https://indeep.jp/bo-yin-ra-said-so/
<転載開始>

死の時代に
なんか今日はとても暑くてデスね。そして、この数日、また眼振が結構激しいのですよ。
それで、あまり難しい文章は読めないなあと、適当にいろいろと見ていましたら、リチャード・C・クック氏という方が「ボー・イン・ラー」という人の著作を紹介しているのを見ました。
「誰だ? ボー・イン・ラーって」
と調べてみますと、19世紀のドイツに生まれた人で(1876年〜 1943年)、英語版 Wikipedia には「ドイツの精神的指導者、詩人、画家であった」とあります。
ボー・イン・ラーの綴りは Bô Yin Râ というもので、これはいわゆる「スピリチュアルネーム (霊名)」で、本名を見ましたら、本名がまたなんだかすごい。
本名は、ジョセフ・アントン・シュナイダーフランケンで、1914年から、ボー・イン・ラーの霊名で、教えを説き始めたのだそうです。以下のような顔の方です。
プロレスラーの方などにもいそうなお顔でもあります。
武藤敬司氏
noah.co.jp
(こんな比較はいいから)
それで、そのボー・イン・ラーの『死後についての書』を紹介していたリチャード・C・クック氏の記事をご紹介しようと思いますが、このリチャード・C・クック氏という方の経歴を見ますと、以下のような方なのです。
> 米国公務員委員会、FDA、カーター政権、NASA、米国財務省など、様々な政府機関で豊富な経験を持つ元米国連邦アナリスト。 globalresearch.ca
「全然、スピリチュアルと関係ない人じゃん」
とは思いましたが、リチャード・C・クック氏は、記事の冒頭のほうで、
「現代社会において、災難と機会の両方に直面し、人間存在の根本的な意味について深く考えさせられる人々が、本書に強い関心を示しているからだ」
と書いていまして、つまり「今は死の時代だから」こそ、当時の精神的指導者の著作を紹介しているのだとか。
リチャード・C・クックさんは、何年かをかけて、このボー・イン・ラーのいくつかの著作を掲載する予定だと書いています。
ちなみに、このリチャード・C・クックさんは、ご自身のサブスタックもお持ちですが、ほとんどの記事は、政治や地政学的なものばかりです。
しかし、以前から、このボー・イン・ラーの著作の掲載は続けているようです。
ここからボー・イン・ラーの『死後についての書』の第一部です。
今が死の時代であると共に、たとえ死の時代ではなくとも、人はいつかは必ず死ぬわけですので、それがどういうものかを知りたいという気もします。
最初にクックさんが序文を書いており、その後に始まります。ちなみに、とても長い記事です。
ドイツのスピリチュアル作家ボー・イン・ラー著『あの世についての書』と人間の死後の世界について
“The Book on the Beyond” and the Human Afterlife by German Spiritual Author Bô Yin Râ
Richard C. Cook 2025/05/21
過去 1年間、私は、ドイツの精神的指導者であるボー・イン・ラー(ジョセフ・アントン・シュナイダーフランケン、1876 - 1943年)に関する記事と、その著作からの抜粋を出版計画に組み入れてきた。
米国、ヨーロッパ、そして世界各地の英語圏の読者から大変好評を博しており、今後も継続していく意欲が湧いている。
今後数週間のうちに、ボー・イン・ラーの主要著作の一つ、『死後の世界についての書』の全文を刊行する予定だ。
本書は人間の死後の世界を主題としている。本書をボー・イン・ラーの全著作の中から選んだのは、現代社会において、災難と機会の両方に直面し、人間存在の根本的な意味について深く考えさせられる人々が、本書に強い関心を示しているからだ。
次のことを認めない限り、この課題に取り組むことはできない。
a) 私たちは、人間の体となって地球上の生命体となる前に、どこから来たのか実際には知らない。
b) 死が必然的にこの地上の旅を終えるとき、私たちがどこへ運ばれるのか、あるいは私たちの継続的な経験の性質がどのようなものになるのか、私たちは実際には知らない。
c) 私たちがなぜここにいるのか、あるいは生涯を通じて時間とエネルギーを費やすべき目的について正確な知識が欠けている。
d) 人生において導きを求めるべき人物は数多くいるにもかかわらず、私たちは誰に、何に頼るべきか確信が持てない。そのような導きがなければ、人間は不滅の精神を持たない「考える動物」に過ぎないと主張する、忌まわしいイデオロギーに屈してしまう危険性もある。
読者の皆様には、ボー・イン・ラーの著作から以下の抜粋を読み、研究し、それが役立つかどうかを検討していただくようお願いしたい。
ボー・イン・ラーとはどのような人物であったのか、そして彼の教えがなぜこの不確実な時代に人類にとって極めて重要なのかをより深く理解するために、2024年 9月に公開され、再掲載されている「三賢者」の記事「ボー・イン・ラーの『来世の書』書評」をお読みいただければ幸いだ。
また、経験豊富な読者は、ボー・イン・ラーの教えがすべての宗教的伝統に当てはまると考えていることにも留意してほしい。
ボー・イン・ラーを読んで研究するときには、以下の解放的な考えを心に留めておくとよいだろう。
「もし、霊的な現実は適切な論理的思考のメカニズムを通して発見されなければならないと信じる、数千年も昔の迷信でなかったら、私がここで証言している現実はずっと前に発見され、すべての疑いが取り除かれていただろう」
ボー・イン・ラー 『あの世についての書』 (The Book on the Beyond) 第一部
コンテンツ
・序論
・死ぬという技術
・永遠の神殿と霊界について
・唯一の現実
・何をすべきか?
