eternalturquoiseblue(旧kamakuraboy)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ymhkobayasis/entry-12886227764.html
<転載開始>

皇太子妃時代の雅子様や愛子様への攻撃を行っていた週刊誌メディア(今やこれを上皇后陛下美智子さまのせいにしている)などが、掌返しで「愛子さま」を爆上げをする一方で、手を変え品を変えて秋篠宮家叩きを続けているのが目に余るほど凄いのですが、これって明らかにおかしく、日本国民としてけっこう不快だと思いませんか?

 

日本の根幹をなす万世一系の「天皇制」そのものへの破壊工作を行いたい勢力が明らかにいるとしか思えません。

 

 

■女性天皇と伊勢神宮の斎宮は全く別物、古代の女性天皇と現代天皇も別物

天皇家の皇祖神天照大神を祀る伊勢神宮の斎宮は代々天皇家の娘の元内親王様が引き継いできたようです。初代の斎宮は崇神天皇の皇女豊鍬入姫命、2代目は垂仁天皇皇女の倭姫命・・76代目は後醍醐天皇皇女祥子内親王といった具合に。

 

現在の伊勢神宮の斎宮は黒田清子さん(元紀宮さま)で、その前は昭和天皇の内親王であった池田厚子さんでした。

伊勢神宮によると、池田さんは1988年から、神宮祭主を務めた。黒田さんは2012~13年、臨時の神宮祭主に就任、13年の式年遷宮で池田さんを補佐した。神宮祭主は天皇陛下の代理として、神嘗祭などの祭典で神宮に赴く。代々、皇族か以前皇族だった人物が就任している。

 

従って、元紀宮様(黒田清子さん)の次に斎宮のお役目に相応しいのは敬宮愛子様です。

しかしながら、女性天皇と伊勢神宮の斎宮は全く別物だし、古代の女性天皇(6人8代)と現代天皇(表の)とでは、担っておられるお仕事の大部分の中身が全く違います。

 

池田厚子さん(昭和天皇の三女で順宮様)の代わりに2012年5月に黒田清子さんが、臨時の祭主を務めたあと、そのまま正式な斎宮となっておられます。

 

引用元

伊勢神宮祭主に清子さん 天皇陛下の長女 - 日本経済新聞

 

この仕事は年に数日間のものなのです。

 

「愛子様を女性天皇に」というのは(別ブログに以前書きましたが)、現実的ではなく、そうした意見は「天皇」の役割の重さを本当には理解していない、極めて単純な人々か、工作勢力かいずれかです。

 

以下は、以前別ブログで書いた記事を引用しながら、振り返りをしておきます。

 

 

■天皇制

我が国にとって「天皇」の果たす役割について、戦後憲法に3つの条文が示されている。

 

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

  1. 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  2. 国会を召集すること。
  3. 衆議院を解散すること。
  4. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5. 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
  6. 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
  7. 栄典を授与すること。
  8. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
  9. 外国の大使及び公使を接受すること。
  10. 儀式を行ふこと。

実際に天皇陛下がなさっておられることとしてもう少しかみ砕いてみてみると

  • 内閣総理大臣の任命
  • 最高裁判所長官の任命
  • 憲法改正、法律、政令及び条約の公布
  • 国会の召集
  • 衆議院の解散
  • 総選挙の施行の公示
  • 国務大臣その他の官史の任免、全権委任状及び大使公使の信任状の認証
  • 栄典の授与
  • 批准書その他の外交文書の認証
  • 外国の大使、公使の接受
  • 儀式

など。

 

我々国民が想像する以上に、天皇陛下は常に「公人中の公人」として、常に公的な場所での「国事行為」をなさっておられる。

 

「外国の大使、公使の接受」については、ソ連崩壊で、旧ソ連の共和国だけでも15に分かれ、旧ユーゴスラビアも6つの共和国に分かれといった具合で、日本にある駐日公館はアジアの国が20か国(中東を除く)、大洋州が9カ国、北米が2カ国、中南米が22か国、欧州が50か国、中東が15カ国、アフリカが38か国(2020年現在で大使館は152、総領事館65、政府代表部10)のようにこれだけでも大変忙しい日常であることが想像できる。

 

 

