https://ameblo.jp/white-lilac719/entry-12894532381.html
<転載開始>
以下、ランダムなXポスト(ツイート)を通して、私の頭につらつら思い浮かんだ事を、私らしく気ままにお伝え致します。(※パープルの文字が私のポストです)
( ・・) ~ ☆彡☆彡☆彡
しおぎ
https://twitter.com/operaition
「現代のマナーと昔の丁寧さ」
◯現代のマナー重視
効率性や秩序を保つ形式的な規範。公共でのマナーやSNSの圧力などルールと“偽和”で管理の表面的な同調の強制。丁寧さと無関係。
◯昔の丁寧さ重視
丁寧さは心の姿勢や関係性の深さを築くもの。「礼」を通しての生きた繋がり。霊力と関係あり。
あぁ、これめちゃ共感出来る。時代でコロコロ変化して行く"外側からのルール"から頭で生まれる「せねばならぬ」のマナーと、「自分のハートから自然に生まれて来る丁寧さ」は似て非なるものなり。
しおぎ
https://twitter.com/operaition
「マナーが丁寧さを消す」
「マナー」は表面を磨くための型や集団や個人を動かす油だ。こうしろ、あれやれ。ただの型だ。心が息をしなくなる。
「丁寧さ」という生きた物は型を超えてる。肚から湧く敬意と配慮は型に縛られない。マナーの檻の中で個人の霊力は干上がってる。
その通りだと思う。こうした事に気付かないと、どんどんその人を取り巻く波動が重たくなって行く理由がここにある。気付かない人は心身の健康を損なって行く理由もここにある。今の世の中はそういう人達だらけ。だけど「皆一緒」に安心する多くの人達は「大多数の人がそう」という事に慢心して、そうした事実に気付きもしない。
世の中で「良い人」と思われる人達が、何故か不運に見舞われたり、心身を病む理由もここにある。でも多くの人達が「外側のルールに縛られた価値観から来る表面的なものの見方」しか出来ないから、そうした関連性に気付かない。
多くの人達は上っ面の優しさにしか目が向かず、その人に隠された本質には目を向けない。それが多くの人達が深い洞察力を持つ事が出来ない理由。
頭で作られた感謝は自分を縛りつけ、そこから心身を蝕む。心から自然に湧き上がる感謝は心身を健康にする。それが私が人を観る時のバロメーター。
この3次元の世を楽しく生きて行く為に、身体の健康は大事なものの一つ。でも肉体というものは遅かれ早かれ朽ちて行くもの。だから私は「心の健康」が一番の財産だと思う一人です。
心の健康は世間の目やルールに縛られず「自分の目で見て、自分で判断する」という事からしか生まれない。でもこれを本当に実行出来る人はかなり少ない。皆孤独になる事が怖くて「長い物に巻かれる人生」を選ぶからだ。
そうして人は怒りっぽく生きる様になる。常に他者と競争し、ジャッジし、嫉妬に駆られ、愚痴・陰口・悪口を好む人間になって行く。でもそういう人生にしているのは誰のせいでもなく「自分自身である」という事に謙虚に気付けない。故にその負のループから抜け出せないというカラクリ。
傲慢な人達ほど、こういう話をすると怒り出す。それもバロメーターの一つ。でもだから人生に変化を起こせないのだけどね。
OSHO International
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太陽、月、星々、木々、鳥たち、動物たち、人々。あなたは計り知れないほど美しい夢のなかで生きている。しかし、そのことについて目覚めなければならない。そうして初めて感謝が湧き上がる。
Osho
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
G-PA
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When Dad watches the Baby
https://twitter.com/i/status/1912616732310536571
あまりの可愛さと自然さに爆笑してしまった♪赤ちゃんは凄くリラックスして安心仕切っている♡パパが赤ちゃんの身体を感じながら心地好く動かしている事が伝わる~☆彡
頭で計算されたものからは決して生まれない"自然さ"が感じられるものには「本物の愛」が存在する。そこには相手への存在に対する敬意から来る丁寧さが感じられるからだ~☆彡
本物の愛=相手を自分の事の様に感じる丁寧さが存在するものは、見ていて非常に心地好いから自然に笑顔になっている♫それがバロメーター。赤ちゃんを愛するパパの遊び心もイケてる~☆彡(笑)
ただ大人になるにつれ、人は「恋愛」とか「社会的立場」というものを体験する様になる。そこから生まれる欲望から葛藤が始まったりする。そういうドロドロしたものを生む中で、純愛というものを経験出来る人は非常に少数ではないかと私は思う。
何故なら欲により物事を真っ直ぐ見る事が出来なくなり、いつしか「自分に都合の良い"偏った解釈"」というものをしてしまい、歪んでものを見る様になってしまうからだ。
人間はそれだけ「エゴな生きもの」だという事をいつも思う。私達の人生とは、そうした「自分のエゴに気付く為に生まれて来るんじゃないかな」と私は思ったりする。
何故なら私達の魂は、常に「成長」「発展」を望んでいるからだ。そこにしか喜びを見出せない様に人間は生まれついているからだ。
でも多くの人達は「楽しさ」と「喜び」を混同してしまう。そこが「心身を健康にするか、病んでしまうか」の大きな落とし穴、或いは死角だと私は思っています。
OSHO bot
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ソクラテスは、知識は徳であると言った
彼の言う知識とは、物をよく知っていることではない
彼の言う知識とは、直感的な洞察力、知ることを意味する
彼の言葉は極めて重要だ
直感的に知ることは徳である
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
OSHO bot
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外側でははかなさを祝福し
内側では永遠を探し求めなさい
人生の達人達が行き着く境地~☆彡

知らず知らず「生き易さ」ばかりを選択し、好奇心も挑戦も忘れて「従順な羊達の中に埋もれて生きてしまう」と、いつしか自分の本質を見失って生きる事になってしまう。
世の中はそうした「自分では無意識に心身を病んでしまっている羊ちゃん達」で溢れ返っています。
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<転載終了>