マスコミに載らない海外記事さんのサイトより
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-763aad.html
<転載開始>
ヴァネッサ・セヴィドヴァ
2025年3月10日
New Eastern Outlook
3月6日と7日に、ラタキアとその周辺での暴力行為を撮影したビデオが公開され、武装した男がピックアップトラックで街をパトロールする様子や、他のより不穏な光景が映し出された。これは、12月のクーデター以来、シリア情勢の最も致命的な激化だ。
シリアで虐殺が激化

シリアの最新ニュース
3月6日以来、シリア沿岸のラタキア、ラタキア県、タルトゥース県で激しい衝突が報告されている。シリア国内外の様々な報道筋によると、木曜日にアラウィー派が軍の拠点やインフラを攻撃し、ダマスカス政府治安部隊と政府支持派の戦闘員が激しい対応をとったと広く報じられている。沿岸地域に通じる道路は封鎖され、反乱鎮圧のため政府軍増援部隊が派遣された。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-763aad.html
<転載開始>
ヴァネッサ・セヴィドヴァ
2025年3月10日
New Eastern Outlook
3月6日と7日に、ラタキアとその周辺での暴力行為を撮影したビデオが公開され、武装した男がピックアップトラックで街をパトロールする様子や、他のより不穏な光景が映し出された。これは、12月のクーデター以来、シリア情勢の最も致命的な激化だ。
シリアで虐殺が激化

シリアの最新ニュース
3月6日以来、シリア沿岸のラタキア、ラタキア県、タルトゥース県で激しい衝突が報告されている。シリア国内外の様々な報道筋によると、木曜日にアラウィー派が軍の拠点やインフラを攻撃し、ダマスカス政府治安部隊と政府支持派の戦闘員が激しい対応をとったと広く報じられている。沿岸地域に通じる道路は封鎖され、反乱鎮圧のため政府軍増援部隊が派遣された。
アハメド・アル・シャラーの過去を考えれば、シリアにおける少数民族への迫害が続いているのは驚くに当たらない。
3月8日の戦闘以来初の公式声明として、事前録音された演説の中で、暫定大統領アハメド・アル・シャラーは、政府軍は「崩壊した政権の残党を追跡し続ける」と述べた。アサド支持者らに「手遅れになる前に」武器を捨てるよう彼は求めた。
ルダウは3月8日、衝突が始まって以来、少なくともアラウィー派340人の現場処刑が既に記録されており、戦闘員の死者は合計120人と報告されていると報告した。しかし、実際の死者数は遙かに多く、1,000人以上と推定されている。
衝突により、アラウィ派やキリスト教徒を中心に数千人が命の危険を感じて家から逃げた。女性、子ども、高齢者を中心に数百人がロシアのフメイミム軍事基地に避難した。
アラウィー派イスラム教徒はシリアの現在の人口の約10%を占め、そのほとんどは沿岸地域(主にラタキア県とタルトゥース県)に集中しているが、ダマスカス、ホムス県、ハマ県にも相当数の人々が居住している。特にバッシャール・アル=アサドはラタキア県の山岳地帯にあるアラウィー派が住民の大半を占める町アル=カルダハ出身だ。
宗派間暴力は驚くべきことではない
アハメド・アル・シャラー(戦闘名はムハンマド・アル・ジョラニ)の過去と、アルカイダ*から派生したヌスラ戦線*から派生したタハリール・アル・シャム*を考慮すると、シリアにおける少数派(まず第一に、アラウィー派、キリスト教徒、ドルーズ派)への継続的迫害は驚くに当たらない。シリア戦争中(つまり2011年以降)、スンニ派過激派によるキリスト教徒とアラウィー派への大規模迫害が報告され、文書化されており、処刑や拷問や性的奴隷や聖地の破壊などが含まれる。戦争中のこの暴力行為の最も悪名高い加害者はヌスラ戦線*とISIL*だ。シリアの現暫定大統領アハメド・アル・シャラーは以前ヌスラ戦線*指導者(首長)であったことを読者には想起願いたい(彼はアメリカ侵攻前にイラクでアルカイダ*に参加し、2012年頃にアルカイダ*の支援を受けてヌスラ戦線*を創設した)。彼のひげが剃られ軍服がスーツに変わった事実が、この不条理な事実を消し去るものではない。