■天皇制の持つ重要な役割、国家神道の祭祀

そして最後にある「儀式」こそが実は天皇が日本という国を象徴する存在であられる証のようなもので、通常、これは天皇ご自身以外の他の人には務まらない天皇ならではの役割であり、天皇から日嗣の皇子(現行の皇室典範では男子皇族の皇位継承者第1位の方)への一子相伝のようなものと想像します。

 

伊勢神宮、宇治橋から撮影された日の出

 

秋篠宮さまは「私は皇太子としての教育を受けてこなかった」「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」(「朝日」19年4月21日付)と述べておられます。

 

重要であると同時に、ご本人にとって負担の大きいお役目である、ということが想像できます。

 

祭儀(宮中祭祀)は様々な「祈り」であり、重い意味のある行事で、ほぼ1年を通してあるようです。

 

祭儀

1月1日 - 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい)

1月3日 - 元始祭(げんしさい)

1月4日 - 奏事始(そうじはじめ)

1月7日 - 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい)

1月30日 - 孝明天皇例祭(こうめいてんのうれいさい)

2月17日 - 祈年祭(きねんさい)

2月23日 - 天長祭(てんちょうさい)

春分の日 - 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭

4月3日 - 神武天皇祭(じんむてんのうさい)、皇霊殿御神楽

6月16日 - 香淳皇后例祭(こうじゅんこうごうれいさい)

6月30日 - 節折(よおり) 、大祓(おおはらい)

7月30日 - 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい)

秋分の日 - 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい)

10月17日 - 神嘗祭(かんなめさい)

11月23日 - 新嘗祭(にいなめさい)

12月中旬 - 賢所御神楽(かしこどころみかぐら)

12月25日 -大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい)

12月31日 - 節折(よおり)、大祓(おおはらい)

 

「祭祀に関しては、事前の潔斎と平安装束を着用する事に加え、長時間の正座が必要であり、生前の昭和天皇は祭祀が近づくと、正座してテレビを視聴するなど、意識的に長時間正座することを心がけていたという。明仁陛下も新嘗祭の時節が近づくと、昭和天皇と同様に正座の練習をしていたといわれていたが、在位20年を経た2009年(平成21年)以降は、高齢であった明仁陛下の健康への配慮、負担軽減のため、祭祀の簡略化や調整が計画、実施されていた。 」

などとあります。

 

日常多くの祭祀は天皇の代わりの方、神道の儀式をなされる方が一部を代行して担っているそうです。

 

引用元:https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%
80_%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80%E3%81%AE%E6%A6%82%E8
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80

 

 

■秋篠宮家

2002年3月19日に、初等科4年生10歳の眞子様(当時)と初等科1年生で7歳の佳子様はご両親と共に初の伊勢神宮ご参拝をなさったのが最初の伊勢神宮参拝で、眞子様(当時)は2006年、2009年、2011年にも折々に参拝なさっておられたようです。

 

2013年3月の式年遷宮の際、幼稚園の卒園のご報告をかね、悠仁様は6歳で初の伊勢神宮参拝をなさり、9年後の2022年10月1日に単独で伊勢神宮を参拝されています。

 

■愛子様振り返り

敬宮愛子内親王は2001年(平成13年)12月1日に皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下ご夫妻)長女として誕生。

 

諱は愛子、御称号は敬宮(としのみや)、お印はゴヨウツツジ(五葉つつじ)。勲等は宝冠大綬章。身位は内親王、とあります。

 

昭和時代、皇太子ご夫妻のお子様方は「浩宮様(現在の天皇陛下)」、「礼宮様(秋篠宮皇嗣殿下)」、「紀宮様(黒田清子さん)」という各々の称号で呼ばれておられました。

 

現在の皇室では、内親王殿下である愛子様についてはご両親である天皇皇后ご夫妻や祖父母である上皇上皇后ご夫妻が「敬宮」と概ね呼ばずに「愛子」とお呼びになり、メディアなどもすっかりそれに従っており、一般からも「敬宮様」という称号で呼ばれることは殆どなく、「愛子さま」と呼ばれることが多いようです。

 

2005年2月、皇太子殿下(現在の天皇陛下)はお誕生日会見の際に、以下の様に語っておられます。

「愛子の名前のとおり、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには、私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です」

