eternalturquoiseblue(旧kamakuraboy)さんのサイトより
https://ameblo.jp/ymhkobayasis/entry-12909675241.html
<転載開始>

 

世界の陸地面積の4分の1の支配領域に達する世界史上最大の帝国をチンギス・ハーンの進撃軍が短期間のうちに築いたのがモンゴル帝国だったわけですが、意外なことに、大英博物館にはモンゴル帝国に関する常設展示などの表向きの展示がほぼ見当たりません。

 

 

大英博物館は「泥棒博物館」と揶揄されており、モンゴル政府が文字通り「自国の歴史を泥棒されないように」資料を殆ど提供しない、というのが実態なのかもしれません。

 

 

それでも、モンゴル帝国に一時支配された側の他の国々からの資料もモンゴル帝国を説明する展示として公表されていないのは不思議に感じます。

 

 

大英博物館のサイトで「Mongol Empire」で検索してみると、最近モンゴル政府が発行したチンギス・ハーンやその他のハンたちの顔が描かれた記念金貨などがいくつか表示される程度。

 

 

これって、モンゴル帝国の歴史的な重要性を考えてみてもあまりにもそっけない。

 

 

例えば「JAPAN」で検索すると約150件、「CHAINA」で検索すると約160件の記事がヒットする、と言った具合なのですが、「Mongol」で検索してもせいぜい3個くらいだったでしょうか。

あれほど博物学に誰よりも熱心な英国の大英博物館が、世界史においてかなり重要度の高いモンゴル帝国の研究を行っていないはずがなく、国や民族の歴史的立場の違いを考慮して、(戦略的に)展示による公表などをしていないだけなのでしょう。

 

 

その一方で、「黄金の氏族」とされる「チンギス・ハーンの血統である」と証明してもらうためなのか、遺伝子解析技術が以前より格段と速くなった21世紀に入り、多くのモンゴルと中国の人々が、オックスフォード大学の遺伝学の研究チームに提供したのは膨大な規模の検体だったようです。

 

 

私はこの論文の結論は科学論文なのに、単に検体提供者の期待に沿った「結論ありき」の内容でしかないように思います。

 

 

2004年にオックスフォード大の遺伝学研究チームは、彼らの期待通り「DNA解析の結果、チンギス・カンが世界中で最も子孫を多く残した人物である」という結論を発表している。

 

 

ウランバートル生化研究所との協力によるサンプル採取と解析の結果、彼らによれば、モンゴルから北中国にかけての地域で男性の8%、およそ1300万人に共通するYs染色体ハプロタイプが検知出来たのだとか。

 

「この特徴を有する地域は中東から中央アジアまで広く分布し、現在までにその(共通する)Y染色体を引き継いでいる人物、すなわち男系の子孫は1600万人にのぼると推定」

 

 

研究チームは更に、「この特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンであると(ドラマチックに)推測しておりこの解析でマーカーとされた遺伝子は、突然変異頻度に基づく分子時計の推計計算により、チンギス・カンの数世代前以内に突然変異によって生じた遺伝子である可能性が高い」という仮説を発表した。

 

 

この研究を主導したひとりクリス・テイラー=スミス Chris Tyler-Smith は、チンギス・カンのものと断定する根拠として、このY染色体は調査を行った地域のひとつ、ハザーラ人やパキスタン北部のフンザの例をあげている。

 

 

フンザではチンギス・カンを自らの先祖とする伝説があり、この地域はY染色体の検出が特に多かったと述べた。

 

 

さらに彼は東洋で比較的短期間に特定のY染色体を持つ人々が広がった根拠として、「これらの地域の貴族階級では一夫多妻制が一般的であり、この婚姻習慣はある意味で、生殖戦略として優れていたためではないか」などと述べている。

 

 

■この論説に対する批判

しかしながら、この論説に対しては極めて常識的な批判があります。

 

特に集団遺伝学者でスタンフォード大学のルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァは、「Y染色体の広範な分布について、共通の先祖を想定することには同意出来るものの、これを歴史上のある特定の人物の子孫であると特定するには正確さを欠いている」として異議を唱えている。

 

 

さらに、分布の状況と一夫多妻制が原因しているとするテイラー=スミスの見方に対しても、「あまりに短絡的かつ扇情的」であるとして非難。

 