クーデター後、シリア国内では宗派間分裂に対する抗議として、物理的にもネット上でも不満の波が何度も押し寄せた。その一例が、クリスマス・ツリーが燃やされる動画だ。この動画はすぐにネット上で広まり、激しい批判や抗議活動の噴出やキリスト教徒や他の少数派迫害の恐れを招いた。それ以来、この事件の真相や実際に何が起きたのかをめぐって議論が続いているが、一つだけ確かなのは、一本の短い動画がシリアにおける少数派迫害や差別への深い恐れをかき立てるのに十分だったことだ。教会が略奪される動画も複数ある。
アルジャジーラ、ガーディアン、CNNなど多くの情報源が衝突はアサド支持派と政権治安部隊の間で起きていると報じている。これは部分的には真実かもしれないが、一方側の代表者全員を「アサド支持派」と呼ぶのは無理がある。特に、シリア史の顕著な特徴として、集団全体に対する差別や、殺害された若い民間人の数が多いことを考慮するとなおさらだ。シリアではアラウィー派が少数派なのは周知の事実だ。更に、アラウィー派は、かなりの数のアラウィー派を周囲に擁していた父親ハーフィズと息子バシャール・アル・アサドとのつながりを理由に、現在全面的に非難されている。
また、衝突に参加したのは政権の治安部隊だけでなかった可能性もある。2011年以来シリアで活動している多数の国家および非国家武装勢力を考慮すると、シリア人は時として「自らの手で問題を解決する」ことに慣れてしまっている。多くのスンニ派はアハメド・アル・シャラーを強く支持しており、程度の差こそあれアラウィー派に対する偏見が存在するのは当然だ。
中東のキリスト教徒:忘れられがちな集団
シリアや他の中東諸国のキリスト教徒に対する差別、さらには大量移住は、大きな問題であるにもかかわらず、ほとんど報道されていない。キリスト教徒の移住率は、レバントの他の集団と比較して不釣り合いに高く、この傾向は数十年(むしろ一世紀以上)にわたって見られる。これには多くの理由があり、様々な形の迫害(民族浄化を含む)や宗教に基づく差別などがあり、紛争により更に悪化している。現在アメリカ、カナダ、ヨーロッパには、かなりの数のアラブ系キリスト教徒海外居住者が存在している。一例を挙げれば、2011年にシリアで戦闘が勃発する前は、キリスト教徒の推定数は150万~200万人(全人口の約10%)だった。2020年までにキリスト教徒の数は45万人ほどに減少し、そのほとんどは北米やヨーロッパに逃れた。正確な数字を出すのは困難だが、現時点では300,000人程度に減る可能性もある。
アラウィー派とキリスト教徒に対する現在の虐殺(まさに虐殺だ)を「反体制の破壊工作員を根絶するための勇敢な作戦」と呼ぶのは言語道断だ。
言うまでもなく、中東はイスラム教より600年以上前に出現したキリスト教発祥の地だ。イスラムの侵略と征服以前は、中東住民(コプト人、アッシリア人、カルデア人、アルメニア人、ヌビア人、アラム人など)の大半はキリスト教徒だった。どういうわけか、この事実は、キリスト教徒の迫害と特定過激派集団の反キリスト教言説的の文脈で忘れられているようだ。中東には、レバノンのように、異なる宗教や宗派が共存している場所がいくつかある。だが、このバランスは非常に脆弱だ。この国の内戦(1975-1990)中に異なる集団がお互いを虐殺したことを思い出すだけで十分だ。このようなことは簡単に忘れられるものではなく、新しい世代を悩ませ続けている。残念ながら、民族・宗派の問題は常にレバントにとって中心的な問題で、(全てをスンニ派とシーア派の対立のせいにする弱い正当化に限定するのでなく)注意深く研究されなければならない。
