https://note.com/nakamuraclinic/n/n9784337ecfd6
<転載開始>
まだ出会って間もない男女だけれども、お互い魅かれあっている。お付き合いが始まるか、それともご縁なく別れるか、まだ先行き不透明。恋愛ってこの段階が一番ワクワクしておもしろいですね。
おしゃれなバーで、酒の余勢もあって、普段のトークよりももう一歩踏み込んだプライベートな会話をしたりする。「これまで何人の女性と恋愛をしてきたの?」女が聞くと、男は「えーと、5人ぐらいかな。〇〇ちゃんは?」「2人だけ」
世界中のすべてのカップルが、交際をする前後にこんな会話のやりとりをしている。イギリスの研究者が疑問を持った。「こういう数字って常に男のほうが多く、女のほうが少ない。なぜだろう。なぜ男は数字を「盛る」傾向があり、女は「過少申告」する傾向があるのか」

男は「自分は多くの女性から求められる人気者です。魅力的なオスなのです」と、数を誇るかのようであり、女は「多くの男性に求められるけれど、私は軽くはありません。厳選します。だから数は少ないです」と、数を恥じるかのようだ。同じ人間という種でありながら、男女でアピールの仕方が真逆なんですね。こういう違いっておもしろいなと思います。
女性が経験人数の少なさに価値を見出すとすれば、最上の価値を持つのは処女ということになるけれど、実際、交際相手に処女であることを求める一部男性もいるようだ。

個人的には、こんな処女信仰はバカげていると思う。
でも僕がこんなふうに思うのは、僕が現代日本の多数派の価値観に染まっているせいかもしれない。

今から50年以上前は、「婚前交渉はダメ!」と考える日本人が過半数を占めていた。それが今や、状況は正反対になり、「愛情さえあればヤッてもいいじゃん!」と考える人が過半数を超えるに至った。50年の時間経過によって、童貞/処女にこだわる人はすっかり少数派になったわけです。
しかし実は、生物学的には、オスがメスの処女性にこだわることには正当な理由があります。
まず、テレゴニーという現象について紹介しましょう。

あるメス(A)とあるオス(B)がいて、交尾をします。しかし妊娠/出産には至らなかった。そこに別のオス(C)が来て、メス(A)と交尾をし、そこに子供が生まれた。その子供に、前のパートナーであるオス(B)の形質が出現する現象のこと、これをテレゴニー(telegony)といいます。テレ(tele)はテレフォンとかテレパシーの「テレ」で、「離れてる」の意味。ゴニー(gony)は「子孫」の意味。前のオスの特徴が遺伝するということで、先夫遺伝と訳されます。

犬のブリーダー界隈では、テレゴニーは経験的に知られていました。だからこそ、仮に血統書付きの純血種のメス犬がそこらへんの野犬と一回でも交わってしまったとすれば、たとえ妊娠しなかったとしても、メス犬の価値に傷がつきます。

経験的に言われていたテレゴニーですが、その存在が科学的に明確に証明されたのは比較的最近のことです。ハエを使った実験。

ハエでは、体格はオスの形質が遺伝します。この知識を前提として、ある小柄なメスと大柄なオスを交尾させます。しかしこのときメスの卵子は未成熟で、妊娠/産卵には至りませんでした。さて、その後、このメスに別の個体(小柄なオス)をパートナーとして与え、交尾させます。今度はめでたく妊娠/産卵に至り、その子供世代のハエの体格を見ると、明らかに大きい。最初に交尾させた大柄なオス(先夫)の形質が、今の夫を超えて、子供に出現したということで、テレゴニーそのものです。


歴史的には、テレゴニーという概念を最初に提唱したのはアリストテレスでした。中世ヨーロッパにおいてアリストテレスの影響力は絶大なものがあったため、同時にテレゴニーの考え方も広まりました。19世紀にはショーペンハウアーやスペンサーといった思想家もテレゴニーの概念を評価、支持しました。

