In Deepさんのサイトより
https://indeep.jp/this-will-end-in-world-war-3/
無知な人間の妄想ですから気にしないでくださいね!

地球再生のカウントダウン
2036年ころと思っていましたが早まりそうです。
イランにはアカシックレコードが埋め込まれているようなので
万が一そこを破壊したら地球は粉々になるようです。
まぁ、カバーをして守られているようですが
核戦争になったらそのカバーを外すかも?
人類では対応は出来ませんが。
<転載開始>
2025年6月22日 イランの弾道ミサイルで攻撃された後のテルアビブ

Times of Israel

予想を上回るペースでのエスカレーション

アメリカが、イランの核施設を攻撃したことを受けて、イランとイスラエルの戦争は地域戦争の域を超えてきました。

攻撃の直後には、イラン最高指導者の顧問が、

「米海軍艦艇へのミサイル攻撃とホルムズ海峡の封鎖を要求した」

報じられており、早ければ、数日中にホルムズ海峡が封鎖される可能性があります。

また、このイランへの攻撃の比較的すぐ後に、イランがイスラエルに対する大規模なミサイル攻撃を行ったことが報じられています。

その後の映像では、テルアビブなどイスラエル側の甚大な被害の様子が見られます。少し前の記事でも書きましたけれど、イスラエルのミサイル防御能力はかなり低下しているようです。

以下は日本時間で 6月22日午前のイスラエル・テルアビブの様子です。

イラン、イスラエル双方が「住宅街やオフィスを次々と攻撃している」状況が、さらにひどくなっているのかもしれません。

また、プーチン大統領が、イランとイスラエルの戦争について、「第三次世界大戦の可能性について深刻な懸念を表明した」と語ったことが報じられています。

ロシアで行われた第28回サンクトペテルブルク国際経済フォーラムにおいての発言です。以下は報道の抜粋です。

報道「プーチン大統領、第三次世界大戦を警告」より

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、第28回サンクトペテルブルク国際経済フォーラムの重要演説で、第三次世界大戦の可能性について深刻な懸念を表明した。全体会議でプーチン大統領は、高まる地域的緊張を軽視してはならないと述べた。

「確かに(第三次世界大戦を)懸念している。これは皮肉でもなければ、冗談でもない」とプーチン大統領は、世界が第三次世界大戦に向かっているのではないかとの懸念を問う記者に対し、こう答えた。

プーチン大統領は、現在進行中のいくつかの危機を指摘した。自国によるウクライナとの戦争、中東の不安定化、そしてイスラエルによるイランの核施設への最近の攻撃を挙げ、「これらの紛争には真剣な対応と平和的解決が必要だ」と述べた。

Economic Times 2025/06/20

このような状況下で、攻撃を受けているイランやイスラエルの現地の人々はどのように暮らして、どのように考えているのかを、ロシア RT が、イランのテヘランとイスラエルのエルサレムの人にそれぞれインタビューを行っていました。

これは、6月21日のイランへの攻撃の前のものですが、シェルターのことなど新たに知ることなどもあり、興味深いものです。

記事にしたのは、ロシアの政治ジャーナリストで高等経済学院の専門家であるエリザベータ・ナウモワ氏という方だとあります。

かなり長いインタビューです。

ここからです。

「これは第三次世界大戦で終わるだろう」:エルサレムとテヘランの人たちは何を期待しているのか?

‘This will end in World War III’: What are people expecting in Jerusalem and Tehran?
RT 2025/06/20

閉ざされたシェルターから眠れない夜まで、イスラエル人とイラン人は、砲火の下での恐怖、信じられない思い、そして奇妙な生活習慣を語る。

イスラエルとイランの紛争は、ゆっくりと、しかし着実に全面戦争へと変貌を遂げつつある。ドローンは弾道ミサイルに取って代わられ、軍事目標は住宅やオフィスに変わり、大量流血の脅威が交渉の希望を奪い去っている。

イスラエルの民間人はサイレンやシェルターに長らく慣れ親しんできたが、最近の激化はイランの人々にとってと同様に、彼らにとっても突然の出来事だった。誰も備えができていなかったのだ。

RT は、これまでほぼ流血沙汰のないまま数十年にわたり膠着状態が続いてきたイスラエルのエルサレムと、イランのテヘラン両都市の住民にインタビューを行った。彼らは、空爆を生き抜き、家を追われ、誰も望んでいない厳しい現実、そしてすぐには消えないかもしれない現実に直面する日々について語った。


 

すべてが変わった日

※ 名前はすべて仮名。

RT:攻撃の初日はどのようなものでしたか?

