり、ユダヤ人以外が人口の97%を占めていたが、主要なスタジオのひとつしか支配していなかった。おそらく偶然だったのであろうが、ウォルト・ディズニーは反戦陣営内で真っ向から立ち向かう座を占めていた唯一のハリウッドの大者でもあった。そして、日本軍の奇襲攻撃の翌日、が、これは何千マイルも離れている日本軍からカリフォルニアを守るためであるとされ、軍事占領はその後8ヶ月間も続いた。もしも2001年9月12日に、当時のブッシュ大統領がさらなるイスラム主義者の攻撃からニューヨーク市を守るために必要だと主張し、CBSネットワークのオフィスを即座に軍が占拠するよう命じたとしたら、疑心暗鬼に駆られた心はいったいどう思ったかを想像してみていただきたい。
真珠湾は日曜日に爆撃されたが、ルーズベルトと彼の最高補佐官らが差し迫った日本軍の攻撃を完全に認識していなかったとしたら、間違いなく彼らは災害の余波に完全に気を取られていたことであろう。米軍が、実際の「奇襲」攻撃の後、月曜日の早朝にディズニー・スタジオの支配権を掌握する準備ができていた可能性は極めて低いと思われる。
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これで全文の仮訳が終了した。
真珠湾攻撃は日本軍による奇襲攻撃であったという見方は長い間皆に信じられていた。だが、それは真っ赤な嘘であった。
80年代に私が読んだジョン・トーランド著の書籍「Infamy」は、まさにこの引用記事が主張しているように、米国側が日本軍の奇襲攻撃を故意に仕向けたのだという証拠をたくさん提示していた。特に、ルーズベルト大統領はハワイの現地司令官には日本軍が近づいているという情報を隠して、与えようとはしなかったという事実が詳しく述べられており、これは私に強烈な印象を与えた。彼は奇襲攻撃がうまく行くことを願っていたのである。こうして、数多くの戦艦が沈められ、何千人もの将兵が命を落としたことによって、ルーズベルトは米国民の間に参戦気分を最高潮に高めることにまんまと成功したのである。米軍をヨーロッパの対ドイツ戦線へ送り出し、チャーチルとの約束を果たすことが可能となった。
この記事で興味深く感じた新事実は「」の部分だ。
ところで、「1941年までに、米国は日本の外交暗号をすべて解読し、その秘密通信を自由に読んでいた」という記述があるが、これについてちょっと補足しておこう。日本側は米国に解読されないように鹿児島弁を使ったそうだ。しかしながら、米国側の日本語解読班には鹿児島弁が分かる人物がいて、筒抜けになってしまったという逸話がある。
広島・長崎への原爆の投下は米軍の将兵の命を守るためには必要であったとする半ば公式見解となっている件がこの記事では扱われていないことは私には大きな不満である。これは最大級の嘘であったと私は思わざるを得ないからだ。記録によると、当時の米軍の高官らは数多くが日本軍はすでに戦闘能力を失っており、日本の降伏は時間の問題であると分析していたからだ。
それでも、この引用記事のような歴史認識を覆すのに有効な事実の発掘は極めて重要であると思う。こういった努力は賞賛に値する。不幸なことには、世の中には嘘で固められた歴史認識が実に多く、さらに新しい嘘が登場する。
参照:
注1:Why Everything You Know About World War II Is Wrong: By AND , Jun/12/2023
<転載終了>
山本五十六が戦死しておらず米国で生きている目撃されたという話は昭和30年
ころから噂され書籍も出ていた。さすがにあからさまには言われなかったが
戦死遺体が替え玉で検視も嘘まみれとあれば言いたいことは明らかであった。
彼と海軍上層部が裏切り者で米国と組んで全面戦争を始めたのは間違いない。
genkimaru1
がしました