eternalturquoiseblue(旧kamakuraboy)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ymhkobayasis/entry-12888917114.html
<転載開始>

「新自由主義」と称される経済政策の究極の結果は、競争に勝った強者が全てを奪う社会を作りだし、より強いものはより強く、真面目で勤勉な多くの大人しい人々は、結果的に搾取され続けるという循環を生み出すものでしかないように思います。

 

 

■嘗て日本は成功した社会主義国と称される時代があった

戦後の日本は池田勇人内閣の「所得倍増計画」 などで「成功した社会主義国」などと呼ばれる時代もありました

 

1940年 第2次近衛内閣 により、 経済新体制確立要綱が閣議決定され、 計画経済を目指すことになり、この時確立した経済体制は1940年体制とも呼ばれ、終身雇用・年功序列・企業別組合などが導入された。

 

日本では戦時体制により、官僚主導の開発主義体制が形成された歴史があり、日本の官僚機構は敗戦後の連合国軍占領下においても存続し、GHQの意向を受けて政教分離、財閥解体、農地改革、シャウプ勧告などの改革を次々と実行し、独占資本や地主階級が一時的にせよ没落し、中産階級が形成された。

 

但し独占資本はその後、三井、三菱、住友、安田などの流れを汲むメインバンク主導の企業グループという形で復活し、「護送船団方式」と言われる、官僚と財界の協力関係が築かれた。

 

日本型社会主義 - Wikipedia

経済新体制確立要綱|アジ歴グロッサリー

 

 

一億総中流

1970年代の日本の人口1億人にかけた言葉として、「一億総中流 」 という言葉がありましたが、具体的には1958年に内閣府が実施した「国民生活に関する世論調査」で、回答者の約7割が自分の生活程度を「中の上」「中の中」「中の下」と回答したことが背景にあった。

この中流意識は、1960年代から1970年代にかけての高度経済成長期において、所得の増加や生活水準の向上、耐久消費財の普及などが影響して広がった。終身雇用や年功序列賃金といった当時の日本型雇用慣行も、中流意識の形成に寄与した、とあります。

 

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■新自由主義の台頭

原油国内での紛争から始まった、1973年~77年と78年~83年の二度の「オイルショック」以降、世界経済では「新自由主義」の傾向が高まり、日本型社会主義は緩やかに解体へと向かったとされています。

 

新自由主義は、1980年代の米国や英国においては、ロナルド・レーガン大統領やマーガレット・サッチャー首相によって推進されました。

 

新自由主義(ネオリベラリズム)

経済政策および政治思想の一つで、自由市場の原則を重視し、政府の介入を最小限に抑えることを主張する考え方。

 

主要な特徴
⓵市場の自由化: 規制緩和や自由貿易の推進を通じて、企業や個人の経済活動の自由度を高めることを目指す。
②小さな政府: 政府の役割を縮小し、公共サービスや社会保障の民営化を進めることを推奨します。
③競争の促進: 競争を通じて効率性を高め、資源の最適配分を図ることを重視する。
 

この思想は、経済成長や効率性の向上に寄与する一方で、社会的格差の拡大や公共サービスの質の低下を引き起こすとの批判もあります

 

 

■新自由主義を始めた中曽根内閣

1981年、中曽根康弘を行政管理庁長官とする鈴木善幸内閣は「増税なき財政再建」を掲げ、「第二次臨時行政調査会」(以下、第二臨調と記す)を設置し、新自由主義政策への地ならしを始めた。 

 

82年に中曽根が首相となると「規制緩和」と「国鉄の民営化」により、戦後日本の政治と経済を米国との協調体制に改造するための総決算「中曽根民活」を強行

 

(第2部2回) 故 中曽根康弘の「功績」 | 横浜市従

 

 

この中曽根内閣こそが、その後の日本社会の停滞路線を開いた内閣であったあともいえます。

 

USドル/円の為替レートの推移(1980~2025年) - 世界経済のネタ帳

 

上のグラフは1980年代から2025年現在までのおよそ40年間の円ドル為替レートの推移を示したものです。1985年~86年に急激な円高となっています。

 