レイラさん (エルサレム):金曜日 (6月20日)の攻撃は午前 3時に始まりました。まず、街全体に響き渡るサイレンが聞こえました。これは通常、イエメンからの攻撃の際に鳴るものです。

それから、恐ろしい警報が鳴り響きました。アプリからではなく、携帯電話の緊急システムから直接発せられる警報です。通常は地震、津波、その他の災害を警告するものです。しかし、それは恐ろしいほどの悲鳴でした…。

イスラエルの多くの地域では、このような警報は珍しいです。例えばエルサレムでは、(2023年)10月7日にガザからロケット弾が直撃するまで、何年もそのようなサイレンが鳴ったことはなかったのです。

正直に言うと、初めてサイレンを聞いてからというもの、今では何もかもが怖くなっています。風の音、オーブンのタイマー、目覚まし時計。そういう音を聞くと、体が震えてしまいます。

私たちはできるだけ早く防空シェルターに行き、ホームフロント司令部(民間防衛を担当するイスラエル国防軍の部門)の指示に従うように言われました。

皆が恐怖に駆られ、何が起こっているのかと尋ねながら走り回っていました。皆が目を覚ましました。普段は市全体に警報が鳴っても、誰も避難所に逃げたりはしません。たいていは、フーシ派が発射したミサイルが砂漠かイスラエル国外で迎撃されるだけだからです。

通常、司令部は何がどこから来るのかを発表します。ドローンなのか、ミサイルなのか。ですが今回は何も(発表が)なかった。イスラエルの公式ニュースにも何も報道されなかったので、アルジャジーラのライブ配信を開くと、テヘランが爆撃されているのが見えました。

たくさんの疑問が湧き上がりました。「テヘランから何かが来たから爆撃しているのだろうか? それとも私たち(イスラエル)も攻撃されているのだろうか?」と。

危険ではないと分かり、家に戻りました。家に着くと、イスラエルが先制攻撃を仕掛けたものの、まだ報復措置が取られていなかったことが分かりました。

イスラエルは戒厳令を発令し、学校や大学は閉鎖され、仕事も停止…公共交通機関もほとんど機能していませんでした。

金曜日は一日中、さらなる攻撃を待ち続けていました。そして、夜になってようやく攻撃が始まりました。砲撃は大規模でした。幸いにも警報システムはうまく機能していました。携帯電話からあの不気味なサイレンが鳴り響き、警報で危険地域が表示されます。そして、着弾の 90秒前にまたサイレンが鳴り響きます。その音は、最寄りの地域だけでなく、近隣の都市にも響き渡るほどでした。

--

ジャバドさん (テヘラン): 金曜日の午前 3時頃、信じられないほど大きな爆発音が鳴り響きました。イスラエルは最高司令官、高官、核物理学者を標的にし始めました。攻撃は午前 6時か 7時まで続きました。私の理解では、彼らはイラン国内からドローンを発射したようです。

ここ数日、私たちは慣れてきました。こんな中でも生活し、眠り、歩き回っています。最初の頃ほど恐ろしくはなくなりました。だから、砲撃が始まっても、たいていはただ立ち止まって撮影するだけです。誰も逃げません。

死傷者は多く、主な原因はイスラエルのミサイルが住宅に命中していることです。路上で負傷する人はほとんどいません。


2025年6月13日、テヘランでイスラエルの空爆を受けたノボニャド広場の建物の被害状況を確認する人々。

サイードさん (テヘラン): あの夜のことは、はっきりと覚えています。試験が間近でした。私は寝ていましたが、友人は図書館で勉強していて、電話をかけてきて起こされました。午前 3時近くでした。彼は「サイード、起きろ。イスラエルが攻撃してきた」と言いました。

先ほど窓が揺れているのを感じましたが、「たぶんただの夢だろう」と自分に言い聞かせていました。

イスラエルによるテヘランへのミサイル攻撃の間、人々の反応は恐怖、衝撃、連帯、そして生き延びるための努力が入り混じったものでした。爆発音が夜の静寂を破ると、半分眠ったまま恐怖に怯えた多くの人々が通りや路地に駆け出していました。窓は割れ、家々は揺れ、炎が夜空を燃え盛っていました。

一部の地域では、人々が屋上から「アッラーは偉大なり」と叫び、宗教的かつ国家的な連帯感を表現していました。

防空システムがミサイルの迎撃に成功した地域では、人々は日常生活を再開できたため、軍に感謝していました。彼らはイスラエルの攻撃を、武力誇示と捉えていたのです。

しかし、直接的な被害を受けた地域では、人々は恐怖と混乱、そして悲しみに満ちていました。中には目に涙を浮かべながら、「私たちはただの普通の人間です。武器も、住む場所もありません。私たちにできることは、ただ祈ることだけです」と訴える人もいました。

 

シェルターと避難場所について:イスラエルからイランまで

RT記者:どこかに隠れられますか?