20世紀になって事情が変わりました。メンデル遺伝学の登場です。対立遺伝子の優性/劣性という概念を使えば、親の表現型にない形質が次世代に現れる現象もきれいに説明がつきました。その結果、テレゴニーは「迷信」として遠ざけられることになりました。
しかし、先のハエの研究に見られるように、21世紀の分子生物学の発展によってテレゴニーという現象を科学の言葉で説明できるようになりました。

進化論で有名なダーウィンは、テレゴニーの例として、『モートン卿の牝馬』を挙げています。
アラビア栗毛の牝馬(メス馬)Aに、種馬としてクアッガをかけあわせた(クアッガはシマウマの一種で現在では絶滅した。シマウマを家畜化しようという試みがあって、この繁殖はその一環だった)。すると、その子供にシマシマ模様が見られた。お父さんであるクアッガの形質の遺伝です。
さて、そのアラビア栗毛のメス馬Aに、同種、アラビア栗毛のオスをかけあわせたところ、その子供に、なんと、シマシマ模様があった。先の夫の形質が、今の夫を乗り越えて、出現した。まさにテレゴニーです。

テレゴニーはナチズムにも利用されました。「アーリア人こそが最も優秀な人種である」という優生思想を掲げるヒトラーは、「アーリア人の女性が非アーリア人との子供を一度でも持てば、二度と純粋なアーリア人の子を持つことはできない」として、ドイツ国民にアーリア人としての純血を求めました。
そんなふうに、テレゴニーは民族意識の高揚に利用されてきた歴史があるため、表立って語りにくいところがあります。
また、この現象が実際に存在し、人間にも当てはまるとすると、そのことで大きなショックを受ける女性もいるかもしれません。たとえば、好きではないパートナーと関係を持ったことを後悔している女性がいるとする。「その男の『痕跡』が今も残っている」というのがテレゴニーの考え方ですから、生理的に受け入れがたいのも無理はありません。
しかし、科学は科学です。それをどう受け止めるかは各人の価値観です。ひとまずここでは、科学的知見を淡々と紹介していきましょう。

キメラという概念があります。もともとはギリシャ神話に出てくる怪獣で、ライオンの頭、蛇の尾、ヤギの胴体という、複数の動物が合体ちゃんぽんした生き物のことですが、生物学で「キメラ」といえば、異なる遺伝子型の細胞が個人のなかで共存している状態のことを言います。
それほど特殊な現象というわけではありません。というか、ありふれた現象というべきかもしれない。たとえば、妊娠。

妊婦はキメラそのものですし、輸血や臓器移植が可能なのもヒトの免疫系がキメラを許容するからです。

妊娠15週の母親の血液中から胎児細胞が確認されました。Y染色体を含むことから、明らかに胎児(男の子)由来の細胞です。母親は、胎児の細胞を拒絶せず受け入れている。妊娠期間中だけではありません。妊娠終了から数十年経っても、母親の体内には「息子」の痕跡がある。免疫学的には他者として排除されるはずの存在が、当たり前に共存している。母の愛は実に深く、免疫レベルで我が子を受け入れているのです(笑)

男児を妊娠した妊婦で特にかかりやすい神経疾患はあるだろうか、というのを調べている途中で、たまたま男性マイクロキメリズムという現象が見つかりました。どういう現象かというと、男の子を生んだことがある女性の脳内には男性のDNAが存在します。
神経疾患のない女性(26人)とアルツハイマー病の女性(33人)、それぞれの脳を死後剖検すると、女性の63%(めっちゃ高い)で男性マイクロキメリズムがあった。また、神経疾患のない女性では、アルツハイマー病にかかっている女性と比べて、男性マイクロキメリズムの保有率が高かった。男性マイクロキメリズムがあることによって、何らかの機序でアルツハイマー病にかかりにくくしているということです。

逆もあります。成人した男性から母親の細胞が見つかった例もあるし、母親由来の細胞が本人の細胞とともに心臓の一部になっていた例もある。免疫系は、一般の科学者が考えるほど杓子定規で融通のきかないものではなく、実はかなり柔軟に相手を受け入れるようで、実際のところ、キメラは極めてありふれた現象なのかもしれません。