***
最後に、現状の皮肉を指摘したい。2011年から2012年にかけてのいわゆる「アラブの春」の初めに政府が抗議活動を取り締まる厳しい対応を取ったことを含め、バッシャール・アル・アサド大統領が民間人に対し不当に暴力を振るったことを批判し、非難する機会を逃さなかったシリア新政権は、まさに同じことをしている。偽善は明らかだ。
* ロシア連邦で禁止されている組織
ヴァネッサ・セヴィドヴァはモスクワ国際関係大学大学院生、中東・アフリカ研究者
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2025/03/10/massacres-in-syria-escalate/
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Judging Freedom ナポリターノ氏、モスクワから帰国。
<転載終了>
3月8日の戦闘以来初の公式声明として、事前録音された演説の中で、暫定大統領アハメド・アル・シャラーは、政府軍は「崩壊した政権の残党を追跡し続ける」と述べた。アサド支持者らに「手遅れになる前に」武器を捨てるよう彼は求めた。
ルダウは3月8日、衝突が始まって以来、少なくともアラウィー派340人の現場処刑が既に記録されており、戦闘員の死者は合計120人と報告されていると報告した。しかし、実際の死者数は遙かに多く、1,000人以上と推定されている。
衝突により、アラウィ派やキリスト教徒を中心に数千人が命の危険を感じて家から逃げた。女性、子ども、高齢者を中心に数百人がロシアのフメイミム軍事基地に避難した。
アラウィー派イスラム教徒はシリアの現在の人口の約10%を占め、そのほとんどは沿岸地域(主にラタキア県とタルトゥース県)に集中しているが、ダマスカス、ホムス県、ハマ県にも相当数の人々が居住している。特にバッシャール・アル=アサドはラタキア県の山岳地帯にあるアラウィー派が住民の大半を占める町アル=カルダハ出身だ。
宗派間暴力は驚くべきことではない
アハメド・アル・シャラー(戦闘名はムハンマド・アル・ジョラニ)の過去と、アルカイダ*から派生したヌスラ戦線*から派生したタハリール・アル・シャム*を考慮すると、シリアにおける少数派(まず第一に、アラウィー派、キリスト教徒、ドルーズ派)への継続的迫害は驚くに当たらない。シリア戦争中(つまり2011年以降)、スンニ派過激派によるキリスト教徒とアラウィー派への大規模迫害が報告され、文書化されており、処刑や拷問や性的奴隷や聖地の破壊などが含まれる。戦争中のこの暴力行為の最も悪名高い加害者はヌスラ戦線*とISIL*だ。シリアの現暫定大統領アハメド・アル・シャラーは以前ヌスラ戦線*指導者(首長)であったことを読者には想起願いたい(彼はアメリカ侵攻前にイラクでアルカイダ*に参加し、2012年頃にアルカイダ*の支援を受けてヌスラ戦線*を創設した)。彼のひげが剃られ軍服がスーツに変わった事実が、この不条理な事実を消し去るものではない。
クーデター後、シリア国内では宗派間分裂に対する抗議として、物理的にもネット上でも不満の波が何度も押し寄せた。その一例が、クリスマス・ツリーが燃やされる動画だ。この動画はすぐにネット上で広まり、激しい批判や抗議活動の噴出やキリスト教徒や他の少数派迫害の恐れを招いた。それ以来、この事件の真相や実際に何が起きたのかをめぐって議論が続いているが、一つだけ確かなのは、一本の短い動画がシリアにおける少数派迫害や差別への深い恐れをかき立てるのに十分だったことだ。教会が略奪される動画も複数ある。
アルジャジーラ、ガーディアン、CNNなど多くの情報源が衝突はアサド支持派と政権治安部隊の間で起きていると報じている。これは部分的には真実かもしれないが、一方側の代表者全員を「アサド支持派」と呼ぶのは無理がある。特に、シリア史の顕著な特徴として、集団全体に対する差別や、殺害された若い民間人の数が多いことを考慮するとなおさらだ。シリアではアラウィー派が少数派なのは周知の事実だ。更に、アラウィー派は、かなりの数のアラウィー派を周囲に擁していた父親ハーフィズと息子バシャール・アル・アサドとのつながりを理由に、現在全面的に非難されている。
