https://indeep.jp/rethinking-about-places-of-memory/
<転載開始>
米ニューヨーク大学のニュースリリースより
nyu.edu
記憶の場所
記憶ではなく「意識」については、少し前に「人間の意識はどこにあるのか」ということについての記事をご紹介したことがありました。
ご紹介した記事そのものの要旨は、「人間の意識は完全に自由に移動しており、それは物質や次元にさえも依存していない」という結論に行き着くものでしたが、それとは別に、
「臓器移植により性格や記憶が伝播する」
という多くの実例も多く取り上げられており、特に心臓移植では、移植された側が劇的な性格の変化を経験するとして、以下のようにありました。
エポックタイムズの記事より
2024年に行われた横断研究では、心臓移植を受けた 23人の患者と腎臓、肺、肝臓など他の臓器の移植を受けた 24人の患者の性格の変化を比較した。
この研究では、臓器移植を受けた患者の 89%が性格の変化を経験したことが報告された。調査結果によると、心臓移植を受けた人の 47.8%が少なくとも 4つの重大な性格の変化を経験したのに対し、他の臓器の移植を受けた人では 25%だった。
この調査では、スポーツ活動への参加や観戦、気質の変化、食べ物の好みなど、性格の変化が報告された。
このようなことについて、コロラド大学のミッチェル・B・リースター博士という方が、「臓器に保存されたドナーの意識や記憶が移植された側に移される可能性がある」という仮説を立てまして、記憶が何に依存しているかということについて、
「エピジェネティック、DNA、RNA、タンパク質記憶、心臓神経、電磁エネルギーの 6つのタイプに分類した」
と記されていました。
こういう研究は他にも数多くありまして、現在では「記憶は脳がつかさどるもの」という概念は、ほぼ消滅しようとしています。
また、「RNAに「記憶は貯蔵」されている」という記事では、アメリカでの研究で、
「アメフラシの RNA を他のアメフラシに注入移植することにより《記憶の移植》に成功した」
ということが発表されたことを取り上げています。
「記憶の場所」の研究は、1990年代から数十年にわたって、いろいろと行われていて、1970年代までには、すでに「短期の記憶にはタンパク質(脳や神経など)は必要ない」ことも示されていました。
脳のない大腸菌でさえ超短期の記憶(4秒間の記憶)を持っていることも研究で示されています。
最近、冒頭の「記憶は脳だけにあるのではない」というニューヨーク大学のニュースリリースを知ったわけですけれど、研究は、
「脳細胞以外のすべての細胞が記憶を持っている」
ことを示したというものです。
興味深くはあるのですが、脳以外の細胞もタンパク質であるわけで、少なくとも短期の記憶には「細胞さえも不要」なのではないかという気はします。
さきほどのコロラド大学の教授が、記憶は、DNA、RNA、タンパク質記憶、心臓神経、電磁エネルギーなどによって伝播されるのではないかという仮説を立てていたように、記憶というのは、もう少し「複雑な場所」にあるものなのではないかなとかも思います。
しかし、いずれにしても、
「脳はそれほど大きく記憶には関与していない」
ということになりますと、「脳の本当の役割とは何なのだろう」ということも、やや思います。
ともあれ、まず、そのニューヨーク大学のニュースリリースをご紹介いたします。
記憶は脳だけにあるのではない
Memories Are Not Only in the Brain
ニューヨーク大学 2024/11/07
研究により、腎臓と神経組織の細胞は脳神経と同様の方法で学習し、記憶を形成することがわかった。
私たちの脳、特に脳細胞が記憶を保存することはよく知られている。
しかし、科学者チームは、体の他の部分の細胞も記憶機能を果たしていることを発見した。これにより、記憶の仕組みを理解するための新たな道が開かれ、学習を促進し、記憶関連の病気を治療する可能性が生まれる。
「学習と記憶は一般的に脳と脳細胞だけに関連付けられていますが、我々の研究は、体の他の細胞も学習し記憶を形成できることを示しています」と、ネイチャー・コミュニケーションズ誌に掲載された研究の筆頭著者であるニューヨーク大学のニコライ・V・ククシュキン氏は説明する。
この研究は、長年確立された神経学的特性である集中 - 間隔効果を借用することで、脳以外の細胞が記憶を助けるかどうかをよりよく理解することを目指した。集中 - 間隔効果とは、テストのための詰め込み学習として知られる、1回の集中セッションよりも、間隔を置いて勉強した方が情報をよりよく記憶する傾向があることを示している。
ネイチャー・コミュニケーションズの研究では、科学者たちは、研究室で 2種類の非脳細胞(神経組織から 1つ、腎臓組織から 1つ)を研究し、それらを異なるパターンの化学信号にさらすことで、時間の経過とともに学習を再現した。
これは、私たちが新しい情報を学ぶときに脳細胞が神経伝達物質のパターンにさらされるのと同じだ。それに応じて、非脳細胞(脳細胞ではない細胞)は「記憶遺伝子」をオンにした。
これは、脳細胞が情報内のパターンを検出し、記憶を形成するために接続を再構築するときにオンにするのと同じ遺伝子だ。
記憶と学習のプロセスを監視するために、科学者たちはこれらの非脳細胞を操作して、記憶遺伝子がオンになっているときとオフになっているときを示す光るタンパク質を生成した。
結果は、これらの細胞が、脳内の神経伝達物質の爆発を模倣した化学パルスが、単に延長されるのではなく、繰り返されるタイミングを判断できることを示した。
これは、脳内のニューロンが、一度にすべての教材を詰め込むのではなく、休憩を挟んで学習するタイミングを認識できるのと同じだ。