そう述べて米国の学者ドロシー・ロー・ノルトの「こども」という詩を、ゆっくりと読み上げた。 

 批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる
 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる(中略)
 しかし、激励をうけた 子どもは
 自信を おぼえる
 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる(中略)
 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

 

今から約20年前、父親の積極的な育児参加が周囲に十分に理解され、許容される時代ではない中、2003年2月、43歳の誕生日会見で、皇太子さまは父親の育児への参加が母親の負担を軽くし、子供との触れ合いを深めると述べた。「子供をお風呂に入れたり、散歩に連れて行ったり、離乳食をあげることなどを通じて子供との一体感を強く感じます」と。

 

元宮内庁職員は「保守的な皇室で、ましてや皇太子がそう口にすることに、『東宮家は公務よりも家庭が優先』と反発もあった」と振り返る。

 

2006年6月、学習院幼稚園での父親参観の日。シトシト雨が降り続ける中、雨がっぱを着て、身体より大きな傘を差す幼い愛子さまと、その小さな手をしっかりと握りながら歩く皇太子さま。

 

本当に微笑ましいお姿です。

愛子さまを「抱きしめ」続けた天皇陛下の温かいまなざし 離乳食とお風呂の育児にも参加! | AERA dot. (アエラドット)

 

 

2006年3月13日、ディズニーリゾートを訪れた4歳頃の愛子様

皇太子ご一家は千葉県浦安市の東京ディズニーリゾートを訪れた。 ご一家を世話する東宮職は、同世代の多くの子供たちが経験することを愛子さまにもさせてあげたい、というご夫妻の願いから実現したと伝えた。 ご一家と雅子さまのご親族(具体的には池田礼子さんご夫妻と息子さん1名の他、女児を連れたもう一組の親子の方も同行)は午前11時から夕方まで、東京ディズニーシーと東京ディズニーランドをまわった。

 

 

 

これも当時一部の人々から格好の批判の材料にされました。

 

そのようなこともあってだったのかその後、雅子様は日本から離れて外国でのご静養が必要となり、・・

2006年8月、オランダ王室の招きで静養に行かれた皇太子ご一家 4歳の愛子様。

 

ところで、愛子さまのお耳は丸くて耳たぶの外縁がぶ厚いのが特徴

 

 

2007年5月15日、学習院幼稚園の遠足に向かう5歳の愛子様と雅子様。

 

2007年12月、6歳の愛子様と皇太子殿下(当時)

 

2008年4月、学習院初等科にご入学された愛子様。

 

2008年5月19日、学習院初等科の1年生の遠足で、葛西臨海公園を訪ねられた。

 

2008年12月、学習院初等科1年生で7歳の愛子様、ご一家と愛犬2匹の写真。

 

2009年12月、初等科2年生で8歳の愛子様。

2010年12月、初等科3年生で9歳の愛子様。8歳の時の写真と同じ構図。

 

そして、実はこの辺りから愛子様の登校について、皇太子ご一家の、とりわけ雅子様にとっての危機が発生していたともいえる状況となっていました。

 

■学習院初等科2年の終わり頃から、乱暴な男子児童の存在から、不規則登校や雅子様の付き添い登校となった

「異様な親子」と非難されても…… 雅子さまが不登校の愛子さまに寄り添い続けた日々

 

2010年(平成22年)3月5日、野村東宮大夫が愛子さまが体調の不調、通学に不安があると定例記者会見で発表。

「同じ学年の別の組に乱暴なことをする児童がいて、宮さまを含め、他の児童に乱暴していることが原因と判明しました」

 

2010年4月、愛子さまは学習院初等科の3年生に進級されたが、5月に入っても愛子さまの不規則な登校は続いた。

雅子妃は付き添われたまま学校に残られて、教室内や廊下で授業を見守られたり、休み時間に校庭で遊ばれる姿を隅から眺められたりなさっていた。

 

お付き添いが長期化したことから、世間からは「母子密着」「甘やかし過ぎ」「プライベート優先」などといった声が聞こえ始めた。

 

2010年8月、学習院初等科3年生で9歳の愛子様。

8月4日、須坂御用邸へ向かうため、下田駅に到着された皇太子ご一家、愛子様は初等科3年生で8歳。

皇太子ご一家、8年ぶりに須崎御用邸で静養(2010年8月4日掲載)|日テレNEWS NNN

 

