ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n732a9490b976
<転載開始>

千原ジュニアのYouTubeチャンネルにお笑い芸人のアップダウンの二人が出ていた。僕は特にお笑いに詳しいわけではないので、知らない芸人だったけれども、話に引き込まれました。

政治的、歴史的に重たいテーマ、たとえば、原爆の悲惨さとか北海道のアイヌ問題とか、お笑い芸人がネタとして扱えば「不謹慎」と批判されそうな事柄を、上手に笑いをまじえて紹介するという、かなり独特な芸風のコンビなんですね。
二人が今のスタイルに行き着いたきっかけは、特攻で亡くなった藤井一中尉の芝居を作ったことでした。

画像

藤井中尉は1945年5月28日に散華した。29歳でした。
29歳というのは、ほとんどの特攻隊員が20歳前後であることを考えると、かなり高齢です。ここには事情があります。
そもそも藤井中尉はパイロットではなく、飛行学校の教官だった。つまり、自分が戦闘機に乗るのではなく、生徒に乗り方を教えて、「お国のために行ってこい!俺も必ず後から行くから」と、生徒を送り出す側の人でした。
実際のところ、こういう教官が戦闘機に乗ることはありません。多くの若者を戦地に送り込みながら、戦後ずいぶん長生きした。そういう教官が数多くいます。
しかし藤井中尉は違いました。「俺も必ず後から行く」と言った生徒との責任を果たすため、特攻を志願します。しかし何度志願しても、軍はこれを却下した。
その理由として、まず、藤井中尉はかつて中国戦線で右腕を負傷し、操縦桿が握れなかった。操縦できない人を戦闘機に乗せるなんて、さすがの軍上層部もそんな要望は聞き入れない。
もうひとつ、藤井中尉には妻と二人の子供(3歳と生後4か月の娘)がいました。特攻は、死亡率100%の作戦です。軍としては、不幸な未亡人と父なし子を増やさない温情から、あえて家庭を持つ者を特攻させることはありません。

藤井中尉はもがき苦しみました。多くの若者を死地に追いやった自責と、「俺も必ず後から行く」という約束を果たせないもどかしさで、藤井中尉の心は張り裂けそうだった。
藤井中尉の奥さんは、そんな夫の姿をずっと見ていました。ずいぶん言い争いもしました。しかし、何を言っても、どんなことがあろうとも、夫の決心は変わらないのだと悟りました。
1944年12月15日早朝、藤井中尉が基地に泊まり家にいない間に、24歳の奥さんは二人の娘とお互いの体を1本の紐で結び、川に身を投げました。
遺書にはこんな言葉があった。「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分活躍できないでしょうから、一足先に逝って待っています」

こうして、「妻子持ち」ではなくなった藤井中尉は、指を切り血染めの嘆願書を提出しました。
これほどの覚悟となれば、軍としても認めざるを得ない。しかし操縦桿を握れない者を戦闘機に乗せることは、物理的に不可能です。そこで、軍が編み出した苦肉の策が、戦闘機の「二人乗り」です。
ゼロ戦は軽さが身上です。敵の戦艦の機銃掃射をかいくぐり、体当たりして攻撃する。当然、少しでも身軽なほうが有利ですが、軍は藤井中尉の覚悟に敬意を払い、戦闘機の後部に同乗することを認めました。

藤井中尉の遺書
「父も近くお前たちの後を追っていけることだろう。
 嫌がらずに今度は父の温かいふところで、だっこして寝んねしようね。
 それまで泣かずに待っていて下さい。
千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。
 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。
 では一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待っててちょうだい」


戦後、ある高齢のアメリカ人が知覧の特攻平和会館を訪れた。
「日本人は日本のために戦い、私はアメリカのために戦った。当時はお互いに敵同士だったが、戦争が終わった今となっては、ここに祀られている人たちは戦友のようなものだと思っている。
1945年5月28日のことは、忘れようにも忘れることはできない。あの日、私は駆逐艦ドレクスラーの搭乗員だった。沖縄近海で、複数の特攻機が突撃してきた。1機は撃墜したが、2機目が艦後部に突入して、蒸気パイプが破壊された。戦艦の動力がすべて停止して、あちこちでガソリン漏れの火事が起こった。さらに、別の特攻機が、今度は上部構造物に突入し、艦内ですさまじい爆発が起こった。それからまもなく、ドレクスラーは沈没した。
一緒に乗っていた乗員のうち158人が亡くなり、52人が生き残ったが、私は生存者のひとりだ。
2機目、艦後部に突入したゼロ戦は、幾分奇妙だった。「二人乗り」だったんだよ」



死地に追いやった生徒のために、なんとしても、自分の責任を果たしたい。
そんな夫のために、妻が幼い子供とともに自ら命を絶つ。
いったい、どこの国の話なんだ、と思います。

「歴史を失った国は100年で滅びる」という言葉がある。
こんな先人がいたことを知らない僕らは、亡国の道を歩んでいるような気がします。



https://www.youtube.com/watch?v=EK1QNj_DOgs


<転載終了>