序論
これらの文章は、あなたが地上の肉体で生きてきた人生が消滅し、この物理的に知覚される現象世界から解放されたときに何があなたを待っているのかについて、言葉で伝えられる限りにおいて、考えを与えることを目的としている。
旅行ガイドが、あなたがまだ見たことのない地球の地域について語るように、あなたがいつか死後に経験することになる未知の「土地」について、あなたが知る必要のあることはすべて、ここに説明されている。あなたが、そのような経験の可能性を信じるかどうかは関係ない。
同時に、この本は、あなたがこの世を去った愛する人たちのことを思うたびに、これまであなたを捕らえてきた多くの誤りからあなたを解放することを目指している。
古代から現代に至るまで、恐怖の信念や過剰な迷信によって「来世」についての想像上の空想があまりにも多く積み重なっており、私たちはこの混乱をふるいにかけ、これ以上の混乱を起こさないようにする必要がある。
肉体の死後の人生について本当に本気で語ることができるのは、肉体を必要としないこの人生を、自分自身の確かな経験から知っている地球上の数少ない人間だけだ。しかし彼らは、あなた方と同じように、地上の姿でこの人生の悲しみと喜びを味わうのだ。
来世を知る数少ない者の一人として、私はこの書を通して、言葉で伝えられるものを皆さんに伝える。
霊的体験に関わる事柄、特定の時代と場所においてごく少数の人々の意識にしか届かなかった事柄が、もはや「秘密の知識」として守られることなく、正当に守られるべきであると考える時代の切なる願いを私たちは感じている。
私がお伝えする内容があなたにとって有益なものとなりますように。
私の言葉があなた自身の内なる感情を目覚めさせることに成功し、あなたが自分自身の内側から確信を得て、不毛な懐疑主義から、また惑わされたり過剰に刺激された脳によって考え出されたあらゆる種類の空想への無批判な従属から身を守ることができるように祈っている。
あなたは自分自身の中に、今後、亡骸を前にしたときに目の前に現れる計り知れない謎の暗闇に耐えられるように、太古の昔から人々が考え出してきた考えの中に、どれほどの真実と幻想が含まれているかをテストするための基準を見つけるべきだ。
私の言うことがあなたにとって信じられるかどうかは問題ではない。
なぜなら、私が語る事柄は、あなたの賛否両論を超越しているからだ。さらに、私は宗教的な教義を教えるのではなく、人間の言語を通して伝えられる概念以外では、あなたが現在知ることのできない現実の現れをあなたに示すことができるのだ。
あなたもすぐに、自分の経験を通して、この現実の領域内で自分に割り当てられた場所を知るようになるだろう。
あらゆる時代において、あの世で意識を持つ者たちはその現実を証言してきたが、彼らの証言は無能な者たちや、無責任に言葉を歪める者たちの餌食となってきた。
だからこそ、真の知識を持つ者たちの知らせが、惑わされた空想家たちが作り出した怪物たちと共に、純粋で思慮深い感情を持つ人々の間で不名誉に陥らないために、解明しなければならない事柄を解明するためには、あなたは助けを必要としているのだ。
ここであなたに与えられたものを本当に知りたいなら、あらゆる偏見を捨て去り、あなたの内なる声に耳を傾けなさい。
そこで、もしあなたがそれらに心を開くなら、私の言葉では答えられないすべての疑問への答えが得られるだろう。なぜなら、あなたはそれらに自ら答えを学ばなければならないからだ。
ここでの私たちの意図は、何らかの神学や哲学の仮説の支持者を集めることではなく、また、新しい形態の宗教を創り出すことでもない。そうではなく、神の精神から生まれた偉大な古代宗教すべての根底にあった、本来の精神的な(頭脳的な)経験の証言をお伝えすることだ。
したがって、ここで皆さんに提示される言葉の生きた体験は、皆さんが神聖視する伝統的な宗教に背を向けることを決して要求するものではない。
むしろ、古来より崇敬されてきた宗教的形式や信条が今もなお生活に不可欠なものである中で、信仰を深め、強め、そして信じる力を高めることを目指している。
しかし、ずっと以前にあらゆる信仰告白への執着を捨て去った人々にとって、私の言葉は再び霊的領域への道を開くだろう。たとえ先祖の信条が、その切なる願いを、彼の理解に沿う形で実現させなかったとしても、そこに到達することは、地上の人類にとって依然として究極の願いだ。