最も重要なのは、愛子さまご自身が、学校に行きたがっているということだった。だが勇気が出ないといわれた。だからこそ、雅子妃は世間から非難されても愛子さまが集団生活を続けるためにはお付き添いしか方法がなかったのだ。

 

2011年(平成23年)9月14日、愛子さまの校外学習(2泊3日)に雅子妃が山梨県山中湖村まで付き添われることになった。

両殿下は、校外学習は愛子さまがお1人で学校に行けるきっかけとなる大きなチャンスだと期待されたそうだ。だが、愛子さまはお1人で行くことまでは勇気が出ないとおっしゃる。雅子妃が子どもたちの一行から少し遅れて後から付いていくことになった。

 

「愛子さまは既にお1人で登校することができたので、後もう少しというところでした。次はこの校外学習を大きなステップとして自信を付けていただいて、完全にお1人で登校ができるように繫げられたかったのではないでしょうか。両殿下としても大きな賭けに出られたのだと思います」(元東宮職)

 

だが、この校外学習は、大きな波紋を呼ぶことになった。

「異様な親子」と非難されても…… 雅子さまが不登校の愛子さまに寄り添い続けた日々 | 文春オンライン

 

 

2011年12月、初等科4年生で10歳の愛子様。ご一家で積み木遊びを(写真提供:宮内庁)

前髪を切って揃えておられる愛子様。


2012年12月、初等科5年生で11歳の愛子さま 、珍しい笑顔のお写真ですが耳の形が・・

 

2013年12月、初等科6年生で12歳の愛子様。

 

■愛子様の伊勢神宮ご参拝と武蔵野御陵ご参拝

愛子様が伊勢神宮を初めてご参拝なさったのは2014年7月29日で、初等科をご卒業して学習院女子中等科1年生のときでした。

 

昭和天皇の武蔵野御陵のご参拝も7月15日。愛子様は中学1年生になられて漸く皇祖神と昭和天皇と香淳皇后様の御陵、つまり曽祖父母の墓参りを行ったことになります。

 

武蔵野陵に参拝された時、愛子様が玉串の奉納の仕方を間違えたので、神官が慌てて駆け寄りお助けしたなど些末なことで、ごく一部ですがやはり攻撃する人々もいました。

 

■学習院女子中等科時代も「午後登校」を繰り返すなど不規則登校

2014年秋学習院女子中等科ご入学後も二学期に入り“午後登校”を繰り返されるなどの不規則な登校状況が続き、特に学習院関係者の間で、愛子様が1か月近く“毎週金曜日は午後に登校される”と批判。

 

その理由は金曜日の時間割が1眼目HR、2限目 数学、3限目 理科、4限目 数学となっており、理数系、特に数学が苦手と伝えられてきた愛子さまが金曜日の午前中はその苦手な科目がずっと続くためなのだと。また、二学期の期末テストの3日間8教科分を全て欠席なさったとも報じられていました。

 

 

2014年12月、学習院女子中等科1年生で13歳になった愛子様。宮内庁によって公開された画像。

 

中等科の制服姿で、このように大きな犬を抱っこしておられる写真もなどもあります。前髪を横にゴムで結んで束ね、額を出しておられる愛子様。犬を抱っこすることで、カメラの前での不安を落ち着かせておられたのでしょうか。

 

以下は 2015年、愛子様が14歳(中学2年生の頃)女性セブン2016年10月27日号の記事をネットから拾ってきた記事です。

「長期欠席の愛子さま 将来への夢への葛藤が理由との声も」

 

愛子さまの欠席は、3週目に突入した。だが、病院で検査を受けられても「特段の問題はなし」。体調面だけでなく精神面でも不安を囁く声が増えている。実は、長期欠席の前日、愛子さまは「お忍び」である場所に足を運ばれていた。

 

「小学校時代のいじめ問題、中学校に入ってからの不規則登校の時でも、2週間以上も続けて学校を休まれたことは一度もありませんでした。宮内庁側は大きな心配はないと喧伝していますが、これは尋常ならざる事態が起きていると考えざるをえません」(皇室記者)

 

