donのブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/don1110/entry-12885784509.html
<転載開始>

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【2012─ロシア🇷🇺先見の明】

ロシアは正しかった!

 

2012年、ロシアはUSAIDの活動を違法とした。
USAIDはソ連崩壊の直後にやって来て、

わずか1年でロシア政府に対するクーデターを起こした。

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90年代、丸々10年間、巨額の国家財産が外国や国内の民間人の手に渡るための

米国式マニュアルと指導が与えられた。
西側諸国では「ロシアのオリガルヒ」を批判する言葉をよく耳にしたが、

それは、一面ではUSAIDのお陰で存在した者たちである。

🔻ロシアのオリガルヒ↓

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彼らは米国の投資の障害となるロシアの税制や保険制度に影響を与えたいと考えていた。

それでUSAIDは、ロシア市民の政府に対する抗議活動を擁護せず、

逆に急激な資本主義的改革を推し進めるエリツィン大統領を支えた。

🔻エリツィン(左)と市民の抗議活動(右)

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議会はそれを許さなかった。

それで彼は、ロシア憲法に反して自己クーデターを起こし、議会を解散した。
USAIDは、1993年の憲法の危機でも1996年の選挙でも、

半ば軍事行動で多くのロシア市民に死傷者を出し、

やりたい放題のエリツィンによる抗議活動の弾圧を支持した。

🔻黒煙が上がるモスクワ↓

 

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しかし、最終的に全て失敗に終わった。
エリツィンは1999年に辞任し、暫定的な後継者としてプーチンを指名、

プーチンは2000年の選挙に勝利し、本格的に大統領の権限を受け継いだ。

🔻プーチン、暫定デビュー↓

 

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これ以降、USAIDは、57,000人のジャーナリストと84社のメディア機関を啓発し、

民間テレビ局や民間のインターネット情報局、民間の新聞社をメジャーな媒体にするための資金を提供した。

しかし、民間とは名ばかりで、実態はUSAIDに依存するものだった。

🔻本格始動した若きプーチン✨

 

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ロシアでは2012年の大統領選挙後、首都モスクワで「不正選挙」を言い立てる抗議活動が起きた。
今回は、USAIDは当然、何年もかけて張り巡らせてきたネットワークを駆使してそれを支持した。なぜなら、プーチンは彼らの言いなりでなかったからだ。

🔻色つき革命↓

 

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モスクワは、西側諸国の利益に沿ったこれらのグループが、

政府に対し暴力を用いるまでに市民たちを先鋭化させていると考えた。

そして、最終的に、それは外国政府の諜報機関であると断言した。
USAIDは「人権を守っているのだ」と言った。

🔻USAIDネットワーク、身バレ↓

 

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ロシアは、彼らがやっていることは全く別だと考え、2012年、USAIDの活動を禁止した。
西側のプロパガンダは、この決定は「民主主義と自由への侮辱だ」と力んだ。
今日、「USAIDは民主主義と自由に対する脅威だ」と断言しているのは、

他でもない米国政府自身だ。

🔻米国が認めたUSAIDの所業↓


 

 

 

 

 


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