中曽根内閣(第一次内閣: 1982年(昭和57年)11月27日~
第3次内閣: 1986年(昭和61年)7月22日~1987年(昭和62年)11月6日)までに起った急激な円高によって、日本経済は完全にそれまでとは異なる様相を呈し始めました。

 

急激な円高が起こったのは当時、日米の経済摩擦が激しくなっていた中で、米国の強い要求を受けて先進国5カ国(G5)の財相と各国の中央銀行総裁がNYのプラザホテルで集まった会議で所謂「プラザ合意」(注)が交わさた結果でした。

 

その翌年にはなんと円ドル相場がプラザ合意前の1985年9月22日には1ドル235円で取引されていたのが、合意後の翌日には1ドル215円にまで円高が進み、翌年の1986年には1ドル=150円台で取引されるようになったわけです。

 

 

 

(注)「プラザ合意」の具体的な内容

・ドル高是正: ドルの価値を下げるために各国が協調して為替市場に介入する。
・貿易不均衡の是正: 特に米国の対日貿易赤字を削減するため日本が内需拡大を図る。
・金融政策の調整: 日本銀行が弾力的な金融政策を行う。

 

などであったそうです。

 

具体的には1985年9月22日、NYのプラザホテルで開かれた先進5カ国(G5)の財務大臣及び中央銀行総裁らが出席して、ドル高是正目指して開かれた歴史的会議でなされた合意のこと。会議の参加メンバー

 

米国: ジェイムズ・ベイカー(財務長官)
日本: 竹下登(中曽根内閣当時の大蔵大臣)
英国: ナイジェル・ローソン(財務大臣)
西ドイツ: ゲルハルト・シュトルテンベルク(財務大臣)
フランス: ピエール・ベレゴヴォワ(経済財政大臣)

 

プラザ合意に出席した中央銀行総裁
米国: ポール・ボルカー(連邦準備制度理事会議長)
日本: 澄田智(日本銀行総裁)
英国 ロビン・リー・プレンティス(イングランド銀行総裁)
西ドイツ: カール・オットー・ポール(ドイツ連邦銀行総裁)
フランス: ジャック・ド・ラロシェル(フランス銀行総裁)

 

【プラザ合意とは】簡単にわかりやすく解説!!背景や目的・内容・日本への影響など | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト

 

 

■金融政策における為替介入

多くの場合、二国間の力関係が影響する重要な要素とされている。具体的には、以下の要因が考えられる。

貿易バランス: 一国が他国との貿易赤字を抱えている場合、その国の通貨が過度に強くならないように為替介入を行うことがあります。逆に、輸出を促進したい場合には通貨を弱く保つために介入することもあります。

資本フロー: 外国からの投資や資本の流入が増えると、その国の通貨が上昇する可能性があります。これを抑制するために為替介入が行われることがある。

政治的・外交的な影響: 二国間の政治的・外交的な関係も為替介入に影響を与えることがあります。特に、主要な貿易相手国や戦略的な同盟国との関係が重要視される。

国際協調: 一部の為替介入は、国際的な協調の一環として行われることがある。例えば、G7やG20などの会合で協調介入が合意される場合。(プラザ合意がまさにこれ)

これらの要因が複合的に作用して、為替相場が影響を受けるため、為替介入は単なる一国の決定だけでなく、国際的な力関係や経済状況に大きく依存する。

出典

「国際経済学の基礎」 (Author: Paul R. Krugman, Maurice Obstfeld)
この教科書は、貿易と為替相場についての基礎的な理論を解説しており、為替介入のメカニズムやその影響についても詳しく述べられている。
 

「The International Monetary System: Past, Present, and Future」 (Author: Paul R. Krugman)この書籍では、国際通貨システムの歴史と現状について解説し、為替介入の歴史的な事例とその影響についても議論されています。

「Open Economy Macroeconomics」 (Author: Martin Uribe and Stephanie Schmitt-Grohe)この教科書は、開放経済におけるマクロ経済学の理論を扱っており、為替介入や国際資本フローについても言及しています。

「International Finance: Theory and Policy」 (Author: Paul R. Krugman, Maurice Obstfeld, Marc J. Melitz)この書籍では、国際金融の理論と政策について解説し、為替介入の実例とその効果についても詳しく説明している。

 

 

参考

 

 


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