9月26日から2週間以上、愛子さまは学習院女子中等科を欠席された。10月6日には、雅子さまに連れられて宮内庁病院で検査を受けられた。

 

7日の小田野東宮大夫の記者会見では愛子さまについて矢継ぎ早に質問が飛びました。最近見るからにおやせになった愛子さまの健康面に何か重大な懸念があるのか、学校生活への不安や、何かしらお心に大きな負担を抱えられているのではないかそれでも大夫の説明は、ふらつきや胃腸の弱まりといった症状はあるものの、“特段の問題はなし”。原因は夏休みの宿題の提出や運動会の練習による『お疲れ』の一辺倒でした」(前出・皇室記者)

 

本稿締切日の10月11日にも、愛子さまが姿を見せられることはなかった。お休みは、3週目に入った。

 

それにしても、同級生たちはいつも通りに登校しているし、中学生が「疲労」を理由にして2週間以上学校を休むとは普通は考えられないことだ。長期欠席に入られる直前、愛子さまの周辺で何か重大な事態が起きていたのではないか──宮内庁関係者が明かす。

【画像】愛子さまが長期欠席 将来への夢への葛藤が理由との声も - ライブドアニュース

 

 

■体型が短期間でコロコロかわる

2016年12月、女子中等科3年生で15歳の愛子さま。「セブン」という子猫を飼い始められたことを発表(写真提供:宮内庁)

 

2017年2月17日、当時皇太子様の誕生日に先立ち、東宮ご一家の写真が記者に配られ、そこに写っていた愛子さまの姿に世間では驚愕が広がった。 

 

女性誌(女性セブン)の2017年3月16日号では「愛子さまが昨秋以降の激やせによって、18キロ体重が減少した」という宮内庁関係者の証言を報じている。

 

「その後本来の体形に近づいたのであれば、愛子さまは約半年で15キロ近く体重が増えたとも推測」「拒食症の後に過食症となったのではないか」などと心配する声も上がった。


2017年3月22日に学習院女子中等科をご卒業なさった15歳の愛子様。

 

ご卒業の写真でみる愛子さまの体型はごく普通で、上の激やせ写真などと全く異なります。

 

僅か1か月の間でこのように体型が変わるなど、流石にちょっとあり得ないでしょう?

 

■高校1年生の夏休み明けの9月から学校を欠席しがちとなった愛子さま

2017年9月、中等科ご卒業から半年後の高校1年の夏休み明けに「加速する“激ヤセ”、高校進学後は留年・中退の可能性も」などといった報道が女性誌で飛び交った。そして、その後も体調不良などを理由に学校を欠席されることが目立つようになった。

 

 

以下は当時の週刊誌記事よりそのまま引用。

昨秋の長期欠席に続き、12月1日の15才のお誕生日に際してのお写真、さらに今年2月の皇太子さま(57才)のお誕生日のご一家写真での愛子さま(15才)の変化に、衝撃を受けた人は少なくないだろう。あまりの面変わりに、「摂食障害」を危惧する声も叫ばれた。  

しかし、最近では一時期の激やせの頃に比べると、急激に体型が戻られているとのこと。回復のステップを着実に踏まれているような印象も受ける。だが、そう楽観視はできないようだ。
「お元気そうな様子が見受けられる半面、高校入学後も授業を欠席することが多く、1学期のあいだ中、『まだら登校』のような状態が続いています」(学習院関係者)

本誌・女性セブンが確認する限り、愛子さまは高校入学後のガイダンスが行われた4月11日と12日を欠席。通常授業初日だった13日まで3日連続で欠席された。17日から19日も同様に3日連続でお休み。24日の欠席は、「翌日の球技大会に向けて大事をとった」という。5月8日から12日には、天候不順による風邪を理由に5日連続でお休み。さらに翌週の15日もお休み。6月に入ってからも、第4週は出席できたのが22日の1日だけ。期末テスト直前の6月29日と30日には、「テスト勉強のお疲れ」を理由に学校を休まれた。だが、これはあくまで本誌が確認できている範囲で、さらに欠席が多い可能性もある。増え続ける欠席日数は、愛子さまの不安定な状況が続いていることを物語ってはいないか。
「東宮大夫の会見で、記者から“授業の半分も出ていないんじゃないか?”“本当に大丈夫なのか?深刻な体の異常があるのではないか?”と質問が飛んだこともありました。体形が戻った上で、しっかりと日々学校に通われているのなら一安心とも思えるのですが…」(皇室記者)