死ぬという技術
間違いなく、あなたは死ぬという「技術」など存在しないと信じるだろう。むしろ、それは当然のこととして学ばれる必要悪だ。
あなたと同じように考える人は無数にいる。そして、死ぬ術を学ぶこともなく、毎日無数の人が死に、肉体を捨てていく。
ある人々にとって、死は「夜盗」のように突然やってくる。またある人々にとっては、死は恐れる幽霊のようにやってくる。ある人々は、死を「待ち望んでいた苦しみの救済者」として経験する。そしてまたある人々は、死が肉体と魂の悩みや苦しみから解放してくれると期待して、自ら死を招く。
死ぬという芸術を理解している人に死が訪れることは稀だ。
このスキルを理解するには、人生の充実の中で「死」と「死ぬこと」の意味を学ばなければならない。
いわば、自分の能力が最も高まっているときに死ぬことを「リハーサル」しておかなければならない。そうすれば、突然、死が訪れたときに、どのように死ぬかを理解できるだろう。
死ぬことは多くの人が考えるほど簡単ではない。しかし、人生の充実の中ですでにそれを学んでいれば、死ぬことはそれほど難しいことでもないのだ。
すべてのスキルは練習しなければならない。練習しなければ、死ぬ方法を学ぶことできない。
いずれにせよ、理解しているかどうかに関わらず、それを経験しなければならない。
ほとんどの人は死を恐れる。なぜなら、死が来たら何が起こるのかを本当に知らないからだ。
しかし、恐れがないと言っている人たちは、海が彼らにどんな危険を及ぼすかを知らずに船で外洋に漕ぎ出す子どもたちのようなものだ。
しかし、あなたは風と潮を知る舵手のようになるだろう。彼は遠い海岸線で自分を待っている土地を知っているのだ。
あなたは、十分に装備された船の進路を計画することを学ぶだろう。
「死ぬ」とは、肉体とその感覚器官を手放さなければならない状態を指す言葉だ。肉体がもはや自らを維持することが物理的に不可能なため、この手放しは永久に、そして取り返しのつかない形で行われなければならない。
横になって休息し、眠りに身を委ねるたびに、非常によく似たプロセスが起こる。ただし、この場合、身体と感覚の制御を部分的に失うだけだが、死の場合は、それらは完全に、そして取り返しのつかないほど失われる。
自然が類推によってどのように死ぬかを教えることがわかる。
同様に、気を失ったとき、または身体から人工的に意識を奪われたときにも、死の予感を覚えることがある。しかし、これらすべての場合、あなたが経験するのはプロセスのほんの始まりに過ぎない。
もっとも、あなたの内なる精神的な「感覚」がすでに目覚めていて、存在の「向こう側」で意識を持ち、地球の体を持たずに生きている自分自身を発見できる場合を除くが。
もしあなたがまだこの経験をしたことがないなら、夜間睡眠中に見る夢は、少なくとも肉体を持たない意識のある生活についての理解を伝えるのに役立つだろう。
ただし、「あの世」の生活は単なる「夢」とは明らかに異なる。
ここであなたに理解してもらうために、私には、夢の中での人生を思い出させる義務がある。
夢の中では意識があり、感じ、考え、行動することができるのと同じように、夢の中では、肉体はベッドの上で安らかに深い眠りについているにもかかわらず、人は「肉体」の中に生き、それを自由に使っているのと同じように、もしあなたがあの世で霊的な「感覚」を使うことができれば、一時的にでも、あるいは肉体が死んだ場合には永久的にでも、意識を持つことができ、物理的な形でも、意識があり、感じ、考え、行動することができるだろう。
一つの本質的な違いは、夢の中では、鮮やかな想像力によって生み出された、絶えず消えゆくパターンをただ見ているだけであるということだ。
それらのパターンは、何千もの精神的・肉体的刺激を通して、それ自体が生命を帯びているように見える。対照的に、真の精神世界に目覚めるためには、夢の世界を離れなければならない。それは、それがどの領域で起こるかに関わらず、物理的・感覚的現象の世界で目覚めるためには、夢の世界を離れなければならないのと同じだ。
夢の領域を「超越」した時、初めてあなたは霊の領域に入ることができる。霊の領域と、最も鮮明で「自然な」夢を区別することは難しくない。なぜなら、霊的な感覚のおかげで、あなたは意識状態が非常に高くなり、この地上での日常生活の最も鮮明な瞬間でさえ、まるで夢遊病のように感じられるからだ。