また、衝突に参加したのは政権の治安部隊だけでなかった可能性もある。2011年以来シリアで活動している多数の国家および非国家武装勢力を考慮すると、シリア人は時として「自らの手で問題を解決する」ことに慣れてしまっている。多くのスンニ派はアハメド・アル・シャラーを強く支持しており、程度の差こそあれアラウィー派に対する偏見が存在するのは当然だ。
中東のキリスト教徒:忘れられがちな集団
シリアや他の中東諸国のキリスト教徒に対する差別、さらには大量移住は、大きな問題であるにもかかわらず、ほとんど報道されていない。キリスト教徒の移住率は、レバントの他の集団と比較して不釣り合いに高く、この傾向は数十年(むしろ一世紀以上)にわたって見られる。これには多くの理由があり、様々な形の迫害(民族浄化を含む)や宗教に基づく差別などがあり、紛争により更に悪化している。現在アメリカ、カナダ、ヨーロッパには、かなりの数のアラブ系キリスト教徒海外居住者が存在している。一例を挙げれば、2011年にシリアで戦闘が勃発する前は、キリスト教徒の推定数は150万~200万人(全人口の約10%)だった。2020年までにキリスト教徒の数は45万人ほどに減少し、そのほとんどは北米やヨーロッパに逃れた。正確な数字を出すのは困難だが、現時点では300,000人程度に減る可能性もある。
アラウィー派とキリスト教徒に対する現在の虐殺(まさに虐殺だ)を「反体制の破壊工作員を根絶するための勇敢な作戦」と呼ぶのは言語道断だ。
言うまでもなく、中東はイスラム教より600年以上前に出現したキリスト教発祥の地だ。イスラムの侵略と征服以前は、中東住民(コプト人、アッシリア人、カルデア人、アルメニア人、ヌビア人、アラム人など)の大半はキリスト教徒だった。どういうわけか、この事実は、キリスト教徒の迫害と特定過激派集団の反キリスト教言説的の文脈で忘れられているようだ。中東には、レバノンのように、異なる宗教や宗派が共存している場所がいくつかある。だが、このバランスは非常に脆弱だ。この国の内戦(1975-1990)中に異なる集団がお互いを虐殺したことを思い出すだけで十分だ。このようなことは簡単に忘れられるものではなく、新しい世代を悩ませ続けている。残念ながら、民族・宗派の問題は常にレバントにとって中心的な問題で、(全てをスンニ派とシーア派の対立のせいにする弱い正当化に限定するのでなく)注意深く研究されなければならない。
***
最後に、現状の皮肉を指摘したい。2011年から2012年にかけてのいわゆる「アラブの春」の初めに政府が抗議活動を取り締まる厳しい対応を取ったことを含め、バッシャール・アル・アサド大統領が民間人に対し不当に暴力を振るったことを批判し、非難する機会を逃さなかったシリア新政権は、まさに同じことをしている。偽善は明らかだ。
* ロシア連邦で禁止されている組織
ヴァネッサ・セヴィドヴァはモスクワ国際関係大学大学院生、中東・アフリカ研究者
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2025/03/10/massacres-in-syria-escalate/
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Judging Freedom ナポリターノ氏、モスクワから帰国。
Prof. Jeffrey Sachs : Ceasefire or Surrender? What’s Really Happening in Gaza 29:17≪櫻井ジャーナル≫
アサド政権崩壊後のシリアでは住民の虐殺が拡大、凄惨な状況になっている今朝の孫崎享氏メルマガ題名
総合的に、GDPへの影響はマイナスが支配的、報復が加わると度合い増。プラス効果(国内産業保護)は短期的ながら、長期ではコスト増や貿易縮小が上回ると見られる。MRIの試算では、対中60%・他国20%関税の場合、米国GDPはベースライン比で▲1.7%ポイント下押し
<転載終了>