愛子さまの変化を示す5枚の写真(2016年5月、8月、2017年2月、4月、7月)を見て、精神科医の片田珠美氏は次のように警鐘を鳴らす。
あまりにも劇的に体形が変化しすぎているように感じられます。昨年5月のお姿は、これまでの愛子さまのイメージに近いですが、8月には全身が少し華奢になったように映ります。その後、昨秋のお休みを経て、今年2月のご一家での写真はかなりやせ細っている印象です。それから5か月ほど経った7月の写真では、一気に昨年5月の頃まで体形が戻っています。約1年2か月の間にここまで上下動があるのは、愛子さまが拒食と過食を順に繰り返したからではないかと危惧せずにはいられませんつまり、愛子さまは体形が元に戻ったのではなく、過食による体重増加の途上なのではないか、という不安が募るのです」

俗にいう「拒食症」と「過食症」は、摂食障害という一本の軸の違う状態にすぎず、しばしば交互に出現する。ベスリクリニック院長で心療内科医の田中伸明氏が解説する。「ある時期は拒食症になって食べ物を体に入れなくなったり、食べても嘔吐したり下剤をのむなどして一切の栄養を摂らなくなる。またある時期になると過食症になって大量に食べ物を摂取するようになります。摂食障害の患者の半数には再発傾向があり、拒食、過食、その後にまた拒食、と、繰り返してしまうケースが多くあります」

本誌・女性セブンは2017年3月16日号で、「愛子さまが昨秋以降の激やせによって、18キロ体重が減少した」という宮内庁関係者の証言を報じた。そこから考えると、もともとの体形に近づいたのであれば、愛子さまは約半年で15キロ近く体重が増えたと推測できる。はっきりとした因果関係はわからないが、別の学習院関係者は愛子さまのこんな様子を目撃していた。
「4月16日に学習院目白キャンパスで『オール学習院の集い』というイベントが行われ、愛子さまはお友達と体験乗馬会に参加されるなど笑顔を見せられていました。愛子さまは大学食堂でお昼を召しあがったんですが、カレーライスをかなりのスピードでぺろりと完食。食後にはバニラアイスの『ビスケットサンド』をデザートに召し上がっていました。今思えば、かなりの食べっぷりだったな、と」

引用元:

http://i.imgur.com/ltH7lNE.j
 

2018年以降の愛子様はどちらかといえば、それまでと打って変わり、ふっくらとなさった。

 

2018年12月、学習院女子高等科2年生17歳の愛子さま。

口元を見ると、なかったはずの八重歯があるようにみえます。

 

2019年12月、学習院女子高等科3年生で18歳の愛子さま。

八重歯あり、四角くて耳たぶの薄い「愛子さま」。

 

因みに2016年7月26日、六本木にある国立新美術館を訪れ、ルノワールの展覧会をご家族で鑑賞された15歳の頃の愛子様は、下の写真の様に、丸く耳たぶが厚いお耳です。耳は造作しにくいので、わかりやすい個体識別の材料なのです。

幼少期の愛子様

 

2021年 20歳の「愛子さま」

 

2022年 21歳の「愛子さま」 八重歯なし(元々本物の愛子様には八重歯はなかった)

 

2023年22歳の「愛子さま」

 

 

2024年22歳の「愛子さま」

 

 

■大学ご卒業まで単独のご公務は皆無

「在学中は学業優先の方針でしたが、ご卒業以降は皇室のご活動に積極的に関与して両陛下をお支えしたいということも、留学や進学ではなく、就職を選択された大きな動機だったようです。日赤での仕事と皇室のご活動の両立という前提のもと、当初、日赤側は週3日程度の勤務を想定していました」(宮内庁関係者)

ところが現在、愛子さまは、ほぼ毎日、日赤本社に出社されているという。

 

「女性皇族は、各種団体の名誉総裁に就いていたり、ご家族からイベント参加を引き継がれていたりと、それぞれ担当の公務をお持ちです。

 