レイラさん (エルサレム):もう隠れることはできません。ロケット弾は以前ほど(防御されておらず)それは破片ではなく、建物に直接命中するようになりました。迎撃はほぼ不可能です。犠牲者は増え続けています。

イスラエルにあるシェルターとは何か説明しなければなりません。「メルカヴ・ムガン・エイニ」、つまり即席の保護空間です。これは窓のない階段の角のことで、厳密に言えばシェルターになり得ますが、今は最後の手段としてしか使われていません。

厚いドアと密閉可能な窓を備えた「ママド」と呼ばれる部屋もあります。ホームフロント司令部は、これらの部屋は 100%安全だと主張しています。これらは、キッチンや階段よりも安全でしょうが、しかし…最近の攻撃で、ミサイルが「ママド」に命中し、中にいた全員が死亡したのです。

そして「ミクラド」と呼ばれる地下シェルターがあります。これは通常、建物の地下に設置されます。ミサイルは通常、上層階か建物の中央付近に命中するため、最も安全なように見えますが…もし建物全体が崩壊したらどうなるのでしょうか?

大きな地下シェルターもいくつか存在しますが、それらはまれで、そして遠くにあります。


イスラエルのシェルター。

困ったことに、ここはどこの街角にもシェルターがあるわけではありません。テルアビブ、ハイファ、ガザ近郊の他の都市では、ほぼすべての建物にシェルターがあります。しかし、ここエルサレムでは…過去に様々な脅威(テロ攻撃など)があったため、シェルターの数が少なくなっています。

砲撃の最中に路上で捕まったら、隠れる場所はありません。公園にいたら、逃げる場所はありません。

近くに避難所がないので、家を出なければなりませんでした。以前は通りの向かい側に避難所があったのですが、誰かが自転車の鍵で施錠してしまって…。もう一つの避難所はかなり遠いです。他の人がどうしているのかは分かりません。

1年前は(イスラエルに対する)住宅への攻撃はありませんでした。ですが、今は人口密集地域が狙われています。ガザ、フーシ派、そして今度はイランからもロケット弾が飛んできているのです。

今のところエルサレムは攻撃を免れています。おそらく、重要な軍事拠点がないからでしょう。しかし、クネセト(イスラエル国会)という国会があります。軍事拠点が枯渇すれば、彼らはエルサレムに目を向けるかもしれません。

--

サイードさん (テヘラン): テヘランでは、イラン・イラク戦争の歴史とミサイル攻撃の可能性を考慮し、いくつかの場所が緊急避難所に指定されています。例えば、テヘラン中心部で最大級の規模を誇るパーク・エ・シャフル地下シェルターなどがその例です。

緊急時に使用できる強化地下セクションを備えたアザディ・スポーツ複合施設もあります。

ナルマク地区には、イラン・イラク戦争の残骸であるシェルターも残っています。また、テヘラン・バザールの地下には、古くて頑丈な通路が残っています。

 

イスラエルにおける戦争の日常化とイランにおけるその新しさ

RT:日常生活はどのように変化しましたか?

レイラさん(エルサレム):砲撃はある程度ルーティン化されていて、確かに恐ろしいです。でも、人々は訓練されているようです。何をすべきか分かっているんです。ルーティン化は、実は私たちが恐怖と闘う助けになっています。

例えば土曜日に公園を通ったのですが、(エルサレムの)人々はバーベキューをしたり、サッカーをしたり… 。

(爆撃中は)誰がイスラエル人で誰がそうでないかはすぐに分かりました。避難所にいても、イスラエル人はネイルを見せびらかして噂話をしています。しかし、移民たちはパニックに陥り、息を切らしています。