具体的には、パルスが間隔をあけて与えられた場合、同じ処理が一度に与えられた場合よりも、「記憶遺伝子」がより強く、より長い時間オンになった。
「これは集中空間効果が実際に働いていることを反映しています」とニューヨーク大学教養学部生命科学臨床准教授で、同大学神経科学センター研究員のククシュキン氏は言う。
「間隔を置いた反復から学習する能力は脳細胞に特有のものではなく、実際にはすべての細胞に備わっている基本的な特性である可能性があることを示しています」
研究者たちは、この発見は記憶を研究する新たな方法を提供するだけでなく、健康上の利益の可能性も示唆していると付け加えている。
「この発見は、記憶の仕組みを理解するための新たな扉を開き、学習を促進し、記憶障害を治療するためのよりよい方法につながる可能性があります」とククシュキン氏は述べている。
「同時に、将来的には、私たちの体を脳のように扱う必要があることを示唆しています。たとえば、健康的な血糖値を維持するために膵臓が過去の食事のパターンを記憶していることや、がん細胞が化学療法のパターンを記憶していることなどを考えてみてください」
この研究はククシュキン氏とニューヨーク大学神経科学センターのトーマス・カリュー教授が共同で指導した。
ここまでです。
なぜ、脳以外の細胞に「神経組織」と「腎臓の組織」のふたつが選ばれたのかは不明ですが(どうせなら全部の臓器の細胞で実験すればよかったのではないかとも思うのですが)、ともかく、このニュースリリースでは、以下の言葉がすべてを表しています。
「学習して記憶する能力は、人体のすべての細胞に備わっている基本的な特性である可能性があることを示している」
具体的には、記憶が収められている場所が DNA なのか RNA なのか、今回の研究のような「全身の細胞」なのかは、今のところ、どれかに絞るというわけにもいかないのでしょうけれど、ともかく、「人間は全身で学習して記憶している」という可能性が高いようです。
赤ちゃんの「記憶」や終末期の意識清明状態
同じニューヨーク大学のニュースリリース一覧を見ていましたら、以下のようなタイトルの記事もありました。
「新生児は意識を持っているのだろうか?」
そりゃまあ、「意識」といってしまえば、赤ちゃんにも「意識」はあるでしょうけれど、記事には以下のようにありました。
新しい論文によると、赤ちゃんの脳活動と眼球運動を測定した最近の研究に基づくと、新生児に意識があるという説はますます有力になっているという。
しかし、意識はともかく「記憶」となると、どうなんだろうと。
私も含めて、多くの人々は、3歳より前の記憶はほとんどないのではないでしょうか。
私自身も 3歳くらいからの記憶しかありません。
ですので、ある程度は、脳や神経の発達が伴わないと記憶の遺伝子も発動しないということなんでしょうかね。
さらに、このニュースリリースでは、以下のようにもあり、「お腹の中の赤ちゃんにも意識がある」可能性が高いことが書かれています。
乳児の脳の電流を非侵襲的に測定した研究の 1つでは、妊娠 35週以上の胎児の脳も調べられ、妊娠最後の数週間の胎児は子宮外の刺激を意識的に処理できる可能性があることが判明した。
では、それ以前の、たとえば「まだ脳が形成されていない」時期の赤ちゃんの意識や記憶はどうなのか。
…というか、以下のように、お腹の中の赤ちゃんはものすごいペースで脳を作り始めるらしいですが。
> 赤ちゃんの脳がつくられ始めるのは、在胎 18日ごろからと言われています。在胎 24週(6カ月)くらいまでに、脳はぐんぐんと大きくなります (aprica.jp)
これとは関係ないかもしれないですが、「記憶の謎」のひとつには、極度の認知障害を持つ人や、長く昏睡状態にある人などが、亡くなる直前に、正常な認知状態や通常の記憶が出てくる「終末期の意識清明」と呼ばれる状態があり、文字通りの「終末期の意識清明」という記事でご紹介していますが、これなども、非常に事例は多いようですが、理由はわかっていません。
記事より
終末期の意識清明は新しい現象ではなく、19世紀以来、医学文献に事例が記録されてきた。
1826年まで遡る末期意識清明状態の事例を調べた研究によると、この短い意識清明状態を経験した人の 84%が 1週間以内に死亡し、43%が 24時間以内に死亡した。
終末期の意識清明状態で共通するものには、以下のようなものも含まれています。
終末期の意識清明状態で共通する事項のいくつか
・明瞭かつ首尾一貫した発話
・若い頃の楽しかった思い出を振り返る
・亡くなった人、ペット、宗教上の人物を探したり話したりする
・一人旅の準備について話す
・自分の死亡時刻を正確に予測する
このうちの「自分の死亡時刻を正確に予測する」などに至っては、もう記憶を超えたものとなりますが、しかし、
「これも一種の記憶なのだろうか?」
とか思わないでもないです。
このような方々には、医学的には「もはや脳が機能していない人たち」が含まれるということを考えますと、記憶の場所というのが、身体部位を超えて存在している可能性をとても強く感じさせることでもあります。
そして、人が亡くなったあと、記憶はどこへ行くのか。
意識のほうは、それが人体とは独立して存在している可能性について、さきほどリンクした意識の記事にもありますが、「記憶」はどうなのか。
記憶が DNA だろうが RNA だろうが細胞であろうが、人体に依存しているものである限り、人体の消滅と共に消える可能性があります。
それとも、そうではないのか。
こんな時代だからこそ考えます。
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<転載終了>
genkimaru1
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