あなたは、物質的存在の覚醒意識の中で現象の物理的世界として知覚するのと同じ因果的な「世界」を見て、聞いて、感じる。ただ、それを「反対側から」経験するだけのことなのだ。
あなたは、肉体では知覚できなかった因果的本質世界の姿を、突如として意識するようになる。これまで肉体とその感覚を通してのみ知覚されてきたもの --- それを「現実」世界と呼んでいたもの --- は、あなたにとっては「薄い空気」のようなものになるだろう。
肉体を持って生きている人の中で、過去にこれらのことを体験した人、あるいは現在体験している人は比較的少ないものの、それでもなお疑わしい人は少なくない。
なぜなら、こうした体験をした人のほとんどは、他人の不信感や「嘲笑の呪い」に遭うことを恐れるか、あるいは、特別な恩寵として受けたと感じている霊的体験が、沈黙を守らなければ失われてしまうかもしれないという懸念から、本能的にそれを他人に隠そうとするからだ。
内なる意識体験を持つ人々が最初に入ることができる領域は、高められた霊的領域からは程遠いものだが、それでも「向こう岸」には到達している。
たとえ、そこに意識が目覚めた人々が、発見された「領域」の「内部」に侵入したり、その強力な「峰」を登ったりすることは、まだ到底できないとしてもだ。
地上での人生において、これらの場所に到達できるのは、因果界の物質的側面において、隠された霊的経験という古代の「遺産」を託されたごく少数の人々だけだ。
すなわち、生まれながらの「高位の司祭」、隠された霊的影響力の「師」、そしてこの使命のために生まれた彼らの正当な後継者たちだ。
「向こう側」の意識的な経験を通じて私たちが確実に得た知識を、私たちは今ここであなたに伝える。
【第一部はここまで】
ここまでです。
わりと曖昧な記述が続いていますが、この後、
・永遠の神殿と霊界について
・唯一の現実
・何をすべきか?
というコンテンツが続けて出されるようで、そこには少し具体的に書かれてあるのでしょうかね。
とはいえ、このリチャード・C・クック氏が次に投稿するのがいつかはわからないですので、続きを見つけられるかどうかはわからないですが、運良く見つけられましたら、いつか第二部もご紹介させていただこうと思います。
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<転載終了>
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希望を持って死んでゆく人間の魂こそが邪神の力の源~東遊記(酒井ようへい)
次にもっと面白い言葉が登場する。
希望を持って死んでゆく人間の魂こそが邪神の力の源。
世が乱れる程、人は希望を抱く。それが作られた希望だと知らずに。
この言葉で真っ先に思いついたのは、デタラメのチャネリングメッセージだ。2012年末にアセンションするとか、2008年に宇宙大母船が地球に着陸するとか、その手の話だ。2013年以降だと、悪の大富豪からお金を奪い終わったので、大衆の皆に配布されるという大嘘がある。メッセージが届いた事そのものは嘘ではないにせよ、全く実現せずに裏切られ、失望する。しかし、後もう少し我慢すれば……と希望だけは残っているのだ。そして、そのまま老いて死んでゆく。
希望を持って死んでゆく魂というわけだ。実質は死ななくても、希望を持っているだけの人(自分では何もしない人)の魂は生きたまま食われていると解釈できる。
希望を持たせるが全く何も変わらない……この手の話を発信するサイトで真っ先に、あのブログが思い浮かんだ。地震が起きたり、都市の道路が陥没したり、工場が爆発したり、地下から火災が発生したりすると、「光の勢力が爬虫類人の基地を破壊した」とデタラメを語るサイトだ。そのサイトは世界のあちこちで事件が起きる度に紹介するのだが、一般市民が即座に「この事件は光の勢力が爬虫類人基地を破壊した行為だ」と判断できるわけもない。しかも、オバマ大統領や小池都知事、安倍総理が光の勢力だという見当違いの発言で希望を持たせ、一方で激しく叩いていたトランプもオバマとの会見で改心したというご都合主義な主張。全ては希望を持たせて、その希望という感情を吸う邪神崇拝が故というわけだ。
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