佳子さまも例外ではなく、日々単独での公務に邁進されています。たとえば、4月には、『全国高等学校女子硬式野球選抜大会』を観戦されたり、6月には『東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート』に足を運ばれたりと、単独でのお出ましの数は3か月で6つほど。さらに5月のギリシャへの公式訪問をこなされ、それに伴う説明や準備、ご報告の参拝などもありましたから、愛子さまと比べるとその数は圧倒的と言えるでしょう。

 

愛子さまは数か月前まで学業に専念されていたため、この段階で回り持ちの公務がないことは、仕方のないことです。しかし、この種の単独公務が半年でわずか1回というのは頻度が少なすぎるという声も聞こえてきています」(前出・宮内庁関係者)

 

 

■愛子様の単独でのご公務の数は半年に1件、年間僅か2件

初の単独ご公務は大学ご卒業後からでした。

 

昨年5月11日に東京千代田区の国立公文書館で平安文学に関する春の特別展「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!――」を視察するというものだったそうです。

愛子さま 初めての単独公務で平安文学に関する特別展へ | NHK | 皇室

 

 

そして2度目の単独でのご公務は、10月に初の単独での地方でのご公務として佐賀県をご訪問するというもの。佐賀県庁を訪問したあとで、国民スポーツ大会をご視察。

愛子さま、佐賀県庁を訪問 初の単独地方公務(2024年10月11日掲載)|日テレNEWS NNN

 

 

■ティアラ

女性皇族は成人後に、正装をなさる際に身に着けるティアラを新調なさるのがこれまでの慣例のようだったのですが、今上天皇の唯一の内親王であるにもかかわらず、一部の方々の批判をさけるためなのか、愛子様はティアラを新調せずに、「紀宮様」であった叔母の黒田清子さんから借りたものを使用なさっておられます。

 

黒田清子さんのティアラはミキモト製。眞子さんのティアラは和光製、お値段は2856万円、佳子様のティアラはミキモト製でお値段は2892万円だったのだそうです。

 

昨年の初の単独ご公務の際、白いスーツに合わせて手に提げておられたバッグは22年前に雅子さまが使用されていたバッグ。

 

今年の1月22日、愛子さまが新年恒例の皇室行事「歌会始の儀」に初めて出席された際に着ておられたのは、雅子さまが皇太子妃時代に何度か着用されていたクリーム色のドレスとジャケット、そして帽子のワンセット。

 

 

 

恐らく、倹約できるところは出来るだけ倹約なさっておられるようです。

 

「学業ご優先」ということで、単独のご公務を始められたのは大学ご卒業後、最初の年であったので抑え気味であったのか、昨年は僅か2回。一つは極めて負担の少ない都内千代田の源氏物語展、一つは佐賀の国民スポーツ大会の視察でした。

 

週2,3日の非常勤のはずが毎日普通のOLのように通勤なさり、しかも、その場所は「白兎」の噂がささやかれる日本赤十字社神道では「血」の穢れを最も嫌うのに、です。

 

 

■秋篠宮眞子様時代の眞子さん

眞子様は2008年、高校2年生のときに初の単独公務となった「野間馬」の贈呈式に出席して立派に果たされたのを始めとして、10代の頃から単独ご公務をなさり、今の「愛子様」と同じ年齢の頃には、既に多数のご公務を立派にこなされておられたそうです。

 

また、2014年には東日本大震災の被災地へのご訪問もなさっています。

 

あまりのご多忙で、日本を離れて治安の悪い米国に脱出したくなるほどに、女性としても人としても自由な生活をお求めになったのも無理からぬことだったのかもしれません・・

 

天皇陛下以外の皇族の方々にとっても、年に数回、数十回の「ご公務」をこなしていくことは、精神的な重圧や肉体的負担がかかるお仕事であることは明らか。

 

そもそもが、皇太子時代の今上天皇陛下の様に、体力づくりに励まれ心と体を鍛えた方にとっても、大変なお役目のようです。

 

参考

愛子さま、歓迎会の翌日の朝に遅刻し「起きられませんでした」と謝罪 “時間管理”は雅子さまと共通の課題|NEWSポストセブン

 

愛子さま(23)遅刻連発で迫る“母娘シンクロ”の悪夢 「公務選り好み」にも心配の声が… | 文春オンライン

 

 

おまけ  

耳たぶ・・


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