 

同研究グループは同様の別の研究で、「東アジアの男性約1000人のうち3.3%に現れた特定のY染色体について、その共通祖先は清朝初代皇帝ヌルハチの祖父ギオチャンガに比定している」のだが、カヴァッリ=スフォルツァはこの断定にも同様に、「根拠が薄弱である」という理由で異議を唱えている。

 

 

オックスフォード・アンセスターズの遺伝学者ブライアン・サイクスも研究が発表された2003年に出版した著書「アダムの呪い」で上記の研究を紹介しているが、「検出されたY染色体についてチンギス・カンのものであるとほぼ断定している」としながらも「状況証拠は有力だが、残念ながら証明はできない」と素直に認めている。

 

 

同氏の見解のとおりだと、英国にも一定頻度で同様のY染色体キャリアがいることについて説明が出来ないとの反論もあるらしい。

 

 

■黄金の氏族

「モンゴル帝国のもとではチンギス・カンとその弟たちの子孫は、黄金の氏族(アルタン・ウルク)と呼ばれ、ノヤンと呼ばれる一般の貴族たちよりも一層上に君主として君臨する社会集団になった」とあります。

 

 

そもそもが、チンギスカンの後継者となった四人の男子全てが、間違いなくチンギス・ハーン本人の実子であったという前提と、同じく彼の「三人の弟たち」の全員がチンギス・ハーンの同父弟であったと保証する前提が必要なのですが、その保証として、そもそもチンギス・ハーンの両親及び兄弟を含めた、0世代と1世代目の正確な家系図などはないのです。

 

 

チンギス・ハーンの名声は大きく、その血がこれほどまで尊ばれたなら、そもそもが彼の「三人の弟」以外の「その他の弟たち」や「四人の息子」以外の「その他の息子たち」と自称する人々はさぞや多かったことでしょう。

 

 

極端なたとえ話しですが、豊臣秀吉がそうであったように、チンギス・ハーンが亡くなったとき、実は彼の本当の実子など一人もいなかった、その子孫は全て彼以外の彼の近くにいた別のモンゴル人男性の子孫であったかもしれない、と仮定したらどうでしょうか?

 

 

■血統書バブル

「チンギス統原理はその後も中央ユーラシアの各地に長く残り、18世紀頃まで非チンギス裔でありながら代々ハーンを名乗った王朝はわずかな例外しか現れなかった。外モンゴルと内モンゴルやカザフでは、20世紀の初頭まで貴族階層のほとんどがチンギス・カンの男系子孫によって占められていたほどであり、現在もチンギス裔として記憶されている家系は非常に多い。

 

 

こうしたチンギス裔の尊崇に加え、非チンギス裔の貴族たちも代々チンギス・カン家の娘と通婚したので、チンギス裔ではなくとも多くの遊牧民は女系を通じてチンギス・カンの血を引いていた(これは全く論外!)」

 

「チンギスの女系子孫はジョチ・ウルスの貴族層とロシア貴族の通婚、ロシア貴族とヨーロッパ貴族の通婚を通じてヨーロッパに及んでいる」などとあります。

 

 

2004年のオックスフォード大の研究チームが行った研究の結論を拡大解釈し更に歪曲して、一部の人々が、その人々のY遺伝子のパターンと、現代日本人男子に多いY遺伝子パターンとを比較して「両者に共通するものがなかった」という勝手な結論を付け足して、「義経チンギス・ハーン同一説が完全否定された」と主張しておられるようです。

 

 

しかしながら、これらの人々の否定の根拠は拡大解釈であって、遺伝学という科学を完全に歪曲した主張です。

 

敢えていうならば、オックスフォード大学のチームの「モンゴルと中国北部の男性の多くがチンギス・ハーンの子孫である」という結論そのものも、実は前提条件が曖昧でしかなく、義経チンギスハーン同一説を否定する根拠にも到底ならないのです。

 

 

■「墓はどこ?」

最も簡単に決着をける方法は、チンギス・ハーン本人の遺体(遺骨の歯髄や骨髄)から検体を採取してDNA解析するだと思いますが、「チンギス・ハーンの墓がそもそもない」「一族の最重秘密」として厳重に隠されてきたというのがこれまでの経緯らしいのです。

 

 

引用元


<転載終了>