その後「妊娠未経験の女性の脳にも男性DNAを検出した」との報告があり、界隈の研究者に衝撃が走りました。
なぜこんなことが起こるのか。科学者は仮説を立てました。

すぐに思い浮かぶのは、①「妊娠していたのにそれと気づかず、かつ、そのまま流産した」可能性です。本人も知らない間に受精、着床した。胚細胞が猛烈な勢いで分裂し、一部が母親の血流に侵入し、母体のどこかに定着する。諸事情で胎児は流産したが、男児由来の胚細胞は母体に残った。
もうひとつ別の説明として、②「経母循環で兄の細胞が侵入した」可能性です。女性Aに兄がいるとする。Aの母親は兄を妊娠したとき、男性マイクロキメリズムによって兄由来の細胞を体内に保持している。その細胞を、Aが胎児のときに取り込んだのではないか。
もうひとつ、③女性Aは胎児のとき双子であり、その双子の相方が消えた可能性。これはvanishing twin(消えた双子)という現象で、多胎妊娠の胎児のひとりが死亡した際、それが生存胎児に吸収されることを言います。多胎妊娠の8件に1件の割合で発生するというから、それほど珍しくはない。女の子の胎児が死亡した男児を吸収したとすれば、その女の子の体内には男性のDNAがあります。

とまぁ、いろんな仮説を考えることができるけど、界隈で最も著名な権威は、ズバリ「セックスの影響に決まってるじゃないか!」と言います。

Nelson博士の表現は極めて明瞭であり、あいまいさの余地がありません。

要するに、「男性の精子は経膣的に吸収されてそれが女性の体の一部になる」ということです。
「妊娠してないから問題なし」ではないということです。女性の体には、明確に、過去の男の痕跡が残るということです。純血種にこだわるブリーダーが、一度でも野良犬のお手付きになったメス犬の価値を低く評価するのには、科学的な理由があったということです。

強調しておきたいことは、仮にこれが事実だとしても、そのことで以って、あまり道徳的な価値判断はするべきではないと思う。

処女にこだわる男にとって、上記テレゴニーの理論は、彼の偏見を正当化する根拠を与えてしまいそうだ。これは僕としても本意ではない。
仮にテレゴニーという現象があるとして、そういう性質が女性にあるということは、必ず適応的な理由があるはずです。過去に関係を持った異性の形質が一部、体内で記憶される。そうすることが生存に有利に働くような、何らかの理由があったはずです。たとえば、脳内に男性マイクロキメリズムを保有する女性では、アルツハイマー病の罹患率が低い。アルツハイマー病の罹患率が低いということは、男性マイクロキメリズムには神経保護作用があって、パーキンソン病など他の神経疾患の罹病率も低いかもしれない。つまり、生存に有利に働いているわけです。
最後に、テレゴニーの概念の臨床応用として、兄弟姉妹間の臓器移植の例をあげましょう。

臓器移植を行う際、きょうだい同士でドナーとレシピエントになるケースがあります。
このとき、
①患者が第1子から移植を受ける場合(つまり患者は第2子以下)
②患者が第1子かつレシピエントである場合
③患者が第1子ではなく(第2子以下)、かつ第1子から移植を受けない場合
①、②、③のうち、移植から10年後の生存率が最も高いのはどのケースか?
結果は、②でした。

出生順が遅いきょうだい、つまり末っ子か、末っ子に近いきょうだいほど、経母的細胞フロー経由で年上同胞由来の抗原に曝露しています。
どういうことかというと、お母さんの体には、これまで宿したすべての子供の履歴があります。子供たちの細胞が残っているということです。末っ子であればあるほど、胎内で多くの種類のお兄ちゃんお姉ちゃんの細胞に曝露されている。つまり、それを異物として排除しないよう「訓練」されている格好です。だから、臓器移植のドナーとして、末っ子ほど拒絶を起こしにくく、好ましいわけです。

<転載終了>