襲撃の最中も、人々は外に出て、白い服を着て、気楽に歩いています。

まったく隠れない人もいます。彼らは政府を信用しておらず、神が自分たちを守ってくれるとも信じていません。多くのアラブ人も避難場所を求めません。もっとも、公平を期すために言っておくと、ヨルダン川西岸にはそもそも避難場所はほとんどありません。

それが正しいのかどうかは分かりません。

時々「高速道路でサイレンが鳴ったら、どこへ行けばいいんだろう?」と疑問に思うことがあります。

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ジャバドさん(テヘラン):人々は今、どのように日々を過ごしているか、ですか? まあ、いつも通りです。授業は中止になり、試験は日程変更またはオンラインになり、多くのオフィスは閉鎖されています。

テヘランには今、ほとんど人がいません。以前は交通渋滞が絶えませんでしたが、今はただ空虚なだけです。私の知り合いは皆、この街を去ってしまいました。 実際、渋滞しているのは、給油所の行列だけです。

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サイードさん(テヘラン): 人々の日常生活は劇的に変わりました。人々は恐怖に怯え、ほとんどすべての人が不安を感じています。

最近はサイレンや爆発音で目が覚めます。混乱するか、移住を試みるか、あるいは(イスラエルに)抵抗するか。夜は眠れず、避難所を探すか、祈るかのどちらかです。

一部の市当局は、地下鉄駅は奥行きが深く、構造が強化されているため、一時的な避難所として利用できると発表しています。しかし、一部の専門家は、地下鉄システムは本来このような用途を想定して設計されていないため、深刻な攻撃に対して脆弱である可能性があると警告しています。

多くの地域には公式の避難所がないため、人々は住宅の地下室、公共駐車場、モスク、さらには階段などに避難することがよくあります。

これらの場所は完全な安全を確保できるとは限りませんが、利用可能な唯一の選択肢となることがよくあります。

 

出か、それとも出口はないのか?

RT:街や国を離れることは可能でしょうか?

レイラ(エルサレム): 正直なところ、イスラエルから脱出できた人を知りません。空港は閉鎖されており、おそらく 6月30日まで延長された戒厳令が解除されるまで閉鎖されたままでしょう。

ヨルダンかエジプトに渡るという選択肢もありますが、本当に実現可能でしょうか? 特に、この国で最近イスラエル国民への襲撃事件が起きている中で、なおさらです。

ヨルダンでさえ今、ロケット弾攻撃を受けています。(ヨルダンに)逃げることもできません。エジプトが唯一の現実的な選択肢ですが、多くのイスラエル人はエジプトには行きたがらないのです。特にあの攻撃の後では。ほとんどの人にとって、逃げ道はありません。安全な場所などないのです。
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サイード(テヘラン): 多くのイラン人は国を離れたいという願望を抱いていますが、イランを離れることは必ずしも容易ではなく、誰にとっても可能であるわけでもありません。

イランでは現在、大規模な国外脱出は起きていないものの、国内での人口移動の波が押し寄せています。イスラエルの砲撃開始後、数千人のイラン人がテヘランをはじめとする主要都市から逃亡を始め、より安全な地域、主に地方や海に近い北部へと避難を強いられています。

私はテヘランの学生でしたが、戦争のため、カスピ海沿岸にある母の故郷ゴルガーンに戻ってきました。

 

次に何が起こるだろうか?

RT記者:これはどう終わると思いますか?

ジャバドさん(テヘラン):正直なところ、この事態がどう終わるのか分かりません。私は軍事や政治の専門家ではありません。イランとイスラエルの両陣営は最後まで戦うだろうと思います。今のところ、(イスラエルが)優勢のように見えます。もしイランがこの状況から抜け出すとしたら、それは優雅なやり方でしょう。

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レイラさん (エルサレム):戦争は 2週間続くと言われました。その後、戒厳令は 6月30日まで延長されました。でも、もっと長引くと思います。消耗戦になるだろうと考える人もいます。終わりは見えません。

今のところ、地域の大国が戦争に参加するとは思えません。イランは恐ろしい敵です。私は悲観主義者です。これは第三次世界大戦で終わると思っています。

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サイード(テヘラン):イラン・イスラエル戦争の終結は現時点では非常に不確実ですが、個人的にはイランが 1週間以内に戦争に勝つと信じています。

私の友人の多くと同じように、私にもまだ叶えられていない夢があります…例えばロシアに旅行して赤の広場を見ること、テヘランでの展示会でロシア語の通訳をすること、ミラードタワーをもう一度見ることなどです。


 

ここまでです。

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